白狼の争奪戦

オマエらのこと馬鹿だと嘲笑ってやるよ



 可愛い後輩も転職しきたし、これから仕事も楽になって楽しくなるだろうとラギーは思っていた。だけど、現実はどうにも違う方向へと進んでいる。



「ラギー」

 不機嫌をこれでもかと煮詰めたような声で呼ばれた。うげぇと心の中で吐く真似をする。この声は絶対に返事なんかしたくないと思ったけれど返事をしなければならない。何せ不機嫌を煮込んでいる相手はラギーの上司なのだから。

「はい、はーい。なんすか」
「ジャックの野郎」
「あー皆まで言わなくていいッス」

 ガンと机を蹴る音にラギーは小さく溜息をつく。
 上司ことレオナが苛立つ気持ちは十分にわかる。ラギーもあの匂いが鼻腔を通る度に嫌な気持ちになるのだ。とはいえ、レオナは大人になって随分と沸点が高くなったといえまだまだ気が短い方だ。だが、どうしても可愛がっている末っ子に染みついた匂いが不愉快なのだろう。十分に理解できる。

「レオナさん。もうちょっとしたら匂いもこっちに馴染みますから」
「ったく、んで、あんなに匂うんだよ」

 ついでとばかりにデカい舌打ちをするレオナにラギーは肩をすくめる。

「どーにもこーにも、二年半も一緒にいれば染みついちまうッスよ」
「んでも、もう一ヶ月経つぞ」
「たったの一ヶ月っしょ。もう少し我慢してください」

 可愛い後輩ことジャックは懐に戻ったというのに忙しない。あと、二ヶ月もここで生活すればすっかりこっちの匂いが染みつくのだ。もう少し辛抱してほしい。
「あいつ、宮殿に住まわせるか」
「やめてください。王弟だからって職権乱用ッスよ」
「チッ」

 もう一度大きな舌打ちをしたレオナにラギーはまた大きなため息をついていた。
 今思えばあのときのレオナの焦燥は正しかったのかもしれない。いや、何故あのときの自分はあんなに呑気に構えていたのだろう。もっと早くに匂いに上書き――〝マーキング〟を施しておけばよかった。


   ◆ ◆ ◆


 ジャックが転職してきて三ヶ月くらい経った頃。ようやくアズールたちの香りが消えたと思った。

「あ、ラギーさん、おはようございます」
「……おはよう」

 だが、ある日の朝、ラギーは執務室と繋がる補佐官の控室に入ってすぐに匂いの変化に気づいた。そして、再び鼻腔を擽る嫌な匂いに眉根を寄せた。その匂いはラギーに、レオナも嫌っている例の香りだった。だが、その香りはここに来たばかりの頃と同じくらい濃いが、さらに不愉快な香りが交じっている。

「……ジャックくん、香水着け始めたの?」
「え?」

 先に出勤していたジャックが斜め上を見てから「あー」と僅かに枯れた声を出した。その枯れ具合に「風邪?」と訊ねたが慌てて首を振って「違うっす」と言った。

「声が枯れているのは喋り過ぎっていうか、あー、実は休暇中にアズール先輩たちに会ったんすよ」
「ハ?」

 久々にメシ食ったんす、と楽しげに話すジャック。けれど、ラギーの腹の底は一斉に熱を孕んだモノが生まれた。生まれいずるものを抑え込んで慎重に訊ねる。

「それって夕焼けの草原でってこと」
「ッス。なんか、獣人向けの香水ブランドの店舗の視察で来たみたいで」
「へぇ。相変わらず手広くやってるね~」

 机に座りながらラギーは頭を回す。アズールが携わっている店は夕焼けの草原にもある。だから、偶然会うのは不思議ではない。けれど、ラギーは卒業してからというものアズールに街中でバッタリ会ったことはない。
 まだ諦めていないのか。意外にアズールたちはジャックを気に入っているようだ。いや、そもそも気に入っていなければ卒業するジャックを引き抜くことなんてない。
 アズールたちのジャックへの僅かな執着が酷く苛立つ。だのに、目の前の後輩は随分と呑気な顔をしている。そのジャックにでさえラギーは苛立ちが込み上げてくる。

「あ、試供品貰ったんすけどラギー先輩も入りますか?」
「いや、オレは遠慮しとく……あのね。ジャックくん、それ似合うんだけどその匂いたぶんレオナさんはあんまり好きじゃないから落としてきた方がいいよ」
「え! そうなんスか!」
「そ。だから、時間まだあるし、」

 腕時計を見ればまだレオナが来るまで時間はある。

「うん。落としてくるくらいの時間はあるから行っておいで」
「うッス! 失礼します!」

 慌ててジャックは頭を下げてから飛び出た。
 あれほど慌てて廊下で誰かにぶつからなければいいけれど無理だろうな。ラギーは扉から視線を外し薄らと部屋に残る匂いに眉間に皺が出来るのが自分でもわかった。
 これでは落としたとはいえジャックの身体にも薄らと匂いは残るだろう。そして、それに目敏く気づいたレオナの機嫌が悪くなるところまで想像できた。

「はぁ……ったく、ジャックくんもなんで着けて出勤しちゃうかな」

 といっても、香水などの類を好む獣人属もいるし、着けて仕事をする者もいる。レオナも実際に身に纏っているからジャックからしても想定外だったのだろう。

「あ~~~クセェ!」

 立ち上がりベランダに駆け寄る。バンと壊れるんじゃないかというほど勢いよく扉を開け放ち飛び出す。ふわりと抜けていく空気。それでも鼻腔にこびりついた匂いは消えない。

「つか、なんで、匂いまで戻ってんだよ」

 薄まっていた甘い香りが強くジャックの身体に纏わりついて染み込んでいた。それはまるで、まるで――。

 〝マーキング〟

 ラギーは自身の思い浮かべた言葉に口を手で覆う。まさか、いや、まさか。それはないだろう。だけど、辻褄が合うと嘲笑いながら囁く自分がいた。

「いや、まさか……ハハ、まさか、ね」

 ありえない。ありえないでしょ、と自分に言い聞かせるように繰り返す。それでも、ラギーの頭の中では「コバンザメちゃん、正解、あはっ」なんて哂う元同級生の顔が浮かんで消えていった。



「おい。ジャック。今日は第一書庫の整理行って来い」
「……わかりました」

 ラギーが想定していた通りレオナは復活したジャックの香りと僅かに残る香水の匂いに機嫌を損ねた。ジャックもしまったというように耳を僅かに伏せたのでわかったのだろう。だから、雑用中の雑用を言い渡されても素直に執務室を出て行った。
 扉が閉まった瞬間、レオナがそれはもう低い声で「ラギー」と名前を呼んできた。だけど、今日のラギーにとっては幸いだった。

「ジャックくんの身辺調査っしょ」
「わかってんじゃねぇか……」

 横目で見れば綺麗な唇を歪ませ、これまた綺麗な瞳を据わらせたレオナがいた。机の上で組む手の美しさも本当に見た目はいい。これだけいいのだからそこら辺の娘ではつり合わないだろう。なるほど、次々押し寄せる縁談を断るはずだ。すぐに拒否できていご身分だ。いや、実際にこの国の身分ではすごく高い人であった。
 ラギーは指で輪っかをつくり「手当つくッスよね」と訊けば鼻で哂った。

「今回はなしだ」
「はぁ?」

 流石に個人的にも調べたいことであっても依頼されたら相応の手当てが欲しい。ラギーは半眼にしながら「適当に調べるッスけど」と言いかけたがそれより先にレオナが口を開いた。

「その代わり、だ。お前にやたらと来る縁談をしばらく来ねぇようにしてやるよ」

 これでいいだろ。にたりと笑いながら細い尾を揺らすレオナにラギーは苦虫を潰す。

「疎まれるハイエナでも、嫌われ者の王子であるとはいえ王弟の補佐官だ。テメェも縁談バンバンくんだろ?」

 優良の出世頭だからな、と言って喉を震わすレオナにラギーは舌を打つ。

「ぐぅ~~しつけぇ奴の処理お願いしやス」

 それなりに高官の娘が式典で見かけたラギーに一目惚れしたとかで最近しつこく縁談を申し込まれていた。名前も知っている高官だが派閥がどうにもきな臭い。それにその一目惚れしたという娘も一人娘の世間知らずの甘ちゃんで自分の好みにかすりもしなかった。だのに、しつこく食事に誘ってくる。挙句の果て、昼食を待ち伏せされる始末だ。いくら王弟の補佐官であるラギーでも身分には逆らえない。だから、ここでレオナが適当な男をその娘に宛がってくれると助かる。

「ああ。いいぜ。んじゃ、テメェもしっかり調べろよ」

 いいな、と念を押すレオナにラギーはジャックを僅かに恨んだのだった。



 調査はそれなりに時間を要した。けれど、そのお蔭でバッチリと調査することができた。
 ラギーは報告書を見て感情が濁っていく気がした。この調査をしながら普通に出勤していたら自分はジャックにいつも通りの態度を見せることができただろうか。レオナに途中から出張扱いにしてもらって助かった。

「ったく、随分爛れちゃって……俺は悲しいよ」

 ファイリングされた報告書を置いてタブレットを手に取る。そこには調査中に撮影した写真データのファイルが納められている。そのファイルを淡々と開いて目を細める。

「これが毒牙にかかるって言うのかなぁ」

 写真をパラパラと見ていくと胸糞悪くなっていく。こんな気分いつぶりだろうか。それにしてもあの真っ白だったジャックが女の味を知る前に散るとは思わなかった。
 トンと最後の写真を見終わってタブレットを机に置いて天井を仰ぎ見る。

「レオナさんに報告したくねぇな」

 自分だって際限なく怒りが込み上げるのだ。あの一倍嫉妬深いレオナが知ったらジャックが砂にされてしまうかもしれない。いや、砂にされるのはあの人魚三人組だろう。

「はぁ。あんなにイチャコラしていたら匂いなんか消えないってね」

 匂いが薄まりかけるタイミングに三人組で会いに来てマーキングし直す。三人でこれないときは誰かがジャックに会いに来てマーキングをする。ジャック離れできないなんてからかうこともできない。あの三人は〝雄〟として上手く立ち回っている。

「はぁ。やっぱ、マーキングだった」

 チッとまた自然とこぼれた。


   ◆ ◆ ◆


「おい、これどういうことだ」

 ダンとレオナは執務机にラギーから受け取った報告書を叩きつける。それからラギーの名前を呼んで例の胸糞悪い写真を見せさせる。
 目の前のすっかりと爛れた後輩は「あ~」と気まずそうに視線を彷徨わせる。立派な三角の耳も心なしか下がっているけれど――それだけ。
 もっと慌てるか、言い訳でも言うかと思ったがそうではなかった。レオナは内心で舌打ちをする。すっかりと忘れていたジャックは自分がしていることを悪いと思っていない限り撤回もしなければ言い訳もしない。

「お前、あの守銭奴共とデキてんのか?」

 直球で尋ねればジャックの耳はピンと立って首を横に振った。

「まさか恋人でも何でもねぇっす」
「……それってやっぱりセフレってこと?」

 横に立っているラギーの遠慮がちな声にジャックははっきと「そうっす」と答えた。
 ジャックの真っ直ぐな瞳な分ショックがデカい。ウツボの片割れとキスしている写真みたときよりもショックがデカかった。

「はぁ~~。んで、清算してこなかった」
「してきたつもりなんすけど……なんでか続いてんすよ」
「おい。馬鹿。それは清算できなかったって言うんだよ」

 半眼で見ればジャックは腕を組んで難しい顔をする。何だ。その顔は一体どういう感情を滲ませているんだ。レオナにはとんとジャックの考えていることがわからない。まったく単純な癖に変なところで思考のベクトルがひん曲がっていて分かり辛い男になっている。

「あ~この馬鹿野郎が」
「すんません。でも、別にレオナさんたちに迷惑かけてませんよね」

 このこちらの気持ちも分からずにいけしゃあしゃあと。

「……ジャックくんはこのまま続けたいの?」

 不気味なほど静かだったラギーが口を開いた。その質問の意図にレオナは理解が出来なかった。けれど、気になることは気になる。レオナもジャックを見やる。
「そうっすね。俺やアズール先輩たちに恋人ないしは結婚相手が出来たときには終わると思います。あとは、あっちが飽きれば終わりっすね」

 ジャックはあっけからんとしていた。レオナは自分の真っ白で可愛い後輩が随分と大人の階段を上っていたことにショックが止まらない。勿論顔には出さないがそれでも泣きたくなってくる。キラキラした瞳で自分に駆け寄っていたジャックが随分と爛れてしまった。

「そのつもりがなかったら……ずっとこのまま続けるってこと?」
「そうなるんすかねぇ」

 なんだその煮え切らない返事は。アズールたちを脳内でタコ殴りしながらレオナは澪乗り出すがそれよりも早くラギーが口開いた。

「今すぐやめな。上手く隠してもゴシップになったらシャレにならないから」
「ぁ」

 すごく真面目にラギーが言った。それにジャックも盲点だったというように凛々しい眉が八の字になった。
 レオナは口を閉じたままラギーを横目で見る。出会った頃よりも随分と大人びた横顔には真剣そのものだった。おかしいとすぐに頭に浮かぶ。何せラギーはレオナがパパラッチされても笑い飛ばした男だ。それがジャックのゴシップを気にする。
 ラギーの様子を見てレオナは静観の体勢に入る。今更どうしてレオナの周辺のことを気にするのか。ジャックが余所者だからか、真面目に考えた出したレオナだったが――。

「もしアズールくんたちと出来ないで寂しいんなら相手してあげるから」

 「ね、レオナさん」と言ったラギーにレオナは耳掃除をしたくなった。

「おい。ラギー、どういう意味だ」
「どういう意味もなにも分からないんスか?」

 ラギーを見れば先ほどの真剣さはどこへやら食えない顔をしている。シシシと独特の笑いを零しながら「レオナさぁん」と嫌な声を出して来た。

「ジャックくんにゴシップなんて大変じゃないっすか。そうすればやっぱり余所者はってなるっしょ」
「まぁ。なるな」

 先にゴシップを捻り潰せばいいがと思うが、ラギーもそう考えるだろうに。何故、という思いを見せればやっぱりまだ読めない。だから、余計な口を挟まないように簡単な返事をする。

「ほら。だから、ジャックくん、アズールくんたちとの関係は解消しようね」
「……けど、あの三人すよ? 口ではいつも負けちまうんす」

 恥ずかしいけれどといった風のジャック。それにレオナはアズールたちの手のひらで転がるジャックが想像できた。でも、それならば、ラギーが出ればいい。きっとアズールたちといい勝負になるだろう。

「なら、オレも手伝うし……だから、ね」
「ぇ、あ、はい。あ~。はい、わかりました」

 ラギーの有無を言わせない圧に耳を伏せたジャックは押され気味に返事をした。

「で、ジャックくん。話し戻すけど、アズールくんたちいなくなったら身体キツイと思うんだけど」

 さっきの耳掃除案件がまだ続いていたらしい。

「ラギー。冗談だろ」
「冗談じゃないッスよ。あ、オレは大丈夫ッス」

 バッチリ、バッチリ、と指で丸を作るラギーを見て、ジャックを見る。

「いや、流石に、ラギーさんたちをそういう風には見れないッス」

 そうだろうなと冷静に考えるレオナ、と、タコ野郎共はどうしてだと怒り滲むレオナが頭の中でぶつかり合う。
 面倒なことを持ち込んで来てくれたものだと自然と尾が揺れてしまう。

「でもさ、最初っからアズールくんたちもそういう関係じゃなかったんでしょ」
「……流れですね」
「なら、いいじゃん。ジャックくんだって他の男とか考えられないでしょ」
「いや、でも」

 ラギーの爪がじわりじわりとジャックの喉元にかかろうとしている。それをジャックもわかっているのだろう。いつも真っ直ぐ力強く輝く瞳が迷いにあちこち揺れている。
 その様子をレオナは相変らず静観して眺める。
 もしラギーがジャックから〝是〟の答えを引き出したらどうする。自分はどうする。いや、ラギーが面倒を見るのであればいい。だが、それでジャックがラギーの匂いを纏うと想像して癪に障る。

「ジャック」

 ついレオナは名を呼んでいた。
 ラギーが横で小さく「シシッ」と嗤った気がした。けれど、レオナが出ることが待ち望んでいた結果なのかもしれない。いいように動かされたようで腹が立つと横目でラギーを睨んでまたジャックを見る。

「他の男になんざ頼むんじゃねぇ。俺らが相手すればいい。ゴシップになりそうだったらどうとでも消してやる」

 それに悪い虫も着かなくなる。そうだ。この可愛い後輩に変な匂いがつくのは我慢ならない。

「いや、でも、そんな」
「拒否権はねぇ。お前は自分の身の回りも上手く清算できねぇんだ」

 これ以上手を煩わせるなと目で言えばジャックは唇を噛んで「ッス」と答えた。

「あ、じゃあ、来週の休みに会う予定だったんでラギー先輩着いてきてもらっていいっすか」
「本当にスパン短くなってるね!」

 深刻な顔から一転、いつも通りの顔に戻ったジャックにラギーがすかさず突っ込む。
 レオナもさすがに早くねぇかと思うが何かあちらは気づいているのかもしれない。ならば面白いと口角をあげる。

「本当に優秀な〝雄共〟だ」

 とはいえ、マーキングに必死でもはや笑えて来る。ならば簡単に手放さずに監禁でもすればよかったのに。レオナならきっとそうしただろうな、とこの先の未来が自分でも恐ろしくなった。だが、そうならないようにまずはジャックをしつけ直さなければいけない。
 愉しみだなとワキャワキャする後輩二人を見つめた。


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