ジャック受
恋愛ステップ
アズールはこれまで自分を馬鹿にした奴らを見返すために懸命に勉強していた。友人も、恋人も作ることなく脇目もふらずに勉強していた。その甲斐あってユニーク魔法を手に入れ、ウツボの兄弟と手を組むことになった。
成長した後、魔法士養成学校の名門校ナイトレイブンカレッジに入学した。それからも脇目もふらずに人脈を築き、弱みを握り続けた。しかし、ある日を境にその弱みは砂と消え、様々な制約を与えられながら学生生活を送ることになったアズールであるが。ここにきてアズールは初めて恋というものを経験することとなる。
アズールが恋したのは人間だった。ついでに言えば獣人属で雪原出身の狼。学園に在籍する獣人属の多くが所属するサバナクロー寮に彼も漏れなく配された。実力主義の上下関係の厳しい中、自分が認めた相手には膝を折ることもない一種の傲慢を持つ狼。いや、狼だからこそ自分が認めた相手以外に尻尾を振ることがないのだろう。その狼の名前はジャック・ハウル。ナイトレイブンカレッジ一年生でサバナクロー寮期待の新入生。運動部に所属している者なら誰でも知っている。
フィジカルの素晴らしさはさることながらどうやら頭もそれなりに回るらしい。難点と言えば目上の者でも実力を認めなければ言うことを聞かない。クソ生意気な一年生でもあるがアズールは使えると踏んだ。だから、手に入れたいと思った。リーチ兄弟もフィジカル面は素晴らしいが肉弾戦になると少々心もとない。何より、気まぐれで扱いづらいところもある。一人くらい従順な人間が欲しい。この学生時代に確保できればいい尚いい。
こうしてアズールはジャックを手に入れるためにアレやコレやソレや動き回るが――。
「あんたみたいな男の下になんか着くかよ」
鼻先であしらわれた。アズールはこれでもオクタヴィネル寮の寮長だ。だが、彼の中ではそれだけでは意味がないらしい。ほんとにクソ生意気だなとそれでもアズールは諦めなかった。絶対に膝を折らせてやると日夜ジャック対策をしていたときだった。
「リドルさんには懐いているのか……」
七つの寮長のうち二年生はアズール以外に二人いる。ハーツラビュル寮のリドル・ローズハートに、スカラビア寮のカリム・アルアジーム。その内、ジャックはリドルに懐いているらしい。頻繁ではないにしろ図書室や植物園またはハーツラビュル寮にまで足を向けて彼から魔法を学んでいるらしい。
リドルの気質を考えると気が合うところがあるのだろうが――面白くない。同じラインに立っているリドルが彼に気に入られている。反面、自分は眼鏡にかなわなかった。何故、と考えてもすぐにわかる。彼の気質に問題がある。
ジャックは真っ向勝負を好む性質を持っている。あのレオナに対しても正面切って喧嘩を売るような男だった。故にあらゆる手段を使い自身に有利に持ち込むことを厭わないアズールと相性が悪いのだ。だが、ジャックはあのレオナに憧れているらしいではないか。どうして自分はダメなのか。気になる、非常に気になる。
「どうするか」
魚の骨で出来たペンを片手に考えるのはモストロ・ラウンジの限定メニューではない。目下、懐かない狼のことばかり。まだ資料が少ないのだろうか。
溜息をついて霞む目に限界だとペンを置いて眼鏡を外す。何度か瞬きを繰り返してぼんやりとする視界で執務室を眺める。
「どうすれば、ジャックさんが手に入はいるのか」
どうすれば他よりも認めて貰えるのか。考えても答えはでない。
アズール本人は気づいているのか。このときから本来の目的から徐々に道から外れていることに。美しき男が率いる寮の狩人に努力の君 と呼ばれるほど脇目もふらずに成長したアズールが果たして気持ちの変化に気づくだろうか。
「はぁ。どうすればいい」
◆ ◆ ◆
一心不乱にジャックを手に入れて僕 にしようとしていたアズール。きっかけは何だったか。ウツボ兄弟だったか。サバナクロー寮の獅子とハイエナだったか。はたまた同郷だと言った麗しい人だったか。アズールはまるで目が覚めるようなジャックへの恋を自覚した。
自覚してからのアズールの行動は早く舵を思いきり切った。そのお蔭でアズールからしたら純粋無垢にアタックし続けた結果――その番いの座を手に入れた。
「や、やったッッ!」
ジャックから色好い告白の返事を聞いた日、自室で声をあげて喜んだ。澄ました顔をこれでもかと崩して一人その嬉しさを噛みしめた。このだらしない姿を見られずに済む一人部屋万歳である。だが、アズールはこの日を境に以前よりも己が寮長であり一人部屋であることを非常に感謝することになった。
さて、アズールは何度も言う通り脇目もふらずに見返すことに尽力していた男だ。友人どころか恋人も出来たことがない。勿論、人魚とも人間とも先に身体の関係になったことがない。至ってそのあたりはそこら辺のハイスクールに通う年頃の男子と変わらない。年相応の未経験者。故に恋人になった先を知らない。
いや、知らぬわけではない。手をつないだり、キスをしたり、その先に身体の関係もあったりするのだろう。薄らぼんやりと想像はつく。しかし、経験がない故にあまり形になった想像が出来ない。そして、それを相談できる相手がいない。ちなみに、腐れ縁のリーチ兄弟はごめんこうむるだし。ならば、こういう時に頼りになるのは有識者の〝知識〟である。
「ネットの知識ばかりでは危険だな。とはいえ図書室にこういった本がるのか?」
眉を顰めながら自室の机に肘をついて考える。図書室は知識の宝の山だ。アズールもだいぶ世話になっている。だが、果たしてあの図書室に恋人にまつわる本など俗世に塗れた本があるのか。ないだろうな。選書リストにすら上がらないだろう。
ならば、街の本屋で買うしかないだろうか。誰かに見られて弱みなど握られたくない。ならば購買部かと思うがそれも同じことが起こらないわけがない。
「あ、通販。通販という手段があるじゃないかっ! あぁ゛ッ!」
ダンと机を叩くとインク瓶を倒しかけるのを慌てて掴む。ほっと安心しながらネットを利用することにした。しかし、アズールは人魚でありながら波乱に満ちた情報の海に溺れることになった。人魚なのに。
「なんてことだ」
目の下に色濃い隈をこさえながらアズールは髪を掻き上げた。まさか恋人のことを調べるだけで様々な判例が出て来るとは誰が思っただろうか。書いても、書いても洋紙が足りないしノートも足りない。さらに言えば手が足りない。切実に元の姿に戻りたい。正直、学期末試験の予想問題作りの方が遙かに楽だった。それくらい情報がありすぎて選別できない。
「同性同士で切り取ってもここまで情報が溢れているとは……」
ダメだ、とペンを放り投げて着かれた手を揉む。ここまで手が痛くなったのは幼い頃に勉強していた頃だろうか。いや、そのときでも痛くなかったな。やっぱり今が一番辛い。
「恋愛をしていた方がよかったな……」
経験がないことは経験すればいい。だが、こと恋愛となると難しい。男性同士の恋愛はもとより男女間の恋愛だって想像がつかない。両親は離婚しているし、その後再婚した母に〝愛〟があるのか今となってもアズールにはわからない。
愛し合うことは難しい。勉強よりも難しいことだ。他人と他人が愛を育むのだ。血の繋がった者同士でもときに難しいことを他人同士でするのだ。難しい行為だ。
休憩でもしようとすっかり冷めた紅茶に口を着けて次の参考資料を選んでいると。
「ん、なんだ、こ、れ……ゲッ!」
ティーカップを置いておいてよかった。でなければ今頃倒していたに違いない。ついでにちゃんと飲み込んでいてよかった。酷いことにならなくてよかった。いや、そうじゃない。そうじゃない。まさかの資料にアズールは勢いよく資料の山から引き抜いて辺りを見回す。
「じ、自室で助かった」
ついでに一人部屋でよかった。アズール手に持った資料に顔に熱を集める。
「ま、まさか、交尾じゃない性行為のやり方の本まで頼んでいたとは」
これは流石に早いのはアズールでもわかる。わかるけれど――アズールも年頃健全男子である。好きな子と恋人になれて手を握って、キスをした、その先を知りたいし、実際にしたい。気になる。この先の未知な世界を。
喉を動かしてアズールは覚悟を決めた。ふぅと詰めていた息を吐いて真剣に俗っぽい表紙の本を見つめ――。
「いきますよ」
誰に言うでもなく。もしかしたら自分に言い聞かせたのかもしれない。アズールは本を開き未知の知識を吸収に進んだ。
◆ ◆ ◆
アズールはあれからさらなる不眠に悩まされていた。あのリーチ兄弟にすら心配される事態にもなっている。ちなみに、恋人になったジャックにもしっかり心配されている。だが、その心配の仕方が少々酷い。
一日の内で僅かな逢引ならぬデートの最中、植物園のちょうどいい気候にアズールでうつらうつらしているときだった。横に座ったジャックが訝しげに声をかけてきた。
「隈まで作ってまた何か企んでるのか」
声に顔をあげればジャックの幼さの残る精悍な顔立ちに剣呑とした色が差す。それにアズールは酷くないかと思うが日頃の行いだろうと思い首を振る。
「酷いですね……違います。ちょっと調べ事です。個人的な」
「……ほんとうか」
「少しは信じてくださいよ、ふぁあ」
失礼と言いながら口を押える。滲んだ涙の所為で視界がぼんやりすると眼鏡を外して涙を拭うと。
「アズール先輩」
「なんです」
首を横に動かすと目元に何かが触れて反射的に目を閉じる。だが、すぐにそれが動いて肌を撫でた。それにまた身体が跳ねてアズールは恐る恐る目を開きジャックを呼ぶ。
「なんです、ジャックさん」
「ぁ、悪い」
慌てて手を引くジャックにアズールは「しまった」と心の中で叫ぶ。だが、すぐに何でもないように眼鏡をかけて耳を僅かに伏せるジャックを見る。
以前もそういう姿を見たことはある。でも、こう無防備にしょげている姿は恋人になってからだ。心を許してくれているんだろう。いや、どうだろう。これくらいは彼と親しい人間なら見ているかもしれない。
面白くない。この姿を他の誰かに見せていることが。恋人の自分以外が知っていることが。クソとアズールは心の中で悪態をつく。
この感情もジャックと恋人になってから日増しに強くなっている。ようは嫉妬だ。アズールはレオナにも、ラギーにも、ヴィルにも、監督生たちにも、果てはジェイドたちにさえ嫉妬している。ちなみに、レオナたちや、ジェイドたちはわかってやっている節があるので余計腹立たしい。
ギリと奥歯を噛んでいると「あの、」と遠慮がちの声がかけられる。普段の自信に満ちた低い声とはうって変わった柔らかな声に勢いよく顔を動かす。
「な、なんですかジャックさん」
「まだ時間あるんだよな」
「え、ええ。今日はモストロ・ラウンジも定休日ですし、部活動もないので」
以前だったらあらゆる計画に使っていた時間だ。それを今はジャックのために確保している。だが、こうも眠くちゃ意味がない。眠い、とりあえず仕入れた情報が上手く処理できずに眠い。
「よかったら一緒に昼寝っていうか寝ませんか?」
「は?」
思わず自分の耳を疑った。今、ジャックはなんと言った。
凝視しているとジャックは慌ててマジカルペンを取り出して「アンリイッシュ・ビースト」と呪文を唱える。途端に瞬く間に身体が輝きだした。これは、とアズールは目を細めてその姿を見つめる。そして、光が弾けるとそこには白銀の大きな狼がいた。
ジャックの面影の色濃い狼は大きな身体で立ち上がるとアズールに近寄る。そして、アズールを温めるように囲って伏せの体勢になった。これは、これは、ジャックのユニーク魔法を知っている者なら憧れる添い寝ではないか。
アズールは一人で感動しながらもおくびにも出さず眼鏡のブリッジを上げる。
「いいんですか?」
遠慮がちに聞くと頭をごすごすとまるで猫みたいにアズールの身体に擦りつけて来た。これはもう感無量である。ついでにクゥンなんて鳴かれたので泣きそうになった。アズールは眠さゆえに今涙腺が弱いのだ。でも泣くのを我慢してゆっくりと背中をジャックの身体に着けて力を抜く。途端に眠気がやって来て瞼が重くなる。
これはやばいと思っているとふわりと尻尾が着てもう駄目だった。アズールは陥落したのだった。
最高の昼寝からいつもよりも些か和やかにジャックと別れたアズール。
足取り軽く鏡を潜り、目を丸くしてすぐにニヤつくリーチ兄弟たちを無視して自室へと戻る。そして、大きな机の上に山積みされた資料たちを見やる。
情報としても役に立ったけれどそれ以上にジャックとの距離を縮めることに貢献した資料を崇める。だが、ここでアズールは先ほどのやり取りを思い出し考えることが出て来た。
「どちらが抱く側か……」
男女であればお互いの趣向を抜けば大体抱かれるのは女性で、抱くのが男性だ。しかし、こと同性同士になると変わって来る。
「僕が抱かれる側になるんですかね?」
目を閉じて想像してみるがすぐにアズールは眉を顰めて目を開く。もしジャックが自分を抱きたいなどという場面がくれば、自分はどうするだろうか。快く了承できるか。いや、でも、アズールは男だからとか以前に思うところがある。それは男としてというより人魚の本能として――ジャックを孕ませたかった。
「い、いや! わかってる! 雄は孕まないと! いや、雄でも孕む種族はいるが!」
誰に言い訳するのでもなく――いや目の前で泳ぐ魚たちかもしれない。しかし、魚たちに弁明したところで通じはしない。アズールは「ああ」と頭を掻きむしりながら机にうつ伏せになる。
「ジャックさんは、狼の獣人属、雄で孕まない! わかってるんだよ!」
ダンと机を叩く。アズールのタコの腕力で殴った所為だろうか。うず高く積まれた資料群がバサバサと落ちていく。それを横目に見ながらアズールはうぅと呻く。
「傍から見れば僕が抱かれる側なのかっ」
勘弁とかではない。結局抱く、抱かれるなどは当事者同士で話し合うしかないのだ。もし、どちらも抱かれるつもりがないのなら――キスの先はないだろう。
考えてアズールは唇を噛む。嫌と一瞬でも頭に過ってしまったのだ。何度も言うがアズールは健全な男子高校生だ。好きな子が出来たら付き合いたいと思った。その子と恋人になれたら触れたいし、キスしたいし――セックスしたい。あわよくば抱きたいし、好きな子の乱れた姿だってみたい。
欲は人並みにあるし、何なら人魚なのでたぶんそれ以上の欲がある。とくに人魚は他の種族と比べれば結婚するのも、子どもができるのも早い。以前に比べれば減ったが学生の年齢で結婚して子どもが出来ていても不思議じゃない。
だから、アズールはもしかしたら獣人属のジャックよりもそういった諸々の欲が強い可能性がある。そこではた、とアズールは気になることができた。
「ジャックさん、も考えるのか?」
アズールはジャックと恋人になってからもうそれはもう色々考えている。今考えればキスもしていないけれどその先のことさえ先回りして調べているくらいだ。でも、ジャックはどうなんだろうか。
「そもそも性欲とジャックさんが結びつかない」
顎を擦りながらストイックに日々トレーニングを熟すジャックを思い出す。汗を流す様に自分は何度もドギマギしたが――ジャックも同じことがあるのか。
「……僕に対して何か感じるのか?」
あのジャックが――アズールはこのとき深淵を覗く様な気分だった。深海よりも深い底すぎて答えが見いだせない。
「やめるか……」
アズールは考えることを諦めて無駄に眼鏡を外して疲れたと目頭を揉む。
深淵を覗いたことで冷静になった思考回路でアズールは一端全て白紙にすることにした。あれこれ悩んでもダメだ。それに急くことではない。一人空回ってはいけない。
うんうん。そうだな、そうだな。一人納得して眼鏡をかけ直した。
だが、アズールのその冷静な思考回路も初めてしたキスで吹っ飛ぶのだった。そのときに、再びタコ壺籠りならぬ部屋に籠ることになった。
アズールはこれまで自分を馬鹿にした奴らを見返すために懸命に勉強していた。友人も、恋人も作ることなく脇目もふらずに勉強していた。その甲斐あってユニーク魔法を手に入れ、ウツボの兄弟と手を組むことになった。
成長した後、魔法士養成学校の名門校ナイトレイブンカレッジに入学した。それからも脇目もふらずに人脈を築き、弱みを握り続けた。しかし、ある日を境にその弱みは砂と消え、様々な制約を与えられながら学生生活を送ることになったアズールであるが。ここにきてアズールは初めて恋というものを経験することとなる。
アズールが恋したのは人間だった。ついでに言えば獣人属で雪原出身の狼。学園に在籍する獣人属の多くが所属するサバナクロー寮に彼も漏れなく配された。実力主義の上下関係の厳しい中、自分が認めた相手には膝を折ることもない一種の傲慢を持つ狼。いや、狼だからこそ自分が認めた相手以外に尻尾を振ることがないのだろう。その狼の名前はジャック・ハウル。ナイトレイブンカレッジ一年生でサバナクロー寮期待の新入生。運動部に所属している者なら誰でも知っている。
フィジカルの素晴らしさはさることながらどうやら頭もそれなりに回るらしい。難点と言えば目上の者でも実力を認めなければ言うことを聞かない。クソ生意気な一年生でもあるがアズールは使えると踏んだ。だから、手に入れたいと思った。リーチ兄弟もフィジカル面は素晴らしいが肉弾戦になると少々心もとない。何より、気まぐれで扱いづらいところもある。一人くらい従順な人間が欲しい。この学生時代に確保できればいい尚いい。
こうしてアズールはジャックを手に入れるためにアレやコレやソレや動き回るが――。
「あんたみたいな男の下になんか着くかよ」
鼻先であしらわれた。アズールはこれでもオクタヴィネル寮の寮長だ。だが、彼の中ではそれだけでは意味がないらしい。ほんとにクソ生意気だなとそれでもアズールは諦めなかった。絶対に膝を折らせてやると日夜ジャック対策をしていたときだった。
「リドルさんには懐いているのか……」
七つの寮長のうち二年生はアズール以外に二人いる。ハーツラビュル寮のリドル・ローズハートに、スカラビア寮のカリム・アルアジーム。その内、ジャックはリドルに懐いているらしい。頻繁ではないにしろ図書室や植物園またはハーツラビュル寮にまで足を向けて彼から魔法を学んでいるらしい。
リドルの気質を考えると気が合うところがあるのだろうが――面白くない。同じラインに立っているリドルが彼に気に入られている。反面、自分は眼鏡にかなわなかった。何故、と考えてもすぐにわかる。彼の気質に問題がある。
ジャックは真っ向勝負を好む性質を持っている。あのレオナに対しても正面切って喧嘩を売るような男だった。故にあらゆる手段を使い自身に有利に持ち込むことを厭わないアズールと相性が悪いのだ。だが、ジャックはあのレオナに憧れているらしいではないか。どうして自分はダメなのか。気になる、非常に気になる。
「どうするか」
魚の骨で出来たペンを片手に考えるのはモストロ・ラウンジの限定メニューではない。目下、懐かない狼のことばかり。まだ資料が少ないのだろうか。
溜息をついて霞む目に限界だとペンを置いて眼鏡を外す。何度か瞬きを繰り返してぼんやりとする視界で執務室を眺める。
「どうすれば、ジャックさんが手に入はいるのか」
どうすれば他よりも認めて貰えるのか。考えても答えはでない。
アズール本人は気づいているのか。このときから本来の目的から徐々に道から外れていることに。美しき男が率いる寮の狩人に
「はぁ。どうすればいい」
◆ ◆ ◆
一心不乱にジャックを手に入れて
自覚してからのアズールの行動は早く舵を思いきり切った。そのお蔭でアズールからしたら純粋無垢にアタックし続けた結果――その番いの座を手に入れた。
「や、やったッッ!」
ジャックから色好い告白の返事を聞いた日、自室で声をあげて喜んだ。澄ました顔をこれでもかと崩して一人その嬉しさを噛みしめた。このだらしない姿を見られずに済む一人部屋万歳である。だが、アズールはこの日を境に以前よりも己が寮長であり一人部屋であることを非常に感謝することになった。
さて、アズールは何度も言う通り脇目もふらずに見返すことに尽力していた男だ。友人どころか恋人も出来たことがない。勿論、人魚とも人間とも先に身体の関係になったことがない。至ってそのあたりはそこら辺のハイスクールに通う年頃の男子と変わらない。年相応の未経験者。故に恋人になった先を知らない。
いや、知らぬわけではない。手をつないだり、キスをしたり、その先に身体の関係もあったりするのだろう。薄らぼんやりと想像はつく。しかし、経験がない故にあまり形になった想像が出来ない。そして、それを相談できる相手がいない。ちなみに、腐れ縁のリーチ兄弟はごめんこうむるだし。ならば、こういう時に頼りになるのは有識者の〝知識〟である。
「ネットの知識ばかりでは危険だな。とはいえ図書室にこういった本がるのか?」
眉を顰めながら自室の机に肘をついて考える。図書室は知識の宝の山だ。アズールもだいぶ世話になっている。だが、果たしてあの図書室に恋人にまつわる本など俗世に塗れた本があるのか。ないだろうな。選書リストにすら上がらないだろう。
ならば、街の本屋で買うしかないだろうか。誰かに見られて弱みなど握られたくない。ならば購買部かと思うがそれも同じことが起こらないわけがない。
「あ、通販。通販という手段があるじゃないかっ! あぁ゛ッ!」
ダンと机を叩くとインク瓶を倒しかけるのを慌てて掴む。ほっと安心しながらネットを利用することにした。しかし、アズールは人魚でありながら波乱に満ちた情報の海に溺れることになった。人魚なのに。
「なんてことだ」
目の下に色濃い隈をこさえながらアズールは髪を掻き上げた。まさか恋人のことを調べるだけで様々な判例が出て来るとは誰が思っただろうか。書いても、書いても洋紙が足りないしノートも足りない。さらに言えば手が足りない。切実に元の姿に戻りたい。正直、学期末試験の予想問題作りの方が遙かに楽だった。それくらい情報がありすぎて選別できない。
「同性同士で切り取ってもここまで情報が溢れているとは……」
ダメだ、とペンを放り投げて着かれた手を揉む。ここまで手が痛くなったのは幼い頃に勉強していた頃だろうか。いや、そのときでも痛くなかったな。やっぱり今が一番辛い。
「恋愛をしていた方がよかったな……」
経験がないことは経験すればいい。だが、こと恋愛となると難しい。男性同士の恋愛はもとより男女間の恋愛だって想像がつかない。両親は離婚しているし、その後再婚した母に〝愛〟があるのか今となってもアズールにはわからない。
愛し合うことは難しい。勉強よりも難しいことだ。他人と他人が愛を育むのだ。血の繋がった者同士でもときに難しいことを他人同士でするのだ。難しい行為だ。
休憩でもしようとすっかり冷めた紅茶に口を着けて次の参考資料を選んでいると。
「ん、なんだ、こ、れ……ゲッ!」
ティーカップを置いておいてよかった。でなければ今頃倒していたに違いない。ついでにちゃんと飲み込んでいてよかった。酷いことにならなくてよかった。いや、そうじゃない。そうじゃない。まさかの資料にアズールは勢いよく資料の山から引き抜いて辺りを見回す。
「じ、自室で助かった」
ついでに一人部屋でよかった。アズール手に持った資料に顔に熱を集める。
「ま、まさか、交尾じゃない性行為のやり方の本まで頼んでいたとは」
これは流石に早いのはアズールでもわかる。わかるけれど――アズールも年頃健全男子である。好きな子と恋人になれて手を握って、キスをした、その先を知りたいし、実際にしたい。気になる。この先の未知な世界を。
喉を動かしてアズールは覚悟を決めた。ふぅと詰めていた息を吐いて真剣に俗っぽい表紙の本を見つめ――。
「いきますよ」
誰に言うでもなく。もしかしたら自分に言い聞かせたのかもしれない。アズールは本を開き未知の知識を吸収に進んだ。
◆ ◆ ◆
アズールはあれからさらなる不眠に悩まされていた。あのリーチ兄弟にすら心配される事態にもなっている。ちなみに、恋人になったジャックにもしっかり心配されている。だが、その心配の仕方が少々酷い。
一日の内で僅かな逢引ならぬデートの最中、植物園のちょうどいい気候にアズールでうつらうつらしているときだった。横に座ったジャックが訝しげに声をかけてきた。
「隈まで作ってまた何か企んでるのか」
声に顔をあげればジャックの幼さの残る精悍な顔立ちに剣呑とした色が差す。それにアズールは酷くないかと思うが日頃の行いだろうと思い首を振る。
「酷いですね……違います。ちょっと調べ事です。個人的な」
「……ほんとうか」
「少しは信じてくださいよ、ふぁあ」
失礼と言いながら口を押える。滲んだ涙の所為で視界がぼんやりすると眼鏡を外して涙を拭うと。
「アズール先輩」
「なんです」
首を横に動かすと目元に何かが触れて反射的に目を閉じる。だが、すぐにそれが動いて肌を撫でた。それにまた身体が跳ねてアズールは恐る恐る目を開きジャックを呼ぶ。
「なんです、ジャックさん」
「ぁ、悪い」
慌てて手を引くジャックにアズールは「しまった」と心の中で叫ぶ。だが、すぐに何でもないように眼鏡をかけて耳を僅かに伏せるジャックを見る。
以前もそういう姿を見たことはある。でも、こう無防備にしょげている姿は恋人になってからだ。心を許してくれているんだろう。いや、どうだろう。これくらいは彼と親しい人間なら見ているかもしれない。
面白くない。この姿を他の誰かに見せていることが。恋人の自分以外が知っていることが。クソとアズールは心の中で悪態をつく。
この感情もジャックと恋人になってから日増しに強くなっている。ようは嫉妬だ。アズールはレオナにも、ラギーにも、ヴィルにも、監督生たちにも、果てはジェイドたちにさえ嫉妬している。ちなみに、レオナたちや、ジェイドたちはわかってやっている節があるので余計腹立たしい。
ギリと奥歯を噛んでいると「あの、」と遠慮がちの声がかけられる。普段の自信に満ちた低い声とはうって変わった柔らかな声に勢いよく顔を動かす。
「な、なんですかジャックさん」
「まだ時間あるんだよな」
「え、ええ。今日はモストロ・ラウンジも定休日ですし、部活動もないので」
以前だったらあらゆる計画に使っていた時間だ。それを今はジャックのために確保している。だが、こうも眠くちゃ意味がない。眠い、とりあえず仕入れた情報が上手く処理できずに眠い。
「よかったら一緒に昼寝っていうか寝ませんか?」
「は?」
思わず自分の耳を疑った。今、ジャックはなんと言った。
凝視しているとジャックは慌ててマジカルペンを取り出して「アンリイッシュ・ビースト」と呪文を唱える。途端に瞬く間に身体が輝きだした。これは、とアズールは目を細めてその姿を見つめる。そして、光が弾けるとそこには白銀の大きな狼がいた。
ジャックの面影の色濃い狼は大きな身体で立ち上がるとアズールに近寄る。そして、アズールを温めるように囲って伏せの体勢になった。これは、これは、ジャックのユニーク魔法を知っている者なら憧れる添い寝ではないか。
アズールは一人で感動しながらもおくびにも出さず眼鏡のブリッジを上げる。
「いいんですか?」
遠慮がちに聞くと頭をごすごすとまるで猫みたいにアズールの身体に擦りつけて来た。これはもう感無量である。ついでにクゥンなんて鳴かれたので泣きそうになった。アズールは眠さゆえに今涙腺が弱いのだ。でも泣くのを我慢してゆっくりと背中をジャックの身体に着けて力を抜く。途端に眠気がやって来て瞼が重くなる。
これはやばいと思っているとふわりと尻尾が着てもう駄目だった。アズールは陥落したのだった。
最高の昼寝からいつもよりも些か和やかにジャックと別れたアズール。
足取り軽く鏡を潜り、目を丸くしてすぐにニヤつくリーチ兄弟たちを無視して自室へと戻る。そして、大きな机の上に山積みされた資料たちを見やる。
情報としても役に立ったけれどそれ以上にジャックとの距離を縮めることに貢献した資料を崇める。だが、ここでアズールは先ほどのやり取りを思い出し考えることが出て来た。
「どちらが抱く側か……」
男女であればお互いの趣向を抜けば大体抱かれるのは女性で、抱くのが男性だ。しかし、こと同性同士になると変わって来る。
「僕が抱かれる側になるんですかね?」
目を閉じて想像してみるがすぐにアズールは眉を顰めて目を開く。もしジャックが自分を抱きたいなどという場面がくれば、自分はどうするだろうか。快く了承できるか。いや、でも、アズールは男だからとか以前に思うところがある。それは男としてというより人魚の本能として――ジャックを孕ませたかった。
「い、いや! わかってる! 雄は孕まないと! いや、雄でも孕む種族はいるが!」
誰に言い訳するのでもなく――いや目の前で泳ぐ魚たちかもしれない。しかし、魚たちに弁明したところで通じはしない。アズールは「ああ」と頭を掻きむしりながら机にうつ伏せになる。
「ジャックさんは、狼の獣人属、雄で孕まない! わかってるんだよ!」
ダンと机を叩く。アズールのタコの腕力で殴った所為だろうか。うず高く積まれた資料群がバサバサと落ちていく。それを横目に見ながらアズールはうぅと呻く。
「傍から見れば僕が抱かれる側なのかっ」
勘弁とかではない。結局抱く、抱かれるなどは当事者同士で話し合うしかないのだ。もし、どちらも抱かれるつもりがないのなら――キスの先はないだろう。
考えてアズールは唇を噛む。嫌と一瞬でも頭に過ってしまったのだ。何度も言うがアズールは健全な男子高校生だ。好きな子が出来たら付き合いたいと思った。その子と恋人になれたら触れたいし、キスしたいし――セックスしたい。あわよくば抱きたいし、好きな子の乱れた姿だってみたい。
欲は人並みにあるし、何なら人魚なのでたぶんそれ以上の欲がある。とくに人魚は他の種族と比べれば結婚するのも、子どもができるのも早い。以前に比べれば減ったが学生の年齢で結婚して子どもが出来ていても不思議じゃない。
だから、アズールはもしかしたら獣人属のジャックよりもそういった諸々の欲が強い可能性がある。そこではた、とアズールは気になることができた。
「ジャックさん、も考えるのか?」
アズールはジャックと恋人になってからもうそれはもう色々考えている。今考えればキスもしていないけれどその先のことさえ先回りして調べているくらいだ。でも、ジャックはどうなんだろうか。
「そもそも性欲とジャックさんが結びつかない」
顎を擦りながらストイックに日々トレーニングを熟すジャックを思い出す。汗を流す様に自分は何度もドギマギしたが――ジャックも同じことがあるのか。
「……僕に対して何か感じるのか?」
あのジャックが――アズールはこのとき深淵を覗く様な気分だった。深海よりも深い底すぎて答えが見いだせない。
「やめるか……」
アズールは考えることを諦めて無駄に眼鏡を外して疲れたと目頭を揉む。
深淵を覗いたことで冷静になった思考回路でアズールは一端全て白紙にすることにした。あれこれ悩んでもダメだ。それに急くことではない。一人空回ってはいけない。
うんうん。そうだな、そうだな。一人納得して眼鏡をかけ直した。
だが、アズールのその冷静な思考回路も初めてしたキスで吹っ飛ぶのだった。そのときに、再びタコ壺籠りならぬ部屋に籠ることになった。
3/8ページ