青が嫌いな理由を貴方は知らない
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青が嫌いな理由を貴方は知らない・2
レオナ殿下はもうすぐナイトレイブンカレッジへと入学する。私もまた別の全寮制の魔法士養成学校へと入学する。
正直そのことに私は胸を撫で下ろした。何故ならこの宮殿に彼の居場所は確実になくなりつつあったからだ。
ファレナ殿下は結婚し暫くして即位し国王陛下になった。それからすぐに第一子であり王位継承第一位となられるチェカ様が誕生した。これによって、レオナ殿下の立場が危うくなる。
以前の私は彼の立場を守られるべき第二王子だと思っていたがそうではなかった。この宮殿は殿下にとって居場所になりえないこと知った。
現に一年と半年前に殿下に刺客が差し向けられ左目に傷が残った。幸いその傷が元で失明にはならなかった。刺客は逃げたが何とか捉えて絶命に至らしめることができた。その際に私もユニーク魔法を取得したが今も上手く使えない。
それを制御するのにも魔法士養成学校はちょうどいい。
「――い、おいっ!」
「うえ!」
思わず変な声が出た。どうやら久々に殿下の気配に気づかないくらい考え込んでいたようだ。慌てて立ちあがって殿下に頭を下げる。
「レオナ殿下気づかずに失礼いたしました」
「……考えごとは別にいいが無防備な体勢でするな」
怒ってはいないけれど彼は辺りを気配していた。私もそこまで気配に疎くはないが今日はそれを弁明できない。
「わたくしの不注意です。今後は気をつけます」
「そうしておけ」
行くぞ、と手を差し出される。あの日、殿下の初恋のお相手が結婚した後から日課の散歩で手を差し出すようになった。なんの心境の変化か分からないが私は大人しくその大きな手に手を重ねた。それからレディよろしく手を引かれて隣を歩く。
私の身長は女性の中では高い部類に入るが、隣を歩く殿下はもっと高い。周りの男性と比べれば少年を抜けた青年であるためかまだ線が細い。でも、父君や兄君であられる国王陛下を見るとまだまだ成長するのだろう。すぐ上の兄も楽しみだと言っていたのを思い出す。
「そうだ。兄が一足早く学園に戻りました。楽しみに待っている、と言っていましたよ」
「あ~、これからあいつが先輩か」
見上げた先の殿下の横顔はうんざりしているような楽しそうな顔だ。それに私は心の底から嬉しい。
「はい。嬉しそうに話していましたよ」
「サイアクだ」
「ふふ。またまた」
「ふん」
気軽に会話を出来るになったのもいつの日か忘れていない。でも、少しでも、少しで、安らげればと。おこがましいのは百も承知だけれど。
「殿下。学園生活、楽しみですね」
「めんどいけどな」
「頑張ってください」
「お前もな……あ」
突然足を止めた彼は無造作な仕草でポケットを漁りだす。もしや、と背筋に嫌な汗が滲む。彼はまだ私に贈り物を贈ってくださる。その色はいまだに〝青〟だ。
「手、出せ」
「はい……」
おずおずと手のひらを殿下に差し出すとコロンと小さなものが落とされた。小さなものは小さなリング――ピンキーリングだ。
「殿下、流石にリングは」
数多国があるようにリングを贈る意味も数多存在する。この国も他の国と同じように男性から女性、女性から男性へと指輪を贈るのは意味がある。概ね、男女の関係から来る。
殿下と私はまだ正式な婚約発表がない。ただの許嫁に他ならない私がピンキーリングとはいえリングを貰うわけにはいかない。
手のひらにちょこんといるピンキーリングは凝った装飾はない。けれど、よく見ればリングのトップに青く輝く石が見える。
青、まだ続く青。様々な理由をつけて極力身に着けないようにして数年の青がとうとうここにまで侵蝕してきた。
「殿下、やはりリングは受け取れません」
「あ? 気にすることねぇよ」
言うや否や手のひらから颯爽と奪い私の手を取って小指に填めてしまった。
いまだに武術の鍛錬を怠らない私の指は普通の女の子よりは少し骨ばっている。それでも殿下の填めたピンキーリングは綺麗に私の小指に納まった。
「ぴったりだな」
満足げに指輪を撫でる殿下に何が言えるだろうか。これも惚れた弱みだ。でも、ここで引くわけにはいかない。
「……受け取れません」
「受け取れ。そんで学校でもここでも着けとけ」
「学校は女子校です。何にも問題は起きません。宮殿でも手を出す愚か者はいませんから受け取れません」
「はぁ?」
剣呑とした雰囲気を醸し出す殿下に僅かにのけ反る。完全に離れられないのは手を取られているからだ。
「な、何ですか。わたしくしたちは正式な婚約は発表していないのですよ」
「だからだろ。あと、女子校だろうが何だろうが着けろ」
「女の子たちしかいませんよ」
男女共学ならまだしも私の入学するところは女子校だ。何の問題があるのだろうか。
「お前の入学する学校ははロイヤルソードと交流がある。だから受け取って着けとけ」
ならば殿下も、という言葉を飲み込んだ。これでは私たちはまるで恋人同士のようだ。
「余計な虫が減るぞ」
「虫になるような殿方はいません」
きっぱりと答えればレオナ殿下は眉間に皺を寄せる。だが、その殿下を無視して綺麗に指に納まっているリングを抜き取って突き出す。
「リングはお返しします。わたくしに近寄る殿方はいませんので」
武術に優れた無骨な女など上品なお坊ちゃんが多いロイヤルソードの人は見向きもしない。虫よけも何にもなりはしない。
「殿下。お返しします。受け取ってください」
「はぁ。わかった。そうだな。俺もやりすぎた」
私の手のひらにあったリングを殿下は取った。それからまた無造作にポケットに突っ込んだ。殿下が受け取ってくれて安心する。けれど目の前の人にいまだに恋する私が肩を落としているのが気に喰わない。
――勘違いしないの。ただの〝許嫁〟同士なのだから。
正式な婚約発表もしていない。殿下に相応しい女性が出てくればすぐにお払い箱にされる程度なのだ。それに殿下はこれからナイトレイブンカレッジに行く。世界ももう少し広がるだろう。もしかしたらひょんなことから女性と出会い恋に落ちるかもしれない。だから、いつでも婚約解消できるように心がけなくてはいけない。
「おい。難しい顔してないでいくぞ」
「ぁ、はい!」
張りのある声で返事すれば殿下の耳が少し伏せる。どうやら彼の耳に響いてしまったようだ。申し訳ないけど可愛らしくて微笑ましい。
「なに笑ってやがる」
「いいえ。何でも」
零れる笑みに殿下は舌打ちしながら足早に歩き出す。何のこれしき私も彼の速度に合わせてついって行った。
入学して一年目。寮対抗マジフト大会であの方は故郷にいるときより随分と輝いて見えた。寮の中継で見た殿下はMVPに選ばれキャプテンである私の兄に頭をぐちゃぐちゃに掻き回されていた。そのときの殿下はいつになく年相応の無邪気な顔が見えた気がして頬が緩んだ。
その年のウィンターホリデーはいつになく饒舌で愉しげな横顔に安堵した。お互い魔法について論議も熱を増してそこに上級生の兄が混じる。そんな日々を過ごしたホリデーは今思えば本当に楽しかった。
二年目。兄が進級し四年生になるとレオナ殿下がサバナクロー寮の寮長となった。副寮長はいないが何とかいっているらしい。私も進級と同時に副寮長になりお互い連絡を取る時間も短くなった。けれど、ホリデー期間に会えば他愛もない会話をした。
三年目。例の茨の谷の次期王位継承者が入学した年。レオナ殿下の中に残っていた何かが霧散した年でもあった。
中継で流れた常勝サバナクローが負ける瞬間。歯が立たないというのはこういうことかと見せつけられたようだった。そして、その光景がまるでどうあがいても覆らないのだとレオナ殿下に見せつけらえているようにさえ思えた。
呆然と中継を見つめながら私は早くウィンターホリデーを来ることを待った。そして、ついにその帰省期間となり足早に帰省した。
だが、考えてみればあの方が故郷に帰って来るのだろうか。もしかしたらないかもしれないと考えながら殿下の帰省を待った。
レオナ殿下は帰って来た。帰省した翌日いつものあのベンチに向かうと殿下がいた。安堵するのも束の間、遠目から分かるほど殿下に覇気が感じられなかった。
その姿に泣きそうになった。鼻の奥がツンとしてジワリと目尻に涙が浮かんだ。私が泣いたところで意味はない。寧ろ泣くことの方があのお方に対する侮辱にも思えた。だから何とか堪えた。
「はぁ。行かないと」
泣く意味はなし。目尻に滲んだ涙を拭って二番目の兄に嫁いできた義姉から貰ったコンパクトを開く。メイクは崩れていない。泣いた形跡も分からないだろう。これなら大丈夫。
「いつも通り、いつも通りで、」
どんな態度もレオナ殿下の琴線に触れてしまうかもしれない。ならばいっそいつも通りにする方がいい。
ひとつ深呼吸して私は殿下のもとへ歩き出した。結果、力み過ぎてロングスカートのワンピースの裾に足を絡めて盛大にこけた。こけるなんて久しぶり過ぎて受け身も取れなかった。
「うっ、っなんて、ぶざ、ま、なっ」
武人の娘が情けない。体幹でどうにかできなかったのか。自分自身に色々ツッコミをしながら顔をあげる。バチと殿下の目が合う。目を見開く殿下に「見ていらっしゃいましたか」と情けない声を出しながら訊ねる。
殿下は丸くなっていた目をしならせて意地悪く口角をあげて「……バッチリとな」と答えた。途端、凄まじい羞恥心が駆り立てられた。これは自害しなければいけないレベルだと顔を手で覆い尽くしていると――。
「ぶはっ、くっ、あっははっ!」
レオナ殿下が顔を上に向けて盛大に笑い声を上げた。それから私の転び方が余程だったらしくツボにハマり身体を折り曲げて目尻に涙まで浮かべて笑い続けた。
あんまりにも笑い続ける殿下に立ちあがりよろけながら近づく。それでも引き攣った笑い声を出す殿下に無礼とは承知と思い声をあげる。
「殿下、あまりにも、あまりにも、です! 笑いすぎです!」
不敬とはわかっていながら殿下の肩をバシバシと叩く。殿下は手で制してなんとか笑いを飲み込んで「悪ぃ、悪ぃ」と言う。でも、唇の端がまだ哂っているから絶対に思っていない。
「もういいです! 殿下が盛大にこけたときに笑って差し上げますから!」
フンと鼻を鳴らしながら殿下の隣に座る。そして、汚れたスカートを叩いていると血が着いたのが見えた。パッと手を見るとすりむいていた。すりむいていると分かるとジンジンと痛くなってくる。
ふぅと溜息をついて魔法で応急処置をしようとしたら。パッと手首を大きな手で掴まれた。にゅっと出てきた手の持ち主を反射的に見る。
「な、何ですか」
「応急処置だ」
殿下はどこからともなく取り出したマジカルペンを振る。キラキラした粒が私の手のひらいや、身体に巻き付いて吸い込まれていく。すると、身体の痛みがスッと引く。
「屋敷に戻ったらちゃんと見てもらえよ」
「はい。ありがとうございます」
血も止まり、痛みも消えたことに殿下の魔法技術の高さを感じる。私ではきっとそこまで器用に出来ない。
「殿下のお蔭で痛くなくなりました。散歩いかがいたします?」
「あーぁ。今日はいい」
「左様で、す、えっ?」
途端に殿下顔が消えたと同時に太腿に重みが乗った。視線を下に向ければ殿下の頭があった。これは膝枕というやつではないか。実際は太腿だがこの柔らかくもない太腿に殿下の頭が乗っている。先ほどとは別の羞恥心が込み上げる。けど、何とか、それを隠して平静に「殿下。枕お持ちしますよ」と言う。
「いい、ここでいい」
「……私の太腿硬いかと」
「そうでもねぇよ」
「いいから黙れ」と付け足されてしまった。そして、殿下からすぐに寝息が零れた。その間僅か三秒。あまりの早い睡眠に感心する。
寝ていることをいいことに殿下の整った顔立ちを見る。十八歳となった殿下は年々艶を増している。幼い頃は美少女のようであったし、今は美少年を経て美青年に変貌しようとしている。
「霞むわ」
このような美しい殿方の隣に立てる女性はいるのだろうか。きっといるならば可愛らしいとか、美少女と呼ばれる分類だろう。たとえば、そう、王妃様のような女性が似合う。
時折、レオナ殿下とファレナ陛下、王妃陛下となったかつての殿下の初恋の人が一緒に居るのを見る。そのときレオナ殿下の隣に王妃陛下が立つと陛下とはまた違うしっくりさがあった。殿下にもあのような可愛らしい可憐な女性が似合うのではないだろうか。自分のような武術に明け暮れていた無骨な女ではない方がいい。私はそうできればそれを傍で見守る人になりたい。
殿下の寝顔を始めてまじまじと見下ろす。端正な顔に似合わない険しい寝顔だった。眉間に僅かに寄っている皺。食いしばっているようにも見える唇。寝ていても彼にとっては安らぎではないのだろうか。
両親や兄たちが幼い頃にしてくれたように頭を撫でようかと手を伸ばすが止める。人間は意外に寝ているとき気配に敏感になる。王族であるレオナ殿下なら尚更だ。気配に敏い殿下に触れないほうがいい。
――足が痺れるまでは頑張ろう。
次の年なんとレオナ殿下は留年した。ダブったのだ。宮殿の中では彼に対する陰口が増えた。何故そのようなことをするのかと首を捻ったがひとつ考えが浮かぶ。
もしかしたら殿下はマレウス様にマジフトで再チャレンジしたいのではないだろうか。最上級生になる四年生は研修のため学校の行事や運営から手を引く。レオナ殿下が四年生になってしまえばもうマレウス様とマジフトにチャレンジできない。
いや、でも出席日数が足りないとかの可能性もある。殿下は優秀な方だから勉強に何ら問題はないだろう。でも、昼寝をする時間が長くなったとか、眠くなる時間が増えたと言っていた。それが学園でも同じなら殿下ならば分かりきった授業を受けるよりも昼寝を取る気がする。
そんなことを悶々と考えながら私は最上級生を迎えより忙しくなった。それは寮長をしていた三年生のときよりも忙しかった。だから、その年の寮対抗マジフト大会の中継を見ることがなかったが結果を聞いて私は一抹の不安が過った。その年、殿下は冬休みも春休みも帰って来ることはなかった。
次の年、私は学校を卒業すると同時に国王陛下から宮殿に入るよう命じられた。その宮殿はかつて王妃陛下が過ごした宮で王族の婚約者になった娘が結婚するまで過ごす場所だ。これは私がレオナ殿下の婚約者に内定した瞬間だった。
レオナ殿下はこれに異を唱えなかった。そんな彼は再び留年した。新年度から三回目の三年生を始める。
その前の夏休みに私は引っ越しを済ませ散歩の待ち合わせ場所にいた。召使から日傘を受け取って彼をいつものベンチに待っていたが来る気配がない。殿下は私があの宮に移ってから会う回数を減らしている。それに周りは密やかな陰口を叩き出す。
「レオナ様のお心変わり?」
「外に女が出来たのでは?」
「そうですな。何せ、また留年をしたのだから」
「いや。もしかしたら――」
王族に対してなんて不敬な。いや、全ての国民が王族を支持しているわけではない。だから、不満を口にすることはいい。しかし、王族に仕える身分の者たちが何故こうも口を揃えて下品な言葉を並べるのだろうか。
陰口を叩く者たちをつい睨んでしまったがすぐに蜘蛛の子を散らすように逃げて行った。何も彼ら彼女らは私が恐ろしいのではない。私の背後にいる父や兄たちが恐ろしいのだ。だが、小娘の私を恐れくらいの気の小ささを見るとたいした者たちではないのだろう。
そのときのことを思い出してフン、と鼻を鳴らすと後ろから人の気配がした。振り返るとそこには召使がいた。
「どうしました?」
「はい。レオナ殿下よりお言付けです」
「分かりました」
耳を傾けると殿下は今日来ないことが伝えられる。それに気持ちは沈みかけるが殿下のここ最近の行動を見れば頷ける。では、帰ろうと立ち上がると熱を孕んだ強い風が吹く。
「あっ!」
ふいに日傘が風に煽られる。咄嗟に手に力を入れるはずみで見上げる形になった時だった視界の端に見慣れた人影が映った。
――殿下。
宮殿の二階の小さな窓からレオナ殿下がこちらを見ていた。その姿はあっさりと消えてなくなった。遠く離れていても殿下の姿を見ることができた。でも、胸に渦巻くのは不安だった。遠くからでも分かる暗い緑の瞳に自分の無力さを感じる。
魔法の扱いに長けて、年齢も重ね成人をしたが結局私自身は使い物にならない。幼い頃から変わらず役立たずのままだった。
無力さに打ちひしがれても時は流れる。殿下が三回目の三年生を迎えて再び寮対抗マジフト大会の季節がやって来た。今年はチェカ王子が直接観戦に行きたいとのことで私は付き添いすることとなった。
それを両親たちに伝えれば実家から大量の布、宝石、など贈られてきた。どうやら久々に殿下の前に行くのだから着飾れとのことだそうだ。持って来た母、義姉二人に、侍女たちによって私はゴテゴテに着飾らせられることになる。
中継でずっと見ていたナイトレイブンカレッジの寮対抗マジフト大会。その会場はなるほど様々なスポンサーの人間がいたし、プロリーグのスカウトもたくさんいた。そんな中、王族とその付き添いということで私たちは見晴らしのいいところにいた。
――学園側に落ち着きがない。
慌ただしいというよりも何だか落ち着きがない。何だろうと慎重に辺りを探っているときだった。目の前に美しい羽を持った鳥が飛んできた。その鳥を見て私は咄嗟に腕を翳す。
この鳥はあれだ。ラギーさんとの連絡用の取りだ。
ラギー・ブッチ。昨年からレオナ殿下の学園での世話を焼いているというハイエナの獣人。その獣人が一年生のとき私は会いに行った。スラム街のラギーさんの家を訪ねるととても驚いた顔をした。
私は驚くラギーさんにある依頼をした。時折でいいから殿下の様子を報告してほしい、と。勿論、賃金は出すし、頻繁でなくてもいい、と。ラギーさんは訝しげにしつつも引き受けてくれた。あれから、たまに殿下の様子を報告してくれた。
その連絡手段なのがこの鳥だ。急に現れた鳥に私は首を傾げつつチェカ殿下に断りを入れて席を外す。鳥を肩に移し手紙を開く。手紙は急いでいたのか書き殴ったような字だった。読めないことはない。でも普段より荒い字にすぐに目を通すと――。
「オーバーブロット……殿下が?」
驚愕に目を見開く。オーバーブロットは下手をすれば死に至る現象だ。幸いレオナ殿下の命は無事だったようで胸をなでおろす。
「このまま大会に出るというの……」
なんて無茶をと思いながら殿下が決めたことに口を出すつもりはなかった。でも、不安が消えず手紙を見下ろしていると。
「おねぇたん! 始まるよー!」
「はいっ!」
チェカ殿下の無邪気な声に我に返る。振り返ると会場からワッと賑わい観客席も同じくらい賑わい始める。手紙を仕舞って鳥を解き放つ。そして、駆け足で席に戻る。
私の心配は杞憂だった。殿下は憑き物が落ちたような顔をしてマジフトを楽しんでいた。
――よかった。
これでレオナ殿下の何が変わる訳ではない。立場だって第二王子でチェカ殿下が健在の今彼の王位継承はないだろう。宮殿での立場だって大きく変わらない。でも、それでも少しでも殿下の中の心が晴れてくれたならいい。
私はずっと心の中にあったことを今日殿下に告げようと心に決めた。
――殿下の隣は私じゃなくてもいい。
どうか殿下が認めた人と共に生きてほしい。もう許嫁とか、婚約者とか、何にもしがらみのない誰かと共に生きてほしい。一人で生きていけるほど強い人かもしれないけれどできれば誰かと共に生きてほしい。
――最後に強く輝く貴方様を目に焼きつかせて。
私はどこかすっきりとした殿下を見つめた。
* * *
結果、婚約解消に至らず私はまだレオナ殿下の横にいる。
春休みに殿下はウィンターホリデー同様に帰省していた。以前のホリデーで色々。もう本当に色々あったが私はまだ隣にいることを許されている。愛されていると己惚れてはいない。けれど、少なからず大切にされていると思うようにはなった。
思い出してこそばゆさに唇を緩めているとレオナ殿下に呼ばれる。
「はい。何ですか。殿下」
「手ぇ出せ」
言われて手を出す。殿下は私の手を掴むと手のひらの方を向かせた。それからまた彼の大きな手のひらからキラキラしたものが落ちた。
「殿下、これは」
見覚えのある小さなピンキーリングが手のひらにあった。
「やる。今度こそ受け取れ」
今度は返しても受け取ってくれないだろう。けれど、私はまだこのリングを受け入れられない。
「あ、あの殿下」
「返すなよ」
真剣な眼差しを向ける美しい深緑の瞳に一瞬胸ときめく。このまま流れのままにこのリングを受け取ってしまいそうになるけれど受け取れない。そうだ。今度こそ本当に受け取ってはいけない。
「あの、レオナ殿下。実はわたくしずっと貴方様に隠していたことがあるんです」
「あ?」
突然の私の話に殿下は片眉を上げる。私は逸らしたい目を何とか殿下に合わせて震える口で隠し続けていたことを告げる。
「わたしくし青が嫌いなんです。いいえ。大嫌いなんです」
言った。恋していることに気づいてから嫌いになってしまった色を告げた。これを言えたら何も怖くない。でも、ずっと青の贈物をくれた殿下は大丈夫だろうか。
殿下の様子を窺うと目を丸くさせ呆けた顔をした殿下は徐々に顔色を失くしていく。
「い、いつからだ。いつから嫌いだった?」
喉に声を忘れてしまったのではないかという掠れた声で訊かれる。私は素直に答える。
「十一歳の頃からです」
「っ! ば、馬鹿か! 嫌いならさっさと言え!」
「言えるわけありません!」
「それでも言えっ! ったく、ガキの頃に喜んでいたから、俺はてっきりっ」
「あ~クソッ!」と頭を掻き目の端に掠める尻尾は苛立ちに動いている。苛立つ殿下に私を睨む。殿下の睨みに怯む前に手のひらに乗ったリングを奪うように取り上げた。
「作り直す。何色が好きなんだ」
「え」
乱暴にポケットにリングを仕舞った殿下に私は言葉に詰まる。私は青が嫌いだ。その反対に好きな色も勿論ある。あるがそれをレオナ殿下に言うのは恥ずかしい。
「好きな色。ねぇのか?」
「いえ、あることにはあります、が」
「なら、はっきり言え。その色の石で新しいリングを作る」
凄まじい意気込みに私は今度こそ観念しなければいけない。分かりました、と頷いて私は殿下の目を真っ直ぐに見据えて答えた。
「わたくしの好きな色は――レオナ殿下の瞳と同じです」
じわりと込み上げる照れくささに殿下を見つめるのも耐えられずに視線を外すと。
「くっ、くくっ。おま、お前、俺のこと好き過ぎだろ」
笑いだした殿下を睨みつけようとして私は目を見開いた。殿下は何時ぶりだろうか。目の下に皺を作って笑っていた。幼い頃に笑った殿下のままではないがその姿がいた。
「はぁっ。わかったよ。お前の大好きな俺の瞳と同じくらい綺麗な石を填めてやる」
見惚れたままの私の手を取った殿下はその指先に口づけを落とした。ついでとばかりに薬指にも同じく、いや少しだけ長く口づけを落とした。
世の女性が惚れ惚れするようなほどスマートだった。このお方とやはり隣に居るのは至難の業な気がして来た。
唇を離したレオナ殿下はそのまま私の手を握って指を絡めた。俗に言う恋人繋ぎをした。その大きな手は無骨さが少しだけ抜けた私の手を簡単に納めてしまった。
「行くぞ、散歩」
「あ、はい」
引かれて歩き出すと殿下と私の歩く速度は同じだった。それが夢のようで私は少しだけ泣きたくなった。
今日も私は彼と日課の散歩をしている。そして、これからもずっとそれが私であればいいと願わずにはいられなかった。
2021.01.26 文章改稿
レオナ殿下はもうすぐナイトレイブンカレッジへと入学する。私もまた別の全寮制の魔法士養成学校へと入学する。
正直そのことに私は胸を撫で下ろした。何故ならこの宮殿に彼の居場所は確実になくなりつつあったからだ。
ファレナ殿下は結婚し暫くして即位し国王陛下になった。それからすぐに第一子であり王位継承第一位となられるチェカ様が誕生した。これによって、レオナ殿下の立場が危うくなる。
以前の私は彼の立場を守られるべき第二王子だと思っていたがそうではなかった。この宮殿は殿下にとって居場所になりえないこと知った。
現に一年と半年前に殿下に刺客が差し向けられ左目に傷が残った。幸いその傷が元で失明にはならなかった。刺客は逃げたが何とか捉えて絶命に至らしめることができた。その際に私もユニーク魔法を取得したが今も上手く使えない。
それを制御するのにも魔法士養成学校はちょうどいい。
「――い、おいっ!」
「うえ!」
思わず変な声が出た。どうやら久々に殿下の気配に気づかないくらい考え込んでいたようだ。慌てて立ちあがって殿下に頭を下げる。
「レオナ殿下気づかずに失礼いたしました」
「……考えごとは別にいいが無防備な体勢でするな」
怒ってはいないけれど彼は辺りを気配していた。私もそこまで気配に疎くはないが今日はそれを弁明できない。
「わたくしの不注意です。今後は気をつけます」
「そうしておけ」
行くぞ、と手を差し出される。あの日、殿下の初恋のお相手が結婚した後から日課の散歩で手を差し出すようになった。なんの心境の変化か分からないが私は大人しくその大きな手に手を重ねた。それからレディよろしく手を引かれて隣を歩く。
私の身長は女性の中では高い部類に入るが、隣を歩く殿下はもっと高い。周りの男性と比べれば少年を抜けた青年であるためかまだ線が細い。でも、父君や兄君であられる国王陛下を見るとまだまだ成長するのだろう。すぐ上の兄も楽しみだと言っていたのを思い出す。
「そうだ。兄が一足早く学園に戻りました。楽しみに待っている、と言っていましたよ」
「あ~、これからあいつが先輩か」
見上げた先の殿下の横顔はうんざりしているような楽しそうな顔だ。それに私は心の底から嬉しい。
「はい。嬉しそうに話していましたよ」
「サイアクだ」
「ふふ。またまた」
「ふん」
気軽に会話を出来るになったのもいつの日か忘れていない。でも、少しでも、少しで、安らげればと。おこがましいのは百も承知だけれど。
「殿下。学園生活、楽しみですね」
「めんどいけどな」
「頑張ってください」
「お前もな……あ」
突然足を止めた彼は無造作な仕草でポケットを漁りだす。もしや、と背筋に嫌な汗が滲む。彼はまだ私に贈り物を贈ってくださる。その色はいまだに〝青〟だ。
「手、出せ」
「はい……」
おずおずと手のひらを殿下に差し出すとコロンと小さなものが落とされた。小さなものは小さなリング――ピンキーリングだ。
「殿下、流石にリングは」
数多国があるようにリングを贈る意味も数多存在する。この国も他の国と同じように男性から女性、女性から男性へと指輪を贈るのは意味がある。概ね、男女の関係から来る。
殿下と私はまだ正式な婚約発表がない。ただの許嫁に他ならない私がピンキーリングとはいえリングを貰うわけにはいかない。
手のひらにちょこんといるピンキーリングは凝った装飾はない。けれど、よく見ればリングのトップに青く輝く石が見える。
青、まだ続く青。様々な理由をつけて極力身に着けないようにして数年の青がとうとうここにまで侵蝕してきた。
「殿下、やはりリングは受け取れません」
「あ? 気にすることねぇよ」
言うや否や手のひらから颯爽と奪い私の手を取って小指に填めてしまった。
いまだに武術の鍛錬を怠らない私の指は普通の女の子よりは少し骨ばっている。それでも殿下の填めたピンキーリングは綺麗に私の小指に納まった。
「ぴったりだな」
満足げに指輪を撫でる殿下に何が言えるだろうか。これも惚れた弱みだ。でも、ここで引くわけにはいかない。
「……受け取れません」
「受け取れ。そんで学校でもここでも着けとけ」
「学校は女子校です。何にも問題は起きません。宮殿でも手を出す愚か者はいませんから受け取れません」
「はぁ?」
剣呑とした雰囲気を醸し出す殿下に僅かにのけ反る。完全に離れられないのは手を取られているからだ。
「な、何ですか。わたしくしたちは正式な婚約は発表していないのですよ」
「だからだろ。あと、女子校だろうが何だろうが着けろ」
「女の子たちしかいませんよ」
男女共学ならまだしも私の入学するところは女子校だ。何の問題があるのだろうか。
「お前の入学する学校ははロイヤルソードと交流がある。だから受け取って着けとけ」
ならば殿下も、という言葉を飲み込んだ。これでは私たちはまるで恋人同士のようだ。
「余計な虫が減るぞ」
「虫になるような殿方はいません」
きっぱりと答えればレオナ殿下は眉間に皺を寄せる。だが、その殿下を無視して綺麗に指に納まっているリングを抜き取って突き出す。
「リングはお返しします。わたくしに近寄る殿方はいませんので」
武術に優れた無骨な女など上品なお坊ちゃんが多いロイヤルソードの人は見向きもしない。虫よけも何にもなりはしない。
「殿下。お返しします。受け取ってください」
「はぁ。わかった。そうだな。俺もやりすぎた」
私の手のひらにあったリングを殿下は取った。それからまた無造作にポケットに突っ込んだ。殿下が受け取ってくれて安心する。けれど目の前の人にいまだに恋する私が肩を落としているのが気に喰わない。
――勘違いしないの。ただの〝許嫁〟同士なのだから。
正式な婚約発表もしていない。殿下に相応しい女性が出てくればすぐにお払い箱にされる程度なのだ。それに殿下はこれからナイトレイブンカレッジに行く。世界ももう少し広がるだろう。もしかしたらひょんなことから女性と出会い恋に落ちるかもしれない。だから、いつでも婚約解消できるように心がけなくてはいけない。
「おい。難しい顔してないでいくぞ」
「ぁ、はい!」
張りのある声で返事すれば殿下の耳が少し伏せる。どうやら彼の耳に響いてしまったようだ。申し訳ないけど可愛らしくて微笑ましい。
「なに笑ってやがる」
「いいえ。何でも」
零れる笑みに殿下は舌打ちしながら足早に歩き出す。何のこれしき私も彼の速度に合わせてついって行った。
入学して一年目。寮対抗マジフト大会であの方は故郷にいるときより随分と輝いて見えた。寮の中継で見た殿下はMVPに選ばれキャプテンである私の兄に頭をぐちゃぐちゃに掻き回されていた。そのときの殿下はいつになく年相応の無邪気な顔が見えた気がして頬が緩んだ。
その年のウィンターホリデーはいつになく饒舌で愉しげな横顔に安堵した。お互い魔法について論議も熱を増してそこに上級生の兄が混じる。そんな日々を過ごしたホリデーは今思えば本当に楽しかった。
二年目。兄が進級し四年生になるとレオナ殿下がサバナクロー寮の寮長となった。副寮長はいないが何とかいっているらしい。私も進級と同時に副寮長になりお互い連絡を取る時間も短くなった。けれど、ホリデー期間に会えば他愛もない会話をした。
三年目。例の茨の谷の次期王位継承者が入学した年。レオナ殿下の中に残っていた何かが霧散した年でもあった。
中継で流れた常勝サバナクローが負ける瞬間。歯が立たないというのはこういうことかと見せつけられたようだった。そして、その光景がまるでどうあがいても覆らないのだとレオナ殿下に見せつけらえているようにさえ思えた。
呆然と中継を見つめながら私は早くウィンターホリデーを来ることを待った。そして、ついにその帰省期間となり足早に帰省した。
だが、考えてみればあの方が故郷に帰って来るのだろうか。もしかしたらないかもしれないと考えながら殿下の帰省を待った。
レオナ殿下は帰って来た。帰省した翌日いつものあのベンチに向かうと殿下がいた。安堵するのも束の間、遠目から分かるほど殿下に覇気が感じられなかった。
その姿に泣きそうになった。鼻の奥がツンとしてジワリと目尻に涙が浮かんだ。私が泣いたところで意味はない。寧ろ泣くことの方があのお方に対する侮辱にも思えた。だから何とか堪えた。
「はぁ。行かないと」
泣く意味はなし。目尻に滲んだ涙を拭って二番目の兄に嫁いできた義姉から貰ったコンパクトを開く。メイクは崩れていない。泣いた形跡も分からないだろう。これなら大丈夫。
「いつも通り、いつも通りで、」
どんな態度もレオナ殿下の琴線に触れてしまうかもしれない。ならばいっそいつも通りにする方がいい。
ひとつ深呼吸して私は殿下のもとへ歩き出した。結果、力み過ぎてロングスカートのワンピースの裾に足を絡めて盛大にこけた。こけるなんて久しぶり過ぎて受け身も取れなかった。
「うっ、っなんて、ぶざ、ま、なっ」
武人の娘が情けない。体幹でどうにかできなかったのか。自分自身に色々ツッコミをしながら顔をあげる。バチと殿下の目が合う。目を見開く殿下に「見ていらっしゃいましたか」と情けない声を出しながら訊ねる。
殿下は丸くなっていた目をしならせて意地悪く口角をあげて「……バッチリとな」と答えた。途端、凄まじい羞恥心が駆り立てられた。これは自害しなければいけないレベルだと顔を手で覆い尽くしていると――。
「ぶはっ、くっ、あっははっ!」
レオナ殿下が顔を上に向けて盛大に笑い声を上げた。それから私の転び方が余程だったらしくツボにハマり身体を折り曲げて目尻に涙まで浮かべて笑い続けた。
あんまりにも笑い続ける殿下に立ちあがりよろけながら近づく。それでも引き攣った笑い声を出す殿下に無礼とは承知と思い声をあげる。
「殿下、あまりにも、あまりにも、です! 笑いすぎです!」
不敬とはわかっていながら殿下の肩をバシバシと叩く。殿下は手で制してなんとか笑いを飲み込んで「悪ぃ、悪ぃ」と言う。でも、唇の端がまだ哂っているから絶対に思っていない。
「もういいです! 殿下が盛大にこけたときに笑って差し上げますから!」
フンと鼻を鳴らしながら殿下の隣に座る。そして、汚れたスカートを叩いていると血が着いたのが見えた。パッと手を見るとすりむいていた。すりむいていると分かるとジンジンと痛くなってくる。
ふぅと溜息をついて魔法で応急処置をしようとしたら。パッと手首を大きな手で掴まれた。にゅっと出てきた手の持ち主を反射的に見る。
「な、何ですか」
「応急処置だ」
殿下はどこからともなく取り出したマジカルペンを振る。キラキラした粒が私の手のひらいや、身体に巻き付いて吸い込まれていく。すると、身体の痛みがスッと引く。
「屋敷に戻ったらちゃんと見てもらえよ」
「はい。ありがとうございます」
血も止まり、痛みも消えたことに殿下の魔法技術の高さを感じる。私ではきっとそこまで器用に出来ない。
「殿下のお蔭で痛くなくなりました。散歩いかがいたします?」
「あーぁ。今日はいい」
「左様で、す、えっ?」
途端に殿下顔が消えたと同時に太腿に重みが乗った。視線を下に向ければ殿下の頭があった。これは膝枕というやつではないか。実際は太腿だがこの柔らかくもない太腿に殿下の頭が乗っている。先ほどとは別の羞恥心が込み上げる。けど、何とか、それを隠して平静に「殿下。枕お持ちしますよ」と言う。
「いい、ここでいい」
「……私の太腿硬いかと」
「そうでもねぇよ」
「いいから黙れ」と付け足されてしまった。そして、殿下からすぐに寝息が零れた。その間僅か三秒。あまりの早い睡眠に感心する。
寝ていることをいいことに殿下の整った顔立ちを見る。十八歳となった殿下は年々艶を増している。幼い頃は美少女のようであったし、今は美少年を経て美青年に変貌しようとしている。
「霞むわ」
このような美しい殿方の隣に立てる女性はいるのだろうか。きっといるならば可愛らしいとか、美少女と呼ばれる分類だろう。たとえば、そう、王妃様のような女性が似合う。
時折、レオナ殿下とファレナ陛下、王妃陛下となったかつての殿下の初恋の人が一緒に居るのを見る。そのときレオナ殿下の隣に王妃陛下が立つと陛下とはまた違うしっくりさがあった。殿下にもあのような可愛らしい可憐な女性が似合うのではないだろうか。自分のような武術に明け暮れていた無骨な女ではない方がいい。私はそうできればそれを傍で見守る人になりたい。
殿下の寝顔を始めてまじまじと見下ろす。端正な顔に似合わない険しい寝顔だった。眉間に僅かに寄っている皺。食いしばっているようにも見える唇。寝ていても彼にとっては安らぎではないのだろうか。
両親や兄たちが幼い頃にしてくれたように頭を撫でようかと手を伸ばすが止める。人間は意外に寝ているとき気配に敏感になる。王族であるレオナ殿下なら尚更だ。気配に敏い殿下に触れないほうがいい。
――足が痺れるまでは頑張ろう。
次の年なんとレオナ殿下は留年した。ダブったのだ。宮殿の中では彼に対する陰口が増えた。何故そのようなことをするのかと首を捻ったがひとつ考えが浮かぶ。
もしかしたら殿下はマレウス様にマジフトで再チャレンジしたいのではないだろうか。最上級生になる四年生は研修のため学校の行事や運営から手を引く。レオナ殿下が四年生になってしまえばもうマレウス様とマジフトにチャレンジできない。
いや、でも出席日数が足りないとかの可能性もある。殿下は優秀な方だから勉強に何ら問題はないだろう。でも、昼寝をする時間が長くなったとか、眠くなる時間が増えたと言っていた。それが学園でも同じなら殿下ならば分かりきった授業を受けるよりも昼寝を取る気がする。
そんなことを悶々と考えながら私は最上級生を迎えより忙しくなった。それは寮長をしていた三年生のときよりも忙しかった。だから、その年の寮対抗マジフト大会の中継を見ることがなかったが結果を聞いて私は一抹の不安が過った。その年、殿下は冬休みも春休みも帰って来ることはなかった。
次の年、私は学校を卒業すると同時に国王陛下から宮殿に入るよう命じられた。その宮殿はかつて王妃陛下が過ごした宮で王族の婚約者になった娘が結婚するまで過ごす場所だ。これは私がレオナ殿下の婚約者に内定した瞬間だった。
レオナ殿下はこれに異を唱えなかった。そんな彼は再び留年した。新年度から三回目の三年生を始める。
その前の夏休みに私は引っ越しを済ませ散歩の待ち合わせ場所にいた。召使から日傘を受け取って彼をいつものベンチに待っていたが来る気配がない。殿下は私があの宮に移ってから会う回数を減らしている。それに周りは密やかな陰口を叩き出す。
「レオナ様のお心変わり?」
「外に女が出来たのでは?」
「そうですな。何せ、また留年をしたのだから」
「いや。もしかしたら――」
王族に対してなんて不敬な。いや、全ての国民が王族を支持しているわけではない。だから、不満を口にすることはいい。しかし、王族に仕える身分の者たちが何故こうも口を揃えて下品な言葉を並べるのだろうか。
陰口を叩く者たちをつい睨んでしまったがすぐに蜘蛛の子を散らすように逃げて行った。何も彼ら彼女らは私が恐ろしいのではない。私の背後にいる父や兄たちが恐ろしいのだ。だが、小娘の私を恐れくらいの気の小ささを見るとたいした者たちではないのだろう。
そのときのことを思い出してフン、と鼻を鳴らすと後ろから人の気配がした。振り返るとそこには召使がいた。
「どうしました?」
「はい。レオナ殿下よりお言付けです」
「分かりました」
耳を傾けると殿下は今日来ないことが伝えられる。それに気持ちは沈みかけるが殿下のここ最近の行動を見れば頷ける。では、帰ろうと立ち上がると熱を孕んだ強い風が吹く。
「あっ!」
ふいに日傘が風に煽られる。咄嗟に手に力を入れるはずみで見上げる形になった時だった視界の端に見慣れた人影が映った。
――殿下。
宮殿の二階の小さな窓からレオナ殿下がこちらを見ていた。その姿はあっさりと消えてなくなった。遠く離れていても殿下の姿を見ることができた。でも、胸に渦巻くのは不安だった。遠くからでも分かる暗い緑の瞳に自分の無力さを感じる。
魔法の扱いに長けて、年齢も重ね成人をしたが結局私自身は使い物にならない。幼い頃から変わらず役立たずのままだった。
無力さに打ちひしがれても時は流れる。殿下が三回目の三年生を迎えて再び寮対抗マジフト大会の季節がやって来た。今年はチェカ王子が直接観戦に行きたいとのことで私は付き添いすることとなった。
それを両親たちに伝えれば実家から大量の布、宝石、など贈られてきた。どうやら久々に殿下の前に行くのだから着飾れとのことだそうだ。持って来た母、義姉二人に、侍女たちによって私はゴテゴテに着飾らせられることになる。
中継でずっと見ていたナイトレイブンカレッジの寮対抗マジフト大会。その会場はなるほど様々なスポンサーの人間がいたし、プロリーグのスカウトもたくさんいた。そんな中、王族とその付き添いということで私たちは見晴らしのいいところにいた。
――学園側に落ち着きがない。
慌ただしいというよりも何だか落ち着きがない。何だろうと慎重に辺りを探っているときだった。目の前に美しい羽を持った鳥が飛んできた。その鳥を見て私は咄嗟に腕を翳す。
この鳥はあれだ。ラギーさんとの連絡用の取りだ。
ラギー・ブッチ。昨年からレオナ殿下の学園での世話を焼いているというハイエナの獣人。その獣人が一年生のとき私は会いに行った。スラム街のラギーさんの家を訪ねるととても驚いた顔をした。
私は驚くラギーさんにある依頼をした。時折でいいから殿下の様子を報告してほしい、と。勿論、賃金は出すし、頻繁でなくてもいい、と。ラギーさんは訝しげにしつつも引き受けてくれた。あれから、たまに殿下の様子を報告してくれた。
その連絡手段なのがこの鳥だ。急に現れた鳥に私は首を傾げつつチェカ殿下に断りを入れて席を外す。鳥を肩に移し手紙を開く。手紙は急いでいたのか書き殴ったような字だった。読めないことはない。でも普段より荒い字にすぐに目を通すと――。
「オーバーブロット……殿下が?」
驚愕に目を見開く。オーバーブロットは下手をすれば死に至る現象だ。幸いレオナ殿下の命は無事だったようで胸をなでおろす。
「このまま大会に出るというの……」
なんて無茶をと思いながら殿下が決めたことに口を出すつもりはなかった。でも、不安が消えず手紙を見下ろしていると。
「おねぇたん! 始まるよー!」
「はいっ!」
チェカ殿下の無邪気な声に我に返る。振り返ると会場からワッと賑わい観客席も同じくらい賑わい始める。手紙を仕舞って鳥を解き放つ。そして、駆け足で席に戻る。
私の心配は杞憂だった。殿下は憑き物が落ちたような顔をしてマジフトを楽しんでいた。
――よかった。
これでレオナ殿下の何が変わる訳ではない。立場だって第二王子でチェカ殿下が健在の今彼の王位継承はないだろう。宮殿での立場だって大きく変わらない。でも、それでも少しでも殿下の中の心が晴れてくれたならいい。
私はずっと心の中にあったことを今日殿下に告げようと心に決めた。
――殿下の隣は私じゃなくてもいい。
どうか殿下が認めた人と共に生きてほしい。もう許嫁とか、婚約者とか、何にもしがらみのない誰かと共に生きてほしい。一人で生きていけるほど強い人かもしれないけれどできれば誰かと共に生きてほしい。
――最後に強く輝く貴方様を目に焼きつかせて。
私はどこかすっきりとした殿下を見つめた。
* * *
結果、婚約解消に至らず私はまだレオナ殿下の横にいる。
春休みに殿下はウィンターホリデー同様に帰省していた。以前のホリデーで色々。もう本当に色々あったが私はまだ隣にいることを許されている。愛されていると己惚れてはいない。けれど、少なからず大切にされていると思うようにはなった。
思い出してこそばゆさに唇を緩めているとレオナ殿下に呼ばれる。
「はい。何ですか。殿下」
「手ぇ出せ」
言われて手を出す。殿下は私の手を掴むと手のひらの方を向かせた。それからまた彼の大きな手のひらからキラキラしたものが落ちた。
「殿下、これは」
見覚えのある小さなピンキーリングが手のひらにあった。
「やる。今度こそ受け取れ」
今度は返しても受け取ってくれないだろう。けれど、私はまだこのリングを受け入れられない。
「あ、あの殿下」
「返すなよ」
真剣な眼差しを向ける美しい深緑の瞳に一瞬胸ときめく。このまま流れのままにこのリングを受け取ってしまいそうになるけれど受け取れない。そうだ。今度こそ本当に受け取ってはいけない。
「あの、レオナ殿下。実はわたくしずっと貴方様に隠していたことがあるんです」
「あ?」
突然の私の話に殿下は片眉を上げる。私は逸らしたい目を何とか殿下に合わせて震える口で隠し続けていたことを告げる。
「わたしくし青が嫌いなんです。いいえ。大嫌いなんです」
言った。恋していることに気づいてから嫌いになってしまった色を告げた。これを言えたら何も怖くない。でも、ずっと青の贈物をくれた殿下は大丈夫だろうか。
殿下の様子を窺うと目を丸くさせ呆けた顔をした殿下は徐々に顔色を失くしていく。
「い、いつからだ。いつから嫌いだった?」
喉に声を忘れてしまったのではないかという掠れた声で訊かれる。私は素直に答える。
「十一歳の頃からです」
「っ! ば、馬鹿か! 嫌いならさっさと言え!」
「言えるわけありません!」
「それでも言えっ! ったく、ガキの頃に喜んでいたから、俺はてっきりっ」
「あ~クソッ!」と頭を掻き目の端に掠める尻尾は苛立ちに動いている。苛立つ殿下に私を睨む。殿下の睨みに怯む前に手のひらに乗ったリングを奪うように取り上げた。
「作り直す。何色が好きなんだ」
「え」
乱暴にポケットにリングを仕舞った殿下に私は言葉に詰まる。私は青が嫌いだ。その反対に好きな色も勿論ある。あるがそれをレオナ殿下に言うのは恥ずかしい。
「好きな色。ねぇのか?」
「いえ、あることにはあります、が」
「なら、はっきり言え。その色の石で新しいリングを作る」
凄まじい意気込みに私は今度こそ観念しなければいけない。分かりました、と頷いて私は殿下の目を真っ直ぐに見据えて答えた。
「わたくしの好きな色は――レオナ殿下の瞳と同じです」
じわりと込み上げる照れくささに殿下を見つめるのも耐えられずに視線を外すと。
「くっ、くくっ。おま、お前、俺のこと好き過ぎだろ」
笑いだした殿下を睨みつけようとして私は目を見開いた。殿下は何時ぶりだろうか。目の下に皺を作って笑っていた。幼い頃に笑った殿下のままではないがその姿がいた。
「はぁっ。わかったよ。お前の大好きな俺の瞳と同じくらい綺麗な石を填めてやる」
見惚れたままの私の手を取った殿下はその指先に口づけを落とした。ついでとばかりに薬指にも同じく、いや少しだけ長く口づけを落とした。
世の女性が惚れ惚れするようなほどスマートだった。このお方とやはり隣に居るのは至難の業な気がして来た。
唇を離したレオナ殿下はそのまま私の手を握って指を絡めた。俗に言う恋人繋ぎをした。その大きな手は無骨さが少しだけ抜けた私の手を簡単に納めてしまった。
「行くぞ、散歩」
「あ、はい」
引かれて歩き出すと殿下と私の歩く速度は同じだった。それが夢のようで私は少しだけ泣きたくなった。
今日も私は彼と日課の散歩をしている。そして、これからもずっとそれが私であればいいと願わずにはいられなかった。
2021.01.26 文章改稿
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