名探偵のお気に入り
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少女は怯えていた。
数ヶ月前、募らせ拗らせ爆発させた想いを伝えて晴れて両思い恋人同士となってからワイミーズハウスにいる間は彼と一切連絡を取っていない。
恋人同士といえるのか、という問題はさておき、もっと重大な問題に彼女は頭を悩ませているのだった。
Lという男は世界に名を轟かす世紀の名探偵だが、決して正義感の強さからその職を全うしているわけではない。
そもそも数多の物語に登場する名探偵たちが少々曲者揃いなのもそれを裏付けているように、名探偵というものは常人より高い好奇心と行動力の持ち主であるが故に自分に関係がない事件にやたらと首を突っ込みたがる生き物なのだ。
彼もその例外ではなく、どんな凶悪な事件でも簡単に犯人がわかるものに興味はなく、些細な事件であっても迷宮入りしそうな不可解なものを追う質だった。
誰もが敗北した謎に挑み、自らの力で解き明かすことに快感と満足感を得るミステリージャンカー、そんな彼にとって既に解き明かしてしまったパズルは用済みであることは想像に難くない。
つまり。
両思いになってしまった私にはもう興味がないのではないか。少女の頭を占める不安はその一点のみだった。思考の飛躍が過ぎることは普段の彼女であれば容易に気がつくものの、恋の病に侵された少女はどうしても不安にならざるを得ない。
告白の返事をもらって、両思いだとわかって、お付き合いをすることになって、すぐに施設へ帰されて。待てど暮らせど一向に連絡のないまま数ヶ月。忘れられてしまったんじゃないか。そもそも両思いになったと思ったのが夢だったとか。子供の戯言だと思われたとか。
数ヶ月連絡がないことなんてここ何年も当たり前であったのに、想いが通じたと思ってからの数ヶ月は今までの数ヶ月とは全く異なるものだった。すっかり元気もなくなり食欲も衰え痩せてしまった少女がぼんやりと窓の外を見つめる姿にいい加減痺れを切らした金髪がドスドスと足音荒く近づいた。
「おいナマエ、いい加減にしろ」
「…メロ」
ミハエルという名を呼ぶ者はここには居ない。この施設に入った時点で皆本名にちなんだコードネームを与えられる。目の前のストンと綺麗な金髪を持つ金髪の少年の名は『メロ』だった。
「薄暗い空みたいな顔しやがって、お前、今朝も全然朝飯食べてないだろ」
顔に押し付けるように懐から出した板チョコレートを渡せば、ぼんやりと受け取った少女は手の中の薄い銀紙をまじまじと見下ろした。
チョコレート。甘いもの。
自然と甘いものに囲まれた彼を思い出し、ポロリと涙を零す。血気盛んな金髪の少年はギョッとして慌てて親指の腹を押し当てて拭ってやった。その瞬間、けたたましい黒電話の着信音が鳴り響き、二人の子どもはビクッと肩を揺らした。電話に出た老人がちらりとこちらを見た。またか。金髪の少年は不快感を顔に貼り付けた。少女はチョコレートを握りしめたまま立ち上がっている。電話を切った老人が静かにナマエの名を呼んで、弾かれたように走り出した少女は持っていたチョコレートを押し付けるように少年へと返し行ってしまった。少女が強く握りしめたのか、そのチョコレートは割れていて、指先でそれを感じた彼は人目もはばからず大きな舌打ちをした。
少年の思った通り、老人に呼び出された彼女はその日のうちに施設から居なくなった。彼女はたびたび居なくなる。今回は卒業した大学からの呼び出しとかなんとか。本当かよ。彼女がどこへ連れていかれてるのか不明だが、ある時は入院、ある時は大学、ある時は理由も説明なく。飛び級でいくつか大学を卒業しているから本当に学校へ行ってる場合もあるのだろうが、帰ってくるたび一喜一憂してテンションの可笑しい彼女にとてつもなくイライラした。前回は帰ってきてからの様子が今までと比べ物にならないほど可笑しく、クスクス笑ったり突然赤くなって顔を覆ったり挙動不審だったかと思えば徐々に目も当てられないほどやつれていき食事もろくに取らなくなった。なにかの病気で入院したと言われたほうが納得出来るような有様だった。次はいつ帰ってくるのだろう、帰ってきたら今度こそどこへ行っていたのか問い詰めて様子の可笑しさの原因を解き明かしてやる。乱暴に銀紙を解くと割れたチョコレートにバキリと歯を立てた。
イギリスとは違う強い陽射し、天高く青々とした空。心まで開放感に浮かれてしまいそうなそんな街。今回呼び出されたのはアメリカ、ロサンゼルス。行きのプライベートジェットの中で一通り資料に目を通した少女は空調の良く効いた部屋に通された。部屋の真ん中にこちらに背を向けた椅子があり、そこから覗く黒く跳ねた髪に心臓が早まる。おずおずと近寄り椅子の横に並び立つと意を決して声をかけた。
「…エル久しぶ」
り、まで言う前に突然手首を掴まれ驚いた少女は息を止めた。
そのまま引っ張られ前傾姿勢になった彼女に反対の手が容赦無く近付き、かさかさした親指の腹が少女の目の下の頰を強く擦った。何度もゴシゴシと擦られ混乱した少女は戸惑いを声に乗せて震えた。
「な、なにしてるの?」
「上書きしています」
「なにを…?」
答えず擦り続けた男は赤くなってしまった少女の頰に満足したのかやっと手を離した。
久しぶりに会えたことよりも、彼に触れられたことに喜んでしまうのは仕方ないと思う。幼い頃は頭を撫でたり抱き上げられたりしたものだが、いつからかめっきり触れられなくなった。不自然なほど接触がなくなったと気付いたのは彼への想いを自覚する少し前から。あれから4年ほど、Lは一切ナマエに触れなかった。13歳の4年間は大きい。しかもそれが恋い焦がれる相手なら尚更。
擦られた頰に手をやってはにかんでいると、今更「待っていましたよ」と声がかかり、掴まれたままだった手首が再び引っ張られてされるがままに少女は男の開いた脚の間に収まった。布越しに背中に熱が伝わって、顔が爆発しそうに熱くなる。なっ、とかえっ、とか意味のない言葉を発して暴れる彼女を節くれだった手を腹に回して抑え込む。真っ赤に熟れた耳元に口をやって名を呼べばビクリと跳ねるが最後、少女は大人しくなった。それに気を良くし、口を寄せた耳があまりに熱くなっているのが面白くてそのままぱくりと口に含めば大人しくなったはずの少女がひゃあと情けない声をあげた。ゾクゾクと何かが背を駆け上がり自然と腰が少女の尻に擦り寄ったのを自覚した男は何事もなかったかのように椅子へもぞもぞと座り直すと改めて少女を脚の間へ抱え込んで腹へ両手を回し、少女の背中にぴったり前身をくっつけて肩へ頭を乗せた。
「私は怒っているんですよ」
「…えっ」
「どうして連絡してくれないんです」
いつもと同じ表情で淡々と告げる男の顔をまじまじと見つめる。あまりに至近距離で若干ピントがぼやけるが、その黒々とした瞳はこちらを射抜いていた。
「私たち恋人同士になったんじゃなかったんですか?あの愛の告白は嘘だったんですか」
「え、ちょ、ちょっと待って」
二の句が継げないでいると好き勝手に話し出した男へストップをかける。なに?なんだって?
「え、だっていつも連絡をくれるのはエルからだしエルから呼ばれないと会えないしそもそも連絡先知らない!」
だから連絡くれなかったのはエルの方でしょ!
数ヶ月思い続けていたことを直接ぶつければ男は眉だけを器用に動かし不満を露わにした。
「こちらから連絡出来るんですから施設の責任者にいえばそちらからも連絡出来るでしょう」
貴女ならそんなこと簡単にわかりそうなものを。いかにもこちらが悪いとばかりに言い放たれ唖然とする。そっちの連絡先は秘匿されてるって思うでしょう!勝手に思い込んで聞かなかったのは事実だけど、でも。
あまりの理不尽さに震えているとどうしました寒いんですかなんて白々しく聞いてくる男にさらに抱き締められてしまった。
今まで4年も指一本触れてこなかったくせにいきなり刺激が強すぎる。少女が目を白黒させていると男は面白そうに口角を上げて「寂しかったですか?」と聞いた。寂しかったですかときた。寂しかったに決まってる。恨めしい気持ちを顔中に貼り付けて「エルこそ寂しかったの?」と喧嘩を売ってやれば「ええ、とても寂しかったです。会いたかった」なんて簡単に言うものだから敢え無く撃沈してしまった。ずるい。
己の腕の中で真っ赤になってぐったりと力なくしてしまった少女を心から愛おしく思いながら髪に顔を埋めて吸っていると、聞き取れないくらい小さな声で彼女が漏らした。
「…解決済み事件 だから興味なくなったと思った」
「……貴女が?」
男は抱き締めていた腕を緩めて少女の両肩を掴んで上半身を捻るとこちらに向けた。少々無理な姿勢を取らされても文句を言わず、後頭部に男の立てた膝が当たるのにも構わず泣きそうな顔で見つめ返してくる少女を安心させるように優しいトーンで言い聞かす。
「解決済み?私はまだまだ貴女の全てを解き明かしてなどいません。むしろ着手したばかり、これからが勝負の始まりじゃないですか。付き合い始めたばかりというのに何を言っているんですか?もしかして結婚をゴールだと思っているタイプですか?今からが本番ですよこれから存分に楽しませて頂きます」
「…付き合い始めたばかりって、もう数ヶ月経っちゃったよ」
嬉しさよりも数ヶ月拗らせた思いが勝ってしまいつい嫌味が口をついて出たが、ふむと親指を咥えた男は思案するように斜め上を見上げた。
「……そうですね、このまま離れ離れだと何かと不便ですし貴女に悪い虫がたかっているのも面白くないですから…」
「悪い虫?」
「一緒に暮らしましょう」
「??…え?元々事件の間はいつもみたいにここに泊まる予定だよ…?」
「そうではなく。ワイミーズハウスを出て一緒に暮らしましょうと言っています」
「…えっ!?!?」
今日からで良いですね、と勝手に事を進めようとする男に慌てて待ったをかける。なんですか、ナマエは私と一緒にいたくないんですか、と不満気に詰められそんなわけないけど!じゃあ良いじゃないですかなどと押し問答。
「帰らないと思わないからみんなにさよならも言ってないよ!」
「ではさよならと手紙を出してください」
「そんな!ちゃんと挨拶…」
「ナマエ、」
低い圧のある声に名前を呼ばれて思わず押し黙る。
「私は貴女さえいればこの世の全てが要りません。貴女はどうですか」
至近距離で黒く丸い瞳に吸い込まれる。催眠術のようだとぼんやり思った。
彼女がワイミーズハウスに戻ることはなかった。
数ヶ月前、募らせ拗らせ爆発させた想いを伝えて晴れて両思い恋人同士となってからワイミーズハウスにいる間は彼と一切連絡を取っていない。
恋人同士といえるのか、という問題はさておき、もっと重大な問題に彼女は頭を悩ませているのだった。
Lという男は世界に名を轟かす世紀の名探偵だが、決して正義感の強さからその職を全うしているわけではない。
そもそも数多の物語に登場する名探偵たちが少々曲者揃いなのもそれを裏付けているように、名探偵というものは常人より高い好奇心と行動力の持ち主であるが故に自分に関係がない事件にやたらと首を突っ込みたがる生き物なのだ。
彼もその例外ではなく、どんな凶悪な事件でも簡単に犯人がわかるものに興味はなく、些細な事件であっても迷宮入りしそうな不可解なものを追う質だった。
誰もが敗北した謎に挑み、自らの力で解き明かすことに快感と満足感を得るミステリージャンカー、そんな彼にとって既に解き明かしてしまったパズルは用済みであることは想像に難くない。
つまり。
両思いになってしまった私にはもう興味がないのではないか。少女の頭を占める不安はその一点のみだった。思考の飛躍が過ぎることは普段の彼女であれば容易に気がつくものの、恋の病に侵された少女はどうしても不安にならざるを得ない。
告白の返事をもらって、両思いだとわかって、お付き合いをすることになって、すぐに施設へ帰されて。待てど暮らせど一向に連絡のないまま数ヶ月。忘れられてしまったんじゃないか。そもそも両思いになったと思ったのが夢だったとか。子供の戯言だと思われたとか。
数ヶ月連絡がないことなんてここ何年も当たり前であったのに、想いが通じたと思ってからの数ヶ月は今までの数ヶ月とは全く異なるものだった。すっかり元気もなくなり食欲も衰え痩せてしまった少女がぼんやりと窓の外を見つめる姿にいい加減痺れを切らした金髪がドスドスと足音荒く近づいた。
「おいナマエ、いい加減にしろ」
「…メロ」
ミハエルという名を呼ぶ者はここには居ない。この施設に入った時点で皆本名にちなんだコードネームを与えられる。目の前のストンと綺麗な金髪を持つ金髪の少年の名は『メロ』だった。
「薄暗い空みたいな顔しやがって、お前、今朝も全然朝飯食べてないだろ」
顔に押し付けるように懐から出した板チョコレートを渡せば、ぼんやりと受け取った少女は手の中の薄い銀紙をまじまじと見下ろした。
チョコレート。甘いもの。
自然と甘いものに囲まれた彼を思い出し、ポロリと涙を零す。血気盛んな金髪の少年はギョッとして慌てて親指の腹を押し当てて拭ってやった。その瞬間、けたたましい黒電話の着信音が鳴り響き、二人の子どもはビクッと肩を揺らした。電話に出た老人がちらりとこちらを見た。またか。金髪の少年は不快感を顔に貼り付けた。少女はチョコレートを握りしめたまま立ち上がっている。電話を切った老人が静かにナマエの名を呼んで、弾かれたように走り出した少女は持っていたチョコレートを押し付けるように少年へと返し行ってしまった。少女が強く握りしめたのか、そのチョコレートは割れていて、指先でそれを感じた彼は人目もはばからず大きな舌打ちをした。
少年の思った通り、老人に呼び出された彼女はその日のうちに施設から居なくなった。彼女はたびたび居なくなる。今回は卒業した大学からの呼び出しとかなんとか。本当かよ。彼女がどこへ連れていかれてるのか不明だが、ある時は入院、ある時は大学、ある時は理由も説明なく。飛び級でいくつか大学を卒業しているから本当に学校へ行ってる場合もあるのだろうが、帰ってくるたび一喜一憂してテンションの可笑しい彼女にとてつもなくイライラした。前回は帰ってきてからの様子が今までと比べ物にならないほど可笑しく、クスクス笑ったり突然赤くなって顔を覆ったり挙動不審だったかと思えば徐々に目も当てられないほどやつれていき食事もろくに取らなくなった。なにかの病気で入院したと言われたほうが納得出来るような有様だった。次はいつ帰ってくるのだろう、帰ってきたら今度こそどこへ行っていたのか問い詰めて様子の可笑しさの原因を解き明かしてやる。乱暴に銀紙を解くと割れたチョコレートにバキリと歯を立てた。
イギリスとは違う強い陽射し、天高く青々とした空。心まで開放感に浮かれてしまいそうなそんな街。今回呼び出されたのはアメリカ、ロサンゼルス。行きのプライベートジェットの中で一通り資料に目を通した少女は空調の良く効いた部屋に通された。部屋の真ん中にこちらに背を向けた椅子があり、そこから覗く黒く跳ねた髪に心臓が早まる。おずおずと近寄り椅子の横に並び立つと意を決して声をかけた。
「…エル久しぶ」
り、まで言う前に突然手首を掴まれ驚いた少女は息を止めた。
そのまま引っ張られ前傾姿勢になった彼女に反対の手が容赦無く近付き、かさかさした親指の腹が少女の目の下の頰を強く擦った。何度もゴシゴシと擦られ混乱した少女は戸惑いを声に乗せて震えた。
「な、なにしてるの?」
「上書きしています」
「なにを…?」
答えず擦り続けた男は赤くなってしまった少女の頰に満足したのかやっと手を離した。
久しぶりに会えたことよりも、彼に触れられたことに喜んでしまうのは仕方ないと思う。幼い頃は頭を撫でたり抱き上げられたりしたものだが、いつからかめっきり触れられなくなった。不自然なほど接触がなくなったと気付いたのは彼への想いを自覚する少し前から。あれから4年ほど、Lは一切ナマエに触れなかった。13歳の4年間は大きい。しかもそれが恋い焦がれる相手なら尚更。
擦られた頰に手をやってはにかんでいると、今更「待っていましたよ」と声がかかり、掴まれたままだった手首が再び引っ張られてされるがままに少女は男の開いた脚の間に収まった。布越しに背中に熱が伝わって、顔が爆発しそうに熱くなる。なっ、とかえっ、とか意味のない言葉を発して暴れる彼女を節くれだった手を腹に回して抑え込む。真っ赤に熟れた耳元に口をやって名を呼べばビクリと跳ねるが最後、少女は大人しくなった。それに気を良くし、口を寄せた耳があまりに熱くなっているのが面白くてそのままぱくりと口に含めば大人しくなったはずの少女がひゃあと情けない声をあげた。ゾクゾクと何かが背を駆け上がり自然と腰が少女の尻に擦り寄ったのを自覚した男は何事もなかったかのように椅子へもぞもぞと座り直すと改めて少女を脚の間へ抱え込んで腹へ両手を回し、少女の背中にぴったり前身をくっつけて肩へ頭を乗せた。
「私は怒っているんですよ」
「…えっ」
「どうして連絡してくれないんです」
いつもと同じ表情で淡々と告げる男の顔をまじまじと見つめる。あまりに至近距離で若干ピントがぼやけるが、その黒々とした瞳はこちらを射抜いていた。
「私たち恋人同士になったんじゃなかったんですか?あの愛の告白は嘘だったんですか」
「え、ちょ、ちょっと待って」
二の句が継げないでいると好き勝手に話し出した男へストップをかける。なに?なんだって?
「え、だっていつも連絡をくれるのはエルからだしエルから呼ばれないと会えないしそもそも連絡先知らない!」
だから連絡くれなかったのはエルの方でしょ!
数ヶ月思い続けていたことを直接ぶつければ男は眉だけを器用に動かし不満を露わにした。
「こちらから連絡出来るんですから施設の責任者にいえばそちらからも連絡出来るでしょう」
貴女ならそんなこと簡単にわかりそうなものを。いかにもこちらが悪いとばかりに言い放たれ唖然とする。そっちの連絡先は秘匿されてるって思うでしょう!勝手に思い込んで聞かなかったのは事実だけど、でも。
あまりの理不尽さに震えているとどうしました寒いんですかなんて白々しく聞いてくる男にさらに抱き締められてしまった。
今まで4年も指一本触れてこなかったくせにいきなり刺激が強すぎる。少女が目を白黒させていると男は面白そうに口角を上げて「寂しかったですか?」と聞いた。寂しかったですかときた。寂しかったに決まってる。恨めしい気持ちを顔中に貼り付けて「エルこそ寂しかったの?」と喧嘩を売ってやれば「ええ、とても寂しかったです。会いたかった」なんて簡単に言うものだから敢え無く撃沈してしまった。ずるい。
己の腕の中で真っ赤になってぐったりと力なくしてしまった少女を心から愛おしく思いながら髪に顔を埋めて吸っていると、聞き取れないくらい小さな声で彼女が漏らした。
「…
「……貴女が?」
男は抱き締めていた腕を緩めて少女の両肩を掴んで上半身を捻るとこちらに向けた。少々無理な姿勢を取らされても文句を言わず、後頭部に男の立てた膝が当たるのにも構わず泣きそうな顔で見つめ返してくる少女を安心させるように優しいトーンで言い聞かす。
「解決済み?私はまだまだ貴女の全てを解き明かしてなどいません。むしろ着手したばかり、これからが勝負の始まりじゃないですか。付き合い始めたばかりというのに何を言っているんですか?もしかして結婚をゴールだと思っているタイプですか?今からが本番ですよこれから存分に楽しませて頂きます」
「…付き合い始めたばかりって、もう数ヶ月経っちゃったよ」
嬉しさよりも数ヶ月拗らせた思いが勝ってしまいつい嫌味が口をついて出たが、ふむと親指を咥えた男は思案するように斜め上を見上げた。
「……そうですね、このまま離れ離れだと何かと不便ですし貴女に悪い虫がたかっているのも面白くないですから…」
「悪い虫?」
「一緒に暮らしましょう」
「??…え?元々事件の間はいつもみたいにここに泊まる予定だよ…?」
「そうではなく。ワイミーズハウスを出て一緒に暮らしましょうと言っています」
「…えっ!?!?」
今日からで良いですね、と勝手に事を進めようとする男に慌てて待ったをかける。なんですか、ナマエは私と一緒にいたくないんですか、と不満気に詰められそんなわけないけど!じゃあ良いじゃないですかなどと押し問答。
「帰らないと思わないからみんなにさよならも言ってないよ!」
「ではさよならと手紙を出してください」
「そんな!ちゃんと挨拶…」
「ナマエ、」
低い圧のある声に名前を呼ばれて思わず押し黙る。
「私は貴女さえいればこの世の全てが要りません。貴女はどうですか」
至近距離で黒く丸い瞳に吸い込まれる。催眠術のようだとぼんやり思った。
彼女がワイミーズハウスに戻ることはなかった。