獣人属の少年
元祖いらふわ
「チョコレートね……」
あの人のことだから施しじゃないんだろうなぁ。
足を止めて一瞬だけ振り返る。すると、まだ反対に進むエルサさんの背中が見えた。プラチナブロンドの三つ編みを僅かに揺らし姿勢をピンとして歩く姿はとても綺麗だった。
角を曲がったところでその姿は消える。オレもこのまま止まっていちゃいけない、と歩き出す。でも、その歩調に先ほどまでの焦りはない。だって、もうオレの仕事終わりだし。
「レオナさんはエルサさんが見つけてくれんだろうし」
ずっとレオナさんのお世話ばかりもしていられないんすよ、と独り言ちる。
だって、オレにも課題はあるし。さっきの授業でも大量に出されたトレインの課題を思い出しただけで気分が萎えるほど。
やっぱりサボるかって気分が揺れているとほんのりチョコレートの香りが強くなった気がする。やっべ、と慌てて転がしていたチョコレートを見る。
シルバーとブルーが交じった包装紙に包まれたチョコレートは溶けてはいなかった。でも、このまま手のひらで転がしていたら確実に溶けるだろう。
「高級チョコレートだよな」
物産展のアルバイトで見たことがある。雪と緑の国。冬の時期は輝石の国の北部と同じくらい寒く雪が降り積もる。そして春になると青々とした緑の覆われる暖かい国に生まれ変わる。寒暖差の激しい場所だが観光地や避暑地として人気の国だ。さらにチョコレートに関してトップクラスのレベルを誇っていた。
そのチョコレートがオレの手にある。気軽に食べられるのはエルサさんがその国のお姫サマだからなんだろうな。
「ま、どーでもいいけど」
貰えるもんは貰っておこう。綺麗な包みをガサガサ広げると綺麗なつるんとしたチョコレートが現れる。色の具合からミルクチョコレートのようだ。てっきり、ビターチョコが出て来ると思ったけれど意外に甘いものが好きなのかな。
――そういえば、レオナさんもうちのチョコレートあげていたっけ。
ついこの間、大嫌いな実家に呼ばれ仕方なく帰った我が寮の王様。苛々しながら帰って来るんだろうなと思ったら機嫌を損ねることなく帰って来た。八つ当たりされずに済んだと思ったけれど――。
「まさかエルサさんにお土産とはねぇ」
レオナさんが持って帰って来たのは夕焼けの草原ブランドのチョコレート。でも、そのチョコレートは高級に入る部類ではない。一般人でも容易に手に入るもの。ラギーだって正直買えてしまう庶民的なチョコレートだった。
なんでそんなもんお土産に――と考えかけてやめた。レオナさんとエルサさんはどうやら子どもの頃に交流があったらしい。だからなのか二人きりでいるときはこう、妙に、くすぐったい空気になる。
レオナさんはあからさまに雰囲気が変わるくらいだ。明らかにエルサさんには甘いし。よほど鈍感な人間じゃない限り分かるだろうという雰囲気。
――ま。エルサさんはその鈍感の筆頭だけど。
世話係のアルバイトはしてっけどオレにかんけーねぇし。王子サマとお姫サマの物語の脇役に従者として出るつもりなんて指先ほどもない。
「いち観客でいさせてもらうッスよ」
どうせ観客料金はかからないし。それが一番いい。そう納得しながらつるんとした丸いチョコレートを口に入れる。チョコレートは口の中のぬるい温度で瞬く間に溶けて舌に絡まってくる。
「あまっ」
丸いチョコレートはミルクチョコレートではなくそれ以上に甘いミルク味のチョコレートだった。もしかしたらあの二人の関係がそうなのかと思うとすでに胸焼けしてくる。
「うげ。いやな暗示ッス」
その日からオレは暫くミルクチョコレートが食べられなくなった。
ミルクチョコレート食べてから数日後、オレの手のひらにまたチョコレートが転がった。
「あのエルサさん、これって」
「この間はミルクチョコレートだったから今度はビターチョコよ」
大人びた整った顔がにこりと微笑むと随分と可愛い。いや、可愛いけれど――こんな人の往来が激しいところでは勘弁してほしかった。周りからの視線がすごく痛い。
「あ、もしかしてビターチョコ苦手だったかしら?」
「や。チョコレートはなんでも平気ッス」
「そう。よかったわ。あ、実はそのチョコレート食べたら感想が欲しいの」
「感想?」
意外な言葉に首を傾げるとエルサさんが「実は」と小声で話しながら顔を近づけて来た。
――いや、近い、近いって!
思わずのけ反るのを堪えながら「なんスか」と聞き返す。悔しいながらエルサさんの方がヒールも相まってオレより身長が高い。
――悔しいけど、まだ成長過程なんで!
オレは誰に言い訳しながらいい匂いも相まってちょっとドキドキしてくる。だって、こんな綺麗で、可愛くて人とそうそう会うことができない。年頃男子高校生の性ゆえに許してほしいと誰にしているか分からない言い訳をしているとエルサさんと目が合う。
綺麗なアクアブルーの瞳。めっちゃ綺麗だと、思わず見惚れていると――いきなり後ろから強い力で引っ張られた。
「ぐぇっ」
「ぁ、レオナ!」
やっぱり、とオレは鼻に馴染んだ香水の香りに必死に首を動かせば我が寮の王様がいた。サマーグリーンの瞳を据わらせながら睨んでくる。なんスかと言いたげに口を開こうとしたときだった。
「レオナ、やめなさい! ラギーが苦しいでしょう!」
懸命にオレを助けようとするエルサさんに感動するけれどやめてほしい。今ちょっとレオナさんを煽っている状態になるから。けれど、エルサさんの訴えにあっさりと王様は離す。
――ハハ。大好きなお姫サマの言うことは聞くのかよ。
口が裂けても言えねぇ。でも、心の中でできる限りの悪態をつきつつ後ろに詰まった襟首を直して握ったままのチョコレートを確認する。
「よかったぁ」
溶けていなかったし潰していなかった。もう後で食べようかと思った矢先だった。
「なんだこりゃ」
「あ゛ッッ!」
ひょいっとチョコレートが手の中から攫われた。すぐに盗んだ犯人を睨みつければレオナさんが「んだよ」と言った。さすがにオレもこれには抗議の声を上げた。だって、それはオレのもんだし。
「それオレがエルサさんから持ったらもんス!」
「で」
「返してください」
「ふーーん」
途端、レオナさんの綺麗な形をした唇が嫌な感じに歪んだ。あ、と思った瞬間には包みが剥がされてチョコレートが綺麗な唇に触れて口の中へと消えていった。
なんで食べるんすか、と食い物の恨みが募った瞬間だった。
「レオナッッ!」
高い声が廊下に響いた。あまりの高い声に思わず耳を伏せながら発生源のエルサさんを見る。
エルサさんは眉毛と目尻を吊り上げ腰に両手を当てていた。随分と分かりやすい〝怒っています〟のポーズをしていた。
「わたしがラギーに挙げたチョコレートよ! 何勝手に食べているの! あなたそれでも寮長? それにラギーよりずっと年上でしょう!」
「え、ちょ、エルサさん」
明らかに大人気ないのよ、という言葉を羅列するエルサさん。
――や。そこまで怒らなくても……。
あまりの怒られようにレオナさんを見て両目を覆った。
レオナさんは耳を下げて明らかに「俺は今機嫌が悪い」という表情をしている。拗ねるなよ、いい大人が。いや、まだ大人ではないけれど。それでも可笑しくねぇ?
「フン。チョコならまたやればいいだろ」
「ダメよ! 今のチョコレートは特別だったの!」
「は?」
「え?」
一瞬呆けたけれどオレは全身が震えた。
エルさんが特別仕様のチョコレートをくれたことにじゃない。いや、なんか嬉しいけれど――オレは遠くを見つめることにした。
――しばらく夜道歩けねぇわな。
正直、そこら辺の生徒の嫌味なんってこれっぽっちも気にしない。そう。そこら辺の一般生徒のは、な。
現実逃避していたオレは意を決して視線を横に動かして戻した。つーか、逸らした。逸らしたのに。
――んで、レオナさん、見てくんだよ!
恨みがましいという視線がバチバチ頬に当たっている気がする。やめてくれ、こっちみんな、もうここから逃げ去りたいてねぇよ、ばあちゃん。
ここに居ないばあちゃんに泣き言を言いながら決意した。もうさっさとこの場を丸く収めよう。
「その! エルサさんなにが! なにがぁ特別だったんスかねぇ!」
必死に耳を立たせて引き攣る頬を何とか動かしながらエルサさんに訊ねる。すると、エルサさんがはぁと溜息をついて話してくれた。
「最近ラギーが疲れているようだから疲れの取れるおまじないをまぶしたチョコレートだったのよ。だからね、疲れてもいないレオナが食べても意味がないのよ」
疲れてもいないレオナ、とはよく言ったもんだな。感心しながらも隣の空気が重くなってオレはもう嫌になる。マジで泣きそうになる。
もう面嫌だ、と思いつつもエルサさんの気遣いはくすぐったかった。レオナさんの世話は賃金が出るから平気だ。正直、他のアルバイトより全然まし。
オレが最近疲れているのは勉強の方が大変だ。少しでも気を抜けばおいて行かれそうになる。まともな勉強なんてしていなかったからだろうけれど――それが言い訳にならない。この学園ももれなく弱肉強食の世界だ。必死に食らいついて将来はいいところに就職してみせる。だからここで躓いていられない。
「エルサさん、お気遣いありがとうございます!」
素直にお礼を言う。すると、エルサさんがきゅっと眉を寄せた。
――え。なに。
エルサさんが近づいて来ると綺麗な小さな両手でオレの両手を掴んだ。
わぁ。柔らかいなんて考えてすぐにエルサさんの名前を呼ぶ。その声が裏返りそうになった。つか、落ち着け、落ち着けよ、隣の王様、落ち着け。
レオナさんからの視線に口角が引き攣る。けど、エルサさんはオレの様子に気づかず真剣な表情で――。
「また作り直すから待っていてちょうだいね」
それはまた特別なチョコレートってやつですか。もういっそ高級チョコレート一年分にしてくれ。そう思わずにはいられないこの出来事は瞬く間に学園中に広がった。
一般生徒からのやっかみはいいが、エルサさん周りの生徒からのチクチクにオレは精神をガリガリ削られることになった。
そして、当のエルサさんといえば――。
「ラギー。今日は棒付のチョコレートを試してみたの」
無邪気に薔薇の形をした棒付きのチョコレートを渡してきた。もちろん、いつも通り特別せいだ。それにオレはもう受け取ることしかできない。
「あ、あざぁっす」
この無邪気なお姫サマを誰か早く射止めてくれ。そんで他の男にチョコを上げるなと止めてくれ。マジで早く、誰か!
「チョコレートね……」
あの人のことだから施しじゃないんだろうなぁ。
足を止めて一瞬だけ振り返る。すると、まだ反対に進むエルサさんの背中が見えた。プラチナブロンドの三つ編みを僅かに揺らし姿勢をピンとして歩く姿はとても綺麗だった。
角を曲がったところでその姿は消える。オレもこのまま止まっていちゃいけない、と歩き出す。でも、その歩調に先ほどまでの焦りはない。だって、もうオレの仕事終わりだし。
「レオナさんはエルサさんが見つけてくれんだろうし」
ずっとレオナさんのお世話ばかりもしていられないんすよ、と独り言ちる。
だって、オレにも課題はあるし。さっきの授業でも大量に出されたトレインの課題を思い出しただけで気分が萎えるほど。
やっぱりサボるかって気分が揺れているとほんのりチョコレートの香りが強くなった気がする。やっべ、と慌てて転がしていたチョコレートを見る。
シルバーとブルーが交じった包装紙に包まれたチョコレートは溶けてはいなかった。でも、このまま手のひらで転がしていたら確実に溶けるだろう。
「高級チョコレートだよな」
物産展のアルバイトで見たことがある。雪と緑の国。冬の時期は輝石の国の北部と同じくらい寒く雪が降り積もる。そして春になると青々とした緑の覆われる暖かい国に生まれ変わる。寒暖差の激しい場所だが観光地や避暑地として人気の国だ。さらにチョコレートに関してトップクラスのレベルを誇っていた。
そのチョコレートがオレの手にある。気軽に食べられるのはエルサさんがその国のお姫サマだからなんだろうな。
「ま、どーでもいいけど」
貰えるもんは貰っておこう。綺麗な包みをガサガサ広げると綺麗なつるんとしたチョコレートが現れる。色の具合からミルクチョコレートのようだ。てっきり、ビターチョコが出て来ると思ったけれど意外に甘いものが好きなのかな。
――そういえば、レオナさんもうちのチョコレートあげていたっけ。
ついこの間、大嫌いな実家に呼ばれ仕方なく帰った我が寮の王様。苛々しながら帰って来るんだろうなと思ったら機嫌を損ねることなく帰って来た。八つ当たりされずに済んだと思ったけれど――。
「まさかエルサさんにお土産とはねぇ」
レオナさんが持って帰って来たのは夕焼けの草原ブランドのチョコレート。でも、そのチョコレートは高級に入る部類ではない。一般人でも容易に手に入るもの。ラギーだって正直買えてしまう庶民的なチョコレートだった。
なんでそんなもんお土産に――と考えかけてやめた。レオナさんとエルサさんはどうやら子どもの頃に交流があったらしい。だからなのか二人きりでいるときはこう、妙に、くすぐったい空気になる。
レオナさんはあからさまに雰囲気が変わるくらいだ。明らかにエルサさんには甘いし。よほど鈍感な人間じゃない限り分かるだろうという雰囲気。
――ま。エルサさんはその鈍感の筆頭だけど。
世話係のアルバイトはしてっけどオレにかんけーねぇし。王子サマとお姫サマの物語の脇役に従者として出るつもりなんて指先ほどもない。
「いち観客でいさせてもらうッスよ」
どうせ観客料金はかからないし。それが一番いい。そう納得しながらつるんとした丸いチョコレートを口に入れる。チョコレートは口の中のぬるい温度で瞬く間に溶けて舌に絡まってくる。
「あまっ」
丸いチョコレートはミルクチョコレートではなくそれ以上に甘いミルク味のチョコレートだった。もしかしたらあの二人の関係がそうなのかと思うとすでに胸焼けしてくる。
「うげ。いやな暗示ッス」
その日からオレは暫くミルクチョコレートが食べられなくなった。
ミルクチョコレート食べてから数日後、オレの手のひらにまたチョコレートが転がった。
「あのエルサさん、これって」
「この間はミルクチョコレートだったから今度はビターチョコよ」
大人びた整った顔がにこりと微笑むと随分と可愛い。いや、可愛いけれど――こんな人の往来が激しいところでは勘弁してほしかった。周りからの視線がすごく痛い。
「あ、もしかしてビターチョコ苦手だったかしら?」
「や。チョコレートはなんでも平気ッス」
「そう。よかったわ。あ、実はそのチョコレート食べたら感想が欲しいの」
「感想?」
意外な言葉に首を傾げるとエルサさんが「実は」と小声で話しながら顔を近づけて来た。
――いや、近い、近いって!
思わずのけ反るのを堪えながら「なんスか」と聞き返す。悔しいながらエルサさんの方がヒールも相まってオレより身長が高い。
――悔しいけど、まだ成長過程なんで!
オレは誰に言い訳しながらいい匂いも相まってちょっとドキドキしてくる。だって、こんな綺麗で、可愛くて人とそうそう会うことができない。年頃男子高校生の性ゆえに許してほしいと誰にしているか分からない言い訳をしているとエルサさんと目が合う。
綺麗なアクアブルーの瞳。めっちゃ綺麗だと、思わず見惚れていると――いきなり後ろから強い力で引っ張られた。
「ぐぇっ」
「ぁ、レオナ!」
やっぱり、とオレは鼻に馴染んだ香水の香りに必死に首を動かせば我が寮の王様がいた。サマーグリーンの瞳を据わらせながら睨んでくる。なんスかと言いたげに口を開こうとしたときだった。
「レオナ、やめなさい! ラギーが苦しいでしょう!」
懸命にオレを助けようとするエルサさんに感動するけれどやめてほしい。今ちょっとレオナさんを煽っている状態になるから。けれど、エルサさんの訴えにあっさりと王様は離す。
――ハハ。大好きなお姫サマの言うことは聞くのかよ。
口が裂けても言えねぇ。でも、心の中でできる限りの悪態をつきつつ後ろに詰まった襟首を直して握ったままのチョコレートを確認する。
「よかったぁ」
溶けていなかったし潰していなかった。もう後で食べようかと思った矢先だった。
「なんだこりゃ」
「あ゛ッッ!」
ひょいっとチョコレートが手の中から攫われた。すぐに盗んだ犯人を睨みつければレオナさんが「んだよ」と言った。さすがにオレもこれには抗議の声を上げた。だって、それはオレのもんだし。
「それオレがエルサさんから持ったらもんス!」
「で」
「返してください」
「ふーーん」
途端、レオナさんの綺麗な形をした唇が嫌な感じに歪んだ。あ、と思った瞬間には包みが剥がされてチョコレートが綺麗な唇に触れて口の中へと消えていった。
なんで食べるんすか、と食い物の恨みが募った瞬間だった。
「レオナッッ!」
高い声が廊下に響いた。あまりの高い声に思わず耳を伏せながら発生源のエルサさんを見る。
エルサさんは眉毛と目尻を吊り上げ腰に両手を当てていた。随分と分かりやすい〝怒っています〟のポーズをしていた。
「わたしがラギーに挙げたチョコレートよ! 何勝手に食べているの! あなたそれでも寮長? それにラギーよりずっと年上でしょう!」
「え、ちょ、エルサさん」
明らかに大人気ないのよ、という言葉を羅列するエルサさん。
――や。そこまで怒らなくても……。
あまりの怒られようにレオナさんを見て両目を覆った。
レオナさんは耳を下げて明らかに「俺は今機嫌が悪い」という表情をしている。拗ねるなよ、いい大人が。いや、まだ大人ではないけれど。それでも可笑しくねぇ?
「フン。チョコならまたやればいいだろ」
「ダメよ! 今のチョコレートは特別だったの!」
「は?」
「え?」
一瞬呆けたけれどオレは全身が震えた。
エルさんが特別仕様のチョコレートをくれたことにじゃない。いや、なんか嬉しいけれど――オレは遠くを見つめることにした。
――しばらく夜道歩けねぇわな。
正直、そこら辺の生徒の嫌味なんってこれっぽっちも気にしない。そう。そこら辺の一般生徒のは、な。
現実逃避していたオレは意を決して視線を横に動かして戻した。つーか、逸らした。逸らしたのに。
――んで、レオナさん、見てくんだよ!
恨みがましいという視線がバチバチ頬に当たっている気がする。やめてくれ、こっちみんな、もうここから逃げ去りたいてねぇよ、ばあちゃん。
ここに居ないばあちゃんに泣き言を言いながら決意した。もうさっさとこの場を丸く収めよう。
「その! エルサさんなにが! なにがぁ特別だったんスかねぇ!」
必死に耳を立たせて引き攣る頬を何とか動かしながらエルサさんに訊ねる。すると、エルサさんがはぁと溜息をついて話してくれた。
「最近ラギーが疲れているようだから疲れの取れるおまじないをまぶしたチョコレートだったのよ。だからね、疲れてもいないレオナが食べても意味がないのよ」
疲れてもいないレオナ、とはよく言ったもんだな。感心しながらも隣の空気が重くなってオレはもう嫌になる。マジで泣きそうになる。
もう面嫌だ、と思いつつもエルサさんの気遣いはくすぐったかった。レオナさんの世話は賃金が出るから平気だ。正直、他のアルバイトより全然まし。
オレが最近疲れているのは勉強の方が大変だ。少しでも気を抜けばおいて行かれそうになる。まともな勉強なんてしていなかったからだろうけれど――それが言い訳にならない。この学園ももれなく弱肉強食の世界だ。必死に食らいついて将来はいいところに就職してみせる。だからここで躓いていられない。
「エルサさん、お気遣いありがとうございます!」
素直にお礼を言う。すると、エルサさんがきゅっと眉を寄せた。
――え。なに。
エルサさんが近づいて来ると綺麗な小さな両手でオレの両手を掴んだ。
わぁ。柔らかいなんて考えてすぐにエルサさんの名前を呼ぶ。その声が裏返りそうになった。つか、落ち着け、落ち着けよ、隣の王様、落ち着け。
レオナさんからの視線に口角が引き攣る。けど、エルサさんはオレの様子に気づかず真剣な表情で――。
「また作り直すから待っていてちょうだいね」
それはまた特別なチョコレートってやつですか。もういっそ高級チョコレート一年分にしてくれ。そう思わずにはいられないこの出来事は瞬く間に学園中に広がった。
一般生徒からのやっかみはいいが、エルサさん周りの生徒からのチクチクにオレは精神をガリガリ削られることになった。
そして、当のエルサさんといえば――。
「ラギー。今日は棒付のチョコレートを試してみたの」
無邪気に薔薇の形をした棒付きのチョコレートを渡してきた。もちろん、いつも通り特別せいだ。それにオレはもう受け取ることしかできない。
「あ、あざぁっす」
この無邪気なお姫サマを誰か早く射止めてくれ。そんで他の男にチョコを上げるなと止めてくれ。マジで早く、誰か!