叶わない愛のはずだった
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貴方の愛を知らなかった
夜。寝る支度も終えて侍女と召使を下げた部屋に私しかいない貴重な一人の時間。その時間に羽を伸ばしたいけれど今は出来ない。
鏡台の鏡に映る自分は髪を降ろし化粧も落としたネグリジェ姿。じっと見つめたからといって何か起きるような魔法の鏡ではない。目の前にある鏡はただのアンティークの鏡だ。
「はぁ~~~~」
その鏡に向かって深い、深い、溜息をつく。一日溜まった溜息は中々に深い。でも、日中合間に溜息をつき続けると侍女も召使も心配してしまうし、実際彼女たちに心配をかけてしまった。だから、こうして日中溜まり続けた溜息をこの一人の時間で吐き出すのだがこれまた長いし何回も溜息をついてしまう。
両手で顔を覆いながらまた息を吐き出す。
「はぁあ~~。これもレオナ様のせいよ……」
保健室でのあのお方が言ったことを思い出し、つられて唇に押しつけられた感触も蘇り顔が熱くなる。キスひとつで赤くなるなんて経験値不足の現れだ。いや、許嫁がいる身としては他の男性と恋人の関係になるわけにはいかない。こういうとき、男性の方は許嫁以外にも関係を持っても文句を言われないのは狡い。男性も同じくらい誠実であれよと望むのはいけない話だろうか。
「はぁ」
熱くなる頬から両手を外して傍にある手で扇ぐ。涼しい風に僅かに熱が引いていく。その間に投げかけられた言葉の意味を考えるとひとつだけ思い当たることがあった。けれど、その意味はどう考えたって――。
「……無理じゃないかしら?」
レオナ様が言うところの関係はつまり〝恋人〟ということだと思う。だけど、どうだろう。あのお方と私が恋人になれるだろうか。いや、どうしてなれるとあのお方は考えたのだろうか。幼い頃から許嫁ではなく幼馴染の友人同士と言っても差し支えない関係だった。それにしてもレオナ様は私のことを恋愛対象として見ていなかったはずだ。自分の記憶を思い返してもそういう反応の心当たりがない。
「何を考えていらっしゃるのかしら?」
虫除けにするつもりはないとおしゃっていた。結婚し私を伴侶として迎えるということなのだろうか。それともただの〝パートナー〟として認めてくださったのだろうか。
「パートナー……」
信頼関係で結ばれる男女の関係もあるのは知っているし理解している。恋愛だけがすべてではない。〝愛〟とは様々な形があるのは知っている。だから、レオナ様と私の関係がそういう形で納まっても問題はない。けど、敢えて問題があるとすれば私の〝心〟だ。
「なにこの顔」
眉を下げた愁いを含んだ顔の私。心がここまで露わになるなんて武家として誉高いレヴィ家の娘として妃教育を受ける娘として恋情を優先するなんて未熟な証しだ。鏡に映る私はなんて情けない姿だろう。
「もっと頑張らないと……はぁ。でも、もうすぐホリデーよ」
この前、連絡をくれたレオナ様は言った通りに今年のウィンターホリデーは帰省するとのこと。その報告は兄君であられる国王様にもしたようで、チェカ様はどんな遊びをするかそれは楽しみにしている。どうやらその話を私だけではなくご両親である国王様や王妃様にもお話している様子。
この間、妃教育の一貫である王妃様との茶会で少し疲れた様子でお話していたらした。けど、私もきっと心持ちはチェカ様と変わらない。ここ二年間レオナ様はサマーホリデー以外に帰省しなかったのだから。そう。心の底から嬉しいのだけれどこの間の件で複雑な心境だ。
「答えがわからない」
考え続けてもレオナ様の考えなんてわかりっこない。レオナ様の考えがわかるのはきっと私ではなくて――浮かんだ顔に頭を振って追いやる。
「一体、あのお方は私に何を求めているのか」
私の中にいるレオナ様だけの言葉では到底答えなど見いだせない。
「はぁ。このウィンターホリデーで見つかるのかしら……いいえ、見つけないといけない」
情けなく下がっていた眉を上げる。真っ直ぐと鏡に映る私を見据える。
「いい機会だと言ったでしょ。なら、白黒はっきりつけましょう」
まずはレオナ様と話す機会を得ることから始めましょう。
まっすぐ、まっすぐ、鏡に映る自分を見据えた。
* * *
ウィンターホリデーを迎えレオナ様が帰省された。
国王様と王妃様に呼ばれ私も玉座の間にて出迎えた。当のレオナ様は荷物ひとつない状態で帰省されたが、ホリデー期間の宿題はどうされたのだろう。もう一年留年するつもりなのだろうか。
愁いつながらチェカ様を鬱陶しげにしているあの方を微笑ましく見る。レオナ様は何だかんだチェカ様を無理矢理剥がさない。本人はどう考えているかわからないけれど。そんな気持ちで見ていると鮮やかな緑の瞳が人の合間を縫って向けられた。
射抜く様な瞳の力に心臓が高鳴りながらも小さく頭を下げた。そして、顔を上げたときにはもうその瞳は逸れていた。どこに向かったのかと見て心臓がジクジク痛みだす。
レオナ様の視線の先にはライオンの獣人属にしては小柄なお方。そのお方はチェカ様の母君であり我が国の母、王妃様であり――レオナ様の初恋のお相手。容貌も愛らしさを孕んだ美しい人でとても優しく国の母である王妃にふさわしい女性だ。私もそのような女性になりたいと尊敬する人の一人だ。
きっと王妃様のようなお方であればレオナ様と拗れないのだろう。きっと最初から仲睦まじい許嫁同士になっていたはずだ。
レオナ様と真正面から向き合うと決めたのに自信がなくなっていく。本当に私はあのお方と向き合って求める関係に辿り着けるのだろうか。
ぼんやりと家族の団らんの様子を見ていると――。
「ジェマ」
かけられた声に顔をあげると国王ファレナ様が立っていた。私は慌てて頭を下げる。
「陛下。気づかずに申し訳ありません」
「いい、いい気にするな。それより、私たちは〝家族〟になるのだから堅苦しくなるな」
「それはありがとうございます。ですが、わたくしはまだ王家に嫁いではおりませんので」
嫁げるかもわからない身の上だとまでは言わない。でも、まだそちら側ではないことはしっかりと告げる。陛下は気を悪くすることなく「本当に君はお父上に似ているな」と笑いを含んで言われた。
父ほど生真面目なつもりはないが、とは流石に言い返さない。飲み込んだ言葉の代わりに「さようでございますか」と答えれば「それが似ている」とまた笑われてしまった。これにはどう反応していいか困っていると「そうだ」と国王様が話しを変えた。
「昼食を皆で一緒に食べよう」
「え」
思ってもいない誘いに戸惑うけれど誘われて断れる立場ではない。
「……お誘いありがとうございます。では、参加させていただきます」
「ああ。待っている」
チェカ様と似た笑い方につられて微笑む。和やかな空気が国王様との間に流れていると「ジェマ」と剣を含んだ声に呼ばれた。
陛下の後ろからレオナ様が柳眉を寄せ制服がよれた状態で現れた。どうやら普段以上にテンションの高いチェカ様に絡まれて機嫌が悪くなってしまったようだ。苦笑しながら傍に寄ってお帰りの挨拶をする。
「レオナ様。おかえりなさいませ」
「ん」
ひとつ頷くと国王様が「愛想がないな」とからかいの言葉をかける。それにさらに眉間を深くさせ喉を低く鳴らした。
「うるせぇな。おい。ジェマ、行くぞ」
「え、ですが、」
呼ぶレオナ様に私は国王様を見る。国王様は私の視線を受けてレオナ様に昼食の話をするが――。
「却下だ。昼飯はジェマと二人で食べる。晩飯もだ」
ホリデー期間中ずっと、とつけ足すレオナ様に血の気が引く。何故、私だけなのだ。帰省してそうそう自由過ぎる。いや、自由でいてほしいけれどこれはさすがに国王様が許すはずがない。
「二人きりで、か……うん、そうか。わかった。ただし、学園に戻る前に一度ジェマも含めて私たちと食事をするように。チェカも王妃もお前の帰省を楽しみにしていたのだから」
「気が向いたらな」
はん、と鼻を鳴らして顔を背けたレオナ様は視線だけ私に向けて「行くぞ」と言う。これに流石に国王様を窺うことなく「わかりました」と返した。
返事を聞いたレオナ様は背を向けて歩き出す。私は国王様に頭を下げてすぐにその後に続いた。
今日は帰省したばかりで疲れているだろうから。明日、例の話を切り出そうとしたけれど――。
「で、わかったのか?」
昼食を終えてお互い魔法士養成学校に入る前まで日課だった散歩をしている最中だった。散歩の最中に寮対抗マジフト大会の後を聞いて何故親友からクレームのメッセージが届いたのか納得していたときだった。
世間話に紛れるような聞き方に反応が遅れてしまった。それにレオナ様が眉を顰めて「なんだまだか」と言う。我に返ってかぶりを振った。
「あ、いえ、その、輪郭は見えているのですが、中身が、その、まだ……」
「ふぅん」
しどろもどろの答えにレオナ様は寄せていた眉を解いて興味深そうにのぞき込んできた。僅かに近くなる顔に少しだけのけ反る。
「別に取って喰わねぇよ……まぁ、お前の話を聞いてやらんでもないな」
目を細めて口角を上げ鋭い犬歯を覗かせる。不遜で尊大な表情だがとてもレオナ様らしい表情に少しほっとする。ここで私の知らない顔を見たらきっと冷静でいられないし、答えなんてとうてい見いだせなかっただろう。だから、いつも通り私の知っているレオナ様の表情が見られてよかった。
「俺の部屋に行くぞ」
え゛と思わず濁った声が出てしまった。けれど、レオナ様は気にしていない様子で私の手を掴んでズンズン歩き出す。慌ててスカートの裾を掴んで足を動かす。
あっという間に散歩コースからレオナ様の部屋に続く道へと変わっていく。
部屋に続く道の光景に人が減っていく。いくら部屋の主が殆どの時間を寮で生活しているとはいえなんて素っ気ない。せめて、この期間だけはもう少し人の気配がほしい。けれど、その中にどれくらいこのお方の味方がいるだろうか。なら余計な人はいらないのかもしれないし、煩わしいだけだろう。
「おい、ジェマ」
「っ、はい。レオナ様」
顔を上げるけれどレオナ様は前を向いたままだった。なんだろう、と次の言葉を待つ。
「余計なことは気にするな」
言葉を発する声に力はなかったけれど〝言葉〟には力があった。私は「はい」と返事をして〝無駄〟なことを考えることをやめた。
部屋に入ると流石に埃っぽいことはなかった。けど、レオナ様の匂いも薄くここが本当に自室かと思うと何だか不思議だった。
「こっちに来い」
手招きされるままラタンタイプの長椅子に座るレオナ様の横に座る。
レオナ様に向けて身体を斜めにする。準備が出来たところで「話してみろ」と背にもたれかかりながら訊ねられた。
膝の上に乗せた手を握りしめながら曖昧な形の考えを言葉にする。
「まずは、その、レオナ様がおっしゃった〝そういう関係〟というのは〝恋人〟でよいでしょうか?」
窺うように見れば緑の瞳を隠すように瞼を伏せて上げた。私の考えはひとまず〝是〟であった。だが、やはりその答えに納得できない。どう次の言葉を紡ごうかと考えていると――。
「お前は本当に考える性格だな。はい、そうですって納得できねぇのか」
「できません」
レオナ様に口答えするように即答してしまった。流石に失礼だと思いすぐに「申し訳ありません」と謝罪を口にする。レオナ様は気にした様子を見せず鼻を鳴らして「んじゃ、何が納得できねぇんだ」と問いかける。
わざわざ言ってくれるのだ。その優しさに甘えていいのだろうか。いや、甘えなければきっと今後このお方の心内などわからない。
真っ直ぐに見据えて――。
「わたくしを恋愛対象として見ているということですか?」
「……そうなるだろう」
僅かな間と僅かに逸れる視線が気に障る。駄目だ。そういう些細なところが駄目なのだ。目の前のお方は私に恋愛感情など抱いていない。
初めてかも知れない。この方に腹が立ったのは。
「レオナ様。わたくしを馬鹿にしているのですか」
怒りを孕んで睨みつける。その私の視線を受けてレオナ様の目が見開いた。背もたれに預けていた身体を起して「どうした」と聞いてくる。
「どうした、ですか……わかりませんか。わたくし、怒っているのです」
顔を背けて立ち上がって部屋を出ていこうとする。すると、すぐに大きな手が私の手首を掴んだ。引き留める手さえ嫌で振り払うとあっさり離れた。ほら、あっさりと離せるほどの存在なのだ〝私〟なんて。
「何、怒ってんだ」
「……レオナ様に対して、いえ、違います。一番はわたくし自身に対して」
僅かに抱いてしまっていた愚かな期待。けど、期待はあっさりと粉砕されて粉塵となって消えた。今更、キスされたくらいで何を期待しているのか。馬鹿みたい。泣きたくなるほど馬鹿な自分が嫌になる。
ふぅと息をついて背筋を伸ばして振り返り鮮やかな緑の瞳を見据えて口を開く。
「馬鹿な女であれたならよかったのに」
おめでたい頭のつくりであればどれほどよかったことか。それならここまで悩むこともなかっただろう。それに馬鹿な女であればレオナ様は早々に切り捨てくれていたはずだ。
「……貴方様が卒業するまでは虫除けにでも何でもなります。ですから婚約は解消いたしましょう」
一拍置いて以前保健室で言った同じことを告げる。まどろっこしいことをするから拗れていくのだ。はっきり白黒つけると決めたなら下手な言葉遊ぶなんてやめた方がいい。
「……なんで、お前は勝手に決めていくんだ」
不愉快だという意味を込めた声だった。確かにこの間のときから自分勝手にレオナ様の心の中を決めている。けど、けど、と唇を一度噛む。本当は言うべきではない。言うべきではないけれど、我慢が出来なくなってしまった。
「だって、何も、わからないからっ、ずっとわからないんです!」
「貴方のことが、」ついに溢れてしまった。でも、嘘偽りない本音だ。ずっと、ずっと考えていた。目の前のお方の傍らに立ちながら頭の片隅に蔓延っていた私の本音。
一度溢れた本音は留まることを知らない。
「ずっと、貴方様が好きだったから、だから、だからっ、簡単に信じられない」
ああ、傷つけた。今言い放った言葉はきっと目の前のお方の柔らかい部分を傷つけるという確信があった。
現に目の前のレオナ様の眉が動いて、目の下に皺が出来る。不愉快だったでしょう。嫌だったでしょう。もう私は人を傷つけるような存在に成り下がった。いや、もうこの間からきっと本当はレオナ様の中で不愉快な存在だったに違いない。
「レオナ様。好きでもない相手と恋人になるはおやめになった方がよろしいです……そんなことしなくても貴方様ならきっと相応しい相手が現れます、どれだけ時間がかかっても出逢えます」
もしかしたら一生涯現れないかもしれない。けど、きっとこれからの人生の中で貴方にとって素晴らしい出会いはあるはずだ。
「無理しないでくださいませ」
言うと同時に身体が引かれる。そして、引かれるままに私の身体はレオナ様の腕の中に囲われた。
一等濃い香りに心が騒めく。これだけで騒めくのはまだ、レオナ様を好きな証し。仕方ない。だって、小さな頃から好きだったのだから。けど、もうやめなければいけない。
「悪かったな……」
撫でられる背中に優しさが滲んでいく。でも、この優しさを享受してはいけない。受け取るべき存在ではない。
そっとレオナ様の身体を押すとゆっくりと離れる。
「不敬なことを申しました。どんな処罰でも受けます」
もう一歩後ろに下がって頭を下げる。
「失礼します、レオナ様」
私はそのまま部屋を後にした。
* * *
ホリデー初日からあんなことがあったのにいまだに処罰は言い渡されることはなかった。寧ろ、レオナ様は何食わぬ顔で次の日も、その次の日も、私と昼も夜も食事を共にしている。
無言の食事が終わると散歩をするでもなく帰っていくレオナ様。その後ろ姿を見送ると私も一人になる。散歩のためにとってあった時間は自由時間になった。
今日もぼんやりと長椅子に座って何故レオナ様は律儀に来るのか考える。けど、いつもホリデー期間中だからとしか答えがでない
でも、初日早々に第二王子が許嫁と仲違いしたなど噂になっては周りが心配してしまう。ここでもし国王様たちが仲を取り持とうしたらと考えると頭が痛くなる。何よりも国王様の介入を嫌うレオナ様。きっと余計な介入をさせないように、何もなかったように過ごすのが一番と考えたのだろう。だから、変わらず私と共に食事をする。
「何も変わってないのよね……」
はぁ、と深い息をついて長椅子の背もたれに行儀悪くもれていると。
「ジェマ様! レオナ様から贈物が届きました!」
「ふぁい!」
元気よくとりわけ歳の若い侍女が大きな箱を持って現れた。さらに後ろから同じように頬を染めた侍女たちが箱を持って現れた。
「ジェマ様! ジェマ様! レオナ様から贈物です! 贈物ですよ!」
甲高い声をあげて騒ぐ侍女たち。その後ろから年長の侍女たちがこめかみに青筋を浮かべながら現れた。
「あなたたち! ジェマ様より先に騒いでどうするのです!」
「まったくはしたない! ほら、早く準備をしなさい!」
妙齢の侍女がキビキビと指示をしていく。さらに後ろで控えていた召使にも指示をテキパキと出していく。
どこか浮ついた空気の中、一人置いていかれていた私の前に現れたのはドレスだった。他にもドレスに合わせたハイヒールに、ネックレスに、ブレスレットが出された。
「これは、どうして……」
「どうして、とはジェマ様。お忘れですか? 明日の夜は今年最後の国王様主催のパーティーです」
「あっ!」
忘れていたという反応をもろにしてしまった。そういえば、母上たちがしきりに連絡をしてきていたことを思い出す。ドレスの件もほぼ侍女に投げ出していたので本当に覚えていなかった。
「覚えていないとは――このパーティーに向けてカリキュラムを組んでいた教育係様には言わないでくださいね」
「はい……」
呆れたという顔をする幼い頃から付いている侍女にされてしまった。これは反省して素直に返事するしかない。肩を縮こませていると侍女が瞳を輝かせ頬を染めてうっとりと「それにしても美しいですね」と零した。それに私も、誰も否定はしなかった。
「さ、ジェマ様、ジェマ様!」と呼ばれる。テンションの高い侍女の可愛らしさに頬を緩ませて立ち上がってドレスに近寄る。
ドレスの真ん前に立つ。レオナ様が送ってくださったドレスは星が散らばる夜空のように美しい黒いドレスだった。
「綺麗ね……」
「ふふ。そうですね。ジェマ様にとってもお似合いのドレスです」
「そう?」
侍女の言葉に曖昧に返事をする。テンションの高い侍女たちは気づいていないようだ。
「ジェマ様、さっそく試着してみましょう。直す必要があるならば早くしなければ」
「そうですね! けど、この時期ですからきっとジェマ様にピッタリなこと間違いなしですよ!」
若年の侍女の騒ぎにそれもそうかなと思う。けど、年長の侍女は眉を顰めて首を傾げた。
「そういえば、レオナ様付きの侍女や召使からサイズに関する連絡がなかったわね……」
一瞬にして沈黙する侍女たち。そして、一斉に私に視線が向けられた。真剣な剣幕に思わず身体が跳ねる。
「な、何かしら」
「ジェマ様。早急に試着を」
「徹夜して直すことになるかもしれません」
凄まじい剣幕の侍女に私は蚊の鳴く声で「はい」と答えたのだった。
結果。ドレスの直しは必要なかった。ピッタリなサイズに侍女の眼差しが痛かった。とくに年若い侍女たちの期待に満ちた眼差しが辛かった。
何もないのよ、と言いたかったけどやめた。侍女たちの想像に余計な刺激を与えかねない。私は沈黙を貫いて贈っていただいたドレスを纏ってパーティーに出席した。
このパーティーでは、許嫁ということでレオナ様の横に立って次から次へと来る来賓に挨拶することになった。レオナ様に対する挨拶は見下す者、明らかなゴマすりをする者とあまりよろしい印象がない。けれど、挨拶する者たちは代替わりがない限り代わり映えのない光景だった。
その中で私にも恭しく頭を下げる人間は実家と親交のある者、その実家と繋がりが欲しい者だろう。皆に平等に挨拶を返しているときだった。
「ジェマ!」
聞き覚えのある声に心の中が波立。しかも盛大なビックウェーブだ。笑みを張りつけたまま首だけ動かす。そこにはレオナ様にシェイクハンドしながらキラキラした眼差しを向けるトラの獣人属の男性がいた。
「やっぱり! 久々だな!」
「え、ええ。そうですね」
「ハハ、なんだよ。その他人行儀な話し方は、学生の頃みたいに話してくれよ!」
レオナ様から手を離した彼――ケニーは私の前に立って同じようにシェイクハンドを求めてきた。学生の頃の幼さが抜けて精悍さが増した顔で私に笑かける。
私は唇の端を引き攣らせながら手を差し伸べた。そして、大きな手に握られて大きく上下に動かされる。卒業して半年は経っているのにまだこういうところは治らないようだ。
「おい。ジェマ、誰だ」
「え、」
ずいっと近寄って来たレオナ様が訊ねてきた。今の挨拶で彼は名前を名乗ったはずだ。このお方が名簿を覚えないとも思えない。けれど、彼の親しげな様子で私と知り合いであることは露見してしまっている。ならば、するしかない。
「こちらのお方はケニー・マーティン様。夕焼けの草原からほど近いところに所領を持つマーティン家の御子息でございます」
「ふぅん。で、どんな関係なんだ?」
誰と、とは聞かないが私との関係だろう。学生の頃を思い出して苦々しい気持ちが込み上げる。それを何とか出さずに微笑んだまま答えようとしたが――。
「ジェマとは、私がロイヤルソードアカデミーの学生の頃からの友人なんです」
私が言う前にケニーが言ってしまった。ロイヤルソードアカデミーという単語にレオナ様の気配が僅かに揺れる。
「ロイヤルソードアカデミー……」
「はい。私も二年生の頃と、三年生の頃にマジフトの対校戦で出場したのですが覚えておられないようで」
苦笑を零すケニーにレオナ様は興味なさげに「まぁな」と返す。レオナ様の纏う空気がどこか冷え冷えとしていく。
この二人の相性は確実によくない。ケニーが来ることは名簿で知っていたがまさかここまで絡んで来るとは思わなかった。卒業して半年経つのだからもう少し大人な身のこなしを身に着けてほしかった。
「ジェマ。よかったら一曲踊ってくれないか?」
突然振られた会話に目を瞬かせる。ケニーを見れば学生時代によく見た顔をしている。その顔にさらに苦々しくなる。在学時、ケニーは会う度に告白してきた。私はレオナ様の許嫁であることもあってずっと断ってきた。卒業と同時にきっぱりと断ったのだが――まだこのような顔をするとは。
未婚の女性であればどのような男性にダンスに誘われても問題はない。それは王族の許嫁でも同じなのだが――彼とは踊りたくはなかった。もう期待を抱かせたくなかった。
でも断るにも理由がないので承諾するしかない。承諾しようと口を開きかけると身体が引っ張られた。
力強く抱かれた腰と同時に尻尾にも何か絡んできた。近くにある香りはいつもと違う香水の香りがした。でも、全く不愉快ではなかった。
「ジェマは俺のフィアンセだ。悪ぃが他のレディを誘ってくれ」
抱き寄せたのは顔をあげなくてもわかった。高鳴る心臓が嫌になる。
気にするのが嫌でケニーを窺えば呆けた顔をしてから泣きそう顔を一瞬だけ見せた。
「……そうですか。いやはや、私も許嫁殿に愛されているレディに手は出せません」
ケニーの瞳がこちらに向けられて僅かに目尻が下った。
「レヴィ嬢。迷惑おかけした。では、失礼いたします」
彼は頭を下げてマントを翻して去って行った。
「ったく、あそこの野郎どもはどいつもこいつもキザったらしいな」
耳の傍で聞こえた忌々しさを孕んだ声に顔をあげる。そして、ヒールのお蔭でより近くなった顔を見て礼を言うおとするが深緑の瞳が制した。
「行くぞ、ジェマ」
「え。レオナ様っ、あ、お待ちくださっ」
ようやくとばかりに前に進み出ようとした来賓を無視して歩き出す。腰を抱かれたままのつられるように足を動かす。というより、動かすしかなかった。
パーティー会場から抜け出し人気のない庭園までやって来る。いや、人気はあるといえばあるがこういうところのお約束のように僅かに愛の囁きが聞こえる。
気まずい気持ちになりながらようやく足を止めたレオナ様に声をかける。
「あの、レオナ様」
「なんだ」
「さっきはありがとうございました」
素っ気ない声に言い逃していた謝罪を言う。レオナ様は気にしていないのか「ん」とやはり素っ気ない。つまり、先ほどのあれはキングスカラー家の体面を気にして――いや、意外に気にしないようで気にしているようであまり気にしていないお方だ。
「で、あいつとは何かあったのか?」
「え」
腰を抱かれたままだから顔が近い。だけれど、端正な顔から何か表情を窺うことはできなかった。無表情に近い顔で問われて戸惑いながら答える。
「あのお方は、学生時代に何度か告白されただけです」
「告白だと? 付き合っていたのか?」
「まさか! レオナ様がいるのに恋人など作りません!」
ついでに「あと好みではないので」と本音をつけ足すとレオナ様の瞳が丸くなった。けど、次の瞬間には目尻を下げて口角をクッと上げて「そうか」と愉快気に囁いた。機嫌がよくなった。尻尾に絡みつくレオナ様の尻尾からも感じていると思い出したことがあった。
「あ、ですが、あの方とは一度タブロイド紙に載りかけたことがあるんですよ」
「あァ?」
機嫌がガクリと下がった。剣呑を孕んだ声に私は「大丈夫です」と前置きをする。
「レオナ様と同じで載る前に回収できましたので」
「……は?」
今度はまるで「俺の?」という感じの顔だ。どうやら国王様から何も連絡がいっていないようだ。いや、連絡があってもレオナ様のことだから半分以上聞いていないのかもしれない。何せ、そのタブロイド紙の件も二年も前のことであるし。
「マレウス様が入学された年のウィンターホリデーの期間中にパパラッチに遭遇していませんか?」
気まずそうに視線を斜めにしてグルルと唸るレオナ様。記憶を探っているようだ。でも、その年のことをレオナ様は一体どこまで覚えているか。
斜め上に向けていた視線が私に戻って気まずそうに「覚えてねぇ……」と言った。
「だと思いました。まぁ、事前に回収できたのでレオナ様がお気になさることはないかと」
「なんで載ってねぇのに知ってんだよ。つか、怒らねぇのかよ」
「侍女も召使たちも噂好きですから。それに怒るも何も……ライオンの獣人属の殿方ならこういうこともありうることです」
眉を顰めたレオナ様は不服といったようなご様子だ。でも、嫉妬から怒りをぶつける権利は今も、昔も私にはない。
「今もですが、わたくしたちは許嫁であって正式に婚約してはおりません。ついでに言えば恋人でもないのでわたくしが怒るのはお門違いかと」
なんともなかったという素振りを見せる。本当は嫉妬した。姿も知らない〝雌 〟が羨ましかった。雌 に見られてすごく羨ましかった。けど、すぐに意味がないのだと己を律した。無意味なことに感情を消費することが無駄なのは知っていたから。すぐに考えないようにした。
二人の間に沈黙の重苦しい空気がながれる。無言なのもそうだがこの体勢にそろそろ居たたまれなくなる。
「レオナ様。離してくださいませ」
ずっと抱かれる腰と、絡み合う尻尾に我慢の限界だった。
レオナ様は不満をありありと表しながら腕と尻尾を外してくれた。僅かに出来た距離にやっと落ち着く。その瞬間、煌めくドレスの裾が目に入った。私は顔を上げた。
「そういえば、レオナ様に贈物のお礼がまだでした。とても素敵なドレスたちをありがとうございます」
「気に入ったか」
珍しい返しにすぐに「はい、とっても」と返す。現に今まで着たドレスの中で一番美しく思えた。それにドレスに合わせてくれたアクセサリーも、靴もどれも素敵だった。
「気に入ったならいい。んじゃ、次は婚約指輪か?」
「え、あの、」
何気なく言うレオナ様に今度は私が戸惑う番だった。ホリデー初日のことは覚えていないのだろうか。
「レオナ様。あのお忘れではないかと思いますが」
「忘れてねぇよ……まぁ、なんだ。俺の話も聞けよ」
首を動かして辺りを見回すレオナ様。一点を見つめると歩き出す。私もその後を追うと庭園らしく長椅子が置かれていた。
その椅子に座ってレオナ様は長い足を組んだ。本当にそれだけで様になるお姿だ。見惚れつつも隣に座り身体を向ける。
レオナ様の視線が一瞬向けられるがすぐにその視線は夜空に向けられた。私もつられるように星空が輝く夜空を見上げる。きっと、見られるのは気恥ずかしいだろうから。
「まずはお前が勝手に物事を進めていることが気に喰わねぇってことは言っとく」
思わない方がおかしい。レオナ様の言葉を粛々と受け止めていると「はぁ」と溜息をつかれた。
「婚約解消の気持ちは変わらねぇか?」
「……はい」
「俺が〝好きだ〟と言っても伝わらないか」
真摯な声に嘘を言っているような響きはない。けれど、どうしても心に響かない。きっと、それは私に問題がある。
「そう、ですね。だって、どうしたってわたくし自身が貴方様の恋愛対象になっていると思えないので」
「なんでだ」
純粋な疑問のような響きがした。本当に純粋に疑問を抱いているのが伝わる。でも、ならば、私も、だ。
「好き、という態度や行動が窺えないのです」
ただの〝許嫁〟で、ただの〝幼馴染〟で、ただの〝友人〟というのが私の見解だ。友人でもなくただの家臣の娘かもしれない。
夜空に向けていた視線を下げる。手を膝の上で握るとツァボライトとダイヤモンドが輝くブレスレットが目に入る。その高価なブレスレットが私に過ぎたる物なのだと訴えているようだった。
「……そんなに、か?」
揺れる声に私は「え」と反射的にレオナ様を見れば同じようにこちらを見ていた。
私と同じ丸い耳を下げて、柳眉を下げたその顔は何だか困惑というか、何と言うか。可哀想なお姿なのに可愛らしく見えてしまった。申し訳ないのだけど。可愛らしいという感想を胸に秘めて「なんてお顔をしていらっしゃるんですか」と言う。
「どんな顔だよ」
「……なんでしょう。少々お待ちくださいませ」
レオナ様の顔に見覚えがあった。その姿を思い出そうと額に手を当てて記憶を掘り起こす。そうだ、と一瞬掠めた記憶に手を叩く。
「兄様が頑張って付き合う前の義姉様にアプローチしたときに一ミリも伝わってなかった、と落ち込んでいるときの顔です」
「まんまだよ」
「はぁあああ」と深い溜息をついて頭を乱暴にかき乱すレオナ様。そんなことしたらせっかく整えた髪型が崩れてしまう。時すでに遅く綺麗に編み込まれた髪がよれてしまった。
「そんなにわかりにくかったかぁ?」
「あ、えっと、まず、一ミリもそのような記憶がないのですが」
「マジかよ」
愕然としている人に真実を伝えるかとどうかと思うが今更だ。私は素直に、正直に、「はい」と返した。
正直な返事が効いたのかガクンと項垂れるレオナ様。そのお姿にかける言葉もない。だって、本当に私は何も感じなかったのだから。ここで言い繕たって意味もない。
「レオナ様。ごめんなさい」
「謝るんじゃねぇよ。余計に惨めだ」
「惨めですか」
「アプローチしていたつもりが相手に一ミリも伝わってねぇんだ。雄 として惨めだろ」
乱れた長い髪を掻き上げながら萎れるレオナ様もそれはそれで素敵だ。そう見えてしまうのだから私の目はまだ愛おしい人としてとらえてしまう。早くやめたい。
キラキラした輝きを振り払うように瞬きをしてから「いつからですか」と訊ねてみる。すると、レオナ様が「聞くのかよ」と苦み走った顔で言う。
「いいではありませんか最後に聞かせてくださいませ」
思い出話としていただきたいのです。本当に貴方様が私を〝雌 〟に見られていた思い出が欲しい。
「……なら言わねぇ。普通はここで好かれていたって喜ぶところじゃねぇのか」
「そうでしょうか?」
「まったくどうすればいいんだ」
不機嫌に唸り声をあげ尻尾で長椅子を叩くレオナ様。その姿はこの状況に苛立っているからなのだろう。でも、私がこの場を好転できるとは思えない。
さて、どうすればいいのかと指を弄っているとすぐ傍に気配がした。指から視線を上げると端正な顔がそこにあった。
「なぁ。ジェマ」
「っ」
レオナ様が距離を詰めてきた。後ろに下がろうとしたけれどすぐ後ろには肘置きがあって下れない。逃げ場がない。
間近にある瞳は暗闇ではっきりと見える輝きだった。その瞳に見られてまたドキドキする。やめて。もうやめてお願いだから。
「逃げるなよ」
「逃げてないです。違うんです」
「なんだ。それ、」
「んっ」
緑の瞳から逃げて顔を下げると耳元で低く囁かれた。その掠れた低い声もやめてと耳を伏せると耳のつけ根を擽られる。
「ぁ、やめて、」
ぞわぞわした感覚に目の前に迫る人の身体を押す。けれど、力の入らない腕では退かせることは叶わなかった。
ここで無理矢理にでもどかせばよかった。
レオナ様は私に力が入らないとわかったとたん腕が身体に巻きついていく。耳を弄っていた手はいつの間にか頭、首、背中を滑り尻尾のつけ根まで移動してしまった。
つけ根部分を触れられ尻尾の根元を弄られる。ゾワッと今までにない感覚がせり上がり、ビッと尻尾が突っ張って情けなく揺れる。けど、レオナ様にはその反応が面白かったのかしつこく同じことをしてくる。
「やぁ、ぅん、ぅふっ」
鼻にかかる自分らしくない声。慌てて口を押えるけれど手の隙間からやっぱり声は漏れてしまう。はしたない声をかみ殺すけれどさせまいとレオナ様が首筋に噛みついてくる。甘噛みだから痛くはないが尖った犬歯が肌に優しく立てられそこから波が生まれてさらに頭の中をかき乱す。
「ぁっ、んっふぁっ、や、れおっ、あッ」
攻める手つきに身体のそこら中が熱くなる。手で押さえても声は抑えられない。ならと身体が勝手に相手に縋ってしまった。
強く抱き着くと「フッ」と笑う声がしたと思えば肌を吸われると同時に尻尾の根元を擦られた。
「あッァ!」
身体が大きく震えた。一瞬だけ力の入った身体が緩々と抜けていく。その身体をレオナ様が片腕抱き留める。
痺れる頭ですごいと単純な感想を浮かべていると顎を掴まれて無理矢理動かされた。動かされた場所には勿論レオン様の顔があった。
「なぁ、ジェマ」
なんですか、と何とか返事をしようとしたけれどその前に唇が塞がれた。
「ンぅ」
保健室でした触れるだけのキスではなく唇と唇が深く重なるキス。先ほどの名残のある身体では抵抗なんてできやしない。寧ろ名残の熱を上げる様なキスに抗えるわけがないし、抗える経験値を持っていなかった。
「ぁ、まっ、ぇ」
何度目かの角度が変わる瞬間顔を無理矢理逸らし痺れる舌を動かす。だが、それもすぐに顔を戻され唇が重なろうとしたとき舌を必死に動かして「まって」と言う。
「……なんだ」
私の情けない願いに律儀にキスをやめてくれたレオナ様。ありがたくやめてほしい訴える。
熱を孕んだ鮮やかな緑の瞳が一瞬隠れて現れた。現れたときに熱は僅かに失せ離れていった。同時に吐息の交じる距離にあった唇も離れていった。
訴えは届いたようだ。離れていくレオナ様の身体から腕を離す。背もたれに身体を預けたまま胸に手を置いて乱れた息を整える。
暫くして整うと背もたれから身体を離して何とか姿勢を整えながら「なにするんですか」と問いかける。
襟もとをくつろげながらレオナ様は「一ミリも伝わんねぇから強硬手段だ」と言ってのけた。
「ば、ばかですか、最低ですよ」
あまりにも悪びれる様子のないレオナ様に思わず罵倒が出た。いや、私は間違っていない。本当に好きだからといってすぐに手を出す方が間違っている。
私の罵倒を受けたレオナ様は眉を顰めて目頭の下に皺を作って「あァ」と柄の悪い声を出す。けど、私は負けじと訴える。
「好きだからといって手をすぐ出しますか。いいですか、物事には順序があるんです。順序が」
「その順序を取らせてくれねぇんだろうが。まぁ、でもそうだな。悪かった」
「ほんとに思ってます?」
じぃっと瞳を覗き込むもちっともその気配が感じない。この行為が間違ってないと言っているようだ。
「私でなければ訴えられますよ……いえ、私だって訴えます。出るとこ出ますよ」
目を細めてレオナ様に向かって唸り声を上げながら言う。けれど、当の本人はしれっとした顔で「無理矢理じゃねぇだろ」と言うのだ。
「同意は取っていません」
流石に見過ごせないと睨むように美しい瞳を覗き込む。
じっと見つめ合うこと暫く。目を伏せたレオナ様が音を上げる。
「悪かった。承諾なしで悪かったよ」
言い方が軽く聞こえる。しょうがないといった様子が謝罪感を消している。けど、これ以上はもう無理だろう。
「誠意が見えませんがもういいです……こういうことをするなら恋人や夫婦になってからです。誰でも知っていることですよ」
何とか平素を装って話を終えられた。先ほどのことはもう金輪際思い出したくない。今も僅かに燻る熱の処理をどうしようか、と色々頭がパンクしそうなのに。
でも、レオナ様はこれで終わりにしてくれなかった。
「んじゃあ、恋人になってくれんのか?」
「……今みたいな戯れがしたいなら他所の女性にお頼みください」
「ちげぇ、誰でもよくねぇ。お前としたい。つか、それは二の次だ。言っただろ強硬手段だって。だから、逃げるな」
「っ、先ほども言いましたけれど逃げてないです」
そもそも一体何から逃げているというのだ。私は何からも逃げていない。
「逃げてねぇっていうならちゃんと俺の言葉を受け入れろ。それを踏まえてちゃんと俺を振ればいいだろ」
「…………振る?」
振るとはいったい何を振るのだろうか。言葉の意味を噛み砕くのに頭がようやく動き出すがその前にレオナ様が小さく息をついて言う。
「俺を、だ。お前が俺の言葉を信じる信じない以前に一度とりあえず受け入れろ。それで振ればいいだろ。最初から跳ねつけられちゃ俺だって納得できねぇんだよ」
「でも、レオナ様だって」
思わず食らいついてしまえば「俺はちゃんと受け入れた末に言っただろ」と先制されてしまった。それはそうとも言える。
「ジェマ。頼む」
懇願にも似た言葉に殴りつけられた気分だった。忘れていた。この方は離れていく人間を引き留めることはないのだ。幼い頃から人が離れることが常だったお方だ。引き留めるということもしたことがない。そんなお方がこの私を引き留めている。つまり、それは、今までのレオナ様のお言葉が嘘ではなく――。
「おい。大丈夫か?」
「ぇ?」
ぐわわっと回転していた思考を止めて現実に戻る。視界に映ったレオナ様は眉を八の字に下げて困惑と心配の入り混じった顔をしている。
その顔を見て急激に身体の熱が上がった。そして、譫言のように「れ、レオナ様はわたくしのことが好きなんですか?」と訊ねてしまった。
心配顔を一転、歪めて眉を顰めるレオナ様は「さっきから言ってんだろ」と返した。そうだ。もう何回も言っている。
「そうですか。いえ、その、あの……今やっと理解したといいますか受け入れましたので」
「……お前の思考回路はわからん」
剣呑とした色を消して呆れたといった態度のレオナ様。肘を膝について目を据わらせて尻尾をゆらゆら揺らす。
「で、わかったところでどうすんだ」
もちろん、答えは〝OK〟だよなという雰囲気。そして、理解した私がここで〝NO〟と言えない。だって、まだレオナ様が好きだから。諦めようとしている最中でのこの段階だったのだから。
「ジェマ」
おら、言えよ、というように呼ばれる名前。今度は私が観念する番だった。
「はい……このような頭の固い私でよければ」
ここまで身勝手に暴走していた女を恋人にしようなんてレオナ様も物好きだ。でも、お互い若い。このままゴールインもないかもしれない。許嫁だけれど。
「俺はお前でいいとずっと前から思っていたんだ。今回の暴走も別に今に始まったことじゃねぇだろ」
「そうですか?」
「無自覚かよ。あ~いい、もう考えんな」
手をブンブン振るレオナ様に記憶を掘り越すことはやめた。でも、ならば本当にレオナ様は物好きだ。
「それはお前もだからな」
「え」と頭の中を読まれた。ふぅと息をついて目を伏せるレオナ様の姿に惚れ惚れしてしまう。
「嫌われ者の王子の俺をずっと好きとか物好き以外ねぇだろ」
その後、レオナ様は「証拠ならあるからな」と続ける。ひとつ、周りが心底嫌ったユニーク魔法をすごいと称したところ、と言う。私はそれにすかさず反論する。
「いいえ。ほんとうに素晴らしいです。万物をあらゆるものを〝砂〟にしてしまうんですよ。ユニーク魔法とはいえすごい力です」
にっと口角を上げるレオナ様は満足げに「そうか」と言ってもうひとつと続ける。
第二王子だから勉強など無駄だと言いながら意地になって勉強を続ける俺を馬鹿にしなかった。周りとは逆ですごいと褒めて一緒になって勉強したこと。
「それのどこが? おかしなことなどひとつとしてありません。勉学に身分など関係ない……というのはこの国では残念ながら言えません」
階級社会の色が強く残る夕焼けの草原。勉学に励むことが難しい環境にいる子どもも、大人もいる。
「レオナ様は勉学にのめり込める環境があったのですから励む権利があったのです。それを放棄する方が愚かなことです」
何も間違っていないと断言できる。それに「わたくしも貴方様との勉強がとても楽しかったです」幼い頃に一緒になって勉強したことは私の大切な思い出で礎だ。
そのお蔭もあって魔法士養成学校を主席卒業できるまでになったのだ。他にもレオナ様に追いつきたくて必死に勉強してきたことは今の私の糧になっている。
「それが物好きだって言うんだ」
顔をくしゃっとさせるレオナ様に今度は私の方が眉を顰める。
「納得できません……わたくしより物好きなのはレオナ様ですよ。やっぱり」
「そうか? 俺は俺のことを自分以上に大切してくれる女を好きになっただけだ」
違わねぇだろ、と得意げな顔で言われる。その女というのが私のことだと言うのか。自覚すると気恥ずかしくなる。レオナ様から見て私の行動がそう映っていたなら――少しだけ嬉しいと思ってしまった。けど、そのすべての行動は私の勝手なのだ。
「わたくしは身勝手に動いていただけです。最終的に自分のために」
「構わねぇよ。人間は結局皆そうなんだよ。俺だってそうだ」
だから人間は好き勝手ほざくのだ、と言う人の横顔は凛々しく美しかった。諦観している様子もない。けれど、この変わらぬ世界で生きようと決めた人は痛々しくもここまで美しくなるとは思わなかった。
「で、ジェマ」
身を乗り出したレオナ様から今度は逃げなかった。真正面から向き合う。膝がつくほどの距離は改めて気恥ずかしい。
「触るからな。よし、言ったからな」
「は、はい」
返事に言質取ったと目がしなる。そのしなる瞳に受けて立つと覗き込むと膝に乗せていた手を取られた。ゆっくりと上がる手に視線を向ける。
大きな手に包まれた私の手。その手は一体どこに行くのかと見つめ続けると――。目を伏せたレオナ様の唇が恭しく取られた手の指先に触れた。
「ぁ」
触れた柔らかな感触に指が僅かに動く。すると、自ら指を唇に押し付ける形になってしまった。失礼を、と手を引くけれど二回り以上大きな手に引き留められてしまう。
伏せていた深緑の瞳が再び現れた。上目遣いでにぃっと目を細めるレオナ様に心臓が高鳴る。意地の悪い瞳に胸がときめくなんて嫌だなと思うし、見透かされていると思うと顔から火が吹き出すほど恥ずかしい。
顔を上げたレオナ様が意地の悪い顔のまま形の美しい唇を開く。
「続きは勿論OKだろ?」
私も結局軽い雌 なんだなと思わされた瞬間だった。
2021.02.06 一部文章修正
夜。寝る支度も終えて侍女と召使を下げた部屋に私しかいない貴重な一人の時間。その時間に羽を伸ばしたいけれど今は出来ない。
鏡台の鏡に映る自分は髪を降ろし化粧も落としたネグリジェ姿。じっと見つめたからといって何か起きるような魔法の鏡ではない。目の前にある鏡はただのアンティークの鏡だ。
「はぁ~~~~」
その鏡に向かって深い、深い、溜息をつく。一日溜まった溜息は中々に深い。でも、日中合間に溜息をつき続けると侍女も召使も心配してしまうし、実際彼女たちに心配をかけてしまった。だから、こうして日中溜まり続けた溜息をこの一人の時間で吐き出すのだがこれまた長いし何回も溜息をついてしまう。
両手で顔を覆いながらまた息を吐き出す。
「はぁあ~~。これもレオナ様のせいよ……」
保健室でのあのお方が言ったことを思い出し、つられて唇に押しつけられた感触も蘇り顔が熱くなる。キスひとつで赤くなるなんて経験値不足の現れだ。いや、許嫁がいる身としては他の男性と恋人の関係になるわけにはいかない。こういうとき、男性の方は許嫁以外にも関係を持っても文句を言われないのは狡い。男性も同じくらい誠実であれよと望むのはいけない話だろうか。
「はぁ」
熱くなる頬から両手を外して傍にある手で扇ぐ。涼しい風に僅かに熱が引いていく。その間に投げかけられた言葉の意味を考えるとひとつだけ思い当たることがあった。けれど、その意味はどう考えたって――。
「……無理じゃないかしら?」
レオナ様が言うところの関係はつまり〝恋人〟ということだと思う。だけど、どうだろう。あのお方と私が恋人になれるだろうか。いや、どうしてなれるとあのお方は考えたのだろうか。幼い頃から許嫁ではなく幼馴染の友人同士と言っても差し支えない関係だった。それにしてもレオナ様は私のことを恋愛対象として見ていなかったはずだ。自分の記憶を思い返してもそういう反応の心当たりがない。
「何を考えていらっしゃるのかしら?」
虫除けにするつもりはないとおしゃっていた。結婚し私を伴侶として迎えるということなのだろうか。それともただの〝パートナー〟として認めてくださったのだろうか。
「パートナー……」
信頼関係で結ばれる男女の関係もあるのは知っているし理解している。恋愛だけがすべてではない。〝愛〟とは様々な形があるのは知っている。だから、レオナ様と私の関係がそういう形で納まっても問題はない。けど、敢えて問題があるとすれば私の〝心〟だ。
「なにこの顔」
眉を下げた愁いを含んだ顔の私。心がここまで露わになるなんて武家として誉高いレヴィ家の娘として妃教育を受ける娘として恋情を優先するなんて未熟な証しだ。鏡に映る私はなんて情けない姿だろう。
「もっと頑張らないと……はぁ。でも、もうすぐホリデーよ」
この前、連絡をくれたレオナ様は言った通りに今年のウィンターホリデーは帰省するとのこと。その報告は兄君であられる国王様にもしたようで、チェカ様はどんな遊びをするかそれは楽しみにしている。どうやらその話を私だけではなくご両親である国王様や王妃様にもお話している様子。
この間、妃教育の一貫である王妃様との茶会で少し疲れた様子でお話していたらした。けど、私もきっと心持ちはチェカ様と変わらない。ここ二年間レオナ様はサマーホリデー以外に帰省しなかったのだから。そう。心の底から嬉しいのだけれどこの間の件で複雑な心境だ。
「答えがわからない」
考え続けてもレオナ様の考えなんてわかりっこない。レオナ様の考えがわかるのはきっと私ではなくて――浮かんだ顔に頭を振って追いやる。
「一体、あのお方は私に何を求めているのか」
私の中にいるレオナ様だけの言葉では到底答えなど見いだせない。
「はぁ。このウィンターホリデーで見つかるのかしら……いいえ、見つけないといけない」
情けなく下がっていた眉を上げる。真っ直ぐと鏡に映る私を見据える。
「いい機会だと言ったでしょ。なら、白黒はっきりつけましょう」
まずはレオナ様と話す機会を得ることから始めましょう。
まっすぐ、まっすぐ、鏡に映る自分を見据えた。
* * *
ウィンターホリデーを迎えレオナ様が帰省された。
国王様と王妃様に呼ばれ私も玉座の間にて出迎えた。当のレオナ様は荷物ひとつない状態で帰省されたが、ホリデー期間の宿題はどうされたのだろう。もう一年留年するつもりなのだろうか。
愁いつながらチェカ様を鬱陶しげにしているあの方を微笑ましく見る。レオナ様は何だかんだチェカ様を無理矢理剥がさない。本人はどう考えているかわからないけれど。そんな気持ちで見ていると鮮やかな緑の瞳が人の合間を縫って向けられた。
射抜く様な瞳の力に心臓が高鳴りながらも小さく頭を下げた。そして、顔を上げたときにはもうその瞳は逸れていた。どこに向かったのかと見て心臓がジクジク痛みだす。
レオナ様の視線の先にはライオンの獣人属にしては小柄なお方。そのお方はチェカ様の母君であり我が国の母、王妃様であり――レオナ様の初恋のお相手。容貌も愛らしさを孕んだ美しい人でとても優しく国の母である王妃にふさわしい女性だ。私もそのような女性になりたいと尊敬する人の一人だ。
きっと王妃様のようなお方であればレオナ様と拗れないのだろう。きっと最初から仲睦まじい許嫁同士になっていたはずだ。
レオナ様と真正面から向き合うと決めたのに自信がなくなっていく。本当に私はあのお方と向き合って求める関係に辿り着けるのだろうか。
ぼんやりと家族の団らんの様子を見ていると――。
「ジェマ」
かけられた声に顔をあげると国王ファレナ様が立っていた。私は慌てて頭を下げる。
「陛下。気づかずに申し訳ありません」
「いい、いい気にするな。それより、私たちは〝家族〟になるのだから堅苦しくなるな」
「それはありがとうございます。ですが、わたくしはまだ王家に嫁いではおりませんので」
嫁げるかもわからない身の上だとまでは言わない。でも、まだそちら側ではないことはしっかりと告げる。陛下は気を悪くすることなく「本当に君はお父上に似ているな」と笑いを含んで言われた。
父ほど生真面目なつもりはないが、とは流石に言い返さない。飲み込んだ言葉の代わりに「さようでございますか」と答えれば「それが似ている」とまた笑われてしまった。これにはどう反応していいか困っていると「そうだ」と国王様が話しを変えた。
「昼食を皆で一緒に食べよう」
「え」
思ってもいない誘いに戸惑うけれど誘われて断れる立場ではない。
「……お誘いありがとうございます。では、参加させていただきます」
「ああ。待っている」
チェカ様と似た笑い方につられて微笑む。和やかな空気が国王様との間に流れていると「ジェマ」と剣を含んだ声に呼ばれた。
陛下の後ろからレオナ様が柳眉を寄せ制服がよれた状態で現れた。どうやら普段以上にテンションの高いチェカ様に絡まれて機嫌が悪くなってしまったようだ。苦笑しながら傍に寄ってお帰りの挨拶をする。
「レオナ様。おかえりなさいませ」
「ん」
ひとつ頷くと国王様が「愛想がないな」とからかいの言葉をかける。それにさらに眉間を深くさせ喉を低く鳴らした。
「うるせぇな。おい。ジェマ、行くぞ」
「え、ですが、」
呼ぶレオナ様に私は国王様を見る。国王様は私の視線を受けてレオナ様に昼食の話をするが――。
「却下だ。昼飯はジェマと二人で食べる。晩飯もだ」
ホリデー期間中ずっと、とつけ足すレオナ様に血の気が引く。何故、私だけなのだ。帰省してそうそう自由過ぎる。いや、自由でいてほしいけれどこれはさすがに国王様が許すはずがない。
「二人きりで、か……うん、そうか。わかった。ただし、学園に戻る前に一度ジェマも含めて私たちと食事をするように。チェカも王妃もお前の帰省を楽しみにしていたのだから」
「気が向いたらな」
はん、と鼻を鳴らして顔を背けたレオナ様は視線だけ私に向けて「行くぞ」と言う。これに流石に国王様を窺うことなく「わかりました」と返した。
返事を聞いたレオナ様は背を向けて歩き出す。私は国王様に頭を下げてすぐにその後に続いた。
今日は帰省したばかりで疲れているだろうから。明日、例の話を切り出そうとしたけれど――。
「で、わかったのか?」
昼食を終えてお互い魔法士養成学校に入る前まで日課だった散歩をしている最中だった。散歩の最中に寮対抗マジフト大会の後を聞いて何故親友からクレームのメッセージが届いたのか納得していたときだった。
世間話に紛れるような聞き方に反応が遅れてしまった。それにレオナ様が眉を顰めて「なんだまだか」と言う。我に返ってかぶりを振った。
「あ、いえ、その、輪郭は見えているのですが、中身が、その、まだ……」
「ふぅん」
しどろもどろの答えにレオナ様は寄せていた眉を解いて興味深そうにのぞき込んできた。僅かに近くなる顔に少しだけのけ反る。
「別に取って喰わねぇよ……まぁ、お前の話を聞いてやらんでもないな」
目を細めて口角を上げ鋭い犬歯を覗かせる。不遜で尊大な表情だがとてもレオナ様らしい表情に少しほっとする。ここで私の知らない顔を見たらきっと冷静でいられないし、答えなんてとうてい見いだせなかっただろう。だから、いつも通り私の知っているレオナ様の表情が見られてよかった。
「俺の部屋に行くぞ」
え゛と思わず濁った声が出てしまった。けれど、レオナ様は気にしていない様子で私の手を掴んでズンズン歩き出す。慌ててスカートの裾を掴んで足を動かす。
あっという間に散歩コースからレオナ様の部屋に続く道へと変わっていく。
部屋に続く道の光景に人が減っていく。いくら部屋の主が殆どの時間を寮で生活しているとはいえなんて素っ気ない。せめて、この期間だけはもう少し人の気配がほしい。けれど、その中にどれくらいこのお方の味方がいるだろうか。なら余計な人はいらないのかもしれないし、煩わしいだけだろう。
「おい、ジェマ」
「っ、はい。レオナ様」
顔を上げるけれどレオナ様は前を向いたままだった。なんだろう、と次の言葉を待つ。
「余計なことは気にするな」
言葉を発する声に力はなかったけれど〝言葉〟には力があった。私は「はい」と返事をして〝無駄〟なことを考えることをやめた。
部屋に入ると流石に埃っぽいことはなかった。けど、レオナ様の匂いも薄くここが本当に自室かと思うと何だか不思議だった。
「こっちに来い」
手招きされるままラタンタイプの長椅子に座るレオナ様の横に座る。
レオナ様に向けて身体を斜めにする。準備が出来たところで「話してみろ」と背にもたれかかりながら訊ねられた。
膝の上に乗せた手を握りしめながら曖昧な形の考えを言葉にする。
「まずは、その、レオナ様がおっしゃった〝そういう関係〟というのは〝恋人〟でよいでしょうか?」
窺うように見れば緑の瞳を隠すように瞼を伏せて上げた。私の考えはひとまず〝是〟であった。だが、やはりその答えに納得できない。どう次の言葉を紡ごうかと考えていると――。
「お前は本当に考える性格だな。はい、そうですって納得できねぇのか」
「できません」
レオナ様に口答えするように即答してしまった。流石に失礼だと思いすぐに「申し訳ありません」と謝罪を口にする。レオナ様は気にした様子を見せず鼻を鳴らして「んじゃ、何が納得できねぇんだ」と問いかける。
わざわざ言ってくれるのだ。その優しさに甘えていいのだろうか。いや、甘えなければきっと今後このお方の心内などわからない。
真っ直ぐに見据えて――。
「わたくしを恋愛対象として見ているということですか?」
「……そうなるだろう」
僅かな間と僅かに逸れる視線が気に障る。駄目だ。そういう些細なところが駄目なのだ。目の前のお方は私に恋愛感情など抱いていない。
初めてかも知れない。この方に腹が立ったのは。
「レオナ様。わたくしを馬鹿にしているのですか」
怒りを孕んで睨みつける。その私の視線を受けてレオナ様の目が見開いた。背もたれに預けていた身体を起して「どうした」と聞いてくる。
「どうした、ですか……わかりませんか。わたくし、怒っているのです」
顔を背けて立ち上がって部屋を出ていこうとする。すると、すぐに大きな手が私の手首を掴んだ。引き留める手さえ嫌で振り払うとあっさり離れた。ほら、あっさりと離せるほどの存在なのだ〝私〟なんて。
「何、怒ってんだ」
「……レオナ様に対して、いえ、違います。一番はわたくし自身に対して」
僅かに抱いてしまっていた愚かな期待。けど、期待はあっさりと粉砕されて粉塵となって消えた。今更、キスされたくらいで何を期待しているのか。馬鹿みたい。泣きたくなるほど馬鹿な自分が嫌になる。
ふぅと息をついて背筋を伸ばして振り返り鮮やかな緑の瞳を見据えて口を開く。
「馬鹿な女であれたならよかったのに」
おめでたい頭のつくりであればどれほどよかったことか。それならここまで悩むこともなかっただろう。それに馬鹿な女であればレオナ様は早々に切り捨てくれていたはずだ。
「……貴方様が卒業するまでは虫除けにでも何でもなります。ですから婚約は解消いたしましょう」
一拍置いて以前保健室で言った同じことを告げる。まどろっこしいことをするから拗れていくのだ。はっきり白黒つけると決めたなら下手な言葉遊ぶなんてやめた方がいい。
「……なんで、お前は勝手に決めていくんだ」
不愉快だという意味を込めた声だった。確かにこの間のときから自分勝手にレオナ様の心の中を決めている。けど、けど、と唇を一度噛む。本当は言うべきではない。言うべきではないけれど、我慢が出来なくなってしまった。
「だって、何も、わからないからっ、ずっとわからないんです!」
「貴方のことが、」ついに溢れてしまった。でも、嘘偽りない本音だ。ずっと、ずっと考えていた。目の前のお方の傍らに立ちながら頭の片隅に蔓延っていた私の本音。
一度溢れた本音は留まることを知らない。
「ずっと、貴方様が好きだったから、だから、だからっ、簡単に信じられない」
ああ、傷つけた。今言い放った言葉はきっと目の前のお方の柔らかい部分を傷つけるという確信があった。
現に目の前のレオナ様の眉が動いて、目の下に皺が出来る。不愉快だったでしょう。嫌だったでしょう。もう私は人を傷つけるような存在に成り下がった。いや、もうこの間からきっと本当はレオナ様の中で不愉快な存在だったに違いない。
「レオナ様。好きでもない相手と恋人になるはおやめになった方がよろしいです……そんなことしなくても貴方様ならきっと相応しい相手が現れます、どれだけ時間がかかっても出逢えます」
もしかしたら一生涯現れないかもしれない。けど、きっとこれからの人生の中で貴方にとって素晴らしい出会いはあるはずだ。
「無理しないでくださいませ」
言うと同時に身体が引かれる。そして、引かれるままに私の身体はレオナ様の腕の中に囲われた。
一等濃い香りに心が騒めく。これだけで騒めくのはまだ、レオナ様を好きな証し。仕方ない。だって、小さな頃から好きだったのだから。けど、もうやめなければいけない。
「悪かったな……」
撫でられる背中に優しさが滲んでいく。でも、この優しさを享受してはいけない。受け取るべき存在ではない。
そっとレオナ様の身体を押すとゆっくりと離れる。
「不敬なことを申しました。どんな処罰でも受けます」
もう一歩後ろに下がって頭を下げる。
「失礼します、レオナ様」
私はそのまま部屋を後にした。
* * *
ホリデー初日からあんなことがあったのにいまだに処罰は言い渡されることはなかった。寧ろ、レオナ様は何食わぬ顔で次の日も、その次の日も、私と昼も夜も食事を共にしている。
無言の食事が終わると散歩をするでもなく帰っていくレオナ様。その後ろ姿を見送ると私も一人になる。散歩のためにとってあった時間は自由時間になった。
今日もぼんやりと長椅子に座って何故レオナ様は律儀に来るのか考える。けど、いつもホリデー期間中だからとしか答えがでない
でも、初日早々に第二王子が許嫁と仲違いしたなど噂になっては周りが心配してしまう。ここでもし国王様たちが仲を取り持とうしたらと考えると頭が痛くなる。何よりも国王様の介入を嫌うレオナ様。きっと余計な介入をさせないように、何もなかったように過ごすのが一番と考えたのだろう。だから、変わらず私と共に食事をする。
「何も変わってないのよね……」
はぁ、と深い息をついて長椅子の背もたれに行儀悪くもれていると。
「ジェマ様! レオナ様から贈物が届きました!」
「ふぁい!」
元気よくとりわけ歳の若い侍女が大きな箱を持って現れた。さらに後ろから同じように頬を染めた侍女たちが箱を持って現れた。
「ジェマ様! ジェマ様! レオナ様から贈物です! 贈物ですよ!」
甲高い声をあげて騒ぐ侍女たち。その後ろから年長の侍女たちがこめかみに青筋を浮かべながら現れた。
「あなたたち! ジェマ様より先に騒いでどうするのです!」
「まったくはしたない! ほら、早く準備をしなさい!」
妙齢の侍女がキビキビと指示をしていく。さらに後ろで控えていた召使にも指示をテキパキと出していく。
どこか浮ついた空気の中、一人置いていかれていた私の前に現れたのはドレスだった。他にもドレスに合わせたハイヒールに、ネックレスに、ブレスレットが出された。
「これは、どうして……」
「どうして、とはジェマ様。お忘れですか? 明日の夜は今年最後の国王様主催のパーティーです」
「あっ!」
忘れていたという反応をもろにしてしまった。そういえば、母上たちがしきりに連絡をしてきていたことを思い出す。ドレスの件もほぼ侍女に投げ出していたので本当に覚えていなかった。
「覚えていないとは――このパーティーに向けてカリキュラムを組んでいた教育係様には言わないでくださいね」
「はい……」
呆れたという顔をする幼い頃から付いている侍女にされてしまった。これは反省して素直に返事するしかない。肩を縮こませていると侍女が瞳を輝かせ頬を染めてうっとりと「それにしても美しいですね」と零した。それに私も、誰も否定はしなかった。
「さ、ジェマ様、ジェマ様!」と呼ばれる。テンションの高い侍女の可愛らしさに頬を緩ませて立ち上がってドレスに近寄る。
ドレスの真ん前に立つ。レオナ様が送ってくださったドレスは星が散らばる夜空のように美しい黒いドレスだった。
「綺麗ね……」
「ふふ。そうですね。ジェマ様にとってもお似合いのドレスです」
「そう?」
侍女の言葉に曖昧に返事をする。テンションの高い侍女たちは気づいていないようだ。
「ジェマ様、さっそく試着してみましょう。直す必要があるならば早くしなければ」
「そうですね! けど、この時期ですからきっとジェマ様にピッタリなこと間違いなしですよ!」
若年の侍女の騒ぎにそれもそうかなと思う。けど、年長の侍女は眉を顰めて首を傾げた。
「そういえば、レオナ様付きの侍女や召使からサイズに関する連絡がなかったわね……」
一瞬にして沈黙する侍女たち。そして、一斉に私に視線が向けられた。真剣な剣幕に思わず身体が跳ねる。
「な、何かしら」
「ジェマ様。早急に試着を」
「徹夜して直すことになるかもしれません」
凄まじい剣幕の侍女に私は蚊の鳴く声で「はい」と答えたのだった。
結果。ドレスの直しは必要なかった。ピッタリなサイズに侍女の眼差しが痛かった。とくに年若い侍女たちの期待に満ちた眼差しが辛かった。
何もないのよ、と言いたかったけどやめた。侍女たちの想像に余計な刺激を与えかねない。私は沈黙を貫いて贈っていただいたドレスを纏ってパーティーに出席した。
このパーティーでは、許嫁ということでレオナ様の横に立って次から次へと来る来賓に挨拶することになった。レオナ様に対する挨拶は見下す者、明らかなゴマすりをする者とあまりよろしい印象がない。けれど、挨拶する者たちは代替わりがない限り代わり映えのない光景だった。
その中で私にも恭しく頭を下げる人間は実家と親交のある者、その実家と繋がりが欲しい者だろう。皆に平等に挨拶を返しているときだった。
「ジェマ!」
聞き覚えのある声に心の中が波立。しかも盛大なビックウェーブだ。笑みを張りつけたまま首だけ動かす。そこにはレオナ様にシェイクハンドしながらキラキラした眼差しを向けるトラの獣人属の男性がいた。
「やっぱり! 久々だな!」
「え、ええ。そうですね」
「ハハ、なんだよ。その他人行儀な話し方は、学生の頃みたいに話してくれよ!」
レオナ様から手を離した彼――ケニーは私の前に立って同じようにシェイクハンドを求めてきた。学生の頃の幼さが抜けて精悍さが増した顔で私に笑かける。
私は唇の端を引き攣らせながら手を差し伸べた。そして、大きな手に握られて大きく上下に動かされる。卒業して半年は経っているのにまだこういうところは治らないようだ。
「おい。ジェマ、誰だ」
「え、」
ずいっと近寄って来たレオナ様が訊ねてきた。今の挨拶で彼は名前を名乗ったはずだ。このお方が名簿を覚えないとも思えない。けれど、彼の親しげな様子で私と知り合いであることは露見してしまっている。ならば、するしかない。
「こちらのお方はケニー・マーティン様。夕焼けの草原からほど近いところに所領を持つマーティン家の御子息でございます」
「ふぅん。で、どんな関係なんだ?」
誰と、とは聞かないが私との関係だろう。学生の頃を思い出して苦々しい気持ちが込み上げる。それを何とか出さずに微笑んだまま答えようとしたが――。
「ジェマとは、私がロイヤルソードアカデミーの学生の頃からの友人なんです」
私が言う前にケニーが言ってしまった。ロイヤルソードアカデミーという単語にレオナ様の気配が僅かに揺れる。
「ロイヤルソードアカデミー……」
「はい。私も二年生の頃と、三年生の頃にマジフトの対校戦で出場したのですが覚えておられないようで」
苦笑を零すケニーにレオナ様は興味なさげに「まぁな」と返す。レオナ様の纏う空気がどこか冷え冷えとしていく。
この二人の相性は確実によくない。ケニーが来ることは名簿で知っていたがまさかここまで絡んで来るとは思わなかった。卒業して半年経つのだからもう少し大人な身のこなしを身に着けてほしかった。
「ジェマ。よかったら一曲踊ってくれないか?」
突然振られた会話に目を瞬かせる。ケニーを見れば学生時代によく見た顔をしている。その顔にさらに苦々しくなる。在学時、ケニーは会う度に告白してきた。私はレオナ様の許嫁であることもあってずっと断ってきた。卒業と同時にきっぱりと断ったのだが――まだこのような顔をするとは。
未婚の女性であればどのような男性にダンスに誘われても問題はない。それは王族の許嫁でも同じなのだが――彼とは踊りたくはなかった。もう期待を抱かせたくなかった。
でも断るにも理由がないので承諾するしかない。承諾しようと口を開きかけると身体が引っ張られた。
力強く抱かれた腰と同時に尻尾にも何か絡んできた。近くにある香りはいつもと違う香水の香りがした。でも、全く不愉快ではなかった。
「ジェマは俺のフィアンセだ。悪ぃが他のレディを誘ってくれ」
抱き寄せたのは顔をあげなくてもわかった。高鳴る心臓が嫌になる。
気にするのが嫌でケニーを窺えば呆けた顔をしてから泣きそう顔を一瞬だけ見せた。
「……そうですか。いやはや、私も許嫁殿に愛されているレディに手は出せません」
ケニーの瞳がこちらに向けられて僅かに目尻が下った。
「レヴィ嬢。迷惑おかけした。では、失礼いたします」
彼は頭を下げてマントを翻して去って行った。
「ったく、あそこの野郎どもはどいつもこいつもキザったらしいな」
耳の傍で聞こえた忌々しさを孕んだ声に顔をあげる。そして、ヒールのお蔭でより近くなった顔を見て礼を言うおとするが深緑の瞳が制した。
「行くぞ、ジェマ」
「え。レオナ様っ、あ、お待ちくださっ」
ようやくとばかりに前に進み出ようとした来賓を無視して歩き出す。腰を抱かれたままのつられるように足を動かす。というより、動かすしかなかった。
パーティー会場から抜け出し人気のない庭園までやって来る。いや、人気はあるといえばあるがこういうところのお約束のように僅かに愛の囁きが聞こえる。
気まずい気持ちになりながらようやく足を止めたレオナ様に声をかける。
「あの、レオナ様」
「なんだ」
「さっきはありがとうございました」
素っ気ない声に言い逃していた謝罪を言う。レオナ様は気にしていないのか「ん」とやはり素っ気ない。つまり、先ほどのあれはキングスカラー家の体面を気にして――いや、意外に気にしないようで気にしているようであまり気にしていないお方だ。
「で、あいつとは何かあったのか?」
「え」
腰を抱かれたままだから顔が近い。だけれど、端正な顔から何か表情を窺うことはできなかった。無表情に近い顔で問われて戸惑いながら答える。
「あのお方は、学生時代に何度か告白されただけです」
「告白だと? 付き合っていたのか?」
「まさか! レオナ様がいるのに恋人など作りません!」
ついでに「あと好みではないので」と本音をつけ足すとレオナ様の瞳が丸くなった。けど、次の瞬間には目尻を下げて口角をクッと上げて「そうか」と愉快気に囁いた。機嫌がよくなった。尻尾に絡みつくレオナ様の尻尾からも感じていると思い出したことがあった。
「あ、ですが、あの方とは一度タブロイド紙に載りかけたことがあるんですよ」
「あァ?」
機嫌がガクリと下がった。剣呑を孕んだ声に私は「大丈夫です」と前置きをする。
「レオナ様と同じで載る前に回収できましたので」
「……は?」
今度はまるで「俺の?」という感じの顔だ。どうやら国王様から何も連絡がいっていないようだ。いや、連絡があってもレオナ様のことだから半分以上聞いていないのかもしれない。何せ、そのタブロイド紙の件も二年も前のことであるし。
「マレウス様が入学された年のウィンターホリデーの期間中にパパラッチに遭遇していませんか?」
気まずそうに視線を斜めにしてグルルと唸るレオナ様。記憶を探っているようだ。でも、その年のことをレオナ様は一体どこまで覚えているか。
斜め上に向けていた視線が私に戻って気まずそうに「覚えてねぇ……」と言った。
「だと思いました。まぁ、事前に回収できたのでレオナ様がお気になさることはないかと」
「なんで載ってねぇのに知ってんだよ。つか、怒らねぇのかよ」
「侍女も召使たちも噂好きですから。それに怒るも何も……ライオンの獣人属の殿方ならこういうこともありうることです」
眉を顰めたレオナ様は不服といったようなご様子だ。でも、嫉妬から怒りをぶつける権利は今も、昔も私にはない。
「今もですが、わたくしたちは許嫁であって正式に婚約してはおりません。ついでに言えば恋人でもないのでわたくしが怒るのはお門違いかと」
なんともなかったという素振りを見せる。本当は嫉妬した。姿も知らない〝
二人の間に沈黙の重苦しい空気がながれる。無言なのもそうだがこの体勢にそろそろ居たたまれなくなる。
「レオナ様。離してくださいませ」
ずっと抱かれる腰と、絡み合う尻尾に我慢の限界だった。
レオナ様は不満をありありと表しながら腕と尻尾を外してくれた。僅かに出来た距離にやっと落ち着く。その瞬間、煌めくドレスの裾が目に入った。私は顔を上げた。
「そういえば、レオナ様に贈物のお礼がまだでした。とても素敵なドレスたちをありがとうございます」
「気に入ったか」
珍しい返しにすぐに「はい、とっても」と返す。現に今まで着たドレスの中で一番美しく思えた。それにドレスに合わせてくれたアクセサリーも、靴もどれも素敵だった。
「気に入ったならいい。んじゃ、次は婚約指輪か?」
「え、あの、」
何気なく言うレオナ様に今度は私が戸惑う番だった。ホリデー初日のことは覚えていないのだろうか。
「レオナ様。あのお忘れではないかと思いますが」
「忘れてねぇよ……まぁ、なんだ。俺の話も聞けよ」
首を動かして辺りを見回すレオナ様。一点を見つめると歩き出す。私もその後を追うと庭園らしく長椅子が置かれていた。
その椅子に座ってレオナ様は長い足を組んだ。本当にそれだけで様になるお姿だ。見惚れつつも隣に座り身体を向ける。
レオナ様の視線が一瞬向けられるがすぐにその視線は夜空に向けられた。私もつられるように星空が輝く夜空を見上げる。きっと、見られるのは気恥ずかしいだろうから。
「まずはお前が勝手に物事を進めていることが気に喰わねぇってことは言っとく」
思わない方がおかしい。レオナ様の言葉を粛々と受け止めていると「はぁ」と溜息をつかれた。
「婚約解消の気持ちは変わらねぇか?」
「……はい」
「俺が〝好きだ〟と言っても伝わらないか」
真摯な声に嘘を言っているような響きはない。けれど、どうしても心に響かない。きっと、それは私に問題がある。
「そう、ですね。だって、どうしたってわたくし自身が貴方様の恋愛対象になっていると思えないので」
「なんでだ」
純粋な疑問のような響きがした。本当に純粋に疑問を抱いているのが伝わる。でも、ならば、私も、だ。
「好き、という態度や行動が窺えないのです」
ただの〝許嫁〟で、ただの〝幼馴染〟で、ただの〝友人〟というのが私の見解だ。友人でもなくただの家臣の娘かもしれない。
夜空に向けていた視線を下げる。手を膝の上で握るとツァボライトとダイヤモンドが輝くブレスレットが目に入る。その高価なブレスレットが私に過ぎたる物なのだと訴えているようだった。
「……そんなに、か?」
揺れる声に私は「え」と反射的にレオナ様を見れば同じようにこちらを見ていた。
私と同じ丸い耳を下げて、柳眉を下げたその顔は何だか困惑というか、何と言うか。可哀想なお姿なのに可愛らしく見えてしまった。申し訳ないのだけど。可愛らしいという感想を胸に秘めて「なんてお顔をしていらっしゃるんですか」と言う。
「どんな顔だよ」
「……なんでしょう。少々お待ちくださいませ」
レオナ様の顔に見覚えがあった。その姿を思い出そうと額に手を当てて記憶を掘り起こす。そうだ、と一瞬掠めた記憶に手を叩く。
「兄様が頑張って付き合う前の義姉様にアプローチしたときに一ミリも伝わってなかった、と落ち込んでいるときの顔です」
「まんまだよ」
「はぁあああ」と深い溜息をついて頭を乱暴にかき乱すレオナ様。そんなことしたらせっかく整えた髪型が崩れてしまう。時すでに遅く綺麗に編み込まれた髪がよれてしまった。
「そんなにわかりにくかったかぁ?」
「あ、えっと、まず、一ミリもそのような記憶がないのですが」
「マジかよ」
愕然としている人に真実を伝えるかとどうかと思うが今更だ。私は素直に、正直に、「はい」と返した。
正直な返事が効いたのかガクンと項垂れるレオナ様。そのお姿にかける言葉もない。だって、本当に私は何も感じなかったのだから。ここで言い繕たって意味もない。
「レオナ様。ごめんなさい」
「謝るんじゃねぇよ。余計に惨めだ」
「惨めですか」
「アプローチしていたつもりが相手に一ミリも伝わってねぇんだ。
乱れた長い髪を掻き上げながら萎れるレオナ様もそれはそれで素敵だ。そう見えてしまうのだから私の目はまだ愛おしい人としてとらえてしまう。早くやめたい。
キラキラした輝きを振り払うように瞬きをしてから「いつからですか」と訊ねてみる。すると、レオナ様が「聞くのかよ」と苦み走った顔で言う。
「いいではありませんか最後に聞かせてくださいませ」
思い出話としていただきたいのです。本当に貴方様が私を〝
「……なら言わねぇ。普通はここで好かれていたって喜ぶところじゃねぇのか」
「そうでしょうか?」
「まったくどうすればいいんだ」
不機嫌に唸り声をあげ尻尾で長椅子を叩くレオナ様。その姿はこの状況に苛立っているからなのだろう。でも、私がこの場を好転できるとは思えない。
さて、どうすればいいのかと指を弄っているとすぐ傍に気配がした。指から視線を上げると端正な顔がそこにあった。
「なぁ。ジェマ」
「っ」
レオナ様が距離を詰めてきた。後ろに下がろうとしたけれどすぐ後ろには肘置きがあって下れない。逃げ場がない。
間近にある瞳は暗闇ではっきりと見える輝きだった。その瞳に見られてまたドキドキする。やめて。もうやめてお願いだから。
「逃げるなよ」
「逃げてないです。違うんです」
「なんだ。それ、」
「んっ」
緑の瞳から逃げて顔を下げると耳元で低く囁かれた。その掠れた低い声もやめてと耳を伏せると耳のつけ根を擽られる。
「ぁ、やめて、」
ぞわぞわした感覚に目の前に迫る人の身体を押す。けれど、力の入らない腕では退かせることは叶わなかった。
ここで無理矢理にでもどかせばよかった。
レオナ様は私に力が入らないとわかったとたん腕が身体に巻きついていく。耳を弄っていた手はいつの間にか頭、首、背中を滑り尻尾のつけ根まで移動してしまった。
つけ根部分を触れられ尻尾の根元を弄られる。ゾワッと今までにない感覚がせり上がり、ビッと尻尾が突っ張って情けなく揺れる。けど、レオナ様にはその反応が面白かったのかしつこく同じことをしてくる。
「やぁ、ぅん、ぅふっ」
鼻にかかる自分らしくない声。慌てて口を押えるけれど手の隙間からやっぱり声は漏れてしまう。はしたない声をかみ殺すけれどさせまいとレオナ様が首筋に噛みついてくる。甘噛みだから痛くはないが尖った犬歯が肌に優しく立てられそこから波が生まれてさらに頭の中をかき乱す。
「ぁっ、んっふぁっ、や、れおっ、あッ」
攻める手つきに身体のそこら中が熱くなる。手で押さえても声は抑えられない。ならと身体が勝手に相手に縋ってしまった。
強く抱き着くと「フッ」と笑う声がしたと思えば肌を吸われると同時に尻尾の根元を擦られた。
「あッァ!」
身体が大きく震えた。一瞬だけ力の入った身体が緩々と抜けていく。その身体をレオナ様が片腕抱き留める。
痺れる頭ですごいと単純な感想を浮かべていると顎を掴まれて無理矢理動かされた。動かされた場所には勿論レオン様の顔があった。
「なぁ、ジェマ」
なんですか、と何とか返事をしようとしたけれどその前に唇が塞がれた。
「ンぅ」
保健室でした触れるだけのキスではなく唇と唇が深く重なるキス。先ほどの名残のある身体では抵抗なんてできやしない。寧ろ名残の熱を上げる様なキスに抗えるわけがないし、抗える経験値を持っていなかった。
「ぁ、まっ、ぇ」
何度目かの角度が変わる瞬間顔を無理矢理逸らし痺れる舌を動かす。だが、それもすぐに顔を戻され唇が重なろうとしたとき舌を必死に動かして「まって」と言う。
「……なんだ」
私の情けない願いに律儀にキスをやめてくれたレオナ様。ありがたくやめてほしい訴える。
熱を孕んだ鮮やかな緑の瞳が一瞬隠れて現れた。現れたときに熱は僅かに失せ離れていった。同時に吐息の交じる距離にあった唇も離れていった。
訴えは届いたようだ。離れていくレオナ様の身体から腕を離す。背もたれに身体を預けたまま胸に手を置いて乱れた息を整える。
暫くして整うと背もたれから身体を離して何とか姿勢を整えながら「なにするんですか」と問いかける。
襟もとをくつろげながらレオナ様は「一ミリも伝わんねぇから強硬手段だ」と言ってのけた。
「ば、ばかですか、最低ですよ」
あまりにも悪びれる様子のないレオナ様に思わず罵倒が出た。いや、私は間違っていない。本当に好きだからといってすぐに手を出す方が間違っている。
私の罵倒を受けたレオナ様は眉を顰めて目頭の下に皺を作って「あァ」と柄の悪い声を出す。けど、私は負けじと訴える。
「好きだからといって手をすぐ出しますか。いいですか、物事には順序があるんです。順序が」
「その順序を取らせてくれねぇんだろうが。まぁ、でもそうだな。悪かった」
「ほんとに思ってます?」
じぃっと瞳を覗き込むもちっともその気配が感じない。この行為が間違ってないと言っているようだ。
「私でなければ訴えられますよ……いえ、私だって訴えます。出るとこ出ますよ」
目を細めてレオナ様に向かって唸り声を上げながら言う。けれど、当の本人はしれっとした顔で「無理矢理じゃねぇだろ」と言うのだ。
「同意は取っていません」
流石に見過ごせないと睨むように美しい瞳を覗き込む。
じっと見つめ合うこと暫く。目を伏せたレオナ様が音を上げる。
「悪かった。承諾なしで悪かったよ」
言い方が軽く聞こえる。しょうがないといった様子が謝罪感を消している。けど、これ以上はもう無理だろう。
「誠意が見えませんがもういいです……こういうことをするなら恋人や夫婦になってからです。誰でも知っていることですよ」
何とか平素を装って話を終えられた。先ほどのことはもう金輪際思い出したくない。今も僅かに燻る熱の処理をどうしようか、と色々頭がパンクしそうなのに。
でも、レオナ様はこれで終わりにしてくれなかった。
「んじゃあ、恋人になってくれんのか?」
「……今みたいな戯れがしたいなら他所の女性にお頼みください」
「ちげぇ、誰でもよくねぇ。お前としたい。つか、それは二の次だ。言っただろ強硬手段だって。だから、逃げるな」
「っ、先ほども言いましたけれど逃げてないです」
そもそも一体何から逃げているというのだ。私は何からも逃げていない。
「逃げてねぇっていうならちゃんと俺の言葉を受け入れろ。それを踏まえてちゃんと俺を振ればいいだろ」
「…………振る?」
振るとはいったい何を振るのだろうか。言葉の意味を噛み砕くのに頭がようやく動き出すがその前にレオナ様が小さく息をついて言う。
「俺を、だ。お前が俺の言葉を信じる信じない以前に一度とりあえず受け入れろ。それで振ればいいだろ。最初から跳ねつけられちゃ俺だって納得できねぇんだよ」
「でも、レオナ様だって」
思わず食らいついてしまえば「俺はちゃんと受け入れた末に言っただろ」と先制されてしまった。それはそうとも言える。
「ジェマ。頼む」
懇願にも似た言葉に殴りつけられた気分だった。忘れていた。この方は離れていく人間を引き留めることはないのだ。幼い頃から人が離れることが常だったお方だ。引き留めるということもしたことがない。そんなお方がこの私を引き留めている。つまり、それは、今までのレオナ様のお言葉が嘘ではなく――。
「おい。大丈夫か?」
「ぇ?」
ぐわわっと回転していた思考を止めて現実に戻る。視界に映ったレオナ様は眉を八の字に下げて困惑と心配の入り混じった顔をしている。
その顔を見て急激に身体の熱が上がった。そして、譫言のように「れ、レオナ様はわたくしのことが好きなんですか?」と訊ねてしまった。
心配顔を一転、歪めて眉を顰めるレオナ様は「さっきから言ってんだろ」と返した。そうだ。もう何回も言っている。
「そうですか。いえ、その、あの……今やっと理解したといいますか受け入れましたので」
「……お前の思考回路はわからん」
剣呑とした色を消して呆れたといった態度のレオナ様。肘を膝について目を据わらせて尻尾をゆらゆら揺らす。
「で、わかったところでどうすんだ」
もちろん、答えは〝OK〟だよなという雰囲気。そして、理解した私がここで〝NO〟と言えない。だって、まだレオナ様が好きだから。諦めようとしている最中でのこの段階だったのだから。
「ジェマ」
おら、言えよ、というように呼ばれる名前。今度は私が観念する番だった。
「はい……このような頭の固い私でよければ」
ここまで身勝手に暴走していた女を恋人にしようなんてレオナ様も物好きだ。でも、お互い若い。このままゴールインもないかもしれない。許嫁だけれど。
「俺はお前でいいとずっと前から思っていたんだ。今回の暴走も別に今に始まったことじゃねぇだろ」
「そうですか?」
「無自覚かよ。あ~いい、もう考えんな」
手をブンブン振るレオナ様に記憶を掘り越すことはやめた。でも、ならば本当にレオナ様は物好きだ。
「それはお前もだからな」
「え」と頭の中を読まれた。ふぅと息をついて目を伏せるレオナ様の姿に惚れ惚れしてしまう。
「嫌われ者の王子の俺をずっと好きとか物好き以外ねぇだろ」
その後、レオナ様は「証拠ならあるからな」と続ける。ひとつ、周りが心底嫌ったユニーク魔法をすごいと称したところ、と言う。私はそれにすかさず反論する。
「いいえ。ほんとうに素晴らしいです。万物をあらゆるものを〝砂〟にしてしまうんですよ。ユニーク魔法とはいえすごい力です」
にっと口角を上げるレオナ様は満足げに「そうか」と言ってもうひとつと続ける。
第二王子だから勉強など無駄だと言いながら意地になって勉強を続ける俺を馬鹿にしなかった。周りとは逆ですごいと褒めて一緒になって勉強したこと。
「それのどこが? おかしなことなどひとつとしてありません。勉学に身分など関係ない……というのはこの国では残念ながら言えません」
階級社会の色が強く残る夕焼けの草原。勉学に励むことが難しい環境にいる子どもも、大人もいる。
「レオナ様は勉学にのめり込める環境があったのですから励む権利があったのです。それを放棄する方が愚かなことです」
何も間違っていないと断言できる。それに「わたくしも貴方様との勉強がとても楽しかったです」幼い頃に一緒になって勉強したことは私の大切な思い出で礎だ。
そのお蔭もあって魔法士養成学校を主席卒業できるまでになったのだ。他にもレオナ様に追いつきたくて必死に勉強してきたことは今の私の糧になっている。
「それが物好きだって言うんだ」
顔をくしゃっとさせるレオナ様に今度は私の方が眉を顰める。
「納得できません……わたくしより物好きなのはレオナ様ですよ。やっぱり」
「そうか? 俺は俺のことを自分以上に大切してくれる女を好きになっただけだ」
違わねぇだろ、と得意げな顔で言われる。その女というのが私のことだと言うのか。自覚すると気恥ずかしくなる。レオナ様から見て私の行動がそう映っていたなら――少しだけ嬉しいと思ってしまった。けど、そのすべての行動は私の勝手なのだ。
「わたくしは身勝手に動いていただけです。最終的に自分のために」
「構わねぇよ。人間は結局皆そうなんだよ。俺だってそうだ」
だから人間は好き勝手ほざくのだ、と言う人の横顔は凛々しく美しかった。諦観している様子もない。けれど、この変わらぬ世界で生きようと決めた人は痛々しくもここまで美しくなるとは思わなかった。
「で、ジェマ」
身を乗り出したレオナ様から今度は逃げなかった。真正面から向き合う。膝がつくほどの距離は改めて気恥ずかしい。
「触るからな。よし、言ったからな」
「は、はい」
返事に言質取ったと目がしなる。そのしなる瞳に受けて立つと覗き込むと膝に乗せていた手を取られた。ゆっくりと上がる手に視線を向ける。
大きな手に包まれた私の手。その手は一体どこに行くのかと見つめ続けると――。目を伏せたレオナ様の唇が恭しく取られた手の指先に触れた。
「ぁ」
触れた柔らかな感触に指が僅かに動く。すると、自ら指を唇に押し付ける形になってしまった。失礼を、と手を引くけれど二回り以上大きな手に引き留められてしまう。
伏せていた深緑の瞳が再び現れた。上目遣いでにぃっと目を細めるレオナ様に心臓が高鳴る。意地の悪い瞳に胸がときめくなんて嫌だなと思うし、見透かされていると思うと顔から火が吹き出すほど恥ずかしい。
顔を上げたレオナ様が意地の悪い顔のまま形の美しい唇を開く。
「続きは勿論OKだろ?」
私も結局軽い
2021.02.06 一部文章修正