鬼灯の冷徹
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半年後……窓から差し込む柔らかい朝の光で名前が目を覚ます。二人の部屋の間の引き戸はもう随分前に開きっぱなしになっていて、白澤の部屋の外から小鳥の鳴く声が名前の部屋まで聞こえてくる。
「………白澤さま、起きて。小鳥が鳴いています。また部屋の窓辺に穀物ばら撒いたまま片付けずにそのままにしたんでしょう」
名前の部屋のベッドで当たり前のように隣に添い寝している男の髪を撫でるように梳く。全く起きる気配のない男をしばらく揺すっていたが、諦めてキスで起こそうと顔を近づければ、ばちりと目があってそのまま布団に引きずりこまれる。
「……きゃあ!?ちょっと!起きてるじゃないですか!」
布団の中に引きずり込まれたまま、くぐもった声で文句を言えば、寝起きの掠れた声が返ってくる。
「……起きてるよ。小鳥がうるさいから目は覚めてた」
目を細めて、至近距離で名前を見る目はまだ半開き。
「でも、起こされるの待ってた♡」
髪を撫でられた余韻を楽しむように、指先で彼女の指を絡める。
布団のなかで、白澤は名前をぐっと抱き寄せ、その額を自分のそれへと軽く合わせた。
「朝一番に顔が見られるの、うれしい」
ストレートすぎる告白に胸がときめくのを感じながら名前は私も、とはにかんだ。
甲高いさえずりが聞こえる方へと顔をやった男は白く照らされたひらっきぱなしの空間を見て、そのまま伸びをし満足そうに笑う。
「引き戸、もう意味ないね」
「意味ありますよ?喧嘩した時閉められるから。まだ喧嘩したことないですけど…」
そう返せば男はこちらに頭を向けて、ぐりぐりと強めにすり寄ってきた。
「閉める日が来たら、僕が向こう側から三回ノックする。一回目は『反省』、二回目は『謝罪』、三回目は『好き』」
笑いながら囁く彼の声は、朝の光のように柔らかい。
キスで起こすつもりだったんでしょ?とわざとらしく再度目を閉じた男にくすくすと笑う。
「……はい、そのつもりでした。でも、もう起きてらっしゃるから、いらないですよね?」
「いらない? そんなわけないでしょ、おはようのキスは別枠」
頑なに目を閉じている彼が可愛くって、悪戯っぽく見つめて鼻が触れ合う距離まで近づき囁いた。
……一回目は「朝ですよ」
優しく唇同士が触れるだけですぐ離れる。
二回目は「起きてください」
さきほどよりゆっくりと、体温と柔らかさを確かめるように唇を合わせる。
三回目は…「大好き」
さらにゆっくり、浅く、長く、鼻を擦り合わせるように角度を変えながら柔らかさを食む。唇だけ離れたが顔はほぼ触れ合う距離で愛おしげに視線を絡め、これがおはようのキスですと言えば、蕩けるような笑みを浮かべた白澤が両手で頬を包み込んでお返しをくれる。
一回目、「おはよう、名前ちゃん」
鼻先をくすぐるようにすり寄せ、
二回目、「今日も隣にいる」
両頬をもちもちと柔く揉まれる。
三回目。
「ずっと…大好き」
触れるだけの、羽のような口づけ。
幸せで潤んだ瞳がゆらゆら揺れて交わる。
「ふふ、引き戸のノックよりこっちがいいです。喧嘩したくないからノックは一生聞きたくないです…もうあの扉、閉めないで…」
そう言ってふたたび甘美な柔らかさを堪能しようと顔を近づけ…
「一回目!早く起きろ!」
ドゴオォォォォォンンンン!!!!!!!!
甘い空気を切り裂くように、店側へ繋がる扉が猛烈な勢いで叩き開けられた。
金棒で扉を壊さん勢いで開けた男は「二回目!おはようございます!(金棒で床を殴り)三回目!さっさとしろ!(ベッドで名前を抱き締めている白澤だけを器用に金棒で殴り)約束の時間過ぎてますよ!!!!今日は名前さんが各地の浄化をして回る日でしょう!!!!さっさと彼女を離せ色ボケ白豚」と叫んだ。
鈍い音と共に、白澤だけが見事に吹き飛ぶ。
地獄の第一補佐官・鬼灯はフンと鼻を鳴らして肩に金棒を担いだ。
「痛っ……。鬼灯、ノックの概念知ってる?」
「ノック?しました。きちんと3回」
床にめり込んだ白澤が抗議するが、鬼灯はぴくりとも笑わない。
なんで挨拶が2回目なんだよボケナス、と細かいツッコみを入れながらのそのそ起き上がる白澤を尻目に鬼灯はベッドに座り込んだままの名前を見る。
「名前さん、今日は各地の浄化依頼が溜まっています。本日中に三地域」
半年間で暴走ゼロ。今日はあなたが“救う側”として世界を整える日です。泣きながら壊していた頃とは違うでしょう?
少しだけ声音を柔らげた鬼灯に、手櫛で髪を整えた私も笑みを返す。
「はい。………鬼灯様とも、こうして普通にお話しできるようになって良かった。鬼灯様を邪気祓いしちゃってたら地獄が終わっちゃうところでした。あなたは地獄になくてはならない存在なので。……わたし、きっと衆合地獄に行くより…今の方がお役に立ててます。こっちを選んだこと、咎めないでくれてありがとうございます」
にこ…と名前が笑うと、鬼灯も表情を和らげて見つめ返し、良い雰囲気に包まれる。
左手薬指の輪が咎めるようにキツくなり、一瞬眉を顰めた名前は幸せそうに笑う。
「…ッ、あんまり見つめ合ってるとかわいい神様がヤキモチ妬いちゃうので…この辺りで、すみません」
「………あなたも物好きですね。こんなののどこが良いんだか」
「こんなのってなんだよ」
すたすたとベッドまで戻ってきた白澤は名前の隣に腰掛け、左手を持ち上げて指輪に唇を落とした。物好きでもなんでもいいよ。僕は選ばれたんだから。
名前の指輪がきゅ、と温かく締まる。それに呼応するように白澤の輪も淡く光る。
「初仕事、僕も同行する。上手くできたら頭撫でて、ちゃんと目を見て、たくさん褒めてあげるからね」
「はいはい。惚気は移動してからにしてください。世界を巻き込むほど甘やかさないことですね」
「善処する」
手を引かれて立ち上がる。
この人が隣にいてくれる。私だって世界の役に立つんだ。
◇◇◇
夜…ふらふらで歩けない名前をお姫様抱っこで抱えた白澤が薬局のドアを足で開ける。
「あ!おかえりなさい!うわ、大丈夫ですか!?お疲れ様です…!ニュース見ましたよ!名前さん大活躍!避難してた人たちも戻ってこられるくらい浄化されたって…」
慌ててソファを片付け、名前が横になれるようにスペースを開けながら尊敬の眼差しを向けてくる桃太郎。
「ありがとう…ニュースでやってたの?全然気づいてなかった…必死で…ふふ、お役に立ててよかった…」
名前をソファに横たえた白澤は、彼女の髪を優しく整えた。
「今日は満点。歩けなくなったのは、全力で世界を整えた証拠。誇っていい」
完璧だったよ。そう言って大きな手で撫でられ、嬉しさが口角を上げる。
桃太郎がぶんぶん頷いてきらきらした目で名前に近寄った。
「すごかったですよ!なんかこう……光がふわーって広がって、でも強い感じじゃなくて!避難してたひとたちも“あれ?平気だ”って顔して戻ってきてました!」
嬉しくてにやにやと口角が上がってしまうのを隠すが、指輪は淡く光っているので白澤にはバレバレだ。
白澤の横で興奮気味にニュースの内容を話していた桃太郎は、にこやかな顔を固定したままの上司が無言で見つめてきていることに気付いてハッとして咳払いした。
「そ、そうだ!夕飯用意してます!消化いいやつ!あと甘さ控えめの温かいお茶!」
「え、ありがとうございます…わ、良い匂い」
桃太郎が運んできた大きな鍋を見て上体を起こす。具沢山の中華粥がぐつぐつとおいしそうな湯気を立てている。
「!!わーい中華粥!ありがとうございます!嬉しい〜!大好き!!!!」
桃太郎が照れたように赤くなって鼻の下を擦っているのをニコニコ眺めていると、左手の指輪がズキズキと締まる。
びっくりして指輪に目をやり、そのままムッとした表情の白澤を仰ぎ見た。
白澤さま、こんなことで妬かないでくださいな、大好きなのはお粥に対してですよ?こそっと囁けば、名前にあーんをしようと匙を差し出していた白澤の眉がぴくりと動いた。
「妬いてない」
いや、妬いてるじゃん。
名前と桃太郎の心の声がハモった。
「……もう…桃タローさんのことも好きですけど…あいたたた、そういう好きじゃなくて!同僚で同居人で頼れる先輩って意味です!…さっきの大好き、はお粥に対してです!もー…聞いてよ桃タローさん!白澤様がヤキモチ妬くとね、この指輪がギューって締まって、熱くなるの!物理的に束縛してくるというか…外せないから見てないけど、絶対跡になってるよ、これ〜」
軽く言ってみせるが、桃太郎がドン引きの顔で白澤を見ている。
そういう好きじゃないってわかってるよ、もしそういう好きだったらもっと強めに締まる。拗ねたようにそう吐き捨てる白澤に、さすがの名前も若干引いた顔でえっ…もっと締まることあるのこれ…と自分の手を守るように握りしめた。
「……安心して。締まる前にちゃんと口で言うから、妬いてるって」
「本当ですか?痛いのは嫌ですよ?…それにしてもこのおかゆすごく美味しい…染みる〜…桃タローさん料理上手だね、ありがとう…!」
目の前の神獣の目つきが鋭くなるのと同時、指輪が熱くなって思わず笑ってしまう。
…もー、これもだめなの?口で言うんじゃなかったんですか?くすくす笑いながら、匙を咥えて見つめれば、少し口ごもったあとぽつりぽつりと目をそらした白澤が白状した。
「……君が世界規模で必要とされ始めた。それが少しだけ…落ち着かなかったんだ。君が誰かの救いになるたび、世界が君を欲しがる気がして。だから帰る場所を確認したかった」
鬼灯にも、避難民にも、ニュースの向こう側の人間にも必要とされてる。
“僕の隣”だけの存在じゃない。
それが少しだけ、ほんの少しだけ、落ち着かなかった。
鬼灯や桃タローくんに向ける感謝も、世界への優しさも、別にいい。
“そういう好き”が僕だけって今みたいに言ってくれれば、それでいい。
まるで自分に言い聞かせるかのような「それでいい」に名前は目を丸くした。
「まさか…世界に妬いてたなんて。
………お言葉ですけど、それ、私がずーっと白澤様に思ってたことですよ。神獣白澤。妖怪の長。吉兆の印。薬学の権威。世界に必要とされている存在……しかも来るもの拒まずの女好き!私が最初から諦めてたのも仕方ないですよね?まともに向き合ったら世界と戦わないといけないんだもん」
やっと気持ちわかりました?と悪戯っぽく笑って続ける。
「これでようやくおあいこですね。ふふ、白澤様と対等になれたみたいで嬉しい」
………ヤキモチ焼きの可愛い恋人が心配しないように、もっかい食べてあげても良いですよ?からかうように言ってあーんと口を開け、上目遣いで待つ。
白澤は一瞬呆気にとられたが、やがて負けを認めるように笑った。
「そっか、世界と戦う気分だったんだ僕を好きでいるの。それは……悪いことをしたね」
彼は最後の一口を名前の口へ運ぶ。
僕らふたりとも、世界に妬いてたんだ。おそろいだね。
口元に付いた粥を親指でそっと拭う。
「僕たちはふたりとも、ちゃんと隣に帰る」
指輪はもう痛むことはなく、ただ二人の体温を繋ぐように、穏やかで温かな光を放っていた。
◇◇◇
白澤と桃太郎が片付けを終えてそれぞれ自室に引き上げ、薬局の奥にある各々の部屋には、静かな月光と行燈の柔らかな光だけが満ちていた。
名前は白澤に促されるまま、洗い立ての清潔なシーツが敷かれたベッドに横たわっている。今夜も当たり前のように引き戸は開かれたまま。
白澤は彼女の隣に腰を下ろし、熱を帯びたままの名前の左手をそっと取った。
「さて。約束通り、一つずつ褒めてあげる。まずは先輩神獣として」
白澤は彼女の手を自分の頬に寄せ、愛おしそうに目を細める。
「一件目。あそこは邪気の密度が不規則だったけれど、君は無理に抑え込まず、波に合わせるように出力を調整したね。あれで避難していた人たちの不安が、スッと消えたのが分かった。……とても、優しくて完璧な采配だった」
一つ目の褒め言葉と共に、彼女の指先に柔らかな口づけが落ちる。
「二件目。結界の境界線ギリギリまで浄化を広げた時、君は自分の体力を削ってまで、端にいた小さな祠の汚れまで払ったね。君のその心が、あの場所を本当の意味で整えたんだ」
二つ目の言葉。白澤は彼女の目を見つめ、ゆっくりと髪を撫で上げた。
「そして三件目。一番の難所だったけれど、君は一度も僕を振り返らなかった。僕に頼らず、自分の力で均衡を保てると信じていたからだよね。……その背中は、僕が知るどの神よりも気高く、美しかった」
三つ目の言葉が紡がれると、名前の左手の指輪が、呼応するようにトクン、と温かく波打った。それは束縛の痛みではなく、深い充足と愛の証だった。
「…次は、恋人として」
白澤の声音が一段と低く、甘くなる。彼は名前の体に覆いかぶさるようにして、耳元で熱い吐息と共に囁いた。
「今日、鬼灯と親しげに話している君を見て、僕は醜いくらいに焦ったよ。世界が君を認めれば認めるほど、僕だけの名前ちゃんが、どこか遠くへ行ってしまうような気がして」
彼は彼女の耳たぶを優しく食み、そのまま首筋へと唇を滑らせる。
「でも、君はちゃんと僕を叱ってくれた。ヤキモチ焼きの恋人、なんて言って。……その言葉に、僕は救われたんだ。世界を整える君も素敵だけれど、僕を手のひらで転がしてくれる君が、一番愛おしい」
白澤の手が名前の腰を引き寄せ、密着させる。
「ヤキモチ、もっと妬かせていいよ。そのたびに僕は、君を独り占めする理由を見つけるから」
「……白澤、さま……っ」
「いい声。……その声も、僕だけのものだよね?」
白澤はにやりと笑い、彼女の指輪に自分の指輪を重ねた。二つの輪が重なり、眩いほどの光を放つ。
深く、深く重なる唇。
世界を整えた一日の終わりに、二人はお互いの存在だけで自分たちの世界を完璧に満たしていくのだった。
◇◇◇
白澤に特盛りの甘やかしを注がれた夜が明け、薬局の奥には穏やかな朝の光が差し込んでいた。
昨夜の熱を思い出すだけで顔が火照る名前は、白澤の腕の中からそっと抜け出し、身なりを整えて店へと向かう。そこには、すでに朝食の準備を終えた桃太郎が、妙に真剣な顔で鍋を混ぜていた。
「……あ、名前さん。おはようございます。体、もう大丈夫ですか?」
「おはよう、桃タローさん。うん、おかげさまで。昨日は本当にありがとう」
名前が努めて普通に席に着こうとした、その時だった。
背後から、上裸に白衣を羽織っただけのまだ寝癖のついた白澤が、ふらふらと現れて名前の肩に顎を乗せた。
「……んん……名前ちゃん、起きたなら言ってよ。寂しいじゃないか……」
そのまま当然のように名前の腰に腕を回し、首筋に鼻を寄せる。
昨夜の独占欲全開なモードを引きずっているのか、隠す気もなさそうな抱きつき方に、桃太郎の手が止まった。
「……あの、白澤様。一応ここ、職場でもあるんですけど。……あと、名前さんの首元、隠しきれてないですよ。今時そんなひどいマーキングするやつがいるか」
鋭い指摘に、名前は悲鳴を上げそうな勢いで首元を押さえる。
白澤はといえば、全く悪びれる様子もなく、にやりと笑った。
「あれ、おかしいな。これは『マーキング』じゃなくて、頑張った女神様への『勲章』のつもりだったんだけど」
「それを世間ではマーキングって言うんですよ!!」
桃太郎のツッコミが響き渡るなか、名前は真っ赤になって俯く。
左手の指輪は、白澤の満足感に呼応するように、朝の光を浴びて誇らしげに熱を持っていた。
「……ほら、名前ちゃんも『大好き』って言ってよ。昨日の続き、まだ聞き足りないな」
「もう、白澤様……! 桃タローさんの前で言えるわけないじゃないですか……っ」
「いいよ、小声で。……じゃないと、今日の仕事中ずっと耳元で囁き続けるよ?」
「……っ、っ……だい、すき、です……」
消え入りそうな声で告げると、白澤は満足そうに目を細め、ようやく名前を解放した。
「よし、補充完了。桃タローくん、今日の中華粥は昨日のより辛めにして。僕の気分に合うやつ」
「自分でやれやこの淫獣!! 名前さん、本当に苦労しますね……」
呆れ果てる桃太郎だったが、名前の顔に浮かぶ、疲れを忘れさせるほどの幸せそうな微笑みを見て、それ以上は何も言えずに溜息をついた。
窓の外では、今日も地獄の補佐官が本日の予定を抱えてこちらに向かってくる足音が聞こえる。
世界を整え、愛する人に整えられる。
そんな、騒がしくも愛おしい二人の新しい一日が、また始まろうとしていた。
「………白澤さま、起きて。小鳥が鳴いています。また部屋の窓辺に穀物ばら撒いたまま片付けずにそのままにしたんでしょう」
名前の部屋のベッドで当たり前のように隣に添い寝している男の髪を撫でるように梳く。全く起きる気配のない男をしばらく揺すっていたが、諦めてキスで起こそうと顔を近づければ、ばちりと目があってそのまま布団に引きずりこまれる。
「……きゃあ!?ちょっと!起きてるじゃないですか!」
布団の中に引きずり込まれたまま、くぐもった声で文句を言えば、寝起きの掠れた声が返ってくる。
「……起きてるよ。小鳥がうるさいから目は覚めてた」
目を細めて、至近距離で名前を見る目はまだ半開き。
「でも、起こされるの待ってた♡」
髪を撫でられた余韻を楽しむように、指先で彼女の指を絡める。
布団のなかで、白澤は名前をぐっと抱き寄せ、その額を自分のそれへと軽く合わせた。
「朝一番に顔が見られるの、うれしい」
ストレートすぎる告白に胸がときめくのを感じながら名前は私も、とはにかんだ。
甲高いさえずりが聞こえる方へと顔をやった男は白く照らされたひらっきぱなしの空間を見て、そのまま伸びをし満足そうに笑う。
「引き戸、もう意味ないね」
「意味ありますよ?喧嘩した時閉められるから。まだ喧嘩したことないですけど…」
そう返せば男はこちらに頭を向けて、ぐりぐりと強めにすり寄ってきた。
「閉める日が来たら、僕が向こう側から三回ノックする。一回目は『反省』、二回目は『謝罪』、三回目は『好き』」
笑いながら囁く彼の声は、朝の光のように柔らかい。
キスで起こすつもりだったんでしょ?とわざとらしく再度目を閉じた男にくすくすと笑う。
「……はい、そのつもりでした。でも、もう起きてらっしゃるから、いらないですよね?」
「いらない? そんなわけないでしょ、おはようのキスは別枠」
頑なに目を閉じている彼が可愛くって、悪戯っぽく見つめて鼻が触れ合う距離まで近づき囁いた。
……一回目は「朝ですよ」
優しく唇同士が触れるだけですぐ離れる。
二回目は「起きてください」
さきほどよりゆっくりと、体温と柔らかさを確かめるように唇を合わせる。
三回目は…「大好き」
さらにゆっくり、浅く、長く、鼻を擦り合わせるように角度を変えながら柔らかさを食む。唇だけ離れたが顔はほぼ触れ合う距離で愛おしげに視線を絡め、これがおはようのキスですと言えば、蕩けるような笑みを浮かべた白澤が両手で頬を包み込んでお返しをくれる。
一回目、「おはよう、名前ちゃん」
鼻先をくすぐるようにすり寄せ、
二回目、「今日も隣にいる」
両頬をもちもちと柔く揉まれる。
三回目。
「ずっと…大好き」
触れるだけの、羽のような口づけ。
幸せで潤んだ瞳がゆらゆら揺れて交わる。
「ふふ、引き戸のノックよりこっちがいいです。喧嘩したくないからノックは一生聞きたくないです…もうあの扉、閉めないで…」
そう言ってふたたび甘美な柔らかさを堪能しようと顔を近づけ…
「一回目!早く起きろ!」
ドゴオォォォォォンンンン!!!!!!!!
甘い空気を切り裂くように、店側へ繋がる扉が猛烈な勢いで叩き開けられた。
金棒で扉を壊さん勢いで開けた男は「二回目!おはようございます!(金棒で床を殴り)三回目!さっさとしろ!(ベッドで名前を抱き締めている白澤だけを器用に金棒で殴り)約束の時間過ぎてますよ!!!!今日は名前さんが各地の浄化をして回る日でしょう!!!!さっさと彼女を離せ色ボケ白豚」と叫んだ。
鈍い音と共に、白澤だけが見事に吹き飛ぶ。
地獄の第一補佐官・鬼灯はフンと鼻を鳴らして肩に金棒を担いだ。
「痛っ……。鬼灯、ノックの概念知ってる?」
「ノック?しました。きちんと3回」
床にめり込んだ白澤が抗議するが、鬼灯はぴくりとも笑わない。
なんで挨拶が2回目なんだよボケナス、と細かいツッコみを入れながらのそのそ起き上がる白澤を尻目に鬼灯はベッドに座り込んだままの名前を見る。
「名前さん、今日は各地の浄化依頼が溜まっています。本日中に三地域」
半年間で暴走ゼロ。今日はあなたが“救う側”として世界を整える日です。泣きながら壊していた頃とは違うでしょう?
少しだけ声音を柔らげた鬼灯に、手櫛で髪を整えた私も笑みを返す。
「はい。………鬼灯様とも、こうして普通にお話しできるようになって良かった。鬼灯様を邪気祓いしちゃってたら地獄が終わっちゃうところでした。あなたは地獄になくてはならない存在なので。……わたし、きっと衆合地獄に行くより…今の方がお役に立ててます。こっちを選んだこと、咎めないでくれてありがとうございます」
にこ…と名前が笑うと、鬼灯も表情を和らげて見つめ返し、良い雰囲気に包まれる。
左手薬指の輪が咎めるようにキツくなり、一瞬眉を顰めた名前は幸せそうに笑う。
「…ッ、あんまり見つめ合ってるとかわいい神様がヤキモチ妬いちゃうので…この辺りで、すみません」
「………あなたも物好きですね。こんなののどこが良いんだか」
「こんなのってなんだよ」
すたすたとベッドまで戻ってきた白澤は名前の隣に腰掛け、左手を持ち上げて指輪に唇を落とした。物好きでもなんでもいいよ。僕は選ばれたんだから。
名前の指輪がきゅ、と温かく締まる。それに呼応するように白澤の輪も淡く光る。
「初仕事、僕も同行する。上手くできたら頭撫でて、ちゃんと目を見て、たくさん褒めてあげるからね」
「はいはい。惚気は移動してからにしてください。世界を巻き込むほど甘やかさないことですね」
「善処する」
手を引かれて立ち上がる。
この人が隣にいてくれる。私だって世界の役に立つんだ。
◇◇◇
夜…ふらふらで歩けない名前をお姫様抱っこで抱えた白澤が薬局のドアを足で開ける。
「あ!おかえりなさい!うわ、大丈夫ですか!?お疲れ様です…!ニュース見ましたよ!名前さん大活躍!避難してた人たちも戻ってこられるくらい浄化されたって…」
慌ててソファを片付け、名前が横になれるようにスペースを開けながら尊敬の眼差しを向けてくる桃太郎。
「ありがとう…ニュースでやってたの?全然気づいてなかった…必死で…ふふ、お役に立ててよかった…」
名前をソファに横たえた白澤は、彼女の髪を優しく整えた。
「今日は満点。歩けなくなったのは、全力で世界を整えた証拠。誇っていい」
完璧だったよ。そう言って大きな手で撫でられ、嬉しさが口角を上げる。
桃太郎がぶんぶん頷いてきらきらした目で名前に近寄った。
「すごかったですよ!なんかこう……光がふわーって広がって、でも強い感じじゃなくて!避難してたひとたちも“あれ?平気だ”って顔して戻ってきてました!」
嬉しくてにやにやと口角が上がってしまうのを隠すが、指輪は淡く光っているので白澤にはバレバレだ。
白澤の横で興奮気味にニュースの内容を話していた桃太郎は、にこやかな顔を固定したままの上司が無言で見つめてきていることに気付いてハッとして咳払いした。
「そ、そうだ!夕飯用意してます!消化いいやつ!あと甘さ控えめの温かいお茶!」
「え、ありがとうございます…わ、良い匂い」
桃太郎が運んできた大きな鍋を見て上体を起こす。具沢山の中華粥がぐつぐつとおいしそうな湯気を立てている。
「!!わーい中華粥!ありがとうございます!嬉しい〜!大好き!!!!」
桃太郎が照れたように赤くなって鼻の下を擦っているのをニコニコ眺めていると、左手の指輪がズキズキと締まる。
びっくりして指輪に目をやり、そのままムッとした表情の白澤を仰ぎ見た。
白澤さま、こんなことで妬かないでくださいな、大好きなのはお粥に対してですよ?こそっと囁けば、名前にあーんをしようと匙を差し出していた白澤の眉がぴくりと動いた。
「妬いてない」
いや、妬いてるじゃん。
名前と桃太郎の心の声がハモった。
「……もう…桃タローさんのことも好きですけど…あいたたた、そういう好きじゃなくて!同僚で同居人で頼れる先輩って意味です!…さっきの大好き、はお粥に対してです!もー…聞いてよ桃タローさん!白澤様がヤキモチ妬くとね、この指輪がギューって締まって、熱くなるの!物理的に束縛してくるというか…外せないから見てないけど、絶対跡になってるよ、これ〜」
軽く言ってみせるが、桃太郎がドン引きの顔で白澤を見ている。
そういう好きじゃないってわかってるよ、もしそういう好きだったらもっと強めに締まる。拗ねたようにそう吐き捨てる白澤に、さすがの名前も若干引いた顔でえっ…もっと締まることあるのこれ…と自分の手を守るように握りしめた。
「……安心して。締まる前にちゃんと口で言うから、妬いてるって」
「本当ですか?痛いのは嫌ですよ?…それにしてもこのおかゆすごく美味しい…染みる〜…桃タローさん料理上手だね、ありがとう…!」
目の前の神獣の目つきが鋭くなるのと同時、指輪が熱くなって思わず笑ってしまう。
…もー、これもだめなの?口で言うんじゃなかったんですか?くすくす笑いながら、匙を咥えて見つめれば、少し口ごもったあとぽつりぽつりと目をそらした白澤が白状した。
「……君が世界規模で必要とされ始めた。それが少しだけ…落ち着かなかったんだ。君が誰かの救いになるたび、世界が君を欲しがる気がして。だから帰る場所を確認したかった」
鬼灯にも、避難民にも、ニュースの向こう側の人間にも必要とされてる。
“僕の隣”だけの存在じゃない。
それが少しだけ、ほんの少しだけ、落ち着かなかった。
鬼灯や桃タローくんに向ける感謝も、世界への優しさも、別にいい。
“そういう好き”が僕だけって今みたいに言ってくれれば、それでいい。
まるで自分に言い聞かせるかのような「それでいい」に名前は目を丸くした。
「まさか…世界に妬いてたなんて。
………お言葉ですけど、それ、私がずーっと白澤様に思ってたことですよ。神獣白澤。妖怪の長。吉兆の印。薬学の権威。世界に必要とされている存在……しかも来るもの拒まずの女好き!私が最初から諦めてたのも仕方ないですよね?まともに向き合ったら世界と戦わないといけないんだもん」
やっと気持ちわかりました?と悪戯っぽく笑って続ける。
「これでようやくおあいこですね。ふふ、白澤様と対等になれたみたいで嬉しい」
………ヤキモチ焼きの可愛い恋人が心配しないように、もっかい食べてあげても良いですよ?からかうように言ってあーんと口を開け、上目遣いで待つ。
白澤は一瞬呆気にとられたが、やがて負けを認めるように笑った。
「そっか、世界と戦う気分だったんだ僕を好きでいるの。それは……悪いことをしたね」
彼は最後の一口を名前の口へ運ぶ。
僕らふたりとも、世界に妬いてたんだ。おそろいだね。
口元に付いた粥を親指でそっと拭う。
「僕たちはふたりとも、ちゃんと隣に帰る」
指輪はもう痛むことはなく、ただ二人の体温を繋ぐように、穏やかで温かな光を放っていた。
◇◇◇
白澤と桃太郎が片付けを終えてそれぞれ自室に引き上げ、薬局の奥にある各々の部屋には、静かな月光と行燈の柔らかな光だけが満ちていた。
名前は白澤に促されるまま、洗い立ての清潔なシーツが敷かれたベッドに横たわっている。今夜も当たり前のように引き戸は開かれたまま。
白澤は彼女の隣に腰を下ろし、熱を帯びたままの名前の左手をそっと取った。
「さて。約束通り、一つずつ褒めてあげる。まずは先輩神獣として」
白澤は彼女の手を自分の頬に寄せ、愛おしそうに目を細める。
「一件目。あそこは邪気の密度が不規則だったけれど、君は無理に抑え込まず、波に合わせるように出力を調整したね。あれで避難していた人たちの不安が、スッと消えたのが分かった。……とても、優しくて完璧な采配だった」
一つ目の褒め言葉と共に、彼女の指先に柔らかな口づけが落ちる。
「二件目。結界の境界線ギリギリまで浄化を広げた時、君は自分の体力を削ってまで、端にいた小さな祠の汚れまで払ったね。君のその心が、あの場所を本当の意味で整えたんだ」
二つ目の言葉。白澤は彼女の目を見つめ、ゆっくりと髪を撫で上げた。
「そして三件目。一番の難所だったけれど、君は一度も僕を振り返らなかった。僕に頼らず、自分の力で均衡を保てると信じていたからだよね。……その背中は、僕が知るどの神よりも気高く、美しかった」
三つ目の言葉が紡がれると、名前の左手の指輪が、呼応するようにトクン、と温かく波打った。それは束縛の痛みではなく、深い充足と愛の証だった。
「…次は、恋人として」
白澤の声音が一段と低く、甘くなる。彼は名前の体に覆いかぶさるようにして、耳元で熱い吐息と共に囁いた。
「今日、鬼灯と親しげに話している君を見て、僕は醜いくらいに焦ったよ。世界が君を認めれば認めるほど、僕だけの名前ちゃんが、どこか遠くへ行ってしまうような気がして」
彼は彼女の耳たぶを優しく食み、そのまま首筋へと唇を滑らせる。
「でも、君はちゃんと僕を叱ってくれた。ヤキモチ焼きの恋人、なんて言って。……その言葉に、僕は救われたんだ。世界を整える君も素敵だけれど、僕を手のひらで転がしてくれる君が、一番愛おしい」
白澤の手が名前の腰を引き寄せ、密着させる。
「ヤキモチ、もっと妬かせていいよ。そのたびに僕は、君を独り占めする理由を見つけるから」
「……白澤、さま……っ」
「いい声。……その声も、僕だけのものだよね?」
白澤はにやりと笑い、彼女の指輪に自分の指輪を重ねた。二つの輪が重なり、眩いほどの光を放つ。
深く、深く重なる唇。
世界を整えた一日の終わりに、二人はお互いの存在だけで自分たちの世界を完璧に満たしていくのだった。
◇◇◇
白澤に特盛りの甘やかしを注がれた夜が明け、薬局の奥には穏やかな朝の光が差し込んでいた。
昨夜の熱を思い出すだけで顔が火照る名前は、白澤の腕の中からそっと抜け出し、身なりを整えて店へと向かう。そこには、すでに朝食の準備を終えた桃太郎が、妙に真剣な顔で鍋を混ぜていた。
「……あ、名前さん。おはようございます。体、もう大丈夫ですか?」
「おはよう、桃タローさん。うん、おかげさまで。昨日は本当にありがとう」
名前が努めて普通に席に着こうとした、その時だった。
背後から、上裸に白衣を羽織っただけのまだ寝癖のついた白澤が、ふらふらと現れて名前の肩に顎を乗せた。
「……んん……名前ちゃん、起きたなら言ってよ。寂しいじゃないか……」
そのまま当然のように名前の腰に腕を回し、首筋に鼻を寄せる。
昨夜の独占欲全開なモードを引きずっているのか、隠す気もなさそうな抱きつき方に、桃太郎の手が止まった。
「……あの、白澤様。一応ここ、職場でもあるんですけど。……あと、名前さんの首元、隠しきれてないですよ。今時そんなひどいマーキングするやつがいるか」
鋭い指摘に、名前は悲鳴を上げそうな勢いで首元を押さえる。
白澤はといえば、全く悪びれる様子もなく、にやりと笑った。
「あれ、おかしいな。これは『マーキング』じゃなくて、頑張った女神様への『勲章』のつもりだったんだけど」
「それを世間ではマーキングって言うんですよ!!」
桃太郎のツッコミが響き渡るなか、名前は真っ赤になって俯く。
左手の指輪は、白澤の満足感に呼応するように、朝の光を浴びて誇らしげに熱を持っていた。
「……ほら、名前ちゃんも『大好き』って言ってよ。昨日の続き、まだ聞き足りないな」
「もう、白澤様……! 桃タローさんの前で言えるわけないじゃないですか……っ」
「いいよ、小声で。……じゃないと、今日の仕事中ずっと耳元で囁き続けるよ?」
「……っ、っ……だい、すき、です……」
消え入りそうな声で告げると、白澤は満足そうに目を細め、ようやく名前を解放した。
「よし、補充完了。桃タローくん、今日の中華粥は昨日のより辛めにして。僕の気分に合うやつ」
「自分でやれやこの淫獣!! 名前さん、本当に苦労しますね……」
呆れ果てる桃太郎だったが、名前の顔に浮かぶ、疲れを忘れさせるほどの幸せそうな微笑みを見て、それ以上は何も言えずに溜息をついた。
窓の外では、今日も地獄の補佐官が本日の予定を抱えてこちらに向かってくる足音が聞こえる。
世界を整え、愛する人に整えられる。
そんな、騒がしくも愛おしい二人の新しい一日が、また始まろうとしていた。
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