血が滲む甘い恋
◆ ジャック視点
口の中に溜まる血を唾液に混じらせて吐き出す。それでも口の中に血が溜まっていく。
――チッ。口の中切ったか。
ジクジク痛む傷。口の中となると止血も出来ない。ついでにズッと鼻から流れそうになる鼻血を啜ってしまい気持ち悪くなる。顔を顰めながら口中と同じくジクジク痛む唇の端を拭うと血がついている。
制服についた血に感情がぐつぐつと煮えたぎる。
「あんの野郎ぉ」
先ほどまで殴り合い喧嘩をしていた相手は容赦なく顔を狙っていた。いや、顔だけではなく身体の急所を狙っていた。
人魚のクセにどうしてここまでたやすく急所を狙えるのか。ムラッ気があるとはいえ運動のセンスや、魔法のセンスもいいことからこういう喧嘩のセンスもあるということか。だてにナイトレイブンカレッジ生相手に取り立て屋をしていない。
にしても、痛い。口の中も、顔も、身体も、痛い。だのに、途中から顔を顰めるほどには痛かったが、相手はそんな様子も見せやしない。むしろ、何だか愉しんでいたみたいで、引いたくらいだ。
愉し気な喧嘩相手の顔を思い出し苦々しい気持ちになりながら、顔を冷やす水でも出すかとジャケットの胸部分に触れたが――。
「は?」
ジャックは足を止めてパタパタと胸を触るがいつもの感触がない。勢いよく胸元を見るとそこに刺さっているはずのマジカルペンが、ない。
「マジかよ……」
制服の胸ポケットに入れているマジカルペンがない。学生証明書のような役割も担っているマジカルペンを失くしたとあれば大問題。だが、どこに落としたかは何となく予想がつくが行きたくない。
ぐぅっ唸ると口の中が痛む。苛立たしさに頭を搔きながら舌打ちをする。
「チッ。仕方ねぇ」
ジャックは痛む身体に鞭を打って元来た道を戻る。
どうかあの場に喧嘩相手がいませんように。なんて願いながら怠い足を動かす。一応その道すがらもマジカルペンを探すがやっぱり見つからない。ということは、やっぱりあの場所にペンを落としたのだろう。気が重くなる中、喧嘩した場所が見えてイヤになる。
ベンチに長い足を放り投げて座る奴が見えた。
そこにいてほしくない人物がいたことに自然と唸り声が出てしまう。だが、マジカルペンを放り出してはいけない。奥歯を噛んで重い足を動かした。
声をかけられても無視しようと思ったが――キラリと空中で光るものが見えた。つまり、それはベンチに座っている奴が何か光りに反射するもの持っているということだ。これで無視することがかなわないことに気分が谷底くらい深い場所に落ちた。
再び舌打ちをしながらベンチに座っている距離を取って相手に声をかける。
「てめぇが拾ったのかよ」
「あ! ウニちゃんじゃん!」
ジャックのマジカルペンを拾った相手は、先ほどまでの喧嘩相手――フロイドだった。
唇の端流れた血が乱雑に拭かれた痕が見える。他にもジャックは容赦なく殴ったはずなのに痛みに不機嫌になっている様子が見られない。むしろ、機嫌がよさそうに愉しそうに目を細めて嗤っている。その余裕綽々なところがまた腹立たしい。
心の中で舌打ちをしながら長い指が弄んでいるマジカルペンを見る。万年筆にはめ込まれた魔法石はイエロー。
自分の胸ポケットにはない。つまり、フロイドが手で弄んでいるマジカルペンはジャックのものという予想が高い。
「それ、どこで拾った」
「ここだけど――これお前のだろ」
ギザギザとした歯が見えず綺麗に微笑むフロイドは何をするか分からない。というか、何を考えているのかより分からなくなる。
目を細めながらフロイドの様子を伺う。
「ん? 違う?」
「ここに落ちていたなら俺の可能性が高い」
実際、ジャックの手元にマジカルペンはないのだ。あの長い指に弄ばれているマジカルペンはほぼ100%の確立でジャックのものだろう。
「あは♪ だよねぇ~」
間延びした甘い声が神経を逆撫でする。
だが、フロイドが素直に返せと言って返してくれるか、といえば否。そもそもここの生徒が素直なことなんてない。
「返してほしい?」
マジカルペンを振りながら言う。返してほしいに決まっているだろうに性格が悪い。いや、性格が良い生徒はこの学校にいない。
息を細く吐き出して掌を差し出す。
「返せ」
「なに、その言い方」
まだフロイドの瞳孔が小さくなっていない。だが、確実にジャックの発言はフロイドの機嫌を落としていくことを理解している。だが、そんなことどうでもいい。早くこのやり取りを終えたい気持ちの方が大きいからだ。
「拾ってくれたことに感謝はする。だがら、返せ」
「えぇ~全然そんな感じしねぇんだけど」
「よいしょっと」と言いながらフロイドがベンチから立ち上がった。
ジャックは再びフロイドと相対する形となった。
「返せ」
「また、それ? 面白くねぇんだけど」
「そんなもん求めてねぇからな」
再びジャックは掌を突き出そうかとしたがやめた。さっさとこの無駄なやり取りを終えたい。そもそもジャックはまだフロイドに対する苛立ちが治まっていない。
とはいえ、さっきの喧嘩は五分五分だったかと言えばあのまま魔法を使われたら負けたいただろう。それほど劣勢の気配があったが、フロイドの気まぐれで終わりを迎えた。
消化不良といえば、いい。同時にやり返して気持ちが込み上げる。
ぐつぐつした腹の奥の怒りが静寂を迎えた。ささくれ立った神経が落ちついてくる。冷静になったというのだろうか。思考も、視界もクリアだった。
フロイドとの距離は手を伸ばせば掴めるほど。ならば、ジャックは先ほどの喧嘩でヨレタのだろうフロイドの襟を掴む。
「ッ」
気が抜けていただろうか。フロイドの動きも先ほどの喧嘩の一応の疲労があったのだろうか。それならばありがたいとジャックはフロイドに噛みついた。
「ッッ」
ガツンとぶつかったフロイドの鋭い歯が肉に突き刺さる。じわりと血の味がまたッ口の中で広がり不愉快に目を細めながら驚愕に目を瞠る瞳を睨む。
とたん、驚愕を滲ませていた瞳が愉しそうに笑った。
尻尾が警戒にピンと動く。ジャックは早急にフロイドから離れマジカルペンを取り返そうと算段を着けるが――。
「おっそ」
「ぐっ」
魔法の気配がして慌ててマジカルペンなしで防衛魔法を使おうとするがあっさりと突破されてしまった。
シャンと儚い音と共に身体が魔法で容易く地面に倒される。すぐさま起き上がろうとするがそれをさせまいとフロイドに肩を押さえつけられる。
影で暗くなるフロイドの左右色の異なる双眸が光る。それにまた警戒心が刺激され、自然と威嚇するかのように喉が鳴る。
「退けッ」
「やーだ。でも、あは! あれはいいねぇ。面白かったよ、ウニちゃん」
薄暗い中、光る双眸がにんまりと愉し気に笑う。
殴り返してやろうとしたくても腕が動かない。拘束魔法が使われているんだろう。
「そう。カッカするなってぇ。お前はほんとうに気が短けぇな」
「てめぇに言われたくねぇよ」
「は? オレはお前と違って気長なタイプだし」
少し思い当たる節があって言い返せなかった。代わりに喉を鳴らせばフロイドが上機嫌な様子で大きな手をこちらに伸ばしてくる。
長い指がジャックのチョーカーに触れたと思うと、首に伸びて大きな掌が首を包む。そして、ぐっと力が入り思わずジャックが呻く。
「ん~やっぱり全部は掴むの無理かぁ」
「んっ、ぐ、でめぇ」
気道を掴まれてはたまったものではないが、拘束魔法で動くことができない。
首を絞めるフロイドを睨みつけると切れた唇の端を舐めてフロイドが恍惚といした様子で見下ろしてくる。
この瞳はヤバイ。碌なことが起きない。冷や汗が滲むとフロイドが顔を寄せてくる。
「ねぇ。ウニちゃん」
名前を呼ばれると同時に喉の圧迫が消えた。息を吸おうとした口が大きく開くが叶わなかった。
「んンッ」
再び呼吸が苦しくなり、同時に口の中に差しこまれた長いものが口の中を遠慮なく嬲って来る。そしてわざとしか思えないほどジャックの口の中の傷を抉って来る。
ジンジンしていた痛みが強くなり、口の中に不快な味が広がっていく。
その味のもとはジャックだろうけれど、フロイドの口の中も大概なはず。
濃い血の味に吐き出したいけれどできない。飲み込むしかなく血の混ざった唾液を飲み込む。いや、ここまで来るとあれは唾液ではなく血のようなものだ。
ジャックが仕方なしに血の味がする唾液を飲み込むと、今度は舌を絡めてくる。その絡め方はいつものソレと同じで思わず身体がビクッと反応してしまう。
フロイドはその反応を目ざとく気づいたのだろう。そのままいつものように主導権を握って進めていくが、それがイヤで何とか身体を動かそうとするが――やはり動かない。というよりも、先ほどよりも身体に力が入らない。
――なん、なんなんだ?
魔法で拘束されている。だが、さっきは動かそうとして身体が動こうとしていた、だが、今は身体に力が入らない。ゾッとする感覚に目の前の男を見る。
すると、また左右色の異なった瞳が笑ったと思うと舌がゆっくりと抜けて行く。その感覚にまた身体がビクッと跳ねる。
イヤな感覚に唇を拭うフロイドを睨み上げる。
「はっ、なに、しやがったっ」
「ヒミツ♡」
何が秘密だと噛みつきたいが身体に力が入らない。
「この、やろ」
何とかしようともがく前に再び肩を押される。そして、再び顔を寄せて来たフロイドが愉しそうに「オレの血おいしかった?」と囁いた。
それにプツリと頭の中で何かが切れジャックは弱まっていたとはいえ魔法を跳ね返した。そして、呑気に上に乗っかっていたフロイドを殴り飛ばした。
「いってぇ~~~~!」と叫ぶフロイドを横目にして起き上がり血の味がする唾を吐き出す。そして、ジャックは遠慮なくフロイドに拳を振り上げた。第三ラウンドに始まりだった。
* * *
最後強めの魔法か何かを喰らったか意識が途切れた。あれから何時間経ったのか分からないが、ジャックは薬品のキツイ匂いに囲まれたベッドで目覚めた。起きてからというもの身体のあちこちが痛い。ピリピリと痛む傷はしっかりと治療されているようだが痛いものは痛い。
はぁ、とため息をつくと「起きた?」と声をかけられる。
痛む顔を動かすと明らかに治療したという顔のフロイドがいた。だが、ジャックと違って椅子に座っていることから軽傷なのが伺える。つまり、ジャックが負けたということだ。
情けないと起きようとしたがまだ節々が痛み起き上がれなかった。仕方なく横になって落ち着いた雰囲気のフロイドを見る。
「随分と軽傷だな」
結構本気で殴ったはずなんだが、躱すのが上手いのか。勘がいいのか。大本が人魚だから危機察知に優れているのか。何だか、どうでもよくなってきた。そもそも喧嘩の原因もくだらなかったような気もするし。くだらない喧嘩で保健室送りとかバカバカしい。
ぼんやりと保健室の天井を見ているとにゅっと何かが現れた。
キラリと光るそれはマジカルペンだ。
「これウニちゃんの。返すね」
「おう。そこ置いておいてくれ」
「ん」
コトと置く音がした。ベッドサイドに置かれたんだろう。
戻って来てよかったと安心するが、フロイドの気配は消えることがない。
「なんだよ。早く帰れよ」
「え~やだ」
間延びした声に神経が逆撫でられることはなかった。
ジャックも苛立ちも何もない。ただ、ちょっと落ち着くと思う自分に対してはちょっとイラつく。なんでこんな奴が好きなのか、と。
「俺はもう少し寝るし、あんたには暇だろ」
顔をフロイドの方に向ければ首を傾げて「そうかもだけど、いいよ」という返事に目を見開く。絶対に「それもそうだね」とか言うかと思ったのに。
「一緒に居たいから寝たいなら寝ればいいし、帰りたいなら一緒に帰るし」
「どーしたんすか」
思わず先輩に対するというか先輩として扱えばフロイドが目を瞬かせた。その反応はむしろジャックの方が可笑しいだろみたいな反応で癪に障る。
「どうしてって、オマエはそういうのがいいでしょ」
「いや、そうといえば、そうっすけど……あんたは気分があんだろ」
狼の獣人属の特性を言っているのだろう。だが、ジャックは気分屋のフロイドを好きになってしまったことで諦めている。さらに、恋人という関係になってしまったときに諦めている。だから、こうしてフロイドがジャックに付き合うというのが違和感しかない。
「気分ってやつか?」
「まぁそうかも」
ちょっとホワホワしてしまった自分を殴ってやりたい気分だった。尻尾が布団の中でよかったと安心しながらも少し甘えたい気持ちになった。
「まぁ、帰りたくなったら帰れよ」
「そういうときは帰るし」
「そぉかよ」
やっぱり気分かと思って目を閉じる。再びとろとろとした眠気が落ちてくる。そのまま意識がゆっくりと沈んでいくのに逆らうことはなかった。
口の中に溜まる血を唾液に混じらせて吐き出す。それでも口の中に血が溜まっていく。
――チッ。口の中切ったか。
ジクジク痛む傷。口の中となると止血も出来ない。ついでにズッと鼻から流れそうになる鼻血を啜ってしまい気持ち悪くなる。顔を顰めながら口中と同じくジクジク痛む唇の端を拭うと血がついている。
制服についた血に感情がぐつぐつと煮えたぎる。
「あんの野郎ぉ」
先ほどまで殴り合い喧嘩をしていた相手は容赦なく顔を狙っていた。いや、顔だけではなく身体の急所を狙っていた。
人魚のクセにどうしてここまでたやすく急所を狙えるのか。ムラッ気があるとはいえ運動のセンスや、魔法のセンスもいいことからこういう喧嘩のセンスもあるということか。だてにナイトレイブンカレッジ生相手に取り立て屋をしていない。
にしても、痛い。口の中も、顔も、身体も、痛い。だのに、途中から顔を顰めるほどには痛かったが、相手はそんな様子も見せやしない。むしろ、何だか愉しんでいたみたいで、引いたくらいだ。
愉し気な喧嘩相手の顔を思い出し苦々しい気持ちになりながら、顔を冷やす水でも出すかとジャケットの胸部分に触れたが――。
「は?」
ジャックは足を止めてパタパタと胸を触るがいつもの感触がない。勢いよく胸元を見るとそこに刺さっているはずのマジカルペンが、ない。
「マジかよ……」
制服の胸ポケットに入れているマジカルペンがない。学生証明書のような役割も担っているマジカルペンを失くしたとあれば大問題。だが、どこに落としたかは何となく予想がつくが行きたくない。
ぐぅっ唸ると口の中が痛む。苛立たしさに頭を搔きながら舌打ちをする。
「チッ。仕方ねぇ」
ジャックは痛む身体に鞭を打って元来た道を戻る。
どうかあの場に喧嘩相手がいませんように。なんて願いながら怠い足を動かす。一応その道すがらもマジカルペンを探すがやっぱり見つからない。ということは、やっぱりあの場所にペンを落としたのだろう。気が重くなる中、喧嘩した場所が見えてイヤになる。
ベンチに長い足を放り投げて座る奴が見えた。
そこにいてほしくない人物がいたことに自然と唸り声が出てしまう。だが、マジカルペンを放り出してはいけない。奥歯を噛んで重い足を動かした。
声をかけられても無視しようと思ったが――キラリと空中で光るものが見えた。つまり、それはベンチに座っている奴が何か光りに反射するもの持っているということだ。これで無視することがかなわないことに気分が谷底くらい深い場所に落ちた。
再び舌打ちをしながらベンチに座っている距離を取って相手に声をかける。
「てめぇが拾ったのかよ」
「あ! ウニちゃんじゃん!」
ジャックのマジカルペンを拾った相手は、先ほどまでの喧嘩相手――フロイドだった。
唇の端流れた血が乱雑に拭かれた痕が見える。他にもジャックは容赦なく殴ったはずなのに痛みに不機嫌になっている様子が見られない。むしろ、機嫌がよさそうに愉しそうに目を細めて嗤っている。その余裕綽々なところがまた腹立たしい。
心の中で舌打ちをしながら長い指が弄んでいるマジカルペンを見る。万年筆にはめ込まれた魔法石はイエロー。
自分の胸ポケットにはない。つまり、フロイドが手で弄んでいるマジカルペンはジャックのものという予想が高い。
「それ、どこで拾った」
「ここだけど――これお前のだろ」
ギザギザとした歯が見えず綺麗に微笑むフロイドは何をするか分からない。というか、何を考えているのかより分からなくなる。
目を細めながらフロイドの様子を伺う。
「ん? 違う?」
「ここに落ちていたなら俺の可能性が高い」
実際、ジャックの手元にマジカルペンはないのだ。あの長い指に弄ばれているマジカルペンはほぼ100%の確立でジャックのものだろう。
「あは♪ だよねぇ~」
間延びした甘い声が神経を逆撫でする。
だが、フロイドが素直に返せと言って返してくれるか、といえば否。そもそもここの生徒が素直なことなんてない。
「返してほしい?」
マジカルペンを振りながら言う。返してほしいに決まっているだろうに性格が悪い。いや、性格が良い生徒はこの学校にいない。
息を細く吐き出して掌を差し出す。
「返せ」
「なに、その言い方」
まだフロイドの瞳孔が小さくなっていない。だが、確実にジャックの発言はフロイドの機嫌を落としていくことを理解している。だが、そんなことどうでもいい。早くこのやり取りを終えたい気持ちの方が大きいからだ。
「拾ってくれたことに感謝はする。だがら、返せ」
「えぇ~全然そんな感じしねぇんだけど」
「よいしょっと」と言いながらフロイドがベンチから立ち上がった。
ジャックは再びフロイドと相対する形となった。
「返せ」
「また、それ? 面白くねぇんだけど」
「そんなもん求めてねぇからな」
再びジャックは掌を突き出そうかとしたがやめた。さっさとこの無駄なやり取りを終えたい。そもそもジャックはまだフロイドに対する苛立ちが治まっていない。
とはいえ、さっきの喧嘩は五分五分だったかと言えばあのまま魔法を使われたら負けたいただろう。それほど劣勢の気配があったが、フロイドの気まぐれで終わりを迎えた。
消化不良といえば、いい。同時にやり返して気持ちが込み上げる。
ぐつぐつした腹の奥の怒りが静寂を迎えた。ささくれ立った神経が落ちついてくる。冷静になったというのだろうか。思考も、視界もクリアだった。
フロイドとの距離は手を伸ばせば掴めるほど。ならば、ジャックは先ほどの喧嘩でヨレタのだろうフロイドの襟を掴む。
「ッ」
気が抜けていただろうか。フロイドの動きも先ほどの喧嘩の一応の疲労があったのだろうか。それならばありがたいとジャックはフロイドに噛みついた。
「ッッ」
ガツンとぶつかったフロイドの鋭い歯が肉に突き刺さる。じわりと血の味がまたッ口の中で広がり不愉快に目を細めながら驚愕に目を瞠る瞳を睨む。
とたん、驚愕を滲ませていた瞳が愉しそうに笑った。
尻尾が警戒にピンと動く。ジャックは早急にフロイドから離れマジカルペンを取り返そうと算段を着けるが――。
「おっそ」
「ぐっ」
魔法の気配がして慌ててマジカルペンなしで防衛魔法を使おうとするがあっさりと突破されてしまった。
シャンと儚い音と共に身体が魔法で容易く地面に倒される。すぐさま起き上がろうとするがそれをさせまいとフロイドに肩を押さえつけられる。
影で暗くなるフロイドの左右色の異なる双眸が光る。それにまた警戒心が刺激され、自然と威嚇するかのように喉が鳴る。
「退けッ」
「やーだ。でも、あは! あれはいいねぇ。面白かったよ、ウニちゃん」
薄暗い中、光る双眸がにんまりと愉し気に笑う。
殴り返してやろうとしたくても腕が動かない。拘束魔法が使われているんだろう。
「そう。カッカするなってぇ。お前はほんとうに気が短けぇな」
「てめぇに言われたくねぇよ」
「は? オレはお前と違って気長なタイプだし」
少し思い当たる節があって言い返せなかった。代わりに喉を鳴らせばフロイドが上機嫌な様子で大きな手をこちらに伸ばしてくる。
長い指がジャックのチョーカーに触れたと思うと、首に伸びて大きな掌が首を包む。そして、ぐっと力が入り思わずジャックが呻く。
「ん~やっぱり全部は掴むの無理かぁ」
「んっ、ぐ、でめぇ」
気道を掴まれてはたまったものではないが、拘束魔法で動くことができない。
首を絞めるフロイドを睨みつけると切れた唇の端を舐めてフロイドが恍惚といした様子で見下ろしてくる。
この瞳はヤバイ。碌なことが起きない。冷や汗が滲むとフロイドが顔を寄せてくる。
「ねぇ。ウニちゃん」
名前を呼ばれると同時に喉の圧迫が消えた。息を吸おうとした口が大きく開くが叶わなかった。
「んンッ」
再び呼吸が苦しくなり、同時に口の中に差しこまれた長いものが口の中を遠慮なく嬲って来る。そしてわざとしか思えないほどジャックの口の中の傷を抉って来る。
ジンジンしていた痛みが強くなり、口の中に不快な味が広がっていく。
その味のもとはジャックだろうけれど、フロイドの口の中も大概なはず。
濃い血の味に吐き出したいけれどできない。飲み込むしかなく血の混ざった唾液を飲み込む。いや、ここまで来るとあれは唾液ではなく血のようなものだ。
ジャックが仕方なしに血の味がする唾液を飲み込むと、今度は舌を絡めてくる。その絡め方はいつものソレと同じで思わず身体がビクッと反応してしまう。
フロイドはその反応を目ざとく気づいたのだろう。そのままいつものように主導権を握って進めていくが、それがイヤで何とか身体を動かそうとするが――やはり動かない。というよりも、先ほどよりも身体に力が入らない。
――なん、なんなんだ?
魔法で拘束されている。だが、さっきは動かそうとして身体が動こうとしていた、だが、今は身体に力が入らない。ゾッとする感覚に目の前の男を見る。
すると、また左右色の異なった瞳が笑ったと思うと舌がゆっくりと抜けて行く。その感覚にまた身体がビクッと跳ねる。
イヤな感覚に唇を拭うフロイドを睨み上げる。
「はっ、なに、しやがったっ」
「ヒミツ♡」
何が秘密だと噛みつきたいが身体に力が入らない。
「この、やろ」
何とかしようともがく前に再び肩を押される。そして、再び顔を寄せて来たフロイドが愉しそうに「オレの血おいしかった?」と囁いた。
それにプツリと頭の中で何かが切れジャックは弱まっていたとはいえ魔法を跳ね返した。そして、呑気に上に乗っかっていたフロイドを殴り飛ばした。
「いってぇ~~~~!」と叫ぶフロイドを横目にして起き上がり血の味がする唾を吐き出す。そして、ジャックは遠慮なくフロイドに拳を振り上げた。第三ラウンドに始まりだった。
* * *
最後強めの魔法か何かを喰らったか意識が途切れた。あれから何時間経ったのか分からないが、ジャックは薬品のキツイ匂いに囲まれたベッドで目覚めた。起きてからというもの身体のあちこちが痛い。ピリピリと痛む傷はしっかりと治療されているようだが痛いものは痛い。
はぁ、とため息をつくと「起きた?」と声をかけられる。
痛む顔を動かすと明らかに治療したという顔のフロイドがいた。だが、ジャックと違って椅子に座っていることから軽傷なのが伺える。つまり、ジャックが負けたということだ。
情けないと起きようとしたがまだ節々が痛み起き上がれなかった。仕方なく横になって落ち着いた雰囲気のフロイドを見る。
「随分と軽傷だな」
結構本気で殴ったはずなんだが、躱すのが上手いのか。勘がいいのか。大本が人魚だから危機察知に優れているのか。何だか、どうでもよくなってきた。そもそも喧嘩の原因もくだらなかったような気もするし。くだらない喧嘩で保健室送りとかバカバカしい。
ぼんやりと保健室の天井を見ているとにゅっと何かが現れた。
キラリと光るそれはマジカルペンだ。
「これウニちゃんの。返すね」
「おう。そこ置いておいてくれ」
「ん」
コトと置く音がした。ベッドサイドに置かれたんだろう。
戻って来てよかったと安心するが、フロイドの気配は消えることがない。
「なんだよ。早く帰れよ」
「え~やだ」
間延びした声に神経が逆撫でられることはなかった。
ジャックも苛立ちも何もない。ただ、ちょっと落ち着くと思う自分に対してはちょっとイラつく。なんでこんな奴が好きなのか、と。
「俺はもう少し寝るし、あんたには暇だろ」
顔をフロイドの方に向ければ首を傾げて「そうかもだけど、いいよ」という返事に目を見開く。絶対に「それもそうだね」とか言うかと思ったのに。
「一緒に居たいから寝たいなら寝ればいいし、帰りたいなら一緒に帰るし」
「どーしたんすか」
思わず先輩に対するというか先輩として扱えばフロイドが目を瞬かせた。その反応はむしろジャックの方が可笑しいだろみたいな反応で癪に障る。
「どうしてって、オマエはそういうのがいいでしょ」
「いや、そうといえば、そうっすけど……あんたは気分があんだろ」
狼の獣人属の特性を言っているのだろう。だが、ジャックは気分屋のフロイドを好きになってしまったことで諦めている。さらに、恋人という関係になってしまったときに諦めている。だから、こうしてフロイドがジャックに付き合うというのが違和感しかない。
「気分ってやつか?」
「まぁそうかも」
ちょっとホワホワしてしまった自分を殴ってやりたい気分だった。尻尾が布団の中でよかったと安心しながらも少し甘えたい気持ちになった。
「まぁ、帰りたくなったら帰れよ」
「そういうときは帰るし」
「そぉかよ」
やっぱり気分かと思って目を閉じる。再びとろとろとした眠気が落ちてくる。そのまま意識がゆっくりと沈んでいくのに逆らうことはなかった。
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