名探偵のお気に入り
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窮屈な白いタキシードに身を包む。どんな理由があれこんな服を着ることなど一生無いと思っていたのに彼女のためと思えば自主的に袖が通せるのだから不思議だ。
いつもの格好で良いよと言ってもらったものの、白いシンプルなウェディングドレスを身に纏った彼女と対になりたくてワタリに用意させた。ちなみに彼女のドレスも最初は不要と言っていたが、昔TVを見て憧れる発言をしていたことと、単に私がその姿を見たかったために用意した。
彼女専用フロアの一室で着飾った片割れと対面する。
事件はまだ解決したわけではないからあまり長い時間は取れない。
それでも夜神月と弥海沙の逢瀬に寛大であるように、ずっと二人きりになることが叶わなかった私たちにも捜査本部の皆は寛大だった。
恋人同士であることは一切明言してないが、隠すつもりがなかったからか今日の午後に1時間席をはずしたいと申し出れば、たった1時間でいいのか、もう少しかかっても構わない、と送り出されてしまった。
そんな彼らもまさか同じ建物の中で結婚式を挙げているとは思わないだろうが。
「ふふ、なんか変なの」
「せっかくの晴れ姿になんてことを」
いつもどおりの酷い猫背が上品な光沢生地に包まれているのを心底おかしいとばかりにベールの向こうで笑っている彼女の手を握る。
どうしても靴下だけは受け付けなくて、正装の足元が裸足なのに気づいた彼女はまた声を上げて笑った。ひどくご機嫌な少女が眩しい。白い衣装もあいまって天使のようだと思った。
「っ、らしくないこと言わないで」
「おや、声に出ていましたか」
ころころ笑っていた少女は急に口を噤んで赤面するものだから、愛おしさがさらに募る。
二人の前に立っていた正装姿のワタリが細い目をさらに弓なりに細めて笑いかけてくるのでそちらに向き直る。
「この日がくるのを待ち望んでおりました…おめでとうございます」
「ふふ、ありがとうワタリ」
慈愛に満ちた目で見下ろす老紳士にこちらも胸が熱くなる。
彼がここに立ち会ってくれることのなんと幸福なことか。
静かに誓いの言葉を唱え始める心地よい低音に耳を澄ます。質問に淡々と誓いを立てる。彼女の左手を掬いあげ、そっと誓いの輪を嵌めた。彼女の小さな手が自分のより一回り大きな輪をそっと私の指へ通す。
数ヶ月手首を拘束していた輪などとは比べ物にならない束縛を意味する小さな輪が指の付け根で違和感を発するのを息ができずに見下ろした。心の音が早い。息の仕方を忘れてしまった。鼻の奥がつんとする。喉がからからだ。はっはっと浅く息を吐いているとベールの向こうから「エル、泣かないで」と声がして冷たい指先が目の下に触れた。泣かないで?泣いてなどいない、涙だって零れてないじゃないか、そう言おうと指先から目線で腕をたどって少女の顔を見れば白いレースの向こうで困ったような顔をしたナマエが微笑んでいた。
なぜそんな顔を、そう問おうと瞬きをしたらぽろりと何かが落ちて頬に触れたままだった彼女の指を濡らした。混乱していると彼女の指がそっと雫を拭ってくれる。
「私も幸せ」
包むように頬に手を当ててくれる彼女に戸惑い、助けを求めるように隣の老紳士をみれば彼の瞳も濡れていた。何がなんだかわからない。この期に及んでこんな知らない感情に呑まれるだなんて。
慌てたようにベールを上げて彼女の素顔を晒す。伏せた睫毛が震えている。ベールを完全に後ろへ流せば、微笑みをたたえたまま彼女の大きな瞳が私を捉えた。珊瑚礁の海のような澄んだブルーの瞳がゆらゆらと濡れて、半月状に歪む。その熟れたさくらんぼのような赤い唇へ口を寄せたことなどもう数え切れないというのに、まるでファーストキスのように心臓が早鐘を打ち、うまく息ができず苦しい。美しい彼女の姿をこの目に焼き付けたいのに視界が歪む。頬が濡れる。震えてうまく動かない手は滴るほど汗をかいていて、そんな掌を頬に押し付けられたというのに嫌な顔ひとつせず彼女の口元はさらに弧を描いた。
吸い付くような柔肌を少し持ち上げて上を向かせ、顔を寄せる。そっと彼女の煌く瞼が伏せられ、弧を描いたふさふさの睫毛を見下ろした。相変わらずうまく息ができない。もはや息を止めたままさらに顔を寄せる。鼻先と鼻先が触れ合って、コントロールしていないのに慣れたように自身の顔が少し傾いて鼻同士の正面衝突を避ける。そのまま吸い寄せられるように柔らかな果実へと唇を落とした。
何度も味わったことのあるはずのそれはとても甘くてやわらかくてあたたかくて、愛おしさに味があるならこれに違いない、唇が触れた瞬間魔法にかかったように全身を熱が駆け巡り、ようやく呼吸の仕方を思い出し唇を触れ合わせたまま深く深く息を吐いた。
ああ、幸せすぎて死にそう、とはこういうことをいうのだと生まれて初めて思った。
「では死神はリンゴしか食べませんか?」
「そんなことはない、しかし死神界は廃れていてほとんど食物もなく死神の内臓は退化…いや、進化していて食べる必要がないが…」
昨日の幸福な時間もあっという間に過ぎ去り、今朝からずっと死神に埒の明かない質問を繰り返している。肝心なところはすべて「わからない」死神にイラついていると先程訪問してきた弥の元へ行っていたはずの月が部屋へ戻ってきた。
「夜神くん早いですね」
「?」
「せっかく自由の身になったのにほとんど本部 から出ない…ミサさんが訪ねて来ても玄関先で数分の立ち話…外で文字通り自由恋愛していいんですよ?」
私だってそうしたい。
そんな本音を全く出さずに淡々と提言すれば訝しげな顔をした彼に「まだキラ事件は解決をみていない。とても恋愛なんて気分になれないよ。それとも僕がずっと本部にいたら迷惑だとでも言うのか?」と詰められる。
確かにまだキラ事件は解決していないが…恋愛していて悪かったな。
解決はしていないものの、ひと段落着いて自由の身になってやっと愛し合えるというのになぜここから出ようとしないのか…いや、私から目を離さないようにしている?今までとは逆に監視されている気分だ…決して浮かれているわけではないが、気を引き締めなおさねば。
プリンを口に運びながら昨日幸福な違和感を放っていた左手の薬指を見る。
そこには光る金属は無く、代わりに根元にうっすらと赤みが差していた。
口内のプリンとは違った甘さがぞくぞくと背筋を駆け巡る。
愛しい彼女の顔を思い返しながらまた淡々と無愛想な化け物への質疑応答を再開した。
***
「じゃあ、いってくるね、フルーツだめになっちゃうかもしれないからプリンに添えてアラモードにして食べちゃって」
書類の入った鞄を肩に掛け、コートを羽織った彼女が振り向く。
同じ寝室で一晩を明かした彼女が出かけようとするのを、のろのろと着替えながら見送るために玄関へと足を運ぶ。
彼女の指元に煌くそれをふと見下ろし、そっと手をとるとさっと抜き取った。
「えっ」
「…キラ事件が解決するまで表立ってつけるのはやめましょう。今更ではありますが、これ以上貴女が私にとってかけがえのない存在だと知られるのは危険すぎる」
特に、どう考えても第二のキラである弥海沙が自由の身となって目の届かない外界に居る今は。
自分から贈ったものであるのに取り上げるという暴挙にしばし眉間に皺を寄せていた少女は小さく溜息をつくと了承して鞄から取り出した小箱に指輪を納めた。残念な気持ちよりも理解と納得を優先させられる聡明さが改めて好ましい。
ここ数日つけていただけの指輪でもなくなると物寂しいのか、じっと名残惜しげに指を見つめる彼女の手をとる。今度は何をするのだと見上げた彼女を無視してその指の付け根へ口付けると、そのまま容赦なく吸った。
「痛った!?!?」
「…よし」
突然の痛みに手を引っ込めて守るように反対の手で包み込み胸の前で抱き込んだ彼女から困惑と怯えの混ざった眼差しが飛んでくる。
「指輪の代わりです」
「はあ?」
「私のものという印であることは変わりないでしょう?」
痛んだ自身の手を確認すれば薬指の付け根にくっきりと刻まれた鬱血痕にさっと少女の頬に赤みが走る。
「なにやってんの!?これじゃ指輪みたいにつけ外しできないじゃん!誰かに突っ込まれたらどうすんの!?!?」
「ぶつけたといえばいいでしょう」
「どうぶつけたらこうなんのよ!」
赤面して激昂する彼女がちっとも怖くなくて上がりそうになる口角を下げながら自身の左手からも指輪を抜き取り、喚く彼女の口元へ突きつける。
「私も普段は嵌めているわけにいきませんから、さあ」
「さ、さあって」
「つけてください、貴女のモノだって証を」
すでに赤い顔をさらに赤らめてうろたえる少女の口にぐいぐいと指を押し付ける。
拒むのも空しく第三関節をぐりぐりと唇に押し付けれた哀れな少女は仕方ないとばかりに強めにそこへ吸い付いた。
力が足りず何度か吸ってようやくうっすら色づいた指を払いのけ、「時間かかると思うけど多分明日には帰れるから!」と言い逃げるように吐き捨ててバタン!と大きな音を立ててドアが閉まる。
出て行った少女の後姿から覗く耳が真っ赤だったことに満足した男は自身も部屋を出るべくドアを開けた。
***
「どういうことだ?また犯罪者殺しが…」
「昨夜だけで16人…火口が死んでから報道された者…」
翌日、捜査本部に激震が走った。
ここでキラ…どうなってる…
死神に問い質したところで埒が明かない。
もはやノートを使ってみるほか打開策など無い。
皆の反対を押し切り、ワタリに指示を出す。
ガシャン
「どうしたワタリ」
ワタリ?
ピーーーーーーーという耳障りな音が部屋に響き渡る。
画面に映し出されるAll data deletionの文字。
………
………
ワタリには自分の身にもしものことがあった場合全データを消すように言ってある…
………………………
………………………
もしワタリが死んだとなると…
しかしワタリの名前は誰にも…
では死神…ならば…
「皆さんしにがm……っ…」
全身を突き抜けるような痺れ。
渾身の力で鳩尾に一発キメられたかのような衝撃で息が詰まる。
どくん、と全身が脈打ち、次の瞬間ザーッと血の気が引いて崩れ落ちた。
「竜崎!?」
椅子から転げ落ちた私を抱え支えた夜神月が見下ろしてくる。
!
その勝ち誇った邪悪な笑みが答えだった。
夜神月。
やはり…私は…
間違って… …… なかった…
ナマエ…
が…
どうか…
ま…に…合って……
……
「うわああああーーーーーーーーーーーーーー」
捜査本部に夜神月の絶叫だけが響いた。
***
「はぁーやっと終わった」
彼はお互い誓い合うだけでいいと言ってくれたけれど、私がどうしても自身の名を公式に変えたくてひとり役所に申請に来ていた。
彼はどこにも戸籍が無いのだし、私が姓名変更届を出すことで彼の個人情報が流出しては元も子もない。そう考えて、私自身も国籍を棄てることにした。
英国領事館で所定の手続きを様々なコネと権力を行使して異例のスピードで終わらせる。それでもやはり1日以上かかってしまったが。
新国籍を得ずに英国籍を棄てる、しかも異国の地で。
本来ならば決して認められることではないが、なんとかなってしまうのだから夫となった男のめちゃくちゃさを改めて思い知る。
その一部にようやくなれたのだ。
つい先程済ませた手続きによって棄てた、ナマエミョウジという名に未練は無い。
今このときから自身の名の後ろにローライトとつくのだと思うとにやにやしてしまう。
どこの公式書類にも、勿論非公式書類にだって載っていない、彼と私だけが知る名前。
名乗ることは恐らく一生無いのだろうけれど。そんなことはどうでもいいのだ。
終わったことを早く伝えたくて、彼専用番号に電話を掛ける。
プルルル、プルルル、
…おかしいな、呼び出し音が続く。
普段ならどんなに立て込んでいようと2コール目には出るのに。
怪訝に思って一旦電話を切るとその瞬間ブルブルっとメッセージの着信を告げるバイブレータが手の中で震えた。
送り主は「W」。
彼からのメッセージは珍しくない。が。
嫌な汗が背中を伝う。
心臓が早くなってうまく息ができない。ざわざわする。
このタイミングで。嫌な予感がする。耳鳴りのように脳内をノイズが走る。目がちかちかする。
震える指先で何とかボタンを押す。
開かれたメッセージが画面いっぱいに表示される。
母国語であるはずのそれがうまく理解できない。
息もうまくできない。
目の前が白く光ったかと思うと暗転してその場に倒れこんだ。
息がうまくできない。
くるしい。くるしい、めがみえない。
大使館のロビーで突如倒れこんだ私のまわりに人だかりができているのがわかる。
日本語と英語両方で大丈夫か尋ねられている音が遠くに聞こえる。
まるで水の中にいるみたいに視界も聴覚もぼんやりしている。
うまくいきができない。
しんぞうがいたい。
だけど、わかっていた。
これは死に至るようなものではないこと。
パニックによるただの過呼吸であって、
まっしろになる頭の片隅でどこか冷静な自分が「心臓麻痺じゃない」とわかっていて、
そして、他人事のように嗤った、
「おまえは死に損なったのだ」
「愛する彼らといっしょに逝けなかったのだ」
「神の名を欲しがった代償だ」
と。
死神が名を書いた瞬間に神の名を手にした哀れな少女の手の中で
静かに暗転した端末に最後に表示されたのは
―― All data deletion ――
この日以降、少女の姿を見た者は、いない。
いつもの格好で良いよと言ってもらったものの、白いシンプルなウェディングドレスを身に纏った彼女と対になりたくてワタリに用意させた。ちなみに彼女のドレスも最初は不要と言っていたが、昔TVを見て憧れる発言をしていたことと、単に私がその姿を見たかったために用意した。
彼女専用フロアの一室で着飾った片割れと対面する。
事件はまだ解決したわけではないからあまり長い時間は取れない。
それでも夜神月と弥海沙の逢瀬に寛大であるように、ずっと二人きりになることが叶わなかった私たちにも捜査本部の皆は寛大だった。
恋人同士であることは一切明言してないが、隠すつもりがなかったからか今日の午後に1時間席をはずしたいと申し出れば、たった1時間でいいのか、もう少しかかっても構わない、と送り出されてしまった。
そんな彼らもまさか同じ建物の中で結婚式を挙げているとは思わないだろうが。
「ふふ、なんか変なの」
「せっかくの晴れ姿になんてことを」
いつもどおりの酷い猫背が上品な光沢生地に包まれているのを心底おかしいとばかりにベールの向こうで笑っている彼女の手を握る。
どうしても靴下だけは受け付けなくて、正装の足元が裸足なのに気づいた彼女はまた声を上げて笑った。ひどくご機嫌な少女が眩しい。白い衣装もあいまって天使のようだと思った。
「っ、らしくないこと言わないで」
「おや、声に出ていましたか」
ころころ笑っていた少女は急に口を噤んで赤面するものだから、愛おしさがさらに募る。
二人の前に立っていた正装姿のワタリが細い目をさらに弓なりに細めて笑いかけてくるのでそちらに向き直る。
「この日がくるのを待ち望んでおりました…おめでとうございます」
「ふふ、ありがとうワタリ」
慈愛に満ちた目で見下ろす老紳士にこちらも胸が熱くなる。
彼がここに立ち会ってくれることのなんと幸福なことか。
静かに誓いの言葉を唱え始める心地よい低音に耳を澄ます。質問に淡々と誓いを立てる。彼女の左手を掬いあげ、そっと誓いの輪を嵌めた。彼女の小さな手が自分のより一回り大きな輪をそっと私の指へ通す。
数ヶ月手首を拘束していた輪などとは比べ物にならない束縛を意味する小さな輪が指の付け根で違和感を発するのを息ができずに見下ろした。心の音が早い。息の仕方を忘れてしまった。鼻の奥がつんとする。喉がからからだ。はっはっと浅く息を吐いているとベールの向こうから「エル、泣かないで」と声がして冷たい指先が目の下に触れた。泣かないで?泣いてなどいない、涙だって零れてないじゃないか、そう言おうと指先から目線で腕をたどって少女の顔を見れば白いレースの向こうで困ったような顔をしたナマエが微笑んでいた。
なぜそんな顔を、そう問おうと瞬きをしたらぽろりと何かが落ちて頬に触れたままだった彼女の指を濡らした。混乱していると彼女の指がそっと雫を拭ってくれる。
「私も幸せ」
包むように頬に手を当ててくれる彼女に戸惑い、助けを求めるように隣の老紳士をみれば彼の瞳も濡れていた。何がなんだかわからない。この期に及んでこんな知らない感情に呑まれるだなんて。
慌てたようにベールを上げて彼女の素顔を晒す。伏せた睫毛が震えている。ベールを完全に後ろへ流せば、微笑みをたたえたまま彼女の大きな瞳が私を捉えた。珊瑚礁の海のような澄んだブルーの瞳がゆらゆらと濡れて、半月状に歪む。その熟れたさくらんぼのような赤い唇へ口を寄せたことなどもう数え切れないというのに、まるでファーストキスのように心臓が早鐘を打ち、うまく息ができず苦しい。美しい彼女の姿をこの目に焼き付けたいのに視界が歪む。頬が濡れる。震えてうまく動かない手は滴るほど汗をかいていて、そんな掌を頬に押し付けられたというのに嫌な顔ひとつせず彼女の口元はさらに弧を描いた。
吸い付くような柔肌を少し持ち上げて上を向かせ、顔を寄せる。そっと彼女の煌く瞼が伏せられ、弧を描いたふさふさの睫毛を見下ろした。相変わらずうまく息ができない。もはや息を止めたままさらに顔を寄せる。鼻先と鼻先が触れ合って、コントロールしていないのに慣れたように自身の顔が少し傾いて鼻同士の正面衝突を避ける。そのまま吸い寄せられるように柔らかな果実へと唇を落とした。
何度も味わったことのあるはずのそれはとても甘くてやわらかくてあたたかくて、愛おしさに味があるならこれに違いない、唇が触れた瞬間魔法にかかったように全身を熱が駆け巡り、ようやく呼吸の仕方を思い出し唇を触れ合わせたまま深く深く息を吐いた。
ああ、幸せすぎて死にそう、とはこういうことをいうのだと生まれて初めて思った。
「では死神はリンゴしか食べませんか?」
「そんなことはない、しかし死神界は廃れていてほとんど食物もなく死神の内臓は退化…いや、進化していて食べる必要がないが…」
昨日の幸福な時間もあっという間に過ぎ去り、今朝からずっと死神に埒の明かない質問を繰り返している。肝心なところはすべて「わからない」死神にイラついていると先程訪問してきた弥の元へ行っていたはずの月が部屋へ戻ってきた。
「夜神くん早いですね」
「?」
「せっかく自由の身になったのにほとんど
私だってそうしたい。
そんな本音を全く出さずに淡々と提言すれば訝しげな顔をした彼に「まだキラ事件は解決をみていない。とても恋愛なんて気分になれないよ。それとも僕がずっと本部にいたら迷惑だとでも言うのか?」と詰められる。
確かにまだキラ事件は解決していないが…恋愛していて悪かったな。
解決はしていないものの、ひと段落着いて自由の身になってやっと愛し合えるというのになぜここから出ようとしないのか…いや、私から目を離さないようにしている?今までとは逆に監視されている気分だ…決して浮かれているわけではないが、気を引き締めなおさねば。
プリンを口に運びながら昨日幸福な違和感を放っていた左手の薬指を見る。
そこには光る金属は無く、代わりに根元にうっすらと赤みが差していた。
口内のプリンとは違った甘さがぞくぞくと背筋を駆け巡る。
愛しい彼女の顔を思い返しながらまた淡々と無愛想な化け物への質疑応答を再開した。
***
「じゃあ、いってくるね、フルーツだめになっちゃうかもしれないからプリンに添えてアラモードにして食べちゃって」
書類の入った鞄を肩に掛け、コートを羽織った彼女が振り向く。
同じ寝室で一晩を明かした彼女が出かけようとするのを、のろのろと着替えながら見送るために玄関へと足を運ぶ。
彼女の指元に煌くそれをふと見下ろし、そっと手をとるとさっと抜き取った。
「えっ」
「…キラ事件が解決するまで表立ってつけるのはやめましょう。今更ではありますが、これ以上貴女が私にとってかけがえのない存在だと知られるのは危険すぎる」
特に、どう考えても第二のキラである弥海沙が自由の身となって目の届かない外界に居る今は。
自分から贈ったものであるのに取り上げるという暴挙にしばし眉間に皺を寄せていた少女は小さく溜息をつくと了承して鞄から取り出した小箱に指輪を納めた。残念な気持ちよりも理解と納得を優先させられる聡明さが改めて好ましい。
ここ数日つけていただけの指輪でもなくなると物寂しいのか、じっと名残惜しげに指を見つめる彼女の手をとる。今度は何をするのだと見上げた彼女を無視してその指の付け根へ口付けると、そのまま容赦なく吸った。
「痛った!?!?」
「…よし」
突然の痛みに手を引っ込めて守るように反対の手で包み込み胸の前で抱き込んだ彼女から困惑と怯えの混ざった眼差しが飛んでくる。
「指輪の代わりです」
「はあ?」
「私のものという印であることは変わりないでしょう?」
痛んだ自身の手を確認すれば薬指の付け根にくっきりと刻まれた鬱血痕にさっと少女の頬に赤みが走る。
「なにやってんの!?これじゃ指輪みたいにつけ外しできないじゃん!誰かに突っ込まれたらどうすんの!?!?」
「ぶつけたといえばいいでしょう」
「どうぶつけたらこうなんのよ!」
赤面して激昂する彼女がちっとも怖くなくて上がりそうになる口角を下げながら自身の左手からも指輪を抜き取り、喚く彼女の口元へ突きつける。
「私も普段は嵌めているわけにいきませんから、さあ」
「さ、さあって」
「つけてください、貴女のモノだって証を」
すでに赤い顔をさらに赤らめてうろたえる少女の口にぐいぐいと指を押し付ける。
拒むのも空しく第三関節をぐりぐりと唇に押し付けれた哀れな少女は仕方ないとばかりに強めにそこへ吸い付いた。
力が足りず何度か吸ってようやくうっすら色づいた指を払いのけ、「時間かかると思うけど多分明日には帰れるから!」と言い逃げるように吐き捨ててバタン!と大きな音を立ててドアが閉まる。
出て行った少女の後姿から覗く耳が真っ赤だったことに満足した男は自身も部屋を出るべくドアを開けた。
***
「どういうことだ?また犯罪者殺しが…」
「昨夜だけで16人…火口が死んでから報道された者…」
翌日、捜査本部に激震が走った。
ここでキラ…どうなってる…
死神に問い質したところで埒が明かない。
もはやノートを使ってみるほか打開策など無い。
皆の反対を押し切り、ワタリに指示を出す。
ガシャン
「どうしたワタリ」
ワタリ?
ピーーーーーーーという耳障りな音が部屋に響き渡る。
画面に映し出されるAll data deletionの文字。
………
………
ワタリには自分の身にもしものことがあった場合全データを消すように言ってある…
………………………
………………………
もしワタリが死んだとなると…
しかしワタリの名前は誰にも…
では死神…ならば…
「皆さんしにがm……っ…」
全身を突き抜けるような痺れ。
渾身の力で鳩尾に一発キメられたかのような衝撃で息が詰まる。
どくん、と全身が脈打ち、次の瞬間ザーッと血の気が引いて崩れ落ちた。
「竜崎!?」
椅子から転げ落ちた私を抱え支えた夜神月が見下ろしてくる。
!
その勝ち誇った邪悪な笑みが答えだった。
夜神月。
やはり…私は…
間違って… …… なかった…
ナマエ…
が…
どうか…
ま…に…合って……
……
「うわああああーーーーーーーーーーーーーー」
捜査本部に夜神月の絶叫だけが響いた。
***
「はぁーやっと終わった」
彼はお互い誓い合うだけでいいと言ってくれたけれど、私がどうしても自身の名を公式に変えたくてひとり役所に申請に来ていた。
彼はどこにも戸籍が無いのだし、私が姓名変更届を出すことで彼の個人情報が流出しては元も子もない。そう考えて、私自身も国籍を棄てることにした。
英国領事館で所定の手続きを様々なコネと権力を行使して異例のスピードで終わらせる。それでもやはり1日以上かかってしまったが。
新国籍を得ずに英国籍を棄てる、しかも異国の地で。
本来ならば決して認められることではないが、なんとかなってしまうのだから夫となった男のめちゃくちゃさを改めて思い知る。
その一部にようやくなれたのだ。
つい先程済ませた手続きによって棄てた、ナマエミョウジという名に未練は無い。
今このときから自身の名の後ろにローライトとつくのだと思うとにやにやしてしまう。
どこの公式書類にも、勿論非公式書類にだって載っていない、彼と私だけが知る名前。
名乗ることは恐らく一生無いのだろうけれど。そんなことはどうでもいいのだ。
終わったことを早く伝えたくて、彼専用番号に電話を掛ける。
プルルル、プルルル、
…おかしいな、呼び出し音が続く。
普段ならどんなに立て込んでいようと2コール目には出るのに。
怪訝に思って一旦電話を切るとその瞬間ブルブルっとメッセージの着信を告げるバイブレータが手の中で震えた。
送り主は「W」。
彼からのメッセージは珍しくない。が。
嫌な汗が背中を伝う。
心臓が早くなってうまく息ができない。ざわざわする。
このタイミングで。嫌な予感がする。耳鳴りのように脳内をノイズが走る。目がちかちかする。
震える指先で何とかボタンを押す。
開かれたメッセージが画面いっぱいに表示される。
母国語であるはずのそれがうまく理解できない。
息もうまくできない。
目の前が白く光ったかと思うと暗転してその場に倒れこんだ。
息がうまくできない。
くるしい。くるしい、めがみえない。
大使館のロビーで突如倒れこんだ私のまわりに人だかりができているのがわかる。
日本語と英語両方で大丈夫か尋ねられている音が遠くに聞こえる。
まるで水の中にいるみたいに視界も聴覚もぼんやりしている。
うまくいきができない。
しんぞうがいたい。
だけど、わかっていた。
これは死に至るようなものではないこと。
パニックによるただの過呼吸であって、
まっしろになる頭の片隅でどこか冷静な自分が「心臓麻痺じゃない」とわかっていて、
そして、他人事のように嗤った、
「おまえは死に損なったのだ」
「愛する彼らといっしょに逝けなかったのだ」
「神の名を欲しがった代償だ」
と。
死神が名を書いた瞬間に神の名を手にした哀れな少女の手の中で
静かに暗転した端末に最後に表示されたのは
―― All data deletion ――
この日以降、少女の姿を見た者は、いない。