ジャック受

シガー・シガー・キス



 廃墟とも言える空きビルの隙間風が酷い一室。古びたソファに足を組み優雅に尻尾を揺らしているのはレオナ・キングスカラー。高級ブランドのスーツを身に纏ったレオナと古びたソファはなんてアンバラスだろうか。だのに、ジャックを傍に控えさせた彼は不遜な態度で座る姿は素晴らしく絵になっている。

 見惚れているわけで決してない。決してないのだけれど目がつい絵になる美丈夫を見てしまう。これが見惚れているというがジャックは認めず観察の体で彼を横目で見続けている。
 ジャックに見られているレオナはその視線を気にした様子はない。ただ、眠そうな深緑の瞳でぼんやりとペンキの禿げた壁を見つめていた。暫く動く気配のなかたったレオナが動き出した。徐にこちらに向かって「ん」と手を差し出してきた。

 その意味を理解したジャックは一瞬眉間に皺を寄せる。レオナが求めているものは分かっている。それについて小言を言いたいが何とか飲み込む。代わりに小さく息を零しながらジャケットからシガレットケースを取り出しレオナに近づく。ついでに、蓋を開けて彼に向けて「どうぞ」と言う。
 レオナは少し勿体ぶったように指を彷徨わせると一本煙草を取った。選ばれた一本を彼は綺麗な唇に挟むと一言呟く。

「火ぃ」

 少し籠った声で不遜な態度で要求するレオナ。ジャックは口から零れそうになった溜息を今度は飲み込む。

「っす」

 軽く返事をし、慣れた手つきでジャケットの裏ポケットにケースを戻す。そして、もう一つ別のポケットに入れているジッポを取り出す。
 いつの間にか手に馴染んだジッポで火を着けてやる。煙草を唇に挟むだけに絵になる彼は煙草を吹かすもまた絵になるのだ。
 見惚れていないとまた思いながら離れようとした。だが、それはレオナが腕を掴んだことで阻まれた。
 なんだ、と瞳で問う。ジャックの瞳の問いに彼は答えることなく唇に挟んでいた煙草を指で挟んで取って――。

「っ」

 ふぅっと先ほどまで煙草を挟んでいた唇から出て来る煙。燻した匂いは好きではない。でも、彼の唇から吐き出される灰色の煙は嫌いではない。
 それでも煙に噎せて咳払いをする。噎せつつレオナをひと睨みしてから腕を振り解いて離れる。

「なんすか」
「お前も吸うか?」

 レオナはジャックのジャケットからシガレットケースを奪い見せながら言う。その誘いにジャックは眉間に皺を寄せて首を横に振る。

「吸わねぇ」
「相変わらず真面目なのか何なのか。知ってか? 副流煙の方が身体に悪いらしいぜ」
「なら止めろよ」
「誰が」

 鼻で笑ったレオナが煙を吹きかけてきた。もう一度流れてくる煙に咳き込みながら睨む。

「やめろって何度言えば分かるんすか?」
「はっ。何で俺がお前の願いを聞かなきゃなんねぇんだよ」

 「絶対やめねぇ」と意地悪く笑うレオナにジャックは喉を唸らせるが止める。この人に何か言って自分の願いを聞き受け入れられるわけない。
 代わりに深い溜息をついて腕を組んでそっぽを向いたときだった。
 軽い足どりを耳が拾う。ジャックは組んでいた腕を解いて、何度かピルピルと耳を動かすも他に音はない。そう。慣れた足音がひとつだけ。用心深く確認してから警戒を解く。

「帰って来ました」
「おう」

 音を確認したジャックは護衛として身構えることはない。レオナも気だるげな様子で警戒することもない。変わらず煙草を吹かしていると錆びた扉が開いた。

「お疲れさまっスぅ~」
「ラギー先輩、お疲れさまっす」

 現れたのは学生時代相変らず細身の上司になったハイエナの獣人ラギーだった。
 労いの言葉を返せばラギーはへらっと笑った。だが、次の瞬間には疲れた顔で肩を回し出した。それからレオナを見てラギーは徐にジャケットのポケットを探る。すぐに彼が何を探しているのか分かりジャックはジャケットの裏ポケットを探る。
 ジッポを取り出して準備万端となったときだった。ラギーが耳をピンと立てて不機嫌な声を上げた。

「あ゛~~切らしてらぁ」

 くしゃりと煙草の入っていたのだろう箱を潰してジャケットのポケットに戻す。
 ジャックは準備が無駄になったかと戻そうとした。それも束の間、ラギーがレオナを呼んだ。そちらに視線を向ければラギーは指をピンと一本立てた。

「貰ってもいいっスか?」
「おういいぜ」

 「そらよ」と言ってシガレットケースをラギーに投げて渡した。

「ちょ! レオナさん!」

 ラギーの非難の声にレオナは知らん顔。ジャックも一度されたことがあるが傷かつかないかと恐れたものだ。

「ったく、あんたの持ちもん全部高いんスから……全く、どれどれ」

 言いながらケースをパカと開けたラギーは素早く選んだ。それから古びたソファの前にあるペンキの禿げたローテーブルに滑らせる。滑ったシガレットケースが綺麗にレオナの前で止まった。
 器用なのか何なのかすげぇなと見ていると「ジャックくん」と呼ばれる。
 ラギーの方を見れば彼は煙草を何故か一本ではなく二本持っていた。

「一本じゃなかったんですか。随分と欲張りっすね」
「シシシ。ざーんねん。これはオレの分じゃなくて君の分すよ」
「え。あの俺は、」

 戸惑いながら「吸わないっすけど」と言う。でも、ラギーは垂れた大きな瞳を愉しげに細める。

「この間、したいやつあるって言ったっしょ。あれ、今やろうよ」
「え、あ、あれっすか?」

 キュウぅと上がる口角に数日前の記憶が蘇った。あの時もラギーの煙草はラスト一本でソレをすることが出来なかった。だが、何も今でなくても、と困惑に眉を下げていると不機嫌な声が割って入って来た。

「あァ? てめぇら、なぁに俺様抜きで話してんだ」

 不機嫌増し増しのレオナの声にジャックが顔を向ける。そこには先ほど吸っていた煙草をボロいローテーブルで消しているレオナがいた。
 ジャックはぎょっと目を剥いてから眉を顰めた。

「レオナさん! ちゃんと携帯灰皿持ってるんで言ってください!」
「めんどい。で、何を約束してんだ?」
「約束っていうか」

 苛立たしげに尻尾をソファにペシペシ殴るレオナ。それにジャックはラギーを見ると彼は愉しそうに笑って言う。

「シガレットキスっすよ。一度やってみたいねぇーって言ってたんスよ」

 ラギー独特の笑い方を横目にレオナの方角から痛い視線が突き刺さる。

「なんすか、レオナさん」
「俺もするぞ」
「さっき一本吸ったじゃないすか」
「まだあんだろうが」

 先ほどラギーが滑らせたシガレットケースを手にして蓋を開ける。そこにはまだ確かに数本残っている。

「吸い過ぎは身体によくない」
「うるせぇ」

 ついに零れた小言もレオナは意に介すことはなかった。溜息をつくとずいっと目の前に一本の煙草が現れた。

「はい。ジャックくんの分」
「はぁ」

 目をキラキラさせるラギーの手から煙草を取る。

「で、ラギー先輩からで?」
「はぁ? 俺からだろ、俺。俺はお前らの上司様だぜ」

 「だから、俺が先」と俺様ムーブをかますレオナにジャックは呆れる。ついっと下にいるラギーを見て「いいんすか?」と訊ねればラギーは肩をすくめた。

「仕方ないっしょ」
「はぁ。ラギー先輩の慈悲に感謝してくださいよ」
「なぁにアズールみてねぇなこと言ってんだ。いいからさっさと来い」

 苛立っているんだか、楽しんでいるだか。分からないが尻尾が楽しげに揺れているようなので後者なのだろう。
 ジャックはもう一度深い溜息をして彼に近づく。

「あ、俺から着けますか? それともレオナさんから?」
「どっちでも構いやしねぇよ」
「んじゃ。俺からあげます」

 言うや否や煙草を唇で挟み手にしていたままのジッポで火をつける。
 ふわりと鼻を擽る匂い。肺に取り込んだ煙は慣れず少し噎せながら吐き出す。

「ごほっ、ぐっ」
「相変わらず下手くそだな」
「ジャックくん、普段吸わないから。何かあったときのために吸い慣れていた方がいいっスよ」
「っす」

 ラギーの言う通り。何があるか分からない。もう少し練習しようと頷いてレオナを見る。

「ん」

 レオナはすでに準備万端であった。
 彼はソファに座ったままクイと顎を上げる。それはまるでキスを強請ったときのような角度で思わず緊張してしまう。

「ジャックくん。次はオレなんスからちゃくっとやっちゃって」
「おい、ラギぃ」
「う、うっす」

 ラギーの軽快な声と、レオナの唸る声に我に返ってぎこちなく頷く。
 ジャックはサクッと終わらそうとレオナに近づく。絶対に動かないという意志を感じるレオナの背中がぴったりとくっつくソファの背もたれに手をつく。
 身を屈めて煙草がぶれないように指で支えてレオナが咥えている煙草の先に火を移す。キスとはまた違う至近距離にまた心臓が煩くなる。
 早く火が移らないかと煙草の先を見ているとジっと音がした。少し煙草の咲を外して火が移ったのを確認してレオナから離れる。

「できました」
「ああ。よくデキました」

 ククと喉を震わせて再び煙を吹くレオナにひとつ悪態をつきたいがやめる。

「ラギー先輩」
「ハイ、ハーイ!」

 ぴょんと跳ねてから近づいて来るラギー。何だか学生の頃よりも学生らしい反応に唇が緩みそうになる。けれど、微笑ましそう顔をすると嫌そうに半眼になるのでしない。
 それにしても、だ。ラギーの身長は伸びて青年らしくなったが、どうにも童顔気味せいか煙草が似合わない。年下の自分がイケナイことをしているようだ。実際されているのは自分であったりするのに。
 微妙にズレた背徳感を感じていると腕を引かれた。見ればラギーが唇に煙草を挟んで準備万端の状態でいた。

「火ぃ、ちょーらい」

 童顔に似合わない男の顔つき。その強請られてしまえばジャックは拒めない。
 ジャックは軽く声で頷いてラギーに火を分け与えるために僅かに屈む。でも正面からではやり辛いからお互い顔を傾ける。これは本当にキスをしているみたいだ。それに唇で挟んでいる煙草は短くなっていてラギーとの距離も近い。先ほどのレオナより照れくさい。

 ジッと音がして火がついているのを見てゆっくりと離れる。顔に集まっている熱を冷まそうとしているとラギーを目が合う。
 彼は目尻をさらに下げて煙草を唇から離して言う。

「ジャックくんったら、今以上のことシてんのに初心っスねぇ」

 「かぁわいい、シシシ」と茶化すようなラギーに別の羞恥心が込み上げる。

「おい。なにテメェらだけで楽しんでだ」

 再び不機嫌な声の乱入である。先ほどの楽しそうな声は何処に。
 ジャックが不機嫌な王様を見ればシガレットキスで着けた煙草を消していた。

「何してんだ!」
「もう一回だ」

 再び新しい煙草を取り出すレオナにジャックは首を振る。それから携帯用の灰皿を取り出して煙草を消す。

「ジャぁック」
「駄目っす」

 じぃっと深緑の瞳を見るとレオナが舌打ちをして煙草を戻す。
 その様子をラギーはケラケラ笑う。それにレオナは苛立ったのか尻尾でソファを叩きながらラギーに噛みつく。

「ラギィ。てめぇ、分かっていて俺に先にさせたな」
「さぁ。何のことっスかねぇ」
「チッ。今度の仕事一人でしろ。いいな、決定」
「はぁ! 嫌っすよ! あれは絶対にジャックくんの補佐が欲しいっス」
「一人でしろ。その日、ジャックは俺の補佐に回す」
「はぁあ!」

 青筋を浮かべるラギーは煙草を床に落として苛立たしげに靴底で火を消す。それからふんぞり返るレオナに詰め寄って抗議を始める。だが、レオナは聞く耳を持たない。
 その二人を見てジャックは一人着いて行けない。
 何だかよく分らない方向に話しが進み出すが口を出さないが吉。そう二人と過ごした年月の勘が言う。なので、ジャックは大人しく静観することになった。


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