名探偵のお気に入り
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男は優秀な自覚があった。
努力を惜しまぬ質であったから地頭の良さと手先の器用さも相まって学校という場では常に成績上位に君臨していた。
だから飛び級でMITに入学したのも当たり前だと思っていたし入るのも難しいと名高い研究室に1年目早々にして在籍出来るのも成る可くして成った自負があった。
流石に天下のMITともなれば今迄通った学校よりツワモノ揃いなのは覚悟していたが、同じ研究室で幼い子どもを見たことで今迄の価値観を粉々に砕かれた。上には上がいる。それを本当の意味で思い知った秋だった。
少女はエラ・コイルといった。
まだ10歳かそこらのようだった。
イタリア系の訛りで、自分と同じような血筋かもしれないと親近感が湧いたこともあったが、たまにしかキャンパスへ現れない彼女がことごとく成績を上回ってくるので嫉妬心と闘争心で正直苦手だった。
「ラウド」
それが自分の名を呼んでいると気付いたのは、何度か繰り返し発されたその音が段々近くなり、目を落としていた視界の端で小さな拳が机をノックしたのが見えたからだった。
慌てて顔を上げてそちらを見れば、いつの間にか隣に苦手な少女が立っていた。
「…集中すると聞こえなくなるタイプ?」
「……それもあるけど苗字で呼ばれ慣れてないから呼ばれてると思わなくて。ごめん、何か用かな」
そう言えば少女は少し目を見開いて驚いた顔をしたあと、小さな口をキュッと結んで目線を斜め上にあげた。
何かを一瞬考えたそぶりの彼女は眉を下げて笑った。
「イギリスでは学友を苗字で呼ぶからその癖で。返事されないのも困るからステファンって呼んで良い?」
イギリス人だったのか。
ぼんやりそんなことを思った。
親しくする気などなかったのにスティーブで良いよ、と勝手に声が出ていた。
「そう、じゃあスティーブ、昨日のプログラミングの課題が出来たから検証を手伝って欲しいんだけど、」
「……えっ?昨日の?出来た?出来ただって?」
昨日の課題といえば期限が2週間できられていたが1ヶ月かけても難しいと皆唸っていたやつだ。
優秀な僕にかかれば2週間でギリギリ間に合うか、そう思って今もキーボードを叩くのに集中していたわけだが、それが終わっただって?だって昨日の午後の授業だ。今は翌日の10時を回ったところ。まだ午前中だ。
まさかあの課題をたった一晩で?
笑えない冗談だと鼻で嗤いそうになるのをこらえて検証を快諾した。
僕は検証に丸三日かかった。
彼女の課題は完璧だった。
まさかこれを一晩で。
自分がいかに凡人かを思い知らされたようで絶望のあまり目の前が真っ暗になって耳がキーンと鳴る。
「…ーブ、スティーブ!!」
「……………ハッ!!!!」
研究室のデスクで寝こけていた僕は名を呼ばれて覚醒した。
ここではまだそう呼ぶ者のいない親しみを込めた名を呼んだ彼女を見やる。
そうだった、彼女にだけそう呼ぶのを許したのだった。
ぼう…と見つめる僕を心配そうに眉をひそめて見やった彼女は画面と手元に散らばったリストをざっと確認すると「すごい、たった三日で検証してくれたの?」と目を丸くした。
嫌味か?
君がたった一晩でこなしたものの検証に三日もかけてしまったというのに。
「1週間はかかると思ってたの、ちゃんと寝た?クマが出来てる」
「……見くびってもらっちゃ困るな、これくらい、」
一晩で、出来たら良かったのに。
変なところで詰まって黙ってしまった僕をちら、と見ただけの彼女はありがとう、貴方に頼んで正解だった、絶対やりきってくれると思ってたの、とはにかんだ。
根拠も何も提示されなかったその謎の信頼にすっ…と心が救われた半年後。
僕ら研究室は窮地に立たされていた。
僕達が入学する前から存在する論文データの紙バックアップファイルがとある薬品によって溶解してしまったのだ。
電子バックアップも勿論あるのだけれど、その分厚い紙ファイルには教授の手書きメモや付箋がびっしりでこの世に一つしかない代物だった。
幸い教授はシンポジウムのため外国へ行っており研究室へ戻るのは明日の午後一番、まだバレていない。
教授の宝ともいえるファイルが欠損してしまったと知れたら学生全員リストラもあり得る研究室始まって以来の危機だった。
青くなる学生達の中で1人だけ意を決したような強い瞳の持ち主がいた。
「エラ、」
「…ステファン・ラウド、ファイルのメモや付箋、全部記憶してる?」
「勿論さ、君は?」
「貴方と一緒」
勿体ぶってフルネームで問いかけられたのを挑戦状と受け取り即答すれば、不敵に笑った彼女に学生達がざわめく。
「…私とスティーブで一からファイルを複製します。内容は頭に入っています。大丈夫、絶対バレない、手書き文字も付箋の貼り方、ファイルの汚れや痛みまで完璧に復元してみせます」
とても人間業とは思えない突拍子もない提案にざわめく学生達は無理だろう、コピー元が消失しているのに復元するだって?しかも手作業で?あの分厚いファイルを全部覚えているだって?ありえない、と口々に囁き合った。
教授にバレて全員大目玉、研究室は解散、我々の未来は潰えた…そんな雰囲気になりかけた時、群衆から1人、生真面目そうな眼鏡の男が進み出た。その年の研究室長の院生だった。
「……その復元は一晩で出来るのか?明日の午後一番に教授が帰ってくる前に?」
静かに問われた質問に隣の少女と顔を見合わせ、くすりと笑んだ。
「「大丈夫、間に合います」」
◇◇◇
ステファン・ラウドは遠い昔のかの日に思いを馳せていた。
懐かしい、そんなこともあったな。すっかり忘れていた。彼女は元気だろうか。もうすっかり大人になっているだろう。
電話越しに聞こえた何時ぞやの徹夜作業を思い起こさせる無茶な依頼。
自分の器用さは自分がよく知っている。
紙媒体の完璧な複製はやったことがある。彼女と共に一晩で。しかも今回はあの時と違って上手くいけば原本 が手に入る。それさえあれば彼女無しでも簡単だろう。何せ記憶から立体物を顕現させなくて済むのだから。単純な複製なんて朝飯前だ。僕を誰だと思っている。
「…………どうですか、出来ますかジェバンニ?明日までに」
電話の向こうで少年の声がする。
ああ、この質問をしたのは彼女ではなく研究室長だったというのに何故だろう、電話越しの声が酷く彼女を彷彿とさせるのは。頭がキレて目的の為には手段は無茶苦茶な彼女と白い服を着た子どもが重なる。あの時の彼女と今のニアではニアの方が歳が上だろうに。
そんなどうでも良いことを考えながら笑うように即答した。
「問題ない、間に合う」
見ててくれ、神様 。
君に仕込まれた僕が間に合わないわけがない。
そうだろう?
努力を惜しまぬ質であったから地頭の良さと手先の器用さも相まって学校という場では常に成績上位に君臨していた。
だから飛び級でMITに入学したのも当たり前だと思っていたし入るのも難しいと名高い研究室に1年目早々にして在籍出来るのも成る可くして成った自負があった。
流石に天下のMITともなれば今迄通った学校よりツワモノ揃いなのは覚悟していたが、同じ研究室で幼い子どもを見たことで今迄の価値観を粉々に砕かれた。上には上がいる。それを本当の意味で思い知った秋だった。
少女はエラ・コイルといった。
まだ10歳かそこらのようだった。
イタリア系の訛りで、自分と同じような血筋かもしれないと親近感が湧いたこともあったが、たまにしかキャンパスへ現れない彼女がことごとく成績を上回ってくるので嫉妬心と闘争心で正直苦手だった。
「ラウド」
それが自分の名を呼んでいると気付いたのは、何度か繰り返し発されたその音が段々近くなり、目を落としていた視界の端で小さな拳が机をノックしたのが見えたからだった。
慌てて顔を上げてそちらを見れば、いつの間にか隣に苦手な少女が立っていた。
「…集中すると聞こえなくなるタイプ?」
「……それもあるけど苗字で呼ばれ慣れてないから呼ばれてると思わなくて。ごめん、何か用かな」
そう言えば少女は少し目を見開いて驚いた顔をしたあと、小さな口をキュッと結んで目線を斜め上にあげた。
何かを一瞬考えたそぶりの彼女は眉を下げて笑った。
「イギリスでは学友を苗字で呼ぶからその癖で。返事されないのも困るからステファンって呼んで良い?」
イギリス人だったのか。
ぼんやりそんなことを思った。
親しくする気などなかったのにスティーブで良いよ、と勝手に声が出ていた。
「そう、じゃあスティーブ、昨日のプログラミングの課題が出来たから検証を手伝って欲しいんだけど、」
「……えっ?昨日の?出来た?出来ただって?」
昨日の課題といえば期限が2週間できられていたが1ヶ月かけても難しいと皆唸っていたやつだ。
優秀な僕にかかれば2週間でギリギリ間に合うか、そう思って今もキーボードを叩くのに集中していたわけだが、それが終わっただって?だって昨日の午後の授業だ。今は翌日の10時を回ったところ。まだ午前中だ。
まさかあの課題をたった一晩で?
笑えない冗談だと鼻で嗤いそうになるのをこらえて検証を快諾した。
僕は検証に丸三日かかった。
彼女の課題は完璧だった。
まさかこれを一晩で。
自分がいかに凡人かを思い知らされたようで絶望のあまり目の前が真っ暗になって耳がキーンと鳴る。
「…ーブ、スティーブ!!」
「……………ハッ!!!!」
研究室のデスクで寝こけていた僕は名を呼ばれて覚醒した。
ここではまだそう呼ぶ者のいない親しみを込めた名を呼んだ彼女を見やる。
そうだった、彼女にだけそう呼ぶのを許したのだった。
ぼう…と見つめる僕を心配そうに眉をひそめて見やった彼女は画面と手元に散らばったリストをざっと確認すると「すごい、たった三日で検証してくれたの?」と目を丸くした。
嫌味か?
君がたった一晩でこなしたものの検証に三日もかけてしまったというのに。
「1週間はかかると思ってたの、ちゃんと寝た?クマが出来てる」
「……見くびってもらっちゃ困るな、これくらい、」
一晩で、出来たら良かったのに。
変なところで詰まって黙ってしまった僕をちら、と見ただけの彼女はありがとう、貴方に頼んで正解だった、絶対やりきってくれると思ってたの、とはにかんだ。
根拠も何も提示されなかったその謎の信頼にすっ…と心が救われた半年後。
僕ら研究室は窮地に立たされていた。
僕達が入学する前から存在する論文データの紙バックアップファイルがとある薬品によって溶解してしまったのだ。
電子バックアップも勿論あるのだけれど、その分厚い紙ファイルには教授の手書きメモや付箋がびっしりでこの世に一つしかない代物だった。
幸い教授はシンポジウムのため外国へ行っており研究室へ戻るのは明日の午後一番、まだバレていない。
教授の宝ともいえるファイルが欠損してしまったと知れたら学生全員リストラもあり得る研究室始まって以来の危機だった。
青くなる学生達の中で1人だけ意を決したような強い瞳の持ち主がいた。
「エラ、」
「…ステファン・ラウド、ファイルのメモや付箋、全部記憶してる?」
「勿論さ、君は?」
「貴方と一緒」
勿体ぶってフルネームで問いかけられたのを挑戦状と受け取り即答すれば、不敵に笑った彼女に学生達がざわめく。
「…私とスティーブで一からファイルを複製します。内容は頭に入っています。大丈夫、絶対バレない、手書き文字も付箋の貼り方、ファイルの汚れや痛みまで完璧に復元してみせます」
とても人間業とは思えない突拍子もない提案にざわめく学生達は無理だろう、コピー元が消失しているのに復元するだって?しかも手作業で?あの分厚いファイルを全部覚えているだって?ありえない、と口々に囁き合った。
教授にバレて全員大目玉、研究室は解散、我々の未来は潰えた…そんな雰囲気になりかけた時、群衆から1人、生真面目そうな眼鏡の男が進み出た。その年の研究室長の院生だった。
「……その復元は一晩で出来るのか?明日の午後一番に教授が帰ってくる前に?」
静かに問われた質問に隣の少女と顔を見合わせ、くすりと笑んだ。
「「大丈夫、間に合います」」
◇◇◇
ステファン・ラウドは遠い昔のかの日に思いを馳せていた。
懐かしい、そんなこともあったな。すっかり忘れていた。彼女は元気だろうか。もうすっかり大人になっているだろう。
電話越しに聞こえた何時ぞやの徹夜作業を思い起こさせる無茶な依頼。
自分の器用さは自分がよく知っている。
紙媒体の完璧な複製はやったことがある。彼女と共に一晩で。しかも今回はあの時と違って上手くいけば
「…………どうですか、出来ますかジェバンニ?明日までに」
電話の向こうで少年の声がする。
ああ、この質問をしたのは彼女ではなく研究室長だったというのに何故だろう、電話越しの声が酷く彼女を彷彿とさせるのは。頭がキレて目的の為には手段は無茶苦茶な彼女と白い服を着た子どもが重なる。あの時の彼女と今のニアではニアの方が歳が上だろうに。
そんなどうでも良いことを考えながら笑うように即答した。
「問題ない、間に合う」
見ててくれ、
君に仕込まれた僕が間に合わないわけがない。
そうだろう?