青が嫌いな理由を貴方は知らない
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青が嫌いな理由を貴方は知らない・1
「やる」
手を出せと言われて差し出した手のひらにパッと青いリボンが落とされた。ツルツルとした手触りの青いリボンは手のひらから零れ落ちそうで慌てて掴んだ。
形が崩れぬように柔らかく握りつつ鮮やかな青のリボンとレオナ殿下を交互に見る。
「なんだ、気に入らねぇのか」
「い、いいえ。そんなことありません。ありがとうございます」
片眉を上げて目を細めるレオナ殿下に慌てて首を横に振る。
「あの、気に入らないわけではないのですが……」
このような可愛らしいリボンを貰う理由が分からなかった。名門と名高い武門の一族に産まれた私はまだ同い年の女の子のようなオシャレに興味がなかった。兄二人と武術の鍛錬をするのが何よりも楽しかった。可愛らしい小物も一番年上の兄の婚約者からもらうくらいで可愛らしい物に縁がない。
今だって同じ年頃の女の子たちと比べるとだいぶシンプルなワンピースを着ている。可愛いのは腰に巻かれた緑のリボンくらいで、本当に縁がないのだ。その縁のない物をレオナ殿下から貰うというのはすごく不思議でたまらない。
「殿下、これはどうすれば?」
「……俺が知るかよ」
では何故リボンをくれたのか。はっきりとした意味もなくリボンは貰えないが王子であるレオナ殿下に突き返すことはできない。
「いらねぇなら捨てておけ」
私の反応が鈍いのにレオナ殿下はしびれを切らしたようだ。
これでは失礼極まりない、と何か言い募ろうとしたけれど何を言っていいかわからない。どうしようかと思考を回していると、レオナ殿下はこちらに背を向けて尻尾を揺らして歩き出してしまった。どうやら日課の〝散歩〟が始まってしまったようだ。
ゆったりと歩き出した背中を追いかける前にそっとワンピースのポケットにリボンをしまう。すぐ傍にいる侍女に渡してもよかったけれど何故か他人に渡したくはなかった。
「殿下! お待ちください!」
少し先を行く殿下を追いかける最中、私の心はどこか浮足立った気持ちになった。お蔭で殿下の後ろで盛大にこける羽目になった。
* * *
あの日からレオナ殿下から頂いた青いリボンを見つめることが日課になった。お下がりの花の透かし彫りが施された可愛い小物入れ。それに無造作に入れていたお下がりのリボンを取り出して今は殿下から頂いたリボンだけ入れている。
毎朝、毎晩。私はそのリボンを取り出して眺めていると、侍女が髪に着けてみないかと提案してきた。
「きっとお似合いになりますよ」
「えっと……」
誰よりも丁寧なブラッシングに心地よくなっていたが今はすっかり目が冴えてしまった。それに微笑まれながら侍女はブラシをする手を止めて鏡越しに私を見る。
「でも、せっかく殿下に頂いたのに」
もったいない、と言えば鏡越しに侍女は目尻を下げた。彼女には私と歳の変わらない妹がいるそうだ。だから今の彼女はどこか妹に接するように言う。
「ですから、ですよ。せっかく頂いたのです殿下の前で着けて差し上げればお喜びいたしますよ」
「そうなの?」
「はい。贈り物とはそういうものです。特に殿方からいただいたものは尚更」
へぇ、と感心して私は鏡越しに彼女に見ておずおずと木の小物入れを指さす。
「リボンはそこに入っているの……お願いしていい?」
「はい。とびきり可愛らしく仕上げてみせますから」
ブラシを片手に美しく微笑む侍女に少し怯えつつブラッシング再開された。それから私は彼女のブラッシングにまた船を漕ぐことになった。
レオナ殿下はまだ前の手習いが終わっていないからベンチで待っているように言われる。大人しくベンチで待つがどうにも落ち着かない。
――変じゃないかな。
いつもと違う髪型に落ち着かない。髪の毛は稽古のときに邪魔にならないように結ぶくらいであまり凝った髪型にしたことがない。綺麗にまとめられた髪のポイントになるように括られたリボン。見送った母とすぐ上の兄に褒められたのは嬉しくて照れる。
落ち着かなくて髪の毛に触れていると後ろから来る気配に気づかなかった。
「何だ。捨てたんじゃねぇのか」
「っ! で、殿下っ!」
背後にある気配にようやく気づいてベンチから飛びあがるように立つ。振り返った殿下は突然立ち上がった私に驚いたのか目を丸くさせている。
「ンだよ、びっくりすんじゃねぇか」
「い、あ、いえ、すいません」
確かに飛び上がるほど驚くことではない。瞬く間に羞恥心に苛まれる。顔に集中する熱を隠すように頭を下げる。
「別にそこまで謝る必要もねぇよ」
「あ、はい。はい」
もう今日は駄目だ。いや駄目な日もしっかりと一日過ごすことが大事なのだ。これ以上失敗を起さないように気合を入れて顔を上げる。
顔を上げると殿下がこちらをまじまじと見つめていた。あまりにも見つめられて居心地が悪くなる。
「えっと、殿下、何でしょう」
「いや。お前でもそういう髪型するんだなってな」
「これは、そのっ」
咄嗟に手で隠すとレオナ殿下がクツクツと笑う。
「別に隠すことでもねぇだろ。似合ってるぜ」
「へ、ええ?」
「あ? なんだよ?」
間抜けな声を出すとレオナ殿下は眉を片方上げて口角を下げた。
「いえ。殿下が私に対してそのようなことを、とは」
「ああ? どういう意味だ」
「そのままの意味です」
女の子に対するような言葉を私に送るのはすごく新鮮だった。彼がそういう言葉を捧げるのは他の儚げで可愛らしくつい守って上げたくなるような女の子だけだと思っていた。
不思議そうな私に殿下は深く溜息をついてから頭を掻く。そして、最近妙に艶の増した新緑の瞳でこちらを見た。その年齢に似合わない艶に鼓動がひとつ鳴る。だが、次の殿下の深い溜息で霧散する。
「はあぁ。お前そんなんだから色気のひとつも出ねぇんだよ」
「……はぁ」
突然私と縁のない「色気」という言葉を投げかけられた。まだ子供の域を出ない私には本当に無縁なので生返事しか返せない。
殿下の言葉が何も響いていないことが私の生返事をしたことで分かったようだ。もう一度深い溜め息をつくと首を右に動かした。
「さっさと行くぞ」
「はい!」
今日も日課の散歩が始まる。さらりと首筋にリボンの感触は先ほどよりも気にならなくなっていた。
* * *
私はそれから殿下との日課の散歩を共にする際はリボンをするようになった。そして、リボンの一件から殿下から青い物が贈られるようになった。
レオナ殿下はセンスがいいのか年頃の女の子が好みそうな物を贈ってくださる。とはいえ、同年代の女の子のような感覚がないので私にはよく分らない。よく分らないのだけれど彼からの贈物はとても嬉しかった。
今日は以前いただいたフリルのついた青いリボンを着けてもらった。一層可愛らしくなったリボンに初めて着けたときのような落ち着きのなさが沸き上がる。
今日も日課の散歩でもう少し待ってほしいと言われた。今日も手習いが終わるのが遅れているらしい。愛想笑いを浮かべ言付けを届けに来た召使は別の召使を呼んだ。そして、その召使に案内された庭園でお待ちくださいと言われ待つことにした。
「庭園かぁ」
いつもブラブラするだけの散歩だったが今日は庭園。庭園での散歩は初めてだ。少しワクワクする。
早く殿下来ないかなぁと白いベンチに腰掛ける。すると、何か人の声が聞こえた。
耳をぴくぴく動かしながらその音の方角を探る。どうやら庭園の中から聞こえる。そして、その声はどうやら男の人と女の人のようだ。
――デートかしら?
結婚前の兄と義姉がよくしていた。それが宮殿の庭園で行われている。サァッと私は血の気が引く音がした。宮殿の庭園でデートができるなんて王族以外考えられない。その年頃にあるのはレオナ殿下の兄である第一王子のファレナ殿下だけだ。
「こ、ここから離れないと」
一度兄たちのデートに遭遇して居たたまれなさはなかったことがある。それが第一王子となれば尚更居たたまれない。
――うっ、あっ、あああ! レオナ殿下すいません!
私は庭園の中で隠れることを選んだ。今思えばその選択をしなければ〝青〟が嫌いにならなかったのかもしれない。
庭園の中は夕焼けの草原では見たことのない花ばかりだ。見たことのない珍しい花々に目を取られながら匂い強いが花が多く鼻を刺激する場所に一度入り込む。ここの匂いを身に纏えば私がここにいることも分かり辛くなるだろう。
出入り口から離れようと気配と足音を消して庭園の中を進む。だが、見知らぬ庭園。その中など私は知らない。デートと中の男女の邪魔をしないように、遭遇しないように逃げ込んだはずなのに私の耳はその若い男女の声を拾う。
――ああ! 私の鼻、馬鹿になってる!
つい数分前に自分の匂いを隠すために身に纏った匂いに鼻をやられてしまったようだ。もう身を隠すしかない。幸いここは花が群衆しているし大きな鉢植えによく分らない植物もある。まだ小さな身体の自分を隠すことができる。
屈みこんで息を潜めて耳を必死に動かす。徐々に近くなる声と足音に私は首を傾げた。
――この声、ファレナ殿下じゃない?
もうひとつの鈴を転がしたような声は女性だ。そして、その声に一度聞き覚えがあった。ファレナ殿下の許嫁のお方だ。確か、優しい顔立ちでライオンの獣人の割には小柄な印象が先立つ人だった気がする。紹介されたときに聞いた声に似ている気がする。なら、やっぱり傍にいる人はファレナ殿下なのかもしれない。
耳をそばたてている。聞き覚えのある高い少年めいた声であることに気づく。いや、聞き覚えがあるんじゃない。その声は――。
――レオナ殿下、だ。
ドキと鼓動がひとつ高鳴る。でも、それはとても嫌な高鳴りで今すぐにここから駆け出していきたいような衝動にかられる。何故、逃げ出したくなるような衝動に駆られるのか分からない。
いや、逃げ出さなくても普通に出ていけばいいじゃない。でも、勝手に庭園に入っては怒られてしまうし、なんて言い訳をつらつら頭に浮かべる。
はて、でも、何故自分は言い訳をしているのか。じわりと嫌な汗が滲み出る。
私が混乱している中、声は徐々に近くなりファレナ殿下の許嫁殿とレオナ殿下の声であることがはっきりとわかった。
「よかった。喜んでくれたのね」
許嫁殿の声がワッと上がる。嬉しさを滲ませた声は一体どういう意味だろう。その意味を考える前に彼女の傍にいるのだろうレオナ殿下の言葉で理解した。
「ああ。あいつも喜んでいたぜ」
「もう。レオナったら貴方ほんとうに女の子のこと分っていないわよね」
「うるせぇ」
気軽に交わされる会話は自分たちの会話と比較してしまう。馬鹿だ。彼と私は主従関係のようなもの。幼い頃から共に過ごしていたが許嫁殿ように家族になる間柄ではない。けれど、それ以上に私はレオナ殿下がファレナ殿下の許嫁殿に心を許している気がした。
そっと花々の間から見ると二人と距離があった。ただの人間であれば表情は見られないだろうが獣人の私は目がいい。だから、朗らかに微笑む許嫁殿の表情とレオナ殿下のいつになく愛しみが籠った眼差しがよく見えた。
少年には不釣合いとも取れる熱のある眼差し。その眼差しを私は知っている。兄が妻である義姉に向ける眼差しだ。
――殿下はあの方を想っているのですね。
レオナ殿下の叶わない想いに胸が熱くなる。同時に醜い感情を私は初めて知ってすぐに蓋を閉めた。これは私が抱いていい感情ではない。でも、抑え込むには今の自分では未熟すぎる。
私は最後に二人を見てそっとその場を離れた。庭園から離れてすぐに私は駆けだした。頭に浮かぶのは自分の頭にあるリボン。何故青いリボンなのか考えたこともなかった。そう。そうだ。あの人の瞳は美しい〝青〟だった。
瞬間、私は激情に駆られ髪の毛が引っ張られるのもお構いなしにリボンを引き抜いた。それからの記憶はない。それからいつの間にか屋敷に辿り着いていた。
出迎えた召使が悲鳴を上げて我に戻る。悲鳴を聞きつけたすぐ上の兄、他に母に義姉が驚愕に目を見開き青ざめた。
兄は怒りに満ち溢れた顔で「誰にされた」と低い声で問いかけた。何を、と私は首を傾げると首に髪が当る感触がした。
今日は髪を纏めていたのに、と髪に手を伸ばしかけてボロボロになったリボンが握られているのが目の端に映る。これはいつとリボンを見ると先ほどの庭園での出来事を思い出す。それからもう駄目だった。
私は乱れた髪、どこを通ったのか分からないほど汚れたワンピースのまま声を上げて泣いた。母が、義姉が抱きしめてくれた。兄が優しい声をかけながら頭を撫でてくれた。けれど、私の涙は次から次へと零れ続けた。その時は誰も何も聞かなかった。
私が落ち着いて話せるようになったのは父と兄が宮殿から帰って来たときだ。二人共怒りを滲ませつつも私の前ではそれを何とか抑え込んで「何があったのか」訊ねた。母と義姉に挟まれながら私は落ち着いた頭で一部省いて話した。
話を聞いた皆は一応に深い安堵の溜息をついた。それから母、義姉、兄たち、最後に父に抱きしめられた。後から聞いた話では暴漢に襲われたと思ったらしい。それはそうかとあのときの自分の姿を思い出して笑って二番目の兄に頬を抓られた。
「リボン、やめたのか?」
レオナ殿下の恋心を知ってついでに自分の恋心を知ってから一週間後。私は彼の日課の散歩に付き添っていた。
窺うようなレオナ殿下の言葉に私は苦笑して頷く。
「はい。風の強い日にリボンが解けて飛んで行ってしまったのです。それからもったいなくて着けていないんです。せっかく頂いたのに申し訳ありません」
「別にもうお前のもんだ好きにしろ」
ふいと顔を背けた彼は少し機嫌が悪い。もしかしたらあの方が選んだリボンを私が失くしてしまったからだろうか。それとも彼女の選んだものを見えられないからだろうか。私にレオナ殿下の真意を問う資格はない。だから、その疑問をそっと胸の奥に押し込んだ。
――これで殿下からの贈物も終わりだろうな。
もうないだろう。だから、彼の想い人が選んだものでも大切にしよう。小物入れに大切に仕舞ったリボンを想った。けれど、私の予想と外れて贈物は最後ではなかった。
殿下はその後も会う度に青い小物を私に贈ってくださった。可愛らしい髪飾り、首飾り、ブレスレットに始まり小物入れなど。青ばかりの贈物は見たくなかったがそもそも何故彼は贈物を渡すのだろうか。
困った私は母に相談してみると母は白目をむいた。母曰く、私は殿下の許嫁なのだ、と言われて衝撃を受けた。
――私がレオナ殿下の許嫁? 将来の妻?
身分不相応ではないだろうか。自分の身分と年齢を考えれば適正かもしれない。けれど、不適正だ。いくらレオナ殿下が想い人と並び立つことはないといえこれは酷い話だ。彼の人のことを思うと胸が苦しくなる。
とはいえ、何か変わったことはない。一応確認を取って見ればレオナ殿下は承知済みだったと思うとさらに申し訳なくなる。選択肢はもっとあるはずなのにこんな私を宛がわれるなんて。それでも私に何か言う権利はない。
だから、日常は変わらない。日課の散歩で他愛もない話をして、二人で時折魔法の勉強をする。そして、家では家族と鍛錬をしてちょっと花嫁修業が加わるくらいで何ら変わらない日々が続く。
私は彼に寄り添える存在ではない。なら〝友人〟に〝唯一無二〟の友人になれたらいい。そうすれば彼に他に好きな人が出来て婚約解消になったときも傷は浅い。なんて、弱虫な話だ。でも、私はそれくらしか考えられなかった。
それから数年して、第一王子のファレナ殿下が結婚した。ついにあのお方は永遠にレオナ殿下から離れてしまった。
第一王子の結婚式は盛大に行われた。何せファレナ殿下は次期国王なのだ。その王子の結婚は誰が何を言うまでもなく盛大だ。
私たち一家もその式を近い場所で見ていた。周りがフラワーシャワーを投げる間に私は殿下を探した。殿下は当たり前だが王族が座る席、誰よりも近い席で花婿と花嫁を見ていた。
彼は今何を想っているのだろうか。あの後も数回彼が時折遠くを見つめて彼女に熱い眼差しを送っていたことも知っている。まだ私たちは幼いけれど彼の彼女を想う気持ちは立派な恋情だ。
――レオナ殿下の瞳にはどう映っているの?
花を降らすことも忘れてレオナ殿下を見つめていると彼と目が合ってしまった。しまった、と失態を嘆く前に彼の首が僅かに右に動く。それから背を向けてどこかに行ってしまった。
殿下の行動を考える前に身体が動いていた。傍にいた兄に少し疲れたと言ってその場を離れる。そして、賑わう式場から徐々に離れていき静かな宮殿の中を進み続ける。彼がどこにいるかなんて分からない。でも、散歩で待ち合わせ場所だと何となく分かった。そこに辿り着くと式典服を身に纏ったレオナ殿下が立っていた。
「ふん。よく分かったな」
片脚に重心をかけて腰に手を当て尊大な態度でレオナ殿下がこちらを見る。殿下はもう一度首を動かしてゆっくりと歩き出す。私は後ろからゆっくりと続いた。
喧騒遠くに聞こえるほど宮殿の中に入ったようだ。それでも殿下は止まらない。でも何か話すわけでもなく歩き続けた。私はその後をただ黙って歩き続ける。
これがあとどれくらい続くのかと思った静寂を殿下が壊した。
「何で、花婿と花嫁を見ずに俺を見てたんだ?」
振り返った殿下は片眉を上げて口角を上げ皮肉ったような笑い方をする。何故、痛ましい笑い方をするのだろうか。いつもの皮肉った笑い方も今では一生叶わない恋を隠すように見えてしまう。
「おい。どうしてかって聞いてんだろ」
苛立ちを含んだの声に私はどう答えればいいのだろうか。何を言っても憐みが籠ってしまう気がするし、自分と同じ立場となったと暗い喜びが滲んでしまう。
「おい……大丈夫か?」
ついに心配の言葉をかけられて私は首を縦に動かす。
「はい。殿下の質問に言葉が見つからず……申し訳ありません」
「そんな難しい質問じぇねぇだろ」
こちらを探るような新緑の瞳はさらに大人びて見える。私よりも一歩も二歩も先に行ってしまっているお人だ。
「殿下は大人ですね」
「はぁ?」
こちらの返事に見当がつかないのか目を眇める殿下に言葉を重ねる。
「私は好きな人の結婚式見られません。だから、殿下は大人なんですよ」
「ッ」
眇めていた殿下の目が驚きに見開いた。驚くことが滅多にない人だ。つい笑いが込み上げる。でも、声をあげて笑うのは真剣な殿下に失礼だ。でも笑いが堪えきれずに口元を隠しながら笑う。
「ふっ、ふふ。そんな驚かないでください」
「ッ、テメェ、笑うな!」
珍しく恥ずかしそうに目元を赤らめる殿下に私は何とか笑いを堪える。
「ふぅ。失礼しました。そういうことで感心して見上げていたんです。殿下すごいです」
「最後の付け足した感じしかしねぇぞ」
「これは失礼しました」
軽く謝罪すれば彼は口を結んでから深い溜息をついた。
「気づいていたのか」
「ええ」
そうか、と言う殿下は何も言葉を重ねることはなかった。ただ、佇む殿下を見て言いかけた言葉を飲みかける。青い贈物については今言うことではい。言ったところで意味もない。けれど、いつかその色から離れた贈物をぜひ大切な人にしてほしい。
――いつか素敵な人に。心からそう思える人に。
青はきっと殿下にとって大切な色だ。そして、私にとって今後一生身に着けることはない色。永遠にさようならした色。
「殿下。もう戻りましょう」
「いや。もう少し散歩する……付き合え」
「……はい、わかりました」
こちらに向かって来た殿下は横切る際に私の手を掴んだ。それからゆっくりとした足取りで私の隣を歩く。
「あの、殿下、手を繋ぐ必要はないと思います」
「気分だ」
「は、はぁ」
何の気分だろうか。でも殿下の気分がこれで良くなるならいいなと思った。私は大人しく彼に手を引かれて足を進めた。
でも、レオナ殿下が穏やかな顔をしたのはそれが最後だったかもしれない。殿下の日常はその日を境に転がるように悪い方向へと進んで行った気がした。
「やる」
手を出せと言われて差し出した手のひらにパッと青いリボンが落とされた。ツルツルとした手触りの青いリボンは手のひらから零れ落ちそうで慌てて掴んだ。
形が崩れぬように柔らかく握りつつ鮮やかな青のリボンとレオナ殿下を交互に見る。
「なんだ、気に入らねぇのか」
「い、いいえ。そんなことありません。ありがとうございます」
片眉を上げて目を細めるレオナ殿下に慌てて首を横に振る。
「あの、気に入らないわけではないのですが……」
このような可愛らしいリボンを貰う理由が分からなかった。名門と名高い武門の一族に産まれた私はまだ同い年の女の子のようなオシャレに興味がなかった。兄二人と武術の鍛錬をするのが何よりも楽しかった。可愛らしい小物も一番年上の兄の婚約者からもらうくらいで可愛らしい物に縁がない。
今だって同じ年頃の女の子たちと比べるとだいぶシンプルなワンピースを着ている。可愛いのは腰に巻かれた緑のリボンくらいで、本当に縁がないのだ。その縁のない物をレオナ殿下から貰うというのはすごく不思議でたまらない。
「殿下、これはどうすれば?」
「……俺が知るかよ」
では何故リボンをくれたのか。はっきりとした意味もなくリボンは貰えないが王子であるレオナ殿下に突き返すことはできない。
「いらねぇなら捨てておけ」
私の反応が鈍いのにレオナ殿下はしびれを切らしたようだ。
これでは失礼極まりない、と何か言い募ろうとしたけれど何を言っていいかわからない。どうしようかと思考を回していると、レオナ殿下はこちらに背を向けて尻尾を揺らして歩き出してしまった。どうやら日課の〝散歩〟が始まってしまったようだ。
ゆったりと歩き出した背中を追いかける前にそっとワンピースのポケットにリボンをしまう。すぐ傍にいる侍女に渡してもよかったけれど何故か他人に渡したくはなかった。
「殿下! お待ちください!」
少し先を行く殿下を追いかける最中、私の心はどこか浮足立った気持ちになった。お蔭で殿下の後ろで盛大にこける羽目になった。
* * *
あの日からレオナ殿下から頂いた青いリボンを見つめることが日課になった。お下がりの花の透かし彫りが施された可愛い小物入れ。それに無造作に入れていたお下がりのリボンを取り出して今は殿下から頂いたリボンだけ入れている。
毎朝、毎晩。私はそのリボンを取り出して眺めていると、侍女が髪に着けてみないかと提案してきた。
「きっとお似合いになりますよ」
「えっと……」
誰よりも丁寧なブラッシングに心地よくなっていたが今はすっかり目が冴えてしまった。それに微笑まれながら侍女はブラシをする手を止めて鏡越しに私を見る。
「でも、せっかく殿下に頂いたのに」
もったいない、と言えば鏡越しに侍女は目尻を下げた。彼女には私と歳の変わらない妹がいるそうだ。だから今の彼女はどこか妹に接するように言う。
「ですから、ですよ。せっかく頂いたのです殿下の前で着けて差し上げればお喜びいたしますよ」
「そうなの?」
「はい。贈り物とはそういうものです。特に殿方からいただいたものは尚更」
へぇ、と感心して私は鏡越しに彼女に見ておずおずと木の小物入れを指さす。
「リボンはそこに入っているの……お願いしていい?」
「はい。とびきり可愛らしく仕上げてみせますから」
ブラシを片手に美しく微笑む侍女に少し怯えつつブラッシング再開された。それから私は彼女のブラッシングにまた船を漕ぐことになった。
レオナ殿下はまだ前の手習いが終わっていないからベンチで待っているように言われる。大人しくベンチで待つがどうにも落ち着かない。
――変じゃないかな。
いつもと違う髪型に落ち着かない。髪の毛は稽古のときに邪魔にならないように結ぶくらいであまり凝った髪型にしたことがない。綺麗にまとめられた髪のポイントになるように括られたリボン。見送った母とすぐ上の兄に褒められたのは嬉しくて照れる。
落ち着かなくて髪の毛に触れていると後ろから来る気配に気づかなかった。
「何だ。捨てたんじゃねぇのか」
「っ! で、殿下っ!」
背後にある気配にようやく気づいてベンチから飛びあがるように立つ。振り返った殿下は突然立ち上がった私に驚いたのか目を丸くさせている。
「ンだよ、びっくりすんじゃねぇか」
「い、あ、いえ、すいません」
確かに飛び上がるほど驚くことではない。瞬く間に羞恥心に苛まれる。顔に集中する熱を隠すように頭を下げる。
「別にそこまで謝る必要もねぇよ」
「あ、はい。はい」
もう今日は駄目だ。いや駄目な日もしっかりと一日過ごすことが大事なのだ。これ以上失敗を起さないように気合を入れて顔を上げる。
顔を上げると殿下がこちらをまじまじと見つめていた。あまりにも見つめられて居心地が悪くなる。
「えっと、殿下、何でしょう」
「いや。お前でもそういう髪型するんだなってな」
「これは、そのっ」
咄嗟に手で隠すとレオナ殿下がクツクツと笑う。
「別に隠すことでもねぇだろ。似合ってるぜ」
「へ、ええ?」
「あ? なんだよ?」
間抜けな声を出すとレオナ殿下は眉を片方上げて口角を下げた。
「いえ。殿下が私に対してそのようなことを、とは」
「ああ? どういう意味だ」
「そのままの意味です」
女の子に対するような言葉を私に送るのはすごく新鮮だった。彼がそういう言葉を捧げるのは他の儚げで可愛らしくつい守って上げたくなるような女の子だけだと思っていた。
不思議そうな私に殿下は深く溜息をついてから頭を掻く。そして、最近妙に艶の増した新緑の瞳でこちらを見た。その年齢に似合わない艶に鼓動がひとつ鳴る。だが、次の殿下の深い溜息で霧散する。
「はあぁ。お前そんなんだから色気のひとつも出ねぇんだよ」
「……はぁ」
突然私と縁のない「色気」という言葉を投げかけられた。まだ子供の域を出ない私には本当に無縁なので生返事しか返せない。
殿下の言葉が何も響いていないことが私の生返事をしたことで分かったようだ。もう一度深い溜め息をつくと首を右に動かした。
「さっさと行くぞ」
「はい!」
今日も日課の散歩が始まる。さらりと首筋にリボンの感触は先ほどよりも気にならなくなっていた。
* * *
私はそれから殿下との日課の散歩を共にする際はリボンをするようになった。そして、リボンの一件から殿下から青い物が贈られるようになった。
レオナ殿下はセンスがいいのか年頃の女の子が好みそうな物を贈ってくださる。とはいえ、同年代の女の子のような感覚がないので私にはよく分らない。よく分らないのだけれど彼からの贈物はとても嬉しかった。
今日は以前いただいたフリルのついた青いリボンを着けてもらった。一層可愛らしくなったリボンに初めて着けたときのような落ち着きのなさが沸き上がる。
今日も日課の散歩でもう少し待ってほしいと言われた。今日も手習いが終わるのが遅れているらしい。愛想笑いを浮かべ言付けを届けに来た召使は別の召使を呼んだ。そして、その召使に案内された庭園でお待ちくださいと言われ待つことにした。
「庭園かぁ」
いつもブラブラするだけの散歩だったが今日は庭園。庭園での散歩は初めてだ。少しワクワクする。
早く殿下来ないかなぁと白いベンチに腰掛ける。すると、何か人の声が聞こえた。
耳をぴくぴく動かしながらその音の方角を探る。どうやら庭園の中から聞こえる。そして、その声はどうやら男の人と女の人のようだ。
――デートかしら?
結婚前の兄と義姉がよくしていた。それが宮殿の庭園で行われている。サァッと私は血の気が引く音がした。宮殿の庭園でデートができるなんて王族以外考えられない。その年頃にあるのはレオナ殿下の兄である第一王子のファレナ殿下だけだ。
「こ、ここから離れないと」
一度兄たちのデートに遭遇して居たたまれなさはなかったことがある。それが第一王子となれば尚更居たたまれない。
――うっ、あっ、あああ! レオナ殿下すいません!
私は庭園の中で隠れることを選んだ。今思えばその選択をしなければ〝青〟が嫌いにならなかったのかもしれない。
庭園の中は夕焼けの草原では見たことのない花ばかりだ。見たことのない珍しい花々に目を取られながら匂い強いが花が多く鼻を刺激する場所に一度入り込む。ここの匂いを身に纏えば私がここにいることも分かり辛くなるだろう。
出入り口から離れようと気配と足音を消して庭園の中を進む。だが、見知らぬ庭園。その中など私は知らない。デートと中の男女の邪魔をしないように、遭遇しないように逃げ込んだはずなのに私の耳はその若い男女の声を拾う。
――ああ! 私の鼻、馬鹿になってる!
つい数分前に自分の匂いを隠すために身に纏った匂いに鼻をやられてしまったようだ。もう身を隠すしかない。幸いここは花が群衆しているし大きな鉢植えによく分らない植物もある。まだ小さな身体の自分を隠すことができる。
屈みこんで息を潜めて耳を必死に動かす。徐々に近くなる声と足音に私は首を傾げた。
――この声、ファレナ殿下じゃない?
もうひとつの鈴を転がしたような声は女性だ。そして、その声に一度聞き覚えがあった。ファレナ殿下の許嫁のお方だ。確か、優しい顔立ちでライオンの獣人の割には小柄な印象が先立つ人だった気がする。紹介されたときに聞いた声に似ている気がする。なら、やっぱり傍にいる人はファレナ殿下なのかもしれない。
耳をそばたてている。聞き覚えのある高い少年めいた声であることに気づく。いや、聞き覚えがあるんじゃない。その声は――。
――レオナ殿下、だ。
ドキと鼓動がひとつ高鳴る。でも、それはとても嫌な高鳴りで今すぐにここから駆け出していきたいような衝動にかられる。何故、逃げ出したくなるような衝動に駆られるのか分からない。
いや、逃げ出さなくても普通に出ていけばいいじゃない。でも、勝手に庭園に入っては怒られてしまうし、なんて言い訳をつらつら頭に浮かべる。
はて、でも、何故自分は言い訳をしているのか。じわりと嫌な汗が滲み出る。
私が混乱している中、声は徐々に近くなりファレナ殿下の許嫁殿とレオナ殿下の声であることがはっきりとわかった。
「よかった。喜んでくれたのね」
許嫁殿の声がワッと上がる。嬉しさを滲ませた声は一体どういう意味だろう。その意味を考える前に彼女の傍にいるのだろうレオナ殿下の言葉で理解した。
「ああ。あいつも喜んでいたぜ」
「もう。レオナったら貴方ほんとうに女の子のこと分っていないわよね」
「うるせぇ」
気軽に交わされる会話は自分たちの会話と比較してしまう。馬鹿だ。彼と私は主従関係のようなもの。幼い頃から共に過ごしていたが許嫁殿ように家族になる間柄ではない。けれど、それ以上に私はレオナ殿下がファレナ殿下の許嫁殿に心を許している気がした。
そっと花々の間から見ると二人と距離があった。ただの人間であれば表情は見られないだろうが獣人の私は目がいい。だから、朗らかに微笑む許嫁殿の表情とレオナ殿下のいつになく愛しみが籠った眼差しがよく見えた。
少年には不釣合いとも取れる熱のある眼差し。その眼差しを私は知っている。兄が妻である義姉に向ける眼差しだ。
――殿下はあの方を想っているのですね。
レオナ殿下の叶わない想いに胸が熱くなる。同時に醜い感情を私は初めて知ってすぐに蓋を閉めた。これは私が抱いていい感情ではない。でも、抑え込むには今の自分では未熟すぎる。
私は最後に二人を見てそっとその場を離れた。庭園から離れてすぐに私は駆けだした。頭に浮かぶのは自分の頭にあるリボン。何故青いリボンなのか考えたこともなかった。そう。そうだ。あの人の瞳は美しい〝青〟だった。
瞬間、私は激情に駆られ髪の毛が引っ張られるのもお構いなしにリボンを引き抜いた。それからの記憶はない。それからいつの間にか屋敷に辿り着いていた。
出迎えた召使が悲鳴を上げて我に戻る。悲鳴を聞きつけたすぐ上の兄、他に母に義姉が驚愕に目を見開き青ざめた。
兄は怒りに満ち溢れた顔で「誰にされた」と低い声で問いかけた。何を、と私は首を傾げると首に髪が当る感触がした。
今日は髪を纏めていたのに、と髪に手を伸ばしかけてボロボロになったリボンが握られているのが目の端に映る。これはいつとリボンを見ると先ほどの庭園での出来事を思い出す。それからもう駄目だった。
私は乱れた髪、どこを通ったのか分からないほど汚れたワンピースのまま声を上げて泣いた。母が、義姉が抱きしめてくれた。兄が優しい声をかけながら頭を撫でてくれた。けれど、私の涙は次から次へと零れ続けた。その時は誰も何も聞かなかった。
私が落ち着いて話せるようになったのは父と兄が宮殿から帰って来たときだ。二人共怒りを滲ませつつも私の前ではそれを何とか抑え込んで「何があったのか」訊ねた。母と義姉に挟まれながら私は落ち着いた頭で一部省いて話した。
話を聞いた皆は一応に深い安堵の溜息をついた。それから母、義姉、兄たち、最後に父に抱きしめられた。後から聞いた話では暴漢に襲われたと思ったらしい。それはそうかとあのときの自分の姿を思い出して笑って二番目の兄に頬を抓られた。
「リボン、やめたのか?」
レオナ殿下の恋心を知ってついでに自分の恋心を知ってから一週間後。私は彼の日課の散歩に付き添っていた。
窺うようなレオナ殿下の言葉に私は苦笑して頷く。
「はい。風の強い日にリボンが解けて飛んで行ってしまったのです。それからもったいなくて着けていないんです。せっかく頂いたのに申し訳ありません」
「別にもうお前のもんだ好きにしろ」
ふいと顔を背けた彼は少し機嫌が悪い。もしかしたらあの方が選んだリボンを私が失くしてしまったからだろうか。それとも彼女の選んだものを見えられないからだろうか。私にレオナ殿下の真意を問う資格はない。だから、その疑問をそっと胸の奥に押し込んだ。
――これで殿下からの贈物も終わりだろうな。
もうないだろう。だから、彼の想い人が選んだものでも大切にしよう。小物入れに大切に仕舞ったリボンを想った。けれど、私の予想と外れて贈物は最後ではなかった。
殿下はその後も会う度に青い小物を私に贈ってくださった。可愛らしい髪飾り、首飾り、ブレスレットに始まり小物入れなど。青ばかりの贈物は見たくなかったがそもそも何故彼は贈物を渡すのだろうか。
困った私は母に相談してみると母は白目をむいた。母曰く、私は殿下の許嫁なのだ、と言われて衝撃を受けた。
――私がレオナ殿下の許嫁? 将来の妻?
身分不相応ではないだろうか。自分の身分と年齢を考えれば適正かもしれない。けれど、不適正だ。いくらレオナ殿下が想い人と並び立つことはないといえこれは酷い話だ。彼の人のことを思うと胸が苦しくなる。
とはいえ、何か変わったことはない。一応確認を取って見ればレオナ殿下は承知済みだったと思うとさらに申し訳なくなる。選択肢はもっとあるはずなのにこんな私を宛がわれるなんて。それでも私に何か言う権利はない。
だから、日常は変わらない。日課の散歩で他愛もない話をして、二人で時折魔法の勉強をする。そして、家では家族と鍛錬をしてちょっと花嫁修業が加わるくらいで何ら変わらない日々が続く。
私は彼に寄り添える存在ではない。なら〝友人〟に〝唯一無二〟の友人になれたらいい。そうすれば彼に他に好きな人が出来て婚約解消になったときも傷は浅い。なんて、弱虫な話だ。でも、私はそれくらしか考えられなかった。
それから数年して、第一王子のファレナ殿下が結婚した。ついにあのお方は永遠にレオナ殿下から離れてしまった。
第一王子の結婚式は盛大に行われた。何せファレナ殿下は次期国王なのだ。その王子の結婚は誰が何を言うまでもなく盛大だ。
私たち一家もその式を近い場所で見ていた。周りがフラワーシャワーを投げる間に私は殿下を探した。殿下は当たり前だが王族が座る席、誰よりも近い席で花婿と花嫁を見ていた。
彼は今何を想っているのだろうか。あの後も数回彼が時折遠くを見つめて彼女に熱い眼差しを送っていたことも知っている。まだ私たちは幼いけれど彼の彼女を想う気持ちは立派な恋情だ。
――レオナ殿下の瞳にはどう映っているの?
花を降らすことも忘れてレオナ殿下を見つめていると彼と目が合ってしまった。しまった、と失態を嘆く前に彼の首が僅かに右に動く。それから背を向けてどこかに行ってしまった。
殿下の行動を考える前に身体が動いていた。傍にいた兄に少し疲れたと言ってその場を離れる。そして、賑わう式場から徐々に離れていき静かな宮殿の中を進み続ける。彼がどこにいるかなんて分からない。でも、散歩で待ち合わせ場所だと何となく分かった。そこに辿り着くと式典服を身に纏ったレオナ殿下が立っていた。
「ふん。よく分かったな」
片脚に重心をかけて腰に手を当て尊大な態度でレオナ殿下がこちらを見る。殿下はもう一度首を動かしてゆっくりと歩き出す。私は後ろからゆっくりと続いた。
喧騒遠くに聞こえるほど宮殿の中に入ったようだ。それでも殿下は止まらない。でも何か話すわけでもなく歩き続けた。私はその後をただ黙って歩き続ける。
これがあとどれくらい続くのかと思った静寂を殿下が壊した。
「何で、花婿と花嫁を見ずに俺を見てたんだ?」
振り返った殿下は片眉を上げて口角を上げ皮肉ったような笑い方をする。何故、痛ましい笑い方をするのだろうか。いつもの皮肉った笑い方も今では一生叶わない恋を隠すように見えてしまう。
「おい。どうしてかって聞いてんだろ」
苛立ちを含んだの声に私はどう答えればいいのだろうか。何を言っても憐みが籠ってしまう気がするし、自分と同じ立場となったと暗い喜びが滲んでしまう。
「おい……大丈夫か?」
ついに心配の言葉をかけられて私は首を縦に動かす。
「はい。殿下の質問に言葉が見つからず……申し訳ありません」
「そんな難しい質問じぇねぇだろ」
こちらを探るような新緑の瞳はさらに大人びて見える。私よりも一歩も二歩も先に行ってしまっているお人だ。
「殿下は大人ですね」
「はぁ?」
こちらの返事に見当がつかないのか目を眇める殿下に言葉を重ねる。
「私は好きな人の結婚式見られません。だから、殿下は大人なんですよ」
「ッ」
眇めていた殿下の目が驚きに見開いた。驚くことが滅多にない人だ。つい笑いが込み上げる。でも、声をあげて笑うのは真剣な殿下に失礼だ。でも笑いが堪えきれずに口元を隠しながら笑う。
「ふっ、ふふ。そんな驚かないでください」
「ッ、テメェ、笑うな!」
珍しく恥ずかしそうに目元を赤らめる殿下に私は何とか笑いを堪える。
「ふぅ。失礼しました。そういうことで感心して見上げていたんです。殿下すごいです」
「最後の付け足した感じしかしねぇぞ」
「これは失礼しました」
軽く謝罪すれば彼は口を結んでから深い溜息をついた。
「気づいていたのか」
「ええ」
そうか、と言う殿下は何も言葉を重ねることはなかった。ただ、佇む殿下を見て言いかけた言葉を飲みかける。青い贈物については今言うことではい。言ったところで意味もない。けれど、いつかその色から離れた贈物をぜひ大切な人にしてほしい。
――いつか素敵な人に。心からそう思える人に。
青はきっと殿下にとって大切な色だ。そして、私にとって今後一生身に着けることはない色。永遠にさようならした色。
「殿下。もう戻りましょう」
「いや。もう少し散歩する……付き合え」
「……はい、わかりました」
こちらに向かって来た殿下は横切る際に私の手を掴んだ。それからゆっくりとした足取りで私の隣を歩く。
「あの、殿下、手を繋ぐ必要はないと思います」
「気分だ」
「は、はぁ」
何の気分だろうか。でも殿下の気分がこれで良くなるならいいなと思った。私は大人しく彼に手を引かれて足を進めた。
でも、レオナ殿下が穏やかな顔をしたのはそれが最後だったかもしれない。殿下の日常はその日を境に転がるように悪い方向へと進んで行った気がした。
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