名探偵のお気に入り
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「やあ、まさか逢いに来てくれるとは思わなかったよ、ふふふ」
物々しい鉄格子に切り取られた小さな青空がまるで絵画のように現実味を持たないこのひんやりとした無機質な部屋の中で、目の前に座る人物はなんの感情も持たない音声読み上げソフトのような声をあげた。
「ふふふ、どうしたの、あ、これ、ここのカウンセラーの笑い方、いいでしょ、ふふふ」
そう言って身体を左右にゆする。
豊かだった黒髪は跡形もなく、全ての皮膚が灼け爛れ引き攣ってケロイド状になったり、移植の跡だろうか所々色が変わっていたり、まるでアリゾナやネバダの砂漠にある赤褐色の岩のようなごつごつした肌で、片耳は溶けたようにぐちゃぐちゃになって側頭部に張り付いていた。
輪郭も人相も全く面影のない変貌ぶり。
声も記憶より随分ガサガサして、しかしその喋り方には覚えがあった。
性別すら判別不可能なその人物は窪んだ瞳孔の奥をぎらぎらさせてこちらを見た。
ああ、この目。彼だ。
「ひさしぶり、キュー」
静かに言えば、その男は激しく前後左右に揺れた。
鮮やかなオレンジ色の拘束着でぐるぐる巻きにされているのでまるでウインナーが熱々のフライパンの上で跳ねているかのようだ。がちゃがちゃと繋がれた鎖がけたたましい音をたてたが、それよりも彼の口から叫び出たひゃはははは!ひゃはははははは!という音の方が部屋に響いた。離れたところで見張っている制服の男が厳しい顔をして一歩踏み出す程度には。
「僕が誰だか知っているのにまだそんな名前で呼んでくれるのぉ?」
「……あなたが自分でそう名乗ったのだからこれがあなたの名前でしょ」
殺されるかと思うくらい鋭い眼光に貫かれた。
赤黒い長くて薄い舌が、カサカサで原形をとどめていない唇をべろりと舌舐めずりした。
「……くくくくっ…俺ねえ、おまえのそういうところが殺しちゃいたいくらいだーいすきだったよ」
「どうも」
私のイニシャルが揃ってなくて残念ね、と言えば男はぎらぎらしたまんまるの双眼を愉快そうに光らせた。口はもう引き攣ってしまって、かつてのように裂けるほど引きあがったりは出来ないようだった。
「それで?こんなところまでどうしたの?よくお許しが出たねえ、可愛い可愛いSWEETちゃんなのに」
腕が拘束されているというのに器用に足だけで前後に揺れながら大して興味もなさそうなトーンで聞かれる。
ああ、やはり、この男はなんでも知っているのだ。
「別に許しは貰ってません。私の意思で来ました」
「えー!大丈夫?そんな勝手なことして。あの人、そういうの許せないんじゃない」
「あの人って?」
今までの会話は「ワイミーズハウスの秘蔵っ子が単独行動(しかも外出)して大丈夫?」という文脈にも取れるから、こちらもその文脈で返していた。だって彼は私がハウスを出た事を知らないはず。しかし、この質問は。まあ、はじめからそっちの意味で話していたとはわかっていたけれど。
「ひーひーひー!ん、ん、けらけらけら!!ん~、ははははは!うん、はははははは!おもしろいね」
吐いて捨てられた言葉は、まるでその意味を知らずに発言されたみたいに感情が乗っていない。
「言わせるんだ?Lだよ」
「どうしてここでLがでてくるの?」
「はー、ほんと、おもしろい、だいすき」
「今日は随分と告白してくれるのね」
「Lはしてくれない?」
急に発言に感情が乗ったので真顔で見返す。
面白くて仕方のないといったぎらぎらの瞳に見返される。瞳と同じ、挑発するような愉快さを含ませた声音で続ける。
「一番初めに会った夜を覚えてる?私、聞きましたね、『Lって知ってる?』って」
相変わらず定まらない一人称と口調のまま、男は続ける。
「なんであんなこと聞いたと思う?びっくりしちゃった、直せる奴すぐ呼ぶっていうから誰が来るのかと思ったらこーんなに小さい女の子なんだもん、しかもLのコスプレした」
そういえばあの時ぼくはしいねちゃんのコスプレしてたね、などとどうでもいい話を織り込んでくる。
はじめから、バレてたんだ、ずっとLに会ったことないふりしていたのに。
「ポーカーフェイス、うまくなりましたね」
「ありがとう」
「すぐ顔に出るところ、好きだったのに」
そう言った男は目線をそらせて、引き攣った下唇を前歯で噛む。
きっと、腕が拘束されていなければ親指の爪を噛んでいただろう。
「そんなにLが好きですか?」
「……」
「どこがいいの?」
「……」
「知ってる?あいつ、ナマエのことずっと盗撮して監視してたんだよ」
ハウス中に監視カメラついてたの、気付いてたの私だけでしょうね、気持ち悪くない?ストーカーじゃん。
べらべらべら。
「まあ、その映像、こっちにも流して僕の部屋からも施設内全把握できて便利だったけど」
おかげで誰にも会わずに出歩く事も出来るようになった。
そう嗤った男に、ああ、だからあの時ひとりで会いに来たのだ、いなくなる前日、あの台所に、と合点がいった。
「…Lも施設内把握するためにカメラしかけてたんじゃないの」
「まさか!だったらもっと満遍なく設置しなくちゃ。ナマエの部屋や女子バスルームばかりじゃなくて」
「……」
「どこに仕掛けてたかまでは聞いてなかった?ふふふ」
「そこは『ひゃはは』の方がいいよ」
「え、本当?ありがとう、参考にしますね」
アドバイス通りひゃはは!と言った彼は、ずい、と前のめりになって顔を寄せてきた。
「焦ったでしょうね、どのカメラを確認しても貴女の姿が映らなくなって」
貴女が私の部屋に来るようになってからカメラが増えたんですよ。くくくくっ。
心底愉快そうに喉を鳴らしながらさらに顔を寄せてくる。鎖がじゃらりと鳴った。
「なんと私の部屋にまで!見つかるのなんてわかってたんでしょうね、これみよがしに置かれたから。私も負けず嫌いだから画角いっぱいに大写しになるようにわざとばっちり映るところで貴女に触れた」
そういえば、ある時からやたらべたべた触られるようになったことを思い出す。
頭をなでたり顎をくすぐったり後ろから覆いかぶさったり。仲良くなってスキンシップが激しくなっただけと流していた。それ以上に奇行が目立ったからあまり気にしていなかったのだ。
「私と彼は全てにおいて横並びだったけど、この点においては勝ったと思った。ざまあみろ、お前には触れる事が出来ないだろう、Lに勝った、Lを超えた、」
そう思っていたのに。
「ねえ、どうしてLなの」
男の瞳が揺れる。
「どうして、ぼくじゃだめなの」
まるで泣きそうな子供だ、と思った。
「あいつと何が違うっていうの?俺はBなのに」
おなじはずなのに。
オリジナルと遜色ないはずなのに。
何度会っても、仲良くなっても、何度触れたって、心がこちら に向くことなんてなかった。
「……はじめて『竜崎』になった時、はじめて動揺したキミが見れて死ぬほど嬉しかった。はじめてちゃんと見てくれた」
「……いつもちゃんと見てたよ」
「あいつのために作ってたジャムを全部食べてやった」
「……」
どこまでも、お見通しだ。
「本当、ナマエのイニシャルがBBだったら完璧だったのに。最初の犠牲者 にしてあげたのに」
「……残念ね」
「本当に残念、断腸の思いで諦めたのに、キミはあろうことかLと一緒にぼくに挑みだしたんだから!美学とか勝負とか関係なく殺しとくんだったな、それが一番あいつを超えるのに手っ取り早かったんだ」
「…どうして一緒に挑んだと思うの?」
「クロスワードパズル、解いたのキミでしょ?Lへのラヴレターだったってのに割り込んでくるなんて野暮なんだから」
「どうして私が解いたと思うの?」
「まさか気付いてないなんて言わないでしょ?俺とお前だけにしかわからない問いがあったでしょ」
なくなってしまった眉があったところの筋肉を動かして眉間に皺を寄せた男は頭突きする勢いで顔を寄せてきた。
鎖が伸びきって、がしゃん!と大きな音を立てた。
「それで?今日はこんな昔話をしにわざわざ来てくれたの?」
「そうだよ」
「くくくくっ!なんて優しい女神さま!」
「どうして私を殺さなかったのか聞きたかったの」
「……」
「私を殺せば他にあんなに殺さなくてもLを超えられるってわかってたじゃない」
「それは違うよ、ダメージを与えられても真の意味で超えられない。それにそんなチート技で勝ったって意味がない、大体キミがBBじゃない時点でだめ」
「本名はBBかもしれないじゃない」
「BBじゃない。それに殺そうとしたところで死なない」
「どうしてわかるの」
「”しってる”からだよ」
久しぶりに彼が私の頭上を見た。なにもないところをこの世の憎悪を煮詰めたみたいな眼差しで睨みつけた。
「キミを殺そうとしたって”死なないとわかっていた”!だから、その選択肢は意味がないんだ、ナマエ・ミョウジ」
「…っ!?どうしてそれを、」
「だから”しってる”んだって」
殺そうとして殺せればどんなによかったか。
誰も知らないはずの本名を言いあてられて動揺する私に目もくれずそんなことを呟いたキューが、乗り出していた上半身を二人を隔てるテーブルに突っ伏した。
「どうして私じゃだめだったんですか、そんなにオリジナルがいいんですか、私とあいつの何が違うっていうんだ、完璧なバックアップなのに、ナマエさえ手に入れば超えられたのに」
「それは違うよ」
冷たい金属のテーブルにべったり張り付いたまま始まった弾丸トークに割って入る。
ぎょろりとした眼だけがこちらを向く。
「エルと貴方は全然違うよ、キュー」
「…………」
「完璧なバックアップなんかじゃない。あなたは貴方だよ、だからLに成り変わる必要なんかない」
「……」
「それに、私は手に入らないよ」
「くくく…ここで惚気られるとは」
「違う、そうじゃなくて。…………私は”L”です」
元々まんまるの目が、こぼれ落ちそうなくらい見開かれた。
「私はLの所有物じゃなくて、L自身、Lの片割れ、Lの一部なの。…エルと私、ふたりでひとつなの。だから、」
「くく、くくくくっ、これは傑作だ、もうこれ以上ない敗北を味わったと思っていたのにこの世にまだこんな惨めな気持ちになる未来が残っていたなんて」
本当、長生きなんてするものじゃないな!吐き捨てられた言葉に胸が詰まる。
「…私がLです」
「違うよ、貴方はキュー、Lじゃない。Bでもない。彼のバックアップなんかじゃない。キューっていうひとりの人間なの。だから、貴方自身の人生を生きて」
Lに振り回されない自由な人生を生きて、末永く。
「……あいつのお気に入りだからおまえが欲しいんだと思っていた。最初はそうだった。だけど違ったんだ、キミが”L”だから。欲しくてたまらなかったんだ、Lだから振り回されていたんだ、本当!僕の人生はLに振り回されてばかりだ!!!Lがほしい、Lを超えたい、この世からいなくなったBの幻影をLは追い続けて一生Bの影に怯えて暮らすはずだったのに…Lの幻影を追い続けて、Lを欲しがって、一生Lに負け続けるなんて、そんな、」
「そんな、そんなの、バックアップのやる事じゃない!」
彼の言いたかった結論とは違う答えをかぶせて言う。
複製はオリジナルを追い続けて、そのデータを欲しがるものかもしれないけど、そこに勝ち負けなんてない。
だから勝ち負けを気にした時点で貴方は”完璧な複製”なんかじゃない。ひとりの人間だ。
「クロスワードパズル。Lへのラヴレターだったけど、キミが受け取ってくれて正解だったってわけだね」
「そうね」
「キミと僕にしかわからない問いがどれだかわかる?」
「さあ…私にわかってエルにわからない問題なんてないと思うけれど。教えてくれる?」
「俺ね、Qだって名乗ったの、キミにだけなんだ、キミは僕がBだって知っていたと思うけれど」
「まあ最初に叩き起こされた時『Bの部屋』って言われたもの」
「ふふふ!プライバシーもなにもないな。…キミは外で僕の名を一度も出さなかっただろ?」
「うん」
「だから僕の名をキューだと思っているのはナマエだけってこと。『私が__です。』って問題、何度もあの台詞言った僕の名 を入れたでしょう、『L』でも『B』でもなくて」
「……あれが犯人 からだってわかっていたし…それにクロスの問題が『”12”のアルファベット』だったし」
「普通その答えは『12番目のL』でしょう。『トランプのQ』だと思うの、僕の名前に引っ張られてるよね、あそこはLでもQでもパズルが成り立つひっかけだったんだから」
「……」
「大体、わざわざ何度もキミに言った『私がLです』を問題に織り込んだのは、Lに売った喧嘩だったのにキミが解いちゃだめじゃない、L自身に僕のこと『私がLです』って答えさせたかったのに」
「……そのことなんだけどね、キュー……本物のLは『L is me 』とは言わないの…『I am L 』って言うのよ」
机に伏せていた身体を微動だにさせなかったキューが、突然後ろに仰け反った。鎖で繋がってなかったらそのまま後ろに倒れ込んでいたんじゃないかって勢いで。
ガサガサの首筋を露わにして天井を仰いだまま、引き攣って開かないはずの口を、裂けるくらい口角上げてくくくくくく!!!!!と爆笑した。
「あーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!」
がしゃがしゃがしゃがしゃ!!!!
激しい鎖の音が響く。
嗤っているのか痙攣しているのかわからない。
「傑作だね」
それまでの言動が嘘みたいに静かにそう言った。
「ねえ、ナマエ。なんで僕がキミにBじゃなくてキューだって名乗ったと思う?」
「時間だ」
暴れたせいか看守が飛んできて無情に告げる。
無理やり立たされながら視線で聞いてくるキューに、座ったまま目線を上げて答える。
「…わからないわ。私がおさげ髪 だったから?それとも事件を開始するまでの待ち時間 を一緒に過ごす…って意味とか?」
「ブッブー、はずれ」
「時間だと言っている」
無表情で看守が告げた。
愉快そうに引き上がった口角のまま、キューが口を開く。
「ねぇナマエ、また会いに来てよ、そしたら答えを教えてあげる」
終身刑の彼はそう嗤って部屋から出て行った。
わかった、と頷くことしか出来なかった。
あーあ、本当はこんな昔話をしにわざわざアメリカまで来たわけじゃない。
さっきはLのバックアップなんかじゃないなんて綺麗事言ったけれど(本音だけれど)、彼の頭脳がエルに匹敵するのは事実。伊達にバックアップとして育てられていないのだ。
キラは頭がキレるが幼稚で負けず嫌い。エルも頭がキレるが幼稚で負けず嫌い。そしてバックアップのキューも頭がキレるが幼稚で負けず嫌い。
Lは二重人格でキラと同一人物なんじゃないかと世間では言われたりしていたようだが、それを聞いて一番に顔が浮かんだのが彼だった。バックアップのキュー。Lのもう一つの人格と言っても過言ではない。しかも大量無差別殺人事件の前科持ち。まぁ、キラは裕福なこどもだと思っていたし、リンド・L・テイラーの件からも日本の関東地区にいると判っていたからキューがキラではないとわかっていたんだけど。
それでも、エルが正義ならキューは悪。
エルと私が思いもよらないキラへの糸口に気付くかもしれない。元祖サイコキラーの殺人鬼としての助言を期待して訪問したのだ。
……あんなことを言われてしまっては「バックアップの君に質問です!キラってどうやって殺してると思う?顔と名前があれば殺せるみたいなんだけど」なんて聞けない。Lのバックアップという呪いから解放されて欲しいとはずっとずっと思っていたし。キューはキューだもの。一緒に過ごした数年間は楽しかった。大切な友人だ。終身刑の殺人鬼だとしても。
今日は1月17日。
日本時間は日付が変わって18日になった頃だろうか。
夜神月に近づくため、エルが日本のセンター試験とやらを受験しているこの二日間の間に、私は単身渡米してキューに助言を求めに来たというわけ。失敗しちゃったけど。今日の帰りに再度面会手続きを出すとして、本来なら受理まで数ヶ月かかるところをあらゆる権限を行使して3日もあればまた会いに来られるか…
先程の問題の答えを貰いがてらキラ捜査にも協力してもらわないと。そう思いながら席を立った。
「……キューと名乗ったのは、貴女がq だったから…も、そうだし、Lそっくりな格好を見て、この子がいるなら自分 なんていらないじゃないか、と思ったのもそうだし、彼女にはバックアップ なんて呼ばれたくなかった…も、そう」
薄暗く冷たい独房の中で、ビヨンド=バースデーはひとりごとを言っていた。
床に溢した水が広がって、鏡のように反射する。覗き込めば、かつての面影など全くない浅黒い醜い”誰か”がこちらを見返している。頭上の名前は「Beyond Birthday」。初対面の少女が、偽名を義務付けられているはずの施設で、頭上に見えているのと全く同じ名前を名乗った事が昨日のことのように鮮やかに思い出される。
くくくくっ、僕もビヨンドって呼ばせれば良かったかなぁ。いや、それじゃ面白くない。本名を偽名として名乗った彼女と対になるように、偽名を名乗らなければ。バックアップ の反対なんかじゃない、ビヨンドのBを逆さまにして。
歳は離れていてもキミと同じ”こども”になりたかった。キミに近づきたかった。ああなんだ、最初から、LもBも関係なく彼女に惹かれていたんだ。一目惚れだったんだ。それすら恐らくLと同じ思考回路かと思うと運命を呪って笑いが止まらない。どこまでいっても複製なのか。
「ああ、ナマエ、早く会いに来てよ、理由を聞いた顔が見たい」
あの頃みたいに、L抜きで二人きりで話がしたい。
どうせ手段は選ばず法外な速さで会いに来る。明日を楽しみに生きる日がまた来るとは。本当にあの頃に戻ったみたいだ。
昔と全く変わらない名前と寿命を頭上に掲げた少女を想い、水面鏡を覗き込む。
相変わらず自分の寿命は見えなかった。
あと何回、彼女と逢えるだろう。
自分の寿命が彼女のそれと近ければ良いのに。
大昔に読んだ本の一節が頭によぎる。
「……If you live to be a hundred, I want to live to be a hundred minus one day so I never have to live without you.(もしあなたが100歳まで生きるとしたら、僕は100歳マイナス1日生きたいと思う。だって、そうしたら君なしの世界で生きることはないから。)
…なんて、ね」
僕が死んだら彼女は悲しんでくれるだろうか。
2004年1月21日。
ビヨンド・バースデイが獄中で死亡。心臓麻痺。
ナマエとの再面会が予定されていた日の、早朝のことだった。
黄花千日紅の花言葉は「変わらない愛情を永遠に」「永遠の恋」「色あせぬ愛」「永遠の命」「情の豊かさを無くさない」
物々しい鉄格子に切り取られた小さな青空がまるで絵画のように現実味を持たないこのひんやりとした無機質な部屋の中で、目の前に座る人物はなんの感情も持たない音声読み上げソフトのような声をあげた。
「ふふふ、どうしたの、あ、これ、ここのカウンセラーの笑い方、いいでしょ、ふふふ」
そう言って身体を左右にゆする。
豊かだった黒髪は跡形もなく、全ての皮膚が灼け爛れ引き攣ってケロイド状になったり、移植の跡だろうか所々色が変わっていたり、まるでアリゾナやネバダの砂漠にある赤褐色の岩のようなごつごつした肌で、片耳は溶けたようにぐちゃぐちゃになって側頭部に張り付いていた。
輪郭も人相も全く面影のない変貌ぶり。
声も記憶より随分ガサガサして、しかしその喋り方には覚えがあった。
性別すら判別不可能なその人物は窪んだ瞳孔の奥をぎらぎらさせてこちらを見た。
ああ、この目。彼だ。
「ひさしぶり、キュー」
静かに言えば、その男は激しく前後左右に揺れた。
鮮やかなオレンジ色の拘束着でぐるぐる巻きにされているのでまるでウインナーが熱々のフライパンの上で跳ねているかのようだ。がちゃがちゃと繋がれた鎖がけたたましい音をたてたが、それよりも彼の口から叫び出たひゃはははは!ひゃはははははは!という音の方が部屋に響いた。離れたところで見張っている制服の男が厳しい顔をして一歩踏み出す程度には。
「僕が誰だか知っているのにまだそんな名前で呼んでくれるのぉ?」
「……あなたが自分でそう名乗ったのだからこれがあなたの名前でしょ」
殺されるかと思うくらい鋭い眼光に貫かれた。
赤黒い長くて薄い舌が、カサカサで原形をとどめていない唇をべろりと舌舐めずりした。
「……くくくくっ…俺ねえ、おまえのそういうところが殺しちゃいたいくらいだーいすきだったよ」
「どうも」
私のイニシャルが揃ってなくて残念ね、と言えば男はぎらぎらしたまんまるの双眼を愉快そうに光らせた。口はもう引き攣ってしまって、かつてのように裂けるほど引きあがったりは出来ないようだった。
「それで?こんなところまでどうしたの?よくお許しが出たねえ、可愛い可愛いSWEETちゃんなのに」
腕が拘束されているというのに器用に足だけで前後に揺れながら大して興味もなさそうなトーンで聞かれる。
ああ、やはり、この男はなんでも知っているのだ。
「別に許しは貰ってません。私の意思で来ました」
「えー!大丈夫?そんな勝手なことして。あの人、そういうの許せないんじゃない」
「あの人って?」
今までの会話は「ワイミーズハウスの秘蔵っ子が単独行動(しかも外出)して大丈夫?」という文脈にも取れるから、こちらもその文脈で返していた。だって彼は私がハウスを出た事を知らないはず。しかし、この質問は。まあ、はじめからそっちの意味で話していたとはわかっていたけれど。
「ひーひーひー!ん、ん、けらけらけら!!ん~、ははははは!うん、はははははは!おもしろいね」
吐いて捨てられた言葉は、まるでその意味を知らずに発言されたみたいに感情が乗っていない。
「言わせるんだ?Lだよ」
「どうしてここでLがでてくるの?」
「はー、ほんと、おもしろい、だいすき」
「今日は随分と告白してくれるのね」
「Lはしてくれない?」
急に発言に感情が乗ったので真顔で見返す。
面白くて仕方のないといったぎらぎらの瞳に見返される。瞳と同じ、挑発するような愉快さを含ませた声音で続ける。
「一番初めに会った夜を覚えてる?私、聞きましたね、『Lって知ってる?』って」
相変わらず定まらない一人称と口調のまま、男は続ける。
「なんであんなこと聞いたと思う?びっくりしちゃった、直せる奴すぐ呼ぶっていうから誰が来るのかと思ったらこーんなに小さい女の子なんだもん、しかもLのコスプレした」
そういえばあの時ぼくはしいねちゃんのコスプレしてたね、などとどうでもいい話を織り込んでくる。
はじめから、バレてたんだ、ずっとLに会ったことないふりしていたのに。
「ポーカーフェイス、うまくなりましたね」
「ありがとう」
「すぐ顔に出るところ、好きだったのに」
そう言った男は目線をそらせて、引き攣った下唇を前歯で噛む。
きっと、腕が拘束されていなければ親指の爪を噛んでいただろう。
「そんなにLが好きですか?」
「……」
「どこがいいの?」
「……」
「知ってる?あいつ、ナマエのことずっと盗撮して監視してたんだよ」
ハウス中に監視カメラついてたの、気付いてたの私だけでしょうね、気持ち悪くない?ストーカーじゃん。
べらべらべら。
「まあ、その映像、こっちにも流して僕の部屋からも施設内全把握できて便利だったけど」
おかげで誰にも会わずに出歩く事も出来るようになった。
そう嗤った男に、ああ、だからあの時ひとりで会いに来たのだ、いなくなる前日、あの台所に、と合点がいった。
「…Lも施設内把握するためにカメラしかけてたんじゃないの」
「まさか!だったらもっと満遍なく設置しなくちゃ。ナマエの部屋や女子バスルームばかりじゃなくて」
「……」
「どこに仕掛けてたかまでは聞いてなかった?ふふふ」
「そこは『ひゃはは』の方がいいよ」
「え、本当?ありがとう、参考にしますね」
アドバイス通りひゃはは!と言った彼は、ずい、と前のめりになって顔を寄せてきた。
「焦ったでしょうね、どのカメラを確認しても貴女の姿が映らなくなって」
貴女が私の部屋に来るようになってからカメラが増えたんですよ。くくくくっ。
心底愉快そうに喉を鳴らしながらさらに顔を寄せてくる。鎖がじゃらりと鳴った。
「なんと私の部屋にまで!見つかるのなんてわかってたんでしょうね、これみよがしに置かれたから。私も負けず嫌いだから画角いっぱいに大写しになるようにわざとばっちり映るところで貴女に触れた」
そういえば、ある時からやたらべたべた触られるようになったことを思い出す。
頭をなでたり顎をくすぐったり後ろから覆いかぶさったり。仲良くなってスキンシップが激しくなっただけと流していた。それ以上に奇行が目立ったからあまり気にしていなかったのだ。
「私と彼は全てにおいて横並びだったけど、この点においては勝ったと思った。ざまあみろ、お前には触れる事が出来ないだろう、Lに勝った、Lを超えた、」
そう思っていたのに。
「ねえ、どうしてLなの」
男の瞳が揺れる。
「どうして、ぼくじゃだめなの」
まるで泣きそうな子供だ、と思った。
「あいつと何が違うっていうの?俺はBなのに」
おなじはずなのに。
オリジナルと遜色ないはずなのに。
何度会っても、仲良くなっても、何度触れたって、心が
「……はじめて『竜崎』になった時、はじめて動揺したキミが見れて死ぬほど嬉しかった。はじめてちゃんと見てくれた」
「……いつもちゃんと見てたよ」
「あいつのために作ってたジャムを全部食べてやった」
「……」
どこまでも、お見通しだ。
「本当、ナマエのイニシャルがBBだったら完璧だったのに。
「……残念ね」
「本当に残念、断腸の思いで諦めたのに、キミはあろうことかLと一緒にぼくに挑みだしたんだから!美学とか勝負とか関係なく殺しとくんだったな、それが一番あいつを超えるのに手っ取り早かったんだ」
「…どうして一緒に挑んだと思うの?」
「クロスワードパズル、解いたのキミでしょ?Lへのラヴレターだったってのに割り込んでくるなんて野暮なんだから」
「どうして私が解いたと思うの?」
「まさか気付いてないなんて言わないでしょ?俺とお前だけにしかわからない問いがあったでしょ」
なくなってしまった眉があったところの筋肉を動かして眉間に皺を寄せた男は頭突きする勢いで顔を寄せてきた。
鎖が伸びきって、がしゃん!と大きな音を立てた。
「それで?今日はこんな昔話をしにわざわざ来てくれたの?」
「そうだよ」
「くくくくっ!なんて優しい女神さま!」
「どうして私を殺さなかったのか聞きたかったの」
「……」
「私を殺せば他にあんなに殺さなくてもLを超えられるってわかってたじゃない」
「それは違うよ、ダメージを与えられても真の意味で超えられない。それにそんなチート技で勝ったって意味がない、大体キミがBBじゃない時点でだめ」
「本名はBBかもしれないじゃない」
「BBじゃない。それに殺そうとしたところで死なない」
「どうしてわかるの」
「”しってる”からだよ」
久しぶりに彼が私の頭上を見た。なにもないところをこの世の憎悪を煮詰めたみたいな眼差しで睨みつけた。
「キミを殺そうとしたって”死なないとわかっていた”!だから、その選択肢は意味がないんだ、ナマエ・ミョウジ」
「…っ!?どうしてそれを、」
「だから”しってる”んだって」
殺そうとして殺せればどんなによかったか。
誰も知らないはずの本名を言いあてられて動揺する私に目もくれずそんなことを呟いたキューが、乗り出していた上半身を二人を隔てるテーブルに突っ伏した。
「どうして私じゃだめだったんですか、そんなにオリジナルがいいんですか、私とあいつの何が違うっていうんだ、完璧なバックアップなのに、ナマエさえ手に入れば超えられたのに」
「それは違うよ」
冷たい金属のテーブルにべったり張り付いたまま始まった弾丸トークに割って入る。
ぎょろりとした眼だけがこちらを向く。
「エルと貴方は全然違うよ、キュー」
「…………」
「完璧なバックアップなんかじゃない。あなたは貴方だよ、だからLに成り変わる必要なんかない」
「……」
「それに、私は手に入らないよ」
「くくく…ここで惚気られるとは」
「違う、そうじゃなくて。…………私は”L”です」
元々まんまるの目が、こぼれ落ちそうなくらい見開かれた。
「私はLの所有物じゃなくて、L自身、Lの片割れ、Lの一部なの。…エルと私、ふたりでひとつなの。だから、」
「くく、くくくくっ、これは傑作だ、もうこれ以上ない敗北を味わったと思っていたのにこの世にまだこんな惨めな気持ちになる未来が残っていたなんて」
本当、長生きなんてするものじゃないな!吐き捨てられた言葉に胸が詰まる。
「…私がLです」
「違うよ、貴方はキュー、Lじゃない。Bでもない。彼のバックアップなんかじゃない。キューっていうひとりの人間なの。だから、貴方自身の人生を生きて」
Lに振り回されない自由な人生を生きて、末永く。
「……あいつのお気に入りだからおまえが欲しいんだと思っていた。最初はそうだった。だけど違ったんだ、キミが”L”だから。欲しくてたまらなかったんだ、Lだから振り回されていたんだ、本当!僕の人生はLに振り回されてばかりだ!!!Lがほしい、Lを超えたい、この世からいなくなったBの幻影をLは追い続けて一生Bの影に怯えて暮らすはずだったのに…Lの幻影を追い続けて、Lを欲しがって、一生Lに負け続けるなんて、そんな、」
「そんな、そんなの、バックアップのやる事じゃない!」
彼の言いたかった結論とは違う答えをかぶせて言う。
複製はオリジナルを追い続けて、そのデータを欲しがるものかもしれないけど、そこに勝ち負けなんてない。
だから勝ち負けを気にした時点で貴方は”完璧な複製”なんかじゃない。ひとりの人間だ。
「クロスワードパズル。Lへのラヴレターだったけど、キミが受け取ってくれて正解だったってわけだね」
「そうね」
「キミと僕にしかわからない問いがどれだかわかる?」
「さあ…私にわかってエルにわからない問題なんてないと思うけれど。教えてくれる?」
「俺ね、Qだって名乗ったの、キミにだけなんだ、キミは僕がBだって知っていたと思うけれど」
「まあ最初に叩き起こされた時『Bの部屋』って言われたもの」
「ふふふ!プライバシーもなにもないな。…キミは外で僕の名を一度も出さなかっただろ?」
「うん」
「だから僕の名をキューだと思っているのはナマエだけってこと。『私が__です。』って問題、何度もあの台詞言った
「……あれが
「普通その答えは『12番目のL』でしょう。『トランプのQ』だと思うの、僕の名前に引っ張られてるよね、あそこはLでもQでもパズルが成り立つひっかけだったんだから」
「……」
「大体、わざわざ何度もキミに言った『私がLです』を問題に織り込んだのは、Lに売った喧嘩だったのにキミが解いちゃだめじゃない、L自身に僕のこと『私がLです』って答えさせたかったのに」
「……そのことなんだけどね、キュー……本物のLは『
机に伏せていた身体を微動だにさせなかったキューが、突然後ろに仰け反った。鎖で繋がってなかったらそのまま後ろに倒れ込んでいたんじゃないかって勢いで。
ガサガサの首筋を露わにして天井を仰いだまま、引き攣って開かないはずの口を、裂けるくらい口角上げてくくくくくく!!!!!と爆笑した。
「あーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!」
がしゃがしゃがしゃがしゃ!!!!
激しい鎖の音が響く。
嗤っているのか痙攣しているのかわからない。
「傑作だね」
それまでの言動が嘘みたいに静かにそう言った。
「ねえ、ナマエ。なんで僕がキミにBじゃなくてキューだって名乗ったと思う?」
「時間だ」
暴れたせいか看守が飛んできて無情に告げる。
無理やり立たされながら視線で聞いてくるキューに、座ったまま目線を上げて答える。
「…わからないわ。私が
「ブッブー、はずれ」
「時間だと言っている」
無表情で看守が告げた。
愉快そうに引き上がった口角のまま、キューが口を開く。
「ねぇナマエ、また会いに来てよ、そしたら答えを教えてあげる」
終身刑の彼はそう嗤って部屋から出て行った。
わかった、と頷くことしか出来なかった。
あーあ、本当はこんな昔話をしにわざわざアメリカまで来たわけじゃない。
さっきはLのバックアップなんかじゃないなんて綺麗事言ったけれど(本音だけれど)、彼の頭脳がエルに匹敵するのは事実。伊達にバックアップとして育てられていないのだ。
キラは頭がキレるが幼稚で負けず嫌い。エルも頭がキレるが幼稚で負けず嫌い。そしてバックアップのキューも頭がキレるが幼稚で負けず嫌い。
Lは二重人格でキラと同一人物なんじゃないかと世間では言われたりしていたようだが、それを聞いて一番に顔が浮かんだのが彼だった。バックアップのキュー。Lのもう一つの人格と言っても過言ではない。しかも大量無差別殺人事件の前科持ち。まぁ、キラは裕福なこどもだと思っていたし、リンド・L・テイラーの件からも日本の関東地区にいると判っていたからキューがキラではないとわかっていたんだけど。
それでも、エルが正義ならキューは悪。
エルと私が思いもよらないキラへの糸口に気付くかもしれない。元祖サイコキラーの殺人鬼としての助言を期待して訪問したのだ。
……あんなことを言われてしまっては「バックアップの君に質問です!キラってどうやって殺してると思う?顔と名前があれば殺せるみたいなんだけど」なんて聞けない。Lのバックアップという呪いから解放されて欲しいとはずっとずっと思っていたし。キューはキューだもの。一緒に過ごした数年間は楽しかった。大切な友人だ。終身刑の殺人鬼だとしても。
今日は1月17日。
日本時間は日付が変わって18日になった頃だろうか。
夜神月に近づくため、エルが日本のセンター試験とやらを受験しているこの二日間の間に、私は単身渡米してキューに助言を求めに来たというわけ。失敗しちゃったけど。今日の帰りに再度面会手続きを出すとして、本来なら受理まで数ヶ月かかるところをあらゆる権限を行使して3日もあればまた会いに来られるか…
先程の問題の答えを貰いがてらキラ捜査にも協力してもらわないと。そう思いながら席を立った。
「……キューと名乗ったのは、貴女が
薄暗く冷たい独房の中で、ビヨンド=バースデーはひとりごとを言っていた。
床に溢した水が広がって、鏡のように反射する。覗き込めば、かつての面影など全くない浅黒い醜い”誰か”がこちらを見返している。頭上の名前は「Beyond Birthday」。初対面の少女が、偽名を義務付けられているはずの施設で、頭上に見えているのと全く同じ名前を名乗った事が昨日のことのように鮮やかに思い出される。
くくくくっ、僕もビヨンドって呼ばせれば良かったかなぁ。いや、それじゃ面白くない。本名を偽名として名乗った彼女と対になるように、偽名を名乗らなければ。
歳は離れていてもキミと同じ”こども”になりたかった。キミに近づきたかった。ああなんだ、最初から、LもBも関係なく彼女に惹かれていたんだ。一目惚れだったんだ。それすら恐らくLと同じ思考回路かと思うと運命を呪って笑いが止まらない。どこまでいっても複製なのか。
「ああ、ナマエ、早く会いに来てよ、理由を聞いた顔が見たい」
あの頃みたいに、L抜きで二人きりで話がしたい。
どうせ手段は選ばず法外な速さで会いに来る。明日を楽しみに生きる日がまた来るとは。本当にあの頃に戻ったみたいだ。
昔と全く変わらない名前と寿命を頭上に掲げた少女を想い、水面鏡を覗き込む。
相変わらず自分の寿命は見えなかった。
あと何回、彼女と逢えるだろう。
自分の寿命が彼女のそれと近ければ良いのに。
大昔に読んだ本の一節が頭によぎる。
「……If you live to be a hundred, I want to live to be a hundred minus one day so I never have to live without you.(もしあなたが100歳まで生きるとしたら、僕は100歳マイナス1日生きたいと思う。だって、そうしたら君なしの世界で生きることはないから。)
…なんて、ね」
僕が死んだら彼女は悲しんでくれるだろうか。
2004年1月21日。
ビヨンド・バースデイが獄中で死亡。心臓麻痺。
ナマエとの再面会が予定されていた日の、早朝のことだった。
黄花千日紅の花言葉は「変わらない愛情を永遠に」「永遠の恋」「色あせぬ愛」「永遠の命」「情の豊かさを無くさない」
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