途切れぬ男女の糸
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紡いだ糸が絡みだす
「ジャンヌ」
「なに、デイヴィス」
傍で聞こえる低く冷ややかにも聞こえる声。そんな声にわたしはドキドキしてしまう。まさかわたしがこの人を好きになる日が来るなんて思いもよらなかった。
最初はなんて自惚れが強い男だと思った。だって、自分の容姿がいいことも、能力が高いことも理解しているんだもの。高慢な男って思うでしょ。でも、すぐにそれに見合ったことをしているんだと気づいたわ。そうよね。料理だって素材のまま美味しいなんてこと少ないんだもの。人間も同じよ。気づいた後は苛立つこともなくな――嘘。ちょっとイラつく。鼻につくこともあるわ。でも、前より彼のことを好きになれたことは事実で、そんな彼に恋したのも事実。
にしても、一体わたしはこの男のどこを好きになったかしら。いつの間にここまでゾッコンになっているのかしら。
「おい、ジャンヌ。聞いているのか」
「え。あ、ん~、ごめんなさい」
険のある声に呼ばれて我に返る。横を向けば苛立ったような顔をしたデイヴィスがいた。万年筆型のマジカルペンを持って苛々している。その手元を見れば何やら複雑な魔術式。いや、たぶん。わたしが躓いているところを懇切丁寧に教えてくれていたのだと思う。わたしはその説明を右から聞いて左へ吐き出してしまった。
「ごめんなさい。少し考え事をしていたの」
「ほう。この俺様に教えを乞うておきながら別のことを考えていたというのか?」
「うっ。だから、ごめんなさいって」
ネチネチと嫌味ったらしいったらないわ。何度も謝るとデイヴィスが万年筆を置いて「休憩する」と言い出す。わたしはそれに「賛成」と答えてペンを置く。それから二人揃って身体を伸ばす。その間に「悩みか」と声をかけられた。
「悩み?」
「……はぁ、随分と悩ましい横顔をしていたからな」
「な、え、ど、どんな顔よっ」
図書室ということもあって小声で聞き直す。その間にもわたしの頭の中では「ウソ、わたしの顔ブサイクだった? やだ、変なところ見られちゃった」と大忙し。だって、好きな男の子に変な顔は見られたくないじゃない。上級生が彼氏にキス顔がブスって言われて泣いているのも見たし。他にも恋人に変な顔を見られたくないって言っている子をわたしはたくさん知っている。わたし自身も同じ。
「ね、ねぇ、どんなよ。どんな」
「鬱陶しい。別に変じゃない……そうだな。言うならば恋い焦がれている女の横顔だ」
ドンと鍋が爆発したような音が頭の裏でした気がした。今、デイヴィスはなんて言った。凝視していると彼の白い頬がじんわりと赤くなっていく。
「なんで貴方が照れているのよ」
「うっ、うるさいっ」
小声で反論していくデイヴィスは頬だけじゃなくて耳まで真っ赤になっていく。やだ。本当に何で照れているの。この人。それでも可愛いからいいのだけど。
腕で顔を隠しながらデイヴィスが声をさらに潜めて「何か恋で悩みか」と言い直して来た。わたしは自分の顔をペチと触れた。
「わたし。そんな顔してたの」
「まぁ……というか、お前って好きな奴がいたのか?」
「うっ」
鋭く輝く剣のような瞳にすぐに否定できなかった。しかも言葉につまって呻いてしまった。完璧に「わたしに好きな人います」と答えたようなものだ。今度はわたしの頬に熱が集まっていく。さっきのデイヴィスと同じ。
「いるのか……」
「い、いると言えばいるわね」
貴方よ、と流石に答えられなかった。でも、これっていいチャンスよね。デイヴィスがどんな反応するかでわたしに対する好意を持っているか分かる。ドキドキしながら彼の反応を見ていると――。
「ぁ」
目の前にあったのはデイヴィスでもなくまだ見慣れぬ部屋の景色。霞む目を何度か瞬きをして慣らす。すると、数秒も経たないうちにけたたましい音が響く。目覚まし時計だ。
その音源を止めるために毛布から腕を動かしてバタバタ動かす。ようやく目覚まし時計を止めて起き上がる。
「ねむ」
昨日の夜は授業のまとめをしていたからつい遅くまで起きてしまった。最低限の睡眠はとれたと思うけれど眠い。ふわぁと大きな欠伸をしてベッドから降りてすっかりと痛みも怠さも無くなった身体を伸ばす。
「んん~~~はっ! 歯磨きしよぉ」
電気を着けて洗面所に向かう。そして、わたしは懐かしい夢を振り払うようにいつも通りのルーティーンで朝の支度をしていく。
* * *
研修に来て二週間目。わたしもそれなりに生徒に慣れて来たと思う頃。目の前のやり取りをもう見慣れつつあった。
「子分は親分の言うことを聞くんだゾ!」
「親分の横暴を止めるのもときには子分の役目なんで」
わたしは目の前で繰り広げられているやり取りに面白さが込み上げる。このまま放っておこうかなと思ったけれどパシンという音に視線だけそちらに向ける。すると、デイヴィスが怖い顔で顎を動かして「さっさと指導しろ」と指示して来る。夢の可愛いデイヴィスの面影もない顔に肩をあげながら「ハイハイ」と答える。
「グリムくん。監督生くん。ここで問題よ」
「いきなり何なんだゾ」
「はい。先生」
グリムはマイナス、監督生くんプラス、と付け足す。それにグリムくんがふなふな言うけれど無視。わたしは二人が鍋に入れる材料で迷っている二つの薬草を手に取る。
その薬草はパッと見た感じではほぼ同じに見える。でも、よくよく見れば花弁の形も、葉の形状も僅かに異なる。魔法薬に使う植物はこういうところで効能がガラリと変わることがザラにある。
「グリムくんは朝焼けの草から出る葉の汁を使いたい。監督生くんは夕焼けの草の葉の方を使いたい。それで言い争いをしているのよね?」
「そうなんだゾ! でも、クルーウェルの奴は朝焼けの葉って言っていたのに! 子分は!」
「絶対に違う! クルーウェル先生は夕焼けの葉って言ったんだよ!」
「あ~はいはい。同じことはやらないの!」
再びふなふなと言い争いを始める二人を宥める。それから二人にヒントを出していくとグリムくんの可愛い顔が悔しそうに歪んでいく。その代わり監督生くんの鼻が高々となっていく。ついでに胸も張っていく感じ。
「さ。準備しないと鍋の中身が焦げるわよ」
「はい! 先生ありがとうございます! ほら! グリムも!」
「ふなぁ……助かったんだゾぉ」
「いいえ」と言って別の生徒のところに行こうと後ろを向く。すると、デイヴィスがこちらを見て杖を一振りすると「グッド」の文字が浮かんだ。完全に生徒と同列な扱いな気がして来た。いや、まだ新米教師だから。けど、わたしこれでも魔法執行官やっていたのに。仕方ない。彼から見ればわたしはここにいる仔犬ちゃんたちと同じようなものよ。
「せんせーい! ルーせんせーい!」
「はい、はい。今行きます」
わたしは次の生徒に呼ばれて向かった。
「やっと、お昼の時間……」
疲れたと思いながらわたしは購買部で勝って来たサンドイッチを取り出す。本当は食堂に行きたいんだけれど視線が痛い。ほんとに視線が痛い。
「女性教師は他にもいるでしょうに……」
そこまで珍しいものではないでしょう。だのに、好奇心旺盛な男子高校生たちはわたしをじろじろ見て来る。別に露出の多い服を着ているわけじゃないのに。何が物珍しいんだか。
「はぁ。一人の昼食もいいけれどやっぱりたまに食堂でしっかり食べたい」
ブルームノヴァでは昼をしっかり食べていたからよかったけれど。このままじゃ朝か夜にしっかりとしたもの食べないとやっていけない。
「執行官のときは平気だったのになぁ……はぁ」
溜息をつきながら購買部で買ったハムとリーズのサンドウィッチを手に取った。それはとても美味しいのだけれどやっぱりちょっと味気なかった。
* * *
で、わたしは仕事終わりに街に出たのだけれど――。
「クルーウェル先生、奇遇ですね」
「ああ」
街をウロウロして飲食店を物色している最中にばったりデイヴィスに出会ってしまった。この時間だからデイヴィスも仕事が終わったのだろう。補習や授業の準備で残業が多いと言っていたのに珍しい。
「ルー先生もこれから夕飯か?」
「ええ。自炊と思ったんですけど」
「すればいいじゃないか」
デイヴィスの発言にわたしは目を丸くし、彼はしまったという顔をする。視線を逸らしてグローブをした赤い手で口元を覆う。失言しましたというのがありありと伝わってくる。
反面わたしの心は嬉しさにダンスをしそうになる。わたしは確かに付き合っている頃に何度か手製のお菓子や料理を彼に振る舞っている。でも、もうずっと前の学生の頃の話。忘れていてもおかしくない。だのに、彼は覚えていた。これに嬉しくないなんて言えないのが今のわたしなのだ。初恋を引きずり続けているダサい大人のわたし。
悲しくなるって心の中で自分自身を嗤いながら大人の対応に切り替える。
「一月。一月しかいないので材料を買い込むのも出来ないし、」
「それはそうだな」
「だから外食をしに来たんだけど」
やっぱり店も変わっている。それはそうよね。わたしがここに来ていたのはもう十年以上も前になるんだから。一応、アプリを使って評判のいい店を覗いてはいるんだけれど。
「はぁ。相変わらず店選びが下手だな」
また幻聴でも聞こえたのかしらとデイヴィスがわたしを見てから鼻を鳴らす。そして、背を向けて歩き出す。これは知っている。別れの挨拶がない場合は「ついて来い」の合図だということを。
もう何なのかしら。自分の心臓の鼓動が早くなるのが分かる。拗らせた初恋が疼くときの合図だ。もう本当にヤダ。でも、過去の恋に昇華できそうにもない。やっぱり三十代でこれってヤバイんじゃないかしら。
「ルー先生」
「ひぇっ!」
近くでかけられた声に飛び跳ねそうになった。なんとかそれは耐えたけれど結局変な声が出たので恥ずかしくなる。デイヴィスなんかはわたしの反応に呆れた目をしながら深い溜息をついた。
「ご、ごめんなさい。少し考え事をしていて」
「まぁ、随分と悩ましい顔をしていたからな」
「え」
既視感を覚えるやり取りにわたしは彼を凝視する。すると、口角を上げて「悩ましい女の顔をしていたぞ」と言う。覚えのあるやり取りに口篭もる。どう答えればいいのかしら、という考えもまるであの時のよう。
「ふん。大方恋人に他の男と食事に行ったことを咎められるとでも考えていたんだろ」
「え、」
「恋人って」と首を傾げるとデイヴィスは「なんだ? 違うのか?」と眉を顰めた。そして、かなりの時間が流れていたことを認識し自分の年齢も改めて気づく。この年齢なら結婚を前提とした恋人がいてもおかしくない。でも、わたしは彼にそういう存在がいないことをすぐに伝えたくなってしまった。
「違うわ。恋人なんていないもの」
「いないのか?」
意外だな、と含んだ言い方に嬉しいような切ないような混ざった気持ちになる。そもそも彼に恋人がいないことを伝えたとしてどうにもならないのに。恥ずかしい女。
デイヴィスに見られたダサい姿に絶望していると「なら行くぞ」と呼ばれた。彼を見れば軽蔑の目もなにもせずに顎をツンとあげていた。
「恋人がいないなら食事を共にしても問題ないだろう」
「え、ええ。そうよ」
「行くぞ」
「あ、クルーウェル先生っ」
何でもないことのように歩き出すデイヴィスの背中を今度こそ追いかける。すぐに追いついて隣を歩く。わたしは盗み見するように彼を見上げる。学生の頃よりもまた高くなったんだ。改めて確認するのも何だか嬉しいけどちょっと駄目な気がする。
「なんだ」
「え、や、何でもないわ……貴方が紹介してくれるお店なら美味しいんだろうなって思ったの」
咄嗟に言い訳染みたことを言ってしまった。でも、言っていることに嘘偽りはないのよ。デイヴィスは学生の頃から食事にうるさかった。きっと大人になった今もそうだと思う。だから、紹介してくれるお店は絶対に当りのお見せに違いない。
「楽しみだわ」
「そうか……」
プツリと会話が切れてしまった。わたしとデイヴィスの間に流れる沈黙は悪くない。けど、どんどん心の中が騒めいていく。デートではない。ただの同僚同士の食事。だのに、脳内のお花畑のわたしが「二人きりでデートみたい♪」ってパッパラパーなこと言っている。違う。これはデートじゃない。ただの偶然の結果。奇跡の欠片みたいなものなのに。
「これじゃ食事中どうなるのよ……」
独り言を口にしてすぐに噤む。幸いデイヴィスには聞こえていない。聞こえていないよな、と確認するように盗み見すると真っ直ぐ前を見ていた。よかった。聞こえていない。これから独り言禁止と自分に言い聞かせてわたしはこの食事を乗り越えることにした。
「すごく美味しかったわ」
ふわふわした気持ちで言う。そんな彼は得意顔で「そうだろ」と言う。昔だったら生意気な男の子みたいなところがあるのに大人になると様になる。あれかな。やっぱり大人になると経験値っていう説得力があるのかも。魔法執行官のときも経験がある方が説得力あったし。
「おい。大丈夫か?」
「ん? なによ?」
得意げな顔を引っ込めてデイヴィスが眉根を寄せた。綺麗な顔だから険しい顔をすると怖く見える。「怖いわよ」と言えば眉が下って「酔ったのか」と言われた。
酔ったですって、全然よ。ワインボトル一本空けたくらいで酔う訳ないじゃない。これくらいで酔っていたら魔法執行官なんてやっていられないのよ。
「ぜんぜん、平気よ」
「呂律が怪しいな」
「あやしくないっ!」
言い返してデイヴィスの先を歩く。後ろから「おい!」と呼びかけられるからピタと止まって振り返る。そして、ジトっとデイヴィスを睨みつける。
「ほら、歩けるもの。酔っていないわ」
何ならこのまま戻ってあげる。わたしは石畳をツカツカ歩いていくといきなりガッとつま先が何かに引っかかった。いつもならこの程度なら転ぶこともなくたたらを踏むくらいで終わるのに身体はドンドン地面に近くなっていく。これは転ぶと頭が冴えたときだった。
「わぁっ」
身体がピタと止まった。危うく地面とキスするところだった、と思いながら石畳を見ていると両腕が掴まれた。そして、身体が起こされ両足が石畳に綺麗に着地した。
「まったくルー先生、酔っているだろう」
わたしを助けてくれたのはデイヴィスだった。呆れた半目にわたしはにへっと笑いかけた。そのまま助けてくれたデイヴィスに抱き着くと「おいっ」と焦る声がして抱き着いたまま顔を上げる。
「どーしたの?」
「……酔っているな」
顔を上げたわたしの顔を見て険しい顔をするデイヴィスに首を傾げる。何がどうやって酔っているっていうのかしら。わたしは躓いたとはいえ歩けるのに。ただ、今こうしてハグをしているのも感謝の証なのに。
「酔ってないわ」
「なら何で抱き着いている」
「ありがとうのハグ。前の職場でもよくしていたわ」
「よく、だと?」
「ええ。そうよ。家まで送ってくれてありがとーって」
懐かしい。いつも迷惑かけちゃったなぁって思っても微笑んでくれた同僚。目の下の隈が濃くなっていくのが心配だったけれど今は元気にやっているかしら。多分昇進もしたと思うのよね。そういえば、わたしが辞めたときも心配してくれたっけ。今度連絡しよう。なんて考えているとぐいっと身体が無理矢理剥がされた。
「もういいだろ」
「ん。ありがとう」
「……送る」
「いいの?」
「ああ」
助かる。ここデイヴィスに連れられるまま来ちゃったから借りている部屋までの戻り方が分からなかったのよね。ここはありがたく送ってもらうことにした。あ、なら別れ際にちゃんと感謝のハグをしないといけないわね。
「ほら。どこの部屋を借りているんだ」
「ん。ちょっと待って」
顔を覗き込んで来る綺麗な顔に一瞬見惚れながらスマホを取り出して検索メモ帳を開く。デイヴィスに「ここよ」と見せれば「少し離れているな」と言われた。
「歩く? タクシーの方がいい?」
「……いや、タクシーは要らないが平気か?」
「それくらいの距離ならへーきよ」
大丈夫と首を縦に動かす。なら「行くぞ」腕を差し出される。あら、紳士的とわたしは迷わずその腕に腕を絡めた。
「ふふ。おねがいしまぁす」
わたしはフワフワの毛皮に顔を埋めながら元気よく返事した。
* * *
「顔色が悪いな」
「誠に申し訳ありません、クルーウェル先生」
放課後。頭痛は納まったがどうにも二日酔いの身体が重い。そんなわたしに付き合ってくれるデイヴィスに思わず謝罪を繰り返すしかできない。いや、だって、もう申し訳なさすぎる。
「ルー先生は記憶があるタイプか」
「先生は?」
「酔ったことがないから分からん」
「いいわね……」
わたしみたいにとちることがないということだ。にしても、たったワイン一本で酔うなんて弱くなったのかしら。少し前ならもっと飲めたのに。
「少し前はもっと深酒しない限り酔わなかったのに」
「飲む機会が減ったからじゃないか」
「そうかしら」
一人で飲むこともあるのにと思いながら授業のまとめをする。生徒には万年筆を使わせておきながら教師はタブレットとパソコンの二刀流。それでも提出する資料は殆ど紙なんだからどうにかならないかしら。
「もう少しペーパーレスにしてほしい」
「無理だな」
「はぁ」
若い貴方がそんなんでどうするのよ。そんな言葉を飲み込んでタンタンと打ち込んでいく。にしても、やっぱりレベルの高い学校だけあってレポートも質がいい。
「やっぱり皆地頭いいわね」
「ふん。それでもうまく使えなければただの駄犬だ」
「その駄犬ちゃんたちとどうにかするのが先生でしょう」
もう、と言いながらデイヴィスに質問したり質問をされたりと作業を進めていく。
「終わったぁ。クルーウェル先生、終わりましたわ」
ファイリングしてデイヴィスに渡す。デイヴィスはそれを確認することなく同じく帰り支度していく。あらまた珍しい。
「もう帰るの? 平気?」
「あらかた終わった。今日は質問に来る仔犬も居なかったからな」
「そう……」
道具を纏めるデイヴィスの横でわたしも帰宅の準備を始める。そこでわたしは実は質問したいことがあった。でも、昨日の今日で眉を顰められるかもしれない。いや、絶対そうだ。でも、聞きたい。聞きたい。
「あ、あの、デイヴィスいい?」
「は?」
「え、ぁ」
わたしは咄嗟に自分の口を塞ぐ。今、わたし「クルーウェル先生」じゃなくて「デイヴィス」って呼んだ。やば。ダメじゃない。しかも、完全に動揺しましたというポーズまでとってしまった。なにやってんのよ。
「え、えっと、そのクルーウェル先生いいかしら?」
「……なんだ」
取り繕ってとりあえず聞き返すとデイヴィスもすぐに驚きからいつもの態度に戻る。わたしも必死に何もなかったですという体をつくる。これくらい訳ないのよ。元魔法執行官なめないで。
「あの美味しいごはんをテイクアウトできるところ知らない」
昨日のようなことにならないようにテイクアウトして部屋で食べよう。それが一番だ。本当は自分で探せばいいけれど彼が言った通りわたしは店を探すのが下手くそ。だから、もう申し訳ないけれど最後の面倒と思ってデイヴィスに縋る。
「教えてくださいませ。後生です」
「はぁ。別に構わん。少し待て今すぐ送る」
「え、今じゃなくてもいいのにありがとう」
「構わない」
グローブを外した綺麗な指でトントンと軽快にタップしていくデイヴィス。それすら様になると思っていればスマホが揺れた。早速送ってくれたみたいでスマホを取って目を見開く。
「え。わたし、貴方にプライベートのID教えた?」
「……昨日の夜だが、覚えていないのか?」
「覚えていない、です」
深い溜息をついたデイヴィスは半目で「消すか?」と問いかけて来た。わたしは首を横に振った。
「い、いいわ。貴方が嫌じゃなければいいわよ。別に貴方が悪用する人じゃないのは知っているから」
「当たり前だ……ま、ここにいる時期ぐらいだろう」
あっさりと言うデイヴィスに心臓にズシと突き刺さるものがあった。耐えろ、耐えろ、と念じながらわたしは血反吐を吐きそうになるのを堪える。
「クルーウェル先生ありがとう。これで美味しいご飯が食べられるわ」
研修に来て古傷が痛み心配され、初恋の人に酔っ払って絡む。たった二週間にこんな様だ。わたしなんだかまだまだやらかしそう。というか、これってやらかしてるの。いや、そうなのかしら。
今日のご飯はどうしようかしらと思考を明後日の方向に変えることにした。
「ジャンヌ」
「なに、デイヴィス」
傍で聞こえる低く冷ややかにも聞こえる声。そんな声にわたしはドキドキしてしまう。まさかわたしがこの人を好きになる日が来るなんて思いもよらなかった。
最初はなんて自惚れが強い男だと思った。だって、自分の容姿がいいことも、能力が高いことも理解しているんだもの。高慢な男って思うでしょ。でも、すぐにそれに見合ったことをしているんだと気づいたわ。そうよね。料理だって素材のまま美味しいなんてこと少ないんだもの。人間も同じよ。気づいた後は苛立つこともなくな――嘘。ちょっとイラつく。鼻につくこともあるわ。でも、前より彼のことを好きになれたことは事実で、そんな彼に恋したのも事実。
にしても、一体わたしはこの男のどこを好きになったかしら。いつの間にここまでゾッコンになっているのかしら。
「おい、ジャンヌ。聞いているのか」
「え。あ、ん~、ごめんなさい」
険のある声に呼ばれて我に返る。横を向けば苛立ったような顔をしたデイヴィスがいた。万年筆型のマジカルペンを持って苛々している。その手元を見れば何やら複雑な魔術式。いや、たぶん。わたしが躓いているところを懇切丁寧に教えてくれていたのだと思う。わたしはその説明を右から聞いて左へ吐き出してしまった。
「ごめんなさい。少し考え事をしていたの」
「ほう。この俺様に教えを乞うておきながら別のことを考えていたというのか?」
「うっ。だから、ごめんなさいって」
ネチネチと嫌味ったらしいったらないわ。何度も謝るとデイヴィスが万年筆を置いて「休憩する」と言い出す。わたしはそれに「賛成」と答えてペンを置く。それから二人揃って身体を伸ばす。その間に「悩みか」と声をかけられた。
「悩み?」
「……はぁ、随分と悩ましい横顔をしていたからな」
「な、え、ど、どんな顔よっ」
図書室ということもあって小声で聞き直す。その間にもわたしの頭の中では「ウソ、わたしの顔ブサイクだった? やだ、変なところ見られちゃった」と大忙し。だって、好きな男の子に変な顔は見られたくないじゃない。上級生が彼氏にキス顔がブスって言われて泣いているのも見たし。他にも恋人に変な顔を見られたくないって言っている子をわたしはたくさん知っている。わたし自身も同じ。
「ね、ねぇ、どんなよ。どんな」
「鬱陶しい。別に変じゃない……そうだな。言うならば恋い焦がれている女の横顔だ」
ドンと鍋が爆発したような音が頭の裏でした気がした。今、デイヴィスはなんて言った。凝視していると彼の白い頬がじんわりと赤くなっていく。
「なんで貴方が照れているのよ」
「うっ、うるさいっ」
小声で反論していくデイヴィスは頬だけじゃなくて耳まで真っ赤になっていく。やだ。本当に何で照れているの。この人。それでも可愛いからいいのだけど。
腕で顔を隠しながらデイヴィスが声をさらに潜めて「何か恋で悩みか」と言い直して来た。わたしは自分の顔をペチと触れた。
「わたし。そんな顔してたの」
「まぁ……というか、お前って好きな奴がいたのか?」
「うっ」
鋭く輝く剣のような瞳にすぐに否定できなかった。しかも言葉につまって呻いてしまった。完璧に「わたしに好きな人います」と答えたようなものだ。今度はわたしの頬に熱が集まっていく。さっきのデイヴィスと同じ。
「いるのか……」
「い、いると言えばいるわね」
貴方よ、と流石に答えられなかった。でも、これっていいチャンスよね。デイヴィスがどんな反応するかでわたしに対する好意を持っているか分かる。ドキドキしながら彼の反応を見ていると――。
「ぁ」
目の前にあったのはデイヴィスでもなくまだ見慣れぬ部屋の景色。霞む目を何度か瞬きをして慣らす。すると、数秒も経たないうちにけたたましい音が響く。目覚まし時計だ。
その音源を止めるために毛布から腕を動かしてバタバタ動かす。ようやく目覚まし時計を止めて起き上がる。
「ねむ」
昨日の夜は授業のまとめをしていたからつい遅くまで起きてしまった。最低限の睡眠はとれたと思うけれど眠い。ふわぁと大きな欠伸をしてベッドから降りてすっかりと痛みも怠さも無くなった身体を伸ばす。
「んん~~~はっ! 歯磨きしよぉ」
電気を着けて洗面所に向かう。そして、わたしは懐かしい夢を振り払うようにいつも通りのルーティーンで朝の支度をしていく。
* * *
研修に来て二週間目。わたしもそれなりに生徒に慣れて来たと思う頃。目の前のやり取りをもう見慣れつつあった。
「子分は親分の言うことを聞くんだゾ!」
「親分の横暴を止めるのもときには子分の役目なんで」
わたしは目の前で繰り広げられているやり取りに面白さが込み上げる。このまま放っておこうかなと思ったけれどパシンという音に視線だけそちらに向ける。すると、デイヴィスが怖い顔で顎を動かして「さっさと指導しろ」と指示して来る。夢の可愛いデイヴィスの面影もない顔に肩をあげながら「ハイハイ」と答える。
「グリムくん。監督生くん。ここで問題よ」
「いきなり何なんだゾ」
「はい。先生」
グリムはマイナス、監督生くんプラス、と付け足す。それにグリムくんがふなふな言うけれど無視。わたしは二人が鍋に入れる材料で迷っている二つの薬草を手に取る。
その薬草はパッと見た感じではほぼ同じに見える。でも、よくよく見れば花弁の形も、葉の形状も僅かに異なる。魔法薬に使う植物はこういうところで効能がガラリと変わることがザラにある。
「グリムくんは朝焼けの草から出る葉の汁を使いたい。監督生くんは夕焼けの草の葉の方を使いたい。それで言い争いをしているのよね?」
「そうなんだゾ! でも、クルーウェルの奴は朝焼けの葉って言っていたのに! 子分は!」
「絶対に違う! クルーウェル先生は夕焼けの葉って言ったんだよ!」
「あ~はいはい。同じことはやらないの!」
再びふなふなと言い争いを始める二人を宥める。それから二人にヒントを出していくとグリムくんの可愛い顔が悔しそうに歪んでいく。その代わり監督生くんの鼻が高々となっていく。ついでに胸も張っていく感じ。
「さ。準備しないと鍋の中身が焦げるわよ」
「はい! 先生ありがとうございます! ほら! グリムも!」
「ふなぁ……助かったんだゾぉ」
「いいえ」と言って別の生徒のところに行こうと後ろを向く。すると、デイヴィスがこちらを見て杖を一振りすると「グッド」の文字が浮かんだ。完全に生徒と同列な扱いな気がして来た。いや、まだ新米教師だから。けど、わたしこれでも魔法執行官やっていたのに。仕方ない。彼から見ればわたしはここにいる仔犬ちゃんたちと同じようなものよ。
「せんせーい! ルーせんせーい!」
「はい、はい。今行きます」
わたしは次の生徒に呼ばれて向かった。
「やっと、お昼の時間……」
疲れたと思いながらわたしは購買部で勝って来たサンドイッチを取り出す。本当は食堂に行きたいんだけれど視線が痛い。ほんとに視線が痛い。
「女性教師は他にもいるでしょうに……」
そこまで珍しいものではないでしょう。だのに、好奇心旺盛な男子高校生たちはわたしをじろじろ見て来る。別に露出の多い服を着ているわけじゃないのに。何が物珍しいんだか。
「はぁ。一人の昼食もいいけれどやっぱりたまに食堂でしっかり食べたい」
ブルームノヴァでは昼をしっかり食べていたからよかったけれど。このままじゃ朝か夜にしっかりとしたもの食べないとやっていけない。
「執行官のときは平気だったのになぁ……はぁ」
溜息をつきながら購買部で買ったハムとリーズのサンドウィッチを手に取った。それはとても美味しいのだけれどやっぱりちょっと味気なかった。
* * *
で、わたしは仕事終わりに街に出たのだけれど――。
「クルーウェル先生、奇遇ですね」
「ああ」
街をウロウロして飲食店を物色している最中にばったりデイヴィスに出会ってしまった。この時間だからデイヴィスも仕事が終わったのだろう。補習や授業の準備で残業が多いと言っていたのに珍しい。
「ルー先生もこれから夕飯か?」
「ええ。自炊と思ったんですけど」
「すればいいじゃないか」
デイヴィスの発言にわたしは目を丸くし、彼はしまったという顔をする。視線を逸らしてグローブをした赤い手で口元を覆う。失言しましたというのがありありと伝わってくる。
反面わたしの心は嬉しさにダンスをしそうになる。わたしは確かに付き合っている頃に何度か手製のお菓子や料理を彼に振る舞っている。でも、もうずっと前の学生の頃の話。忘れていてもおかしくない。だのに、彼は覚えていた。これに嬉しくないなんて言えないのが今のわたしなのだ。初恋を引きずり続けているダサい大人のわたし。
悲しくなるって心の中で自分自身を嗤いながら大人の対応に切り替える。
「一月。一月しかいないので材料を買い込むのも出来ないし、」
「それはそうだな」
「だから外食をしに来たんだけど」
やっぱり店も変わっている。それはそうよね。わたしがここに来ていたのはもう十年以上も前になるんだから。一応、アプリを使って評判のいい店を覗いてはいるんだけれど。
「はぁ。相変わらず店選びが下手だな」
また幻聴でも聞こえたのかしらとデイヴィスがわたしを見てから鼻を鳴らす。そして、背を向けて歩き出す。これは知っている。別れの挨拶がない場合は「ついて来い」の合図だということを。
もう何なのかしら。自分の心臓の鼓動が早くなるのが分かる。拗らせた初恋が疼くときの合図だ。もう本当にヤダ。でも、過去の恋に昇華できそうにもない。やっぱり三十代でこれってヤバイんじゃないかしら。
「ルー先生」
「ひぇっ!」
近くでかけられた声に飛び跳ねそうになった。なんとかそれは耐えたけれど結局変な声が出たので恥ずかしくなる。デイヴィスなんかはわたしの反応に呆れた目をしながら深い溜息をついた。
「ご、ごめんなさい。少し考え事をしていて」
「まぁ、随分と悩ましい顔をしていたからな」
「え」
既視感を覚えるやり取りにわたしは彼を凝視する。すると、口角を上げて「悩ましい女の顔をしていたぞ」と言う。覚えのあるやり取りに口篭もる。どう答えればいいのかしら、という考えもまるであの時のよう。
「ふん。大方恋人に他の男と食事に行ったことを咎められるとでも考えていたんだろ」
「え、」
「恋人って」と首を傾げるとデイヴィスは「なんだ? 違うのか?」と眉を顰めた。そして、かなりの時間が流れていたことを認識し自分の年齢も改めて気づく。この年齢なら結婚を前提とした恋人がいてもおかしくない。でも、わたしは彼にそういう存在がいないことをすぐに伝えたくなってしまった。
「違うわ。恋人なんていないもの」
「いないのか?」
意外だな、と含んだ言い方に嬉しいような切ないような混ざった気持ちになる。そもそも彼に恋人がいないことを伝えたとしてどうにもならないのに。恥ずかしい女。
デイヴィスに見られたダサい姿に絶望していると「なら行くぞ」と呼ばれた。彼を見れば軽蔑の目もなにもせずに顎をツンとあげていた。
「恋人がいないなら食事を共にしても問題ないだろう」
「え、ええ。そうよ」
「行くぞ」
「あ、クルーウェル先生っ」
何でもないことのように歩き出すデイヴィスの背中を今度こそ追いかける。すぐに追いついて隣を歩く。わたしは盗み見するように彼を見上げる。学生の頃よりもまた高くなったんだ。改めて確認するのも何だか嬉しいけどちょっと駄目な気がする。
「なんだ」
「え、や、何でもないわ……貴方が紹介してくれるお店なら美味しいんだろうなって思ったの」
咄嗟に言い訳染みたことを言ってしまった。でも、言っていることに嘘偽りはないのよ。デイヴィスは学生の頃から食事にうるさかった。きっと大人になった今もそうだと思う。だから、紹介してくれるお店は絶対に当りのお見せに違いない。
「楽しみだわ」
「そうか……」
プツリと会話が切れてしまった。わたしとデイヴィスの間に流れる沈黙は悪くない。けど、どんどん心の中が騒めいていく。デートではない。ただの同僚同士の食事。だのに、脳内のお花畑のわたしが「二人きりでデートみたい♪」ってパッパラパーなこと言っている。違う。これはデートじゃない。ただの偶然の結果。奇跡の欠片みたいなものなのに。
「これじゃ食事中どうなるのよ……」
独り言を口にしてすぐに噤む。幸いデイヴィスには聞こえていない。聞こえていないよな、と確認するように盗み見すると真っ直ぐ前を見ていた。よかった。聞こえていない。これから独り言禁止と自分に言い聞かせてわたしはこの食事を乗り越えることにした。
「すごく美味しかったわ」
ふわふわした気持ちで言う。そんな彼は得意顔で「そうだろ」と言う。昔だったら生意気な男の子みたいなところがあるのに大人になると様になる。あれかな。やっぱり大人になると経験値っていう説得力があるのかも。魔法執行官のときも経験がある方が説得力あったし。
「おい。大丈夫か?」
「ん? なによ?」
得意げな顔を引っ込めてデイヴィスが眉根を寄せた。綺麗な顔だから険しい顔をすると怖く見える。「怖いわよ」と言えば眉が下って「酔ったのか」と言われた。
酔ったですって、全然よ。ワインボトル一本空けたくらいで酔う訳ないじゃない。これくらいで酔っていたら魔法執行官なんてやっていられないのよ。
「ぜんぜん、平気よ」
「呂律が怪しいな」
「あやしくないっ!」
言い返してデイヴィスの先を歩く。後ろから「おい!」と呼びかけられるからピタと止まって振り返る。そして、ジトっとデイヴィスを睨みつける。
「ほら、歩けるもの。酔っていないわ」
何ならこのまま戻ってあげる。わたしは石畳をツカツカ歩いていくといきなりガッとつま先が何かに引っかかった。いつもならこの程度なら転ぶこともなくたたらを踏むくらいで終わるのに身体はドンドン地面に近くなっていく。これは転ぶと頭が冴えたときだった。
「わぁっ」
身体がピタと止まった。危うく地面とキスするところだった、と思いながら石畳を見ていると両腕が掴まれた。そして、身体が起こされ両足が石畳に綺麗に着地した。
「まったくルー先生、酔っているだろう」
わたしを助けてくれたのはデイヴィスだった。呆れた半目にわたしはにへっと笑いかけた。そのまま助けてくれたデイヴィスに抱き着くと「おいっ」と焦る声がして抱き着いたまま顔を上げる。
「どーしたの?」
「……酔っているな」
顔を上げたわたしの顔を見て険しい顔をするデイヴィスに首を傾げる。何がどうやって酔っているっていうのかしら。わたしは躓いたとはいえ歩けるのに。ただ、今こうしてハグをしているのも感謝の証なのに。
「酔ってないわ」
「なら何で抱き着いている」
「ありがとうのハグ。前の職場でもよくしていたわ」
「よく、だと?」
「ええ。そうよ。家まで送ってくれてありがとーって」
懐かしい。いつも迷惑かけちゃったなぁって思っても微笑んでくれた同僚。目の下の隈が濃くなっていくのが心配だったけれど今は元気にやっているかしら。多分昇進もしたと思うのよね。そういえば、わたしが辞めたときも心配してくれたっけ。今度連絡しよう。なんて考えているとぐいっと身体が無理矢理剥がされた。
「もういいだろ」
「ん。ありがとう」
「……送る」
「いいの?」
「ああ」
助かる。ここデイヴィスに連れられるまま来ちゃったから借りている部屋までの戻り方が分からなかったのよね。ここはありがたく送ってもらうことにした。あ、なら別れ際にちゃんと感謝のハグをしないといけないわね。
「ほら。どこの部屋を借りているんだ」
「ん。ちょっと待って」
顔を覗き込んで来る綺麗な顔に一瞬見惚れながらスマホを取り出して検索メモ帳を開く。デイヴィスに「ここよ」と見せれば「少し離れているな」と言われた。
「歩く? タクシーの方がいい?」
「……いや、タクシーは要らないが平気か?」
「それくらいの距離ならへーきよ」
大丈夫と首を縦に動かす。なら「行くぞ」腕を差し出される。あら、紳士的とわたしは迷わずその腕に腕を絡めた。
「ふふ。おねがいしまぁす」
わたしはフワフワの毛皮に顔を埋めながら元気よく返事した。
* * *
「顔色が悪いな」
「誠に申し訳ありません、クルーウェル先生」
放課後。頭痛は納まったがどうにも二日酔いの身体が重い。そんなわたしに付き合ってくれるデイヴィスに思わず謝罪を繰り返すしかできない。いや、だって、もう申し訳なさすぎる。
「ルー先生は記憶があるタイプか」
「先生は?」
「酔ったことがないから分からん」
「いいわね……」
わたしみたいにとちることがないということだ。にしても、たったワイン一本で酔うなんて弱くなったのかしら。少し前ならもっと飲めたのに。
「少し前はもっと深酒しない限り酔わなかったのに」
「飲む機会が減ったからじゃないか」
「そうかしら」
一人で飲むこともあるのにと思いながら授業のまとめをする。生徒には万年筆を使わせておきながら教師はタブレットとパソコンの二刀流。それでも提出する資料は殆ど紙なんだからどうにかならないかしら。
「もう少しペーパーレスにしてほしい」
「無理だな」
「はぁ」
若い貴方がそんなんでどうするのよ。そんな言葉を飲み込んでタンタンと打ち込んでいく。にしても、やっぱりレベルの高い学校だけあってレポートも質がいい。
「やっぱり皆地頭いいわね」
「ふん。それでもうまく使えなければただの駄犬だ」
「その駄犬ちゃんたちとどうにかするのが先生でしょう」
もう、と言いながらデイヴィスに質問したり質問をされたりと作業を進めていく。
「終わったぁ。クルーウェル先生、終わりましたわ」
ファイリングしてデイヴィスに渡す。デイヴィスはそれを確認することなく同じく帰り支度していく。あらまた珍しい。
「もう帰るの? 平気?」
「あらかた終わった。今日は質問に来る仔犬も居なかったからな」
「そう……」
道具を纏めるデイヴィスの横でわたしも帰宅の準備を始める。そこでわたしは実は質問したいことがあった。でも、昨日の今日で眉を顰められるかもしれない。いや、絶対そうだ。でも、聞きたい。聞きたい。
「あ、あの、デイヴィスいい?」
「は?」
「え、ぁ」
わたしは咄嗟に自分の口を塞ぐ。今、わたし「クルーウェル先生」じゃなくて「デイヴィス」って呼んだ。やば。ダメじゃない。しかも、完全に動揺しましたというポーズまでとってしまった。なにやってんのよ。
「え、えっと、そのクルーウェル先生いいかしら?」
「……なんだ」
取り繕ってとりあえず聞き返すとデイヴィスもすぐに驚きからいつもの態度に戻る。わたしも必死に何もなかったですという体をつくる。これくらい訳ないのよ。元魔法執行官なめないで。
「あの美味しいごはんをテイクアウトできるところ知らない」
昨日のようなことにならないようにテイクアウトして部屋で食べよう。それが一番だ。本当は自分で探せばいいけれど彼が言った通りわたしは店を探すのが下手くそ。だから、もう申し訳ないけれど最後の面倒と思ってデイヴィスに縋る。
「教えてくださいませ。後生です」
「はぁ。別に構わん。少し待て今すぐ送る」
「え、今じゃなくてもいいのにありがとう」
「構わない」
グローブを外した綺麗な指でトントンと軽快にタップしていくデイヴィス。それすら様になると思っていればスマホが揺れた。早速送ってくれたみたいでスマホを取って目を見開く。
「え。わたし、貴方にプライベートのID教えた?」
「……昨日の夜だが、覚えていないのか?」
「覚えていない、です」
深い溜息をついたデイヴィスは半目で「消すか?」と問いかけて来た。わたしは首を横に振った。
「い、いいわ。貴方が嫌じゃなければいいわよ。別に貴方が悪用する人じゃないのは知っているから」
「当たり前だ……ま、ここにいる時期ぐらいだろう」
あっさりと言うデイヴィスに心臓にズシと突き刺さるものがあった。耐えろ、耐えろ、と念じながらわたしは血反吐を吐きそうになるのを堪える。
「クルーウェル先生ありがとう。これで美味しいご飯が食べられるわ」
研修に来て古傷が痛み心配され、初恋の人に酔っ払って絡む。たった二週間にこんな様だ。わたしなんだかまだまだやらかしそう。というか、これってやらかしてるの。いや、そうなのかしら。
今日のご飯はどうしようかしらと思考を明後日の方向に変えることにした。