叶わない愛のはずだった
Name Change
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
真実の愛とは何たるか
私はあのお方のことを何もわかっていなかった。
妃教育の合間の休憩時間。私は庭に出てぼんやりと流れる水を見ていた。新年の宴も終わり後はようやく落ち着いて来た日々を迎えているがどうにも胸がすっきりとしない。
レオナ様と結ばれたから後は何も問題ないと考えていた。だけど、駄目だった。寧ろ、自分の愚かしさに自己嫌悪の毎日だった。
「……私ってほんとうに馬鹿」
あの程度の罠にはまってレオナ様を受け入れてしまった。あのお方の真意も読み取れずなんて安い女だったのか。いや、思慮の浅い女だっただけだ。
「うぅ」
侍女がいないことをいいことに顔を覆って呻き声を出す。こんな声をもし侍女に聞かれたら不安にさせてしまう。あれほど楽しげな侍女に申し訳が立たないので一人の時間を作って溜息ついたり呻いたりしている。
「それにしてもレオナ様のお考えが見えない」
言ってから天を仰ぐ。ここは日陰になっているから空を見上げても太陽で目が刺激されることはない。ぼんやりと青空を見上げて彼の人を思い浮かべる。
レオナ様は私を好きだと言った。わかり辛い態度を取っていたと言うけれど――。
「違ったのね……はぁ」
一度受けいれたレオナ様の想い。けれど、それが違ったことに自分が驚くくらいにはショックを受けていなかった。寧ろ、あの方はどうしてあそこまでして私を傍に置きとどめようとしたことの方が気になる。
「家柄と都合の良さ……にしてはあのようなことをする?」
本当に愛する人ができたときを考えると私の存在が邪魔になる。悪手だ。だったらいっそのこと契約婚約を持ちだした方がいいし、私の家柄上その方がいい手ではないだろうか。あの方が態々私の恋心を利用するのはいい方法とは思えない。それとも玉座を狙うための布石だろうか。いやいや、それこそもっと賢いやり方があのお方にはある。寧ろ、私の家の後ろ盾は不得手だ。
「一体何の意味が?」
態々引き留める意味が理解できない。青空から視線を再び流れる水を向ける。
「あいしている……言わなければよかったものを」
初めて肌を重ねた日の翌朝に告げられた言葉。私の頭を殴りつけた最悪の告白だった。あれで私はかけられた魔法が解けたようだった。
「空っぽだったわ……」
空っぽの愛の言葉ほど見抜かれやすいものはない。あの方こそ誰よりもわかっていると思っていた。
「そろそろ戻らないと」
腕時計を確認すると休憩時間も終わりに近づいていた。戻らないと侍女や召使たちに無駄な仕事を増やしてしまう。
「よしっと」
勢いを着けて立ち上がり身体を伸ばす。
「あとは王妃様とのお茶会に、熱砂の国の勉強だったかしら」
午後の授業も残り少しと肩を回して私は部屋に向かって歩き出した。
* * *
「後でまた来るからな」
夕食も終わり見送りに来ると振り返ったレオナ様がそう告げた。つまり、夜寝所に来るという意味なのは聞き返さずともわかる。
後ろで騒めく侍女に心の中で苦笑を零しながら「かしこまりました」と答える。それにレオナ様は僅かに眉を上げて唇が真っ直ぐになった。どうやら私の恥じらいのない返事がお気に召さなかったらしい。申し訳ないけれど寝所を共にする女としての緊張よりも、まずに解決したい意欲の方が大きい。
今宵、レオナ様の真意を今一度確認しようと思う。婚約解消をしようという自分勝手な感情のようなものはない。どんな答えが出ても受け入れたいし、受け入れた結果レオナ様の関係が変化してもいいと思っている。私的にはとても前向きな考えをしているので渦巻く感情はない。
意気込みで恥じらいを抱く隙間がないのだけれど、まさかこのように拗ねられるとは思わなかった。美丈夫と称えられる見目に似合わず愛らしい反応を示すレオナ様。微笑ましさを押し込めて大きな手に触れ顔を覗き込みながら見上げる。
「レオナ様、準備してお待ちしております」
恥じらいはないけれど待ち望んでいることを真剣に告げる。さて、これでも駄目かしら。じっと深緑の美しい瞳を見つめ続ければゆっくりと目が細くなり口角が皮肉ったようにつり上がった。そして低く艶のある声で「楽しみにしてる」とおっしゃった。その声は艶以外にも楽しさが滲んでいたので機嫌は向上したようだ。おかげで拗ねた顔もなくなりよかった。
「では待っています」
「ああ。じゃあ、またな」
私の触れた手を最後に軽く握ってからレオナ様は従者を連れて去って行った。
その背中を消えるまで見送ると――ガシと両脇を侍女に挟まれた。この状況に私は溜息を飲み込んで「今すぐ準備を?」と訊ねれば目の前に年長の侍女がいい笑顔で立った。
「勿論でございます。殿方と寝所を共にする際の準備はとても多いのですよ、ジェマ様」
「は、はい。わかりました」
この間とは違い予告されての共寝だ。私はぐったりしないように気合をいれたのだった。
新品のネグリジェを身に纏い私は寝所で一人待っていた。部屋の灯りが雰囲気作りということからかサイドテーブルの小さなランプしかない。でも、その灯りが心を静めてくれる。
もう少ししたら来るかしら、と身体が揺れると同時にほんのりと甘い香りが鼻を擽る。この香りは侍女が一生懸命に選んだ香油が元だ。ここ夕焼けの草原で誕生した老舗ブランドのもので獣人属の敏感な鼻でも楽しめる今でも大人気の香油だ。
とはいっても、香りというのは個人の趣味がある。私はこの甘い香りが好きだし身体に合っているから好きだけれど――果たしてレオナ様は大丈夫かしら。今まで私の纏っていた香油の香りや香水などは大丈夫だったのかしら。今まで何も言われなかったためにうかつだった。レオナ様はこの甘い香りは大丈夫なのか気になる。髪の毛を一房とって嗅いでみると。
「犬みたいなことしてんな」
かけられた声に顔をあげればレオナ様が壁に寄り掛かって立っていた。シンプルな藍色の寝間着を身に纏っていた。そのシンプルないで立ちで何と様になるか、と思わず見惚れる。
ぼぉっと見ているとレオナ様がくつくつと笑いながら壁から離れ近づいて来る。それでようやく現実に戻った頃にはベッドの弾む感覚がして――。
「あっ」
ぐいっと引っ張られてレオナ様の胸にしなだれかかる体勢になった。身体に回る逞しい腕の感覚に忘れていた胸の高鳴りを思い出す。けれど、流されてはいけない。まずは確認しなければいけない。解決しなければいけない。
「あの待ってください」
「ぁ?」
慌てて身体を起して逞しい胸板を押し身体を離す。レオナ様はそんな私の態度が気に入らなかったのか柳眉を寄せて目尻をつり上げた。
「ンだよ」
「あの、お話がありまして」
「話だぁ?」
今度は片眉を上げたレオナ様は嫌な予感がするといったように唸り出した。
私はすぐに「悪いお話ではありません」と言葉を募る。だけど、私の今までの行動に信じられないのかレオナ様は難しい顔をする。
「それはお前の基準だろ」
パシン、パシンと尻尾をベッドに打ちつけるレオナ様を落ち着かせるように手に触れる。
「本当です。悪い話ではございません。信じてください」
宝石のように美しい瞳に訴えかける。どうしてだろうか。この方はいつだって感情を揺さぶられない人だった。だのに、どうして今ここまで瞳を不安に揺らすのだろうか。
「大丈夫です。貴方様を責めるようなお話ではないのです。確認です」
「確認?」
要領を得ないといった顔のレオナ様に「はい」と頷き返す。
「レオナ様。初めて共に寝た日の朝に『あいしている』と申しましたでしょう」
そう切り出した途端触れたレオナ様の手が動いた気がした。これに私は確信を持った。
「――私に嘘をおつきになりましたね」
見つめた新緑の瞳が逸らされた。まるで嘘をついた子どもと同じ反応だった。思わず微笑ましさに笑みを作ればレオナ様が怪訝な視線を向けてきた。
「怒らねぇのか?」
まるで子どものような確認の仕方に私は声を出して笑ってしまった。
「ふふっ、ふふ、怒りませんわ」
「……どうしたんだ」
「どうもしません。でも、そうですね」
一周回ったせいでしょうか。婚約解消のことを考えていた頃の自分が見れば呆れるだろうことを告げる。レオナ様も私の変化に驚いているのか目を丸くさせてまじまじと私を見ている。その瞳に微笑みかければ気まずげに頭を掻く。
「レオナ様のあのようなことをおっしゃらなければ私は今すでに貴方様に抱かれていたと思います」
「そんなにわかりやすかったか?」
「はい。空っぽでしたよ」
空っぽ、と繰り返すレオナ様はちょっと耳が伏せられている。言い過ぎたかもしれないけれど嘘をついた罰だ。
「何も感じなかったのか?」
シュンとしたままのレオナ様に追い打ちをかけて申し訳ないけれど感じなかった。素直に「はい」と告げれば深く溜息をついて空いている手で目元を覆った。
「はぁ。あれでいけたと思ったんだがなぁ」
どうやらレオナ様の中に何か計画があったようだ。どんなと聞いても今なら素直に話してくれそうな気がした。
「何かご計画があったようですが聞いても?」
目元を覆っていた手を外すと眉を僅かに下げて「怒らねぇのか」とまた聞いて来た。空っぽな「あいしている」の言葉を言い放った人に怒りが込み上げないのだから今さら何を言われても平気だ。
「はい。今さら怒りません。寧ろ貴方様が何を考えてあのような行動に出たのか気になります」
訊ねればレオナ様は言い澱む仕草をしたけれど観念して話し出した。
「お前が言った通り恋心のようなものを抱いた記憶はない」
「あら、そこからですか」
では、最初からレオナ様は盛大な罠を張っていたというとか。それをまんまと素直に受け入れてしまった私は頭が足らなかったようだ。でも、不思議と怒りは込み上げなかった。ただ、今はこのお方の素直な心内を知りたかった。
口を挟まない私にレオナ様はそのまま話を続ける。
「けどな。俺はガキの頃から結婚するならジェマだと決めていたし揺るがなかった」
「え? は?」
予想もしていなかった返答に思わず声を上げてしまった。けれどレオナ様は表情を変えず留めの言葉を告げた。
「お前に俺のガキを孕んでほしかった」
そレオナ様の大きな手がそっと私の腹部に触れる。途端そこから身体が熱くなる。好きとか、愛している、よりもなんて生々しい告白。これが血筋のためとは言えそこまでレオナ様に求められているとは想像していなかった。そもそも結婚したとしても子どもなど興味がないと思っていた。
「い、意外です」
「そうか? どうせ俺の存在は王族の血筋のためしかねぇだろ」
ならいいと思った女と結婚して血筋を残したい。そう告げるレオナ様の瞳は何とも言えない虚を孕んでいる。このようなお顔を見ればやはり国を出た方がと言いたくなる。私はもう国よりもレオナ様の方が大切なのだから。
「そういう顔すんな」
「それは貴方様の方です」
眉を下げるレオナ様はまた笑って腹に置いた手を引いた。その代わりに私の手を握って口を開いた。
「それになジェマ。お前、俺のために――人を殺しただろ」
「ッ!」
今度は私が目を見開く番だった。そして、かつての少女と呼ばれていた頃の記憶が呼び起こされて身体が一瞬だけ震えた。
あれはレオナ様の左目に傷が負わされたときの話だ。チェカ様が誕生して暫くレオナ様のユニーク魔法を忌み嫌う国王派と称する一族により差し向けられた刺客により左目に傷を負わされた。失明は免れたが当代の王の弟であるレオナ様が刺客に襲われたのだ。徹底的な捜査が行われ差し向けた人間と刺客が所属するギルドが判明した。人間はすぐに捕縛された。さらにその人間が所属するギルドを殲滅するようレヴィ家に国王から命がくだった。
非公開とされているが私もその作戦に参加した。両親や兄たちには反対されたがいても立ってもいられなかった。だから、発現されたばかりのユニーク魔法を使ってまで殲滅した。
私は人を殺した。この手は綺麗な女の手ではないのだ。無垢な純粋な手ではない。けど、そのことは両親が箝口令を出していたはずだ。家門以外誰も私がいたことを知らない。
「なぜ?」
か細い声だった。情けない。けれど、何故レオナ様が知っているのか気になった。
ぼうっと見ればレオナ様が目を細めて「お前の両親だよ」と言った。
「父と母が? でも、国王様にも報告は――」
「お前が暫く俺のもとに来ない日が続いたことがあっただろう」
城も落ちついたのにな、と告げたレオナ様の瞳は不安もない。穏やかにその瞳を燃やしていた。
「レヴィ家の先代当主様と奥方は口が岩のように堅い人間だ。だから、聞き出すのに骨が折れた」
思い出しているのか苦笑を零すレオナ様。そうだ。国王様相手にも誰にも告げないと決めたときの両親は口が堅い。その両親から聞き出したレオナ様の手腕が気になる。いや。そうじゃない。
「なぜそこまでして」
「言っただろ。気になったからだ」
レオナ様の顔が近づいた。思わず身体を仰け反らすけれど腰に腕が周り逃げ出せなくなった。
「お前が来ない日々がつまらなくてな。体調を崩していると言って見舞いの花や贈物をしても手紙のひとつも来ない。ずっと、ずっとお前が来ない日々がイヤだった」
「ぁ」
顔を近づけて頬を寄せて来るレオナ様。触れる頬が熱い。でも、私の頬はきっともっと熱いに違いない。まさか、こんな返事がくるとは想像もしていなかった。
ふわりと鼻を擽る香りは香油の甘い香り以外の香りがあった。交じりあい始める香りに頭がくらくらする。レオナ様に導かれそうになるのを何とか理性で耐える。まだ耐えねばいけない。聞かなければいけないことがある。
「それを知ってまで何故、私など」
「わからねぇか」
熱い頬が離れた代わりに目の前に美しい宝石のような瞳が現れた。逸らせないほど強い眼差しを受けながら「なにが」と愚かな質問をしてしまう。
「俺のために汚した手は俺にとって何よりも美しい」
私の手を解いて指を絡め再び握られる。絡まる熱に私は予想外の展開やあの空っぽな愛の言葉以上の言葉に涙が滲んで来る。
「ああ、そうか。最初からこうすりゃよかったな」
ジェマ、と呼ばれて「はい」と返事をすれば――。
「俺だけのために汚した手。踏み入れなくていいところに足に踏み込んだ女を――俺は欲しかった」
「傍に置きたかった」と告げるレオナ様に胸にこみ上げるものがあった。けれど、同時にならば臣下で、従者で十分なはずではと考えてしまう。何故、私を伴侶に選んだのか。
「伴侶である意味は……」
「ある。俺の妃はジェマ以外ありえない」
絶対に、と力のある声で言われた。私の身体は熱い。私の心は言いようのない感情で溢れている。何でも受け入れるといった心の中は嬉しさと疑問が綯交ぜとなっている。どう感情にしていいかわからない。
「あの、なんと、申していいかわからないのですが……」
「そうだな。言うとすれば――俺を受け入れるか?」
「もう受け入れています」
「そうじゃねぇ。愛の言葉もまともに言えねぇ俺を、だ」
これはこれから先その言葉を捧げることができないという意味だろうか。それとも他に何か意味があるのだろうか。どっちにしても私はもう決めなければいけない。いいえ。もうずっと前から決まっていた。幼い頃にこのお方に恋をして、それよりずっと前から――。
「どんな貴方様でも受け入れます。レオナ様――愛しております」
「ずっと前から」揺れた美しい瞳は嬉しげに細まっていく。その嬉しさを零す姿を見ただけで私の心は満たされる。ならば、今はこれでいいかもしれない。この先、後悔することが出てくるかもしれない。けれど、私はきっとその瞬間も生きて行ける。
間近迫るあるツボァライトを思わせるほど美しい瞳を目焼きつけて目を閉じる。重なる唇は初めてのキスよりも、二度目のキスよりも、初めて肌を重ねたときのキスよりも愛おしかった。
2021.04.29
私はあのお方のことを何もわかっていなかった。
妃教育の合間の休憩時間。私は庭に出てぼんやりと流れる水を見ていた。新年の宴も終わり後はようやく落ち着いて来た日々を迎えているがどうにも胸がすっきりとしない。
レオナ様と結ばれたから後は何も問題ないと考えていた。だけど、駄目だった。寧ろ、自分の愚かしさに自己嫌悪の毎日だった。
「……私ってほんとうに馬鹿」
あの程度の罠にはまってレオナ様を受け入れてしまった。あのお方の真意も読み取れずなんて安い女だったのか。いや、思慮の浅い女だっただけだ。
「うぅ」
侍女がいないことをいいことに顔を覆って呻き声を出す。こんな声をもし侍女に聞かれたら不安にさせてしまう。あれほど楽しげな侍女に申し訳が立たないので一人の時間を作って溜息ついたり呻いたりしている。
「それにしてもレオナ様のお考えが見えない」
言ってから天を仰ぐ。ここは日陰になっているから空を見上げても太陽で目が刺激されることはない。ぼんやりと青空を見上げて彼の人を思い浮かべる。
レオナ様は私を好きだと言った。わかり辛い態度を取っていたと言うけれど――。
「違ったのね……はぁ」
一度受けいれたレオナ様の想い。けれど、それが違ったことに自分が驚くくらいにはショックを受けていなかった。寧ろ、あの方はどうしてあそこまでして私を傍に置きとどめようとしたことの方が気になる。
「家柄と都合の良さ……にしてはあのようなことをする?」
本当に愛する人ができたときを考えると私の存在が邪魔になる。悪手だ。だったらいっそのこと契約婚約を持ちだした方がいいし、私の家柄上その方がいい手ではないだろうか。あの方が態々私の恋心を利用するのはいい方法とは思えない。それとも玉座を狙うための布石だろうか。いやいや、それこそもっと賢いやり方があのお方にはある。寧ろ、私の家の後ろ盾は不得手だ。
「一体何の意味が?」
態々引き留める意味が理解できない。青空から視線を再び流れる水を向ける。
「あいしている……言わなければよかったものを」
初めて肌を重ねた日の翌朝に告げられた言葉。私の頭を殴りつけた最悪の告白だった。あれで私はかけられた魔法が解けたようだった。
「空っぽだったわ……」
空っぽの愛の言葉ほど見抜かれやすいものはない。あの方こそ誰よりもわかっていると思っていた。
「そろそろ戻らないと」
腕時計を確認すると休憩時間も終わりに近づいていた。戻らないと侍女や召使たちに無駄な仕事を増やしてしまう。
「よしっと」
勢いを着けて立ち上がり身体を伸ばす。
「あとは王妃様とのお茶会に、熱砂の国の勉強だったかしら」
午後の授業も残り少しと肩を回して私は部屋に向かって歩き出した。
* * *
「後でまた来るからな」
夕食も終わり見送りに来ると振り返ったレオナ様がそう告げた。つまり、夜寝所に来るという意味なのは聞き返さずともわかる。
後ろで騒めく侍女に心の中で苦笑を零しながら「かしこまりました」と答える。それにレオナ様は僅かに眉を上げて唇が真っ直ぐになった。どうやら私の恥じらいのない返事がお気に召さなかったらしい。申し訳ないけれど寝所を共にする女としての緊張よりも、まずに解決したい意欲の方が大きい。
今宵、レオナ様の真意を今一度確認しようと思う。婚約解消をしようという自分勝手な感情のようなものはない。どんな答えが出ても受け入れたいし、受け入れた結果レオナ様の関係が変化してもいいと思っている。私的にはとても前向きな考えをしているので渦巻く感情はない。
意気込みで恥じらいを抱く隙間がないのだけれど、まさかこのように拗ねられるとは思わなかった。美丈夫と称えられる見目に似合わず愛らしい反応を示すレオナ様。微笑ましさを押し込めて大きな手に触れ顔を覗き込みながら見上げる。
「レオナ様、準備してお待ちしております」
恥じらいはないけれど待ち望んでいることを真剣に告げる。さて、これでも駄目かしら。じっと深緑の美しい瞳を見つめ続ければゆっくりと目が細くなり口角が皮肉ったようにつり上がった。そして低く艶のある声で「楽しみにしてる」とおっしゃった。その声は艶以外にも楽しさが滲んでいたので機嫌は向上したようだ。おかげで拗ねた顔もなくなりよかった。
「では待っています」
「ああ。じゃあ、またな」
私の触れた手を最後に軽く握ってからレオナ様は従者を連れて去って行った。
その背中を消えるまで見送ると――ガシと両脇を侍女に挟まれた。この状況に私は溜息を飲み込んで「今すぐ準備を?」と訊ねれば目の前に年長の侍女がいい笑顔で立った。
「勿論でございます。殿方と寝所を共にする際の準備はとても多いのですよ、ジェマ様」
「は、はい。わかりました」
この間とは違い予告されての共寝だ。私はぐったりしないように気合をいれたのだった。
新品のネグリジェを身に纏い私は寝所で一人待っていた。部屋の灯りが雰囲気作りということからかサイドテーブルの小さなランプしかない。でも、その灯りが心を静めてくれる。
もう少ししたら来るかしら、と身体が揺れると同時にほんのりと甘い香りが鼻を擽る。この香りは侍女が一生懸命に選んだ香油が元だ。ここ夕焼けの草原で誕生した老舗ブランドのもので獣人属の敏感な鼻でも楽しめる今でも大人気の香油だ。
とはいっても、香りというのは個人の趣味がある。私はこの甘い香りが好きだし身体に合っているから好きだけれど――果たしてレオナ様は大丈夫かしら。今まで私の纏っていた香油の香りや香水などは大丈夫だったのかしら。今まで何も言われなかったためにうかつだった。レオナ様はこの甘い香りは大丈夫なのか気になる。髪の毛を一房とって嗅いでみると。
「犬みたいなことしてんな」
かけられた声に顔をあげればレオナ様が壁に寄り掛かって立っていた。シンプルな藍色の寝間着を身に纏っていた。そのシンプルないで立ちで何と様になるか、と思わず見惚れる。
ぼぉっと見ているとレオナ様がくつくつと笑いながら壁から離れ近づいて来る。それでようやく現実に戻った頃にはベッドの弾む感覚がして――。
「あっ」
ぐいっと引っ張られてレオナ様の胸にしなだれかかる体勢になった。身体に回る逞しい腕の感覚に忘れていた胸の高鳴りを思い出す。けれど、流されてはいけない。まずは確認しなければいけない。解決しなければいけない。
「あの待ってください」
「ぁ?」
慌てて身体を起して逞しい胸板を押し身体を離す。レオナ様はそんな私の態度が気に入らなかったのか柳眉を寄せて目尻をつり上げた。
「ンだよ」
「あの、お話がありまして」
「話だぁ?」
今度は片眉を上げたレオナ様は嫌な予感がするといったように唸り出した。
私はすぐに「悪いお話ではありません」と言葉を募る。だけど、私の今までの行動に信じられないのかレオナ様は難しい顔をする。
「それはお前の基準だろ」
パシン、パシンと尻尾をベッドに打ちつけるレオナ様を落ち着かせるように手に触れる。
「本当です。悪い話ではございません。信じてください」
宝石のように美しい瞳に訴えかける。どうしてだろうか。この方はいつだって感情を揺さぶられない人だった。だのに、どうして今ここまで瞳を不安に揺らすのだろうか。
「大丈夫です。貴方様を責めるようなお話ではないのです。確認です」
「確認?」
要領を得ないといった顔のレオナ様に「はい」と頷き返す。
「レオナ様。初めて共に寝た日の朝に『あいしている』と申しましたでしょう」
そう切り出した途端触れたレオナ様の手が動いた気がした。これに私は確信を持った。
「――私に嘘をおつきになりましたね」
見つめた新緑の瞳が逸らされた。まるで嘘をついた子どもと同じ反応だった。思わず微笑ましさに笑みを作ればレオナ様が怪訝な視線を向けてきた。
「怒らねぇのか?」
まるで子どものような確認の仕方に私は声を出して笑ってしまった。
「ふふっ、ふふ、怒りませんわ」
「……どうしたんだ」
「どうもしません。でも、そうですね」
一周回ったせいでしょうか。婚約解消のことを考えていた頃の自分が見れば呆れるだろうことを告げる。レオナ様も私の変化に驚いているのか目を丸くさせてまじまじと私を見ている。その瞳に微笑みかければ気まずげに頭を掻く。
「レオナ様のあのようなことをおっしゃらなければ私は今すでに貴方様に抱かれていたと思います」
「そんなにわかりやすかったか?」
「はい。空っぽでしたよ」
空っぽ、と繰り返すレオナ様はちょっと耳が伏せられている。言い過ぎたかもしれないけれど嘘をついた罰だ。
「何も感じなかったのか?」
シュンとしたままのレオナ様に追い打ちをかけて申し訳ないけれど感じなかった。素直に「はい」と告げれば深く溜息をついて空いている手で目元を覆った。
「はぁ。あれでいけたと思ったんだがなぁ」
どうやらレオナ様の中に何か計画があったようだ。どんなと聞いても今なら素直に話してくれそうな気がした。
「何かご計画があったようですが聞いても?」
目元を覆っていた手を外すと眉を僅かに下げて「怒らねぇのか」とまた聞いて来た。空っぽな「あいしている」の言葉を言い放った人に怒りが込み上げないのだから今さら何を言われても平気だ。
「はい。今さら怒りません。寧ろ貴方様が何を考えてあのような行動に出たのか気になります」
訊ねればレオナ様は言い澱む仕草をしたけれど観念して話し出した。
「お前が言った通り恋心のようなものを抱いた記憶はない」
「あら、そこからですか」
では、最初からレオナ様は盛大な罠を張っていたというとか。それをまんまと素直に受け入れてしまった私は頭が足らなかったようだ。でも、不思議と怒りは込み上げなかった。ただ、今はこのお方の素直な心内を知りたかった。
口を挟まない私にレオナ様はそのまま話を続ける。
「けどな。俺はガキの頃から結婚するならジェマだと決めていたし揺るがなかった」
「え? は?」
予想もしていなかった返答に思わず声を上げてしまった。けれどレオナ様は表情を変えず留めの言葉を告げた。
「お前に俺のガキを孕んでほしかった」
そレオナ様の大きな手がそっと私の腹部に触れる。途端そこから身体が熱くなる。好きとか、愛している、よりもなんて生々しい告白。これが血筋のためとは言えそこまでレオナ様に求められているとは想像していなかった。そもそも結婚したとしても子どもなど興味がないと思っていた。
「い、意外です」
「そうか? どうせ俺の存在は王族の血筋のためしかねぇだろ」
ならいいと思った女と結婚して血筋を残したい。そう告げるレオナ様の瞳は何とも言えない虚を孕んでいる。このようなお顔を見ればやはり国を出た方がと言いたくなる。私はもう国よりもレオナ様の方が大切なのだから。
「そういう顔すんな」
「それは貴方様の方です」
眉を下げるレオナ様はまた笑って腹に置いた手を引いた。その代わりに私の手を握って口を開いた。
「それになジェマ。お前、俺のために――人を殺しただろ」
「ッ!」
今度は私が目を見開く番だった。そして、かつての少女と呼ばれていた頃の記憶が呼び起こされて身体が一瞬だけ震えた。
あれはレオナ様の左目に傷が負わされたときの話だ。チェカ様が誕生して暫くレオナ様のユニーク魔法を忌み嫌う国王派と称する一族により差し向けられた刺客により左目に傷を負わされた。失明は免れたが当代の王の弟であるレオナ様が刺客に襲われたのだ。徹底的な捜査が行われ差し向けた人間と刺客が所属するギルドが判明した。人間はすぐに捕縛された。さらにその人間が所属するギルドを殲滅するようレヴィ家に国王から命がくだった。
非公開とされているが私もその作戦に参加した。両親や兄たちには反対されたがいても立ってもいられなかった。だから、発現されたばかりのユニーク魔法を使ってまで殲滅した。
私は人を殺した。この手は綺麗な女の手ではないのだ。無垢な純粋な手ではない。けど、そのことは両親が箝口令を出していたはずだ。家門以外誰も私がいたことを知らない。
「なぜ?」
か細い声だった。情けない。けれど、何故レオナ様が知っているのか気になった。
ぼうっと見ればレオナ様が目を細めて「お前の両親だよ」と言った。
「父と母が? でも、国王様にも報告は――」
「お前が暫く俺のもとに来ない日が続いたことがあっただろう」
城も落ちついたのにな、と告げたレオナ様の瞳は不安もない。穏やかにその瞳を燃やしていた。
「レヴィ家の先代当主様と奥方は口が岩のように堅い人間だ。だから、聞き出すのに骨が折れた」
思い出しているのか苦笑を零すレオナ様。そうだ。国王様相手にも誰にも告げないと決めたときの両親は口が堅い。その両親から聞き出したレオナ様の手腕が気になる。いや。そうじゃない。
「なぜそこまでして」
「言っただろ。気になったからだ」
レオナ様の顔が近づいた。思わず身体を仰け反らすけれど腰に腕が周り逃げ出せなくなった。
「お前が来ない日々がつまらなくてな。体調を崩していると言って見舞いの花や贈物をしても手紙のひとつも来ない。ずっと、ずっとお前が来ない日々がイヤだった」
「ぁ」
顔を近づけて頬を寄せて来るレオナ様。触れる頬が熱い。でも、私の頬はきっともっと熱いに違いない。まさか、こんな返事がくるとは想像もしていなかった。
ふわりと鼻を擽る香りは香油の甘い香り以外の香りがあった。交じりあい始める香りに頭がくらくらする。レオナ様に導かれそうになるのを何とか理性で耐える。まだ耐えねばいけない。聞かなければいけないことがある。
「それを知ってまで何故、私など」
「わからねぇか」
熱い頬が離れた代わりに目の前に美しい宝石のような瞳が現れた。逸らせないほど強い眼差しを受けながら「なにが」と愚かな質問をしてしまう。
「俺のために汚した手は俺にとって何よりも美しい」
私の手を解いて指を絡め再び握られる。絡まる熱に私は予想外の展開やあの空っぽな愛の言葉以上の言葉に涙が滲んで来る。
「ああ、そうか。最初からこうすりゃよかったな」
ジェマ、と呼ばれて「はい」と返事をすれば――。
「俺だけのために汚した手。踏み入れなくていいところに足に踏み込んだ女を――俺は欲しかった」
「傍に置きたかった」と告げるレオナ様に胸にこみ上げるものがあった。けれど、同時にならば臣下で、従者で十分なはずではと考えてしまう。何故、私を伴侶に選んだのか。
「伴侶である意味は……」
「ある。俺の妃はジェマ以外ありえない」
絶対に、と力のある声で言われた。私の身体は熱い。私の心は言いようのない感情で溢れている。何でも受け入れるといった心の中は嬉しさと疑問が綯交ぜとなっている。どう感情にしていいかわからない。
「あの、なんと、申していいかわからないのですが……」
「そうだな。言うとすれば――俺を受け入れるか?」
「もう受け入れています」
「そうじゃねぇ。愛の言葉もまともに言えねぇ俺を、だ」
これはこれから先その言葉を捧げることができないという意味だろうか。それとも他に何か意味があるのだろうか。どっちにしても私はもう決めなければいけない。いいえ。もうずっと前から決まっていた。幼い頃にこのお方に恋をして、それよりずっと前から――。
「どんな貴方様でも受け入れます。レオナ様――愛しております」
「ずっと前から」揺れた美しい瞳は嬉しげに細まっていく。その嬉しさを零す姿を見ただけで私の心は満たされる。ならば、今はこれでいいかもしれない。この先、後悔することが出てくるかもしれない。けれど、私はきっとその瞬間も生きて行ける。
間近迫るあるツボァライトを思わせるほど美しい瞳を目焼きつけて目を閉じる。重なる唇は初めてのキスよりも、二度目のキスよりも、初めて肌を重ねたときのキスよりも愛おしかった。
2021.04.29
6/6ページ