紅の王子様
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「………嫌な空…」
どうやら自分は寝坊してしまったようで、起きた時すでに時計の短い針は7を過ぎていた。
朝練は毎日7時から、完全なる寝坊による遅刻である。
はっきり言って練習にはもう間に合わない。
でも学校には遅刻しないようにとさっさと着替えを済ませて、カーテンを開けて空を見つめて出た一言が、これ。
なんとも暗く、今にも雨が降り出しそうな空だった。
着替えの終わった8時に近い頃、寮内に生徒はほとんどいない。
8時20分から始まる朝のHRに遅刻しないよう、氷帝生はやたらとキッチリしているためである。
寮から校舎までは10分かかるかかからないか位なのに、みんな30分近く前には登校していくのだ。
5分ほど空を見つめていると、小さな雫がパラパラと落ち出してきた。
「やば…ほんとに降ってきたよ」
小雨が強くならないうちに登校してしまおうと歯を磨きに洗面所へ走った自分は、雷雨になるなんて知らなかった。
◇◇◇
「チッ本当に降ってきやがった…!!」
まだ今は小雨でも、この空じゃ必ず強く降りだす。ついでに雷も鳴るかもしれない。
どんどん氷帝の校舎へ向かう生徒が増え始め、こんな様子じゃ寮内にほとんど生徒なんか残っちゃいねえだろう。
人の波を逆に走り、後輩に声をかけられても耳には入るが反対側に通り抜けるほど俺様は必死だった。
とにかく走れ、それしかないんだ。バスも電車も寮の方向には走っていない。俺が走るしかないんだ。
◇◇◇
フッと電気が消えた。
それは自分が学校へ向かおうと、寮のロビーで生徒用カードを機械に通したところだった。
心がザワつき、今の状況を理解しようと脳がフル回転する。
『停電が発生しました、寮内に残っている生徒はその場で静かに…』
”停電”
…暗い。近くのドアの窓越しに、雷が鳴っているのが見える。雨が強い。
バチバチ打ち付ける雨、バリバリ鳴り続ける雷。
………あの時と同じ、空間。
ふと、髪の毛を結んでいたゴムが小さく音を立てて切れ、長髪が視界を少し流れた。
それはまるで
恐怖や憎悪
抑えていたものが
プツリと切れたかのように。
「いやああああああああああ!!!!!」
「綾香!?綾香!!」
誰かが呼んでる。顔を上げて確かめたいけど上げたくない。
顔を上げれば、視界には暗闇が映るんだ。
「…綾香、もう大丈夫だから」
優しい声がかかる。
その声に合わせて暖かみのある手が、自分の頭を撫でていた。
安心感から、意味もなく耳を塞ぎ続けていた両手はその場を離れ、体育座りの膝から重い頭を上げた。
「………跡部……?」
泣き続けていたぐちゃぐちゃの顔を見て跡部はフッと笑って抱きしめてくれた。
ジャージはとても冷たく、髪もびしょびしょ。
この雨の中、傘も差さずに来てくれたのだろうか。ジャージを着て、部活にも出ないで、自分の為に。
「…ふっ…こ、怖かったよ…」
泣き止んだはずなのに涙がこぼれ、すでにびしょびしょな跡部のジャージを更に濡らし続けてしまった。
跡部は何も言わずに黙って抱きしめていてくれた。右手で頭を撫でていてくれた。
どのくらいたっただろうか、長いようで短い時間が過ぎ、寮に電気が灯されて落ち着いてきた。
不安は消えた。恐怖も消えた。でもこのまま、人の温もりを感じていたかった。
だから跡部からは離れなかった。跡部も離さないでくれた。
「綾香っ!!」
女子が自分を呼ぶ声と、何人もの足音が聞こえて意識がはっきり戻ってきた。
女子…?女子が自分を呼んでいる?しかも綾香、本名で?
「……詩菜っ!?」
跡部からバッと離れてドアの方を見れば、声の主…そう乾詩菜、そしてテニス部が終結していた。
自分が跡部と抱き締めあっていたのを思いっきりみんなに見られたと思うと、途端に恥ずかしくなってきた。
みるみるうちに顔が赤くなっていくのがわかる。
詩菜は呆れたような表情、そして他の皆は呆然としていた。
「跡部、間に合ったんだ」
「まあな」
詩菜が声をかけると、跡部はそっけなく返事をした。
詩菜はそのまま自分のもとに歩み寄ってきて、一本のゴムを手渡した。そうだ、切れちゃったんだっけ。
髪の毛を結び直して立ち上がり、放り投げたままだったカバンを手に取った。
雷は止んでいるとはいえ、雨はまだまだ降り続けていた。
そんなドアの向こう側を見つめていると、跡部が背中をポンっと叩き「学校行くぞ」と言った。
前を見ればみんながいた。
詩菜が傘を貸してくれた。
「綾香、学校行こう。」
にっこりして傘を渡してくれる詩菜。
「俺らも遅刻やな」と笑ってる忍足。
どうでもよさそうな岳人。
「早く行こうぜ」と急かす宍戸。
心配そうに見てる長太郎。
いつも通りの眠そうなジロー。
クスクス笑ってる滝。
隣にいてくれてる、跡部。
みんながいる。それはとても心強く、自分を立ち直らせるには十分の材料だった。
遅刻に巻き込んでしまったみんなに「ごめん」と頭を下げ、跡部の耳元で「ありがとう」と囁いた。
跡部はお礼の返事なのか、ニヤリと笑って頬にキスをしてきた。
「跡部!!!綾香に手出すな!!!」
詩菜はその様子を目撃し、跡部に殴りかかった。
一瞬何が起こったのかよくわからなかったが、ふっと我に返り頬に手をあてた。
自分はいつか、過去の恐怖を上書きできるほどの幸せを見つけることが、出来るのかな。
おまけ↓
「なあ侑士、跡部と綾香って付き合ってんのか?」
ベシンッ
「なっいっ痛っ!いきなりひっぱたくなクソクソ侑士!」
「空気読めや岳人」
「嫌なモン見ちまったぜ」
「せっかく跡部の信用失ってたところやったのに、戻ってしもたやん」
詩菜が跡部を追い掛け回し、それを見て笑っている綾香。
その三人の後ろで岳人以外の全員が、綾香を見つめながら自分の想いを再確認した。