途切れぬ男女の糸
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絡まった糸はまだ解けない
研修先が休みになればおのずと休みになる。わたしは久々に賢者の島の街に繰り出していた。夕方から夜にかけては買い出しに歩いていたけれど午前中は久々だった。
家族連れに、ナイトレイブンカレッジ生に、ロイヤルソードアカデミー生に――。
「ルー先生。まだ帰って来ないんですかぁ?」
「ふふっ。まだよ。なに、そんなに先生が恋しいの?」
「もちろんです!」
「先生ぇ早く帰って来てよぉ」
こっそりとお忍びで来ているわたしの可愛い生徒たち。こっそり見て手を振る生徒が多いけれど研修三週目になるとこうして声をかけてくる。休みだし別に疚しいことではないからいいけれど。まぁまぁ普段の様子から想像できないほど可愛いこと。
「貴方たちとってもおめかししているけどデートじゃないの?」
「え。わかります?」
「そうなんです。ダブルデートなんですよぉ」
キャキャとする生徒のなんて可愛いこと。自然と頬が緩むけれどなんかすごく眩しい。そして、眩しさに目が潰されて甘酸っぱさに胸やけになりそうになる。自分もこういう時期があったと考えるのが嫌。なんだか年取ったみたいだし。
「なら時間は大丈夫? 先生に構っている時間はあるの?」
「あ。ほんと」
「約束に遅れちゃう!」
「なら早く行きなさいな」
「はぁい」とふわふわしながら去っていく生徒二人。あれはそうとう浮かれているんだろう。可愛いったらしょうがない。自分の生徒の可愛さに頬を緩ませて振り返ると。
「あら。監督生くんに、グリムくん」
「こんにちは。先生」
「よぉ!」
抱っこされたグリムくんの挨拶の無礼さに監督生くんは目尻をつり上げる。けれど、グリムくんは聞く耳を持たずふなふな言っている。私は猫じゃなくて犬派なんだけどその様子が最近ちょっと可愛いなって思っている。
「二人共、お買い物?」
「あ、はい! 基本は購買部でも色々手に入るんですけど」
「たまには外の空気も吸いたいって学園長に直談判したんだゾ!」
「外の空気」
「へ、へへ」
唇の端を引きつらせる監督生くん。どうやらグリムを止めることができずに学園長に小言を言われたみたい。元の世界に帰ることもできないのに小言とは可哀想に。何だか労ってあげたくなる。とはいえ、一人の生徒を可愛がるのも――よくないけどいっか。
「監督生くん、グリムくん、一緒に買い物行きましょ」
「え、いいんですか!」
「やったぁ! せかっくだから何か奢ってくれなんだゾ!」
「ちょ、グリム!」
「やめてよぉ」ってグリムくんの頬を掴む監督生くん。もう本当に苦労しているんじゃない。やっぱり少し甘やかしてあげないと。
「いいわよ。でも、他の皆には内緒だからね」
「え、でも」
「いいのよ。貴方も少しは大人に甘えなさいな」
監督生くんはまだ何か言いたげだったけど可愛らしく「じゃあ、」と答えた。その間グリムくんは色々奢ってもらうことを口にしているけれど。少し監督生くんのような慎みを持ちなさい。まぁ、でも、可愛いからいいか。
「さて、そもそも二人は買いに来たの?」
「あ、えっと、気になる本があって」
「オレ様はエースたちが言っていたハンバーグの美味い店に来たいんだゾ!」
「それはお小遣い的に無理。行くのはクレープ屋ね、クレープ屋」
「えええ! ルーに奢ってもらえばいいんだゾ!」
「駄目!」
「子分のケチ!」
あらあら。可愛らしい喧嘩。けど、こんなやり取りしていたら目的も終わらない。わたしは「どんな本が欲しいの」と監督生くんに訊ねる。
監督生くんは慌てて紙切れをジャケットのポケットから紙きれを撮り出した。その紙きれには見慣れたスタイリッシュな文字で見慣れた本のタイトルが書かれていた。
「クルーウェル先生のおススメ?」
「はい! ちょっと気になることがあってその、魔法は使えないんですけど勉強していると面白いから」
「意味ないけど、その」と言い澱む監督生くんに胸が打たれる。やっぱり何かしてあげたくなる。いや、ほんとに肩入れはいけないけれど、いけないけれど。
「先生が買いましょうか?」
「いや! これは学園長から費用ぶんどったんで平気です!」
にやりと笑う監督生くん。やだ、結構たくましい。先ほどのいじらしさが吹き飛んでいる。いや、これはこれでナイトレイブン生らしい。
心配は取り越し苦労かもしれないわね。
「さ、ならその本を買いに行きましょ」
「はい。あ、そういえばクルーウェル先生が普通の本屋では買えないからなって言ってました」
「そうね。その本は魔法の専門書だから教科書や参考書を扱っているお店に行かないといけないわね」
「……大丈夫ですかね?」
「ふふ。だいじょーぶよ」
このときわたしは迂闊だった。いや、失念していた。とりあえず油断していた。
「あらっ! あなた! もしかしてルーちゃんじゃないかい!」
「ぇ」
魔法関連書物を取り扱う書店に入り手分けして本を探すことになった。魔法関連の書物はナイトレイブンカレッジの図書室と同じように本がフワフワ浮いている。その本を一冊、一冊確認しているときだった。親しみのこもった声をかけられたのは。
本を手放して振り返り声の相手を見てわたしは血の気が引く。
そうだ。ここはあの おばちゃんの店だった。すっかり。もうすっかりと忘れていた。
「お、おばさん、お久しぶりです」
「ええっ! 久しぶりねぇっっ!」
ずいっと近づいて来るおばちゃんに一歩引きたいがすぐ後ろは本棚。しかもわたしは本棚の一番角にいる。逃げ場がない。なんてこと。
冷や汗をダラダラ流しながら高速でしゃべり続けるおばちゃんに愛想よく相槌を打つ。
「いやぁ。ほんとうにもう何年ぶりかしら? あれよね? 卒業して以来?」
「え、ええ、まぁ、はい」
「もうすっかり綺麗になちゃってぇ! あ、違った。昔から綺麗な子だったわねぇ!」
「そ、そんなぁ」
この人にだけは再会したくなかった。会いたくなかった。ほんとうに。
この目の前のおばちゃんはこの辺りで一番のおしゃべりだ。口がとても軽い。そのことはロイヤルソードアカデミーやナイトレイブンカレッジに、ブルームノヴァカレッジに所属している生徒の誰もが知っている。そう。つまり、このおばちゃんにカップルで見つかったあかつきには――。
一晩、いや二、三時間もすれば全校生徒に広まる。お厳かにひっそりと付き合っている生徒同士、浮気やら、何股もかけている生徒にとっては最悪なおばちゃん。いや、好きな人の相談なんかしたら告白より前に断れるなんてこともあった。それに恋関係ではなくともこの人にかかえれば瞬く間に噂は広がっていく。
そして、わたしも過去にその被害に遭っている。つまり、このおばちゃんによってわたしがデイヴィスと付き合っているとバレたのだ。
「で、彼とはうまくやっているの?」
「うぇ」
きたぁ。期待の眼差し。もしここで結婚していると言えば賢者の島中に広がり明日には生徒が知っていることになる。別れていると知っても残念という意味を込めてペラペラしゃべるに違いない。しかも、今日は休日。多くの生徒が麓の街に来ている。絶対に阻止せねばならぬ。でも、どうやって。
魔法執行官として様々な修羅場を潜り抜けて来たというのにおばちゃん相手に発揮できない。だって、どう足掻いたってデイヴィスに迷惑がかかる。
「あら。もしかして別れてしまったのぉ?」
顔の曇るおばちゃんにわたしは口角が引き攣りそうになる。事実。ここで下手に付き合っているなんて言えない。ただ、曖昧に微笑むことを選んだ。選んだけれど――どうしようッ!
「先生、そっちに本ありました?」
救世主の登場のように思えた。わたしは泣きそうな顔でおばちゃんを越えて監督生くんを見る。監督生くんは心配そうな顔でこっちを見ていた。どうやらほんとに助けに入ってくれたようだ。なんていい子なの!
「先生? ルーちゃん、先生なのかい?」
「ええ! いま、ナイトレイブンカレッジで研修をしていまして」
「あら! なら元鞘に戻るんじゃないかい!」
「あ゛」
「も、もとさや?」
このおばちゃんはぁっ! おばちゃんは嬉々として監督生くんにベラベラとわたしとデイヴィスの学生時代のことを話しだした。それに監督生くんは青ざめていく。そして、わたしをきょどきょど見ている。たぶん、これ聞いちゃいけない話しですよねって言っているんだと思う。察しのいい子。でも、もう遅い。
「お~い! ルー! 子分! 本があったんだゾ!」
さらなる混沌にわたしはもう打つ手がなかった。いや、あるとすれば無駄かも知れないけれど二人の口を塞ぐことくらい。
にしても、わたしはべらべらしゃべるおばちゃんはあの事件を知らないのが不思議だった。でも、そうか。あの事件はブルームノヴァカレッジの大広間で起きたのだ。だから、知らないわけだ。
「そうか。わたしたち誰かの記憶の中では恋人なのにね」
不思議。わたしは少し現実逃避気味なことを考えた。
「はっ。これってデイヴィスに教えた方がいいわよね」
でないと何も対処できないわよね。わたしは監督生くんたちを見送った後にデイヴィスと交換した連絡先にメッセージを送った。その後は言うまでもなく長文メッセージと電話攻撃だった。
* * *
出勤はしたくないけれど休みは終わるし休むことはできない。それにもしかしたら噂は広がっていないかもしれない。わたしはおっかなびっくりしながら出勤したら――。
「ルー先生とクルーウェル先生って学生時代付き合っていたっぽいよ」
「おれも聞いた、聞いた!」
「でも、二人共すごくお似合いだよね」
「何があったんだろ?」
「似すぎて駄目だったとか?」
「ありえる」
廊下を歩く度に好奇の眼差しとヒソヒソ話にもなっていない噂話。そして、かちあったクロウリー学園長からの嫌味。トレイン先生からの同情の眼差し。
何とか自分に与えられている部屋に来ると先客がいた。ここの鍵を持っているのはわたしと、そう彼だけ。
「貴様ぁ」
こめかみに青筋を浮かべて綺麗な顔をこれでもかと険しくさせているデイヴィス。そのデイヴィスの前に立ってわたしは九十度の綺麗な体勢で頭を下げた。
「申し訳ありませんでしたッ!」
「もう一度確認するがほんとうに忘れていたのか?」
「すっかり」
「はぁ~~~」と深い溜息をついた。それからチッと凄まじい舌打ちをした。うぅ、ガラが悪いけれどカッコイイ。いや、そんなんじゃないから。今はそうじゃない。
「ごめんなさい。昨日も電話で言ったけれど、暫く、噂が、ごめんなさい」
「……監督生から話しは聞いた。不可抗力だったのだろう」
「え」
「監督生くんが」と訊き返せば「必死だったぞ」と苦笑いして教えてくれた。やだ。いい子でしょう百万点じゃないの。今度ランチ券を買ってあげましょう。
「俺も失念していた」
「いや、わたしの方こそ、といういかあのおばちゃんまだ現役ね」
「そうだな」
この噂の回り具合にわたしたちは諦めを覚えた。
けれど、その日放課後までデイヴィスの「バッボーイ」がずっと発せられた。ちなみに、わたしも一日生徒に弄られまくった。特に一年A組のクラスが一番ほんとうに面倒くさかった。
「あ~~。つかれたぁ」
研修も三週目に入ると佳境に近くなって来る。ここに来てこの噂での茶化しはきつい。でも、身から出た錆のようなものだから甘んじて受け入れるしかない。それに今日茶化しに茶化したのだから一部の生徒は明日になったら大人しくなるだろう。
「はぁ。そろそろ研究発表を纏めないと」
研究発表は最後の四週目。この纏めを研修担当のデイヴィスと一緒にするのだけれど今日できるのかしら。昼食に少し話したときに「今日は補習のバッボーイが多いからな」と怖い顔をしていた。今もすぐに来るのに来ないし。
「やっぱり、イヤよねぇ」
昔の嫌な別れ方をしたわたしと恋人だったという話。事実だけれどそんな昔のことを持ちだされて噂されるなんて。そもそもプライベートなことを生徒に噂されるのはプライドの高い彼は嫌そう。
「イヤ、よね。悪いことしたなぁ」
口にそう言いながら。頭で分かっていても少し寂しいわたしがいる。そこまで嫌がるの。わたしが恋人だったことが嫌なのか。もしかしたら恋人じゃないと否定しているかもしれない。そんな。それは流石に寂しいし。
「イヤだわ」
メイクも気にせず机に腕を枕にうつ伏せになる。こんなだらしない姿見せられないけど、たぶん彼はまだ来ない。なら少し休んでもいいでしょう。なんならヒールも脱いじゃおうかしらと足をフラフラしたときだった。
「入るぞ」
という声と共に背後の扉が開いた。わたしはぐんと起き上がってすぐに身だしなみを整えた。だが、その姿はしっかりとデイヴィスに見られていて呆れた眼差しを向けられた。
「寝てたのか」
「ね、寝てないわ! ちょっと休んでいただけよ」
「ほぉ。俺様より先に休むとはいいご身分だ」
「ぐっ」
何だか昔みたいな言い方するじゃない。そのやり取りの懐かしさにちょっと心騒めかせながらも申し訳なさが込み上げる。
「ごめんなさいね」
「はぁ。もういい」
ドカッと勢いよく椅子に座ったデイヴィスは疲れた顔をしている。これは相当ストレスが溜まっているご様子。でも、わたしがその彼のストレスを発散させてあげることもできないので大人しくすることにする。
「クルーウェル先生。今日はどうしましょうか」
「……来週には研究発表だ。やるぞ」
「平気?」
「俺を誰だと思ってる? デイヴィス・クルーウェル様だぞ」
「さようで」
フンと鼻を鳴らすデイヴィスは乱れた前髪を整えて姿勢を正した。それに合わせてわたしも姿勢を正し書類を出した。
暫く、二時間程作業を進め終わりとなった。デイヴィスはこの後サイエンス部の様子を見に行くらしい。ほんとうに忙しい人と思って見送ろうとしたときだった。
「ルー先生は平気だったか……」
部屋を出る前に真摯な瞳を向けてわたしに訊いて来る。その真っ直ぐでありながら薄らと帯びる心配の気配に嬉しくなってしまう。浅ましい自分を心の中で袋叩きにしながら「平気よ」と答える。実際、酷く茶化す生徒はいなかった。ただ――。
「一年の仔犬くんたちが興奮し過ぎているようだったわね」
「……俺のクラスの駄犬か?」
眉を顰めるデイヴィスにわたしは曖昧に微笑む。
監督生くんは口を閉ざしていたけれどグリムくんがトラッポラくんたちに聞かれるまま答えてしまう。何とか止めようとした監督生くんも力なくべらべらしゃべること。しかも情報源も。わたしはその日の授業を半ば放棄したくらいにはちょっと賑やかだった。
何も言わないわたしにそれでも彼には伝わったのか。こめかみに青筋を浮かべながら「バッボーイどもが」と低く唸った。
「気にしていないわ。ただ、貴方にはほんとうに悪いことをしたわ」
「ごめんなさい」と何度目かわからない謝罪の言葉を口にする。
デイヴィスはわたしの謝罪に流石に呆れたのか溜息をついた。
「気にするな。どうせ人の噂などすぐに消える。ただ」
「ただ?」
なに、と訊くと彼との距離が縮んだ。彼が身に纏う香水の香りが濃い。こんなに近くなったのは初めてかもしれない。今まで適切な距離だったのに急な接近にわたしの心臓は準備ができていない。
「どうし、たの?」
真上を見上げるように綺麗な顔を見る。鋼の色の瞳がわたしを無常に見下ろしている。何の感情も読み取れない瞳に息を飲んだときだった。
「この辺りだったな」
「ッ」
赤いグローブに包まれた長い指が痕に触れる。皮膚の薄くなった古い傷に触れられて思わず身体が跳ねる。ツツと指が這う。傷を辿るように指が動いていく。
「痕は残ったのか?」
「……そんな、に、ただ傷あると、覚えられて、あの、仕事に支障があった、から」
「ああ、貴様は優秀な魔法執行官だったらしいからな」
「っ」
最後にまた傷を撫でて離れていく。力が抜けそうになる身体を何とか両足で支える。
ああ、それにしてもこの人はわたしが両足に力を入れ必死に立っていることなんて分からないんでしょうね。ほんと、なんて罪な男なのかしら。そして、なんでまだわたしはこんなに彼のことが好きなんだろう。本当にイヤになるほど好き。
「事件のことを知る生徒も出て来るかもしれん」
「わたしは平気よ……」
実際魔法執行官のときに噂されたことがあるけれど結局消え失せたし。それにわたしは何一つ悪いことをしてない。もちろん、デイヴィスだって何も悪くない。でも、ねぇ。貴方は平気。貴方のプライドを傷つけてしまった事件を生徒に知られて平気なの。
そんなこと訊けないわね。
訊きたいけれど訊くこと自体がまたデイヴィスのプライドを傷つけてしまうような気がした。だから、その言葉は綺麗に丸く飲み込んだ。
「平気よ。たぶん、箝口令がしかれていると思うの。おばちゃんも知らなかったし」
だから平気。もう一度彼を安心させるために言えば鋼の瞳が一度消えてまた現れた。その一瞬は何だったかわたしには分からない。
「まぁ、ルー先生も子どもではないからな」
「そうよ。これでも三十越えてんだから」
「それは俺もだ」
言った瞬間にデイヴィスの唇が少しだけ微笑む形を作った。皮肉った笑みでもなく、高慢ちきな笑みでもない。穏やかさと甘さの僅かに滲む笑み。
心臓にクリティカルヒットした。うぅ。そういう隙を見せないで。もっと好きになってしまうわ。
「そ、そろそろサイエンス部の子たちが待っているんじゃない」
「そうだな。では、指摘したところをしっかりと直しておけよ」
「……わかりました」
「いい返事だ」
満足そうに頷く彼を見送った途端足に入れていた力が抜ける。ふにゃふにゃ崩れるままに地面にお尻をつくと体温が上昇していくのを感じる。じわりと滲む汗を拭い熱く上気する頬を抑える。
「すき、ほんとうに、すき、すき、すき」
わたしは暫くそんな幼稚な言葉を繰り返していた。その後我に返ったときの自分の気持ち悪さに吐きたくなったのは言うまでもない。
研修先が休みになればおのずと休みになる。わたしは久々に賢者の島の街に繰り出していた。夕方から夜にかけては買い出しに歩いていたけれど午前中は久々だった。
家族連れに、ナイトレイブンカレッジ生に、ロイヤルソードアカデミー生に――。
「ルー先生。まだ帰って来ないんですかぁ?」
「ふふっ。まだよ。なに、そんなに先生が恋しいの?」
「もちろんです!」
「先生ぇ早く帰って来てよぉ」
こっそりとお忍びで来ているわたしの可愛い生徒たち。こっそり見て手を振る生徒が多いけれど研修三週目になるとこうして声をかけてくる。休みだし別に疚しいことではないからいいけれど。まぁまぁ普段の様子から想像できないほど可愛いこと。
「貴方たちとってもおめかししているけどデートじゃないの?」
「え。わかります?」
「そうなんです。ダブルデートなんですよぉ」
キャキャとする生徒のなんて可愛いこと。自然と頬が緩むけれどなんかすごく眩しい。そして、眩しさに目が潰されて甘酸っぱさに胸やけになりそうになる。自分もこういう時期があったと考えるのが嫌。なんだか年取ったみたいだし。
「なら時間は大丈夫? 先生に構っている時間はあるの?」
「あ。ほんと」
「約束に遅れちゃう!」
「なら早く行きなさいな」
「はぁい」とふわふわしながら去っていく生徒二人。あれはそうとう浮かれているんだろう。可愛いったらしょうがない。自分の生徒の可愛さに頬を緩ませて振り返ると。
「あら。監督生くんに、グリムくん」
「こんにちは。先生」
「よぉ!」
抱っこされたグリムくんの挨拶の無礼さに監督生くんは目尻をつり上げる。けれど、グリムくんは聞く耳を持たずふなふな言っている。私は猫じゃなくて犬派なんだけどその様子が最近ちょっと可愛いなって思っている。
「二人共、お買い物?」
「あ、はい! 基本は購買部でも色々手に入るんですけど」
「たまには外の空気も吸いたいって学園長に直談判したんだゾ!」
「外の空気」
「へ、へへ」
唇の端を引きつらせる監督生くん。どうやらグリムを止めることができずに学園長に小言を言われたみたい。元の世界に帰ることもできないのに小言とは可哀想に。何だか労ってあげたくなる。とはいえ、一人の生徒を可愛がるのも――よくないけどいっか。
「監督生くん、グリムくん、一緒に買い物行きましょ」
「え、いいんですか!」
「やったぁ! せかっくだから何か奢ってくれなんだゾ!」
「ちょ、グリム!」
「やめてよぉ」ってグリムくんの頬を掴む監督生くん。もう本当に苦労しているんじゃない。やっぱり少し甘やかしてあげないと。
「いいわよ。でも、他の皆には内緒だからね」
「え、でも」
「いいのよ。貴方も少しは大人に甘えなさいな」
監督生くんはまだ何か言いたげだったけど可愛らしく「じゃあ、」と答えた。その間グリムくんは色々奢ってもらうことを口にしているけれど。少し監督生くんのような慎みを持ちなさい。まぁ、でも、可愛いからいいか。
「さて、そもそも二人は買いに来たの?」
「あ、えっと、気になる本があって」
「オレ様はエースたちが言っていたハンバーグの美味い店に来たいんだゾ!」
「それはお小遣い的に無理。行くのはクレープ屋ね、クレープ屋」
「えええ! ルーに奢ってもらえばいいんだゾ!」
「駄目!」
「子分のケチ!」
あらあら。可愛らしい喧嘩。けど、こんなやり取りしていたら目的も終わらない。わたしは「どんな本が欲しいの」と監督生くんに訊ねる。
監督生くんは慌てて紙切れをジャケットのポケットから紙きれを撮り出した。その紙きれには見慣れたスタイリッシュな文字で見慣れた本のタイトルが書かれていた。
「クルーウェル先生のおススメ?」
「はい! ちょっと気になることがあってその、魔法は使えないんですけど勉強していると面白いから」
「意味ないけど、その」と言い澱む監督生くんに胸が打たれる。やっぱり何かしてあげたくなる。いや、ほんとに肩入れはいけないけれど、いけないけれど。
「先生が買いましょうか?」
「いや! これは学園長から費用ぶんどったんで平気です!」
にやりと笑う監督生くん。やだ、結構たくましい。先ほどのいじらしさが吹き飛んでいる。いや、これはこれでナイトレイブン生らしい。
心配は取り越し苦労かもしれないわね。
「さ、ならその本を買いに行きましょ」
「はい。あ、そういえばクルーウェル先生が普通の本屋では買えないからなって言ってました」
「そうね。その本は魔法の専門書だから教科書や参考書を扱っているお店に行かないといけないわね」
「……大丈夫ですかね?」
「ふふ。だいじょーぶよ」
このときわたしは迂闊だった。いや、失念していた。とりあえず油断していた。
「あらっ! あなた! もしかしてルーちゃんじゃないかい!」
「ぇ」
魔法関連書物を取り扱う書店に入り手分けして本を探すことになった。魔法関連の書物はナイトレイブンカレッジの図書室と同じように本がフワフワ浮いている。その本を一冊、一冊確認しているときだった。親しみのこもった声をかけられたのは。
本を手放して振り返り声の相手を見てわたしは血の気が引く。
そうだ。ここは
「お、おばさん、お久しぶりです」
「ええっ! 久しぶりねぇっっ!」
ずいっと近づいて来るおばちゃんに一歩引きたいがすぐ後ろは本棚。しかもわたしは本棚の一番角にいる。逃げ場がない。なんてこと。
冷や汗をダラダラ流しながら高速でしゃべり続けるおばちゃんに愛想よく相槌を打つ。
「いやぁ。ほんとうにもう何年ぶりかしら? あれよね? 卒業して以来?」
「え、ええ、まぁ、はい」
「もうすっかり綺麗になちゃってぇ! あ、違った。昔から綺麗な子だったわねぇ!」
「そ、そんなぁ」
この人にだけは再会したくなかった。会いたくなかった。ほんとうに。
この目の前のおばちゃんはこの辺りで一番のおしゃべりだ。口がとても軽い。そのことはロイヤルソードアカデミーやナイトレイブンカレッジに、ブルームノヴァカレッジに所属している生徒の誰もが知っている。そう。つまり、このおばちゃんにカップルで見つかったあかつきには――。
一晩、いや二、三時間もすれば全校生徒に広まる。お厳かにひっそりと付き合っている生徒同士、浮気やら、何股もかけている生徒にとっては最悪なおばちゃん。いや、好きな人の相談なんかしたら告白より前に断れるなんてこともあった。それに恋関係ではなくともこの人にかかえれば瞬く間に噂は広がっていく。
そして、わたしも過去にその被害に遭っている。つまり、このおばちゃんによってわたしがデイヴィスと付き合っているとバレたのだ。
「で、彼とはうまくやっているの?」
「うぇ」
きたぁ。期待の眼差し。もしここで結婚していると言えば賢者の島中に広がり明日には生徒が知っていることになる。別れていると知っても残念という意味を込めてペラペラしゃべるに違いない。しかも、今日は休日。多くの生徒が麓の街に来ている。絶対に阻止せねばならぬ。でも、どうやって。
魔法執行官として様々な修羅場を潜り抜けて来たというのにおばちゃん相手に発揮できない。だって、どう足掻いたってデイヴィスに迷惑がかかる。
「あら。もしかして別れてしまったのぉ?」
顔の曇るおばちゃんにわたしは口角が引き攣りそうになる。事実。ここで下手に付き合っているなんて言えない。ただ、曖昧に微笑むことを選んだ。選んだけれど――どうしようッ!
「先生、そっちに本ありました?」
救世主の登場のように思えた。わたしは泣きそうな顔でおばちゃんを越えて監督生くんを見る。監督生くんは心配そうな顔でこっちを見ていた。どうやらほんとに助けに入ってくれたようだ。なんていい子なの!
「先生? ルーちゃん、先生なのかい?」
「ええ! いま、ナイトレイブンカレッジで研修をしていまして」
「あら! なら元鞘に戻るんじゃないかい!」
「あ゛」
「も、もとさや?」
このおばちゃんはぁっ! おばちゃんは嬉々として監督生くんにベラベラとわたしとデイヴィスの学生時代のことを話しだした。それに監督生くんは青ざめていく。そして、わたしをきょどきょど見ている。たぶん、これ聞いちゃいけない話しですよねって言っているんだと思う。察しのいい子。でも、もう遅い。
「お~い! ルー! 子分! 本があったんだゾ!」
さらなる混沌にわたしはもう打つ手がなかった。いや、あるとすれば無駄かも知れないけれど二人の口を塞ぐことくらい。
にしても、わたしはべらべらしゃべるおばちゃんはあの事件を知らないのが不思議だった。でも、そうか。あの事件はブルームノヴァカレッジの大広間で起きたのだ。だから、知らないわけだ。
「そうか。わたしたち誰かの記憶の中では恋人なのにね」
不思議。わたしは少し現実逃避気味なことを考えた。
「はっ。これってデイヴィスに教えた方がいいわよね」
でないと何も対処できないわよね。わたしは監督生くんたちを見送った後にデイヴィスと交換した連絡先にメッセージを送った。その後は言うまでもなく長文メッセージと電話攻撃だった。
* * *
出勤はしたくないけれど休みは終わるし休むことはできない。それにもしかしたら噂は広がっていないかもしれない。わたしはおっかなびっくりしながら出勤したら――。
「ルー先生とクルーウェル先生って学生時代付き合っていたっぽいよ」
「おれも聞いた、聞いた!」
「でも、二人共すごくお似合いだよね」
「何があったんだろ?」
「似すぎて駄目だったとか?」
「ありえる」
廊下を歩く度に好奇の眼差しとヒソヒソ話にもなっていない噂話。そして、かちあったクロウリー学園長からの嫌味。トレイン先生からの同情の眼差し。
何とか自分に与えられている部屋に来ると先客がいた。ここの鍵を持っているのはわたしと、そう彼だけ。
「貴様ぁ」
こめかみに青筋を浮かべて綺麗な顔をこれでもかと険しくさせているデイヴィス。そのデイヴィスの前に立ってわたしは九十度の綺麗な体勢で頭を下げた。
「申し訳ありませんでしたッ!」
「もう一度確認するがほんとうに忘れていたのか?」
「すっかり」
「はぁ~~~」と深い溜息をついた。それからチッと凄まじい舌打ちをした。うぅ、ガラが悪いけれどカッコイイ。いや、そんなんじゃないから。今はそうじゃない。
「ごめんなさい。昨日も電話で言ったけれど、暫く、噂が、ごめんなさい」
「……監督生から話しは聞いた。不可抗力だったのだろう」
「え」
「監督生くんが」と訊き返せば「必死だったぞ」と苦笑いして教えてくれた。やだ。いい子でしょう百万点じゃないの。今度ランチ券を買ってあげましょう。
「俺も失念していた」
「いや、わたしの方こそ、といういかあのおばちゃんまだ現役ね」
「そうだな」
この噂の回り具合にわたしたちは諦めを覚えた。
けれど、その日放課後までデイヴィスの「バッボーイ」がずっと発せられた。ちなみに、わたしも一日生徒に弄られまくった。特に一年A組のクラスが一番ほんとうに面倒くさかった。
「あ~~。つかれたぁ」
研修も三週目に入ると佳境に近くなって来る。ここに来てこの噂での茶化しはきつい。でも、身から出た錆のようなものだから甘んじて受け入れるしかない。それに今日茶化しに茶化したのだから一部の生徒は明日になったら大人しくなるだろう。
「はぁ。そろそろ研究発表を纏めないと」
研究発表は最後の四週目。この纏めを研修担当のデイヴィスと一緒にするのだけれど今日できるのかしら。昼食に少し話したときに「今日は補習のバッボーイが多いからな」と怖い顔をしていた。今もすぐに来るのに来ないし。
「やっぱり、イヤよねぇ」
昔の嫌な別れ方をしたわたしと恋人だったという話。事実だけれどそんな昔のことを持ちだされて噂されるなんて。そもそもプライベートなことを生徒に噂されるのはプライドの高い彼は嫌そう。
「イヤ、よね。悪いことしたなぁ」
口にそう言いながら。頭で分かっていても少し寂しいわたしがいる。そこまで嫌がるの。わたしが恋人だったことが嫌なのか。もしかしたら恋人じゃないと否定しているかもしれない。そんな。それは流石に寂しいし。
「イヤだわ」
メイクも気にせず机に腕を枕にうつ伏せになる。こんなだらしない姿見せられないけど、たぶん彼はまだ来ない。なら少し休んでもいいでしょう。なんならヒールも脱いじゃおうかしらと足をフラフラしたときだった。
「入るぞ」
という声と共に背後の扉が開いた。わたしはぐんと起き上がってすぐに身だしなみを整えた。だが、その姿はしっかりとデイヴィスに見られていて呆れた眼差しを向けられた。
「寝てたのか」
「ね、寝てないわ! ちょっと休んでいただけよ」
「ほぉ。俺様より先に休むとはいいご身分だ」
「ぐっ」
何だか昔みたいな言い方するじゃない。そのやり取りの懐かしさにちょっと心騒めかせながらも申し訳なさが込み上げる。
「ごめんなさいね」
「はぁ。もういい」
ドカッと勢いよく椅子に座ったデイヴィスは疲れた顔をしている。これは相当ストレスが溜まっているご様子。でも、わたしがその彼のストレスを発散させてあげることもできないので大人しくすることにする。
「クルーウェル先生。今日はどうしましょうか」
「……来週には研究発表だ。やるぞ」
「平気?」
「俺を誰だと思ってる? デイヴィス・クルーウェル様だぞ」
「さようで」
フンと鼻を鳴らすデイヴィスは乱れた前髪を整えて姿勢を正した。それに合わせてわたしも姿勢を正し書類を出した。
暫く、二時間程作業を進め終わりとなった。デイヴィスはこの後サイエンス部の様子を見に行くらしい。ほんとうに忙しい人と思って見送ろうとしたときだった。
「ルー先生は平気だったか……」
部屋を出る前に真摯な瞳を向けてわたしに訊いて来る。その真っ直ぐでありながら薄らと帯びる心配の気配に嬉しくなってしまう。浅ましい自分を心の中で袋叩きにしながら「平気よ」と答える。実際、酷く茶化す生徒はいなかった。ただ――。
「一年の仔犬くんたちが興奮し過ぎているようだったわね」
「……俺のクラスの駄犬か?」
眉を顰めるデイヴィスにわたしは曖昧に微笑む。
監督生くんは口を閉ざしていたけれどグリムくんがトラッポラくんたちに聞かれるまま答えてしまう。何とか止めようとした監督生くんも力なくべらべらしゃべること。しかも情報源も。わたしはその日の授業を半ば放棄したくらいにはちょっと賑やかだった。
何も言わないわたしにそれでも彼には伝わったのか。こめかみに青筋を浮かべながら「バッボーイどもが」と低く唸った。
「気にしていないわ。ただ、貴方にはほんとうに悪いことをしたわ」
「ごめんなさい」と何度目かわからない謝罪の言葉を口にする。
デイヴィスはわたしの謝罪に流石に呆れたのか溜息をついた。
「気にするな。どうせ人の噂などすぐに消える。ただ」
「ただ?」
なに、と訊くと彼との距離が縮んだ。彼が身に纏う香水の香りが濃い。こんなに近くなったのは初めてかもしれない。今まで適切な距離だったのに急な接近にわたしの心臓は準備ができていない。
「どうし、たの?」
真上を見上げるように綺麗な顔を見る。鋼の色の瞳がわたしを無常に見下ろしている。何の感情も読み取れない瞳に息を飲んだときだった。
「この辺りだったな」
「ッ」
赤いグローブに包まれた長い指が痕に触れる。皮膚の薄くなった古い傷に触れられて思わず身体が跳ねる。ツツと指が這う。傷を辿るように指が動いていく。
「痕は残ったのか?」
「……そんな、に、ただ傷あると、覚えられて、あの、仕事に支障があった、から」
「ああ、貴様は優秀な魔法執行官だったらしいからな」
「っ」
最後にまた傷を撫でて離れていく。力が抜けそうになる身体を何とか両足で支える。
ああ、それにしてもこの人はわたしが両足に力を入れ必死に立っていることなんて分からないんでしょうね。ほんと、なんて罪な男なのかしら。そして、なんでまだわたしはこんなに彼のことが好きなんだろう。本当にイヤになるほど好き。
「事件のことを知る生徒も出て来るかもしれん」
「わたしは平気よ……」
実際魔法執行官のときに噂されたことがあるけれど結局消え失せたし。それにわたしは何一つ悪いことをしてない。もちろん、デイヴィスだって何も悪くない。でも、ねぇ。貴方は平気。貴方のプライドを傷つけてしまった事件を生徒に知られて平気なの。
そんなこと訊けないわね。
訊きたいけれど訊くこと自体がまたデイヴィスのプライドを傷つけてしまうような気がした。だから、その言葉は綺麗に丸く飲み込んだ。
「平気よ。たぶん、箝口令がしかれていると思うの。おばちゃんも知らなかったし」
だから平気。もう一度彼を安心させるために言えば鋼の瞳が一度消えてまた現れた。その一瞬は何だったかわたしには分からない。
「まぁ、ルー先生も子どもではないからな」
「そうよ。これでも三十越えてんだから」
「それは俺もだ」
言った瞬間にデイヴィスの唇が少しだけ微笑む形を作った。皮肉った笑みでもなく、高慢ちきな笑みでもない。穏やかさと甘さの僅かに滲む笑み。
心臓にクリティカルヒットした。うぅ。そういう隙を見せないで。もっと好きになってしまうわ。
「そ、そろそろサイエンス部の子たちが待っているんじゃない」
「そうだな。では、指摘したところをしっかりと直しておけよ」
「……わかりました」
「いい返事だ」
満足そうに頷く彼を見送った途端足に入れていた力が抜ける。ふにゃふにゃ崩れるままに地面にお尻をつくと体温が上昇していくのを感じる。じわりと滲む汗を拭い熱く上気する頬を抑える。
「すき、ほんとうに、すき、すき、すき」
わたしは暫くそんな幼稚な言葉を繰り返していた。その後我に返ったときの自分の気持ち悪さに吐きたくなったのは言うまでもない。