途切れぬ男女の糸
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糸が解けて結ばれて
元恋人バレを乗り越えて研修は最終週を迎えた。これ以上やらかすことはないと思っていたけれど――再び酒でやらかすなんて思わなかった。
少し前は酒を飲んで記憶を失くすことはなかった。深酒という深酒をしたことがないから分からないけれど酔っ払って記憶を失くしたことはなかった。だというのに、今のわたしは昨夜の記憶がない。
「なんでいるの?」
目の前にあるデイヴィス・クルーウェルの綺麗な寝顔があった。瞬きを数回して目を潤ませても目の前に変わらずデイヴィスの顔がある。
本物なのかしら。あまりにも寂しくなって自分で幻を作り上げてしまったのかしら。回らない頭でそっとデイヴィスがいるだろうところに手を伸ばして止まる。
「いるわ」
指先に気配を感じる。いる。ここに誰かいる。もしかして誰か別の人間がディヴィルの皮を被って寝るのかもしれない。なら、やることはひとつ。
わたしは小さく呪文を唱えてみる。これなら幻術魔法を使っていたら解除されるはず。化けの皮を剥がしてやる、という意気込みで呪文を唱えたが剥がれない。
魔法石なしの魔法だから。わたしは魔法石のついたバングルを召喚して着けてもう一度魔法を使おうとしたときだった。
「っ、ぅ」
整った顔立ちが歪む。眉がキュッと寄って長い睫が震える。起きる直前の人間にわたしの身体は硬直する。これはこのままもう一度眠りの魔法を使う方がいいんじゃないのと誰かが囁く。それだ。わたしはすぐに違う呪文を唱える。
バングルについた魔法石が輝きキラキラと粉が舞い出てデイヴィスかもしれない男に振りかかる。魔法は成功したのだろう起きる直前だった男の顔が穏やかになる静かな寝息を零した。
ふぅと細く息を吐きながら起き上がることにした。このままだと何かあったときに逃げられない。準備をしないと、と起き上がって肩からブランケットが落ちて――。
「え」
見下ろした身体は何も身に纏っていなかった。何も、パジャマは見るからに来ていない。下着も履いている気がしない。
慌ててブランケットを胸元に引き寄せる。血の気が引いていく。デイヴィスらしき男が横に寝ているのも変な話だが裸というのもおかしい話だ。
「し、した? え、や、まってッ」
身体の違和感がない。だるいことはだるいがこれはきっと飲み過ぎた後の倦怠感だと思う。でも一応、と下半身を隠しているブランケットをそっと上げて覗き込む。少し太腿を上げてみる。
「なにもない」
もし性行為をしたのであれば久しぶりで色々違和感があるはず。けれど違和感がない。なら性行為はしていない。でも、裸ということは。
「脱ぎ魔ってこと……」
正直昨夜の記憶がないから何も分からない。とはいえ、一緒にベッドに寝ている人間としていないことは判明した。なら、早く着替えるしかない。
ブランケットを引っ張ってみる。隣で寝ているデイヴィスらしき男のブランケットは動かなかった。どうやら一人ずつ分用意されていたみたい。
これなら身体に巻き付けても平気。一安心しながらブランケットを身体に巻き付けながらベッドを降りる。ふと、ようやく周りの景色が視界に入るようになった。そこでわたしはあまりにも覚えるあり過ぎる部屋にいることが分かった。
「わたしの家……」
慌てて足元を見れば気に入って購入したカーペット。また視線を上げて部屋を見回す。
ここは紛れもない輝石の国の自宅だ。教師になるときに休暇用に用意した別宅。
恐る恐る身体に巻き付けたブランケットを見下ろせば普段使っているもの。そっと背後を振り返って目を覆いたくなった。デイヴィスらしき男が使っているブランケットはお客様用に購入したものだ。昨夜のわたしは一体どこから取り出したのかしら。
とりあえず早くどうにかしないと。わたしは現実逃避するようにブランケットを身体にきつく巻き付けて浴室に向かって速攻シャワーを浴びた。
「なんてこと、なんてこと、なんてこと!」
シャワーを浴びながらありたっけの声で叫んだ。叫びながら高速でシャワーで汗を流し魔法で髪を乾かし、魔法で服を身に纏う。
誰に見られても平気な部屋着を着て最後にスキンケア用品と化粧品を召喚してパッとメイクをする。もちろん、傷は見えないように。
「よし、うん。まぁ、及第点」
正直昨夜ほどの完璧さを目指したメイクはできない。とりあえず見られても平気なナチュラルメイクができた。
よし、よし、と確認しながら脱衣所を出る。そして、寝室に戻って改めて見回すと綺麗にハンガーにかけられたワンピースがあった。
そのワンピースは昨日の送別会で着ていたものだ。よく見ればワンピースの下に履いていたハイヒールがあった。他には、と見回しても下着やペチコートがない。
もしや、洗濯機の中にあるのかもしれない。見に行こうかと思ったがまずしなければいけないことがあった。
腕に通していたバングルを杖の状態にしてしっかり握る。こういうときアクセサリー型よりも杖の状態が一番。忍び足でベッドへ近寄りいまだに寝ている色男を見下ろす。
「デイヴィスじゃありませんように」
いや、それはそれで問題なのだけれど今はどうでもいい。深呼吸をしてから眠りの魔法を解除する。すると、寝ていた色男の瞼が震えてゆっくりと上がった。現れた冷たい鋼の瞳に嫌な予感の鐘がカンカン鳴り響く。
「はぁい、えっと、その、おはよ~」
「ぁ?」
ガラの悪い返事は寝起きだから見逃す。焦点の合わないデイヴィスは目を眇めてじっとわたしを見る。それから数回瞬きをしてから「あ゛~~」と低い声で唸り声を上げてベッドにうつ伏せになった。
「ちょ、クルーウェル先生、先生なのよね!」
「うるさい」
「頭に響く」と告げる掠れた声にわたしは本物だとようやく納得する。ドッと出てくる冷や汗。せっかくシャワーを浴びてスッキリした身体が台無しだ。
「ね、なんで、なんで、貴方とわたしいるの?」
「ぁ? おぼえてないのか?」
常なら綺麗にセットされた前髪を下ろしその隙間から鋭い眼差しが向けられる。鋭い眼光に怯みながら首を縦に動かす。すると、「はぁ゛」と苛立った溜息をついた。
「な、何かしたのよね。起きたときが酷い有様だったから分かるわ」
「酷い有様だと?」
さらに眼光が鋭くなる。苛立ちの籠った眼光にわたしは失言だと気づく。もしかしたら寝る準備をデイヴィスがしてくれたのかもしれない。前後不覚後の酔っ払いの世話をしっかりしてくれたのに酷い有様と言ったのが気に入らなかったんだわ、きっと。
「ご、ごめんなさい。酷くはなかった。でも、その、裸だったからきっと酷かったのかなぁ~って」
にへらと笑うと「チッ」と鋭い舌打ちをされた。そんな苛立たないでよ。
泣きたくなる。というか、こんな三十代にもなってみっともなく誰かのお世話になるなんて恥ずかしい。しかも、三十代にもなってお酒で失敗するとかなんて失態なの。
「おい……ほんとうに覚えていないのか」
「ぇ」
視線を上げると起き上がったデイヴィスがいた。そしてブランケットで隠れていた彼の上半身が現れた。
「ッッ!」
慌てて目を横に動かして直視を逃れる。わたしが覚えている彼の裸体はまだ完全に大人になりきっていない身体。どちらかというと細身で色白の青少年らしい身体。でも、今目の前に完全に大人となった綺麗に筋肉がついた身体が現れた。記憶とのギャップで死にそうになった。いや、心の中では憤死した。
とりあえず落ち着けと気を静めてからもう一度デイヴィスを見ると何故かこっちを見ていた。じっと膝に肘をついて手のひらに顎を乗せて見ていた。なにその様になる姿は。
「なによ」
「覚えていないのか」
「……はい」
「はぁああ」
深い溜息をついて一度頭を下げて上げる。半眼で睨んで来る男は「風呂」と一言言い放った。わたしは「どうぞ」と即答してしまった。まぁ、でも、いいや。
「服とか、その下着は」
「昨日洗濯機を使わせてもらった」
それくらいいいだろ、と言って立ち上がるデイヴィス。下はと思ったらブランケットをしっかりと身体に巻き付けてベッドを降りた。もうそのブランケットお客様用に使えないじゃない。
「あ、シャンプーとかは」
「お前の借りる」
「え、平気?」
「平気だ」
そのままむすっとしたまま部屋の主のごとく迷わぬ足どりで浴室へと向かった。
部屋を出た後思わず深い溜息が零れた。それからわたしも部屋を出てリビングのソファに腰掛ける。
「昨日何があったの」
目を閉じて何とか昨日の記憶を呼び起こす。
まず、研究発表も終わりわたしのナイトレイブンカレッジでの研修が終わった。そこでデイヴィスを含めた先生たちがわたしのための送別会をしようという話になった。
賢者の島では面白味もないということで闇の鏡を特別な許可のもと利用して輝石の国に来た。選ばれた理由はわたしが輝石の国出身で別宅があるからと言う理由。あと、主催のバルガス先生も輝石の国で詳しいという理由もある。デイヴィスは「薔薇の王国でもいいだろ」と不満を零してはいたが最終的に輝石の国の首都の個室のあるレストランになった。
「ここまでは問題ない」
わたしも含め先生たちもドレスアップというかちょっとおめかしをして入ったレストランはとてもよかった。料理もおいしかったけれどお酒の種類が豊富で飲める先生たちは物凄く色々頼んだ。珍しいお酒と先生方の話で盛り上がってカパカパと空けていった気がする。
「えっと、マリアンヌ先生が二股かけられて結婚詐欺にあいかけた話まで覚えている」
泣きながらトレイン先生の腕を掴んで揺らしていた気がする。その横でバルガス先生が運動好きの先生と筋トレだかプロテインの話をしていたような気がする。
「んで、マリアンヌ先生の話から――あッ!」
そうだ。わたしついにあの 話をしてしまったんだ。
わたしの人生で二回目の大きな事件。といっても、一回目のデイヴィスとの離別に繋がる事件よりも全然大したことはない。大したことはないけれどあまりにも理不尽な出来事に怒りを通り越して呆れた事件。
まぁ、要するにわたしが魔法執行官を辞職するまでに至った流れなんだけど。送別会の空気が悪くなったというか「魔法庁は馬鹿なの?」みたいな空気は流れたな。
「うんうん。思い出してきた」
まだ記憶力を捨てたわけじゃない。流石元魔法執行官。自分の失態を挽回できるかもしれない。気合を入れて朧げな記憶を掘り起こす。
「その話をしたあとに――パカパカさらに酒を空けたのよね」
バルガス先生に次々に飲まされた記憶が蘇る。蘇るけれど――。
「ン~~結局そのあとお開きになった後は……」
店を出る瞬間のことを思い出そうとするとプツリと途切れて思い出せない。なら、イヤだけれど自宅に帰って来たときの記憶はどうだろうと掘り起こそうとするけれど。
「だめね。一向に思い出せないわ」
溜息をついてソファに横になる。疲れた。深酒の翌日に頭を使って疲れた。いや、色々精神的衝撃が強かったのも一因だと思う。
「いや、寝ている場合じゃないわ」
起き上がって自分の置かれている状況をまた整理する。
「記憶は思い出せないけれど――たぶんデイヴィスがここまで送ってくれたことは確かよ」
この自宅からあの送別会をしたレストランまで距離があった。たぶん、タクシー代もきっと代わりに出してくれたんだろう。あとで返さないと。
「……ぐでんぐでんに酔って鍵もきっと開けてくれたのよね」
オートロックマンションだからたぶん苦労しただろう。なんとかわたしからパスワードを聞いて鍵も探させたと思うと申し訳なさで逃げ出したくなる。逃げ出さないけれど。
「んー、でも、部屋に入ってどうして脱ぐ流れになったのかしら」
着替えさせてくれるにしてもデイヴィスくらいだったら実践魔法で他人の服も着替えさせられるだろうに。どうしてお互い裸になっているかしら。
「脱ぎ魔で脱がせ魔……?」
意味が分からない。しかも最終的にはあの小さなベッドにぎゅうぎゅうになって寝ていたのにブランケットは別とか。意味が分からない。分からない。
「んー。デイヴィスに訊くしかないわね」
まだシャワーを浴びているし、たぶんスキンケアやメイクをしているから時間もある。朝食の準備をしようかなと思ってすぐに冷蔵庫が空っぽなことを思い出す。
「そうよね。ここ別宅だし」
普段はブルームノヴァに努めてからは学生寮とは別に用意された教員寮を使っている。ここには息抜きに週末や長期休暇くらいにしか使わない別宅。冷蔵庫はあるだけで普段は電源も着いていなければ中身は空っぽ。
「外に買いに行かないと。あ、でも、いっそ外で朝食を買ってきた方が」
「随分と独り言が激しいな」
「え」
座ったまま振り返ればすぐ傍までデイヴィスが立っていた。髪をいつも通りにセットしているけれどメイクをしている様子は見えない。来ている服は昨夜の送別会に着ていたシャツにスラックスとシンプルないで立ち。あれ、でもネクタイとジャケットはと考えて自分が駄目にした気がして来た。
「あ、あの、先生」
「はぁ。もう学園外だ」
「デイヴィスでいい」と言いたいのだろう。本人の許可が出たとはいえ一度彼の名前を以前のように呼んでしまったら元に戻れない気がする。
「ジャンヌ」
「うぇ?」
久々に呼ばれた名前に変な返事をしてしまった。
わたしの返事にデイヴィスが口角を上げて意地悪そうな顔をした。バッチリ耳に入っているということだろう。恥ずかしい。
「ジャンヌ。とりあえず朝食だ。昨日冷蔵庫を覗かせてもらったが何もなかった」
「え、なんで見たのよ」
「水を飲ませるためだ」
「なるほどですか」
「そうだ」
フンと鼻を鳴らデイヴィスが「行くぞ」と言って顎で動くように促す。わたしは「はい」と返事をして立つ。
「食材を買うには勿体ない。外でモーニングだ」
「わかったわ。テイクアウトする?」
「それもいいな」
学園内での「先生」としてのやり取りではないやり取りに心が浮き立つ。
このやり取りにわたしの心のキャパがオーバーしそう。だって、わたしまだ目の前の男が好きなよ。酷い別れ方をした相手とこんな和やかなやり取りができるなんて思わないでしょ。ワクワクドキドキしちゃうに決まっているでしょう。
「じゃ、行きましょう。テイクアウトできるいいカフェが近くにあるの」
平常心、平常心と心の中で唱えながら答える。大丈夫かしら。変じゃないかしら。三十代にしてまるでティーンみたいな心配をしながら話しかける。
「ならそこにするか。案内頼む」
「ええ。行きましょう」
あれ、これ一緒に行かなくてもいいんじゃない。とは思いながら恋人でもない女の家にいるのは流石にデイヴィスも居心地が悪いはず。わたしはこうして久々に隣に最高の男を侍らして外に出ることになった。
* * *
外に出ると日曜日の朝の早い時間のためか人通りも少ない。
朝の散歩をしている人、犬と一緒に散歩をしている人、出勤している人。その人たちを冷静に見ながらもわたしはとても緊張している。
隣にデイヴィスがいる。自分の自宅から一緒に。別の意味で朝を一緒に迎えた朝にモーニングを買いに一緒に歩いている。
研修を始める前のわたしには想像もつかなかった。好きな人とまたこうして会話をすることも、また名前を呼ばれることも想像していなかった。
改めて考えるとやっぱり緊張する。心臓が止まってしまいそうだから早く目的地に着いて欲しい。さっさと帰りたい。でも、まだ着いてほしくない。なんならモーニングを買ったあとに近くの大きな公園で食べて散歩したい。
恋する女のわたしと、精神が疲れ切ったわたしが、喧嘩している。やめてもうライフがないのよ。
そんなこんな考えているとあっという間に目的のカフェに辿り着いた。
「日曜の朝からやっているのか」
デイヴィスのいい声で現実に引き戻されて「そうなの」と何とか間を空けることなく返事を返すことができた。カフェに入ると混む時間帯ではないのかほぼ人がいない。いるのは素敵な服を着たおじいさんとおばあさん。ご夫婦か分からないけれど和やかに話している姿がとても素敵で思わず見惚れた。
「ジャンヌ。何を頼む?」
「え、あっと、わたしは、クロワッサンサンドのセットで飲み物はコーヒーにするわ」
「クロワッサンもいいな」
「美味しいわよ」
「なら俺も同じものを」
店員さんが「はい」と言って会計を始める。これならわたしが奢れるしいいなと思ってスマホを用意する。すると「おい」と剣を含んだ声をかけられた。
「なに?」
「まさか奢るつもりか」
「そうよ。迷惑料と思って」
「いい」
「なによ。気にしないで」
「お前こそ気にするな」
「いいのよ」
「よくない」
「いいから」
ムキになるデイヴィスにわたしもムキになる。お互いスマホを取り出して臨戦態勢を取る。可愛らしい顔の店員さんの唇の端がひきつっているけれど頑張ってちょうだいね。
「せ、せん、ろっぴゃく、よんじ、マドルです」
震えた声で「こちらにかざしてください」と決済端末にかざそうとした瞬間すでにスマホが置かれていた。あん、と見上げれば勝ち誇った顔のデイヴィスがいた。くそ自分の方にあるからって。
「あとでちゃんとお礼はするからね。というか、わたし分はちゃんと返すから」
「それでいいだろ」
フフンと鼻を鳴らすデイヴィスに負けたと思った。
ちなみにこの後、どっちが品物を持つかでもちょっと揉めてついに店員さんが吹き出した。すごく謝っていたけれどこっちが悪いのだから仕方ない。あと、可愛いから許す。
「ジャンヌ。近くに公園があるらしいが寄ってみるか?」
カフェを出たときのデイヴィスからのまさかの誘い。凝視しそうになるのをなんとか抑えながら「うん」と子どもっぽく返事をしてしまった。
「ここからも家からも遠くないしね」
「ああ。そこでモーニングでもいいしな」
「そうね。たしか、ベンチもあったしいいかも」
う、うわぁああと心の中で叫ぶ自分がいる。だってまさか、なんか、すごくほんとにデートみたいで興奮するのはしかたないでしょ。まるで恋人の朝みたいでこじらせたわたしが興奮するのも絶対にしかたないと思うのよ。
なんとか、なんとか、表面上平常心を装いながら隣を歩く。
「いい場所で部屋を借りたんだな」
「そうね。たしか、父の友人の勧めだった気がするわ」
お父様のご友人が憤慨しながらも進めてくれたマンション。疲れているから中心部のような街よりも少し閑静な街がいいだろうと。最初は気にしなくていいにと思って来てみたらとてもいい街で気に入った。
「休暇中はよく散歩するのよ」
「そうか」
「ええ」
徐々に穏やかになっていく心にわたしはやっと身体の強張りが抜けた気がした。
このまま穏やかに終わってほしいと思ったらそうはいかなかった。
「昨夜のことは覚えていないのか」
「……まだ言うの」
ベンチに座ってクロワッサンサンドやサラダを食べ終わり少し冷めたコーヒーを飲もうとしたときだった。同じくコーヒーを片手に長い足を組んでモデルのような男が言い出した。
もう忘れていいのかと思ったらそうではなかったらしい。
「あいにく思い出せないわ」
「……どこから思い出せない」
「送別会が終わる頃から」
そう言えば切れ長の目尻がつり上がる。これにわたしは謝罪をするしかない。
「とても迷惑かけたのは謝るわ。ごめんなさい」
「べつに送るくらいバルガス先生や他の先生にもしている」
他の先生にはきっと女性の先生も含まれているのだろう。よく生きて帰って来られたものだ。でも、ただの同僚とのやり取りにモヤモヤしてしまうことに自己嫌悪しながら「じゃなに」と聞き返す。
「後悔したくないなら聞いておいた方がいいぞ」
「……教えてくれるの」
「ああ」
頷くデイヴィスの顔は真剣そのもの。からかうことはないんだろう。なら今後もしものために対策を取るために聞いておいた方がいい。
「教えてちょうだい」
わたしは何を言ったの。彼が真剣に思うほど何か深刻なことを言ってしまったの。覚悟しながらデイヴィスを見据えると――唇が動いた。
「ジャンヌ。お前、俺に告白したぞ」
俺に告白したぞ。え、デイヴィスは今「俺に告白したぞ」って言ったの。
言葉を理解した瞬間頭が真っ白になっていった。嘘でしょ。べろんべろんに酔っ払って口に出しちゃいけないことを口にしちゃったの。やだ。嘘。嘘だと言ってよ、と言いたいけれど真剣な彼の表情に嘘の欠片もからかいの気配もない。
「こくはく? わたし、え? 貴方のことが好きだって?」
「しっかりと。俺様も何度も聞き直したがお前は『好き』しか返事をしなかった」
「ぅ、ぇっ」
昨夜のわたし、バカじゃないの。ずっと黙っていたなら今さら言うんじゃないわよ。酔っ払っても最低限の理性を手放すなよ。バカ、バカ、ほんとうにバカ。
顔が熱くて冷たい。可笑しいけれど本当にこう熱いのに冷たい。意味わからない。もうやだ。本当にいやだ。三十代で泣きたくなる出来事がまた起きるなんて思わなかった。
「言っただろ。聞いておいた方がいいって」
「い、いいっていうか、貴方、その、」
なんでそんな冷静なのっていうか引かないの。学生時代に恋人のプライドを傷つけておきながら忘れられずに当時の恋愛引きづっている女にドン引きしないの。気持ち悪くないの。というか、よく告白してきた女と一緒のベッドで寝られるわね。わたしの方がドン引きしちゃうわ。
自分の行動とデイヴィスの行動のどちらにも引きながらもうひとつ気づいたことがあった。これに今度こそ顔が青ざめる。
「わ、わたし、襲いかかった? 襲いかかって脱がしたの?」
あなたの服、と言わずに告げるとこれに彼は首を横に振ってくれた。
よかったと安心するけれどではどうして二人揃って裸だったのかしら。そこもできれば教えてほしい。
「お前が裸だったのは自分で脱ぎ出しからだ。勿論紳士な俺様は止めたからな」
「でも、酔っ払いのわたしはストリップを続けたってことね」
「イエス。そうだ。で、俺に服を脱げと言って強要した」
だからなんで大人しく脱ぐのよ。頑張って脱ぐなよ。そう思いながらもきっと酔っ払った人間を相手するのに疲れたんだろう。それで脱いで一緒に寝たというかこの流れは寝かしつけられたのね。納得――いや違うでしょ。
「告白、した。しちゃったの」
最悪。最悪。最悪。これが一番酷い話。というか、なんで昔の恋人に告白されて服を脱ぐように指示した女とモーニングまで一緒にしているのよ。いや、違う。脱がしたことはこの際重要じゃない。あんな別れ方をした女の告白に――。
「引かなかったの? 頭に来なかった?」
言ってよ。素直にそう言われたらわたしは今度こそこの恋を終わりにできる。できるかもしれない。断罪を求めるように期待を込めながらデイヴィスを見る。冷たい鋼色の瞳は何を言うのか待つと。
「好きしか言わないお前に『俺もだ』と答えた」
期待が打ち砕かれた。だというのに、一瞬でわたしは天にも昇るほど気持ちが浮き上がった。身体中すべてが瞬く間に歓喜に満ちていく。絶望するときもそうだったけれど歓喜に満ち足りるときも同じなのね。ああ、でも、いやいや。きっと宥めるために答えたのよ。
宥めるだけの答えと納得すると歓喜が瞬く間に霧散してく。それでいいのよ。それで。
「酔っ払いの相手ご苦労さま。面倒かけさせて悪かったわ。さ、帰りましょう」
存外こういうときでも冷静な声が出せる。冷静を保ったまま帰ってデイヴィスへのお礼はまた今度にして色々考えながら彼が立つのを待つ。けれど、なかなか立ってくれない。
「デイヴィス。帰るわよ。明日出勤でしょ」
「ああ。だが、このままだと俺は酔った女を宥めるために告白に返事をして、大人しく脱がされた酷い男になるだろう」
そうなんじゃないの、という言葉を飲み込んでまた彼の隣に座る。
じっと真剣に見て来る彼を見つめ返すと「実際どうなんだ」と訊かれた。どう、とはなんだろう。どう、とは。
「どうって何が?」
「俺のことが好きなのか? 一人の男として」
愉しげに眉毛を上げるデイヴィスにわたしは困惑する。好きという感情に嘘偽りない。でも、愛しているというには自分勝手過ぎる想いではないかしら。
「好き、よ。昨日酔っ払ったわたしが伝えた通り貴方のことが好き」
「好き。それはただの人間としてか?」
何だかデイヴィスの口角が上がっている。笑みが深まっている。そして、わたしの心臓の鼓動はうるさい。獣人属でも人魚でもないただのヒト属の彼にも聞こえてしまうんではないかと思うくらいうるさい。
答えあぐねているとその思考をシャットダウンさせるように鉄槌が下された。
「では結局のところジャンヌというただの女はどうなんだ」
これ以上無意味な時間は許さない。愉し気だった彼の瞳がとても真剣味帯びている。
もうぐだぐだ考えることも許してくれないのだろう。早く吐いた方がすっきりするという常套句が浮かんだ。わたしはお手上げという気持ちで素直に答えた。
「わたしは貴方が好きよ。別れたあの日からデイヴィス・クルーウェルという男を忘れることもできずに三十代を迎えた女よ」
愛しているは言えない。自分勝手すぎる想いだから。わたしはまだこの人に〝恋〟をしている。〝愛〟になるにはまだまだ時間が必要なくらい。
「好き。まだ貴方に〝恋〟をしているから〝愛〟は語れないわ」
言い過ぎたかしら。何も反応がないデイヴィスを見れば目を見開いて固まっている。
ようやくことの重大さに気づいたのかしら。今さら横にいる女が拗れたヤバイ奴だということに気づいたらしい。にしても、色男が間抜けになっている。面白いわね。スマホで写真でも撮ろうかしら。
なんて面白い彼をみながら冷めたコーヒーに口をつける。一口、二口飲んでまだ固まっているデイヴィスに声をかける。
「デイヴィス。言ったわよ。帰りましょう」
流石にこれ以上ここにいられない。拗れ女の家に帰りたくはないでしょうがもう素面だから手を出すことはないわ。監禁なんて考えていないから帰りましょう。それに金輪際もう会うことはないんだから。あと少し我慢して。
にしても、すっきりしたわ。研修に行くときに初恋の清算なんて考えていたけれどできっこないことも判明した。それでも自分の気持ちがすっきりと整理された気がする。
「ジャンヌ」
「なに、デイヴィス」
硬直の魔法が解けたのかしら。もしかして一緒に帰りたくないとか。それなら一人で帰るけれど荷物どうしましょう。ナイトレイブンカレッジに配送すればいいのかしら。
どうしようかなって考えているとデイヴィスが「帰るか」と言って立ち上がった。そのまま歩き出す。
「あ、ちょっと待って!」
慌て追いかけるとすぐに彼が止まった。ぶつかりそうになるのを何とか踏ん張って足を止める。いきなり止まらないで、と言う前に目の前の背中が動いた。
「わっ、な、びっくりした」
いきなりこっちを向いたデイヴィスを見上げると――。
「付き合うか、俺たち」
耳が悪くなったのかしら。まだ耳が遠くなる年齢じゃないんだけれど。聞き間違えかも知れない。わたしは一本指を立てて「もう一度いい?」と訊き直してしまった。
デイヴィスは顔色を変えないままも一度同じ言葉を口にした。
「付き合うか、俺たち」
「一言一句変わらない」
「なんだ」
「え、待って。わたし、拗らせてるのよ」
問題ありすぎる女よ。下手したら結婚を迫られるとか、一生涯縛り付けてやるとか病んだことを言うかもしれないとか考えないの。気でも狂ったのかしら。
「こんな危ない女と付き合おうなんてどんな発想から来たの? 気でも狂った?」
「狂ってない」
「風邪引いた」
「俺様を馬鹿にするな」
ふぅと溜息をついてまた真っ直ぐわたしを見た。もう一生分くらい彼の真っ直ぐな視線を貰ったかもしれない。これも見納めかしらと見つめ返すと。
「俺も好きだと言っただろ」
その言葉に嘘偽りはない。そう言うようなしっかりとした声で言われた。
またぶわりと込み上げる熱。さっき込み上げた熱はとうに冷めたと思うのに身体が熱くなっていく。頬まで熱くなってわたしが〝嬉しい〟って思っていることが彼に伝わってしまいそうで顔を下に向けようとしたけれど――。
「ぁ」
「逃げるな」
顎を掴まれて上を向かされた。逃げることを許さないと大きな手で遮られた。
退路を断たれたわたしは震える唇で「な、なんで」とつい聞いてしまった。今さら聞く質問でもないだろうに馬鹿な質問だ。
「なんでとは愚問じゃないか」
「わかってるわ」
「だが、貴様は疑問だらけなのだろうな」
分かっているじゃない。わたしはたくさん答えた。でも、彼からは何ら詳しい経緯を聞いていない。だのに、はい、付き合いますなんてなるわけがない。
「確かにフェアではないな」
まるでわたしが言いたいことが分かっているように答える。それから逡巡するために視線が外れるがすぐに戻って顎から手が放される。わたしは逃げずに彼を見つめる。すると、もう一度座ろうとベンチに並んで座る。長い足を組んだ彼は様になる姿で語り出した。
「あの日、別れを告げられた日。本当は謝ろうと思って病院に行った」
「え」
なんで貴方が謝る必要があるの。怪訝に見れば彼は珍しく苦笑を零した。
「冷静になってから随分酷いことを言ったと思った。青年の俺は謝ろうと花束を持って病院に言った。だが、謝罪をする前に別れようと言われた」
「花束が無駄になった」と言われてわたしは自分の記憶をすぐに掘り起こした。けれど、どう思い出してもあのときの夏の場面に花束を持った彼はいなかった。もしかしたら別れようと決めて視界から排除して見ようとしなかったのかもしれない。
「とはいえ、お前の性格を考えれば別れを言い出すのは何となく想像ができた。だから、俺も惨めに縋ることはしなかった。するという考えもなかったがな」
「けど……」
いくら相手を想ってとはいえ勝手だった。若くて未熟なわたしの間違った選択だった。きっとデイヴィスもそう思っているのかもしれない。でも、大部分の原因はやっぱり〝わたし自身〟にある。
「あの、」
「まぁ。まだ俺様の話を聞け」
「諸々はその後だ」と言うデイヴィスに従って口を閉じて話に耳を傾ける。「グッガール」とまるで生徒扱いしながらまた話が始まる。
「別れた後、俺は大学に進んだ。言っては何だが俺は女からも男からもモテる」
「ぇ、いきな、あ、うん、そうね」
学生時代のデイヴィスは男からは大部分嫌われていたイメージが強いけれど。女からは確かにモテていた気がする。学生時代のことを思い出してモヤモヤする自分の幼稚な部分が本当に嫌。それに大学生時代に付き合えた人が羨ましくなってくる。
「ま、付き合いはしたが続いた交際は長くても半年だった」
「そうなの……」
胸がギシギシする。早くこの話、終わってほしい。元恋人で現好きな人のその後の恋愛遍歴とか聞きたくない。耳塞ぎたいけれどきっと許してくれないしみっともないことしたくない。
「それからは大体一夜限りの関係ばかりだ」
「へ、へぇ」
人のことは言えないけれど堂々と言う者なのかしら。それとも自分は今もすこぶるモテていることを言いたいの。さすがに性格が悪くてフォローもできない。
「色んな女と夜を共にしたが結局駄目だった」
「そう……」
「最後に寝た女に『貴方は誰か別の人を見ているのね』って」
その台詞はわたしも一度だけ言われた。図星だったけれど割り切って一夜の相手を探していたわね。
「その台詞を聞いてから誰とも寝てない」
「え」
驚いてデイヴィスを見れば「なんだ」と眉を顰めた。そんなまるで操を立てるみたいなことするなんて驚かずにはいられないわ。だって、わたしはそんなこと無視して結局デイヴィスの影を探し続けた。
「誰かとベッドを共にすることはなくなっても結局お前に会いには行けなかったがな」
「連絡先も教えていなかったものね」
「とはいっても、連絡を取る手段はいくらでもあった」
共通の友人もたくさんいるから確かに連絡先を知る術は沢山あった。
身体が熱くなって心臓が苦しくなる。ここまで話してくれれば分からないほど子どもじゃない。
「結局、俺は研修で好きな女が来るまで会いに行けなかった気弱な男だということだ」
プライドの高い人間にここまで言わせたらわたしは降参の旗を振らなければいけない。いや、彼のためにも今すぐに降参の旗を振ろう。
「デイヴィス。もう、いいわ。わかったから」
「ほんとうか? 俺がここまで言って一ミリもわかっていないとかないだろな」
ぐいっと端正な顔を寄せながら確認してくる。その近さに身体が反射的に引くがそれすらも許さないと腰を掴まれ抱き寄せられた。
「ちょ、ちか、ぃ」
「貴様はバッガールだからなちゃんと理解しているのかわからないからな」
「だ、だいじょうぶ。わたしもそこまでバカじゃないから」
「ほんとぉか」
そこまで疑わなくていいのに。というか、この距離がきついと言うか。自分と同じシャンプーの匂いとかボディーソープの匂いがデイヴィスからして気がおかしくなりそう。
「わかっているから。離れてお願い」
「……わかった」
ようやく離れた身体に安心するけれどまだ心臓がドキドキしている。ドキドキは身体を巡って熱が上がっていく。ああ。もう頬まで熱い。きっと赤くなっているのは彼にはバレバレだろう。恥ずかしい。
「ジャンヌ。帰るぞ」
「ん……」
隣の彼が立ち上がる気配にならって立ち上がる。そのまま歩こうとしたとき。また「ジャンヌ」と呼ばれた。
「なに?」
「……ん」
彼は視線を少し外してから腕を差し出してくる。その動作は学生時代に付き合っていたときと同じ。わたしは懐かしさが込み上げながら彼の腕に腕を絡ませる。細かった腕はすっかり大人の男になっていた。
「ゆっくり歩いてね」
「フン。当たり前だ」
わたしはこのままありえもしない未来で思い描いたように彼と歩き出した。
この先もずっと続くかは分からないけれど――少しでも長く続くよう今日から祈ることにした。
元恋人バレを乗り越えて研修は最終週を迎えた。これ以上やらかすことはないと思っていたけれど――再び酒でやらかすなんて思わなかった。
少し前は酒を飲んで記憶を失くすことはなかった。深酒という深酒をしたことがないから分からないけれど酔っ払って記憶を失くしたことはなかった。だというのに、今のわたしは昨夜の記憶がない。
「なんでいるの?」
目の前にあるデイヴィス・クルーウェルの綺麗な寝顔があった。瞬きを数回して目を潤ませても目の前に変わらずデイヴィスの顔がある。
本物なのかしら。あまりにも寂しくなって自分で幻を作り上げてしまったのかしら。回らない頭でそっとデイヴィスがいるだろうところに手を伸ばして止まる。
「いるわ」
指先に気配を感じる。いる。ここに誰かいる。もしかして誰か別の人間がディヴィルの皮を被って寝るのかもしれない。なら、やることはひとつ。
わたしは小さく呪文を唱えてみる。これなら幻術魔法を使っていたら解除されるはず。化けの皮を剥がしてやる、という意気込みで呪文を唱えたが剥がれない。
魔法石なしの魔法だから。わたしは魔法石のついたバングルを召喚して着けてもう一度魔法を使おうとしたときだった。
「っ、ぅ」
整った顔立ちが歪む。眉がキュッと寄って長い睫が震える。起きる直前の人間にわたしの身体は硬直する。これはこのままもう一度眠りの魔法を使う方がいいんじゃないのと誰かが囁く。それだ。わたしはすぐに違う呪文を唱える。
バングルについた魔法石が輝きキラキラと粉が舞い出てデイヴィスかもしれない男に振りかかる。魔法は成功したのだろう起きる直前だった男の顔が穏やかになる静かな寝息を零した。
ふぅと細く息を吐きながら起き上がることにした。このままだと何かあったときに逃げられない。準備をしないと、と起き上がって肩からブランケットが落ちて――。
「え」
見下ろした身体は何も身に纏っていなかった。何も、パジャマは見るからに来ていない。下着も履いている気がしない。
慌ててブランケットを胸元に引き寄せる。血の気が引いていく。デイヴィスらしき男が横に寝ているのも変な話だが裸というのもおかしい話だ。
「し、した? え、や、まってッ」
身体の違和感がない。だるいことはだるいがこれはきっと飲み過ぎた後の倦怠感だと思う。でも一応、と下半身を隠しているブランケットをそっと上げて覗き込む。少し太腿を上げてみる。
「なにもない」
もし性行為をしたのであれば久しぶりで色々違和感があるはず。けれど違和感がない。なら性行為はしていない。でも、裸ということは。
「脱ぎ魔ってこと……」
正直昨夜の記憶がないから何も分からない。とはいえ、一緒にベッドに寝ている人間としていないことは判明した。なら、早く着替えるしかない。
ブランケットを引っ張ってみる。隣で寝ているデイヴィスらしき男のブランケットは動かなかった。どうやら一人ずつ分用意されていたみたい。
これなら身体に巻き付けても平気。一安心しながらブランケットを身体に巻き付けながらベッドを降りる。ふと、ようやく周りの景色が視界に入るようになった。そこでわたしはあまりにも覚えるあり過ぎる部屋にいることが分かった。
「わたしの家……」
慌てて足元を見れば気に入って購入したカーペット。また視線を上げて部屋を見回す。
ここは紛れもない輝石の国の自宅だ。教師になるときに休暇用に用意した別宅。
恐る恐る身体に巻き付けたブランケットを見下ろせば普段使っているもの。そっと背後を振り返って目を覆いたくなった。デイヴィスらしき男が使っているブランケットはお客様用に購入したものだ。昨夜のわたしは一体どこから取り出したのかしら。
とりあえず早くどうにかしないと。わたしは現実逃避するようにブランケットを身体にきつく巻き付けて浴室に向かって速攻シャワーを浴びた。
「なんてこと、なんてこと、なんてこと!」
シャワーを浴びながらありたっけの声で叫んだ。叫びながら高速でシャワーで汗を流し魔法で髪を乾かし、魔法で服を身に纏う。
誰に見られても平気な部屋着を着て最後にスキンケア用品と化粧品を召喚してパッとメイクをする。もちろん、傷は見えないように。
「よし、うん。まぁ、及第点」
正直昨夜ほどの完璧さを目指したメイクはできない。とりあえず見られても平気なナチュラルメイクができた。
よし、よし、と確認しながら脱衣所を出る。そして、寝室に戻って改めて見回すと綺麗にハンガーにかけられたワンピースがあった。
そのワンピースは昨日の送別会で着ていたものだ。よく見ればワンピースの下に履いていたハイヒールがあった。他には、と見回しても下着やペチコートがない。
もしや、洗濯機の中にあるのかもしれない。見に行こうかと思ったがまずしなければいけないことがあった。
腕に通していたバングルを杖の状態にしてしっかり握る。こういうときアクセサリー型よりも杖の状態が一番。忍び足でベッドへ近寄りいまだに寝ている色男を見下ろす。
「デイヴィスじゃありませんように」
いや、それはそれで問題なのだけれど今はどうでもいい。深呼吸をしてから眠りの魔法を解除する。すると、寝ていた色男の瞼が震えてゆっくりと上がった。現れた冷たい鋼の瞳に嫌な予感の鐘がカンカン鳴り響く。
「はぁい、えっと、その、おはよ~」
「ぁ?」
ガラの悪い返事は寝起きだから見逃す。焦点の合わないデイヴィスは目を眇めてじっとわたしを見る。それから数回瞬きをしてから「あ゛~~」と低い声で唸り声を上げてベッドにうつ伏せになった。
「ちょ、クルーウェル先生、先生なのよね!」
「うるさい」
「頭に響く」と告げる掠れた声にわたしは本物だとようやく納得する。ドッと出てくる冷や汗。せっかくシャワーを浴びてスッキリした身体が台無しだ。
「ね、なんで、なんで、貴方とわたしいるの?」
「ぁ? おぼえてないのか?」
常なら綺麗にセットされた前髪を下ろしその隙間から鋭い眼差しが向けられる。鋭い眼光に怯みながら首を縦に動かす。すると、「はぁ゛」と苛立った溜息をついた。
「な、何かしたのよね。起きたときが酷い有様だったから分かるわ」
「酷い有様だと?」
さらに眼光が鋭くなる。苛立ちの籠った眼光にわたしは失言だと気づく。もしかしたら寝る準備をデイヴィスがしてくれたのかもしれない。前後不覚後の酔っ払いの世話をしっかりしてくれたのに酷い有様と言ったのが気に入らなかったんだわ、きっと。
「ご、ごめんなさい。酷くはなかった。でも、その、裸だったからきっと酷かったのかなぁ~って」
にへらと笑うと「チッ」と鋭い舌打ちをされた。そんな苛立たないでよ。
泣きたくなる。というか、こんな三十代にもなってみっともなく誰かのお世話になるなんて恥ずかしい。しかも、三十代にもなってお酒で失敗するとかなんて失態なの。
「おい……ほんとうに覚えていないのか」
「ぇ」
視線を上げると起き上がったデイヴィスがいた。そしてブランケットで隠れていた彼の上半身が現れた。
「ッッ!」
慌てて目を横に動かして直視を逃れる。わたしが覚えている彼の裸体はまだ完全に大人になりきっていない身体。どちらかというと細身で色白の青少年らしい身体。でも、今目の前に完全に大人となった綺麗に筋肉がついた身体が現れた。記憶とのギャップで死にそうになった。いや、心の中では憤死した。
とりあえず落ち着けと気を静めてからもう一度デイヴィスを見ると何故かこっちを見ていた。じっと膝に肘をついて手のひらに顎を乗せて見ていた。なにその様になる姿は。
「なによ」
「覚えていないのか」
「……はい」
「はぁああ」
深い溜息をついて一度頭を下げて上げる。半眼で睨んで来る男は「風呂」と一言言い放った。わたしは「どうぞ」と即答してしまった。まぁ、でも、いいや。
「服とか、その下着は」
「昨日洗濯機を使わせてもらった」
それくらいいいだろ、と言って立ち上がるデイヴィス。下はと思ったらブランケットをしっかりと身体に巻き付けてベッドを降りた。もうそのブランケットお客様用に使えないじゃない。
「あ、シャンプーとかは」
「お前の借りる」
「え、平気?」
「平気だ」
そのままむすっとしたまま部屋の主のごとく迷わぬ足どりで浴室へと向かった。
部屋を出た後思わず深い溜息が零れた。それからわたしも部屋を出てリビングのソファに腰掛ける。
「昨日何があったの」
目を閉じて何とか昨日の記憶を呼び起こす。
まず、研究発表も終わりわたしのナイトレイブンカレッジでの研修が終わった。そこでデイヴィスを含めた先生たちがわたしのための送別会をしようという話になった。
賢者の島では面白味もないということで闇の鏡を特別な許可のもと利用して輝石の国に来た。選ばれた理由はわたしが輝石の国出身で別宅があるからと言う理由。あと、主催のバルガス先生も輝石の国で詳しいという理由もある。デイヴィスは「薔薇の王国でもいいだろ」と不満を零してはいたが最終的に輝石の国の首都の個室のあるレストランになった。
「ここまでは問題ない」
わたしも含め先生たちもドレスアップというかちょっとおめかしをして入ったレストランはとてもよかった。料理もおいしかったけれどお酒の種類が豊富で飲める先生たちは物凄く色々頼んだ。珍しいお酒と先生方の話で盛り上がってカパカパと空けていった気がする。
「えっと、マリアンヌ先生が二股かけられて結婚詐欺にあいかけた話まで覚えている」
泣きながらトレイン先生の腕を掴んで揺らしていた気がする。その横でバルガス先生が運動好きの先生と筋トレだかプロテインの話をしていたような気がする。
「んで、マリアンヌ先生の話から――あッ!」
そうだ。わたしついに
わたしの人生で二回目の大きな事件。といっても、一回目のデイヴィスとの離別に繋がる事件よりも全然大したことはない。大したことはないけれどあまりにも理不尽な出来事に怒りを通り越して呆れた事件。
まぁ、要するにわたしが魔法執行官を辞職するまでに至った流れなんだけど。送別会の空気が悪くなったというか「魔法庁は馬鹿なの?」みたいな空気は流れたな。
「うんうん。思い出してきた」
まだ記憶力を捨てたわけじゃない。流石元魔法執行官。自分の失態を挽回できるかもしれない。気合を入れて朧げな記憶を掘り起こす。
「その話をしたあとに――パカパカさらに酒を空けたのよね」
バルガス先生に次々に飲まされた記憶が蘇る。蘇るけれど――。
「ン~~結局そのあとお開きになった後は……」
店を出る瞬間のことを思い出そうとするとプツリと途切れて思い出せない。なら、イヤだけれど自宅に帰って来たときの記憶はどうだろうと掘り起こそうとするけれど。
「だめね。一向に思い出せないわ」
溜息をついてソファに横になる。疲れた。深酒の翌日に頭を使って疲れた。いや、色々精神的衝撃が強かったのも一因だと思う。
「いや、寝ている場合じゃないわ」
起き上がって自分の置かれている状況をまた整理する。
「記憶は思い出せないけれど――たぶんデイヴィスがここまで送ってくれたことは確かよ」
この自宅からあの送別会をしたレストランまで距離があった。たぶん、タクシー代もきっと代わりに出してくれたんだろう。あとで返さないと。
「……ぐでんぐでんに酔って鍵もきっと開けてくれたのよね」
オートロックマンションだからたぶん苦労しただろう。なんとかわたしからパスワードを聞いて鍵も探させたと思うと申し訳なさで逃げ出したくなる。逃げ出さないけれど。
「んー、でも、部屋に入ってどうして脱ぐ流れになったのかしら」
着替えさせてくれるにしてもデイヴィスくらいだったら実践魔法で他人の服も着替えさせられるだろうに。どうしてお互い裸になっているかしら。
「脱ぎ魔で脱がせ魔……?」
意味が分からない。しかも最終的にはあの小さなベッドにぎゅうぎゅうになって寝ていたのにブランケットは別とか。意味が分からない。分からない。
「んー。デイヴィスに訊くしかないわね」
まだシャワーを浴びているし、たぶんスキンケアやメイクをしているから時間もある。朝食の準備をしようかなと思ってすぐに冷蔵庫が空っぽなことを思い出す。
「そうよね。ここ別宅だし」
普段はブルームノヴァに努めてからは学生寮とは別に用意された教員寮を使っている。ここには息抜きに週末や長期休暇くらいにしか使わない別宅。冷蔵庫はあるだけで普段は電源も着いていなければ中身は空っぽ。
「外に買いに行かないと。あ、でも、いっそ外で朝食を買ってきた方が」
「随分と独り言が激しいな」
「え」
座ったまま振り返ればすぐ傍までデイヴィスが立っていた。髪をいつも通りにセットしているけれどメイクをしている様子は見えない。来ている服は昨夜の送別会に着ていたシャツにスラックスとシンプルないで立ち。あれ、でもネクタイとジャケットはと考えて自分が駄目にした気がして来た。
「あ、あの、先生」
「はぁ。もう学園外だ」
「デイヴィスでいい」と言いたいのだろう。本人の許可が出たとはいえ一度彼の名前を以前のように呼んでしまったら元に戻れない気がする。
「ジャンヌ」
「うぇ?」
久々に呼ばれた名前に変な返事をしてしまった。
わたしの返事にデイヴィスが口角を上げて意地悪そうな顔をした。バッチリ耳に入っているということだろう。恥ずかしい。
「ジャンヌ。とりあえず朝食だ。昨日冷蔵庫を覗かせてもらったが何もなかった」
「え、なんで見たのよ」
「水を飲ませるためだ」
「なるほどですか」
「そうだ」
フンと鼻を鳴らデイヴィスが「行くぞ」と言って顎で動くように促す。わたしは「はい」と返事をして立つ。
「食材を買うには勿体ない。外でモーニングだ」
「わかったわ。テイクアウトする?」
「それもいいな」
学園内での「先生」としてのやり取りではないやり取りに心が浮き立つ。
このやり取りにわたしの心のキャパがオーバーしそう。だって、わたしまだ目の前の男が好きなよ。酷い別れ方をした相手とこんな和やかなやり取りができるなんて思わないでしょ。ワクワクドキドキしちゃうに決まっているでしょう。
「じゃ、行きましょう。テイクアウトできるいいカフェが近くにあるの」
平常心、平常心と心の中で唱えながら答える。大丈夫かしら。変じゃないかしら。三十代にしてまるでティーンみたいな心配をしながら話しかける。
「ならそこにするか。案内頼む」
「ええ。行きましょう」
あれ、これ一緒に行かなくてもいいんじゃない。とは思いながら恋人でもない女の家にいるのは流石にデイヴィスも居心地が悪いはず。わたしはこうして久々に隣に最高の男を侍らして外に出ることになった。
* * *
外に出ると日曜日の朝の早い時間のためか人通りも少ない。
朝の散歩をしている人、犬と一緒に散歩をしている人、出勤している人。その人たちを冷静に見ながらもわたしはとても緊張している。
隣にデイヴィスがいる。自分の自宅から一緒に。別の意味で朝を一緒に迎えた朝にモーニングを買いに一緒に歩いている。
研修を始める前のわたしには想像もつかなかった。好きな人とまたこうして会話をすることも、また名前を呼ばれることも想像していなかった。
改めて考えるとやっぱり緊張する。心臓が止まってしまいそうだから早く目的地に着いて欲しい。さっさと帰りたい。でも、まだ着いてほしくない。なんならモーニングを買ったあとに近くの大きな公園で食べて散歩したい。
恋する女のわたしと、精神が疲れ切ったわたしが、喧嘩している。やめてもうライフがないのよ。
そんなこんな考えているとあっという間に目的のカフェに辿り着いた。
「日曜の朝からやっているのか」
デイヴィスのいい声で現実に引き戻されて「そうなの」と何とか間を空けることなく返事を返すことができた。カフェに入ると混む時間帯ではないのかほぼ人がいない。いるのは素敵な服を着たおじいさんとおばあさん。ご夫婦か分からないけれど和やかに話している姿がとても素敵で思わず見惚れた。
「ジャンヌ。何を頼む?」
「え、あっと、わたしは、クロワッサンサンドのセットで飲み物はコーヒーにするわ」
「クロワッサンもいいな」
「美味しいわよ」
「なら俺も同じものを」
店員さんが「はい」と言って会計を始める。これならわたしが奢れるしいいなと思ってスマホを用意する。すると「おい」と剣を含んだ声をかけられた。
「なに?」
「まさか奢るつもりか」
「そうよ。迷惑料と思って」
「いい」
「なによ。気にしないで」
「お前こそ気にするな」
「いいのよ」
「よくない」
「いいから」
ムキになるデイヴィスにわたしもムキになる。お互いスマホを取り出して臨戦態勢を取る。可愛らしい顔の店員さんの唇の端がひきつっているけれど頑張ってちょうだいね。
「せ、せん、ろっぴゃく、よんじ、マドルです」
震えた声で「こちらにかざしてください」と決済端末にかざそうとした瞬間すでにスマホが置かれていた。あん、と見上げれば勝ち誇った顔のデイヴィスがいた。くそ自分の方にあるからって。
「あとでちゃんとお礼はするからね。というか、わたし分はちゃんと返すから」
「それでいいだろ」
フフンと鼻を鳴らすデイヴィスに負けたと思った。
ちなみにこの後、どっちが品物を持つかでもちょっと揉めてついに店員さんが吹き出した。すごく謝っていたけれどこっちが悪いのだから仕方ない。あと、可愛いから許す。
「ジャンヌ。近くに公園があるらしいが寄ってみるか?」
カフェを出たときのデイヴィスからのまさかの誘い。凝視しそうになるのをなんとか抑えながら「うん」と子どもっぽく返事をしてしまった。
「ここからも家からも遠くないしね」
「ああ。そこでモーニングでもいいしな」
「そうね。たしか、ベンチもあったしいいかも」
う、うわぁああと心の中で叫ぶ自分がいる。だってまさか、なんか、すごくほんとにデートみたいで興奮するのはしかたないでしょ。まるで恋人の朝みたいでこじらせたわたしが興奮するのも絶対にしかたないと思うのよ。
なんとか、なんとか、表面上平常心を装いながら隣を歩く。
「いい場所で部屋を借りたんだな」
「そうね。たしか、父の友人の勧めだった気がするわ」
お父様のご友人が憤慨しながらも進めてくれたマンション。疲れているから中心部のような街よりも少し閑静な街がいいだろうと。最初は気にしなくていいにと思って来てみたらとてもいい街で気に入った。
「休暇中はよく散歩するのよ」
「そうか」
「ええ」
徐々に穏やかになっていく心にわたしはやっと身体の強張りが抜けた気がした。
このまま穏やかに終わってほしいと思ったらそうはいかなかった。
「昨夜のことは覚えていないのか」
「……まだ言うの」
ベンチに座ってクロワッサンサンドやサラダを食べ終わり少し冷めたコーヒーを飲もうとしたときだった。同じくコーヒーを片手に長い足を組んでモデルのような男が言い出した。
もう忘れていいのかと思ったらそうではなかったらしい。
「あいにく思い出せないわ」
「……どこから思い出せない」
「送別会が終わる頃から」
そう言えば切れ長の目尻がつり上がる。これにわたしは謝罪をするしかない。
「とても迷惑かけたのは謝るわ。ごめんなさい」
「べつに送るくらいバルガス先生や他の先生にもしている」
他の先生にはきっと女性の先生も含まれているのだろう。よく生きて帰って来られたものだ。でも、ただの同僚とのやり取りにモヤモヤしてしまうことに自己嫌悪しながら「じゃなに」と聞き返す。
「後悔したくないなら聞いておいた方がいいぞ」
「……教えてくれるの」
「ああ」
頷くデイヴィスの顔は真剣そのもの。からかうことはないんだろう。なら今後もしものために対策を取るために聞いておいた方がいい。
「教えてちょうだい」
わたしは何を言ったの。彼が真剣に思うほど何か深刻なことを言ってしまったの。覚悟しながらデイヴィスを見据えると――唇が動いた。
「ジャンヌ。お前、俺に告白したぞ」
俺に告白したぞ。え、デイヴィスは今「俺に告白したぞ」って言ったの。
言葉を理解した瞬間頭が真っ白になっていった。嘘でしょ。べろんべろんに酔っ払って口に出しちゃいけないことを口にしちゃったの。やだ。嘘。嘘だと言ってよ、と言いたいけれど真剣な彼の表情に嘘の欠片もからかいの気配もない。
「こくはく? わたし、え? 貴方のことが好きだって?」
「しっかりと。俺様も何度も聞き直したがお前は『好き』しか返事をしなかった」
「ぅ、ぇっ」
昨夜のわたし、バカじゃないの。ずっと黙っていたなら今さら言うんじゃないわよ。酔っ払っても最低限の理性を手放すなよ。バカ、バカ、ほんとうにバカ。
顔が熱くて冷たい。可笑しいけれど本当にこう熱いのに冷たい。意味わからない。もうやだ。本当にいやだ。三十代で泣きたくなる出来事がまた起きるなんて思わなかった。
「言っただろ。聞いておいた方がいいって」
「い、いいっていうか、貴方、その、」
なんでそんな冷静なのっていうか引かないの。学生時代に恋人のプライドを傷つけておきながら忘れられずに当時の恋愛引きづっている女にドン引きしないの。気持ち悪くないの。というか、よく告白してきた女と一緒のベッドで寝られるわね。わたしの方がドン引きしちゃうわ。
自分の行動とデイヴィスの行動のどちらにも引きながらもうひとつ気づいたことがあった。これに今度こそ顔が青ざめる。
「わ、わたし、襲いかかった? 襲いかかって脱がしたの?」
あなたの服、と言わずに告げるとこれに彼は首を横に振ってくれた。
よかったと安心するけれどではどうして二人揃って裸だったのかしら。そこもできれば教えてほしい。
「お前が裸だったのは自分で脱ぎ出しからだ。勿論紳士な俺様は止めたからな」
「でも、酔っ払いのわたしはストリップを続けたってことね」
「イエス。そうだ。で、俺に服を脱げと言って強要した」
だからなんで大人しく脱ぐのよ。頑張って脱ぐなよ。そう思いながらもきっと酔っ払った人間を相手するのに疲れたんだろう。それで脱いで一緒に寝たというかこの流れは寝かしつけられたのね。納得――いや違うでしょ。
「告白、した。しちゃったの」
最悪。最悪。最悪。これが一番酷い話。というか、なんで昔の恋人に告白されて服を脱ぐように指示した女とモーニングまで一緒にしているのよ。いや、違う。脱がしたことはこの際重要じゃない。あんな別れ方をした女の告白に――。
「引かなかったの? 頭に来なかった?」
言ってよ。素直にそう言われたらわたしは今度こそこの恋を終わりにできる。できるかもしれない。断罪を求めるように期待を込めながらデイヴィスを見る。冷たい鋼色の瞳は何を言うのか待つと。
「好きしか言わないお前に『俺もだ』と答えた」
期待が打ち砕かれた。だというのに、一瞬でわたしは天にも昇るほど気持ちが浮き上がった。身体中すべてが瞬く間に歓喜に満ちていく。絶望するときもそうだったけれど歓喜に満ち足りるときも同じなのね。ああ、でも、いやいや。きっと宥めるために答えたのよ。
宥めるだけの答えと納得すると歓喜が瞬く間に霧散してく。それでいいのよ。それで。
「酔っ払いの相手ご苦労さま。面倒かけさせて悪かったわ。さ、帰りましょう」
存外こういうときでも冷静な声が出せる。冷静を保ったまま帰ってデイヴィスへのお礼はまた今度にして色々考えながら彼が立つのを待つ。けれど、なかなか立ってくれない。
「デイヴィス。帰るわよ。明日出勤でしょ」
「ああ。だが、このままだと俺は酔った女を宥めるために告白に返事をして、大人しく脱がされた酷い男になるだろう」
そうなんじゃないの、という言葉を飲み込んでまた彼の隣に座る。
じっと真剣に見て来る彼を見つめ返すと「実際どうなんだ」と訊かれた。どう、とはなんだろう。どう、とは。
「どうって何が?」
「俺のことが好きなのか? 一人の男として」
愉しげに眉毛を上げるデイヴィスにわたしは困惑する。好きという感情に嘘偽りない。でも、愛しているというには自分勝手過ぎる想いではないかしら。
「好き、よ。昨日酔っ払ったわたしが伝えた通り貴方のことが好き」
「好き。それはただの人間としてか?」
何だかデイヴィスの口角が上がっている。笑みが深まっている。そして、わたしの心臓の鼓動はうるさい。獣人属でも人魚でもないただのヒト属の彼にも聞こえてしまうんではないかと思うくらいうるさい。
答えあぐねているとその思考をシャットダウンさせるように鉄槌が下された。
「では結局のところジャンヌというただの女はどうなんだ」
これ以上無意味な時間は許さない。愉し気だった彼の瞳がとても真剣味帯びている。
もうぐだぐだ考えることも許してくれないのだろう。早く吐いた方がすっきりするという常套句が浮かんだ。わたしはお手上げという気持ちで素直に答えた。
「わたしは貴方が好きよ。別れたあの日からデイヴィス・クルーウェルという男を忘れることもできずに三十代を迎えた女よ」
愛しているは言えない。自分勝手すぎる想いだから。わたしはまだこの人に〝恋〟をしている。〝愛〟になるにはまだまだ時間が必要なくらい。
「好き。まだ貴方に〝恋〟をしているから〝愛〟は語れないわ」
言い過ぎたかしら。何も反応がないデイヴィスを見れば目を見開いて固まっている。
ようやくことの重大さに気づいたのかしら。今さら横にいる女が拗れたヤバイ奴だということに気づいたらしい。にしても、色男が間抜けになっている。面白いわね。スマホで写真でも撮ろうかしら。
なんて面白い彼をみながら冷めたコーヒーに口をつける。一口、二口飲んでまだ固まっているデイヴィスに声をかける。
「デイヴィス。言ったわよ。帰りましょう」
流石にこれ以上ここにいられない。拗れ女の家に帰りたくはないでしょうがもう素面だから手を出すことはないわ。監禁なんて考えていないから帰りましょう。それに金輪際もう会うことはないんだから。あと少し我慢して。
にしても、すっきりしたわ。研修に行くときに初恋の清算なんて考えていたけれどできっこないことも判明した。それでも自分の気持ちがすっきりと整理された気がする。
「ジャンヌ」
「なに、デイヴィス」
硬直の魔法が解けたのかしら。もしかして一緒に帰りたくないとか。それなら一人で帰るけれど荷物どうしましょう。ナイトレイブンカレッジに配送すればいいのかしら。
どうしようかなって考えているとデイヴィスが「帰るか」と言って立ち上がった。そのまま歩き出す。
「あ、ちょっと待って!」
慌て追いかけるとすぐに彼が止まった。ぶつかりそうになるのを何とか踏ん張って足を止める。いきなり止まらないで、と言う前に目の前の背中が動いた。
「わっ、な、びっくりした」
いきなりこっちを向いたデイヴィスを見上げると――。
「付き合うか、俺たち」
耳が悪くなったのかしら。まだ耳が遠くなる年齢じゃないんだけれど。聞き間違えかも知れない。わたしは一本指を立てて「もう一度いい?」と訊き直してしまった。
デイヴィスは顔色を変えないままも一度同じ言葉を口にした。
「付き合うか、俺たち」
「一言一句変わらない」
「なんだ」
「え、待って。わたし、拗らせてるのよ」
問題ありすぎる女よ。下手したら結婚を迫られるとか、一生涯縛り付けてやるとか病んだことを言うかもしれないとか考えないの。気でも狂ったのかしら。
「こんな危ない女と付き合おうなんてどんな発想から来たの? 気でも狂った?」
「狂ってない」
「風邪引いた」
「俺様を馬鹿にするな」
ふぅと溜息をついてまた真っ直ぐわたしを見た。もう一生分くらい彼の真っ直ぐな視線を貰ったかもしれない。これも見納めかしらと見つめ返すと。
「俺も好きだと言っただろ」
その言葉に嘘偽りはない。そう言うようなしっかりとした声で言われた。
またぶわりと込み上げる熱。さっき込み上げた熱はとうに冷めたと思うのに身体が熱くなっていく。頬まで熱くなってわたしが〝嬉しい〟って思っていることが彼に伝わってしまいそうで顔を下に向けようとしたけれど――。
「ぁ」
「逃げるな」
顎を掴まれて上を向かされた。逃げることを許さないと大きな手で遮られた。
退路を断たれたわたしは震える唇で「な、なんで」とつい聞いてしまった。今さら聞く質問でもないだろうに馬鹿な質問だ。
「なんでとは愚問じゃないか」
「わかってるわ」
「だが、貴様は疑問だらけなのだろうな」
分かっているじゃない。わたしはたくさん答えた。でも、彼からは何ら詳しい経緯を聞いていない。だのに、はい、付き合いますなんてなるわけがない。
「確かにフェアではないな」
まるでわたしが言いたいことが分かっているように答える。それから逡巡するために視線が外れるがすぐに戻って顎から手が放される。わたしは逃げずに彼を見つめる。すると、もう一度座ろうとベンチに並んで座る。長い足を組んだ彼は様になる姿で語り出した。
「あの日、別れを告げられた日。本当は謝ろうと思って病院に行った」
「え」
なんで貴方が謝る必要があるの。怪訝に見れば彼は珍しく苦笑を零した。
「冷静になってから随分酷いことを言ったと思った。青年の俺は謝ろうと花束を持って病院に言った。だが、謝罪をする前に別れようと言われた」
「花束が無駄になった」と言われてわたしは自分の記憶をすぐに掘り起こした。けれど、どう思い出してもあのときの夏の場面に花束を持った彼はいなかった。もしかしたら別れようと決めて視界から排除して見ようとしなかったのかもしれない。
「とはいえ、お前の性格を考えれば別れを言い出すのは何となく想像ができた。だから、俺も惨めに縋ることはしなかった。するという考えもなかったがな」
「けど……」
いくら相手を想ってとはいえ勝手だった。若くて未熟なわたしの間違った選択だった。きっとデイヴィスもそう思っているのかもしれない。でも、大部分の原因はやっぱり〝わたし自身〟にある。
「あの、」
「まぁ。まだ俺様の話を聞け」
「諸々はその後だ」と言うデイヴィスに従って口を閉じて話に耳を傾ける。「グッガール」とまるで生徒扱いしながらまた話が始まる。
「別れた後、俺は大学に進んだ。言っては何だが俺は女からも男からもモテる」
「ぇ、いきな、あ、うん、そうね」
学生時代のデイヴィスは男からは大部分嫌われていたイメージが強いけれど。女からは確かにモテていた気がする。学生時代のことを思い出してモヤモヤする自分の幼稚な部分が本当に嫌。それに大学生時代に付き合えた人が羨ましくなってくる。
「ま、付き合いはしたが続いた交際は長くても半年だった」
「そうなの……」
胸がギシギシする。早くこの話、終わってほしい。元恋人で現好きな人のその後の恋愛遍歴とか聞きたくない。耳塞ぎたいけれどきっと許してくれないしみっともないことしたくない。
「それからは大体一夜限りの関係ばかりだ」
「へ、へぇ」
人のことは言えないけれど堂々と言う者なのかしら。それとも自分は今もすこぶるモテていることを言いたいの。さすがに性格が悪くてフォローもできない。
「色んな女と夜を共にしたが結局駄目だった」
「そう……」
「最後に寝た女に『貴方は誰か別の人を見ているのね』って」
その台詞はわたしも一度だけ言われた。図星だったけれど割り切って一夜の相手を探していたわね。
「その台詞を聞いてから誰とも寝てない」
「え」
驚いてデイヴィスを見れば「なんだ」と眉を顰めた。そんなまるで操を立てるみたいなことするなんて驚かずにはいられないわ。だって、わたしはそんなこと無視して結局デイヴィスの影を探し続けた。
「誰かとベッドを共にすることはなくなっても結局お前に会いには行けなかったがな」
「連絡先も教えていなかったものね」
「とはいっても、連絡を取る手段はいくらでもあった」
共通の友人もたくさんいるから確かに連絡先を知る術は沢山あった。
身体が熱くなって心臓が苦しくなる。ここまで話してくれれば分からないほど子どもじゃない。
「結局、俺は研修で好きな女が来るまで会いに行けなかった気弱な男だということだ」
プライドの高い人間にここまで言わせたらわたしは降参の旗を振らなければいけない。いや、彼のためにも今すぐに降参の旗を振ろう。
「デイヴィス。もう、いいわ。わかったから」
「ほんとうか? 俺がここまで言って一ミリもわかっていないとかないだろな」
ぐいっと端正な顔を寄せながら確認してくる。その近さに身体が反射的に引くがそれすらも許さないと腰を掴まれ抱き寄せられた。
「ちょ、ちか、ぃ」
「貴様はバッガールだからなちゃんと理解しているのかわからないからな」
「だ、だいじょうぶ。わたしもそこまでバカじゃないから」
「ほんとぉか」
そこまで疑わなくていいのに。というか、この距離がきついと言うか。自分と同じシャンプーの匂いとかボディーソープの匂いがデイヴィスからして気がおかしくなりそう。
「わかっているから。離れてお願い」
「……わかった」
ようやく離れた身体に安心するけれどまだ心臓がドキドキしている。ドキドキは身体を巡って熱が上がっていく。ああ。もう頬まで熱い。きっと赤くなっているのは彼にはバレバレだろう。恥ずかしい。
「ジャンヌ。帰るぞ」
「ん……」
隣の彼が立ち上がる気配にならって立ち上がる。そのまま歩こうとしたとき。また「ジャンヌ」と呼ばれた。
「なに?」
「……ん」
彼は視線を少し外してから腕を差し出してくる。その動作は学生時代に付き合っていたときと同じ。わたしは懐かしさが込み上げながら彼の腕に腕を絡ませる。細かった腕はすっかり大人の男になっていた。
「ゆっくり歩いてね」
「フン。当たり前だ」
わたしはこのままありえもしない未来で思い描いたように彼と歩き出した。
この先もずっと続くかは分からないけれど――少しでも長く続くよう今日から祈ることにした。