途切れぬ男女の糸
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永遠の愛を紡ぐ女
病院を退院する前の日。顔の傷も傷以外が癒え散歩もできるようになった日。病院内の散歩道を歩いているときだった。わたしの前に愛おしい人が現れた。でも、その彼はいつもの皮肉染みた笑みもなく。恋人に向ける甘い笑みもなく。ただ、わたしの前に立った。
どうしてそんな顔をするの。どうしてそんな双眸で見つめるの。なんて、全部分かっているの。わたしは見つめて来る彼を見つめ返し微笑んだ。それに彼はさらに顔を顰めて綺麗な形をした柔らかい唇開く。でも、その前にわたしは唇を動かして掠れた声を出した。
「デイヴィス――わたしたち別れましょうか」
夏の始まり。緑の茂るのを横目にしながらわたしは最愛の人に別れを告げた。
「研修ですか……」
「ええ。ナイトイレブンカレッジが快く引き受けてくれました」
学生時代の恩師であられ現在は学園長となったロペス先生は表情ひとつ動かずに告げた。研修はもちろん問題はない。なにせわたしは教師になってまだ一年目の新米だ。研修は受けるべきものだ。だけれど、だけれど、研修先が問題だ。
「あのナイトレイブンカレッジとは久しく交流がないはずでは」
「ええ。そうよ。ですが、私は彼の学校とは交流すべきだと考えています」
最近老眼がと言って着け始めた眼鏡を外しながらロペス先生はわたしを見据える。スモークブルーの瞳で見つめられると自然と背筋が伸びていく。ほんとうに、ほんとうに、先生の瞳は力強い鷹のよう。
「ロイヤルソードアカデミーとの交流も再開しました。ならば、ナイトレイブンカレッジとの交流も再開すべきです」
はい。おっしゃる通りです。わたしは頷きながらそれでもできれば研修先はロイヤルソードアカデミーの方がよかった。手のかからないお坊ちゃんばかりだし。ああ、でも、ナイトレイブンカレッジと交流を再開させるならわたしの研修はいい機会よね。それにわたしはその交流を途絶えさせた原因の一人でもあるのだし。
「研修に行ってくれますね。ジャンヌ・ルー先生」
「もちろんでございます。ロペス学園長」
よろしい、と頷いて再び老眼鏡を着けて書類にサインを始める学園長。わたしは用事が終わったことを認識し最後に頭を下げて学園長室を後にした。
学園長室から伸びる渡り廊下を歩き校舎の中をツカツカ歩く。最中に生徒に会って「こんにちは」と軽やかに挨拶しながら自分の研究室へと向かう。
バタンと淑女としてははしたない勢いで扉を開いて閉じる。そして、資料の積み重なる机でうつ伏せになって綺麗にセットした髪の毛を掻きむしる。
「あああッッ! なんで、ナイトレイブンカレッジなの! あそこには、あそこには、彼がいるのにぃぃい!」
彼と浮かべた男の顔にうっかりトキメクわたしは誰が見ても初恋拗らせ女だ。友人からも「まだ……」と呆れた眼差しを向けられるのにも慣れるくらいには拗らせている。三十代を越えていまだに拘っていることがヤバイ女なのは重々承知しているのよ。
「でも、だって、だって、仕方ないじゃない」
サラサラと崩れていく髪のセットを魔法で整え直す。それから手帳を引っ張って写真を取り出す。写真は魔法で加工されているため現像した頃と変わらぬ美しさを保っている。その写真に映るのは二人。一人は黒髪で冷たいシルバーグレーの瞳を持つ素敵な男の子。もう一人は――傷のない頃の少女のわたし。彼はナイトレイブンカレッジの当時の制服を身に纏い。わたしは今教師と籍を置くブルームノヴァカレッジの当時の制服を身に纏っている。
「懐かしい……」
写真を見る度に零れる落ちる言葉は過去のキラキラした記憶を呼び覚ますと同時に心を抉る。もう何度も抉られたせいか慣れたけれど時折痛みに呻きたくなる。今日はそんなことなかったと息をついて写真を手帳に戻す。ついでに研修の予定を手帳に書き込む。
「これでいいわね」
研修の予定が書き込まれた日付を指でなぞる。瞬間、ふわふわ浮き立つ自分がいた。あれほど嫌だと思っていたのにやっぱりわたしの心は彼を求めている。彼と別れてからもう十年以上経っている。その分だけわたしは彼に会っていない。でも、そういう別れ方をわたしたちはしたから当たり前のこと。
「別れた頃はすごく会いたかったっけ」
彼に会いたくて、会いたくて、枕が涙や鼻水でぐちょぐちょになったのも思い出になりつつある。けど、それじゃいけないと大学時代に何人かの人と付き合ったけれど結局長く続かなかった。途中からは新しい恋を探すことをやめて勉強に集中した。そのお蔭といってはなんだけど大学卒業と同時に魔法執行官になれたのだけれど。それもあの修羅場のせいでおじゃん。
「ま、もうどうでもいいのだけれど」
大学時代に取得していた教員免許と先生のお蔭でこうして母校で教員にもなれた。再就職も問題なく教員業にも慣れてきた。次のステップに進むための研修でまさかこんなことになるなんて。いや、先生もいまだに当時の恋を引きずっているなんて想像もしていないでしょう。残念。先生。貴方の教え子はいまだに初恋が忘れられないヤバイ三十代の女なのですよ。
「うぅ、それにしてもどんな顔をしたらいいのっ」
魔法執行官時代どんな任務でも熟してきた。でも、まさか今までの人生で一番任務になるなんて誰が思ったか。
「いや。ジャンヌ・ルー。ここで引き下がるほど臆病者じゃないでしょ」
気張りなさい。自分よ。ただの痛い三十代から卒業するときが来たのよ。初恋拗らせ女を卒業するチャンスが巡って来たと思えばいいの。そう。これはチャンスよ。
「ええ、そうよ。やってやるわ。やってやろうじゃない」
今こそ生まれ変わるのよ。わたしは垂れる前髪を掻き上げて手帳を睨みつける。そして、初恋にキッチリと清算してやろうと誓いを立てた。
「見ていないさい。デイヴィス・クルーウェル! わたしは今回絶対に貴方を乗り越えてやるわ!」
* * *
「よぉこそ! ナイトレイブンカレッジへ!」
闇の魔法と繋がる学校の門 を潜ると盛大な歓迎をする人がいた。緑の炎とシャンデリアの小さな光で照らされる部屋は薄暗くも厳かだった。交流していた学生の頃と変わらない部屋だった。そこで杖を突いてわたしを出迎えてくれた人はナイトレイブンカレッジの学園長――ディア・クロウリーで間違いない。
「これは、出迎え感謝いたします」
わたしは胸に手を添えて膝を折って恭しく挨拶をする。やりすぎかなと思いも過ぎないけれどいいパフォーマンスだと思うことにする。現にクロウリー学園長は嫌そう反応ではない。顔の半分は仮面で隠れて全然見えないけれど。
顔を上げるとシェイクハンドを求める学園長の手を取る。そして、一通りの挨拶を済ませるとコホンとわざとらしい咳を学園長がする。
「えー。これまで我が学園と貴校、ブルームノヴァカレッジの交流は途絶えておりました」
「ですが、我が校のロペス学園長は再び手を取り切磋琢磨したいとお考えです」
「はい。文書でもそのように書いていました。こちらとしても是非ともお願いしたいです」
仮面で隠れている目元が三日月を形作る。悪くない反応だとは思うし――この学園長はなぜブルームノヴァカレッジが十年以上もロイヤルソードアカデミーとナイトレイブンカレッジと交流を断っていたか知っているだろう。
というか、わたしはその交流を断つ原因を作った人間の一人なのだけれど。だから、余計にこの研修でこちらの印象を良くしておきたい。それに今のナイトレイブンカレッジの様子も純粋に知りたい。当時も今もやんちゃな男の子が多いのかしら。そうすると、デイヴィスは苦労しているに違いないわ。
あのデイヴィスがと自然と笑みが浮かぶとクロウリー学園長が「遅いですねぇ」と首を傾げた。それにわたしは「いかがしました」と声をかける。
「いえ。実はルー先生の研修担当をしてもらう我が校の教員がまだ来ないのですよ」
「あら。そうなんですか。でも、ナイトレイブンカレッジの先生はお忙しいですから」
「はい。でも、そのために今回は授業を少々動かしたのですがぁ」
「それは心遣いありがとうございます」
なら問題児の相手でもしているのかしら。学生の時代のデイヴィスは猫を被って上手く教員を相手にしていたから呼び出しなんてあまりされていなかった印象だ。でも、ナイトレイブンカレッジはよく先生に呼び出しを食らう印象が強く残っている。だから、きっとわたしを担当してくれる先生もそうなんじゃないかしら。
「少々呼び出しを――」
「遅れてすいません」
クロウリー学園長の声を遮るような自尊心の高そうな声が響く。少し低くなった声ではあるけれどわたしの耳によく馴染んだ声で久しく愛おしい声がした。
「クルーウェル先生」
呼ばれた名前にドキと心臓が跳ねる。それからドキドキと鼓動が激しくなっていく。これはいけないと何とか平静を保とう息を細く吐く。それから必死に表情を作り平然とした態度を取り繕う。こういうとき魔法執行官で学んだことが役に立つ。
「ルー先生。今回の研修を担当していただくデイヴィス・クルーウェル先生です」
カツという靴音と同時にクロウリー学園長が彼を紹介した。そして、わたしは取り繕った顔で十年以上ぶりの彼を見る。
目線を向けた瞬間、彼の鋼のように鈍く輝く瞳とバチと合った。瞬く間に身体の中を流れる血がギュンと回った気がして体温が急上昇していく。これではいけない、何とか身体の熱を下げようとしたときだった。
「ッ」
顔の古傷に鋭い痛みが走った。思わぬ痛みに反射的に手で押さえるとクロウリー学園長が「どうかしましたか」と心配げに訊ねて来た。わたしは首を横に振る。
「いいえ。なんでもありません。以前の、魔法執行官時代に出来た古傷が痛んだだけです」
「そうですか。しかし、ルー先生はとても優秀な魔法執行官とそちらの学園長にお聞きしましたがどうして教師に?」
「ああ。ご気分を悪くさせる質問でしたら申し訳ありません」そう言いながらもクロウリー学園長は興味津々という感じである。だけれど、ありのままに話すにはお粗末な辞め方だし、あの二人のことを話すのはもう嫌だった。適当に言ってしまおう。
「父が後進を育成する姿に感化され母校で教鞭を取ることにしたのです」
「それはそれはッ! 立派な志です!」
「ありがとうございます」
痛みも引いて来たところでクロウリー学園長がデイヴィスを見た。わたしもつられるように見る。今度は古傷が痛むこともなく胸を撫で下ろす。
にしても、やっぱりデイヴィスはカッコイイ。外見がいいのは昔から知っている。でも、そうじゃなくてすごくいい男になっている。いやいや、そんなのわかりきっていたじゃないの。でも、それにしたっていい男っぷりだ。久々に見るデイヴィスは初恋拗らせているわたしには刺激が強すぎる。鼻血とか出ていないといいのだけれど。
「ルー先生。鼻にも傷を?」
「あ、いえ、違います」
「そうですか? さて、では、研修の間にルー先生が使う部屋にクルーウェル先生がご案内します」
「分かりました」
わたしはデイヴィスを真っ直ぐに見てから頭を下げる。
「一月お世話になります。デイヴィス・クルーウェル先生」
声が震えなくてよかった。頭を上げたわたしをデイヴィスは変わらない冷ややかな瞳で見つめた。その瞳は何か訴えていることはないけれど穴が開くほど見つめられるのは居心地が悪かった。
どうしようか、と悩みかけるとデイヴィスが「学園長、理事会があるのでは」と話し出した。それにクロウリー学園長が飛び跳ねた。そして、懐中時計を確認すると「もうこんな時間!」と声を上げた。
「ルー先生。申し訳ありません。私これから理事会がありまして」
「お気になさらず」
そういうと仮面の瞳が三日月のようにしなる。クロウリー学園長は「では、お言葉に甘えて失礼いたします!」高らかに声を上げるとバサと音をさせて一瞬にして消えてしまった。瞬間移動の魔法が使えるのね、と感心していると「おい」と尊大な声で呼ばれる。それにしても「おい」なんて酷いじゃない。でも、それすらもやっぱり懐かしかった。
「久しぶりね。クルーウェル先生」
口角を綺麗に上げて目もしっかりと笑って見せる。デイヴィスはわたしの顔をじっと見て同じく口角をクッと上げて「久しぶりだな、ルー先生」と返した。
ファミリーネームで呼ばれることなんて殆どなかったから新鮮。いや、何だかデイヴィスに「先生」と呼ばれるのが不思議でならない。
「ふ、ふふ。なんだか貴方に先生って呼ばれるの不思議ね」
「それはこっちの台詞だ。はぁ。まさか貴様が教師になるとはな」
「いやぁね。それはわたしの台詞よ」
当時のデイヴィスを見ていれば誰が教師になると思うかしら。わたしでさえ全然想像していなかったわ。だから、風邪の噂でデイヴィスが母校であるナイトレイブンカレッジの教師となったと聞いて飲んでいたコーヒーを拭き出したくらい驚いたもの。
「教師も板についているようね」
「もう教師になって何年経っていると思ってるんだ」
はぁと溜息をつく姿も変わらず素敵っていうかわたしすごくないかしら。
声すらでないかもしれないと思ったけれど普通に会話している。わたし、普通に喋れているわ。やだ、すごいじゃないの、わたし。
「で、ルー先生。担当している教科は一体なんだ?」
やればできる、と鼓舞しているとデイヴィスにそう問われた。わたしは「実践魔法よ」と答える。他にも理数系も担当できそうだったけれど一年目なので実践魔法ひとつ。とはいっても、実践魔法も基礎から応用様々でさらに実践の際の準備が大変。
「貴様らしいな」
「それは褒め言葉かしら」
何だか顔が「まぁそうだとは思った」と言っているようでしゃらくさい。何だか他の教科は出来ないだろうと言われているようで腹が立つし。まるで脳筋女と言われているようでさらに腹立たしい。
「言っておくけどわたしの授業は学生に人気あるのよ」
「ほぉ。それは見ものだな」
「ふん。なら見ていなさい」
貴方の可愛い子犬ちゃんたちを奪ってやるわ。言葉にせずに瞳でそう訴えれば。シルバーグレーの瞳も望むところだ、と返して来た。ほんとこういうところは今も昔も変わらない。でも、その挑発に乗ってしまうわたしもあまり変わっていない。いや、もう三十代なんだから少しは変わっているは――。
「お前は変わらないな」
「え」
パッとデイヴィスを見ればすでに背を向けていた。そして肩越しといっても毛皮に隠れて顔の殆どが見えない。その状態で彼は「行くぞ」と言い出す。
「あ。待って」
スタスタと歩き出す彼を慌てて追いかける。その足の速さは恋人になる前のそれでどこか寂しさを感じた。でも、わたしと彼の間にある関係はもうない。昔なじみがせいぜいいいところ。いや、腐れ縁の方がしっくりくるかもしれない。だから、彼が優しくする理由もないわけで――って、ごちゃごちゃ考えているけれど普通に寂しいわ。そう。もう、ただわたしは寂しいのよ。この距離間が。
はぁ、と心の中で溜息を尽きながら足早な彼の背中を追いかけた。
「あぁ゛~~つかれたぁぁあ゛」
与えられた部屋でわたしは椅子に座り足を振ってパンプスを脱ぎ捨てる。脱ぎ捨てた後の足の解放感と言ったらない。にしても普段は可愛い女子高生たちを相手にしても疲れないのだけれど慣れない場にドッシリと身体が重い。三十代に入って教師となったわたし。魔法執行官で鍛えられた体力に気力がこういうときに大いに役に立つ。けれど、やっぱり女子高生と男子校生は違う。
「つかれた……」
身体の力を抜きながら目を瞑る。このまま誰も来ないで休憩しようかなと思ったときだった。トントン、と扉が叩かれた。
その音に身体を起してパンプスを履いて足を組む。肘を机に置いて何とか体勢を作り「はい。どうぞ」と答える。
静かに開いた扉の向こうにはデイヴィスがいた。何で、と一瞬疲れた頭が回らなかったけれど自分のここでの立ち位置を考えれば彼が来るのも当たり前。わたしは組んでいた足を降ろし立ち上がり頭を軽く下げる。
「すいません。今日のまとめがまだでした」
「そうだ。だが、俺も駄犬の躾けで遅れたからな」
はぁ、と深い溜息をつくデイヴィスを見れば薄らと青筋を浮かべていた。どうやらそうとうなお痛をした生徒がいたらしい。それでもしっかりと面倒を見るんだからいい先生よね。
「で、先にルー先生が提出してくれた授業の計画書だが」
「何か問題がありましたか」
「少々気になるところがある。まぁ、まずは座れ」
「はい」
デイヴィスも椅子を引っ張り出して長い足を組んで座る。わたしはキチンと足を組まずに座る。この光景がまた懐かしい記憶を呼び起こすから嫌になる。懐古癖もほどほどにしなければ。
わたしは肚に気合を入れて姿勢を正し先輩教師のデイヴィスの話に耳を傾けた。にしても、やっぱり声もよくて本当に辛い。もう。早く研修終わってぇ、と心の中で泣きながらしっかりと反省会に臨んだ。
* * *
「なんで、俺なんか庇ったんだッ」
凄まじい剣幕で綺麗な顔を歪ませながら病室に入って来たデイヴィスがいの一番にそう叫んだ。わたしはまだ治療中の顔の痛みに顔を歪めながら「たすけたかったから」と答える。でも、デイヴィスはそれが納得できなかったのか顔は険しいままだった。
彼の名前を呼んで触れたいのにベッドからわたしは起き上がることもできない。一番酷いのは顔だったけれど他にも倒れたときに身体を大理石の床に打ちつけてしまった。まだ、その痛みが言えず上手く動けない。
「俺自身くらい守ることができたッ!」
「それは」
優秀な彼のことだからあの攻撃魔法を防御できたかもしれない。でも、あのときの彼は振りの体勢だった。マジカルペンの位置を見て詠唱破棄が出来たとしても一歩遅れていた。わたしだって馬鹿じゃないし、見る目がないわけではない。だから、だから、デイヴィスのプライドが傷つくと分かっていても間に割って入った。
「あなたを、ただ、たすけたかった、から」
掠れた声でデイヴィスに伝える。険しくつり上がっていた目尻がふいに柔ぐけれどすぐに戻る。許せない、と鋭い鋼のような瞳が燃えているようだ。怒るのは当たり前なのだけれどわたしの気持ちも分かってほしい。
「あなたのぷらいど、を、きずつけたのわかってる……でも、わたし、わたしは」
「もういい」
鋭利な刃物のようにスパンと言葉は断ち切られた。縋るように彼を見れば燃えていた瞳は今や刃物のように冷ややかだった。
わたしはこの瞬間自分が想像していた以上に彼の自尊心を大きな傷つけてしまったようだ。でも、わたしだって謝りたくない。だって、わたしは、わたしはそれでも彼を守りたかったんだもの。だから、謝るつもりはない。
キュッと唇を噛んで彼から視線を逸らす。すると、立ち上がった反射でガタと椅子が動く音が聞こえた。
「……また見舞いに来る」
そんなことこれっぽっちも感じさせない声でそう言うとデイヴィスは部屋を出ていった。そして、ほんとうに彼は退院する前日まで来ることはなかった。
窓ガラスを打ちつける雨音にわたしは深夜起された。起きると同時に目尻から伝う涙を拭うと顔に激痛が走って思わず呻く。
「ッ、いだっ」
雨の日の激痛だ。わたしはズキンズキンと大きな波のうねりとなってやってくる痛みに唇を噛む。ここまでくると痛み止めを飲まないといけないかもしれない。
「くすり、どこだったかしら?」
ベッドから何とか起き上がり旅行鞄を漁りながらピルケースを取る。そこから乱暴に一粒錠剤を取ってベッドサイドに置いておいた水を片手に飲む。
「はっ、ぅうッ、朝までに治ればいいけれど」
まだ夜が明けるまで時間がある。もうひと眠りしよう。でも、また寝るとあの頃の夢を見そうでいやだな。でも、ベッドに横になるとあっという間に眠気が襲い掛かって来る。うとうと重くなる瞼にわたしはまた眠りについた。そして、今度は夢を見ずに眠ることができた。
「治らない」
深夜の激痛は朝には治まっていた。でも、それも朝だけ。午前中の授業見学のときに俄かに痛み出し、午後の自分の授業で痛みが大きなうねりとしてやって来た。そして、放課後の今、ズキンズクンと古傷が痛む。昼間に鎮痛剤を飲んだけれど利いている感じはしない。でも、そう日に何度も薬は飲めない。
「にしても、いくら雨だからといってこんなに痛むなんて」
思わぬ痛みに背もたれに身体の全体重をかけ目を閉じる。すると、窓に打ちつける雨の激しい音が耳に届く。雑音のようで妙に耳に心地いい音。けど、その音が作るリズムが古傷の痛みに同調してさらに疼く。耐えるように奥歯を噛んでいるけれど痛みをやり過ごすには時間がかかる。
「くすり、つくろうかしら」
魔法薬で作り痛み止めなら対象者に合わせた鎮痛薬が作れるはず。幸いここは魔法士を養成する機関としては随一。許可を貰えれば薬草くらい分けてくれるだろう。
「あ、でも、外部の人間に作らせてくれるかしら」
痛みで頭が回らないのか考えつかなかった。自分の学校なら申請書を出せば痛み止めなどの薬を作ることができる。でも、ここはブルームノヴァではない。他所の学校だ。
「ハァ。購買部で薬が買えるわけないし……詰んだ」
もうこのまま痛みをやり過ごすしかない。幸い放課後だし後は宿舎に戻って時間が経つのを待つしかない。
「今日はもう無理ね……研修二日目でまさかこんなことになるなんて」
なんて体たらくかしら。というか、なんで魔法執行官時代はこの痛みをやり過ごせたのか。愚問よね。魔法庁もまた凄腕の魔法医術士がいたから。だから、薬がすぐに効いたし少しの治療魔法で痛みが和らいだ。でも、今はその凄腕の魔法医術士もいない。なら我慢するしかない。
「痛い」
顔に触れると手の冷たさでより痛みが増した気がする。
ズキンズキンする痛みに頭の回転が鈍くなっていく。どうしようかしら、と眉間に皺を寄せていたときにノックの音が二回聞こえた。
「だれよ……」
触れていた手を離して出迎えるために椅子を回して扉の方に身体を向ける。何とか痛みを抑えるために息を整えて扉の向こうの訪問者に答える。
行儀よく待っていた訪問者が扉を開くとそこにはデイヴィスだった。わたしは内心で舌を打ち鳴らす。なんで、こんなときにデイヴィスが来るのかしら。いや、仕方ないわ。だって、彼はわたしの研修担当なのだから。放課後の仕事がひと段落した時間に来るのは当たり前よ。分かり辛く「ふぅ」と息をついて彼を見る。
「今日のまとめですか」
「いや。今日はしない」
「え」
どういうこと、とデイヴィスを見れば盛大な溜息をつかれた。それから顔をしかめて魔法石の付いた指揮棒を振るとポンとクリスタル瓶が現れた。その瓶はデイヴィスの手のひらに落ちるとすぐに前に突き出された。
「やる。これを飲んで今日は休め」
その仕草が懐かしい記憶を呼び起こすのは十分だった。かつて、わたしは学生の頃に彼と同じようなやり取りをした。まだ付き合う前。お互い自分こそが一番だと張り合っていた頃。わたしがデイヴィスに恋心を抱く小さな出来事。具合の悪いわたしに今みたいに薬の入った瓶を押し付けてきた。わたしが虚勢を張って受け取るのを断る前に押しつけて去って行ったのよね。
懐かしい記憶。でも、今の彼とわたしは当時と違う。わたしは赤いグローブの上にあるクリスタルの瓶に両手を伸ばす。すると、デイヴィスは手が届く前に押し付けて来た。
落とさないようにしっかりと掴んで胸元でしっかりと抱く。そして、前回は言えなかった感謝の気持ちをしっかりと見つめながら告げる。
「ありがとう。鎮痛剤が利かなくて困っていたの」
「……傷は頻繁に痛むのか?」
冷え冷えとした鋼の瞳にわたしは苦笑を向けて頭を左右に振る。「いいえ。こういう悪天候のときによ」と答えれば目尻が僅かに緩んだ。わたしは心配しないでと笑みを向ける。
「ここまで酷いのはほんとにたまに」
だから、気にする事じゃないのよ。そう続けようと思ったけれど「たまにでもあるのか」という彼の言葉に言えなかった。
デイヴィスを見れば沈痛な面持ちではないけれど何か傷を負ったような顔をしていた。それでもそんな顔は一瞬でいつもの高慢そうな彼の顔に戻る。
「用事はそれだけで明日からまたしっかり躾けてやるからな」
「わかっ――ちょっと、その言い方だとわたしも貴方の仔犬ちゃんたちと同列みたいじゃない」
「ふん。俺の仔犬どもとさして変わらないだろ」
「な! 流石に違うわよ!」
仔犬ちゃんたちと同列なんて流石に扱いが酷い。せめてもう少しレベルアップした扱いをしてほしいっていうか。何でいきなりそうなるのよ。
「ほぉ。なら俺が認めるほどの教師になるんだな」
「な、貴方の目線なによ!」
一介の教師のくせに、と痛みも忘れてデイヴィスを睨む。それにデイヴィスが溜息をついて「元気ではあるな」と囁いた。それから顎を上げて「俺は忙しいから戻る」と言って毛皮の尻尾を翻してサッサと部屋を出ていってしまった。
再び部屋で一人になったわたしはギュッとクリスタル瓶を握りしめる。
「ほんっとに諦めさせてくれない人ね」
古傷の痛みも忘れてわたしは彼の細やかな優しさに少女の頃のように胸を高鳴らせた。
病院を退院する前の日。顔の傷も傷以外が癒え散歩もできるようになった日。病院内の散歩道を歩いているときだった。わたしの前に愛おしい人が現れた。でも、その彼はいつもの皮肉染みた笑みもなく。恋人に向ける甘い笑みもなく。ただ、わたしの前に立った。
どうしてそんな顔をするの。どうしてそんな双眸で見つめるの。なんて、全部分かっているの。わたしは見つめて来る彼を見つめ返し微笑んだ。それに彼はさらに顔を顰めて綺麗な形をした柔らかい唇開く。でも、その前にわたしは唇を動かして掠れた声を出した。
「デイヴィス――わたしたち別れましょうか」
夏の始まり。緑の茂るのを横目にしながらわたしは最愛の人に別れを告げた。
「研修ですか……」
「ええ。ナイトイレブンカレッジが快く引き受けてくれました」
学生時代の恩師であられ現在は学園長となったロペス先生は表情ひとつ動かずに告げた。研修はもちろん問題はない。なにせわたしは教師になってまだ一年目の新米だ。研修は受けるべきものだ。だけれど、だけれど、研修先が問題だ。
「あのナイトレイブンカレッジとは久しく交流がないはずでは」
「ええ。そうよ。ですが、私は彼の学校とは交流すべきだと考えています」
最近老眼がと言って着け始めた眼鏡を外しながらロペス先生はわたしを見据える。スモークブルーの瞳で見つめられると自然と背筋が伸びていく。ほんとうに、ほんとうに、先生の瞳は力強い鷹のよう。
「ロイヤルソードアカデミーとの交流も再開しました。ならば、ナイトレイブンカレッジとの交流も再開すべきです」
はい。おっしゃる通りです。わたしは頷きながらそれでもできれば研修先はロイヤルソードアカデミーの方がよかった。手のかからないお坊ちゃんばかりだし。ああ、でも、ナイトレイブンカレッジと交流を再開させるならわたしの研修はいい機会よね。それにわたしはその交流を途絶えさせた原因の一人でもあるのだし。
「研修に行ってくれますね。ジャンヌ・ルー先生」
「もちろんでございます。ロペス学園長」
よろしい、と頷いて再び老眼鏡を着けて書類にサインを始める学園長。わたしは用事が終わったことを認識し最後に頭を下げて学園長室を後にした。
学園長室から伸びる渡り廊下を歩き校舎の中をツカツカ歩く。最中に生徒に会って「こんにちは」と軽やかに挨拶しながら自分の研究室へと向かう。
バタンと淑女としてははしたない勢いで扉を開いて閉じる。そして、資料の積み重なる机でうつ伏せになって綺麗にセットした髪の毛を掻きむしる。
「あああッッ! なんで、ナイトレイブンカレッジなの! あそこには、あそこには、彼がいるのにぃぃい!」
彼と浮かべた男の顔にうっかりトキメクわたしは誰が見ても初恋拗らせ女だ。友人からも「まだ……」と呆れた眼差しを向けられるのにも慣れるくらいには拗らせている。三十代を越えていまだに拘っていることがヤバイ女なのは重々承知しているのよ。
「でも、だって、だって、仕方ないじゃない」
サラサラと崩れていく髪のセットを魔法で整え直す。それから手帳を引っ張って写真を取り出す。写真は魔法で加工されているため現像した頃と変わらぬ美しさを保っている。その写真に映るのは二人。一人は黒髪で冷たいシルバーグレーの瞳を持つ素敵な男の子。もう一人は――傷のない頃の少女のわたし。彼はナイトレイブンカレッジの当時の制服を身に纏い。わたしは今教師と籍を置くブルームノヴァカレッジの当時の制服を身に纏っている。
「懐かしい……」
写真を見る度に零れる落ちる言葉は過去のキラキラした記憶を呼び覚ますと同時に心を抉る。もう何度も抉られたせいか慣れたけれど時折痛みに呻きたくなる。今日はそんなことなかったと息をついて写真を手帳に戻す。ついでに研修の予定を手帳に書き込む。
「これでいいわね」
研修の予定が書き込まれた日付を指でなぞる。瞬間、ふわふわ浮き立つ自分がいた。あれほど嫌だと思っていたのにやっぱりわたしの心は彼を求めている。彼と別れてからもう十年以上経っている。その分だけわたしは彼に会っていない。でも、そういう別れ方をわたしたちはしたから当たり前のこと。
「別れた頃はすごく会いたかったっけ」
彼に会いたくて、会いたくて、枕が涙や鼻水でぐちょぐちょになったのも思い出になりつつある。けど、それじゃいけないと大学時代に何人かの人と付き合ったけれど結局長く続かなかった。途中からは新しい恋を探すことをやめて勉強に集中した。そのお蔭といってはなんだけど大学卒業と同時に魔法執行官になれたのだけれど。それもあの修羅場のせいでおじゃん。
「ま、もうどうでもいいのだけれど」
大学時代に取得していた教員免許と先生のお蔭でこうして母校で教員にもなれた。再就職も問題なく教員業にも慣れてきた。次のステップに進むための研修でまさかこんなことになるなんて。いや、先生もいまだに当時の恋を引きずっているなんて想像もしていないでしょう。残念。先生。貴方の教え子はいまだに初恋が忘れられないヤバイ三十代の女なのですよ。
「うぅ、それにしてもどんな顔をしたらいいのっ」
魔法執行官時代どんな任務でも熟してきた。でも、まさか今までの人生で一番任務になるなんて誰が思ったか。
「いや。ジャンヌ・ルー。ここで引き下がるほど臆病者じゃないでしょ」
気張りなさい。自分よ。ただの痛い三十代から卒業するときが来たのよ。初恋拗らせ女を卒業するチャンスが巡って来たと思えばいいの。そう。これはチャンスよ。
「ええ、そうよ。やってやるわ。やってやろうじゃない」
今こそ生まれ変わるのよ。わたしは垂れる前髪を掻き上げて手帳を睨みつける。そして、初恋にキッチリと清算してやろうと誓いを立てた。
「見ていないさい。デイヴィス・クルーウェル! わたしは今回絶対に貴方を乗り越えてやるわ!」
* * *
「よぉこそ! ナイトレイブンカレッジへ!」
闇の魔法と繋がる学校の
「これは、出迎え感謝いたします」
わたしは胸に手を添えて膝を折って恭しく挨拶をする。やりすぎかなと思いも過ぎないけれどいいパフォーマンスだと思うことにする。現にクロウリー学園長は嫌そう反応ではない。顔の半分は仮面で隠れて全然見えないけれど。
顔を上げるとシェイクハンドを求める学園長の手を取る。そして、一通りの挨拶を済ませるとコホンとわざとらしい咳を学園長がする。
「えー。これまで我が学園と貴校、ブルームノヴァカレッジの交流は途絶えておりました」
「ですが、我が校のロペス学園長は再び手を取り切磋琢磨したいとお考えです」
「はい。文書でもそのように書いていました。こちらとしても是非ともお願いしたいです」
仮面で隠れている目元が三日月を形作る。悪くない反応だとは思うし――この学園長はなぜブルームノヴァカレッジが十年以上もロイヤルソードアカデミーとナイトレイブンカレッジと交流を断っていたか知っているだろう。
というか、わたしはその交流を断つ原因を作った人間の一人なのだけれど。だから、余計にこの研修でこちらの印象を良くしておきたい。それに今のナイトレイブンカレッジの様子も純粋に知りたい。当時も今もやんちゃな男の子が多いのかしら。そうすると、デイヴィスは苦労しているに違いないわ。
あのデイヴィスがと自然と笑みが浮かぶとクロウリー学園長が「遅いですねぇ」と首を傾げた。それにわたしは「いかがしました」と声をかける。
「いえ。実はルー先生の研修担当をしてもらう我が校の教員がまだ来ないのですよ」
「あら。そうなんですか。でも、ナイトレイブンカレッジの先生はお忙しいですから」
「はい。でも、そのために今回は授業を少々動かしたのですがぁ」
「それは心遣いありがとうございます」
なら問題児の相手でもしているのかしら。学生の時代のデイヴィスは猫を被って上手く教員を相手にしていたから呼び出しなんてあまりされていなかった印象だ。でも、ナイトレイブンカレッジはよく先生に呼び出しを食らう印象が強く残っている。だから、きっとわたしを担当してくれる先生もそうなんじゃないかしら。
「少々呼び出しを――」
「遅れてすいません」
クロウリー学園長の声を遮るような自尊心の高そうな声が響く。少し低くなった声ではあるけれどわたしの耳によく馴染んだ声で久しく愛おしい声がした。
「クルーウェル先生」
呼ばれた名前にドキと心臓が跳ねる。それからドキドキと鼓動が激しくなっていく。これはいけないと何とか平静を保とう息を細く吐く。それから必死に表情を作り平然とした態度を取り繕う。こういうとき魔法執行官で学んだことが役に立つ。
「ルー先生。今回の研修を担当していただくデイヴィス・クルーウェル先生です」
カツという靴音と同時にクロウリー学園長が彼を紹介した。そして、わたしは取り繕った顔で十年以上ぶりの彼を見る。
目線を向けた瞬間、彼の鋼のように鈍く輝く瞳とバチと合った。瞬く間に身体の中を流れる血がギュンと回った気がして体温が急上昇していく。これではいけない、何とか身体の熱を下げようとしたときだった。
「ッ」
顔の古傷に鋭い痛みが走った。思わぬ痛みに反射的に手で押さえるとクロウリー学園長が「どうかしましたか」と心配げに訊ねて来た。わたしは首を横に振る。
「いいえ。なんでもありません。以前の、魔法執行官時代に出来た古傷が痛んだだけです」
「そうですか。しかし、ルー先生はとても優秀な魔法執行官とそちらの学園長にお聞きしましたがどうして教師に?」
「ああ。ご気分を悪くさせる質問でしたら申し訳ありません」そう言いながらもクロウリー学園長は興味津々という感じである。だけれど、ありのままに話すにはお粗末な辞め方だし、あの二人のことを話すのはもう嫌だった。適当に言ってしまおう。
「父が後進を育成する姿に感化され母校で教鞭を取ることにしたのです」
「それはそれはッ! 立派な志です!」
「ありがとうございます」
痛みも引いて来たところでクロウリー学園長がデイヴィスを見た。わたしもつられるように見る。今度は古傷が痛むこともなく胸を撫で下ろす。
にしても、やっぱりデイヴィスはカッコイイ。外見がいいのは昔から知っている。でも、そうじゃなくてすごくいい男になっている。いやいや、そんなのわかりきっていたじゃないの。でも、それにしたっていい男っぷりだ。久々に見るデイヴィスは初恋拗らせているわたしには刺激が強すぎる。鼻血とか出ていないといいのだけれど。
「ルー先生。鼻にも傷を?」
「あ、いえ、違います」
「そうですか? さて、では、研修の間にルー先生が使う部屋にクルーウェル先生がご案内します」
「分かりました」
わたしはデイヴィスを真っ直ぐに見てから頭を下げる。
「一月お世話になります。デイヴィス・クルーウェル先生」
声が震えなくてよかった。頭を上げたわたしをデイヴィスは変わらない冷ややかな瞳で見つめた。その瞳は何か訴えていることはないけれど穴が開くほど見つめられるのは居心地が悪かった。
どうしようか、と悩みかけるとデイヴィスが「学園長、理事会があるのでは」と話し出した。それにクロウリー学園長が飛び跳ねた。そして、懐中時計を確認すると「もうこんな時間!」と声を上げた。
「ルー先生。申し訳ありません。私これから理事会がありまして」
「お気になさらず」
そういうと仮面の瞳が三日月のようにしなる。クロウリー学園長は「では、お言葉に甘えて失礼いたします!」高らかに声を上げるとバサと音をさせて一瞬にして消えてしまった。瞬間移動の魔法が使えるのね、と感心していると「おい」と尊大な声で呼ばれる。それにしても「おい」なんて酷いじゃない。でも、それすらもやっぱり懐かしかった。
「久しぶりね。クルーウェル先生」
口角を綺麗に上げて目もしっかりと笑って見せる。デイヴィスはわたしの顔をじっと見て同じく口角をクッと上げて「久しぶりだな、ルー先生」と返した。
ファミリーネームで呼ばれることなんて殆どなかったから新鮮。いや、何だかデイヴィスに「先生」と呼ばれるのが不思議でならない。
「ふ、ふふ。なんだか貴方に先生って呼ばれるの不思議ね」
「それはこっちの台詞だ。はぁ。まさか貴様が教師になるとはな」
「いやぁね。それはわたしの台詞よ」
当時のデイヴィスを見ていれば誰が教師になると思うかしら。わたしでさえ全然想像していなかったわ。だから、風邪の噂でデイヴィスが母校であるナイトレイブンカレッジの教師となったと聞いて飲んでいたコーヒーを拭き出したくらい驚いたもの。
「教師も板についているようね」
「もう教師になって何年経っていると思ってるんだ」
はぁと溜息をつく姿も変わらず素敵っていうかわたしすごくないかしら。
声すらでないかもしれないと思ったけれど普通に会話している。わたし、普通に喋れているわ。やだ、すごいじゃないの、わたし。
「で、ルー先生。担当している教科は一体なんだ?」
やればできる、と鼓舞しているとデイヴィスにそう問われた。わたしは「実践魔法よ」と答える。他にも理数系も担当できそうだったけれど一年目なので実践魔法ひとつ。とはいっても、実践魔法も基礎から応用様々でさらに実践の際の準備が大変。
「貴様らしいな」
「それは褒め言葉かしら」
何だか顔が「まぁそうだとは思った」と言っているようでしゃらくさい。何だか他の教科は出来ないだろうと言われているようで腹が立つし。まるで脳筋女と言われているようでさらに腹立たしい。
「言っておくけどわたしの授業は学生に人気あるのよ」
「ほぉ。それは見ものだな」
「ふん。なら見ていなさい」
貴方の可愛い子犬ちゃんたちを奪ってやるわ。言葉にせずに瞳でそう訴えれば。シルバーグレーの瞳も望むところだ、と返して来た。ほんとこういうところは今も昔も変わらない。でも、その挑発に乗ってしまうわたしもあまり変わっていない。いや、もう三十代なんだから少しは変わっているは――。
「お前は変わらないな」
「え」
パッとデイヴィスを見ればすでに背を向けていた。そして肩越しといっても毛皮に隠れて顔の殆どが見えない。その状態で彼は「行くぞ」と言い出す。
「あ。待って」
スタスタと歩き出す彼を慌てて追いかける。その足の速さは恋人になる前のそれでどこか寂しさを感じた。でも、わたしと彼の間にある関係はもうない。昔なじみがせいぜいいいところ。いや、腐れ縁の方がしっくりくるかもしれない。だから、彼が優しくする理由もないわけで――って、ごちゃごちゃ考えているけれど普通に寂しいわ。そう。もう、ただわたしは寂しいのよ。この距離間が。
はぁ、と心の中で溜息を尽きながら足早な彼の背中を追いかけた。
「あぁ゛~~つかれたぁぁあ゛」
与えられた部屋でわたしは椅子に座り足を振ってパンプスを脱ぎ捨てる。脱ぎ捨てた後の足の解放感と言ったらない。にしても普段は可愛い女子高生たちを相手にしても疲れないのだけれど慣れない場にドッシリと身体が重い。三十代に入って教師となったわたし。魔法執行官で鍛えられた体力に気力がこういうときに大いに役に立つ。けれど、やっぱり女子高生と男子校生は違う。
「つかれた……」
身体の力を抜きながら目を瞑る。このまま誰も来ないで休憩しようかなと思ったときだった。トントン、と扉が叩かれた。
その音に身体を起してパンプスを履いて足を組む。肘を机に置いて何とか体勢を作り「はい。どうぞ」と答える。
静かに開いた扉の向こうにはデイヴィスがいた。何で、と一瞬疲れた頭が回らなかったけれど自分のここでの立ち位置を考えれば彼が来るのも当たり前。わたしは組んでいた足を降ろし立ち上がり頭を軽く下げる。
「すいません。今日のまとめがまだでした」
「そうだ。だが、俺も駄犬の躾けで遅れたからな」
はぁ、と深い溜息をつくデイヴィスを見れば薄らと青筋を浮かべていた。どうやらそうとうなお痛をした生徒がいたらしい。それでもしっかりと面倒を見るんだからいい先生よね。
「で、先にルー先生が提出してくれた授業の計画書だが」
「何か問題がありましたか」
「少々気になるところがある。まぁ、まずは座れ」
「はい」
デイヴィスも椅子を引っ張り出して長い足を組んで座る。わたしはキチンと足を組まずに座る。この光景がまた懐かしい記憶を呼び起こすから嫌になる。懐古癖もほどほどにしなければ。
わたしは肚に気合を入れて姿勢を正し先輩教師のデイヴィスの話に耳を傾けた。にしても、やっぱり声もよくて本当に辛い。もう。早く研修終わってぇ、と心の中で泣きながらしっかりと反省会に臨んだ。
* * *
「なんで、俺なんか庇ったんだッ」
凄まじい剣幕で綺麗な顔を歪ませながら病室に入って来たデイヴィスがいの一番にそう叫んだ。わたしはまだ治療中の顔の痛みに顔を歪めながら「たすけたかったから」と答える。でも、デイヴィスはそれが納得できなかったのか顔は険しいままだった。
彼の名前を呼んで触れたいのにベッドからわたしは起き上がることもできない。一番酷いのは顔だったけれど他にも倒れたときに身体を大理石の床に打ちつけてしまった。まだ、その痛みが言えず上手く動けない。
「俺自身くらい守ることができたッ!」
「それは」
優秀な彼のことだからあの攻撃魔法を防御できたかもしれない。でも、あのときの彼は振りの体勢だった。マジカルペンの位置を見て詠唱破棄が出来たとしても一歩遅れていた。わたしだって馬鹿じゃないし、見る目がないわけではない。だから、だから、デイヴィスのプライドが傷つくと分かっていても間に割って入った。
「あなたを、ただ、たすけたかった、から」
掠れた声でデイヴィスに伝える。険しくつり上がっていた目尻がふいに柔ぐけれどすぐに戻る。許せない、と鋭い鋼のような瞳が燃えているようだ。怒るのは当たり前なのだけれどわたしの気持ちも分かってほしい。
「あなたのぷらいど、を、きずつけたのわかってる……でも、わたし、わたしは」
「もういい」
鋭利な刃物のようにスパンと言葉は断ち切られた。縋るように彼を見れば燃えていた瞳は今や刃物のように冷ややかだった。
わたしはこの瞬間自分が想像していた以上に彼の自尊心を大きな傷つけてしまったようだ。でも、わたしだって謝りたくない。だって、わたしは、わたしはそれでも彼を守りたかったんだもの。だから、謝るつもりはない。
キュッと唇を噛んで彼から視線を逸らす。すると、立ち上がった反射でガタと椅子が動く音が聞こえた。
「……また見舞いに来る」
そんなことこれっぽっちも感じさせない声でそう言うとデイヴィスは部屋を出ていった。そして、ほんとうに彼は退院する前日まで来ることはなかった。
窓ガラスを打ちつける雨音にわたしは深夜起された。起きると同時に目尻から伝う涙を拭うと顔に激痛が走って思わず呻く。
「ッ、いだっ」
雨の日の激痛だ。わたしはズキンズキンと大きな波のうねりとなってやってくる痛みに唇を噛む。ここまでくると痛み止めを飲まないといけないかもしれない。
「くすり、どこだったかしら?」
ベッドから何とか起き上がり旅行鞄を漁りながらピルケースを取る。そこから乱暴に一粒錠剤を取ってベッドサイドに置いておいた水を片手に飲む。
「はっ、ぅうッ、朝までに治ればいいけれど」
まだ夜が明けるまで時間がある。もうひと眠りしよう。でも、また寝るとあの頃の夢を見そうでいやだな。でも、ベッドに横になるとあっという間に眠気が襲い掛かって来る。うとうと重くなる瞼にわたしはまた眠りについた。そして、今度は夢を見ずに眠ることができた。
「治らない」
深夜の激痛は朝には治まっていた。でも、それも朝だけ。午前中の授業見学のときに俄かに痛み出し、午後の自分の授業で痛みが大きなうねりとしてやって来た。そして、放課後の今、ズキンズクンと古傷が痛む。昼間に鎮痛剤を飲んだけれど利いている感じはしない。でも、そう日に何度も薬は飲めない。
「にしても、いくら雨だからといってこんなに痛むなんて」
思わぬ痛みに背もたれに身体の全体重をかけ目を閉じる。すると、窓に打ちつける雨の激しい音が耳に届く。雑音のようで妙に耳に心地いい音。けど、その音が作るリズムが古傷の痛みに同調してさらに疼く。耐えるように奥歯を噛んでいるけれど痛みをやり過ごすには時間がかかる。
「くすり、つくろうかしら」
魔法薬で作り痛み止めなら対象者に合わせた鎮痛薬が作れるはず。幸いここは魔法士を養成する機関としては随一。許可を貰えれば薬草くらい分けてくれるだろう。
「あ、でも、外部の人間に作らせてくれるかしら」
痛みで頭が回らないのか考えつかなかった。自分の学校なら申請書を出せば痛み止めなどの薬を作ることができる。でも、ここはブルームノヴァではない。他所の学校だ。
「ハァ。購買部で薬が買えるわけないし……詰んだ」
もうこのまま痛みをやり過ごすしかない。幸い放課後だし後は宿舎に戻って時間が経つのを待つしかない。
「今日はもう無理ね……研修二日目でまさかこんなことになるなんて」
なんて体たらくかしら。というか、なんで魔法執行官時代はこの痛みをやり過ごせたのか。愚問よね。魔法庁もまた凄腕の魔法医術士がいたから。だから、薬がすぐに効いたし少しの治療魔法で痛みが和らいだ。でも、今はその凄腕の魔法医術士もいない。なら我慢するしかない。
「痛い」
顔に触れると手の冷たさでより痛みが増した気がする。
ズキンズキンする痛みに頭の回転が鈍くなっていく。どうしようかしら、と眉間に皺を寄せていたときにノックの音が二回聞こえた。
「だれよ……」
触れていた手を離して出迎えるために椅子を回して扉の方に身体を向ける。何とか痛みを抑えるために息を整えて扉の向こうの訪問者に答える。
行儀よく待っていた訪問者が扉を開くとそこにはデイヴィスだった。わたしは内心で舌を打ち鳴らす。なんで、こんなときにデイヴィスが来るのかしら。いや、仕方ないわ。だって、彼はわたしの研修担当なのだから。放課後の仕事がひと段落した時間に来るのは当たり前よ。分かり辛く「ふぅ」と息をついて彼を見る。
「今日のまとめですか」
「いや。今日はしない」
「え」
どういうこと、とデイヴィスを見れば盛大な溜息をつかれた。それから顔をしかめて魔法石の付いた指揮棒を振るとポンとクリスタル瓶が現れた。その瓶はデイヴィスの手のひらに落ちるとすぐに前に突き出された。
「やる。これを飲んで今日は休め」
その仕草が懐かしい記憶を呼び起こすのは十分だった。かつて、わたしは学生の頃に彼と同じようなやり取りをした。まだ付き合う前。お互い自分こそが一番だと張り合っていた頃。わたしがデイヴィスに恋心を抱く小さな出来事。具合の悪いわたしに今みたいに薬の入った瓶を押し付けてきた。わたしが虚勢を張って受け取るのを断る前に押しつけて去って行ったのよね。
懐かしい記憶。でも、今の彼とわたしは当時と違う。わたしは赤いグローブの上にあるクリスタルの瓶に両手を伸ばす。すると、デイヴィスは手が届く前に押し付けて来た。
落とさないようにしっかりと掴んで胸元でしっかりと抱く。そして、前回は言えなかった感謝の気持ちをしっかりと見つめながら告げる。
「ありがとう。鎮痛剤が利かなくて困っていたの」
「……傷は頻繁に痛むのか?」
冷え冷えとした鋼の瞳にわたしは苦笑を向けて頭を左右に振る。「いいえ。こういう悪天候のときによ」と答えれば目尻が僅かに緩んだ。わたしは心配しないでと笑みを向ける。
「ここまで酷いのはほんとにたまに」
だから、気にする事じゃないのよ。そう続けようと思ったけれど「たまにでもあるのか」という彼の言葉に言えなかった。
デイヴィスを見れば沈痛な面持ちではないけれど何か傷を負ったような顔をしていた。それでもそんな顔は一瞬でいつもの高慢そうな彼の顔に戻る。
「用事はそれだけで明日からまたしっかり躾けてやるからな」
「わかっ――ちょっと、その言い方だとわたしも貴方の仔犬ちゃんたちと同列みたいじゃない」
「ふん。俺の仔犬どもとさして変わらないだろ」
「な! 流石に違うわよ!」
仔犬ちゃんたちと同列なんて流石に扱いが酷い。せめてもう少しレベルアップした扱いをしてほしいっていうか。何でいきなりそうなるのよ。
「ほぉ。なら俺が認めるほどの教師になるんだな」
「な、貴方の目線なによ!」
一介の教師のくせに、と痛みも忘れてデイヴィスを睨む。それにデイヴィスが溜息をついて「元気ではあるな」と囁いた。それから顎を上げて「俺は忙しいから戻る」と言って毛皮の尻尾を翻してサッサと部屋を出ていってしまった。
再び部屋で一人になったわたしはギュッとクリスタル瓶を握りしめる。
「ほんっとに諦めさせてくれない人ね」
古傷の痛みも忘れてわたしは彼の細やかな優しさに少女の頃のように胸を高鳴らせた。