シグナル・シグナル
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急展開シグナル
ウィンターホリデーを迎えるまで数週間どこか身体が落ち着かなかった。ソワソワしながらも研修でヘマをしなかった自分を褒めてあげたい――なんて。
そもそも男の子とあれだけの触れ合いをしただけで落ち着かない私がダメ過ぎる。にしても、あれくらいの触れ合い恋人がいた頃にはたくさんしていた。
――たったあれくらいのことで。
自分の掌を見下ろす。そこにもう温もりはない。ないのだけれど、いまだに掌にはしっかりとケイトの掌の感触と体温をはっきりと覚えている。
今まで付き合って来た男の感触なんて覚えていない。だのに、恋人でもない可愛い後輩もとい友だちの男の感触を覚えているなんて。
「ッ、」
ふと思い出して体温が上がっていき、頬にまで熱が集まって来る。
もう1年近く恋人がいないから欲求不満なのか。それだったら自分の節操のなさが嫌になる。
「恋人……作ろうかしら」
けれど、来年はもう私はただの学生じゃない。大学に通いながら母に、父に倣って家業を学ぶことになる。そして、恋人は将来のブラッドベリー女伯爵の夫として注目が集まることになるだろう。だから容易に恋人なんて作れない。それが年下で、学生なんてダメだ。
「っ……」
年下の学生――私が脳裏に浮かべたのは〝ケイト〟だ。
自分の至った〝答え〟に驚愕する。いや、驚愕なんてしていない。たぶん、もう、分かっていた。分かっていたのに無視していた。
「駄目……駄目よ」
明確に鮮明になってしまった想いを慌てて掻き消す。
――大丈夫。消して、消して、消し続ければ。
こんなこともあったな、と思い出にできる。こんな学生時代の恋はいつか綺麗な思い出になって私の中に蓄積されていくに違いない。両親もきっとそうだった。いえ。両親だけじゃなくて先祖代々家を継ぐ者たちは恋を思い出にしてきた。
先祖ができて私ができないはずがない。私もできる。
「大丈夫、大丈夫よ」
そもそもこんな関係だって私が学生だけの間の関係だ。つまり、あと少しで終わる。終わる。
「終わっちゃうのかぁ」
込み上げる寂しさも――掻き消した。
* * *
あの日、ケイトと会った日に買ったシンプルな服を身に纏い、その上にコートを羽織る。そして、あの日と同じ駅に降り立つ。改札を抜けて待ち合わせ場所に向かおうとしたときだった。見覚えのある鮮やかなオレンジ色の髪があった。
「あら、」
随分と早いこと、と心の中で独り言ちる。
待ち合わせ場所にすでにケイトがいたのだ。いつも待ち合わせ時間に遅れはしないけれど、私より早く来ることは稀というかほとんどない。それがどうだ。今日は先にいる。
もしかしてすでに恋人らしい行動を発揮しているのかもしれない。なるほど。それなら納得できる。
私は一人納得して彼に近づくために、歩くとあることに気づく。
――ふぅん。やっぱりケイトってモテるのね。
彼とさして年齢が変わらない女の子たちがチラチラと見ているのが視界に入る。それともマジカメをしているからそれ伝いで知っている子たちかもしれない。
ふぅん、と見ながら意地悪な考えが浮かんですぐに自己嫌悪に陥る。
――はぁ。恋人らしく駆け寄ろうなんて考える意地悪なこと考えて嫌な女ね。
とはいえ、ケイトに近づかなければいけないのは確か。声をかけようか悩んでいる女の子たちには悪いけれど、と私は普通に歩いて彼に近づく。
「ケイト」
彼の名前を呼べばスマホに視線を落としていた視線が上がった。甘く垂れさがった新緑の瞳が私を捉えると目じりがさらにやわらぐと。
「アリア」
呼び返された名前はいつもの「アリアちゃん先輩」ではなかった。
たった、たった、名前を呼ばれただけで掻き消した想いが再び出てきそうになる。いけないと私はいつも通りの〝仮面〟を顔に装備することにした。
「あら。もう恋人役がスタートしてんの?」
いつもの仮面を顔に張り付けて可笑しそうに返す。それにケイトは八重歯を見せて「そう。どう?」と訊き返してくると思った。いや、そう願った。願ったのにそうはならなかった。
ケイトは両目を僅かばかり見開くと少しだけ寂しそうに微笑んだ。
その表情に胸がチクと痛んだのが嫌になると同時にそんな顔をしないで欲しかった。自分勝手な感情に振り回されそうになる。それがまた嫌になりながら私は彼の表情に気づかないことにした。
「そういえば。今日の私どうかしら?」
空気を換えるように言えばケイトは寂し気な表情を引っ込めていつも通りの顔をする。
「似合ってるに決まってんじゃん。バッチし!」
「ありがとう。ケイトも素敵よ」
「ありがと♪」
ケイトのオレンジ色の髪によく似合うチェックの可愛いマフラー。アイテムを使うのがほんとに上手い。「よく似合っている」ともう一度言えば彼はいつものように八重歯を見せて笑う。
「なんかそこまでアリアちゃん先輩に褒められるのもなんか照れるな」
「あら。戻しちゃうの?」
名前がいつも通りに戻ったことをからかい気味に指摘してみる。別に名前を呼び捨てで呼ばれたからじゃない。きっと、いつも通りの私ならこうしてからかうから。突っ込まない方が可笑しい。だから。からかい気味に言いながらつついてみる。
ケイトは一瞬だけ困惑気味な表情を見せる。でも、本当に本当のところを隠すのが上手い彼はすぐに照れた表情を作った。
「や。なんか照れちゃって。でも、平気、へーいき! なんとかなるって!」
「そう。ならケイトに任せるわ」
言いながらさも今思い出したように声を上げる。
私は念入りに手入れをして手を彼に差し出す。
「手は、握りましょう」
「どこから見られているか分からないでしょ」なんてもっともらしい理由を付け足す。なら今この瞬間に見られているかもしれないだろう。あれだけケイトに粘着しているのだから。でも、それに気づかない。いや、彼はきっと気づいているだろう。賢い男の子だもの。
差し出した手をケイトは見て大人びた笑みを一瞬浮かべて八重歯を覗かせた。
「恋人らしく、だもんね」
「ええ。そうよ。それにこないだせっかく練習したじゃない」
「一回こっきりね」
眉を下げて笑いながら私が差し出した手をケイトが取った。
触れた手の温もりは、絡んだ指の無骨さ。以前よりもしっかりと感じるような気がする。するりと重なり絡んだ手をぎゅっと握り返すと同じくらい返された。
前の、初めて繋いだときは恥ずかしかったのに今はたまらなくなり寂しくなる。どうして寂しくなるのか。不思議なここちだけれど、何となく今日が終わりだと思うからだろう。
今日が終わり。ケイトの友達としての関係を終える。
何となく決めていたこと。どうせこれから研修で大変な時期になる。気軽なやり取りでさえ億劫になるに違いない。そうしたらあっという間に学校を卒業して故郷に私は戻る。大学には進むつもりだけれど家業を学ばなければいけないから忙しい。
いい区切りだと思った。この気持ちを掻き消すのだってタイミングがいい。
「今日、終わったら軽くお茶でもしましょう」
「お。いいね! そうだ。ちょうどいい時期だしイルミネーションでも見てから帰ろう」
イルミネーションって。時間は14時を過ぎた時間。輝石の国のこの辺りだったら暗くなる時間は16時頃。それまでイルミネーションはないだろう。いや、でも、相手が手ごわかったらディナーになる可能性はある。
「もしかしたらディナーの時間になっちゃうかもね」
まるで私の頭の中を覗き込んだようなケイトを見上げる。彼は楽しそうにしていた。何がと口を開こうとしたら彼は逃げるように前を向いてしまった。
「さ。早く終わって映える場所巡りしよ!」
「……そっちが主な目的ね」
「へへ。バレた」
「バレバレよ」
なんだ、と思いながら私は笑って彼と同じように前を向いた。
* * *
待ち合わせ場所のカフェに入る。ケイトと一緒にコーヒーを注文して部屋の奥へと向かう。そこに見覚えのある女の子がいた。
女の子は可愛らしい瞳で私をねめつけた。思い出した〝件 〟の子だ。
どうやら先に来ていたらしい。
「ごめん。待たせたね」
謝罪しようかと思って開きかけた口を閉じる。久々に聞いたケイトの他人行儀な声音。他人を寄せ付けない余所余所しさが滲んだ声に彼女は気づいたのかしら。
そっと伺えば傷つきましたという顔をしていた。どうやらあからさまなケイトの態度はちゃんと分かっているらしい。
にしても、傷ついたときの表情がなんかあまり、こう、いい気分しない。これは可哀そうとかそういうのではなくて、なんか、この女の子もしかしたら他の子に好かれないタイプな気がしてきた。
女子を敵に回す系女子みたいな。そんな気がしてきた。
「座ったら」
ぷるんとした唇を動かして言われた。私は一応ケイトを見るとパチと目が合って頷かれた。
「アリア。先に座って」
「ありがとう」
さらっと名前を呼ばれて心臓が少しだけ騒ぐ。何とか頬が熱くなるのを阻止しながらソファに座る。そして、ケイトも座ると「この人がオレの恋人のアリア」とあっさりと答える。
早っ、と思いながら私は令嬢教育で培った綺麗で上品な笑みを微笑む。
「初めまして、ケイトの恋人の――」
「随分派手な年上 のお姉さんね」
一瞬だけ口角が引き攣りそうになった。それを令嬢根性で何とか耐えて挨拶を続ける。けれど、女の子は私の挨拶を綺麗に無視する。
――いい性格しているじゃないの。
何とか上品な令嬢の表情を取り繕って目の前の女の子を改めて観察する。けれど、さっそく女の子に睨みつけられてしまった。
あれかしら。何ガン飛ばしてんのよって意味合いかしら。そういう意味はないのだけれど、私は微笑んで少しだけ視線を下げて威嚇にならないようにしてあげる。
さっきの悲劇性を横に置いても、以前ケイトに見せてもらった写真から印象は大きく外れない。でも、今日はちょっと写真とは違う趣を感じた。
適度に流行りを取り入れたファッションではあるけれど今日はことさら甘い服装だ。あと、もともと愛らしい顔に施されたメイクはより愛らしさと庇護欲をそそるようなものになっている。何よりも小さい唇は桃色にぷるぷるしている。下を向いているついでにちょこんとテーブルに出ている小さな爪を見ると淡いピンク色で愛らしい。さっき見た肩より長い髪は綺麗に巻いて艶々していたし、最後に大きくて丸い瞳は庇護欲を刺激するように潤んでいた気がする。
最後はケイトに冷たくあしらわれたからかもしれないけれど。
にしても、今日の彼女は傍から見ればあまり女子受けがよくない気がする。完全に恋人とか狙った男受けを狙ったファッション。悪くないわね。
あとは――自分自身の若さも武器と思っている。だから、たった数歳しか変わらない私をおばさんと呼べる。あんたもいつかこの年齢になるのに。
――にしても、彼女たぶん私が偽物の恋人って分かってるでしょうね。
恋する女の勘って鋭いから。だから余裕があったんだと思うんだけど、ケイトはつんけんとした態度をしてくる。なのに私には甘さを滲ませた態度を見せる。
――僅かな焦りはあるんでしょうね。
チラと視線を上げて彼女を見る。ぷるんとした愛らしい唇は不満をありありと表して歪んでいる。そんな唇を曲げていたら癖がついちゃうわよ、なんて心配なんてしてやらないし、言わない。言ったところで難癖付けられたと思ってキャンキャン噛みついて来るだろうし。
――これからどうするのかしら。
本気で戦いを挑みにというかケイトを奪いに来たであろう彼女の相手は面倒くさそう。チラと横目で私を恋人役に選んだケイトを見ればいつにない横顔があった。
いつも八重歯が見える可愛い笑みを引っ込めて、形のいい唇を引き結んでいる。真剣な表情というのだろうか。
――かっこいいわね。
いつものようにポンパドールではない下ろした髪が、大人っぽく見せているのかもしれない。年下の男の子にドキドキするなんて罪深い。罪を犯しているような気持ちになりかけているとドンと音がする。
前を見れば小さな手で拳を作って想像していた通りにテーブルを叩いていた。綺麗にメイクされた可愛らしい顔が歪んでいる。
嫉妬丸出しの姿はあの粘着質なマジカメの行動とぴったり似合っている。
――褒めもしないケイトの様子から自分に気がないのは勘づいているのね。
嫉妬が滲み出る表情。どうも大した策はないみたい。ちょっとあれだけ粘着質に絡んでいたんだからもっと頭使いなさいよ。それともこれくらいの年頃だったらこんなものなのかしら。
――いや。後輩たちを見ればもっと頭が切れる気がする。
とはいっても、後輩たちはこんな無様な姿を晒す前に口説き落としている可能性がたかいけれど。だから、だろうか。目の前の女の子の詰の甘さに落胆する。
自分に自信があるのはマジカメや今の姿から窺える。もしかして自分の容姿だけで今日口説き落とせると思ったのか。それだったらとんだ自信家だ。
彼女に呆れていると「あの」と話しかけてきた。「なにかしら」と令嬢らしく優雅に訪ね返す。
「あなたとケイトくんが付き合うのって犯罪じゃない?」
イライラしながら綺麗に手入れされた淡いピンク色の爪でテーブルを叩き始める。それ爪が悪くなりそうって思いながら私は微笑む。
「貴方。私を随分年上そうのお姉さんって呼んだけれど、これでも10代なのよね」
「……嘘でしょ」
流石にこれには怪訝に思ったのか綺麗に整えた眉を顰める女の子。
失礼千万過ぎて唇の端がひきつって攣りそうになる。もうどうにかして欲しいとケイトを見れば引き結んでいた唇で薄く微笑んでいた。
「嘘じゃないよ。オレとアリアは同じ学生」
「学生ぃ?」
さらに怪しく思ったのか疑いの色を宿しながら私をまじまじと見てくる。
――好きな人の言葉くらい信じなさいよ。
探るように見つめられる。でも、彼女は私の実年齢より年上に見える容姿からどうしても信じられない様子。
――もう私にどうしろっていうのかしら。いっそ免許証でも見せる?
刺々しい視線に疲れてきた。きっと彼女は私が偽物の恋人だと思うから引かない。とういか、こういう人間が来るってことから付き合う気ないって思わないの。嫌われているとか。ほんとに自信があるのね。それともケイトに盲目になっているのかしら。恋は人を盲目にするし。
小さくため息を洩らすと「アリア」と柔らかい声で名前を呼ばれる。慣れない呼ばれ方と少しいつもより低い声に心臓が少しだけ跳ねる。でも、それをおくびに出さずに彼を見る。
――あれ、近い?
綺麗な新緑の瞳が結構近いところにある。隣に座っていたから近いとは思っていた。でも、なんでこんな近くにケイトの顔があるのかしら。
あと少しケイトが顔を寄せたらキスだってできそうな距離にドキドキしてしまう。
――これも何かの作戦なのかしら。
何も聞かされていないからどう動いていいか分からない。本来ならケイトの作戦をくみ取れればいいのだけれど、残念になって私の思考回路が働かない。
必死に頬に熱が集まらないようにしながら見つめ続けていると瞳がふっと笑う。
「まつ毛付いているよ」
「んぅっ」
目元を指で軽くさっと擦られる。乾いた指の腹の感触に反射的に目を瞑ると同時に声が洩れる。ちょっと恥ずかしい声だった気がする。
「ん。取れたよ」
「あ、ありがとう」
離れるケイトはにこにこして八重歯が見えている。可愛い笑顔とさっきのちょっとよく分からないやり取りに私の心臓はちょっと忙しない。
「でさ、もういいかな?」
ケイトが瞳から温度を失せながらもにこにこ笑ったまま前を向く。
私も倣って前を向くと唇を噛む女の子がいた。
――もしかして今のやり取り羨ましかったの?
嘘でしょ。そんなまさか。たったあれだけでそこまで悔しくなるなんて単純すぎやしない。いや、なんか。魔法士養成学校に通っていない女の子ってこんなもんなのかしら。分からない。
肩透かしを食らったというのか。呆然と女の子を見ていると肩を軽く叩かれる。
「アリア。行こう」
「え、でも、」
コートとマフラーを片手にしたケイトがすでに席から立っていた。私は女の子を見る。女の子はさらに深く俯いてその拍子で垂れた前髪で顔の様子が伺えなくなっていた。先ほどよりもうんと小さいその姿が哀れで、惨めだった。
――ああ。早く立ち去らないと。
こんな姿見られていたくないはず。私はケイトを見て頷いてコートを片手に席を立つ。
ほとんど飲まれることのなかったコーヒーと、鼻を啜る女の子を置いてカフェを出た。
* * *
家族連れ、恋人同士、友達同士で賑わう大通り。想像していたより早く終わったため街のイルミネーションの輝きはない。
その中をケイトと並んで歩きながら私は呆然としていた。
恋人のふりはあっけなく終わってしまった。あんな。あんな、あっさりと引くなんて思わなかった。今までの粘着質はどこに行ったの。もっと根性みせろよ。
「張り合いがなかった?」
「水というか、何かかけられると思ったの」
「なにそれ」と笑うケイトの横顔はいつもの彼だ。可愛らしい年下の男の子。
さっきまで見ていた罪深く思ってほしいまでドキドキさせる男らしい横顔はない。いつも通りの彼に安心して私はため息をつく。
「そんなに緊張した?」
「緊張というか。これでも色々考えていたのよ」
「ん? 例えば?」
楽しんでいる様子の声にむっとしながら想定していた質問をやけくそ気味に口にする。
「ケイトのどこが好きなのって聞かれたら答える気満々だったのよ」
といっても、実際に改めて私がケイトを好きなところなんだけれどね。これを本気で、最後の想いとして吐き出せば彼女も信じると思った。でも、お披露目することはなかった。きっとこれからもないだろうけれど。
「へぇ。オレの好きなとこかぁ……ね。せっかくだし聞かせてよ」
「は?」
咄嗟にケイトを見ればやっぱり楽し気だった。新緑の瞳が日の光を浴びるようにキラキラしている。季節外れの瞳を見ながら私は確かに、と頭に過る。
「そうね。せっかくだしね」
「そうそう。せっかくだからさ」
八重歯を覗かせながら頷くケイトに肩の力が抜ける。私は指を折りながら教えてあげることにする。
「まずやっぱり瞳。楽しそうにキラキラしている瞳が好きでずっと見ていたくなるわ」
次ね、と次の指を折る。
「笑うときに八重歯が見えるのが可愛くて好き。あ、笑うときに目尻がもっと下がるのも好き」
次は、と指折る。
「オレンジ色の柔らかい髪も好き。触りたくなる髪質よね」
さて次、と指折る。
「声が好きよ。私の名前を呼びときにちょっと語尾が甘いの。そこが可愛いくて好き」
掠れたときの声を想像しかけたのは私だけの秘密だから言わない。だってこれはさすがに引かれる。最後の最後に嫌われたくないもの。
さて、まだ、まだ、と指折る。
「くるくる回る表情が好き。さっきの八重歯と目尻にも繋がるわね。笑ったときに見える。その笑ったときが好きよ」
ん。これは重複になるのかしら。けれど、ちょっと違うカテゴリーよね。よし。
一人納得して5本指がすべてなくなる。今度は逆からね。私は指をピンと今度は真っすぐにする。
「なんでも気づいてくれるケイトが好き」
周りをよく見ている貴方。疲れちゃわないかと思う。私の前くらいと思ったこともあるけれど、私はきっと貴方にとってそういう対象じゃないと今思えば落ち込んだ。
「そういえばね。貴方、たまにすごく静かになるの。でも静かなケイトも素敵で好きよ」
エネルギー切れのような。キラキラしている瞳がそのときは静かに佇む木々の葉のようになる。静かでちょっと消えそうなケイト。引き留めても駄目そうだなといつも無力になる。ピンと指を真っすぐにする。
「横顔が好き。可愛くてかっこよくて好き」
さっき気づいたけれど真剣なときの貴方の横顔はドキドキするくらいかっこいいの。可愛い横顔ばかり見ていたのに今になってそんなところ見せるなんて卑怯よね。
はぁ、と少し息継ぎをする。口から出た息が震えた気がしたけれど気の所為よ。
私は指をピンと真っすぐにする。
「私を見るときの眼差しが好き」
ほんとはもっと見てほしいと思う。とくに別れ際とかにはね。
改めて考えているときにも思ったけれど私は結構前から貴方が好きなの。そんなことを考えながらピンと指をまた立てる。
「手が好き。これも王道だけれど手はやっぱり好きよ」
重ねた大きい手のひら。指を絡めたときの指。少し乾いていた気がするけれど私の手が汗かいていたのかも。いやね。
最後にぱっと指を広げて口を動かすけれど――はく、と空気を食うようにしか動かなかった。早く言わない、と最後のこれが肝心なのよ。
「……っ、あ、あなたの全部が好き」
震えた声に私の滲み出た恋情の誤魔化しはきっと利かない。でも、きっと、ケイトは優しいから上手くフォローしてくれる。最後の最後に年下の彼に甘えてしまう自分が心底嫌になる。自己嫌悪に陥りかけつつもケイトの方をチラと見ると――。
「ケイト、顔真っ赤よ。赤い薔薇並み」
「や、あ~、ちょっと待って」
私の視線に気づいたケイトが逃げるように顔の半分を手のひらで覆う。それでも真っ赤な耳は隠れてないし。目元のまで真っ赤だから意味がない。マフラーで隠れている首も真っ赤なんじゃないのかしら。
まじまじと見ているとケイトの新緑の瞳が私を捉える。
「み、見ないでくれると嬉しいなぁ」
「いやよ。今のケイト可愛いからちゃんと見ておかないと」
「や、男の矜持とかさ」
「わぁ。ケイトらしくないこと言うわね」
「うぅ。あ~もう」
へにょへにょになりながらケイトは顔から手を放す。白い頬を赤く染めながらちょっと睨んでくる。そんな顔で睨まれてもね。可愛いだけよ。
さっきまでのしんみりからケイトのおかげで今は元気いっぱいよ。これなら別れも辛くないわ。
「これならあの子に言ったら信じてもらえそうね」
すると、今度は神妙な顔をして「んー」と声を出す。何、何、と首を傾げるとへらっといつも彼らしく笑った。
「なら、あそこで引いてくれてよかったかも。今の聞かれるのはもったいない」
「なによ。もったいないって」
意味わからないと笑うと頬に赤みを持ったままケイトが今度は嬉しそうに笑う。
「だって、アリアちゃんの告白はやっぱりオレだけ聞いてればいいっしょ」
告白、という言葉に今度は私の顔が熱くなる番だった。
ケイトはしてやったりという顔で口角を上げながら体を寄せてくる。
「どう聞いても告白だとオレは思ったんだけど」
「だ、だって、恋人のふりなんだもの。あれくらい」
「ふり、のため?」
逃げるように顔を逸らした私を追いかけるように覗き込んでくるケイト。
そのときの顔はさっきみたカフェの罪深い横顔に似ていた。
「アリアちゃん先輩はずるいよね」
「ずるい……」
何が、と訊き返そうにも何となく彼が言わんとしていることが分かる。
そうね。私はずるいわ。言い逃げするつもりだった。彼もそれを察知していたんだと思う。でも、仕方ないじゃない。
「察しているならいつものあんたらしく察したまま放置して頂戴」
「今回はさすがに見過ごせないよ」
「見過ごして」
「ムリ」
引き下がらない強情な様子を見せるケイトを睨む。どうしたいの、とさらに視線に込めると新緑の双眸を細めて――。
「付き合う、オレら?」
「ふざけないで」
間髪入れず返す。その語尾が震えるのは多分怒りだと思う。
「私は伯爵家の一人娘よ。来年は大学進学して家業にもかかわっていく。きっとすぐに相手の選定も始まるわ」
今の時代、家同士なんてない。でも、相手は自由であっても自由ではない。もし本当に自由に選んでいいと言われても余計にケイトを選べない。選べないわ。
「学生で、年下の、あんたを選べるわけないでしょ」
だからバイバイするのよ。私はケイトを無視して歩こうとしたけれどできなかった。ケイトが私の腰に腕を回して引き留めたから。
「ちょっと!」
「いや、アリアちゃん先輩。普通にぶつかるから」
「え。あ、ああ……ありがとう」
確かにちょうど人が込み入る場所に私は突入しようとしていた。危ない。これは素直にケイトに感謝しないと、と素直に言葉が出る。
「じゃ。ちょっと話そうか」
「……」
ぐっと腰を抱かれていい笑顔を向けられる。これは、この笑顔を見るとナイトレイブンカレッジの生徒だなって純粋に思う。
「今の話はおわ――」
「終わってないから」
笑みを深めるのに目が笑っていない。私はどこに連れていかれるのか。分からないままケイトが「こっち」という方向に連れていかれることになった。
――これなら告白なんてしなければよかった。
時すでに遅しなのは分かるけれど、今すぐに時間を巻き戻す魔法が付けたらと思わずにはいられなかった。そして、私は一体これからどのようにしてケイトにやり込められるのか。それをどう切りにけるか頭を使うことにした。
ウィンターホリデーを迎えるまで数週間どこか身体が落ち着かなかった。ソワソワしながらも研修でヘマをしなかった自分を褒めてあげたい――なんて。
そもそも男の子とあれだけの触れ合いをしただけで落ち着かない私がダメ過ぎる。にしても、あれくらいの触れ合い恋人がいた頃にはたくさんしていた。
――たったあれくらいのことで。
自分の掌を見下ろす。そこにもう温もりはない。ないのだけれど、いまだに掌にはしっかりとケイトの掌の感触と体温をはっきりと覚えている。
今まで付き合って来た男の感触なんて覚えていない。だのに、恋人でもない可愛い後輩もとい友だちの男の感触を覚えているなんて。
「ッ、」
ふと思い出して体温が上がっていき、頬にまで熱が集まって来る。
もう1年近く恋人がいないから欲求不満なのか。それだったら自分の節操のなさが嫌になる。
「恋人……作ろうかしら」
けれど、来年はもう私はただの学生じゃない。大学に通いながら母に、父に倣って家業を学ぶことになる。そして、恋人は将来のブラッドベリー女伯爵の夫として注目が集まることになるだろう。だから容易に恋人なんて作れない。それが年下で、学生なんてダメだ。
「っ……」
年下の学生――私が脳裏に浮かべたのは〝ケイト〟だ。
自分の至った〝答え〟に驚愕する。いや、驚愕なんてしていない。たぶん、もう、分かっていた。分かっていたのに無視していた。
「駄目……駄目よ」
明確に鮮明になってしまった想いを慌てて掻き消す。
――大丈夫。消して、消して、消し続ければ。
こんなこともあったな、と思い出にできる。こんな学生時代の恋はいつか綺麗な思い出になって私の中に蓄積されていくに違いない。両親もきっとそうだった。いえ。両親だけじゃなくて先祖代々家を継ぐ者たちは恋を思い出にしてきた。
先祖ができて私ができないはずがない。私もできる。
「大丈夫、大丈夫よ」
そもそもこんな関係だって私が学生だけの間の関係だ。つまり、あと少しで終わる。終わる。
「終わっちゃうのかぁ」
込み上げる寂しさも――掻き消した。
* * *
あの日、ケイトと会った日に買ったシンプルな服を身に纏い、その上にコートを羽織る。そして、あの日と同じ駅に降り立つ。改札を抜けて待ち合わせ場所に向かおうとしたときだった。見覚えのある鮮やかなオレンジ色の髪があった。
「あら、」
随分と早いこと、と心の中で独り言ちる。
待ち合わせ場所にすでにケイトがいたのだ。いつも待ち合わせ時間に遅れはしないけれど、私より早く来ることは稀というかほとんどない。それがどうだ。今日は先にいる。
もしかしてすでに恋人らしい行動を発揮しているのかもしれない。なるほど。それなら納得できる。
私は一人納得して彼に近づくために、歩くとあることに気づく。
――ふぅん。やっぱりケイトってモテるのね。
彼とさして年齢が変わらない女の子たちがチラチラと見ているのが視界に入る。それともマジカメをしているからそれ伝いで知っている子たちかもしれない。
ふぅん、と見ながら意地悪な考えが浮かんですぐに自己嫌悪に陥る。
――はぁ。恋人らしく駆け寄ろうなんて考える意地悪なこと考えて嫌な女ね。
とはいえ、ケイトに近づかなければいけないのは確か。声をかけようか悩んでいる女の子たちには悪いけれど、と私は普通に歩いて彼に近づく。
「ケイト」
彼の名前を呼べばスマホに視線を落としていた視線が上がった。甘く垂れさがった新緑の瞳が私を捉えると目じりがさらにやわらぐと。
「アリア」
呼び返された名前はいつもの「アリアちゃん先輩」ではなかった。
たった、たった、名前を呼ばれただけで掻き消した想いが再び出てきそうになる。いけないと私はいつも通りの〝仮面〟を顔に装備することにした。
「あら。もう恋人役がスタートしてんの?」
いつもの仮面を顔に張り付けて可笑しそうに返す。それにケイトは八重歯を見せて「そう。どう?」と訊き返してくると思った。いや、そう願った。願ったのにそうはならなかった。
ケイトは両目を僅かばかり見開くと少しだけ寂しそうに微笑んだ。
その表情に胸がチクと痛んだのが嫌になると同時にそんな顔をしないで欲しかった。自分勝手な感情に振り回されそうになる。それがまた嫌になりながら私は彼の表情に気づかないことにした。
「そういえば。今日の私どうかしら?」
空気を換えるように言えばケイトは寂し気な表情を引っ込めていつも通りの顔をする。
「似合ってるに決まってんじゃん。バッチし!」
「ありがとう。ケイトも素敵よ」
「ありがと♪」
ケイトのオレンジ色の髪によく似合うチェックの可愛いマフラー。アイテムを使うのがほんとに上手い。「よく似合っている」ともう一度言えば彼はいつものように八重歯を見せて笑う。
「なんかそこまでアリアちゃん先輩に褒められるのもなんか照れるな」
「あら。戻しちゃうの?」
名前がいつも通りに戻ったことをからかい気味に指摘してみる。別に名前を呼び捨てで呼ばれたからじゃない。きっと、いつも通りの私ならこうしてからかうから。突っ込まない方が可笑しい。だから。からかい気味に言いながらつついてみる。
ケイトは一瞬だけ困惑気味な表情を見せる。でも、本当に本当のところを隠すのが上手い彼はすぐに照れた表情を作った。
「や。なんか照れちゃって。でも、平気、へーいき! なんとかなるって!」
「そう。ならケイトに任せるわ」
言いながらさも今思い出したように声を上げる。
私は念入りに手入れをして手を彼に差し出す。
「手は、握りましょう」
「どこから見られているか分からないでしょ」なんてもっともらしい理由を付け足す。なら今この瞬間に見られているかもしれないだろう。あれだけケイトに粘着しているのだから。でも、それに気づかない。いや、彼はきっと気づいているだろう。賢い男の子だもの。
差し出した手をケイトは見て大人びた笑みを一瞬浮かべて八重歯を覗かせた。
「恋人らしく、だもんね」
「ええ。そうよ。それにこないだせっかく練習したじゃない」
「一回こっきりね」
眉を下げて笑いながら私が差し出した手をケイトが取った。
触れた手の温もりは、絡んだ指の無骨さ。以前よりもしっかりと感じるような気がする。するりと重なり絡んだ手をぎゅっと握り返すと同じくらい返された。
前の、初めて繋いだときは恥ずかしかったのに今はたまらなくなり寂しくなる。どうして寂しくなるのか。不思議なここちだけれど、何となく今日が終わりだと思うからだろう。
今日が終わり。ケイトの友達としての関係を終える。
何となく決めていたこと。どうせこれから研修で大変な時期になる。気軽なやり取りでさえ億劫になるに違いない。そうしたらあっという間に学校を卒業して故郷に私は戻る。大学には進むつもりだけれど家業を学ばなければいけないから忙しい。
いい区切りだと思った。この気持ちを掻き消すのだってタイミングがいい。
「今日、終わったら軽くお茶でもしましょう」
「お。いいね! そうだ。ちょうどいい時期だしイルミネーションでも見てから帰ろう」
イルミネーションって。時間は14時を過ぎた時間。輝石の国のこの辺りだったら暗くなる時間は16時頃。それまでイルミネーションはないだろう。いや、でも、相手が手ごわかったらディナーになる可能性はある。
「もしかしたらディナーの時間になっちゃうかもね」
まるで私の頭の中を覗き込んだようなケイトを見上げる。彼は楽しそうにしていた。何がと口を開こうとしたら彼は逃げるように前を向いてしまった。
「さ。早く終わって映える場所巡りしよ!」
「……そっちが主な目的ね」
「へへ。バレた」
「バレバレよ」
なんだ、と思いながら私は笑って彼と同じように前を向いた。
* * *
待ち合わせ場所のカフェに入る。ケイトと一緒にコーヒーを注文して部屋の奥へと向かう。そこに見覚えのある女の子がいた。
女の子は可愛らしい瞳で私をねめつけた。思い出した〝
どうやら先に来ていたらしい。
「ごめん。待たせたね」
謝罪しようかと思って開きかけた口を閉じる。久々に聞いたケイトの他人行儀な声音。他人を寄せ付けない余所余所しさが滲んだ声に彼女は気づいたのかしら。
そっと伺えば傷つきましたという顔をしていた。どうやらあからさまなケイトの態度はちゃんと分かっているらしい。
にしても、傷ついたときの表情がなんかあまり、こう、いい気分しない。これは可哀そうとかそういうのではなくて、なんか、この女の子もしかしたら他の子に好かれないタイプな気がしてきた。
女子を敵に回す系女子みたいな。そんな気がしてきた。
「座ったら」
ぷるんとした唇を動かして言われた。私は一応ケイトを見るとパチと目が合って頷かれた。
「アリア。先に座って」
「ありがとう」
さらっと名前を呼ばれて心臓が少しだけ騒ぐ。何とか頬が熱くなるのを阻止しながらソファに座る。そして、ケイトも座ると「この人がオレの恋人のアリア」とあっさりと答える。
早っ、と思いながら私は令嬢教育で培った綺麗で上品な笑みを微笑む。
「初めまして、ケイトの恋人の――」
「随分派手な
一瞬だけ口角が引き攣りそうになった。それを令嬢根性で何とか耐えて挨拶を続ける。けれど、女の子は私の挨拶を綺麗に無視する。
――いい性格しているじゃないの。
何とか上品な令嬢の表情を取り繕って目の前の女の子を改めて観察する。けれど、さっそく女の子に睨みつけられてしまった。
あれかしら。何ガン飛ばしてんのよって意味合いかしら。そういう意味はないのだけれど、私は微笑んで少しだけ視線を下げて威嚇にならないようにしてあげる。
さっきの悲劇性を横に置いても、以前ケイトに見せてもらった写真から印象は大きく外れない。でも、今日はちょっと写真とは違う趣を感じた。
適度に流行りを取り入れたファッションではあるけれど今日はことさら甘い服装だ。あと、もともと愛らしい顔に施されたメイクはより愛らしさと庇護欲をそそるようなものになっている。何よりも小さい唇は桃色にぷるぷるしている。下を向いているついでにちょこんとテーブルに出ている小さな爪を見ると淡いピンク色で愛らしい。さっき見た肩より長い髪は綺麗に巻いて艶々していたし、最後に大きくて丸い瞳は庇護欲を刺激するように潤んでいた気がする。
最後はケイトに冷たくあしらわれたからかもしれないけれど。
にしても、今日の彼女は傍から見ればあまり女子受けがよくない気がする。完全に恋人とか狙った男受けを狙ったファッション。悪くないわね。
あとは――自分自身の若さも武器と思っている。だから、たった数歳しか変わらない私をおばさんと呼べる。あんたもいつかこの年齢になるのに。
――にしても、彼女たぶん私が偽物の恋人って分かってるでしょうね。
恋する女の勘って鋭いから。だから余裕があったんだと思うんだけど、ケイトはつんけんとした態度をしてくる。なのに私には甘さを滲ませた態度を見せる。
――僅かな焦りはあるんでしょうね。
チラと視線を上げて彼女を見る。ぷるんとした愛らしい唇は不満をありありと表して歪んでいる。そんな唇を曲げていたら癖がついちゃうわよ、なんて心配なんてしてやらないし、言わない。言ったところで難癖付けられたと思ってキャンキャン噛みついて来るだろうし。
――これからどうするのかしら。
本気で戦いを挑みにというかケイトを奪いに来たであろう彼女の相手は面倒くさそう。チラと横目で私を恋人役に選んだケイトを見ればいつにない横顔があった。
いつも八重歯が見える可愛い笑みを引っ込めて、形のいい唇を引き結んでいる。真剣な表情というのだろうか。
――かっこいいわね。
いつものようにポンパドールではない下ろした髪が、大人っぽく見せているのかもしれない。年下の男の子にドキドキするなんて罪深い。罪を犯しているような気持ちになりかけているとドンと音がする。
前を見れば小さな手で拳を作って想像していた通りにテーブルを叩いていた。綺麗にメイクされた可愛らしい顔が歪んでいる。
嫉妬丸出しの姿はあの粘着質なマジカメの行動とぴったり似合っている。
――褒めもしないケイトの様子から自分に気がないのは勘づいているのね。
嫉妬が滲み出る表情。どうも大した策はないみたい。ちょっとあれだけ粘着質に絡んでいたんだからもっと頭使いなさいよ。それともこれくらいの年頃だったらこんなものなのかしら。
――いや。後輩たちを見ればもっと頭が切れる気がする。
とはいっても、後輩たちはこんな無様な姿を晒す前に口説き落としている可能性がたかいけれど。だから、だろうか。目の前の女の子の詰の甘さに落胆する。
自分に自信があるのはマジカメや今の姿から窺える。もしかして自分の容姿だけで今日口説き落とせると思ったのか。それだったらとんだ自信家だ。
彼女に呆れていると「あの」と話しかけてきた。「なにかしら」と令嬢らしく優雅に訪ね返す。
「あなたとケイトくんが付き合うのって犯罪じゃない?」
イライラしながら綺麗に手入れされた淡いピンク色の爪でテーブルを叩き始める。それ爪が悪くなりそうって思いながら私は微笑む。
「貴方。私を随分年上そうのお姉さんって呼んだけれど、これでも10代なのよね」
「……嘘でしょ」
流石にこれには怪訝に思ったのか綺麗に整えた眉を顰める女の子。
失礼千万過ぎて唇の端がひきつって攣りそうになる。もうどうにかして欲しいとケイトを見れば引き結んでいた唇で薄く微笑んでいた。
「嘘じゃないよ。オレとアリアは同じ学生」
「学生ぃ?」
さらに怪しく思ったのか疑いの色を宿しながら私をまじまじと見てくる。
――好きな人の言葉くらい信じなさいよ。
探るように見つめられる。でも、彼女は私の実年齢より年上に見える容姿からどうしても信じられない様子。
――もう私にどうしろっていうのかしら。いっそ免許証でも見せる?
刺々しい視線に疲れてきた。きっと彼女は私が偽物の恋人だと思うから引かない。とういか、こういう人間が来るってことから付き合う気ないって思わないの。嫌われているとか。ほんとに自信があるのね。それともケイトに盲目になっているのかしら。恋は人を盲目にするし。
小さくため息を洩らすと「アリア」と柔らかい声で名前を呼ばれる。慣れない呼ばれ方と少しいつもより低い声に心臓が少しだけ跳ねる。でも、それをおくびに出さずに彼を見る。
――あれ、近い?
綺麗な新緑の瞳が結構近いところにある。隣に座っていたから近いとは思っていた。でも、なんでこんな近くにケイトの顔があるのかしら。
あと少しケイトが顔を寄せたらキスだってできそうな距離にドキドキしてしまう。
――これも何かの作戦なのかしら。
何も聞かされていないからどう動いていいか分からない。本来ならケイトの作戦をくみ取れればいいのだけれど、残念になって私の思考回路が働かない。
必死に頬に熱が集まらないようにしながら見つめ続けていると瞳がふっと笑う。
「まつ毛付いているよ」
「んぅっ」
目元を指で軽くさっと擦られる。乾いた指の腹の感触に反射的に目を瞑ると同時に声が洩れる。ちょっと恥ずかしい声だった気がする。
「ん。取れたよ」
「あ、ありがとう」
離れるケイトはにこにこして八重歯が見えている。可愛い笑顔とさっきのちょっとよく分からないやり取りに私の心臓はちょっと忙しない。
「でさ、もういいかな?」
ケイトが瞳から温度を失せながらもにこにこ笑ったまま前を向く。
私も倣って前を向くと唇を噛む女の子がいた。
――もしかして今のやり取り羨ましかったの?
嘘でしょ。そんなまさか。たったあれだけでそこまで悔しくなるなんて単純すぎやしない。いや、なんか。魔法士養成学校に通っていない女の子ってこんなもんなのかしら。分からない。
肩透かしを食らったというのか。呆然と女の子を見ていると肩を軽く叩かれる。
「アリア。行こう」
「え、でも、」
コートとマフラーを片手にしたケイトがすでに席から立っていた。私は女の子を見る。女の子はさらに深く俯いてその拍子で垂れた前髪で顔の様子が伺えなくなっていた。先ほどよりもうんと小さいその姿が哀れで、惨めだった。
――ああ。早く立ち去らないと。
こんな姿見られていたくないはず。私はケイトを見て頷いてコートを片手に席を立つ。
ほとんど飲まれることのなかったコーヒーと、鼻を啜る女の子を置いてカフェを出た。
* * *
家族連れ、恋人同士、友達同士で賑わう大通り。想像していたより早く終わったため街のイルミネーションの輝きはない。
その中をケイトと並んで歩きながら私は呆然としていた。
恋人のふりはあっけなく終わってしまった。あんな。あんな、あっさりと引くなんて思わなかった。今までの粘着質はどこに行ったの。もっと根性みせろよ。
「張り合いがなかった?」
「水というか、何かかけられると思ったの」
「なにそれ」と笑うケイトの横顔はいつもの彼だ。可愛らしい年下の男の子。
さっきまで見ていた罪深く思ってほしいまでドキドキさせる男らしい横顔はない。いつも通りの彼に安心して私はため息をつく。
「そんなに緊張した?」
「緊張というか。これでも色々考えていたのよ」
「ん? 例えば?」
楽しんでいる様子の声にむっとしながら想定していた質問をやけくそ気味に口にする。
「ケイトのどこが好きなのって聞かれたら答える気満々だったのよ」
といっても、実際に改めて私がケイトを好きなところなんだけれどね。これを本気で、最後の想いとして吐き出せば彼女も信じると思った。でも、お披露目することはなかった。きっとこれからもないだろうけれど。
「へぇ。オレの好きなとこかぁ……ね。せっかくだし聞かせてよ」
「は?」
咄嗟にケイトを見ればやっぱり楽し気だった。新緑の瞳が日の光を浴びるようにキラキラしている。季節外れの瞳を見ながら私は確かに、と頭に過る。
「そうね。せっかくだしね」
「そうそう。せっかくだからさ」
八重歯を覗かせながら頷くケイトに肩の力が抜ける。私は指を折りながら教えてあげることにする。
「まずやっぱり瞳。楽しそうにキラキラしている瞳が好きでずっと見ていたくなるわ」
次ね、と次の指を折る。
「笑うときに八重歯が見えるのが可愛くて好き。あ、笑うときに目尻がもっと下がるのも好き」
次は、と指折る。
「オレンジ色の柔らかい髪も好き。触りたくなる髪質よね」
さて次、と指折る。
「声が好きよ。私の名前を呼びときにちょっと語尾が甘いの。そこが可愛いくて好き」
掠れたときの声を想像しかけたのは私だけの秘密だから言わない。だってこれはさすがに引かれる。最後の最後に嫌われたくないもの。
さて、まだ、まだ、と指折る。
「くるくる回る表情が好き。さっきの八重歯と目尻にも繋がるわね。笑ったときに見える。その笑ったときが好きよ」
ん。これは重複になるのかしら。けれど、ちょっと違うカテゴリーよね。よし。
一人納得して5本指がすべてなくなる。今度は逆からね。私は指をピンと今度は真っすぐにする。
「なんでも気づいてくれるケイトが好き」
周りをよく見ている貴方。疲れちゃわないかと思う。私の前くらいと思ったこともあるけれど、私はきっと貴方にとってそういう対象じゃないと今思えば落ち込んだ。
「そういえばね。貴方、たまにすごく静かになるの。でも静かなケイトも素敵で好きよ」
エネルギー切れのような。キラキラしている瞳がそのときは静かに佇む木々の葉のようになる。静かでちょっと消えそうなケイト。引き留めても駄目そうだなといつも無力になる。ピンと指を真っすぐにする。
「横顔が好き。可愛くてかっこよくて好き」
さっき気づいたけれど真剣なときの貴方の横顔はドキドキするくらいかっこいいの。可愛い横顔ばかり見ていたのに今になってそんなところ見せるなんて卑怯よね。
はぁ、と少し息継ぎをする。口から出た息が震えた気がしたけれど気の所為よ。
私は指をピンと真っすぐにする。
「私を見るときの眼差しが好き」
ほんとはもっと見てほしいと思う。とくに別れ際とかにはね。
改めて考えているときにも思ったけれど私は結構前から貴方が好きなの。そんなことを考えながらピンと指をまた立てる。
「手が好き。これも王道だけれど手はやっぱり好きよ」
重ねた大きい手のひら。指を絡めたときの指。少し乾いていた気がするけれど私の手が汗かいていたのかも。いやね。
最後にぱっと指を広げて口を動かすけれど――はく、と空気を食うようにしか動かなかった。早く言わない、と最後のこれが肝心なのよ。
「……っ、あ、あなたの全部が好き」
震えた声に私の滲み出た恋情の誤魔化しはきっと利かない。でも、きっと、ケイトは優しいから上手くフォローしてくれる。最後の最後に年下の彼に甘えてしまう自分が心底嫌になる。自己嫌悪に陥りかけつつもケイトの方をチラと見ると――。
「ケイト、顔真っ赤よ。赤い薔薇並み」
「や、あ~、ちょっと待って」
私の視線に気づいたケイトが逃げるように顔の半分を手のひらで覆う。それでも真っ赤な耳は隠れてないし。目元のまで真っ赤だから意味がない。マフラーで隠れている首も真っ赤なんじゃないのかしら。
まじまじと見ているとケイトの新緑の瞳が私を捉える。
「み、見ないでくれると嬉しいなぁ」
「いやよ。今のケイト可愛いからちゃんと見ておかないと」
「や、男の矜持とかさ」
「わぁ。ケイトらしくないこと言うわね」
「うぅ。あ~もう」
へにょへにょになりながらケイトは顔から手を放す。白い頬を赤く染めながらちょっと睨んでくる。そんな顔で睨まれてもね。可愛いだけよ。
さっきまでのしんみりからケイトのおかげで今は元気いっぱいよ。これなら別れも辛くないわ。
「これならあの子に言ったら信じてもらえそうね」
すると、今度は神妙な顔をして「んー」と声を出す。何、何、と首を傾げるとへらっといつも彼らしく笑った。
「なら、あそこで引いてくれてよかったかも。今の聞かれるのはもったいない」
「なによ。もったいないって」
意味わからないと笑うと頬に赤みを持ったままケイトが今度は嬉しそうに笑う。
「だって、アリアちゃんの告白はやっぱりオレだけ聞いてればいいっしょ」
告白、という言葉に今度は私の顔が熱くなる番だった。
ケイトはしてやったりという顔で口角を上げながら体を寄せてくる。
「どう聞いても告白だとオレは思ったんだけど」
「だ、だって、恋人のふりなんだもの。あれくらい」
「ふり、のため?」
逃げるように顔を逸らした私を追いかけるように覗き込んでくるケイト。
そのときの顔はさっきみたカフェの罪深い横顔に似ていた。
「アリアちゃん先輩はずるいよね」
「ずるい……」
何が、と訊き返そうにも何となく彼が言わんとしていることが分かる。
そうね。私はずるいわ。言い逃げするつもりだった。彼もそれを察知していたんだと思う。でも、仕方ないじゃない。
「察しているならいつものあんたらしく察したまま放置して頂戴」
「今回はさすがに見過ごせないよ」
「見過ごして」
「ムリ」
引き下がらない強情な様子を見せるケイトを睨む。どうしたいの、とさらに視線に込めると新緑の双眸を細めて――。
「付き合う、オレら?」
「ふざけないで」
間髪入れず返す。その語尾が震えるのは多分怒りだと思う。
「私は伯爵家の一人娘よ。来年は大学進学して家業にもかかわっていく。きっとすぐに相手の選定も始まるわ」
今の時代、家同士なんてない。でも、相手は自由であっても自由ではない。もし本当に自由に選んでいいと言われても余計にケイトを選べない。選べないわ。
「学生で、年下の、あんたを選べるわけないでしょ」
だからバイバイするのよ。私はケイトを無視して歩こうとしたけれどできなかった。ケイトが私の腰に腕を回して引き留めたから。
「ちょっと!」
「いや、アリアちゃん先輩。普通にぶつかるから」
「え。あ、ああ……ありがとう」
確かにちょうど人が込み入る場所に私は突入しようとしていた。危ない。これは素直にケイトに感謝しないと、と素直に言葉が出る。
「じゃ。ちょっと話そうか」
「……」
ぐっと腰を抱かれていい笑顔を向けられる。これは、この笑顔を見るとナイトレイブンカレッジの生徒だなって純粋に思う。
「今の話はおわ――」
「終わってないから」
笑みを深めるのに目が笑っていない。私はどこに連れていかれるのか。分からないままケイトが「こっち」という方向に連れていかれることになった。
――これなら告白なんてしなければよかった。
時すでに遅しなのは分かるけれど、今すぐに時間を巻き戻す魔法が付けたらと思わずにはいられなかった。そして、私は一体これからどのようにしてケイトにやり込められるのか。それをどう切りにけるか頭を使うことにした。