短編
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それはまだ人と不思議とが共存していた時代。この世に武力や知力で測れない不可思議な力があった時代。
諏訪明神をその身に宿した現人神こと諏訪頼重は、先ほどから痛いほど刺さる視線の方へようやく顔を向けた。そこには眉間に皺を寄せ難しい顔をして頼重を見つめる一人の巫女が。
「そんなに見つめられては穴が空いてしまいますな」
「……やっぱり頼重様だけわからないんですよねぇ」
諦めたようにそう呟いた少女はようやく顔の力を抜き、つまらなそうに頬杖をついた。
「さすがは神様」
「いやいやそれほどでも」
「あーあ、頼重様の弱み握りたかったのにな〜」
「んん〜???」
冗談です、と続くことを期待した頼重を無視して戸の方へ顔を向ける少女。
「若様、遠慮なく入ってきて頂いて良いのですよ」
かたり、と音を立てて戸が滑り、隙間から八の字眉で赤面した北条時行が顔を出す。
「……また心を読んだのですか?気配を消していたのに…」
「読んだというか勝手に聞こえてきてしまうので…」
少女には特別な力があった。
人々の心が読めるのだ。少女曰く、相手の考えていることが直接頭の中へ流れ込んでくるのだという。
「逃げ上手の時行様も名前の前では逃げ切れませんな!心を無にする訓練をせねば」
彼女が味方で良かった良かった、と笑う頼重に本当ですよ!と力強く返す幼い主君。
「(二人きりなのを邪魔しては悪いかと躊躇したのもバレてしまうのだから…隠し事どころか配慮も出来ない)」
「……若様、そのような配慮は不要ですよ。頼重様も私も若様の臣下なのですから…若様のご都合が最優先です」
「あっ!?もう!また読んだのですね!?(ダダ漏れで恥ずかしい!)」
「なになに、どのようなご配慮を賜ったのです!?」
顔を赤くして頬を膨らます主君の口から出た肉声とは別の"言葉"も合わせて脳内に流れ込んでくる。しかし、会話に混ざろうと胡散臭い笑みを浮かべて割り入ってくる男の心はわからない。声に出された言葉しか聞こえない。この世の人間の中で唯一、心の声が聞こえないのがこの諏訪頼重だった。『心を無にする訓練』をしているのか、はたまた現人神は人間ではないからなのか、出会ってから一度も心を読めたことがない。物覚えがついた頃から周りの人々の心が勝手に頭へなだれ込んできて苦しんだ少女は、生まれて初めて本心のわからない人間に出会い驚愕し困惑しどうにか本音が聞けないかと夢中になっているうちにすっかり惹かれて心を奪われてしまった。この世で一番聞きたい人の声が聞こえない。この世で一番知りたい心がわからない。
ある日突然聞こえるようになるのでは。そう思って暇さえあれば睨みつけるように集中して見つめ続けるものだから少女の片想いは周知の事実、つい最近出会ったばかりの時行にまでバレバレであった。
「心が読める」というのは恐ろしいもので、人は多かれ少なかれ暴かれたくないものがあるから少女の力は限られた者たちにしか教えられていない。気味悪がられたり疎まれて少女が忌み嫌われないようにという頼重の配慮によるものだった。
そのため何も知らない者たちから見れば熱心に想いびとを見つめるただの微笑ましい少女であり、顔と態度に全部出るので能力がなくとも彼女の心の内は全ての人からお見通しだった。その事実も"聞こえてくる"のだから最初は恋心を隠そうともがいていた彼女も最近では開き直っている。だって皆にバレバレなの知ってるんだもん。微笑ましく見守られているの知ってるんだもん。想い人本人の心がわからないのが怖いけど、こんなにみんなにバレているならもう絶対頼重様にもバレてるじゃないですか。そっちが気づかないふりをするからこっちも直接は言わずにおちゃらけて誤魔化して今の関係性に甘んじている。諏訪の人々が「現人神に憧れる可愛らしい恋心を抱えた少女」「微笑ましいけど身分差があるから決して叶わない恋」「恋に恋する未熟で純粋な少女」と思っているように、きっと頼重様も悪くは思っていないだろう、ようやっと可婚期に足を半歩踏み入れたくらいの幼い少女を親のような目線で微笑ましく思っているのかもしれない。もしかしたら孫くらいに思われている可能性もある。全く相手にされていない。もう少し育てば何か変わるだろうか…最近女らしくなってきた気がする身体を見下ろしてもう少し尻が「名前!!!!!!!!」「うわびっくりした!?」
自身の身体を見下ろしていたのにそこに突然大発光胡散臭笑顔が割り込んできたので思わず飛び退く名前。尻餅をついた彼女をそのままの表情、そのままの光量で見下ろした頼重から目を逸らしてようやく、名前は部屋に二人きりだということに気がついた。
「あ、あれ?若様は?」
「"長寿丸"なら我々を呼びにきただけなので先に行きました。何度も呼んだのに名前が考え込んで動かなくなるから…」
「も、申し訳ございません、すぐ参りましょう」
「一体何をそんなに考え込んでいたのです?」
「ひ、ひみつです」
誤魔化すように素早く立ち上がり部屋を後にする。先に出たはいいものの行き先がわかっておらずたたらを踏んだ名前に軽く笑みをこぼしじっと見つめてくる頼重。決して広くない廊下でしばし見つめ合い、なんの時間だ?と名前の眉間に皺が寄ったところで「行き先を心の中で唱えていましたがわかりませんか?」と煽るようなあの笑顔で頼重が宣った。
「!!!!だぁかぁらぁ!頼重様だけ心が聞こえないんですって!!意地悪!」
「それは残念。いつになったら名前は私に心を開いてくれるのでしょう」
「えっ心開いてないの私の方なの!?」
「早く気持ちを通わせたいものですなぁ〜」
「言い方!!!!」
いつもの茶番を終えどちらともなく吹き出したあと、行き先はこちらだと促すように腰をそっと押される。少し触れられただけなのに耳が燃えるように熱くなる。顔から火が出てるかも。見られたくない。半歩下がった名前を横目で確認した頼重はスタスタと歩き出す。付かず離れず着いていく名前。
「…そういえば前々から言ってますけど私に敬語使うのやめてくださいよ。諏訪の当主と一介の巫女なのにおかしいではないですか」
「おかしくはありません、貴女も現人神なのだから神同士敬い合わないと」
「えっ?私が現人神…?」
思わず大きな声を上げてしまった女の方を振り向くと何を今更というようにゆっくり頷く。
「その力は神力以外の何ものでもない」
大真面目な顔で言う神様をぽかん…と眺めていた少女は耐えきれないというように複雑な顔をして笑い出す。
「ないない、私が神だなんて。……この力のせいで妖か物怪かと虐げられ殺されかけていたところを助けて拾ってくれた頼重様は私にとって神様だけど…」
「私は誰にとっても本当の神様ですが…その神の言うことが誤りだと?」
「頼重様の言うことは半分くらい適当だからなぁ〜」
「そんなことありませんっ!!!!失礼な!!」
ギラッギラに光りながら抗議するのやめてくださいよ〜眩しいから〜と笑いながら、自分のことは忌み嫌われる存在だと自覚しつつ気まぐれでも「神同士」と言ってくれた喜びを噛み締める。確かにある身分差を感じずに好きに想って良いと、対等だと言ってくれたみたいで。そういう意味じゃないってわかっているけれど。こういう些細なことで口角と体温が上がってしまうのだ。
……もし私が本当に神であるならば、この世で一番知りたい人の心をいつか暴けますように。
◇◇◇
「お前ほんっと気をつけろよ」
「え?」
いつになく神妙な顔をして突然忠告してきた玄蕃に間抜けな声を返す。
神妙な顔をしているのは他の面々も同じで名前は首を傾げた。
「頼重様、ま〜た鰻とニンニクたらふく食べて」
「縄持ってウロウロしてた」
「前回は等身大の巫女人形だったけど今回はお前が狙われるかも、いつも近くにいるし二人きりなこと多いし」
「もしかしたら前回の巫女人形、名前の代わりだったんじゃ…?」
「ハッ!あり得る!!体格似てた気がするし!」
「「「う、うわ〜〜〜本当に気をつけろ(て)よ」」」
「なんの話!?」
「頼重様がド変態って話」
「本当になんの話!?!?」
憐れむような顔でウンウンと意見一致する玄蕃、弧次郎、亜也子に肩をぽんぽんされるも全く意味がわからない。大丈夫、逆に神聖な気もするから!と更に意味のわからないことを言われる。なに?なんの話!?
心の声に補足して欲しいのに(可哀想に…縛り方練習させられたりすんのかな)(さすがの名前も引くかもな…)(やべ、想像したらアリかも…クソッ…ド変態明神羨ましいぜ)(鞭…)と意味不明の上塗りで不安しかない。
「本当になんだったんだろ…いつも割といじられてるけど今日のはちょっと毛色が違った気がするんですよね」
どう思います?と光り輝く毛並みを撫でながら問えば、言葉は返ってこないけれど心底どうでもいい、という"気持ち"が伝わってくる。
ここは諏訪大社の御神体、守屋山。
その山にある聖なる沢で舞を捧いでいると"彼ら"がやってくるのだ。雫もたまにやっているけれど今日は名前ひとり。集まってきた神獣たちとは仲良しでこうして撫でたり、時には話し相手にもなってくれる。人の言の葉は発さないけれど彼らの気持ちは結構はっきりわかる。不思議な感覚だ。
「鰻とニンニク…精のつく食べ物たくさん食べてたって…もしかして元気がないのかな、心配…ここの水を飲めば元気になるかも…」
(ここの水を飲めば恐らく一発)
自分の考えと全く同じ考えだったため、それが聞こえてきた声だと一瞬気づかなかった。
ハッ!?と撫でていた神獣を凝視する。もしかして今、神獣の心が人間の言葉で聞こえた…!?私の能力突然レベルアップ!?
もう一回なんか言って、と神獣に話しかけるのと茂みがガサっと動くのは同時だった。
(前回時行様に怒られてしまったから今回は自ら来たが………えっ)
「えっ」
茂みから突如現れた男が、まさに今心配していた諏訪頼重その人であることに大変驚き言葉が出ないまま凝視してしまう名前。
一方の頼重も驚いたようで手で茂みを掻き分けた体勢のまま目を見開いて凝視。
無言の見つめ合い。
(…………しまった…ここで会う未来が見えていなかったから…もー!!未来見えない期本当に困る!!)
「…えっ、頼重様いま未来見えないんですか!?やっぱり具合悪いんですか!?!?」
「えっ」
慌てて対岸の頼重に近づく。顔色が悪いようには見えな…いや、あっという間に顔面蒼白に…もしかしてすごく体調悪い!?!?
心配すぎて岸に上がるやいなや、茂みの中で突っ立ったままの頼重に手を伸ばす。熱があるかもしれないと思って。額に伸びた手は触れることが叶わないままガッと力強く頼重に捕まれてしまった。
「痛…ッ!?え、なに、」
「どうしてそれを」
「え、」
「なぜ私が未来見えないと知っているのです」
「…え、だって今自分で…」
目の前の男の真っ白だった顔がみるみる赤くなる。そして青くなる。
「わ、私は何も…(や、気づかれていないならその方が良い、早く水飲んで早くここから立ち去ろう)」
「あ、やっぱり水飲みに来た感じですか、飲んだ方がいいです具合悪そうだし…」
「ッッ…!喋っていないことを勝手に聞かないでくだされ名前のえっち!!!!!!!!」
「えっちって何!?!?未来の言葉で喋んないでくださ…………え?」
手首を掴まれたままの距離で見つめ合う。
「…………頼重様の心の声が…聞こえる…?」
「〜〜〜ッッ!!!!!!!!(〜〜〜〜〜ッッッッ!!!!!!!!!!!!)」
目の前の男が声にならない悲鳴を上げた。脳内にも声にならない悲鳴が飛び込んでくる。
(まずいまずいまずい早く水を)
「痛っ…頼重様、手、力つよ…手汗やば…!?」
「手汗やばいとか言わない!!!!(まさか気持ち悪がられてはおるまいな!?!?!?)」
自分から掴んできたくせに突如振り払うように離した手をゴシゴシと自身の衣で拭きながら滝汗をかいた頼重が叫ぶ。
「気持ち悪いとかは思ってないですけど…」
「心の声を勝手に聞かない!!!!!!!!」
大声を出した頼重が両手で名前の両耳を塞いだ。大きな手で顔を挟み込んで固定された名前は驚き、ただ目の前の大パニック男を見上げることしかできない。
「…どうして急に声が…?」
(私の神力が弱まりただの人に成り下がったせいか、この場所の力で名前の神力が強くなったせいか、いずれにせよ本音を聞かれるとまずい)
「なんでまずいのですか?何か知られたくないことでも…」
「っ!だから勝手に聞くなと!!!!!!!!(ああもう頰が柔らかくてスベスベすぎる食べちゃいたい)」
両耳を塞がれているせいで口に出して言われたことよりも脳内に直接流れ込んできた声の方が大きい。何を言われたのか理解できずポカンと見上げていた少女はゆっくり理解すると共にじわじわと顔に熱が昇っていく。そんな少女の熱を視覚と触覚どちらからも拾ってしまった男もまた、自身が何を考えたのかゆっくり理解し顔色が再び赤に染まった。
「いや、これは違(口付けしたいなどとは思っておらず!!)」
「くっ…!?」
「ほ、ほ、頰にですからね!?!?!?」
「!?!?」
(あわよくばこの小さな唇にも)
「!?!?!?!?」
「っあ、あーーーーッッ」
大きな声を出せば心の声が消えるわけでもなく、延々と予想外な内容が頭の中に響いて少女はどうにかなりそうだった。
本当にこの人はあの諏訪頼重なのか。いつも飄々としていてマイペースで私の好意になど少しも気づいていないかのように振る舞っているあの?
「い、いや、時行様のように愛らしいなと!やはりまだ子ども…幼子の柔らかな肌が好きなだけゆえ!!(そう!決して女人の柔らかさにおかしな気を起こしているわけではなく!!)」
「…そうですよね、頼重様は私を親のような気持ちで見てらっしゃるのですよね…私の気持ちも知っているけれど幼く微笑ましい気の迷いだと」
「そんな気持ちで貴女を見たことなど一度もない!!!!!!!!(ええ!その通りです!!!!)」
「多分それ逆ですね!?!?」
「あ゛!?!?(あ゛!?!?)」
「……頼重様、」
「………」
「あの、そのように口を引き結んで黙りこくられましても…頭の中に雪崩のように…ええと…その…」
懸命で不安げな顔も可愛い、毎日毎日想いがダダ漏れた眼差しで熱く見つめられるのがたまらなく愛おしい、嫉妬や不安が混ざる日もあるのが可愛くてクセになりついつい気持ちに気づいていないフリをしてしまっていた、好きだ、可愛い、この腕の中に閉じ込めて誰にも見えないように独り占めしたい……
自身に都合の良い妄想ではとすら思うような信じがたい言葉が次から次へと脳を揺らす。それだけではなく、全身を甘くて熱い"気持ち"までもが包み込むのだからたまらない。神獣たちの"気持ち"を感じることはあっても人間の"気持ち"をここまで身体で感じたことがない。周りの雪を溶かすんじゃないかってくらいじんわりと熱く、ねっとりと絡みつく重い欲。
やっぱり気持ちバレてた、けどそんなことどうでも良くなるくらい衝撃的な内容が頭の中をどんどん埋めていく。
見たこともないくらい真っ赤になってしまった頼重は動揺して名前の顔から手を離すとふらふらと後退りした。ギョロギョロと素早く辺りを見渡し、沢の淵へスライディング土下座の勢いで突っ込むと両手を皿にして水を掬い上げる。頭が真っ白になりながらも名前は水辺に蹲った大人の男を渾身の体当たりで横転させ、仰向けに地面へ押し付けると逃がさないとばかりに腹に跨り両手も鷲掴みにして力の限り押さえつけた。せっかく掬った水はあたりに飛び散り、手を濡らしただけとなった頼重は名前に馬乗りになられた状態で弱々しく「どうか水を…」と呟いた。
(本人が抱えている恋慕よりも大きな欲を大人の男から向けられていると知ったら…いくら結ばれる未来が見えているとはいえ今この幼な子を怖がらせ嫌われたら生きていけない…)
「え、結ばれる未来…!?」
「……ッ」
「本当に?そんな未来が…??」
「………」
「え、どうしよう、嬉しい…」
(可愛すぎる……今すぐ抱きしめて頬擦りしたい)
「…もう、そういうのはちゃんと口に…」
「名前だって口に出して言っていないくせに」
拗ねたように口を尖らせ目を逸らして言う男をキョトンと見下ろす。私ばっかり筒抜けでズルい、とブツブツ言っている。
たしかに、怖くてちゃんと伝えるのを避けていたのは自分も同じだ。そう思った少女は早鐘を打つ心臓が口から飛び出ないように深く息を吸い、覚悟を決めた目で想い人を見据えた。
「………お慕いしております、頼重様。私、頼重様の心を知るのが怖かった…傷つくくらいなら知らずにこのままぬるま湯の中で甘えていたかった…でもやっぱり好きな人のことは知りたい…知るのが怖い、このままでいい、と思うのと同じくらい、頼重様の本心が知りたくて…私のことをどう思っているのか、私のこの気持ちをどう思っているのか、私はこのままお慕いしていてもいいのか、報われる日が来(唆る…)…は?」
「あ」
ぽろぽろと泣き出してしまったが言葉が溢れて止まらなかったのに、ふいに頭に滑り込んできた三文字に目を瞬かせる。組み敷いている男の顔がしまった、という表情になった。
「い、いや、違うのです」
「……必死のあまり泣いてしまったおなごに思うことが『唆る』とはどういうことかお聞かせ願えますでしょうか」
「………本当に、勘弁してくだされ…」
(この体勢が良くない)と聞こえてきて我に返った少女はそっと上から退く。その瞬間、少女の隙をついて頼重は片手で掬った冷水を口に押し込んでしまった。こくり、と喉仏が上下し、これ見よがしな後光が差す。
「元気100倍!諏訪パンマン!!いやあ〜〜〜我が神力が戻って参りました!」
未来人なら誰もが馴染みのある効果音と共に拳を突き出したポーズで明るくアピールする頼重。あからさまにホッとした顔をしている。
「さっ帰りましょう、いつまでもこんなところにいたら冷えますゆえ」
何事もなかったかのように振る舞う頼重をじっと見つめる。先ほどまで耳鳴りがしそうなくらい喧しかった頭の中には何も聞こえてこない。ああ、元に戻ってしまった。
「ほらほらさあさあ(はぁ〜どうなる事かと)」
「!!?」
「あっ私が未来見えなかったことは内緒にしておいてくださいね!?」
しょんぼりと突っ立っていた名前の背中を頼重が両手で押した途端、静かだった頭の中にぬるっと声が入ってきた。慌てて振り向くも後ろに立つ頼重が胡散臭い笑みを浮かべているだけ。また静かに。もしかして。
少女は無駄にドタバタしている頼重の片手を捕まえてぎゅっと小さな両手で握り込んだ。
「なっ!?なんです!?(えっ本当に何!?!?手小さっ!柔らかッ!こんなに冷えて…早く暖かいところへ帰さねば)」
「やっぱり!触れると心がわかります!!」
「ええっ!?!?(困ります!!)」
「どうして困るのですか!」
「それは…ッ(まだ伝える気はなかったし怖がらせたくないし嫌われたくないし)」
「怖くないし嫌うなどあり得ません!」
ねぇ、だからちゃんと口で伝えて。
そう言って更に強く握りしめ、じっと見上げてくる少女の眼差しからウロウロと逃げ惑っていた翡翠色の瞳が、ようやく観念したようにおとなしくなった。視線が絡む。
「……はぁ…こんな形で伝える気は本当になかったのですが…貴女にどうしようもなく惚れているのです。子も孫もいるというのに年甲斐もなく恥ずかしいが…先ほど読まれてしまったように貴女のこととなると…その…口に出すのも憚られるようなことまで考えてしまうので…心を読むのは勘弁願いまする」
最後の方は聞き取れないくらい小さな声でごにょごにょ言っていたが、全く同じ台詞が頭の中にも響いていたので本心をそのまま声に出して伝えてくれたのがわかり、少女は頰を高揚させ瞳を潤ませた。
「ああ…そんな可愛い顔をしてくださいますな…我慢できなくなる」
すり…と頰を撫でられる。少女の頬も熱を持っていたけれど、触れた指先が更に熱い。
至近距離で見上げた翡翠の奥に欲の炎がゆらめいているのを見つけ、急に恥ずかしくなった少女はパッと手を離して半歩後ずさった。
帰りましょうか、早口にそう言って山を降りる少女と、やはり怖がらせたのでは…まだ早かったのでは…と悶々とする頼重。二人が屋敷の敷地へ足を踏み入れたところでちょうど逃若党の面々と出くわす。
「あっ噂をすればド変態明神」
「人の顔見て開口一番なんですかそれは!?!?」
「頼重様の姿が見えないし名前もいないし心配してたんだよ〜」
「大丈夫か?何もさせられてないか?」
「もうみんな…頼重殿と名前の二人きりだったとは限らないじゃないか。どこへ行っていたの?」
どこへ…何を…。
先ほどのことを思い出し頰を染めて俯いてしまった少女を見てその場が凍る。
子供たち全員の蔑みに満ちた目線が頼重にザクザクと刺さった。
「ついにやったか…」
「やっぱりあの巫女人形って…うわあ」
「名前、いくら好きだからってなんでも許さなくていいんだぞ、断ることも大切だ」
「え、なんの話…」
「縄で縛って蝋燭垂らして鞭で嬲ってくださいなんて頼まれたら百年の恋も冷めるだろ普通…もしかして名前もそういう癖が…?」
「縄で縛って蝋燭垂らして鞭で嬲ってください…?????」
「誤解でございまする!!!!!!!!!!!!!!!!」
「うわうるさっ」
怖がらせたくないってそういう…?と引いた顔で見てくる少女に弁解を!弁解をさせてください!!と泣き縋る大人の男、それから守るように少女と男の間に立ちはだかる子供たち…。
事情を知っている時行が代わりに種明かしするまで、逃若党ガードで守られて続けていた名前の冷ややかな視線に心折られる日々を過ごす頼重なのであった。
後日。
(もう少し一緒にいたいのですが…残念)
「…ッ!」
複数人で行動し解散する流れの中、本日のこととこれからのことを皆に話しながらさりげなく触れられた肩からそっと囁かれるように頭に滑り込んできた全く関係ない言葉に背筋を振るわせる。
思わずバッと顔を見上げれば涼しい顔をして相変わらず全く別のことを話し続けている頼重と目が合う。
「…というわけで時行様と共に行ってきて欲しいのだが…頼まれてくれるか亜也子、名前。(あとで部屋へ来て欲しい…同じ気持ちでいてくれるなら)」
「もっちろん!」
「……は、い…」
歯切れの悪い回答だったにも関わらず満足げにぽんぽんと肩を叩かれ手が離れる。どちらの問いへの答えかわかっているとでもいうように。
離れる時に誰にも見えない絶妙な位置でするりと手を撫でられ、(そんな可愛い反応なされるな…その顔を見せるのは私だけにしてくだされ)と吹き込んで、そのまま振り返りもせずに行ってしまった背を目線だけで追い続ける。
触れた時だけ心がわかるのをいいことにああやって秘密の言伝を不意にところ構わずしてくるのずっるい!赤くなった顔を誤魔化すようにパンパンと叩いて気持ちを切り替えた名前は汚れたし着替えてくるね、と言い残して自室へと駆け出す。
その後ろ姿を見送って、充分距離を取れたことが確認できてからふう、と息をつく逃若党。
「絶対頼重様の心も読めるようになったよな名前」
「普通の会話の中で急に名前の顔が真っ赤になる時必ず隣にいるもんね頼重様」
「まったく…一体心の中で何を思っているのやら…やっぱりド変態明神だな」
なんのプレイを見せつけられているのやら、と思われていることを少女が知るのはまだ先の話。
諏訪明神をその身に宿した現人神こと諏訪頼重は、先ほどから痛いほど刺さる視線の方へようやく顔を向けた。そこには眉間に皺を寄せ難しい顔をして頼重を見つめる一人の巫女が。
「そんなに見つめられては穴が空いてしまいますな」
「……やっぱり頼重様だけわからないんですよねぇ」
諦めたようにそう呟いた少女はようやく顔の力を抜き、つまらなそうに頬杖をついた。
「さすがは神様」
「いやいやそれほどでも」
「あーあ、頼重様の弱み握りたかったのにな〜」
「んん〜???」
冗談です、と続くことを期待した頼重を無視して戸の方へ顔を向ける少女。
「若様、遠慮なく入ってきて頂いて良いのですよ」
かたり、と音を立てて戸が滑り、隙間から八の字眉で赤面した北条時行が顔を出す。
「……また心を読んだのですか?気配を消していたのに…」
「読んだというか勝手に聞こえてきてしまうので…」
少女には特別な力があった。
人々の心が読めるのだ。少女曰く、相手の考えていることが直接頭の中へ流れ込んでくるのだという。
「逃げ上手の時行様も名前の前では逃げ切れませんな!心を無にする訓練をせねば」
彼女が味方で良かった良かった、と笑う頼重に本当ですよ!と力強く返す幼い主君。
「(二人きりなのを邪魔しては悪いかと躊躇したのもバレてしまうのだから…隠し事どころか配慮も出来ない)」
「……若様、そのような配慮は不要ですよ。頼重様も私も若様の臣下なのですから…若様のご都合が最優先です」
「あっ!?もう!また読んだのですね!?(ダダ漏れで恥ずかしい!)」
「なになに、どのようなご配慮を賜ったのです!?」
顔を赤くして頬を膨らます主君の口から出た肉声とは別の"言葉"も合わせて脳内に流れ込んでくる。しかし、会話に混ざろうと胡散臭い笑みを浮かべて割り入ってくる男の心はわからない。声に出された言葉しか聞こえない。この世の人間の中で唯一、心の声が聞こえないのがこの諏訪頼重だった。『心を無にする訓練』をしているのか、はたまた現人神は人間ではないからなのか、出会ってから一度も心を読めたことがない。物覚えがついた頃から周りの人々の心が勝手に頭へなだれ込んできて苦しんだ少女は、生まれて初めて本心のわからない人間に出会い驚愕し困惑しどうにか本音が聞けないかと夢中になっているうちにすっかり惹かれて心を奪われてしまった。この世で一番聞きたい人の声が聞こえない。この世で一番知りたい心がわからない。
ある日突然聞こえるようになるのでは。そう思って暇さえあれば睨みつけるように集中して見つめ続けるものだから少女の片想いは周知の事実、つい最近出会ったばかりの時行にまでバレバレであった。
「心が読める」というのは恐ろしいもので、人は多かれ少なかれ暴かれたくないものがあるから少女の力は限られた者たちにしか教えられていない。気味悪がられたり疎まれて少女が忌み嫌われないようにという頼重の配慮によるものだった。
そのため何も知らない者たちから見れば熱心に想いびとを見つめるただの微笑ましい少女であり、顔と態度に全部出るので能力がなくとも彼女の心の内は全ての人からお見通しだった。その事実も"聞こえてくる"のだから最初は恋心を隠そうともがいていた彼女も最近では開き直っている。だって皆にバレバレなの知ってるんだもん。微笑ましく見守られているの知ってるんだもん。想い人本人の心がわからないのが怖いけど、こんなにみんなにバレているならもう絶対頼重様にもバレてるじゃないですか。そっちが気づかないふりをするからこっちも直接は言わずにおちゃらけて誤魔化して今の関係性に甘んじている。諏訪の人々が「現人神に憧れる可愛らしい恋心を抱えた少女」「微笑ましいけど身分差があるから決して叶わない恋」「恋に恋する未熟で純粋な少女」と思っているように、きっと頼重様も悪くは思っていないだろう、ようやっと可婚期に足を半歩踏み入れたくらいの幼い少女を親のような目線で微笑ましく思っているのかもしれない。もしかしたら孫くらいに思われている可能性もある。全く相手にされていない。もう少し育てば何か変わるだろうか…最近女らしくなってきた気がする身体を見下ろしてもう少し尻が「名前!!!!!!!!」「うわびっくりした!?」
自身の身体を見下ろしていたのにそこに突然大発光胡散臭笑顔が割り込んできたので思わず飛び退く名前。尻餅をついた彼女をそのままの表情、そのままの光量で見下ろした頼重から目を逸らしてようやく、名前は部屋に二人きりだということに気がついた。
「あ、あれ?若様は?」
「"長寿丸"なら我々を呼びにきただけなので先に行きました。何度も呼んだのに名前が考え込んで動かなくなるから…」
「も、申し訳ございません、すぐ参りましょう」
「一体何をそんなに考え込んでいたのです?」
「ひ、ひみつです」
誤魔化すように素早く立ち上がり部屋を後にする。先に出たはいいものの行き先がわかっておらずたたらを踏んだ名前に軽く笑みをこぼしじっと見つめてくる頼重。決して広くない廊下でしばし見つめ合い、なんの時間だ?と名前の眉間に皺が寄ったところで「行き先を心の中で唱えていましたがわかりませんか?」と煽るようなあの笑顔で頼重が宣った。
「!!!!だぁかぁらぁ!頼重様だけ心が聞こえないんですって!!意地悪!」
「それは残念。いつになったら名前は私に心を開いてくれるのでしょう」
「えっ心開いてないの私の方なの!?」
「早く気持ちを通わせたいものですなぁ〜」
「言い方!!!!」
いつもの茶番を終えどちらともなく吹き出したあと、行き先はこちらだと促すように腰をそっと押される。少し触れられただけなのに耳が燃えるように熱くなる。顔から火が出てるかも。見られたくない。半歩下がった名前を横目で確認した頼重はスタスタと歩き出す。付かず離れず着いていく名前。
「…そういえば前々から言ってますけど私に敬語使うのやめてくださいよ。諏訪の当主と一介の巫女なのにおかしいではないですか」
「おかしくはありません、貴女も現人神なのだから神同士敬い合わないと」
「えっ?私が現人神…?」
思わず大きな声を上げてしまった女の方を振り向くと何を今更というようにゆっくり頷く。
「その力は神力以外の何ものでもない」
大真面目な顔で言う神様をぽかん…と眺めていた少女は耐えきれないというように複雑な顔をして笑い出す。
「ないない、私が神だなんて。……この力のせいで妖か物怪かと虐げられ殺されかけていたところを助けて拾ってくれた頼重様は私にとって神様だけど…」
「私は誰にとっても本当の神様ですが…その神の言うことが誤りだと?」
「頼重様の言うことは半分くらい適当だからなぁ〜」
「そんなことありませんっ!!!!失礼な!!」
ギラッギラに光りながら抗議するのやめてくださいよ〜眩しいから〜と笑いながら、自分のことは忌み嫌われる存在だと自覚しつつ気まぐれでも「神同士」と言ってくれた喜びを噛み締める。確かにある身分差を感じずに好きに想って良いと、対等だと言ってくれたみたいで。そういう意味じゃないってわかっているけれど。こういう些細なことで口角と体温が上がってしまうのだ。
……もし私が本当に神であるならば、この世で一番知りたい人の心をいつか暴けますように。
◇◇◇
「お前ほんっと気をつけろよ」
「え?」
いつになく神妙な顔をして突然忠告してきた玄蕃に間抜けな声を返す。
神妙な顔をしているのは他の面々も同じで名前は首を傾げた。
「頼重様、ま〜た鰻とニンニクたらふく食べて」
「縄持ってウロウロしてた」
「前回は等身大の巫女人形だったけど今回はお前が狙われるかも、いつも近くにいるし二人きりなこと多いし」
「もしかしたら前回の巫女人形、名前の代わりだったんじゃ…?」
「ハッ!あり得る!!体格似てた気がするし!」
「「「う、うわ〜〜〜本当に気をつけろ(て)よ」」」
「なんの話!?」
「頼重様がド変態って話」
「本当になんの話!?!?」
憐れむような顔でウンウンと意見一致する玄蕃、弧次郎、亜也子に肩をぽんぽんされるも全く意味がわからない。大丈夫、逆に神聖な気もするから!と更に意味のわからないことを言われる。なに?なんの話!?
心の声に補足して欲しいのに(可哀想に…縛り方練習させられたりすんのかな)(さすがの名前も引くかもな…)(やべ、想像したらアリかも…クソッ…ド変態明神羨ましいぜ)(鞭…)と意味不明の上塗りで不安しかない。
「本当になんだったんだろ…いつも割といじられてるけど今日のはちょっと毛色が違った気がするんですよね」
どう思います?と光り輝く毛並みを撫でながら問えば、言葉は返ってこないけれど心底どうでもいい、という"気持ち"が伝わってくる。
ここは諏訪大社の御神体、守屋山。
その山にある聖なる沢で舞を捧いでいると"彼ら"がやってくるのだ。雫もたまにやっているけれど今日は名前ひとり。集まってきた神獣たちとは仲良しでこうして撫でたり、時には話し相手にもなってくれる。人の言の葉は発さないけれど彼らの気持ちは結構はっきりわかる。不思議な感覚だ。
「鰻とニンニク…精のつく食べ物たくさん食べてたって…もしかして元気がないのかな、心配…ここの水を飲めば元気になるかも…」
(ここの水を飲めば恐らく一発)
自分の考えと全く同じ考えだったため、それが聞こえてきた声だと一瞬気づかなかった。
ハッ!?と撫でていた神獣を凝視する。もしかして今、神獣の心が人間の言葉で聞こえた…!?私の能力突然レベルアップ!?
もう一回なんか言って、と神獣に話しかけるのと茂みがガサっと動くのは同時だった。
(前回時行様に怒られてしまったから今回は自ら来たが………えっ)
「えっ」
茂みから突如現れた男が、まさに今心配していた諏訪頼重その人であることに大変驚き言葉が出ないまま凝視してしまう名前。
一方の頼重も驚いたようで手で茂みを掻き分けた体勢のまま目を見開いて凝視。
無言の見つめ合い。
(…………しまった…ここで会う未来が見えていなかったから…もー!!未来見えない期本当に困る!!)
「…えっ、頼重様いま未来見えないんですか!?やっぱり具合悪いんですか!?!?」
「えっ」
慌てて対岸の頼重に近づく。顔色が悪いようには見えな…いや、あっという間に顔面蒼白に…もしかしてすごく体調悪い!?!?
心配すぎて岸に上がるやいなや、茂みの中で突っ立ったままの頼重に手を伸ばす。熱があるかもしれないと思って。額に伸びた手は触れることが叶わないままガッと力強く頼重に捕まれてしまった。
「痛…ッ!?え、なに、」
「どうしてそれを」
「え、」
「なぜ私が未来見えないと知っているのです」
「…え、だって今自分で…」
目の前の男の真っ白だった顔がみるみる赤くなる。そして青くなる。
「わ、私は何も…(や、気づかれていないならその方が良い、早く水飲んで早くここから立ち去ろう)」
「あ、やっぱり水飲みに来た感じですか、飲んだ方がいいです具合悪そうだし…」
「ッッ…!喋っていないことを勝手に聞かないでくだされ名前のえっち!!!!!!!!」
「えっちって何!?!?未来の言葉で喋んないでくださ…………え?」
手首を掴まれたままの距離で見つめ合う。
「…………頼重様の心の声が…聞こえる…?」
「〜〜〜ッッ!!!!!!!!(〜〜〜〜〜ッッッッ!!!!!!!!!!!!)」
目の前の男が声にならない悲鳴を上げた。脳内にも声にならない悲鳴が飛び込んでくる。
(まずいまずいまずい早く水を)
「痛っ…頼重様、手、力つよ…手汗やば…!?」
「手汗やばいとか言わない!!!!(まさか気持ち悪がられてはおるまいな!?!?!?)」
自分から掴んできたくせに突如振り払うように離した手をゴシゴシと自身の衣で拭きながら滝汗をかいた頼重が叫ぶ。
「気持ち悪いとかは思ってないですけど…」
「心の声を勝手に聞かない!!!!!!!!」
大声を出した頼重が両手で名前の両耳を塞いだ。大きな手で顔を挟み込んで固定された名前は驚き、ただ目の前の大パニック男を見上げることしかできない。
「…どうして急に声が…?」
(私の神力が弱まりただの人に成り下がったせいか、この場所の力で名前の神力が強くなったせいか、いずれにせよ本音を聞かれるとまずい)
「なんでまずいのですか?何か知られたくないことでも…」
「っ!だから勝手に聞くなと!!!!!!!!(ああもう頰が柔らかくてスベスベすぎる食べちゃいたい)」
両耳を塞がれているせいで口に出して言われたことよりも脳内に直接流れ込んできた声の方が大きい。何を言われたのか理解できずポカンと見上げていた少女はゆっくり理解すると共にじわじわと顔に熱が昇っていく。そんな少女の熱を視覚と触覚どちらからも拾ってしまった男もまた、自身が何を考えたのかゆっくり理解し顔色が再び赤に染まった。
「いや、これは違(口付けしたいなどとは思っておらず!!)」
「くっ…!?」
「ほ、ほ、頰にですからね!?!?!?」
「!?!?」
(あわよくばこの小さな唇にも)
「!?!?!?!?」
「っあ、あーーーーッッ」
大きな声を出せば心の声が消えるわけでもなく、延々と予想外な内容が頭の中に響いて少女はどうにかなりそうだった。
本当にこの人はあの諏訪頼重なのか。いつも飄々としていてマイペースで私の好意になど少しも気づいていないかのように振る舞っているあの?
「い、いや、時行様のように愛らしいなと!やはりまだ子ども…幼子の柔らかな肌が好きなだけゆえ!!(そう!決して女人の柔らかさにおかしな気を起こしているわけではなく!!)」
「…そうですよね、頼重様は私を親のような気持ちで見てらっしゃるのですよね…私の気持ちも知っているけれど幼く微笑ましい気の迷いだと」
「そんな気持ちで貴女を見たことなど一度もない!!!!!!!!(ええ!その通りです!!!!)」
「多分それ逆ですね!?!?」
「あ゛!?!?(あ゛!?!?)」
「……頼重様、」
「………」
「あの、そのように口を引き結んで黙りこくられましても…頭の中に雪崩のように…ええと…その…」
懸命で不安げな顔も可愛い、毎日毎日想いがダダ漏れた眼差しで熱く見つめられるのがたまらなく愛おしい、嫉妬や不安が混ざる日もあるのが可愛くてクセになりついつい気持ちに気づいていないフリをしてしまっていた、好きだ、可愛い、この腕の中に閉じ込めて誰にも見えないように独り占めしたい……
自身に都合の良い妄想ではとすら思うような信じがたい言葉が次から次へと脳を揺らす。それだけではなく、全身を甘くて熱い"気持ち"までもが包み込むのだからたまらない。神獣たちの"気持ち"を感じることはあっても人間の"気持ち"をここまで身体で感じたことがない。周りの雪を溶かすんじゃないかってくらいじんわりと熱く、ねっとりと絡みつく重い欲。
やっぱり気持ちバレてた、けどそんなことどうでも良くなるくらい衝撃的な内容が頭の中をどんどん埋めていく。
見たこともないくらい真っ赤になってしまった頼重は動揺して名前の顔から手を離すとふらふらと後退りした。ギョロギョロと素早く辺りを見渡し、沢の淵へスライディング土下座の勢いで突っ込むと両手を皿にして水を掬い上げる。頭が真っ白になりながらも名前は水辺に蹲った大人の男を渾身の体当たりで横転させ、仰向けに地面へ押し付けると逃がさないとばかりに腹に跨り両手も鷲掴みにして力の限り押さえつけた。せっかく掬った水はあたりに飛び散り、手を濡らしただけとなった頼重は名前に馬乗りになられた状態で弱々しく「どうか水を…」と呟いた。
(本人が抱えている恋慕よりも大きな欲を大人の男から向けられていると知ったら…いくら結ばれる未来が見えているとはいえ今この幼な子を怖がらせ嫌われたら生きていけない…)
「え、結ばれる未来…!?」
「……ッ」
「本当に?そんな未来が…??」
「………」
「え、どうしよう、嬉しい…」
(可愛すぎる……今すぐ抱きしめて頬擦りしたい)
「…もう、そういうのはちゃんと口に…」
「名前だって口に出して言っていないくせに」
拗ねたように口を尖らせ目を逸らして言う男をキョトンと見下ろす。私ばっかり筒抜けでズルい、とブツブツ言っている。
たしかに、怖くてちゃんと伝えるのを避けていたのは自分も同じだ。そう思った少女は早鐘を打つ心臓が口から飛び出ないように深く息を吸い、覚悟を決めた目で想い人を見据えた。
「………お慕いしております、頼重様。私、頼重様の心を知るのが怖かった…傷つくくらいなら知らずにこのままぬるま湯の中で甘えていたかった…でもやっぱり好きな人のことは知りたい…知るのが怖い、このままでいい、と思うのと同じくらい、頼重様の本心が知りたくて…私のことをどう思っているのか、私のこの気持ちをどう思っているのか、私はこのままお慕いしていてもいいのか、報われる日が来(唆る…)…は?」
「あ」
ぽろぽろと泣き出してしまったが言葉が溢れて止まらなかったのに、ふいに頭に滑り込んできた三文字に目を瞬かせる。組み敷いている男の顔がしまった、という表情になった。
「い、いや、違うのです」
「……必死のあまり泣いてしまったおなごに思うことが『唆る』とはどういうことかお聞かせ願えますでしょうか」
「………本当に、勘弁してくだされ…」
(この体勢が良くない)と聞こえてきて我に返った少女はそっと上から退く。その瞬間、少女の隙をついて頼重は片手で掬った冷水を口に押し込んでしまった。こくり、と喉仏が上下し、これ見よがしな後光が差す。
「元気100倍!諏訪パンマン!!いやあ〜〜〜我が神力が戻って参りました!」
未来人なら誰もが馴染みのある効果音と共に拳を突き出したポーズで明るくアピールする頼重。あからさまにホッとした顔をしている。
「さっ帰りましょう、いつまでもこんなところにいたら冷えますゆえ」
何事もなかったかのように振る舞う頼重をじっと見つめる。先ほどまで耳鳴りがしそうなくらい喧しかった頭の中には何も聞こえてこない。ああ、元に戻ってしまった。
「ほらほらさあさあ(はぁ〜どうなる事かと)」
「!!?」
「あっ私が未来見えなかったことは内緒にしておいてくださいね!?」
しょんぼりと突っ立っていた名前の背中を頼重が両手で押した途端、静かだった頭の中にぬるっと声が入ってきた。慌てて振り向くも後ろに立つ頼重が胡散臭い笑みを浮かべているだけ。また静かに。もしかして。
少女は無駄にドタバタしている頼重の片手を捕まえてぎゅっと小さな両手で握り込んだ。
「なっ!?なんです!?(えっ本当に何!?!?手小さっ!柔らかッ!こんなに冷えて…早く暖かいところへ帰さねば)」
「やっぱり!触れると心がわかります!!」
「ええっ!?!?(困ります!!)」
「どうして困るのですか!」
「それは…ッ(まだ伝える気はなかったし怖がらせたくないし嫌われたくないし)」
「怖くないし嫌うなどあり得ません!」
ねぇ、だからちゃんと口で伝えて。
そう言って更に強く握りしめ、じっと見上げてくる少女の眼差しからウロウロと逃げ惑っていた翡翠色の瞳が、ようやく観念したようにおとなしくなった。視線が絡む。
「……はぁ…こんな形で伝える気は本当になかったのですが…貴女にどうしようもなく惚れているのです。子も孫もいるというのに年甲斐もなく恥ずかしいが…先ほど読まれてしまったように貴女のこととなると…その…口に出すのも憚られるようなことまで考えてしまうので…心を読むのは勘弁願いまする」
最後の方は聞き取れないくらい小さな声でごにょごにょ言っていたが、全く同じ台詞が頭の中にも響いていたので本心をそのまま声に出して伝えてくれたのがわかり、少女は頰を高揚させ瞳を潤ませた。
「ああ…そんな可愛い顔をしてくださいますな…我慢できなくなる」
すり…と頰を撫でられる。少女の頬も熱を持っていたけれど、触れた指先が更に熱い。
至近距離で見上げた翡翠の奥に欲の炎がゆらめいているのを見つけ、急に恥ずかしくなった少女はパッと手を離して半歩後ずさった。
帰りましょうか、早口にそう言って山を降りる少女と、やはり怖がらせたのでは…まだ早かったのでは…と悶々とする頼重。二人が屋敷の敷地へ足を踏み入れたところでちょうど逃若党の面々と出くわす。
「あっ噂をすればド変態明神」
「人の顔見て開口一番なんですかそれは!?!?」
「頼重様の姿が見えないし名前もいないし心配してたんだよ〜」
「大丈夫か?何もさせられてないか?」
「もうみんな…頼重殿と名前の二人きりだったとは限らないじゃないか。どこへ行っていたの?」
どこへ…何を…。
先ほどのことを思い出し頰を染めて俯いてしまった少女を見てその場が凍る。
子供たち全員の蔑みに満ちた目線が頼重にザクザクと刺さった。
「ついにやったか…」
「やっぱりあの巫女人形って…うわあ」
「名前、いくら好きだからってなんでも許さなくていいんだぞ、断ることも大切だ」
「え、なんの話…」
「縄で縛って蝋燭垂らして鞭で嬲ってくださいなんて頼まれたら百年の恋も冷めるだろ普通…もしかして名前もそういう癖が…?」
「縄で縛って蝋燭垂らして鞭で嬲ってください…?????」
「誤解でございまする!!!!!!!!!!!!!!!!」
「うわうるさっ」
怖がらせたくないってそういう…?と引いた顔で見てくる少女に弁解を!弁解をさせてください!!と泣き縋る大人の男、それから守るように少女と男の間に立ちはだかる子供たち…。
事情を知っている時行が代わりに種明かしするまで、逃若党ガードで守られて続けていた名前の冷ややかな視線に心折られる日々を過ごす頼重なのであった。
後日。
(もう少し一緒にいたいのですが…残念)
「…ッ!」
複数人で行動し解散する流れの中、本日のこととこれからのことを皆に話しながらさりげなく触れられた肩からそっと囁かれるように頭に滑り込んできた全く関係ない言葉に背筋を振るわせる。
思わずバッと顔を見上げれば涼しい顔をして相変わらず全く別のことを話し続けている頼重と目が合う。
「…というわけで時行様と共に行ってきて欲しいのだが…頼まれてくれるか亜也子、名前。(あとで部屋へ来て欲しい…同じ気持ちでいてくれるなら)」
「もっちろん!」
「……は、い…」
歯切れの悪い回答だったにも関わらず満足げにぽんぽんと肩を叩かれ手が離れる。どちらの問いへの答えかわかっているとでもいうように。
離れる時に誰にも見えない絶妙な位置でするりと手を撫でられ、(そんな可愛い反応なされるな…その顔を見せるのは私だけにしてくだされ)と吹き込んで、そのまま振り返りもせずに行ってしまった背を目線だけで追い続ける。
触れた時だけ心がわかるのをいいことにああやって秘密の言伝を不意にところ構わずしてくるのずっるい!赤くなった顔を誤魔化すようにパンパンと叩いて気持ちを切り替えた名前は汚れたし着替えてくるね、と言い残して自室へと駆け出す。
その後ろ姿を見送って、充分距離を取れたことが確認できてからふう、と息をつく逃若党。
「絶対頼重様の心も読めるようになったよな名前」
「普通の会話の中で急に名前の顔が真っ赤になる時必ず隣にいるもんね頼重様」
「まったく…一体心の中で何を思っているのやら…やっぱりド変態明神だな」
なんのプレイを見せつけられているのやら、と思われていることを少女が知るのはまだ先の話。
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