代償は身体で払って貰います
◆ ジャック視点
学校の裏の森。薄暗い森の中の開けた場所。僅かに明るい陽射しの入る場所でジャックは二人の男と対面していた。
男二人は二年生のジェイド・リーチとフロイド・リーチ。あまりいい噂を聞かない二人である。というか、関わりたくない人物トップランクに入る男たちだ。ジャックも出来れば関わりたくない男たちだが――致し方なく対面している。
「で、俺が壊しちまった化粧品だが」
「ええ。その分しっかりと弁償してもらいます」
シャランとピアスを揺らしながらジェイドが頷いた。爽やかとは程遠い笑みを浮かべるジェイドに思わず喉が鳴る。だが、今回はリーチ兄弟に非はなくジャック自身にある。なので、大人しく言うことを聞くしかない。嫌なことでも。ただ自分の矜持を折ってまでは従わないと心の中で誓いながら「作り直すのか?」と訊ねると。
「いいえ。それは結構です」
「作り直さなくていいのかよ」
てっきり化粧品の作り直しの手伝いとか、材料収集の手伝いをさせられるのかと思っていた。どうやらこの読みは違うようで口角を綺麗に上げて笑うジェイドにジャックは首を傾げる。チラと横にいるフロイドを見れば目が合って露骨に顔を顰めて「ぜってぇヤダ」と言う。何が絶対嫌なのか分からないがフロイドの態度に余程複雑な工程の化粧品のようだ。飽き性なフロイドが嫌がるのも頷けるのかもしれない。
あの時の自分は悪臭を探すのに夢中だった。その最中いくらリーチ兄弟とはいえ商品となる化粧品を壊す理由にはならない。二人だけではなく作製にアズールも関わっていればただじゃすまさない。そう考えていたが――何だか想像していた展開と違う。
「じゃ、どうすればいいんだ?」
「身体で対価を支払ってもらおうかと」
身体、とこの男は言ったのだろうか。ジャックは「からだ?」と聞き返すと「ええ」ジェイドがしっかりと頷き返した。その横でフロイドの機嫌が悪そうな顔が直っていく。様々な覚悟で来たがまさかの対価は「身体」は一体。
「肉体労働ってわけじゃないのか?」
モストロ・ラウンジで化粧品代の無償労働のことを言っているのか。以前もジェイドのキクラゲを駄目にしたときにもラウンジで働いた。それと同じことを考えたが二人のニヤけた顔がどうにも違うとジャックの勘が訴える。
「ラウンジで働くって感じじゃねぇな」
「あはっ。ウニちゃん、勘いいねぇ~」
フロイドが軽い足どりで近づいて肩を組んで来る。その長ったらしい腕が鬱陶しくて払うがそれでもフロイドの機嫌はよくニヤニヤしている。何だか嫌な予感がする。
――もしかして取り立てか? つってもそれならこの二人で十分事足りるだろうし。
一体全体自分は何に巻き込まれるのか覚悟を決めてジェイドを見る。彼はにんまりと瞳を弓なりにしならせると薄い唇から尖った牙を覗かせた。
「ジャックくんのユニーク魔法はとても珍しい分類だそうですね」
「は?」
突然出された自身のユニーク魔法。ジャックのユニーク魔法は〝月夜を破る遠吠え(アンリイッシュ・ビースト)〟といい狼に変身できるものだった。変身薬が禁じられている中では禁忌的なユニーク魔法とも言われている。入学時に学園側からも慎重に使うことを約束させられたぐらいだ。それをいつ知ったのか。
流石あのアズールの右腕的役割をしている男だ。侮れないというかこの分ではユニーク魔法を所持している全生徒の情報を有していそうだ。
侮れない男ことジェイドを凝視すると身体が重くなった。その重みの正体は確認するまでもなくフロイドだ。再び鬱陶しいくらい長い腕がさらに抱き込む様に絡んで来た。
「ウニちゃんってユニーク魔法でおっきい犬になれんでしょ?」
「犬じゃねぇ! 狼だ!」
犬と狼は全然違う。だのに、どうしてこの学園は自分を犬と例えるのか。狼の獣人属としては一番嫌な不愉快な間違いに思わず噛みつく。
「うるせぇな~」
途端に不機嫌な声を出して離れるフロイド。それに合わせてジャックも距離を取りながら二人を睨む。
「どういうことだ」
「そう警戒なさらず」
眉を下げて困ったというような顔をするジェイド。本当にこう表情と雰囲気がミスマッチな男だ。ジャックはフロイドも気にしながら主導するジェイドに意識を向ける。
「俺のユニーク魔法なんてあんたらに役に立つとは思わねぇがな」
「そんなことありませんよ。ねぇ、フロイド?」
「んー。そうだね」
若干現状に飽き始めているフロイド。この気まぐれやのお蔭でこの場がうやむやになるかもしれないなんて望みは抱いてはいない。何せここにはジェイドがいるのだから。
「ジャックくんのユニーク魔法は狼になるんですよね……」
「ああ」
再度確認するように言葉を紡ぐジェイド。ジャックは真剣な様子を見せるジェイドに唾を飲み込んで慎重に「ああ」と返事をする。お互い視線を絡ませながらフロイドも大人しくなると葉の擦れる音だけがジャックの耳に届く。これが永遠に続くのかと先に口を開こうとしたジャックを遮ってジェイドが口を開いた。
「是非、その状態のジャックくんに触れてみたいんですよ」
途端に真顔染みた顔を一気に喜色に染まらせるジェイド。普段胡散臭さと嘘っぽい雰囲気を纏うジェイド。そのジェイドが年相応というには幼く照れくさい感じを醸し出した。そのあまりの落差にジャックの何かが擽られてしまった。
擽られた胸を抑えながら呻く。ジャックの呻きに拗ねたように眉を寄せたフロイドが「ヤダはなしだから」とすかさず言う。
「いや……それでいいならいいっす」
でも正直なところこれでは商品化されている化粧品とつり合いが取れていない気がする。いや、気がするのではなくつり合いが取れていない。
――怪しいな。他に何か考えがあんじゃねぇのか。
ジロリと二人を見ればジェイドは「ああ」と何かに気づいたように声をあげた。そして、「ブロットが気になるのですね」と話し出す。
違うけれど気にあることは気になるが――何か引っかかる。
「ブロットが溜まるほど長時間変身させられるのか」
「いえ長時間は一回一時間や二時間くらいですかね」
「ん? 一回?」
一回。一回でこれは終わりなのではないか。ジャックは唇の端を引きつらせる。どうやらジャックが考えているよりもとても、とても大変なことなのではないか。
「あはっ。ウニちゃんったらおめでたい頭してんね」
「一回で元取れるわけねぇじゃん」というフロイドにぐうねも出ない。やはりそう簡単なことではなかった。というか、この分では長期間この二人に狼での身体を求められることになるのではないか。ジャックは腹を括るしかない。
「どれくらいの期間なんだよ」
ジャックに拒否権はないのだ。いや、逆に考えるのだ。ユニーク魔法で変身した姿を撫で繰り回されるだけで済むのならいいことではないか、と。いや、正直無償労働の方が楽なような。いやいや、あのアズールが関わっている商品を大量に破壊したのだ。ならば、卒業まで続くかもしれない。いや、腹をくくっただろうとジャックは二人を見すえると二人は輝かんばかりの笑みを浮かべた。
「僕らが満足するまで、ですかね?」
「期間は不明ってこと!」
「だっろうなぁ……」
これはきっとあれだ。小さな妹が満足するまで付き合わされるときの流れと同じ。つまり、今日から毎日二人が求めたときにユニーク魔法を使用しなければいけないということだ。
「はぁ。俺が悪いんで何も言わないっす」
「おお! やっと腹くくった感じぃ?」
「なら、早速よろしいですか?」
ひと一倍興味津々の様子を見せるジェイドに毒気が抜ける。若干やけくそにもなったジャックは大人しくマジカルペンを取り出し呪文を唱えた。
◆ ◆ ◆
二人に狼の身体を求められることになって数日。ブロットも溜まることなくジャックは日々過ごしている。だが、二人が「お願いします」「いまいいよね」というタイミングの微妙さに辟易していた。
「ねぇ。ジャックくん一体何やらかしたんスか?」
ちょうどラギーがいるときに声をかけられた。先に言ってますね、と声をかけてきたジェイドの背を見送りながら隣にいたラギーに声をかけられた。ジャックはそれに喉を鳴らしながら「実は」と話す。話しを聞いたラギーは「何やってんの」と呆れた眼差しを向けて来た。それにまた喉が鳴る。
「でも、ま。無償労働とかじゃなくてよかったッスね」
「まぁ。ただ撫でられるだけなんで」
「うん。でも、会話は気を付けなよ」
「会話っすか?」
別におかしな会話はしていないがと首を傾げる。それにラギーが深い溜息をついて手をブラブラ振る。
「いいッス、いいッス。オレが穢れているだけッスから」
何を言っているのかよく分らないがラギーはジャックよりも世間をよく知っている。だからといって穢れているわけではない。
「ラギー先輩、そんなことねぇっすよ!」
「あーうん。なんか違う意味に取られたけれどもーいいよ」
「ありがとう」と礼を言いながら乾いた笑いを零すラギーだった。それにジャックはとりあえず笑顔を返した。
ラギーと会話した日からまた数日経った放課後。ジャックは部活に参加していた。今日も今日とて新しいタイム目指して走り続けていた。
「はぁ。少し休むか」
熱を持った身体を冷たい風で冷ましているときだった。ふわっと風に乗せて最近嗅ぎ慣れた匂いが近づいて来た。こんなときまで来るのかと小さく息をつくと同時にその男は現れた。
「ウ~ニちゃん、今いい?」
「……今っすか?」
顔を覗き込んで来たフロイドが目を細めて「うん♪」と機嫌よく返事した。一部色のことなる髪の毛が揺れて、彼の兄弟と揃いのピアスが同じくシャランと揺れる。涼やかな音を耳にしながら溜息をつく。このフロイドのお願いにジャックは断わる術を持っていない。というか、断る立場にない。
「今準備すんで待っていてください」
「うん。いーよ!」
機嫌の良さそうな顔がひょいっと消える。そして、代わりに現れたのは複雑な顔というか若干青ざめた同じ部活のデュースだった。
ジャックはもうひとつ溜息をついて立ち上がる。尻尾についた草を払うとふわっと毛が出て来て思わず呻くが今はそれを気にするときではない。
「お、おい。ジャック」
「はぁ。大丈夫だ」
「ほ、ほんとうか?」
デュースは忙しなく視線を動かしながらジャックと後ろで立っているだろうフロイドを見る。そんなに心配する事ではない。そもそもこれはジャックの自業自得なのだから。
「別に変な契約なんざ結んでねぇよ」
「お前らじゃあるまいし」と付け足せばデュースの目が瞬く。そして、「それもそうだな」とあっさりと受け入れた。これで怒らないのがデュースのちょうどいい鈍感さだ。ジャックなら絶対噛みついているし、エースだってぶつくさ文句言うに違いない。
「とりあえず、俺はもう上がる。悪いが片付け頼んでいいか」
「ああ! これくらいいいさ……ジャック、何かあれば相談に――」
「なぁ、いつまでしゃべってんの?」
デュースが最後の最後に心配そうにかけてきた声を遮ったのは不機嫌な声だった。
やっちまった。心の中で己の失態に額を抑えながらジャックは肩に顎を乗せるフロイドを呼ぶ。
「先輩。すんません。もう終わったんで行きます」
「ん……サバちゃんも早く行ったら?」
「え、あ、はい!」
機嫌の悪くなったフロイドに睨まれたデュースは顔を青くさせながら走り去った。あの様子なら新記録が出たんじゃないかと思う。だが、それよりもジャックはこのがっしり自分の身体に体重を乗せる男をどうにかしないといけない。
「先輩。一応シャワー浴びたいんすけど」
そこまで臭くはないと思うが一応部活の後に呼ばれるときはシャワーを浴びていた。だから、今日もシャワーを浴びたいのだが。
「いいよ。そこまで汗かいて無さそうじゃん。それに臭くないしさ」
「は?」
ぐっと身体が抱き寄せられたと同時にスンと匂いが嗅がれた気がした。それにドっと汗が吹き出す。それは運動をしたときに出る汗とは違う。そう冷や汗に近い。
「お、おい! 何してんだ!」
慌てて匂いを嗅いでくるフロイドから身体を引く。ジャックの身体を抱き寄せたフロイドはあっさりと長い腕を離してキョトンとした顔をする。
「何って、匂い気にしてじゃん。だから」
「いや、だからってなぁ」
子どもみたいに無垢に答えるフロイドにジャックは呻く。アズールやジェイドといると同じ人種のように思えるけれどフロイドはどこか無邪気だ。子ども染みているわけではない。けれど、何だかたまにこういうときに子どもを相手にしている気分にさせる。
「シャワーとか待つのヤダからもう行こう」
「ジェイドも待ってし」と言って腕が引っ張られる。一瞬前のめりになるがすぐに持ち前の体幹でフロイドのコンパスに合わせて歩く。ジャックは鼻を歌うほど機嫌のいいフロイドの頭を見てこっそり溜息をつく。
何だかんだ、とジャックはこのフロイドと、片割れのジェイドの調子に慣れて来てしまった。それにこれが終わった後の自分がどうなるか若干怖かった。
いつものように学校の裏側の森に行くとすでにジェイドが待っていた。しかし、その手には籠やシートがあった。一体何だろうかと思わず身構えてしまう。
「ふふ。ジャックくん。そう怯えないでください」
「怯えてなんかねぇ……けど、あんたらがそういう持っていると物騒だな」
何か処理するような二人が用意に想像できる。何かの部分は考えたくはないが、二人がブルーシートを抱えていても疑問さえ抱かない。きっと、その現場を見てもとうとうやらかしてしまったと納得してしまう。
「おい、ウニ。今めっちゃ失礼なこと考えてんだろ」
「……失礼かどうかわからねぇだろ」
「いや。絶対にそうだろ」
じろっと瞳孔を小さくしながら見て来るフロイドの視線を真っ向から受ける。今は怖さとか何もないけれど失礼な考えではないので視線を逸らすことはなしない。
じっと見つめ返すと先に根負けしたのはフロイドだった。舌打ちをして不貞腐れたみたいに唇を突き出してジェイドの隣に立った。
「あまりフロイドをいじめないでください」
「いじめてなんかないっす」
何がどう見たらいじめになる。ただ想像していただけだろうに。フンと鼻を鳴らすと恨みがましい目でフロイド見て来る。
「つか、このウニの考えだとジェイドも結構アレじゃねぇの?」
「おや。アレとは?」
眉を下げて尖った歯を薄い唇から覗かせるジェイドにフロイドは溜息をついた。こうすると以外にフロイドもジェイドで苦労する瞬間があるのかと思う。パッ見た瞬間の兄弟の上下を判断するとジェイドは兄のようでフロイドが弟のようだ。だが、二人曰く上下なんてないと言う。だから、こうしてフロイドが兄のような瞬間があるととても面白い。それにジェイドも意外にこう自分中心なところがあるのだと新たな発見が面白い。
「なんか、あんたらって結構イメージと違うよな……」
積極的に絡むことはごめんこうむる。だが接して見て色々知ることができた。なんか今度からもっとうまくいなせそうな気がする。絶対次はこんなことを起さないからなと決意するとジェイドが苦笑を零した。
「……ジャックくんも大概ですよね」
「うーん。ウニちゃんって結構アレだねぇ」
「アレですねぇ」
「ねぇ」と言う困った顔が意外によく似ている。というか、あちらもあちらで結構失礼なことを言っている気がする。いや、もうこの際どうでもいい。
「はぁ。んで、もう変身すればいいんすか」
「ええ……あ、一応ジャックくんに確認してもらいたいことがあるのですが」
「なんすか?」
「最近、毛が抜けているのを気になさっているようなので」
ジェイドが徐に足元にあるシートを広げる。その傍でフロイドが受け取った籠からブラシを取り出した。これは、これは、実家でよく見た光景だ。
季節の変わり目。ジャックは冬の毛から夏の毛へと変わり、夏の毛は再び冬の毛へ戻る。この時期、耳と豊かな尻尾は大変なことになる。実家にいるときは両親や弟や妹などでお互いブラッシングしていた。だが、ここではそうはいかない。初めて一人で迎える毛の生え代わりにジャックは四苦八苦していたのだ。どうやらそれを二人に見抜かれていたようだ。
ぐぅと呻くがありがたいと思うのだけれど――この陸生活二年目にブラッシングされるのはどうも躊躇してしまう。
「あんたら撫でんのも下手だったからな」
「えー。でも、今はマシでしょ?」
「けどなぁ」
「大丈夫ですよ」
シートを準備しフロイドからブラシを奪い取る勢いで手にするジェイド。それを横目でフロイドが「あーあ」と言っているの。どうやら今回の主導したのはジェイドのようだ。フロイドは面白いから乗ったのかジェイドを止める気がなかったのか。この様子はどうも取れないからジャックは考えることをやめた。
「犬好きなクルーウェル先生に聞いて来ましたので」
キラキラ眩い笑みを浮かべるジェイド。それは普段フロイドに感じる無邪気な子どものような輝きだ。好奇心旺盛なところは本当によく似ている。そして、これにジャックは折れるしかない。
「はぁ。分かりました。実際助かるんでお願いします」
「はい。任せてください」
「ん。綺麗にしてあげるー」
楽しそうな二人の様子に小さく溜息をついた。
で、実際恐れていたようなことは起こらなかった。起こらなかったがブラッシングの最中の二人の声は喧しかった。現にジャックは耳を伏せる状態で伏せの体勢を取っていた。
「中々の作業ですねぇ」
ジャケットを脱いだベスト姿のジェイドが額にじんわりと浮いた汗を拭う。だが、その顔はキラキラして充足感が満ち溢れている。実際、いまだにしっかりとブラシを握っている。そして、もう一方のフロイドはというとジャックの背中にぐたりとしているようだ。ようだというのは真正面にいるジェイドと異なりジャックの視界の範囲外にいるから。にしても重い。ジャックと同等の身長を持つフロイドの身体は重い。
「グゥ、グゥゥ」
「ん。どうしました? ジャックくん?」
フロイドの重さにそろそろ限界が来て喉を鳴らすと目の前でいそいそブラッシングしていたジェイドが気付いた。シャランとピアスを揺らしながら顔を近づけるジェイド。その距離間にも慣れたところで必死にバウバウ言って訴える。
ラギーのようにジェイドは得意というまでもないがそこそこ意思疎通が出来る。ジェイドは「ふむ」と頷くが――にっこりと綺麗に微笑み返された。
「いいじゃないですか。枕になるのも対価の一貫ですよ」
「ガルル」
「威嚇しても駄目ですからね」
大人しくフロイドの枕になっていてください。そうバッサリと断られてまた陽気にブラッシングを始める。手際はいいのに、そこそこ気持ちいいのに、なんてことだ。
「ふふ。きっとフロイドは起きたらジャックの真っ白な毛だらけでしょうね」
何が楽しいのかそう零すジェイドにジャックは鼻息を零した。それにまたクスクス笑うジェイド。全く一歩近づいて二歩遠ざかるような人魚たちだ。
――ほんと訳分かんねぇやつらだ。
◆ ◆ ◆
毛の生え代わりも落ち着き。二人の制服が抜けた毛で真っ白くなることもなくなったある日。終わりは突然にして告げられた。
「さて満足しましたのでこれで終わりにしましょう」
一瞬なのことか分からずに反応が遅れてしまった。けどすぐにジェイドが何を言っているのか思い至り「あ、ああ」と狼狽した返事をしてしまった。
「もしかしてウニちゃん寂しかったりする」
「は?」
ジェイドの顔からフロイドの顔に変わる。肩にかかる重みにもすっかり慣れてしまったし、こうしてフロイドが顔を覗き込んで来ることにも慣れた。
あれ結構この二人が自分のテリトリーに入ることが慣れてしまったような気がする。それに今さらになって危機感のようなものが働く。
「……別に寂しいとかそんなんじゃねぇし。つか、あれで元取れたのかよ」
ただ撫で繰り回されてブラッシングされただけの日々。二人の気分に合わせた行動に多少なりとも大変であったけれどそれ以外なにもない。寧ろ、ユニーク魔法を使うためかブロットが溜まっていないかなど気にされるほどだった。だから、ジャックが駄目にしてしまった化粧品の元が取れたとはどうしても感じられない。
「ほんとにいいのか?」
「はい。十分取れましたので、ねぇフロイド」
「まぁね~」
覗き込んでいたフロイドの距離が遠くなる。同時に肩に乗った重みもなくなり身体が軽くなる。でも、不意にその重さと僅かに残る香りに寂しさを覚え――なくもない。
この不可解な感情にジャックは僅かに眉根を寄せる。
「とはいえ、次のこのようなことがあったらそれ相応の弁償をしてもらいますから」
「ウニちゃんもほどほどに」
「肝に銘じておく」
ふぅと溜息をついてどうにも居心地の悪い場所から早々に去る選択することにした。組んでいた腕を解いて頭を下げる。
「じゃ失礼します」
それから二人の自寮の先輩並に見慣れてしまった双子の顔を見やる。そこに満足したのか何なのか距離を覚える二人の顔があった。再び空いた距離に安心しながらもどこか隙間の空いた場所に寂しさをつい覚えてしまった。
――けど、これがいい距離だ。
これから二人との距離は遠ざかることはあっても近づくことはない。それでいいと自分を説得しながらジャックはまた頭を下げて二人に背を向けた。
狼になる日々が終わった数日。ジャックの身体はどうにも調子が悪い。サバナクローの朝練でも微妙に調子が上がらない。朝のランニングもしっかりこなしているのに調子が上がらない。授業もしっかり聞いているようで何だか身体の中を素通りしていくような心地がする。しかも、しかも、気づきたくなかったがひとつ嫌なことに気づいた。
「ぐっ、ま、またかよ」
ジャックは視界に入ったターコイズブルーに思わず足が踏み出しかけて苛立ちが募る。すぐに背を向けて反対の方向へと歩いていく。あの対価の日々が終わってからこんな調子だ。
「ああッッ! 一体何なんだよッ!」
クソッと廊下で悪態をつきながらジャックは訳の分からない苛立ちをぶつけた。
学校の裏の森。薄暗い森の中の開けた場所。僅かに明るい陽射しの入る場所でジャックは二人の男と対面していた。
男二人は二年生のジェイド・リーチとフロイド・リーチ。あまりいい噂を聞かない二人である。というか、関わりたくない人物トップランクに入る男たちだ。ジャックも出来れば関わりたくない男たちだが――致し方なく対面している。
「で、俺が壊しちまった化粧品だが」
「ええ。その分しっかりと弁償してもらいます」
シャランとピアスを揺らしながらジェイドが頷いた。爽やかとは程遠い笑みを浮かべるジェイドに思わず喉が鳴る。だが、今回はリーチ兄弟に非はなくジャック自身にある。なので、大人しく言うことを聞くしかない。嫌なことでも。ただ自分の矜持を折ってまでは従わないと心の中で誓いながら「作り直すのか?」と訊ねると。
「いいえ。それは結構です」
「作り直さなくていいのかよ」
てっきり化粧品の作り直しの手伝いとか、材料収集の手伝いをさせられるのかと思っていた。どうやらこの読みは違うようで口角を綺麗に上げて笑うジェイドにジャックは首を傾げる。チラと横にいるフロイドを見れば目が合って露骨に顔を顰めて「ぜってぇヤダ」と言う。何が絶対嫌なのか分からないがフロイドの態度に余程複雑な工程の化粧品のようだ。飽き性なフロイドが嫌がるのも頷けるのかもしれない。
あの時の自分は悪臭を探すのに夢中だった。その最中いくらリーチ兄弟とはいえ商品となる化粧品を壊す理由にはならない。二人だけではなく作製にアズールも関わっていればただじゃすまさない。そう考えていたが――何だか想像していた展開と違う。
「じゃ、どうすればいいんだ?」
「身体で対価を支払ってもらおうかと」
身体、とこの男は言ったのだろうか。ジャックは「からだ?」と聞き返すと「ええ」ジェイドがしっかりと頷き返した。その横でフロイドの機嫌が悪そうな顔が直っていく。様々な覚悟で来たがまさかの対価は「身体」は一体。
「肉体労働ってわけじゃないのか?」
モストロ・ラウンジで化粧品代の無償労働のことを言っているのか。以前もジェイドのキクラゲを駄目にしたときにもラウンジで働いた。それと同じことを考えたが二人のニヤけた顔がどうにも違うとジャックの勘が訴える。
「ラウンジで働くって感じじゃねぇな」
「あはっ。ウニちゃん、勘いいねぇ~」
フロイドが軽い足どりで近づいて肩を組んで来る。その長ったらしい腕が鬱陶しくて払うがそれでもフロイドの機嫌はよくニヤニヤしている。何だか嫌な予感がする。
――もしかして取り立てか? つってもそれならこの二人で十分事足りるだろうし。
一体全体自分は何に巻き込まれるのか覚悟を決めてジェイドを見る。彼はにんまりと瞳を弓なりにしならせると薄い唇から尖った牙を覗かせた。
「ジャックくんのユニーク魔法はとても珍しい分類だそうですね」
「は?」
突然出された自身のユニーク魔法。ジャックのユニーク魔法は〝月夜を破る遠吠え(アンリイッシュ・ビースト)〟といい狼に変身できるものだった。変身薬が禁じられている中では禁忌的なユニーク魔法とも言われている。入学時に学園側からも慎重に使うことを約束させられたぐらいだ。それをいつ知ったのか。
流石あのアズールの右腕的役割をしている男だ。侮れないというかこの分ではユニーク魔法を所持している全生徒の情報を有していそうだ。
侮れない男ことジェイドを凝視すると身体が重くなった。その重みの正体は確認するまでもなくフロイドだ。再び鬱陶しいくらい長い腕がさらに抱き込む様に絡んで来た。
「ウニちゃんってユニーク魔法でおっきい犬になれんでしょ?」
「犬じゃねぇ! 狼だ!」
犬と狼は全然違う。だのに、どうしてこの学園は自分を犬と例えるのか。狼の獣人属としては一番嫌な不愉快な間違いに思わず噛みつく。
「うるせぇな~」
途端に不機嫌な声を出して離れるフロイド。それに合わせてジャックも距離を取りながら二人を睨む。
「どういうことだ」
「そう警戒なさらず」
眉を下げて困ったというような顔をするジェイド。本当にこう表情と雰囲気がミスマッチな男だ。ジャックはフロイドも気にしながら主導するジェイドに意識を向ける。
「俺のユニーク魔法なんてあんたらに役に立つとは思わねぇがな」
「そんなことありませんよ。ねぇ、フロイド?」
「んー。そうだね」
若干現状に飽き始めているフロイド。この気まぐれやのお蔭でこの場がうやむやになるかもしれないなんて望みは抱いてはいない。何せここにはジェイドがいるのだから。
「ジャックくんのユニーク魔法は狼になるんですよね……」
「ああ」
再度確認するように言葉を紡ぐジェイド。ジャックは真剣な様子を見せるジェイドに唾を飲み込んで慎重に「ああ」と返事をする。お互い視線を絡ませながらフロイドも大人しくなると葉の擦れる音だけがジャックの耳に届く。これが永遠に続くのかと先に口を開こうとしたジャックを遮ってジェイドが口を開いた。
「是非、その状態のジャックくんに触れてみたいんですよ」
途端に真顔染みた顔を一気に喜色に染まらせるジェイド。普段胡散臭さと嘘っぽい雰囲気を纏うジェイド。そのジェイドが年相応というには幼く照れくさい感じを醸し出した。そのあまりの落差にジャックの何かが擽られてしまった。
擽られた胸を抑えながら呻く。ジャックの呻きに拗ねたように眉を寄せたフロイドが「ヤダはなしだから」とすかさず言う。
「いや……それでいいならいいっす」
でも正直なところこれでは商品化されている化粧品とつり合いが取れていない気がする。いや、気がするのではなくつり合いが取れていない。
――怪しいな。他に何か考えがあんじゃねぇのか。
ジロリと二人を見ればジェイドは「ああ」と何かに気づいたように声をあげた。そして、「ブロットが気になるのですね」と話し出す。
違うけれど気にあることは気になるが――何か引っかかる。
「ブロットが溜まるほど長時間変身させられるのか」
「いえ長時間は一回一時間や二時間くらいですかね」
「ん? 一回?」
一回。一回でこれは終わりなのではないか。ジャックは唇の端を引きつらせる。どうやらジャックが考えているよりもとても、とても大変なことなのではないか。
「あはっ。ウニちゃんったらおめでたい頭してんね」
「一回で元取れるわけねぇじゃん」というフロイドにぐうねも出ない。やはりそう簡単なことではなかった。というか、この分では長期間この二人に狼での身体を求められることになるのではないか。ジャックは腹を括るしかない。
「どれくらいの期間なんだよ」
ジャックに拒否権はないのだ。いや、逆に考えるのだ。ユニーク魔法で変身した姿を撫で繰り回されるだけで済むのならいいことではないか、と。いや、正直無償労働の方が楽なような。いやいや、あのアズールが関わっている商品を大量に破壊したのだ。ならば、卒業まで続くかもしれない。いや、腹をくくっただろうとジャックは二人を見すえると二人は輝かんばかりの笑みを浮かべた。
「僕らが満足するまで、ですかね?」
「期間は不明ってこと!」
「だっろうなぁ……」
これはきっとあれだ。小さな妹が満足するまで付き合わされるときの流れと同じ。つまり、今日から毎日二人が求めたときにユニーク魔法を使用しなければいけないということだ。
「はぁ。俺が悪いんで何も言わないっす」
「おお! やっと腹くくった感じぃ?」
「なら、早速よろしいですか?」
ひと一倍興味津々の様子を見せるジェイドに毒気が抜ける。若干やけくそにもなったジャックは大人しくマジカルペンを取り出し呪文を唱えた。
◆ ◆ ◆
二人に狼の身体を求められることになって数日。ブロットも溜まることなくジャックは日々過ごしている。だが、二人が「お願いします」「いまいいよね」というタイミングの微妙さに辟易していた。
「ねぇ。ジャックくん一体何やらかしたんスか?」
ちょうどラギーがいるときに声をかけられた。先に言ってますね、と声をかけてきたジェイドの背を見送りながら隣にいたラギーに声をかけられた。ジャックはそれに喉を鳴らしながら「実は」と話す。話しを聞いたラギーは「何やってんの」と呆れた眼差しを向けて来た。それにまた喉が鳴る。
「でも、ま。無償労働とかじゃなくてよかったッスね」
「まぁ。ただ撫でられるだけなんで」
「うん。でも、会話は気を付けなよ」
「会話っすか?」
別におかしな会話はしていないがと首を傾げる。それにラギーが深い溜息をついて手をブラブラ振る。
「いいッス、いいッス。オレが穢れているだけッスから」
何を言っているのかよく分らないがラギーはジャックよりも世間をよく知っている。だからといって穢れているわけではない。
「ラギー先輩、そんなことねぇっすよ!」
「あーうん。なんか違う意味に取られたけれどもーいいよ」
「ありがとう」と礼を言いながら乾いた笑いを零すラギーだった。それにジャックはとりあえず笑顔を返した。
ラギーと会話した日からまた数日経った放課後。ジャックは部活に参加していた。今日も今日とて新しいタイム目指して走り続けていた。
「はぁ。少し休むか」
熱を持った身体を冷たい風で冷ましているときだった。ふわっと風に乗せて最近嗅ぎ慣れた匂いが近づいて来た。こんなときまで来るのかと小さく息をつくと同時にその男は現れた。
「ウ~ニちゃん、今いい?」
「……今っすか?」
顔を覗き込んで来たフロイドが目を細めて「うん♪」と機嫌よく返事した。一部色のことなる髪の毛が揺れて、彼の兄弟と揃いのピアスが同じくシャランと揺れる。涼やかな音を耳にしながら溜息をつく。このフロイドのお願いにジャックは断わる術を持っていない。というか、断る立場にない。
「今準備すんで待っていてください」
「うん。いーよ!」
機嫌の良さそうな顔がひょいっと消える。そして、代わりに現れたのは複雑な顔というか若干青ざめた同じ部活のデュースだった。
ジャックはもうひとつ溜息をついて立ち上がる。尻尾についた草を払うとふわっと毛が出て来て思わず呻くが今はそれを気にするときではない。
「お、おい。ジャック」
「はぁ。大丈夫だ」
「ほ、ほんとうか?」
デュースは忙しなく視線を動かしながらジャックと後ろで立っているだろうフロイドを見る。そんなに心配する事ではない。そもそもこれはジャックの自業自得なのだから。
「別に変な契約なんざ結んでねぇよ」
「お前らじゃあるまいし」と付け足せばデュースの目が瞬く。そして、「それもそうだな」とあっさりと受け入れた。これで怒らないのがデュースのちょうどいい鈍感さだ。ジャックなら絶対噛みついているし、エースだってぶつくさ文句言うに違いない。
「とりあえず、俺はもう上がる。悪いが片付け頼んでいいか」
「ああ! これくらいいいさ……ジャック、何かあれば相談に――」
「なぁ、いつまでしゃべってんの?」
デュースが最後の最後に心配そうにかけてきた声を遮ったのは不機嫌な声だった。
やっちまった。心の中で己の失態に額を抑えながらジャックは肩に顎を乗せるフロイドを呼ぶ。
「先輩。すんません。もう終わったんで行きます」
「ん……サバちゃんも早く行ったら?」
「え、あ、はい!」
機嫌の悪くなったフロイドに睨まれたデュースは顔を青くさせながら走り去った。あの様子なら新記録が出たんじゃないかと思う。だが、それよりもジャックはこのがっしり自分の身体に体重を乗せる男をどうにかしないといけない。
「先輩。一応シャワー浴びたいんすけど」
そこまで臭くはないと思うが一応部活の後に呼ばれるときはシャワーを浴びていた。だから、今日もシャワーを浴びたいのだが。
「いいよ。そこまで汗かいて無さそうじゃん。それに臭くないしさ」
「は?」
ぐっと身体が抱き寄せられたと同時にスンと匂いが嗅がれた気がした。それにドっと汗が吹き出す。それは運動をしたときに出る汗とは違う。そう冷や汗に近い。
「お、おい! 何してんだ!」
慌てて匂いを嗅いでくるフロイドから身体を引く。ジャックの身体を抱き寄せたフロイドはあっさりと長い腕を離してキョトンとした顔をする。
「何って、匂い気にしてじゃん。だから」
「いや、だからってなぁ」
子どもみたいに無垢に答えるフロイドにジャックは呻く。アズールやジェイドといると同じ人種のように思えるけれどフロイドはどこか無邪気だ。子ども染みているわけではない。けれど、何だかたまにこういうときに子どもを相手にしている気分にさせる。
「シャワーとか待つのヤダからもう行こう」
「ジェイドも待ってし」と言って腕が引っ張られる。一瞬前のめりになるがすぐに持ち前の体幹でフロイドのコンパスに合わせて歩く。ジャックは鼻を歌うほど機嫌のいいフロイドの頭を見てこっそり溜息をつく。
何だかんだ、とジャックはこのフロイドと、片割れのジェイドの調子に慣れて来てしまった。それにこれが終わった後の自分がどうなるか若干怖かった。
いつものように学校の裏側の森に行くとすでにジェイドが待っていた。しかし、その手には籠やシートがあった。一体何だろうかと思わず身構えてしまう。
「ふふ。ジャックくん。そう怯えないでください」
「怯えてなんかねぇ……けど、あんたらがそういう持っていると物騒だな」
何か処理するような二人が用意に想像できる。何かの部分は考えたくはないが、二人がブルーシートを抱えていても疑問さえ抱かない。きっと、その現場を見てもとうとうやらかしてしまったと納得してしまう。
「おい、ウニ。今めっちゃ失礼なこと考えてんだろ」
「……失礼かどうかわからねぇだろ」
「いや。絶対にそうだろ」
じろっと瞳孔を小さくしながら見て来るフロイドの視線を真っ向から受ける。今は怖さとか何もないけれど失礼な考えではないので視線を逸らすことはなしない。
じっと見つめ返すと先に根負けしたのはフロイドだった。舌打ちをして不貞腐れたみたいに唇を突き出してジェイドの隣に立った。
「あまりフロイドをいじめないでください」
「いじめてなんかないっす」
何がどう見たらいじめになる。ただ想像していただけだろうに。フンと鼻を鳴らすと恨みがましい目でフロイド見て来る。
「つか、このウニの考えだとジェイドも結構アレじゃねぇの?」
「おや。アレとは?」
眉を下げて尖った歯を薄い唇から覗かせるジェイドにフロイドは溜息をついた。こうすると以外にフロイドもジェイドで苦労する瞬間があるのかと思う。パッ見た瞬間の兄弟の上下を判断するとジェイドは兄のようでフロイドが弟のようだ。だが、二人曰く上下なんてないと言う。だから、こうしてフロイドが兄のような瞬間があるととても面白い。それにジェイドも意外にこう自分中心なところがあるのだと新たな発見が面白い。
「なんか、あんたらって結構イメージと違うよな……」
積極的に絡むことはごめんこうむる。だが接して見て色々知ることができた。なんか今度からもっとうまくいなせそうな気がする。絶対次はこんなことを起さないからなと決意するとジェイドが苦笑を零した。
「……ジャックくんも大概ですよね」
「うーん。ウニちゃんって結構アレだねぇ」
「アレですねぇ」
「ねぇ」と言う困った顔が意外によく似ている。というか、あちらもあちらで結構失礼なことを言っている気がする。いや、もうこの際どうでもいい。
「はぁ。んで、もう変身すればいいんすか」
「ええ……あ、一応ジャックくんに確認してもらいたいことがあるのですが」
「なんすか?」
「最近、毛が抜けているのを気になさっているようなので」
ジェイドが徐に足元にあるシートを広げる。その傍でフロイドが受け取った籠からブラシを取り出した。これは、これは、実家でよく見た光景だ。
季節の変わり目。ジャックは冬の毛から夏の毛へと変わり、夏の毛は再び冬の毛へ戻る。この時期、耳と豊かな尻尾は大変なことになる。実家にいるときは両親や弟や妹などでお互いブラッシングしていた。だが、ここではそうはいかない。初めて一人で迎える毛の生え代わりにジャックは四苦八苦していたのだ。どうやらそれを二人に見抜かれていたようだ。
ぐぅと呻くがありがたいと思うのだけれど――この陸生活二年目にブラッシングされるのはどうも躊躇してしまう。
「あんたら撫でんのも下手だったからな」
「えー。でも、今はマシでしょ?」
「けどなぁ」
「大丈夫ですよ」
シートを準備しフロイドからブラシを奪い取る勢いで手にするジェイド。それを横目でフロイドが「あーあ」と言っているの。どうやら今回の主導したのはジェイドのようだ。フロイドは面白いから乗ったのかジェイドを止める気がなかったのか。この様子はどうも取れないからジャックは考えることをやめた。
「犬好きなクルーウェル先生に聞いて来ましたので」
キラキラ眩い笑みを浮かべるジェイド。それは普段フロイドに感じる無邪気な子どものような輝きだ。好奇心旺盛なところは本当によく似ている。そして、これにジャックは折れるしかない。
「はぁ。分かりました。実際助かるんでお願いします」
「はい。任せてください」
「ん。綺麗にしてあげるー」
楽しそうな二人の様子に小さく溜息をついた。
で、実際恐れていたようなことは起こらなかった。起こらなかったがブラッシングの最中の二人の声は喧しかった。現にジャックは耳を伏せる状態で伏せの体勢を取っていた。
「中々の作業ですねぇ」
ジャケットを脱いだベスト姿のジェイドが額にじんわりと浮いた汗を拭う。だが、その顔はキラキラして充足感が満ち溢れている。実際、いまだにしっかりとブラシを握っている。そして、もう一方のフロイドはというとジャックの背中にぐたりとしているようだ。ようだというのは真正面にいるジェイドと異なりジャックの視界の範囲外にいるから。にしても重い。ジャックと同等の身長を持つフロイドの身体は重い。
「グゥ、グゥゥ」
「ん。どうしました? ジャックくん?」
フロイドの重さにそろそろ限界が来て喉を鳴らすと目の前でいそいそブラッシングしていたジェイドが気付いた。シャランとピアスを揺らしながら顔を近づけるジェイド。その距離間にも慣れたところで必死にバウバウ言って訴える。
ラギーのようにジェイドは得意というまでもないがそこそこ意思疎通が出来る。ジェイドは「ふむ」と頷くが――にっこりと綺麗に微笑み返された。
「いいじゃないですか。枕になるのも対価の一貫ですよ」
「ガルル」
「威嚇しても駄目ですからね」
大人しくフロイドの枕になっていてください。そうバッサリと断られてまた陽気にブラッシングを始める。手際はいいのに、そこそこ気持ちいいのに、なんてことだ。
「ふふ。きっとフロイドは起きたらジャックの真っ白な毛だらけでしょうね」
何が楽しいのかそう零すジェイドにジャックは鼻息を零した。それにまたクスクス笑うジェイド。全く一歩近づいて二歩遠ざかるような人魚たちだ。
――ほんと訳分かんねぇやつらだ。
◆ ◆ ◆
毛の生え代わりも落ち着き。二人の制服が抜けた毛で真っ白くなることもなくなったある日。終わりは突然にして告げられた。
「さて満足しましたのでこれで終わりにしましょう」
一瞬なのことか分からずに反応が遅れてしまった。けどすぐにジェイドが何を言っているのか思い至り「あ、ああ」と狼狽した返事をしてしまった。
「もしかしてウニちゃん寂しかったりする」
「は?」
ジェイドの顔からフロイドの顔に変わる。肩にかかる重みにもすっかり慣れてしまったし、こうしてフロイドが顔を覗き込んで来ることにも慣れた。
あれ結構この二人が自分のテリトリーに入ることが慣れてしまったような気がする。それに今さらになって危機感のようなものが働く。
「……別に寂しいとかそんなんじゃねぇし。つか、あれで元取れたのかよ」
ただ撫で繰り回されてブラッシングされただけの日々。二人の気分に合わせた行動に多少なりとも大変であったけれどそれ以外なにもない。寧ろ、ユニーク魔法を使うためかブロットが溜まっていないかなど気にされるほどだった。だから、ジャックが駄目にしてしまった化粧品の元が取れたとはどうしても感じられない。
「ほんとにいいのか?」
「はい。十分取れましたので、ねぇフロイド」
「まぁね~」
覗き込んでいたフロイドの距離が遠くなる。同時に肩に乗った重みもなくなり身体が軽くなる。でも、不意にその重さと僅かに残る香りに寂しさを覚え――なくもない。
この不可解な感情にジャックは僅かに眉根を寄せる。
「とはいえ、次のこのようなことがあったらそれ相応の弁償をしてもらいますから」
「ウニちゃんもほどほどに」
「肝に銘じておく」
ふぅと溜息をついてどうにも居心地の悪い場所から早々に去る選択することにした。組んでいた腕を解いて頭を下げる。
「じゃ失礼します」
それから二人の自寮の先輩並に見慣れてしまった双子の顔を見やる。そこに満足したのか何なのか距離を覚える二人の顔があった。再び空いた距離に安心しながらもどこか隙間の空いた場所に寂しさをつい覚えてしまった。
――けど、これがいい距離だ。
これから二人との距離は遠ざかることはあっても近づくことはない。それでいいと自分を説得しながらジャックはまた頭を下げて二人に背を向けた。
狼になる日々が終わった数日。ジャックの身体はどうにも調子が悪い。サバナクローの朝練でも微妙に調子が上がらない。朝のランニングもしっかりこなしているのに調子が上がらない。授業もしっかり聞いているようで何だか身体の中を素通りしていくような心地がする。しかも、しかも、気づきたくなかったがひとつ嫌なことに気づいた。
「ぐっ、ま、またかよ」
ジャックは視界に入ったターコイズブルーに思わず足が踏み出しかけて苛立ちが募る。すぐに背を向けて反対の方向へと歩いていく。あの対価の日々が終わってからこんな調子だ。
「ああッッ! 一体何なんだよッ!」
クソッと廊下で悪態をつきながらジャックは訳の分からない苛立ちをぶつけた。
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