クルーウェル
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途切れない愛の糸
昨日は眠るのに時間がかかった。それくらい緊張というか楽しみだったディナー。彼とのひと時はとても楽しくて幸せだった。その幸せな時間を過ごした翌日――最悪な朝を迎えた。
「うそ……で、しょ」
爽快さとはかけ離れた朝の目覚め。身体を起し痛むこめかみに顔を顰めるとモゾと動く気配がした。なに、と横を見下ろして目を見開き眩暈がした。
「うそ、よ、ね」
そっともう一度前髪を掻き上げて隣で眠る美しい寝顔を晒す男を見下ろす。
「デイヴィスよね、やだ、どうして……」
どうして貴方がわたしの横で眠っているの。僅かに布団から出ている剥きだしの肩が何も身に纏っていないことを表している。そっと布団を持ち上げてそっと下ろす。
「わたし、着てないわ」
中を窺えばわたしは何も身に纏っていない状態。デイヴィスは下着だけ着ていたけれどこれでは白か黒かわからない。
「ッ」
ズキズキ痛む頭を押さえながら小さく呻く。どうしてこうなったのか思い出すしかない。
お酒には弱くも強くもない。自分の中の許容量を越えれば酔ってしまう程度。今まで人に迷惑をかけるほどの深酒はしたことがないし、酷い酔い癖があるとも聞いたことがない。だのに、今回に限って記憶が曖昧だ。
「えっと、えっと、ディナーで飲んだのはワインだけよね……」
でも、それだって一本開けただけ、それくらいは全然酔わない。ただちょっといいワインだったから気分がよくなったのは確か。
「それから、デイヴィスに送ってもら――いえ、違うわ」
何だったかしら。思い出そうと痛む頭で必死に脳味噌の記憶回路を動かす。
「ディナーを終えて――そうよ。デイヴィスの行きつけのBARに時間があるから行ったのよね」
チラチラと浮かび上がる記憶のページを捲りながら頭を両手で抱える。
「えっと、それから、うん、上司の愚痴に、最近の研究論文について花が咲いて」
結構飲んだ。ワインも飲んでいた身体にカクテルとかを摂取した結果酔いが回った。
「ッ」
サァと血の気が引く感覚に一瞬にして記憶のページが動き出す。
「やっちゃった」
辺りを見回しながら明らかに高級なホテルだとわかる部屋。チラッとベッドの下を見ても脱ぎ乱れた服はない。彼の服も勿論ない。当たり前だ。わたしが駄目にしたのだから。
「うわぁ。ごめんなさいね、デイヴィス」
申し訳ない。わたしは貴方の綺麗でお高い服にぶちまけてしまいました。本当にごめんなさい。でも、ホテルまで耐えたわたしをちょっと褒めてほしい。いや、うん、服を駄目にしてしまったわたしが言うことじゃないし――。
「わたし脱ぎ魔なのね!」
思い出した自分の醜態を再び消したくなった。
酔ったわたしはひとしきり吐いてすっきりしたら服を脱ぎ出した。解放は感素晴らしかったけれど元恋人とはいえ男性の前でいきなり脱ぎ出すなんて最低最悪。しかも、魔法執行官になってから出来た勲章の痕がある身体なんて見たくないだろう。
「んで、寂しがり屋とか――酒癖ひど過ぎるわ」
素っ裸になった女に一緒に寝ようなんて言われて可哀想なデイヴィス。さらに、ぶちまかれて汚れた服からバスローブになっていた彼のそれを剥ぎ取るなんて――最低な人間。
「うぅ、申し訳なさ過ぎてどうしたらいいの」
とりあえずサッサとシャワーを浴びて彼が起きたら謝り倒すしかない。あと、服も弁償しよう。わたしの貯金があればどうにでもできるだろう。
最早二日酔いの頭痛など気にしていることもできない。とりあえずシャワーを浴びてようとそっとベッドから抜け出した。
「もぅ、いやぁ~~~~」
シャワーを浴びながら記憶のページを何度も捲る。けれど、当然すべてを思い出せたわけではなくやっぱり記憶は欠落している。まだわたしが思い出せない記憶がある。一体そこで自分は他に何をやらかしたのか気が気じゃない。
「はぁ。もうデイヴィス、起きたかしら」
バシャと顔にかかるお湯を払いながら美しい寝顔の男を思い出す。彼と付き合っているときに肌を重ねたのは数回だけ。だってお互いまだまだ子どもの少年少女だったのだから。それでもたった数回ベッドを共にしたときに目が覚めたときにあったのは目覚めた彼の顔。だから、わたしが寝起きの顔を見たのはほぼ初めのことだった。
「ほんとうに綺麗……」
素敵な人。彼に対する〝愛〟を抱えて生きていおこうと決めた。けれどこうしたときに溢れてしまう。二十代の頃の接触がなかった分、三十代に入ってさらに男らしさの増した彼は素敵だ。本当に素敵な人。
「はぁ。好き過ぎる、デイヴィス」
ザァザァと流れるシャワー音にわたしの告白は掻き消されていった。
シャワー室から出て魔法で髪の毛を乾かして綺麗にハンガーにかけられていた服を着て出る。まさか服までもお世話になっていたとは――それに下着も。はぁ~穴があったら入りたい気分。
羞恥心にかられながら寝室の彼を確認すると――起きていた。
彼は髪もセットせずに無造作に整えている状態でベッドに腰掛けている。それだけで様になる姿をしているデイヴィスを見て胸ときめくけれどそれは後だ。ローブ姿の彼に罪悪感が刺激され素早く彼の前に歩み出る。
「御迷惑かけました! 申し訳ありませんっ!」
デイヴィスの前に出て直角九十度に頭を下げる。深々としたお辞儀。魔法執行官をしていた時でもこんな深々としたことがない。
「誠に、誠に、申し訳ありませんでした! 服も弁償いたします!」
「はぁ~~ちょっと待て、落ち着け」
深々とした溜息にわたしは頭を上げる。そこには眉間に皺尾寄せて目頭の下に皺を刻んだデイヴィスがいた。バッドボーイに向ける表情みたいで申し訳なさに拍車がかかる。
また腰を真っ直ぐにして「ごめんなさい」と謝る。
「顔を上げろ」
言われて上げると顎を僅かに上げて「フン。あれくらい駄目にされても痛くもかゆくもない」と傲慢に笑むデイヴィス。
彼のそんな顔を見て苦笑をしてしまう。だって、そういうときこの人はやっぱりへこんでいるときだから。でも、恰好つけたがりの彼らしい強がり。
「ふふ。変わってないわねぇ」
言って彼の高飛車な眉毛がピクリと跳ねる。わたしに強がりが見透かされたのがわかったのだろう。だって、わかるわ。わたしなんだから。
「あ、デイヴィス、服はどうするの?」
チェックアウトの時間はわからないけれどあれほど汚れた服が綺麗になるとは思えない。買いに行くにも服もないし、と眉を下げる。
「買って来ようにも貴方好みがうるさいから」
困ったわ、と頬に手を当てれば片眉を上げて舌打ちされた。
「好みにうるさいは余計だ」
すると彼が時計を見て「そろそろか」と呟くとトントン音がした。
「あ、出る?」
「……頼む」
頷いて扉に向かう。「はい」と出ればスタッフが柔らかな微笑みと共に服を渡して来た。その服を見て「あ~なるほど」と頷きながら服を受け取る。
「はい。どうぞ」
「ありがとう」
受け取ったデイヴィスはカバーを外して服を検分する。
「悪くないな」
「ええ。似合うと思うわ」
いや滅茶苦茶似合うでしょう、と心の中で付け足しながら言う。デイヴィスは服をベッドに置くとどこから取り出したのか指揮棒型のマジカルペンを振るい一瞬で服を身に着けた。そのまま慣れた足どりで姿見の前に立って確認し始める。
「ん。問題ないな」
再び指揮棒を振って髪をセットする彼はやっぱりカッコよくて胸ときめいてしまう。
くるりと振り返ったデイヴィスはすでに化粧がされていた。いつの間にと思うけれど彼ほどの腕があれば化粧も服を着るのと同じぐらい一瞬だろう。
「check outするぞ」
「え、うん」
早いなと思いながら促されるままコートと鞄の手荷物掴んでその背中を追いかけた。
「あ、ちょっと待って」
「なんだ」という彼に答える前に扉の傍にある鏡を見て「忘れてたわ」と呟く。そして、指輪型のマジカルペンをした指を弾くと妖精の粉によく似た煌めく粒が顔にある傷を隠してくれる。
「よし。待たせてごめんさいね」
「いや……普段は隠しているのか」
「職場や馴染み以外は流石にね」
隠れた愛傷 を撫でる。職場や周辺地域ではこの傷の意味を理解して受け入れてくれるけれど〝外〟は違う。
「怖がらせるのは本意ではないから」
「そうか」
デイヴィスの何とも言えない顔に微笑みかける。
「でも、この傷を嫌ったことはないのよ」
それに彼からの返事はなかった。その無言の背中を見つめて彼の中でまだ昇華されていないと思えてならない。
貴方が苦しむことではないのにね。ごめんね、と無音の謝罪を背中に投げかけた。
* * *
朝早い時間といってもどうやらすでに八時を過ぎて九時に差し掛かっていたらしい。普段の朝の活動にしては遅く自分の昨夜の失態に頭を抱えたくなった。いや、そんな過去の事ばかり悔いても仕方ない。
「ねぇ。貴方の好きなブランドってここにも出店してる?」
彼は薔薇の王国出身。ブランドも薔薇の王国発のものが多い。勿論、輝石の国でも展開しているだろうけれど――何だかんだ愛国心の強い彼がここで買い物をするか。
「服弁償するわ」
ホテル代も出してもらったのだから、あと昨夜のBARのお代も。いい大人同士貸し借りはさっぱりとしたい。
「ほぉ。貴様が俺の服を選ぶのか?」
片眉と口角をくいっと上げるデイヴィスに首を横に振る。
「そんなこと言ってないわ。そもそも好みがうるさい人の服なんて選びなんてしないわ。でも、弁償をするから請求してちょうだい。これでも高給取りだったし、今も何だかんだ高給取りよ」
一瞬口座の預金を思い浮かべて一人頷く。大丈夫、大丈夫、と。
「あれくらい痛くも痒くもないと言っただろう」
「でも! わたしが嫌なのよ」
紳士のプライドなのかわたしに弁償させないデイヴィスに詰め寄る。それでも是と言う気配が無さそうな彼に喧嘩を売ることにした。
「貴方くらいの男、女の人にたくさん貢がれているでしょ」
今さらわたしが服を弁償――貢ぐらいなんともないでしょう。そう囁けば彼の鋼のように瞳がより冷たさを増した。
「まぁ、俺様のような男をレディは放っておかないからな」
「……ならいいでしょ」
ズキと痛む胸を叱責しながらわたしも強気に返す。腕を組んで彼をひたりと見据える。
「これから行くわよ!」
「わかった」
ハァと溜息をつく彼に勝利のガッツポーズを心の中で納めた。
こうして朝食を取ってからお店を探そうということになった。雰囲気のよさそうなカフェに入って遅めの朝食にありつく。
クロワッサンをちぎって口に入れながら視線を集める男を見る。ガラス越しでもわかるけれど横切る誰しもが彼を見る。そうよね、そうよね、カッコイイ人よね。そこにいる人、童顔だけれどもう三十路超えたこれからどんどん熟成されていく男よ。もっといい男になるんだから目に焼き付けて、脳裏にも焼き付けるのよ。
なに目線よ、と自分にツッコミを入れながらカップに手伸ばすと。
「……コーヒーに替えたのか」
「ん?」
ポツンと零された言葉にデイヴィスはすぐに視線を逸らして「何でもない」と言う。だが、わたしの耳にはしっかりと届いていた。
手元のコーヒーと彼の手元にある紅茶を見て「ああ」と合点がいく。そして、懐かしい思い出がまた蘇る。
「付き合っている頃は貴方の趣向を理解したかったから紅茶だったの。そもそも学生の頃の朝食はオレンジジュースだったわ」
コーヒーになったのは前職の激務と残業の影響だ、と告げればそうかと口角を緩めた。その反応は一体何なのかしら。もしかして、わたしが貴方と別れた後に付き合った人の影響でも受けたと思っているのかしら。なら、どうしてそう思うのなんて自問自答しながら味のわからなくなったまたクロワッサンを手にして千切って口に運んだ。
「そういえばもう二日酔いは平気なのか」
「あ、忘れたわ」
すっかり頭痛も飛んでいた。これならゆっくり買い物もできる。よかった、よかった、と口に持って行きかけたクロワッサンを今度こそ口に放り込んだ。
「時間がかかるから貴様もどこか見に行ってこい」
気になっていたブランド、と店内に入った瞬間に素気無くかけられた言葉。とはいえ、彼の服選びに時間がかかるのが学生時代から知っている。このブティックはありがたいことにレディース向けが隣接されて店内で繋がっている。わたしも彼の言葉に甘えてそちらへと向かった。
店内を移ると煌びやかなドレスからシンプルな服やアクセサリーがあった。教え子となった後輩たちがはしゃぎそうと思いながらアクセサリーを眺める。
あー、これから繊細なアクセサリーも着けられるのよね。今まで丈夫さとかシンプルさとか極めていた所為かこう煌びやかなものへ対する欲求が凄まじい。
ガラス越しにある百合を模したブローチを眺める。他にも鈴蘭のブローチも中々に上品で愛らしい。チラっと値段を見ても意外に安くどちらも購入もありかもしれない。
「あの実際に見ることできますか」
「はい。可能でございます」
お願いします、と言って百合のブローチと鈴蘭のブローチを出してもらう。
そっと出されるブローチに胸を高鳴らせていると――。
「――じゃないか?」
聞こえた瞬間ビキと身体が固まった気がする。まるで石化魔法でもかけられたようにわたしの身体は固まってしまった。
これでは聞こえなかったふりをして無視することもできない。わたしは仕方なく何とか身体を動かして振り返ればわたしを呼んだ彼の童顔がパッと花開いた。
「やっぱり、君だ。偶然だね」
「え、ええ。そうですわね」
「ハハ。やだなぁ。そんなに畏まらないでいいよ」
もう上司じゃないし、というのはどの口が言っているのだろうか。わたしを男女の縺れに引き込み責任を擦り付けて退官に追い込んだお飾り高官の男は。
「元気そうでよかった」
「まぁ、元気でやっていますので」
それよりも貴方様はここで何を、と言えば華やかな顔が一瞬にして散った。
「あ、えっと、あ~プレゼントを選んでいるの、かな?」
「まぁ! プレゼントですか」
悲しげな顔のまま言いづらそうな男を無視してわたしははしゃいだ声を無理矢理だす。
「では、あの婚約者様とは続いておいでで?」
「あ、うん、彼女は今はね。私の妻になったんだよ」
「まぁまぁ! ご結婚されたのですね! おめでとうございました!」
なんだ。結局あの勘違い激烈女の押されたのか。気弱な男だと常々思っていたが自分の人生に対してまで気弱とは。それ以前にまだこの男は魔法執行官なのだろうか。
「では、今日はその奥様への贈物を?」
「ああ、その、昨日、結婚記念日でね」
何故か気まずそうに言う男に苛立ちが募っていく。この男の態度何か引っかかりを覚える。何かしら。喉に何か引っかかるような男の態度。
男は気まずそうな表情を一転させて悲しげな、切なげに瞳を揺らした。
この男もしかして、と私は頭の中で浮かんだ仮説がどうか外れであってほしいと思った。
「君にあれほど求愛しておいて別の女性と結婚するなんて駄目な男だ」
うぇ。始まった。ゾワッと鳥肌が立つ。思わず服の上から腕を擦りながら何かに酔っている男から視線を外す。これ以上この男を見ることなど出来ない。
「私は彼女を妻にしたけれど今でも心から愛しているのは君なんだ」
ひっ、と引き攣った声が出てしまった。何だ、何だ、この男気色悪い。上司としてやって来たときも勝手に勘違いして自分の恋情に酔っていたけれどここまで愚かな人間だとは思わなかった。
「……以前から申していますけれど私は貴方の気持ちは受け入られません」
もうこの男と目を合わすこともしたくないし、口も利きたくない。今後一切わたしの人生に介入してこないでほしい。気持ち悪い。
チラリと見ると何度も見た傷付いた仔犬のような男に吐き気がした。早く失せろ、と念を送ってもこの男に通じないのは知っているだから耐え切れないように男が口を開いたのを見て指輪型のマジカルペンに触れると――。
「どうした」
ふわっと隣に寄り添うような懐かしい気配がした。同時に肩に触れる手のひらに懐かしいに身体が安心していく。でも、気を抜いてはいけない。せっかくデイヴィスがくれた追いやる機会を脱がしてはいけない。
「デイヴィ、」
昔何度か呼んだことがある彼の愛称でもって呼ぶ。一瞬だけ肩に触れた手が震えた気がしたけれどすぐに強く掴み直してくれた。
「何かあったか?」
近寄る端正な顔に胸が面白いくらいに高鳴る。だって、仕方ないでしょ。わたし何だかんだ言って彼をどうしようもなく愛しているのだから。
「この方、以前お話したでしょ。わたしの元上司よ」
「ああ! 例の、覚えているさ」
顔を離してデイヴィスが彼の男を見据える。わたしもその視線を辿って心の中で盛大に溜息をついた。何よ、その傷付いた顔なんかして。勝手にわたしに恋して、勝手暴走して、勝手に失恋したっていうのに。被害者面に苛立つ。
「貴殿と婚約者殿の痴話喧嘩に巻き込まれて私の婚約者 が退官することになったとか」
いっ、とわたしは彼の発言に内心で慌てながら緩やかなに見上げる。けれど、彼は尊大な表情のままで寧ろ鋼の色をした瞳は冷え冷えしていた。ああ、怒ってくれているのだと少し嬉しくなってしまった。
「ぁ」
すると、さらに肩を抱かれて胸に抱かれる形になる。より強く香るデイヴィスの匂いに頭がクラクラして忘れていた二日酔いの頭痛を思い出しかける。
「……そっか。君も婚約したのか」
その言い方引っかかるなと思うけれど面倒臭いからスルーしようとしたけれど。
「君も……ね。私の婚約者とまるで恋人だったような言い草だな」
「ぇ、いや、そうじゃないんだけど」
「なら、誤解を生むような言い方はやめてくれ」
「ッ」
よわ、仮にも魔法執行官の癖に一介の教師の眼差しに怯えるな。情けないし、残していった上司や部下たちに同情してしまう。
「で、貴殿は奥方の贈物を選んでいるんだろう」
「あ、ああ。もう選んだから――失礼するよ」
耐えられないと尻尾を巻くように去って行った。でも、最後に名残惜しげにわたしを見るのは本気でやめてほしいとうんざりしていると。
「――」
「ぇ」
名前を呼ばれて顔をあげるとさっきよりも近い距離に鋼の瞳があった。
何でと思うよりも早く唇の端に何か柔らかいモノが掠めた。でも、きっとこの角度はあの男から見れば――キスに見えたに違いない。
ふっと離れるデイヴィスの顔を凝視していると彼は眉を寄せて息をついた。
「貴様はなんて男に憑かれているんだ」
「うっ。そ、それは」
離れていく温かさを紛らわすように腕を擦っていると――。
「惚れ惚れするようなやり取りでございましたね」
うっとりとした声に振り返れば――わたしと対面していた店員がいた。その店員はわたしと目が合うとハッとして頭を下げた。
「お助けもせずに申し訳ありません」
「あ、いえ、いいんです」
寧ろ、修羅場かどうか、助けに入るかどうかハラハラドキドキしていたに違いない。わたしも店員のことなど関係なく話してしまっていたし。
「こちらこそご迷惑おかけいたしました」
頭を下げてからそっと避けられていたブローチに視線を動かす。
「さっきのブローチですけど」
「ああ。はい、只今」
サッと素早く動きながら無駄のない動きで再びブローチを出してくれる。
「ふむ。ブローチを買うのか?」
「ええ。そうよ」
ところで貴方の買い物は、と言えば「終わった」とあっさり告げた。
「請求はわたしでいいからね」
「しっかりしたさ」
「ならいいわ」
ニヒルに微笑むデイヴィスに安心しながら「お待たせしました」という声に視線を戻す。
「綺麗」
「ありがとうございます」
お世辞もなく美しいブローチを眺めていると――。
「地味じゃないか」
「ちょ、デイヴィス!」
「ふふ。でも私も思います」
「え」
まさかの店員の援護射撃に目を白黒させる。
「ふぅん。そうだな。この薔薇をモチーフにしたブローチがいいな」
「薔薇って貴方ねぇ」
愛国心がここに出るか。でも、学生の頃に付き合っていた彼も薔薇を好んで贈ってくれた。わたしは薔薇も好きだけれど百合も好きだと知っていて薔薇を送ってくる兵 。
「私もお客様にはこの薔薇をモチーフにしたブローチがお似合いかと」
言って店員がそのブローチを取り出した。様々な赤い宝石で作られた薔薇は美しかった。けれど、化粧を落とせば大人しめの顔立ちになるわたしに果たして似合うか。
「似合う」
まるでわたしの戸惑いを見透かしたような彼の強い言葉。それだけで五割ぐらい買ってもいいかなと思うからわたしは単純だ。
「んー。似合う服が今ないわ」
「なら、揃えればいいだろ」
くいっと親指を後ろに向ける彼にここがブティックであることを思い出す。
「それはいいアイデアです! ふふ。お客様はよい婚約者 をお持ちになりましたね」
「あ、そ、そうですね」
忘れていた設定に唇が引き攣りそうになったのを気合で何とかした。でも、デイヴィスが笑っていたから多分誤魔化せていないかもしれない。ええい、もう知らないわ。
「さて、婚約者 殿、準備はよろしいか?」
非常に愉しげな彼にわたしは遊ばれる心構えをした。
* * *
時間は流れてお別れの時間を迎える。寂しいけれどずっと離れていたことを考えると贅沢な一日半だった。いや、色々迷惑をかけたけれど。
「楽しかったわ」
素直な感想を零すとデイヴィスは珍しく素の笑みを浮かべて「俺もだ」と返してくれた。ああ、本当に愛おしさが溢れそうになる。
「次はあのドレスを着て出かけるか」
「ふふ。着ていく場所があれば」
「あるだろ」
わかっている。あるわ。わたしの実家や経歴を考えれば。腐るほどある。
「その時はパートナーでもなってやる」
「まぁ。尊大なパートナーだこと」
クスクス笑うとボーンという鐘の音が響く。
「帰らないと」
とても名残惜しいけれど。「じゃ、デイヴィス」と言いかけたところで彼が被せるように「覚えているか」と投げかけて来た。突然の投げかけと――真剣な眼差しに動揺してしまう。
「な、なにを?」
彼とのことなら全て覚えている。でも、それが一体何を示すのかわからない。
困惑の眼差しを向ければ彼は小さく息をついて首を振る。
「覚えていないならいい」
「……も、もしかして、酔っている最中何か口走った?」
ゾッと欠陥している記憶に今さになって恐怖を覚える。デイヴィスの僅かな憐みの籠った眼差しと首振りに思わず腕を掴む。
「いい、忘れておけ。それが貴様のためだ」
「ちょ、別れ際にそれはないでしょッ!」
何なの、と詰め寄るけれど彼は首を振るだけ。
「忘れろ、それがお前の幸せだ」
「いや、ちょ、その台詞すごく嫌よ!」
大体そういう時やらかしているときに言われる。やだ、やだ、と言っていいながら腕を掴んでいた手が取られる。それにドキと鼓動するけれど。
「お前の醜態は俺だけの胸に秘めておく」
「だから、それが嫌なのって言っているでしょ!」
あとで何を言われるかわからない。なんてこと。一番弱みを握られたくない人に掴まれてしまった。
「くっ。最悪な気分よ」
「ふふ。まぁ、これに懲りて弱みを握られるなよ」
ハンとでも言いたげな尊顔を殴り飛ばしたくなった。でも、しない。だって、その顔大好きだし。
「はぁ。自分の顔にありがたみを抱きなさい」
「わかってるさ」
「もう、嫌な人」
ふるっと手を振ればあっさりと離れる。わたしはその寂しさを紛らわすように手を握って彼を見る。
「今度こそさようなら」
「ああ。またな」
そういう挨拶に涙腺が揺さぶられる。嬉しいわ、その言葉だけで一生生きて行けそう。
「ええ。また、一緒に食事しましょう」
手を振って今度こそ彼に背中を向けた。そして、わたしは久々に過ごした彼との時間に浸って夜を過ごした。
昨日は眠るのに時間がかかった。それくらい緊張というか楽しみだったディナー。彼とのひと時はとても楽しくて幸せだった。その幸せな時間を過ごした翌日――最悪な朝を迎えた。
「うそ……で、しょ」
爽快さとはかけ離れた朝の目覚め。身体を起し痛むこめかみに顔を顰めるとモゾと動く気配がした。なに、と横を見下ろして目を見開き眩暈がした。
「うそ、よ、ね」
そっともう一度前髪を掻き上げて隣で眠る美しい寝顔を晒す男を見下ろす。
「デイヴィスよね、やだ、どうして……」
どうして貴方がわたしの横で眠っているの。僅かに布団から出ている剥きだしの肩が何も身に纏っていないことを表している。そっと布団を持ち上げてそっと下ろす。
「わたし、着てないわ」
中を窺えばわたしは何も身に纏っていない状態。デイヴィスは下着だけ着ていたけれどこれでは白か黒かわからない。
「ッ」
ズキズキ痛む頭を押さえながら小さく呻く。どうしてこうなったのか思い出すしかない。
お酒には弱くも強くもない。自分の中の許容量を越えれば酔ってしまう程度。今まで人に迷惑をかけるほどの深酒はしたことがないし、酷い酔い癖があるとも聞いたことがない。だのに、今回に限って記憶が曖昧だ。
「えっと、えっと、ディナーで飲んだのはワインだけよね……」
でも、それだって一本開けただけ、それくらいは全然酔わない。ただちょっといいワインだったから気分がよくなったのは確か。
「それから、デイヴィスに送ってもら――いえ、違うわ」
何だったかしら。思い出そうと痛む頭で必死に脳味噌の記憶回路を動かす。
「ディナーを終えて――そうよ。デイヴィスの行きつけのBARに時間があるから行ったのよね」
チラチラと浮かび上がる記憶のページを捲りながら頭を両手で抱える。
「えっと、それから、うん、上司の愚痴に、最近の研究論文について花が咲いて」
結構飲んだ。ワインも飲んでいた身体にカクテルとかを摂取した結果酔いが回った。
「ッ」
サァと血の気が引く感覚に一瞬にして記憶のページが動き出す。
「やっちゃった」
辺りを見回しながら明らかに高級なホテルだとわかる部屋。チラッとベッドの下を見ても脱ぎ乱れた服はない。彼の服も勿論ない。当たり前だ。わたしが駄目にしたのだから。
「うわぁ。ごめんなさいね、デイヴィス」
申し訳ない。わたしは貴方の綺麗でお高い服にぶちまけてしまいました。本当にごめんなさい。でも、ホテルまで耐えたわたしをちょっと褒めてほしい。いや、うん、服を駄目にしてしまったわたしが言うことじゃないし――。
「わたし脱ぎ魔なのね!」
思い出した自分の醜態を再び消したくなった。
酔ったわたしはひとしきり吐いてすっきりしたら服を脱ぎ出した。解放は感素晴らしかったけれど元恋人とはいえ男性の前でいきなり脱ぎ出すなんて最低最悪。しかも、魔法執行官になってから出来た勲章の痕がある身体なんて見たくないだろう。
「んで、寂しがり屋とか――酒癖ひど過ぎるわ」
素っ裸になった女に一緒に寝ようなんて言われて可哀想なデイヴィス。さらに、ぶちまかれて汚れた服からバスローブになっていた彼のそれを剥ぎ取るなんて――最低な人間。
「うぅ、申し訳なさ過ぎてどうしたらいいの」
とりあえずサッサとシャワーを浴びて彼が起きたら謝り倒すしかない。あと、服も弁償しよう。わたしの貯金があればどうにでもできるだろう。
最早二日酔いの頭痛など気にしていることもできない。とりあえずシャワーを浴びてようとそっとベッドから抜け出した。
「もぅ、いやぁ~~~~」
シャワーを浴びながら記憶のページを何度も捲る。けれど、当然すべてを思い出せたわけではなくやっぱり記憶は欠落している。まだわたしが思い出せない記憶がある。一体そこで自分は他に何をやらかしたのか気が気じゃない。
「はぁ。もうデイヴィス、起きたかしら」
バシャと顔にかかるお湯を払いながら美しい寝顔の男を思い出す。彼と付き合っているときに肌を重ねたのは数回だけ。だってお互いまだまだ子どもの少年少女だったのだから。それでもたった数回ベッドを共にしたときに目が覚めたときにあったのは目覚めた彼の顔。だから、わたしが寝起きの顔を見たのはほぼ初めのことだった。
「ほんとうに綺麗……」
素敵な人。彼に対する〝愛〟を抱えて生きていおこうと決めた。けれどこうしたときに溢れてしまう。二十代の頃の接触がなかった分、三十代に入ってさらに男らしさの増した彼は素敵だ。本当に素敵な人。
「はぁ。好き過ぎる、デイヴィス」
ザァザァと流れるシャワー音にわたしの告白は掻き消されていった。
シャワー室から出て魔法で髪の毛を乾かして綺麗にハンガーにかけられていた服を着て出る。まさか服までもお世話になっていたとは――それに下着も。はぁ~穴があったら入りたい気分。
羞恥心にかられながら寝室の彼を確認すると――起きていた。
彼は髪もセットせずに無造作に整えている状態でベッドに腰掛けている。それだけで様になる姿をしているデイヴィスを見て胸ときめくけれどそれは後だ。ローブ姿の彼に罪悪感が刺激され素早く彼の前に歩み出る。
「御迷惑かけました! 申し訳ありませんっ!」
デイヴィスの前に出て直角九十度に頭を下げる。深々としたお辞儀。魔法執行官をしていた時でもこんな深々としたことがない。
「誠に、誠に、申し訳ありませんでした! 服も弁償いたします!」
「はぁ~~ちょっと待て、落ち着け」
深々とした溜息にわたしは頭を上げる。そこには眉間に皺尾寄せて目頭の下に皺を刻んだデイヴィスがいた。バッドボーイに向ける表情みたいで申し訳なさに拍車がかかる。
また腰を真っ直ぐにして「ごめんなさい」と謝る。
「顔を上げろ」
言われて上げると顎を僅かに上げて「フン。あれくらい駄目にされても痛くもかゆくもない」と傲慢に笑むデイヴィス。
彼のそんな顔を見て苦笑をしてしまう。だって、そういうときこの人はやっぱりへこんでいるときだから。でも、恰好つけたがりの彼らしい強がり。
「ふふ。変わってないわねぇ」
言って彼の高飛車な眉毛がピクリと跳ねる。わたしに強がりが見透かされたのがわかったのだろう。だって、わかるわ。わたしなんだから。
「あ、デイヴィス、服はどうするの?」
チェックアウトの時間はわからないけれどあれほど汚れた服が綺麗になるとは思えない。買いに行くにも服もないし、と眉を下げる。
「買って来ようにも貴方好みがうるさいから」
困ったわ、と頬に手を当てれば片眉を上げて舌打ちされた。
「好みにうるさいは余計だ」
すると彼が時計を見て「そろそろか」と呟くとトントン音がした。
「あ、出る?」
「……頼む」
頷いて扉に向かう。「はい」と出ればスタッフが柔らかな微笑みと共に服を渡して来た。その服を見て「あ~なるほど」と頷きながら服を受け取る。
「はい。どうぞ」
「ありがとう」
受け取ったデイヴィスはカバーを外して服を検分する。
「悪くないな」
「ええ。似合うと思うわ」
いや滅茶苦茶似合うでしょう、と心の中で付け足しながら言う。デイヴィスは服をベッドに置くとどこから取り出したのか指揮棒型のマジカルペンを振るい一瞬で服を身に着けた。そのまま慣れた足どりで姿見の前に立って確認し始める。
「ん。問題ないな」
再び指揮棒を振って髪をセットする彼はやっぱりカッコよくて胸ときめいてしまう。
くるりと振り返ったデイヴィスはすでに化粧がされていた。いつの間にと思うけれど彼ほどの腕があれば化粧も服を着るのと同じぐらい一瞬だろう。
「check outするぞ」
「え、うん」
早いなと思いながら促されるままコートと鞄の手荷物掴んでその背中を追いかけた。
「あ、ちょっと待って」
「なんだ」という彼に答える前に扉の傍にある鏡を見て「忘れてたわ」と呟く。そして、指輪型のマジカルペンをした指を弾くと妖精の粉によく似た煌めく粒が顔にある傷を隠してくれる。
「よし。待たせてごめんさいね」
「いや……普段は隠しているのか」
「職場や馴染み以外は流石にね」
隠れた
「怖がらせるのは本意ではないから」
「そうか」
デイヴィスの何とも言えない顔に微笑みかける。
「でも、この傷を嫌ったことはないのよ」
それに彼からの返事はなかった。その無言の背中を見つめて彼の中でまだ昇華されていないと思えてならない。
貴方が苦しむことではないのにね。ごめんね、と無音の謝罪を背中に投げかけた。
* * *
朝早い時間といってもどうやらすでに八時を過ぎて九時に差し掛かっていたらしい。普段の朝の活動にしては遅く自分の昨夜の失態に頭を抱えたくなった。いや、そんな過去の事ばかり悔いても仕方ない。
「ねぇ。貴方の好きなブランドってここにも出店してる?」
彼は薔薇の王国出身。ブランドも薔薇の王国発のものが多い。勿論、輝石の国でも展開しているだろうけれど――何だかんだ愛国心の強い彼がここで買い物をするか。
「服弁償するわ」
ホテル代も出してもらったのだから、あと昨夜のBARのお代も。いい大人同士貸し借りはさっぱりとしたい。
「ほぉ。貴様が俺の服を選ぶのか?」
片眉と口角をくいっと上げるデイヴィスに首を横に振る。
「そんなこと言ってないわ。そもそも好みがうるさい人の服なんて選びなんてしないわ。でも、弁償をするから請求してちょうだい。これでも高給取りだったし、今も何だかんだ高給取りよ」
一瞬口座の預金を思い浮かべて一人頷く。大丈夫、大丈夫、と。
「あれくらい痛くも痒くもないと言っただろう」
「でも! わたしが嫌なのよ」
紳士のプライドなのかわたしに弁償させないデイヴィスに詰め寄る。それでも是と言う気配が無さそうな彼に喧嘩を売ることにした。
「貴方くらいの男、女の人にたくさん貢がれているでしょ」
今さらわたしが服を弁償――貢ぐらいなんともないでしょう。そう囁けば彼の鋼のように瞳がより冷たさを増した。
「まぁ、俺様のような男をレディは放っておかないからな」
「……ならいいでしょ」
ズキと痛む胸を叱責しながらわたしも強気に返す。腕を組んで彼をひたりと見据える。
「これから行くわよ!」
「わかった」
ハァと溜息をつく彼に勝利のガッツポーズを心の中で納めた。
こうして朝食を取ってからお店を探そうということになった。雰囲気のよさそうなカフェに入って遅めの朝食にありつく。
クロワッサンをちぎって口に入れながら視線を集める男を見る。ガラス越しでもわかるけれど横切る誰しもが彼を見る。そうよね、そうよね、カッコイイ人よね。そこにいる人、童顔だけれどもう三十路超えたこれからどんどん熟成されていく男よ。もっといい男になるんだから目に焼き付けて、脳裏にも焼き付けるのよ。
なに目線よ、と自分にツッコミを入れながらカップに手伸ばすと。
「……コーヒーに替えたのか」
「ん?」
ポツンと零された言葉にデイヴィスはすぐに視線を逸らして「何でもない」と言う。だが、わたしの耳にはしっかりと届いていた。
手元のコーヒーと彼の手元にある紅茶を見て「ああ」と合点がいく。そして、懐かしい思い出がまた蘇る。
「付き合っている頃は貴方の趣向を理解したかったから紅茶だったの。そもそも学生の頃の朝食はオレンジジュースだったわ」
コーヒーになったのは前職の激務と残業の影響だ、と告げればそうかと口角を緩めた。その反応は一体何なのかしら。もしかして、わたしが貴方と別れた後に付き合った人の影響でも受けたと思っているのかしら。なら、どうしてそう思うのなんて自問自答しながら味のわからなくなったまたクロワッサンを手にして千切って口に運んだ。
「そういえばもう二日酔いは平気なのか」
「あ、忘れたわ」
すっかり頭痛も飛んでいた。これならゆっくり買い物もできる。よかった、よかった、と口に持って行きかけたクロワッサンを今度こそ口に放り込んだ。
「時間がかかるから貴様もどこか見に行ってこい」
気になっていたブランド、と店内に入った瞬間に素気無くかけられた言葉。とはいえ、彼の服選びに時間がかかるのが学生時代から知っている。このブティックはありがたいことにレディース向けが隣接されて店内で繋がっている。わたしも彼の言葉に甘えてそちらへと向かった。
店内を移ると煌びやかなドレスからシンプルな服やアクセサリーがあった。教え子となった後輩たちがはしゃぎそうと思いながらアクセサリーを眺める。
あー、これから繊細なアクセサリーも着けられるのよね。今まで丈夫さとかシンプルさとか極めていた所為かこう煌びやかなものへ対する欲求が凄まじい。
ガラス越しにある百合を模したブローチを眺める。他にも鈴蘭のブローチも中々に上品で愛らしい。チラっと値段を見ても意外に安くどちらも購入もありかもしれない。
「あの実際に見ることできますか」
「はい。可能でございます」
お願いします、と言って百合のブローチと鈴蘭のブローチを出してもらう。
そっと出されるブローチに胸を高鳴らせていると――。
「――じゃないか?」
聞こえた瞬間ビキと身体が固まった気がする。まるで石化魔法でもかけられたようにわたしの身体は固まってしまった。
これでは聞こえなかったふりをして無視することもできない。わたしは仕方なく何とか身体を動かして振り返ればわたしを呼んだ彼の童顔がパッと花開いた。
「やっぱり、君だ。偶然だね」
「え、ええ。そうですわね」
「ハハ。やだなぁ。そんなに畏まらないでいいよ」
もう上司じゃないし、というのはどの口が言っているのだろうか。わたしを男女の縺れに引き込み責任を擦り付けて退官に追い込んだお飾り高官の男は。
「元気そうでよかった」
「まぁ、元気でやっていますので」
それよりも貴方様はここで何を、と言えば華やかな顔が一瞬にして散った。
「あ、えっと、あ~プレゼントを選んでいるの、かな?」
「まぁ! プレゼントですか」
悲しげな顔のまま言いづらそうな男を無視してわたしははしゃいだ声を無理矢理だす。
「では、あの婚約者様とは続いておいでで?」
「あ、うん、彼女は今はね。私の妻になったんだよ」
「まぁまぁ! ご結婚されたのですね! おめでとうございました!」
なんだ。結局あの勘違い激烈女の押されたのか。気弱な男だと常々思っていたが自分の人生に対してまで気弱とは。それ以前にまだこの男は魔法執行官なのだろうか。
「では、今日はその奥様への贈物を?」
「ああ、その、昨日、結婚記念日でね」
何故か気まずそうに言う男に苛立ちが募っていく。この男の態度何か引っかかりを覚える。何かしら。喉に何か引っかかるような男の態度。
男は気まずそうな表情を一転させて悲しげな、切なげに瞳を揺らした。
この男もしかして、と私は頭の中で浮かんだ仮説がどうか外れであってほしいと思った。
「君にあれほど求愛しておいて別の女性と結婚するなんて駄目な男だ」
うぇ。始まった。ゾワッと鳥肌が立つ。思わず服の上から腕を擦りながら何かに酔っている男から視線を外す。これ以上この男を見ることなど出来ない。
「私は彼女を妻にしたけれど今でも心から愛しているのは君なんだ」
ひっ、と引き攣った声が出てしまった。何だ、何だ、この男気色悪い。上司としてやって来たときも勝手に勘違いして自分の恋情に酔っていたけれどここまで愚かな人間だとは思わなかった。
「……以前から申していますけれど私は貴方の気持ちは受け入られません」
もうこの男と目を合わすこともしたくないし、口も利きたくない。今後一切わたしの人生に介入してこないでほしい。気持ち悪い。
チラリと見ると何度も見た傷付いた仔犬のような男に吐き気がした。早く失せろ、と念を送ってもこの男に通じないのは知っているだから耐え切れないように男が口を開いたのを見て指輪型のマジカルペンに触れると――。
「どうした」
ふわっと隣に寄り添うような懐かしい気配がした。同時に肩に触れる手のひらに懐かしいに身体が安心していく。でも、気を抜いてはいけない。せっかくデイヴィスがくれた追いやる機会を脱がしてはいけない。
「デイヴィ、」
昔何度か呼んだことがある彼の愛称でもって呼ぶ。一瞬だけ肩に触れた手が震えた気がしたけれどすぐに強く掴み直してくれた。
「何かあったか?」
近寄る端正な顔に胸が面白いくらいに高鳴る。だって、仕方ないでしょ。わたし何だかんだ言って彼をどうしようもなく愛しているのだから。
「この方、以前お話したでしょ。わたしの元上司よ」
「ああ! 例の、覚えているさ」
顔を離してデイヴィスが彼の男を見据える。わたしもその視線を辿って心の中で盛大に溜息をついた。何よ、その傷付いた顔なんかして。勝手にわたしに恋して、勝手暴走して、勝手に失恋したっていうのに。被害者面に苛立つ。
「貴殿と婚約者殿の痴話喧嘩に巻き込まれて私の
いっ、とわたしは彼の発言に内心で慌てながら緩やかなに見上げる。けれど、彼は尊大な表情のままで寧ろ鋼の色をした瞳は冷え冷えしていた。ああ、怒ってくれているのだと少し嬉しくなってしまった。
「ぁ」
すると、さらに肩を抱かれて胸に抱かれる形になる。より強く香るデイヴィスの匂いに頭がクラクラして忘れていた二日酔いの頭痛を思い出しかける。
「……そっか。君も婚約したのか」
その言い方引っかかるなと思うけれど面倒臭いからスルーしようとしたけれど。
「君も……ね。私の婚約者とまるで恋人だったような言い草だな」
「ぇ、いや、そうじゃないんだけど」
「なら、誤解を生むような言い方はやめてくれ」
「ッ」
よわ、仮にも魔法執行官の癖に一介の教師の眼差しに怯えるな。情けないし、残していった上司や部下たちに同情してしまう。
「で、貴殿は奥方の贈物を選んでいるんだろう」
「あ、ああ。もう選んだから――失礼するよ」
耐えられないと尻尾を巻くように去って行った。でも、最後に名残惜しげにわたしを見るのは本気でやめてほしいとうんざりしていると。
「――」
「ぇ」
名前を呼ばれて顔をあげるとさっきよりも近い距離に鋼の瞳があった。
何でと思うよりも早く唇の端に何か柔らかいモノが掠めた。でも、きっとこの角度はあの男から見れば――キスに見えたに違いない。
ふっと離れるデイヴィスの顔を凝視していると彼は眉を寄せて息をついた。
「貴様はなんて男に憑かれているんだ」
「うっ。そ、それは」
離れていく温かさを紛らわすように腕を擦っていると――。
「惚れ惚れするようなやり取りでございましたね」
うっとりとした声に振り返れば――わたしと対面していた店員がいた。その店員はわたしと目が合うとハッとして頭を下げた。
「お助けもせずに申し訳ありません」
「あ、いえ、いいんです」
寧ろ、修羅場かどうか、助けに入るかどうかハラハラドキドキしていたに違いない。わたしも店員のことなど関係なく話してしまっていたし。
「こちらこそご迷惑おかけいたしました」
頭を下げてからそっと避けられていたブローチに視線を動かす。
「さっきのブローチですけど」
「ああ。はい、只今」
サッと素早く動きながら無駄のない動きで再びブローチを出してくれる。
「ふむ。ブローチを買うのか?」
「ええ。そうよ」
ところで貴方の買い物は、と言えば「終わった」とあっさり告げた。
「請求はわたしでいいからね」
「しっかりしたさ」
「ならいいわ」
ニヒルに微笑むデイヴィスに安心しながら「お待たせしました」という声に視線を戻す。
「綺麗」
「ありがとうございます」
お世辞もなく美しいブローチを眺めていると――。
「地味じゃないか」
「ちょ、デイヴィス!」
「ふふ。でも私も思います」
「え」
まさかの店員の援護射撃に目を白黒させる。
「ふぅん。そうだな。この薔薇をモチーフにしたブローチがいいな」
「薔薇って貴方ねぇ」
愛国心がここに出るか。でも、学生の頃に付き合っていた彼も薔薇を好んで贈ってくれた。わたしは薔薇も好きだけれど百合も好きだと知っていて薔薇を送ってくる
「私もお客様にはこの薔薇をモチーフにしたブローチがお似合いかと」
言って店員がそのブローチを取り出した。様々な赤い宝石で作られた薔薇は美しかった。けれど、化粧を落とせば大人しめの顔立ちになるわたしに果たして似合うか。
「似合う」
まるでわたしの戸惑いを見透かしたような彼の強い言葉。それだけで五割ぐらい買ってもいいかなと思うからわたしは単純だ。
「んー。似合う服が今ないわ」
「なら、揃えればいいだろ」
くいっと親指を後ろに向ける彼にここがブティックであることを思い出す。
「それはいいアイデアです! ふふ。お客様はよい
「あ、そ、そうですね」
忘れていた設定に唇が引き攣りそうになったのを気合で何とかした。でも、デイヴィスが笑っていたから多分誤魔化せていないかもしれない。ええい、もう知らないわ。
「さて、
非常に愉しげな彼にわたしは遊ばれる心構えをした。
* * *
時間は流れてお別れの時間を迎える。寂しいけれどずっと離れていたことを考えると贅沢な一日半だった。いや、色々迷惑をかけたけれど。
「楽しかったわ」
素直な感想を零すとデイヴィスは珍しく素の笑みを浮かべて「俺もだ」と返してくれた。ああ、本当に愛おしさが溢れそうになる。
「次はあのドレスを着て出かけるか」
「ふふ。着ていく場所があれば」
「あるだろ」
わかっている。あるわ。わたしの実家や経歴を考えれば。腐るほどある。
「その時はパートナーでもなってやる」
「まぁ。尊大なパートナーだこと」
クスクス笑うとボーンという鐘の音が響く。
「帰らないと」
とても名残惜しいけれど。「じゃ、デイヴィス」と言いかけたところで彼が被せるように「覚えているか」と投げかけて来た。突然の投げかけと――真剣な眼差しに動揺してしまう。
「な、なにを?」
彼とのことなら全て覚えている。でも、それが一体何を示すのかわからない。
困惑の眼差しを向ければ彼は小さく息をついて首を振る。
「覚えていないならいい」
「……も、もしかして、酔っている最中何か口走った?」
ゾッと欠陥している記憶に今さになって恐怖を覚える。デイヴィスの僅かな憐みの籠った眼差しと首振りに思わず腕を掴む。
「いい、忘れておけ。それが貴様のためだ」
「ちょ、別れ際にそれはないでしょッ!」
何なの、と詰め寄るけれど彼は首を振るだけ。
「忘れろ、それがお前の幸せだ」
「いや、ちょ、その台詞すごく嫌よ!」
大体そういう時やらかしているときに言われる。やだ、やだ、と言っていいながら腕を掴んでいた手が取られる。それにドキと鼓動するけれど。
「お前の醜態は俺だけの胸に秘めておく」
「だから、それが嫌なのって言っているでしょ!」
あとで何を言われるかわからない。なんてこと。一番弱みを握られたくない人に掴まれてしまった。
「くっ。最悪な気分よ」
「ふふ。まぁ、これに懲りて弱みを握られるなよ」
ハンとでも言いたげな尊顔を殴り飛ばしたくなった。でも、しない。だって、その顔大好きだし。
「はぁ。自分の顔にありがたみを抱きなさい」
「わかってるさ」
「もう、嫌な人」
ふるっと手を振ればあっさりと離れる。わたしはその寂しさを紛らわすように手を握って彼を見る。
「今度こそさようなら」
「ああ。またな」
そういう挨拶に涙腺が揺さぶられる。嬉しいわ、その言葉だけで一生生きて行けそう。
「ええ。また、一緒に食事しましょう」
手を振って今度こそ彼に背中を向けた。そして、わたしは久々に過ごした彼との時間に浸って夜を過ごした。
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