途切れぬ男女の糸
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手繰り寄せた糸
「デイヴィス――わたしたち別れましょうか」
顔にまだ真新しい包帯を巻いたままの彼女が真っ直ぐ俺を見つめて放った言葉は心臓に深く突き刺さった。傷を負ってもなお輝きを忘れない双眸はまだ俺を〝愛している〟と言っているように見えた。だが、その〝愛〟ゆえに彼女は俺から手を離そうとしている。
酷い言葉を放った謝罪のために持って来た花束を握り直す。別れたくない、と心の底から叫びたい。でも、彼女が求めているのはきっとそうじゃないんだろう。
震える唇必死に動かす。最後に彼女の記憶に残る俺様の姿が無様であってはいけない。デイヴィス・クルーウェルという最高の男でないといけない。
「あぁ。わかった」
何とか吐き出せた言葉に安心する彼女の姿を見て酷く安心する自分がいた。
この選択肢は間違っていなかったと思った俺は踵を返して病院を去った。そして、このときから俺と彼女の道は交わることはなかった。
人伝いに大学を卒業した彼女が魔法執行官になったと聞いた。とても優秀だった彼女だったならありえるだろう職業。同時に顔から血を流し倒れた姿を見ているだけにあまり祝福できることでもなかった。
そんなときだった。彼女と別れてから派手になった女性関係に終止符を打ったのは。
ある女性といつものように夜を過ごしたことだった。聡明でどこか彼女を思い出せた女性は『貴方は誰か別の人を見ているのね』と告げられた。
ずっと分かっていたことだった。ずっと関係を持った人間はどこか彼女を思い出せるような女性ばかりだった。だから言われずとも分かっていた。ただ、改めて第三者に指摘されたことで「もういいか」と思った。
他人に彼女の影を追うことを止めようと思った。それから派手な人間関係は鳴りを潜め同時に母校でもあるナイトレイブンカレッジから教師にならないかという誘いがあった。アパレル業界に未練がないわけではなかったが「いい」と思った。
教師となってからアパレル業界とは別の忙しさに追われた。だが、仔犬である生徒たちの成長を見ていて満ち足りた気持ちにもなった。そんな中、教師生活を過ごしているときに彼女と再び道が交わった。
「ブルームノヴァカレッジとの交流を再開することになりました」
その名前を久しぶりに聞いた。同時にあの事件以来ずっと交流が断たれていたこと改めて痛感した。
「まず手始めにブルームノヴァカレッジの新任教師の研修の一部を受け入れることにしました」
「お名前はジャンヌ・ルー先生といいます」と告げた学園長の名前に目を瞠る。驚愕を綯交ぜにして学園長を凝視するがあちらは何も気にすることなくつらつら話を進める。
「そしてこちらの研修担当をトレイン先生にお願いしたのですが、よろしいですか?」
仮面に覆われた目元で学園長がトレイン先生を見るのが分かった。俺は咄嗟に口を開いて「待ってください」と止めに入った。そして周りの視線を気にすることなく「俺が」と口にしていた。
「俺が、いえ、私が担当させては貰えないでしょうか?」
「クルーウェル先生……」
トレイン先生の懸念の籠った声色に彼を見る。自分が学生の時よりも歳を重ねた姿。より厳しくなった眼差しは教師となってから先輩教師のようだったが今は違う。かつての教え子を気遣うような柔らかさが見え隠れしている。だが、俺は気にしない。
「クルーウェル先生。私もお話は聞いております。流石に当事者同士の」
「だからです」
先生から視線を移動させ学園長を見る。学園長の目を真っ直ぐ見つめる。かつての彼女のように。
「当事者同士。打ち解け合ってこそ以前のような交流が戻るのではないでしょうか」
本当でも合って建前でもある。ほんとうは彼女と断ってしまっていた繋がりを再び紡ぐきっかけが欲しかった。顔を見て、言葉を交わしたかった。職権乱用でもいい。今はか細くても繋がりを紡ぎたかった。
「……わかりました。ただ、ルー先生が拒んだ場合はトレイン先生に戻させてもらいますよ」
「はい……」
ふぅと溜め息を学園長の言葉に少しだけ怯みかける。俺は会いたいが彼女が俺に会いたいかは分からない。でも、それでも、俺は会いたかった。だから、少し苦しい胸を無視して承諾した。
元々忙しかった仕事は研修担当となりさらに忙しくなった。だが、それ以上に彼女と再会できると思う気持ちの高揚の方が上回り仕事は滞ることはなかった。
そして、研修当日となり――俺は再び彼女に、ジャンヌ・ルーと再会した。
* * *
思い出の中に居た彼女はまだ大人に一歩手前のような少女らしさを残していた。だが、再会した彼女は魔法執行官を経てさらに30代を迎えたことにより〝いい女〟になっていた。あの傷さえも彼女の魅力のように輝いてみたが「古傷が痛む」という言葉に心苦しくなり薬を差し入れた。
断ることなく受け取ってくれたこと嬉しく思いつつも、彼女が苦しむ原因を与えたのは紛れもなく自分だという罪悪感に苛まれる。
研修期間少しずつぎこちなさが抜けていく。
仕事終わりに偶然麓の街で出会ったとき相変わらず店選びが下手くそだった。変わっていないところに安心しながら思い切って誘ってみた。すると、彼女は悩ましい顔をしていた。少女のときに見たことがない大人の女の顔。だが、ふいにその顔はどうしてと思うと恋人の存在が頭を掠める。
――恋人がいたっておかしくないな。
いや、もうパートナーがいたって不思議ではない。自分以外の誰かが彼女の横に立っている姿を想像して自分勝手な苛立ちが込み上げる。その苛立ちを1ミリも出さずにそれっぽく訊ねれば――。
「違うわ。恋人なんていないもの」
少し焦った調子でそう返された。意外だなという意味と込めて言葉を返しながらもまだ誰のものではないことに嬉しさが込み上げた。
恋人がいないならとやや強引にそのまま一緒に食事に連れて行った。その最中、彼女が嫌そうな顔をしなかったことが淡い期待を呼び起こした。
食事を終えると彼女は随分とふわふわとした足取りだった。完全に酔っているではないが夢心地のような表情に通りすぎていく男たちの視線が一瞬だけ向けられる。
下心の見える駄犬を睨みつけながら夢心地の彼女に「大丈夫か」と問いかける。彼女は若干呂律を怪しくさせながら「平気」と答える。怪しいなという視線を向けると昔のようにムッとした顔をして歩き出す。そして、ドヤ顔で「歩ける!」と宣言した。
もうこれは酔っている。
それでも意気揚々と戻って来た彼女の身体が目の前で傾いた。カッコよく抱き留めようとする前に両腕を掴む。それからくいっと引っ張り起こす。
何が起きたか分からないと言いたげに長い睫を瞬かせる姿は不安でしょうがない。大丈夫かと見ていると彼女が相好を崩したと思ったときだった。
「おいっ」
トンと目の前の彼女が抱き着いて来た。思わず焦った声を出すと胸元にあった彼女の顔がそろそろと上がる。頬は酒に当てられた淡く色づいている。こちらを見上げる双眸も、僅かに開いた唇も潤んでいる。
その姿に劣情が煽られた。これはダメだとすぐに厳しい顔を作り酔っていることを指摘する。それに彼女は「ありがとうのハグ」だとか抜かした。
以前の職場ではよくしていただと、まで言い出し劣情はあっさりと嫉妬に上書きされた。俺はこのままでは彼女は危険と判断し部屋に送り届けることにした。
最後に「上がっていく?」なんて誘われて理性が崩れそうになったが何とか耐えた。
次の日、顔を青ざめた彼女に謝罪をされた。どうやら記憶が残るタイプらしい。災難なのか分からないがそれであの酒癖なのは少々いただけない。
その後、俺も彼女も仕事のスイッチを入れて研修を終えようとしたときだった。
「あ、あの、デイヴィスいい?」
戸惑いがちに名前を呼ばれて「は?」と呆けた声が出た。そして、そのままの顔で彼女を見ると顔を青ざめて口を塞いでいた。完全にやってしまったというポーズだ。
どうやら彼女のやらかしだったようだが、俺の身体にはじわじわと歓喜に満ちていくようだった。もう10年以上は呼ばれていなかった名前。ここでも一環として教師としてお互いラストネームで呼んでいた。
――昨夜のあれで気が緩んだのか。
もはやそれはどうでもいいが、俺は緩みそうになる唇を必死に耐えながら呼び直した彼女に答えた。そして、何とまだ聞けていなかった私的な連絡先を手に入れることができた。
「動いてみるものだな」
新しい彼女の連絡先を家で見つめようやく頬を緩ませた。
* * *
「なっ、」
休日の彼女からのメッセージに少しだけ浮ついた数分前の自分を殴りたい。
彼女から送られたメッセージには『麓の街のおばちゃんにバレた』といたってシンプルだった。そして、それだけで彼女が誰に見つかってしまったのか容易に想像できた。
いや、無理はないか。彼女はもうずっと賢者の島に来ていなかった。だから、あの口が軽いことで有名な店員を忘れていても可笑しくない。だが、休日はナイトレイブンカレッジの生徒も麓の街に外出することは多い。そもそもそうでなくてもきっと瞬く間に生徒たちに伝わっただろう。何せ、あの店は魔法士見習い御用達の本屋なのだから。
「……そうか。あの店員の中では俺たちはまだ恋人同士なのか」
ふと、生徒たちの面倒の煩わしさを忘れてそんなことが頭を掠める。誰かの思い出の中では綺麗なまま俺と彼女は残っている。あの愛おしい過去がなくなっていないことに少しだけ安心する自分がいた。
僅かな時間現実逃避をしていたが一応抗議のメッセージと電話をすることにした。
怒っている雰囲気を出しながら機械越しの彼女の慌てた声に笑ってしまいそうになった。そう。俺は言うほど怒ってはいない。
――まぁ仔犬ともは煩いだろうな。
そのときは躾け直してやればいい。難しいことではないと一人笑みを深めた。
想像以上に学生時代に彼女と恋人同士だったことが広まった。やはりバッボーイ共が出現しその日はたくさんの課題を出した気がする。出し過ぎたかと思うがどうせ出す予定のものだったのだからいい。
放課後も彼女の研修の追い込みをしているときだった。
あまりにも心配する彼女に気にするなと念を押すと、ふと顔に薄らと浮かぶ古傷が目に入る。化粧で隠れてはいるが見えるその傷は俺の所為で出来てしまったもの。
「この辺りだったな」
ふとその傷痕に手を伸ばし触れる。そのまま薄らと浮かぶ傷痕をなぞる。
「傷跡ははっきりと残ってしまったか……」
「そんなに、ただ、傷があると覚えられて、仕事にも支障が――」
途切れ途切れに話す声に徐々に現実に引き戻されていく。
触れてしまった傷痕からそっと指を離し、ふと事件のことを思い出す。あの事件は箝口令がしかれたため当時その場にいた人間以外知らないことの方が多い。だが、どこから出て来るか分からない。
「事件のことを知る生徒が出て来るかもしれん」
つい心配の言葉が零れた。それに彼女はなんともないような顔をし、何かを飲み込みこんで笑みを作った。作られた笑みはかつて悩みを俺に隠そうとしていた彼女とよく似ていた。そういう顔をさせているのは俺の所為だ。
俺の傍にいると彼女はきっとずっとそういう表情をし続けるのだろう。なら離れて彼女が幸せになって微笑む姿を遠くから見つめる方がいいんだろう。だが、再会してしまった今できるのか。
「難しいのだろうな……」
* * *
本当に前職で深酒や酔っ払って記憶を失ったことがないのか。怪しく思う前に目の前で酔っ払っている彼女の姿に釘づけになっている。
送別会で来ていたワンピースを脱ぎ落し、あられもない姿でくっついて来る。
その姿に理性が焼き千切れそうになる。だが、相手は酔っ払いでここまで馬鹿げた行動をしているとなると明日はきっと覚えていないだろう。
何とかここをやり過ごして帰ればいいと思っていたが――。
「……」
流石、元魔法執行官。身長を大いに上回り男を彼女は簡単にベッドに押し倒した。そして、無様に倒された男こと俺の身体を跨ぎ見下ろす姿は扇情的以外の何ものでもない。
「デイヴィス♡」
「っ、」
何時ぞやのように頬を薄らと染めて顔を寄せて来た。眼前まで迫った瞳に自分が映っているのが見える。その姿なのカッコ悪さに目を背けたくて顔を背けようとしたが――。
「だぁめ♡」
「ぐぅ」
彼女の手によって顔を元の位置に戻されてしまった。より近くなる距離は吐息が交じり合うほどだった。酒臭さも忘れて爛々とした双眸を見つめていると――。
「デイヴィス、好きよ」
息を飲む前に呼吸を奪われた。
永遠のように感じた時間の流れはすぐに終わりを迎えた。触れていた柔らかな唇の感触はすぐに離れてしまった。
それを追いかけることもできずに呆然としている中彼女は起き上がった。満足げに笑みを深めている姿に声をかけようとしたがそれより早く彼女の身体がぐらりと大きく傾いた。
「ジャンヌッ」
久々に彼女の名前を呼んで上体を起こして悩ましい姿をした身体を抱き留める。もう一度名前を呼んで顔を覗き込むと――。
「寝てやがるっ」
すぅすぅと穏やかな寝息を洩らしながら寝ていた。穏やかな寝顔に悪態をつく言葉が出て、ついでに深い溜息が零れた。
肩透かしというか、何と言うか。高ぶった高揚と身体に籠った熱をどう処理すべきか。
「クソっ、」
もういっそ寝ている間に襲うかと最悪なことが頭に過ったが俺様はしない。理性を総動員して悩ましい姿をした彼女をベッドに寝かせる。そして、風邪を引かないようにブランケットをかぶせるともぞもぞ身体が動き出した。
起きるのかと少しビクビクしながら見ていると呻きながらぽいっと何か放り出した。
何を投げたのか。俺はそれを確認して見てすぐに視線を逸らし目元を手で覆う。
「こっんの、バッガールッッ!」
怒りが込み上がるが何とか声を潜める。
彼女が放り出したのは唯一身に纏っていたランジェリーたちだった。彼女はブランケットの下で全裸となった。
もう年若い青年ではない。だが、別に男として枯れているわけではない。静まっていた熱が瞬く間に復活しやり場のない怒りが身体に駆け巡る。
「くっそ」
どうして俺がこんな目に合わないといけない。理不尽な怒りにサッサと帰ろうとしてやめた。もうこれはやり返してやらないと気が済まない。
どうせもう電車も止まっているから鏡が繋がる場所にいけない。俺が満足するためのホテルを取るのも難しいだろう。
「居座ってやる」
恨みがましく呑気に寝ているベッドの膨らみに寝る準備を始める。寝る前に水でもと思って冷蔵庫を見たが空だった。冷気が出ないことから電気さえついていないのだろう。水道水で妥協しながら準備を進める。
ちなみにその最中彼女が脱ぎ放ったワンピースや靴に……ランジェリーも片付けて置く。ここまで俺にさせるのはきっと彼女くらいだ。
「平気そうだな」
すやすや寝ている彼女の隣には大人がもう一人が眠れそうだった。誰かと共に寝るために大き目のサイズにしたのかと思うと苛つく。だが――。
「俺が、好きなのか……」
改めて彼女の言葉を噛みしめる。
俺だけが拗らせて執着していたわけではない。彼女もまた同じだったと思うと嬉しさがじわじわと滲んでいく。
「明日、どうしてやろうか」
最後に彼女への仕返しの準備のためにネクタイを緩めて引き抜いた。
* * *
ジャンヌは俺が想像している以上に想っていてくれた。
腕に手を回し嬉しそうに微笑む彼女を見て自然と頬が緩む。
――本人は自分自身にドン引いていたが。
ジャンヌは自分の抱く想いは「愛」ではなく「恋」と表した。だが、俺からしたら彼女の抱く想いは深い「愛」なのではないだろうか。そもそもあの事件こそがジャンヌの「愛」の証拠だ。それでも彼女は否定しそうだから言わないでおくが。
さて、無事めでたく恋人同士に戻ることができたがこのあとどうするか。
もうお互い少年と少女ではない。20代の年若い年齢でもない。30代を迎え大人として熟しいく年齢だ。
――昨日の続きがしたい。
鳴りを潜めていた熱が蠢き出す。忘れることもできない昨夜のジャンヌのあられもない姿。ずっと脳裏にこびりついている。
このまま帰るのも惜しいし、お互い教師と忙しく次いつ会えるか分からない。いくら教師であり休日も重なることが多くともすぐに会えるとは思えない。
ならこの機会を逃してはいけない。
幸せに浸る彼女を見下ろしてから身を屈める。
「デイヴィス?」
ジャンヌの目が俺を捉える。その瞳を見つめたまま彼女にだけに聞こえる声で囁く。すると、僅かに両目を見開くと顔を赤く染めていく。
まるで経験のない少女のような反応は学生時代を思い起こす。だが、もう目の前にいる彼女は少女ではなく立派な淑女 だ。
「こ、こんな朝から」
「俺は昨日からずっとお預けを食らっているが?」
「ぇ、え……まさ、まさか」
薄らと染まっていた頬が血の気を失っていく。青ざめていく彼女は昨夜の失態の予想がついたのかもしれない。
何をどこまで想像しているか分からないが皆まで言わない。
――それの方が面白い。
青ざめる彼女を見下ろしながら笑みを深めていく。それに逃げ腰になるジャンヌを逃がさぬように抱き寄せる。
「さぁ、帰るぞ。ジャンヌ」
「デイヴィス――わたしたち別れましょうか」
顔にまだ真新しい包帯を巻いたままの彼女が真っ直ぐ俺を見つめて放った言葉は心臓に深く突き刺さった。傷を負ってもなお輝きを忘れない双眸はまだ俺を〝愛している〟と言っているように見えた。だが、その〝愛〟ゆえに彼女は俺から手を離そうとしている。
酷い言葉を放った謝罪のために持って来た花束を握り直す。別れたくない、と心の底から叫びたい。でも、彼女が求めているのはきっとそうじゃないんだろう。
震える唇必死に動かす。最後に彼女の記憶に残る俺様の姿が無様であってはいけない。デイヴィス・クルーウェルという最高の男でないといけない。
「あぁ。わかった」
何とか吐き出せた言葉に安心する彼女の姿を見て酷く安心する自分がいた。
この選択肢は間違っていなかったと思った俺は踵を返して病院を去った。そして、このときから俺と彼女の道は交わることはなかった。
人伝いに大学を卒業した彼女が魔法執行官になったと聞いた。とても優秀だった彼女だったならありえるだろう職業。同時に顔から血を流し倒れた姿を見ているだけにあまり祝福できることでもなかった。
そんなときだった。彼女と別れてから派手になった女性関係に終止符を打ったのは。
ある女性といつものように夜を過ごしたことだった。聡明でどこか彼女を思い出せた女性は『貴方は誰か別の人を見ているのね』と告げられた。
ずっと分かっていたことだった。ずっと関係を持った人間はどこか彼女を思い出せるような女性ばかりだった。だから言われずとも分かっていた。ただ、改めて第三者に指摘されたことで「もういいか」と思った。
他人に彼女の影を追うことを止めようと思った。それから派手な人間関係は鳴りを潜め同時に母校でもあるナイトレイブンカレッジから教師にならないかという誘いがあった。アパレル業界に未練がないわけではなかったが「いい」と思った。
教師となってからアパレル業界とは別の忙しさに追われた。だが、仔犬である生徒たちの成長を見ていて満ち足りた気持ちにもなった。そんな中、教師生活を過ごしているときに彼女と再び道が交わった。
「ブルームノヴァカレッジとの交流を再開することになりました」
その名前を久しぶりに聞いた。同時にあの事件以来ずっと交流が断たれていたこと改めて痛感した。
「まず手始めにブルームノヴァカレッジの新任教師の研修の一部を受け入れることにしました」
「お名前はジャンヌ・ルー先生といいます」と告げた学園長の名前に目を瞠る。驚愕を綯交ぜにして学園長を凝視するがあちらは何も気にすることなくつらつら話を進める。
「そしてこちらの研修担当をトレイン先生にお願いしたのですが、よろしいですか?」
仮面に覆われた目元で学園長がトレイン先生を見るのが分かった。俺は咄嗟に口を開いて「待ってください」と止めに入った。そして周りの視線を気にすることなく「俺が」と口にしていた。
「俺が、いえ、私が担当させては貰えないでしょうか?」
「クルーウェル先生……」
トレイン先生の懸念の籠った声色に彼を見る。自分が学生の時よりも歳を重ねた姿。より厳しくなった眼差しは教師となってから先輩教師のようだったが今は違う。かつての教え子を気遣うような柔らかさが見え隠れしている。だが、俺は気にしない。
「クルーウェル先生。私もお話は聞いております。流石に当事者同士の」
「だからです」
先生から視線を移動させ学園長を見る。学園長の目を真っ直ぐ見つめる。かつての彼女のように。
「当事者同士。打ち解け合ってこそ以前のような交流が戻るのではないでしょうか」
本当でも合って建前でもある。ほんとうは彼女と断ってしまっていた繋がりを再び紡ぐきっかけが欲しかった。顔を見て、言葉を交わしたかった。職権乱用でもいい。今はか細くても繋がりを紡ぎたかった。
「……わかりました。ただ、ルー先生が拒んだ場合はトレイン先生に戻させてもらいますよ」
「はい……」
ふぅと溜め息を学園長の言葉に少しだけ怯みかける。俺は会いたいが彼女が俺に会いたいかは分からない。でも、それでも、俺は会いたかった。だから、少し苦しい胸を無視して承諾した。
元々忙しかった仕事は研修担当となりさらに忙しくなった。だが、それ以上に彼女と再会できると思う気持ちの高揚の方が上回り仕事は滞ることはなかった。
そして、研修当日となり――俺は再び彼女に、ジャンヌ・ルーと再会した。
* * *
思い出の中に居た彼女はまだ大人に一歩手前のような少女らしさを残していた。だが、再会した彼女は魔法執行官を経てさらに30代を迎えたことにより〝いい女〟になっていた。あの傷さえも彼女の魅力のように輝いてみたが「古傷が痛む」という言葉に心苦しくなり薬を差し入れた。
断ることなく受け取ってくれたこと嬉しく思いつつも、彼女が苦しむ原因を与えたのは紛れもなく自分だという罪悪感に苛まれる。
研修期間少しずつぎこちなさが抜けていく。
仕事終わりに偶然麓の街で出会ったとき相変わらず店選びが下手くそだった。変わっていないところに安心しながら思い切って誘ってみた。すると、彼女は悩ましい顔をしていた。少女のときに見たことがない大人の女の顔。だが、ふいにその顔はどうしてと思うと恋人の存在が頭を掠める。
――恋人がいたっておかしくないな。
いや、もうパートナーがいたって不思議ではない。自分以外の誰かが彼女の横に立っている姿を想像して自分勝手な苛立ちが込み上げる。その苛立ちを1ミリも出さずにそれっぽく訊ねれば――。
「違うわ。恋人なんていないもの」
少し焦った調子でそう返された。意外だなという意味と込めて言葉を返しながらもまだ誰のものではないことに嬉しさが込み上げた。
恋人がいないならとやや強引にそのまま一緒に食事に連れて行った。その最中、彼女が嫌そうな顔をしなかったことが淡い期待を呼び起こした。
食事を終えると彼女は随分とふわふわとした足取りだった。完全に酔っているではないが夢心地のような表情に通りすぎていく男たちの視線が一瞬だけ向けられる。
下心の見える駄犬を睨みつけながら夢心地の彼女に「大丈夫か」と問いかける。彼女は若干呂律を怪しくさせながら「平気」と答える。怪しいなという視線を向けると昔のようにムッとした顔をして歩き出す。そして、ドヤ顔で「歩ける!」と宣言した。
もうこれは酔っている。
それでも意気揚々と戻って来た彼女の身体が目の前で傾いた。カッコよく抱き留めようとする前に両腕を掴む。それからくいっと引っ張り起こす。
何が起きたか分からないと言いたげに長い睫を瞬かせる姿は不安でしょうがない。大丈夫かと見ていると彼女が相好を崩したと思ったときだった。
「おいっ」
トンと目の前の彼女が抱き着いて来た。思わず焦った声を出すと胸元にあった彼女の顔がそろそろと上がる。頬は酒に当てられた淡く色づいている。こちらを見上げる双眸も、僅かに開いた唇も潤んでいる。
その姿に劣情が煽られた。これはダメだとすぐに厳しい顔を作り酔っていることを指摘する。それに彼女は「ありがとうのハグ」だとか抜かした。
以前の職場ではよくしていただと、まで言い出し劣情はあっさりと嫉妬に上書きされた。俺はこのままでは彼女は危険と判断し部屋に送り届けることにした。
最後に「上がっていく?」なんて誘われて理性が崩れそうになったが何とか耐えた。
次の日、顔を青ざめた彼女に謝罪をされた。どうやら記憶が残るタイプらしい。災難なのか分からないがそれであの酒癖なのは少々いただけない。
その後、俺も彼女も仕事のスイッチを入れて研修を終えようとしたときだった。
「あ、あの、デイヴィスいい?」
戸惑いがちに名前を呼ばれて「は?」と呆けた声が出た。そして、そのままの顔で彼女を見ると顔を青ざめて口を塞いでいた。完全にやってしまったというポーズだ。
どうやら彼女のやらかしだったようだが、俺の身体にはじわじわと歓喜に満ちていくようだった。もう10年以上は呼ばれていなかった名前。ここでも一環として教師としてお互いラストネームで呼んでいた。
――昨夜のあれで気が緩んだのか。
もはやそれはどうでもいいが、俺は緩みそうになる唇を必死に耐えながら呼び直した彼女に答えた。そして、何とまだ聞けていなかった私的な連絡先を手に入れることができた。
「動いてみるものだな」
新しい彼女の連絡先を家で見つめようやく頬を緩ませた。
* * *
「なっ、」
休日の彼女からのメッセージに少しだけ浮ついた数分前の自分を殴りたい。
彼女から送られたメッセージには『麓の街のおばちゃんにバレた』といたってシンプルだった。そして、それだけで彼女が誰に見つかってしまったのか容易に想像できた。
いや、無理はないか。彼女はもうずっと賢者の島に来ていなかった。だから、あの口が軽いことで有名な店員を忘れていても可笑しくない。だが、休日はナイトレイブンカレッジの生徒も麓の街に外出することは多い。そもそもそうでなくてもきっと瞬く間に生徒たちに伝わっただろう。何せ、あの店は魔法士見習い御用達の本屋なのだから。
「……そうか。あの店員の中では俺たちはまだ恋人同士なのか」
ふと、生徒たちの面倒の煩わしさを忘れてそんなことが頭を掠める。誰かの思い出の中では綺麗なまま俺と彼女は残っている。あの愛おしい過去がなくなっていないことに少しだけ安心する自分がいた。
僅かな時間現実逃避をしていたが一応抗議のメッセージと電話をすることにした。
怒っている雰囲気を出しながら機械越しの彼女の慌てた声に笑ってしまいそうになった。そう。俺は言うほど怒ってはいない。
――まぁ仔犬ともは煩いだろうな。
そのときは躾け直してやればいい。難しいことではないと一人笑みを深めた。
想像以上に学生時代に彼女と恋人同士だったことが広まった。やはりバッボーイ共が出現しその日はたくさんの課題を出した気がする。出し過ぎたかと思うがどうせ出す予定のものだったのだからいい。
放課後も彼女の研修の追い込みをしているときだった。
あまりにも心配する彼女に気にするなと念を押すと、ふと顔に薄らと浮かぶ古傷が目に入る。化粧で隠れてはいるが見えるその傷は俺の所為で出来てしまったもの。
「この辺りだったな」
ふとその傷痕に手を伸ばし触れる。そのまま薄らと浮かぶ傷痕をなぞる。
「傷跡ははっきりと残ってしまったか……」
「そんなに、ただ、傷があると覚えられて、仕事にも支障が――」
途切れ途切れに話す声に徐々に現実に引き戻されていく。
触れてしまった傷痕からそっと指を離し、ふと事件のことを思い出す。あの事件は箝口令がしかれたため当時その場にいた人間以外知らないことの方が多い。だが、どこから出て来るか分からない。
「事件のことを知る生徒が出て来るかもしれん」
つい心配の言葉が零れた。それに彼女はなんともないような顔をし、何かを飲み込みこんで笑みを作った。作られた笑みはかつて悩みを俺に隠そうとしていた彼女とよく似ていた。そういう顔をさせているのは俺の所為だ。
俺の傍にいると彼女はきっとずっとそういう表情をし続けるのだろう。なら離れて彼女が幸せになって微笑む姿を遠くから見つめる方がいいんだろう。だが、再会してしまった今できるのか。
「難しいのだろうな……」
* * *
本当に前職で深酒や酔っ払って記憶を失ったことがないのか。怪しく思う前に目の前で酔っ払っている彼女の姿に釘づけになっている。
送別会で来ていたワンピースを脱ぎ落し、あられもない姿でくっついて来る。
その姿に理性が焼き千切れそうになる。だが、相手は酔っ払いでここまで馬鹿げた行動をしているとなると明日はきっと覚えていないだろう。
何とかここをやり過ごして帰ればいいと思っていたが――。
「……」
流石、元魔法執行官。身長を大いに上回り男を彼女は簡単にベッドに押し倒した。そして、無様に倒された男こと俺の身体を跨ぎ見下ろす姿は扇情的以外の何ものでもない。
「デイヴィス♡」
「っ、」
何時ぞやのように頬を薄らと染めて顔を寄せて来た。眼前まで迫った瞳に自分が映っているのが見える。その姿なのカッコ悪さに目を背けたくて顔を背けようとしたが――。
「だぁめ♡」
「ぐぅ」
彼女の手によって顔を元の位置に戻されてしまった。より近くなる距離は吐息が交じり合うほどだった。酒臭さも忘れて爛々とした双眸を見つめていると――。
「デイヴィス、好きよ」
息を飲む前に呼吸を奪われた。
永遠のように感じた時間の流れはすぐに終わりを迎えた。触れていた柔らかな唇の感触はすぐに離れてしまった。
それを追いかけることもできずに呆然としている中彼女は起き上がった。満足げに笑みを深めている姿に声をかけようとしたがそれより早く彼女の身体がぐらりと大きく傾いた。
「ジャンヌッ」
久々に彼女の名前を呼んで上体を起こして悩ましい姿をした身体を抱き留める。もう一度名前を呼んで顔を覗き込むと――。
「寝てやがるっ」
すぅすぅと穏やかな寝息を洩らしながら寝ていた。穏やかな寝顔に悪態をつく言葉が出て、ついでに深い溜息が零れた。
肩透かしというか、何と言うか。高ぶった高揚と身体に籠った熱をどう処理すべきか。
「クソっ、」
もういっそ寝ている間に襲うかと最悪なことが頭に過ったが俺様はしない。理性を総動員して悩ましい姿をした彼女をベッドに寝かせる。そして、風邪を引かないようにブランケットをかぶせるともぞもぞ身体が動き出した。
起きるのかと少しビクビクしながら見ていると呻きながらぽいっと何か放り出した。
何を投げたのか。俺はそれを確認して見てすぐに視線を逸らし目元を手で覆う。
「こっんの、バッガールッッ!」
怒りが込み上がるが何とか声を潜める。
彼女が放り出したのは唯一身に纏っていたランジェリーたちだった。彼女はブランケットの下で全裸となった。
もう年若い青年ではない。だが、別に男として枯れているわけではない。静まっていた熱が瞬く間に復活しやり場のない怒りが身体に駆け巡る。
「くっそ」
どうして俺がこんな目に合わないといけない。理不尽な怒りにサッサと帰ろうとしてやめた。もうこれはやり返してやらないと気が済まない。
どうせもう電車も止まっているから鏡が繋がる場所にいけない。俺が満足するためのホテルを取るのも難しいだろう。
「居座ってやる」
恨みがましく呑気に寝ているベッドの膨らみに寝る準備を始める。寝る前に水でもと思って冷蔵庫を見たが空だった。冷気が出ないことから電気さえついていないのだろう。水道水で妥協しながら準備を進める。
ちなみにその最中彼女が脱ぎ放ったワンピースや靴に……ランジェリーも片付けて置く。ここまで俺にさせるのはきっと彼女くらいだ。
「平気そうだな」
すやすや寝ている彼女の隣には大人がもう一人が眠れそうだった。誰かと共に寝るために大き目のサイズにしたのかと思うと苛つく。だが――。
「俺が、好きなのか……」
改めて彼女の言葉を噛みしめる。
俺だけが拗らせて執着していたわけではない。彼女もまた同じだったと思うと嬉しさがじわじわと滲んでいく。
「明日、どうしてやろうか」
最後に彼女への仕返しの準備のためにネクタイを緩めて引き抜いた。
* * *
ジャンヌは俺が想像している以上に想っていてくれた。
腕に手を回し嬉しそうに微笑む彼女を見て自然と頬が緩む。
――本人は自分自身にドン引いていたが。
ジャンヌは自分の抱く想いは「愛」ではなく「恋」と表した。だが、俺からしたら彼女の抱く想いは深い「愛」なのではないだろうか。そもそもあの事件こそがジャンヌの「愛」の証拠だ。それでも彼女は否定しそうだから言わないでおくが。
さて、無事めでたく恋人同士に戻ることができたがこのあとどうするか。
もうお互い少年と少女ではない。20代の年若い年齢でもない。30代を迎え大人として熟しいく年齢だ。
――昨日の続きがしたい。
鳴りを潜めていた熱が蠢き出す。忘れることもできない昨夜のジャンヌのあられもない姿。ずっと脳裏にこびりついている。
このまま帰るのも惜しいし、お互い教師と忙しく次いつ会えるか分からない。いくら教師であり休日も重なることが多くともすぐに会えるとは思えない。
ならこの機会を逃してはいけない。
幸せに浸る彼女を見下ろしてから身を屈める。
「デイヴィス?」
ジャンヌの目が俺を捉える。その瞳を見つめたまま彼女にだけに聞こえる声で囁く。すると、僅かに両目を見開くと顔を赤く染めていく。
まるで経験のない少女のような反応は学生時代を思い起こす。だが、もう目の前にいる彼女は少女ではなく立派な
「こ、こんな朝から」
「俺は昨日からずっとお預けを食らっているが?」
「ぇ、え……まさ、まさか」
薄らと染まっていた頬が血の気を失っていく。青ざめていく彼女は昨夜の失態の予想がついたのかもしれない。
何をどこまで想像しているか分からないが皆まで言わない。
――それの方が面白い。
青ざめる彼女を見下ろしながら笑みを深めていく。それに逃げ腰になるジャンヌを逃がさぬように抱き寄せる。
「さぁ、帰るぞ。ジャンヌ」
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