鬼灯の冷徹
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しばらくして、名前がうっすら目を覚ます。体中が暖かいものに包まれて、桃の良い香りがする。
「………ん…ここは…………」
視線だけを起こしてあたりを見渡す。
暖かい日差し…豊かな緑…桃の木………
ふと、自分が一糸纏わぬ姿で地面に倒れていることに気づく。
えっ…?あれ、なんで?
自身をちゃんと見ようと頭だけ持ち上げると、遠くから何かが駆けてくる音に気づく。
そちらを見れば、見慣れたカラーリングの男がだんだん近寄ってくるのが目に入り、思わず立ち上がって駆け寄ろうとした。
「…ッ白澤様………っあ?」
立ち上がれず、ベシャっとその場に崩れ落ち地面に這い蹲る。
………身体、重………!?
駆け寄ってきた足音が、すぐ目の前で止まり、白澤が膝をついた。
「……っ、無理するな」
すぐに上着を脱いで、その身体を包み込む。
「生まれたてなんだから、立てるわけないでしょ」
新しく得たばかりの生まれ変わった身体は、見た目こそ大人の女体なのに、赤子のようにふにゃふにゃで、全く力が入らない。
困惑する名前を白澤がそっと抱き上げる。腕の中にすっぽり収まった身体は羽衣のように軽い。
魂の重さはあんなに必死だったのにね。
そう言った白澤は幸せそうな笑顔で見下ろす。
思うように身体を動かせない名前は、体も充分重いです…とごちた。
大人しく抱きかかえられている名前の頭をひと撫でして、男は一際優しい声を出した。
「欢迎 !ここは桃源郷。僕の領域。ちゃんと天国だよ」
名前ちゃんが選んだ結果。
腕の中で力の入らない身体を支えながら、額に掛かった髪を払う。
「新しい身体は慣れるまで少しかかる。赤子みたいなものだからね。
でも大丈夫。僕がいる」
包み込む腕に、ほんの少しだけ力を込める。
「さっき、あんな必死な声で呼んだくせに、起きた瞬間ひとりで立とうとするなんて。……強がり」
何とも言えない顔をしている名前と目が合い、愛おしそうに笑って、覗き込む。
「…………怖い?それとも、安心してる?」
「………何が何だかまだわかってないです…」
正直な気持ちを呟いた。
力の入らない手でそっと白澤の服を掴む。
「私、生まれ変わったんですかね…?
天国にして良かった………地獄にしていたら今頃この姿で閻魔殿に転がってたかもしれないってことですよね………鬼灯様に見つかったら多分足蹴で転がされてました」
真顔で言えば、ついに白澤が声を上げて笑った。
アイツもそこまで非情じゃないと思うけど。
珍しく宿敵を擁護しながら肩を揺らしてひとしきり笑うと、はぁ、と幸福な息をついた。
「でも本当、ちゃんとこっちに来てくれて良かった」
「…………ふふ、白澤様、あたたかい」
「……ぐ………本当に、煽るのが上手だなぁ」
桃の香りが風に乗る。
私の頬をつんつんと突いていた白澤様が改めて真面目な顔をして見下ろしてくる。
「名前ちゃん。ここからは“会いに来る関係”じゃない。本当に、隣で生きる」
しっかり抱え直して、適当にかかっていた白衣の襟を整え、壊れ物を扱うようにちゃんと着せてくれる。
「……まずは身体を慣らそう。覚悟はしたけど、いきなり歩けなくてもいい。
ほら……ちゃんと掴まって」
生まれ変わった、というよりは“昇華”という言葉がしっくりくる。
やさしく説くように。白澤が今の状況をぽつりぽつりと簡単に教える。
禊を終えて、魂が正式に天界の存在になったこと。
今の身体は、天の気で編まれたばかりで見た目は大人でも、中身はほぼ新生児。だから力が入らないのは当然だということ
説明しながらでボタンを留めていく慣れた手つき。
そんな些細なことにも心がちくりとするけど、もう信じるって決めたから。口には出さない。
前を留めて最低限身体が隠れたことを確認した白澤は小さく頷き、膝の上に名前を乗せたままゆっくり桃の木の根元に腰を下ろした。
さわさわと心地よい風がやわらかく頬を撫でる。あったかい。白澤に擦り寄ってそう漏らせば、軽く瞬きをした白澤が考えるように上を向いた。
「……あたたかい?それ、僕の体温じゃないな。
桃源郷そのものの気。歓迎されてるんだね」
すりすり、と頬を指の背で撫でられる。そんなに撫でられたら顔がなくなる。
そう思うくらい飽きずに撫でられる。
「天国にして良かった、って言ったね。……後悔してない?」
僕の隣に来たこと。
改めて、静かに問われる。
今、幸せ?と。
「はい、白澤様と一緒にいられて…幸せです」
花が綻ぶように笑うと、名前の頭頂部からはらはらと桃の花びらが舞う。
驚いて頭上を仰ぐ。
名前から甘い桃の香りが漂って、白澤の双眼が細められた。
「……ああ。原来如此 」
落ちてくる花びらを指で受け止め、確かめるように2本の指ですりつぶす。
「名前ちゃん。君、ただの天人じゃない。桃の神格が付与されてる。
……桃源郷に迎え入れられた存在。しかもこの香り……上位だね」
漂う甘い香りに目を閉じて、白澤は考える。
桃の花の神。
僕の領域に、最も相性のいい神性。
……ずいぶん粋な采配だ。
今、桃源郷の気が全部彼女に呼応してる。
木々がざわめいてる。
世界が彼女を歓迎している。
「……地獄じゃなくて正解。ここはもう、君の居場所でもある。僕の“客”でも“庇護対象”でもない。桃源郷の一柱」
小さく笑って鼻先に口付ける。
「僕の隣の神様。どう?さっきより少し、意味のある存在になった気分は?」
心配ごと、解決したね?
そう笑えば、ぱちくりと彼女が瞬いた。
「桃の花の神…?桃の実の神様はいらっしゃると記憶していますが…花の方はいないのでしょうか?桃の花の…え?私も神様に…?」
私も、神様…に………
再度噛み締めるように繰り返し、ぶわっと花吹雪が溢れ出る。
嬉しい………私、白澤様の隣にいて良いんですね…!とひとりごとのように呟く。
気持ちの昂りに合わせて桃の花びらがどんどん溢れて、くらくらするくらい甘い匂いも満ちる。
「……こらこら。喜びすぎ。桃源郷が糖度過多で酔いそう」
軽く指を鳴らすと、舞いすぎた花びらがやわらかく地に還る。
本当にもう、かわいいのも加減して。
そう言いながら優しく髪を撫でる。気持ち良さそうに瞳を閉じて甘んじて撫でられている姿を見るだけで身体が甘く痺れる。本当に僕、どうかしちゃったな。
「桃の実の神はいるね。でも“花”は象徴。開花、始まり、縁を結ぶ兆し。実より前の段階」
つまり——
可能性の神格。
「名前ちゃんは、完成された果実じゃない。これから開く存在。だから花。だから強い」
甘い香りに少しだけ喉を鳴らす。
ねっとりとした甘い酒を全身に浴びているようだ。
「……自覚ある?今の君、僕の理性にちっとも優しくない」
軽く笑って、鼻先をつつく。
そうやって誤魔化さないと、白澤の理性は今にも崩れ落ちそうだった。
自分で出した花びらを不思議そうに眺めている名前に、安心させるように柔らかく微笑む。
「神様、だよ。ちゃんと神性が宿ってる。桃源郷が受け入れた証拠。
だから、“僕の隣にいて良い”んじゃない。もう対等に並んでるんだよ」
頬に触れ、そっと額を合わせる。
「嬉しいって感情で花が溢れるなら、悲しみで枯れることもある。怒りで嵐にもなる。
それが神。感情が世界に影響する存在」
……怖い?
優しく覗き込まれ、名前はゆるく首を振る。
「怖くないです、白澤様が一緒にいてくれるなら」
きゅ、と白澤の服の裾を握る。
白澤の顔が嬉しそうにゆるむ。
そっか、と頭を撫でて、考え込むように視線を斜め下に流す。
「君の最初の開花が『隣にいて良いんですね』でよかった。“欲”じゃない、“安心”。それなら大丈夫」
お姫様抱っこの体勢から、名前を自分の膝の上で向かい合うように座らせる体勢に抱き直して、正面からゆっくり抱きしめる。
名前ちゃん。
今日から君は、桃源郷の桃の花の神。
そして——
僕が選んだ、唯一。
言い聞かせるように伝えられ、額に口付けられる。
「私、今日誕生日だったけど………本当に産まれちゃった。白澤様の隣に…生まれ変わっちゃった…」
「……本当に、生まれたね。誕生日に、神様として。しかも僕の隣に。
……運命って言うと陳腐だけど、これはなかなか出来すぎだ」
「ね、白澤さま?これからも毎年お祝いしてくれますか?」
桃の蜜のように甘い涙を一筋流し、とろけるような笑顔で見上げれば、雫に口を寄せて吸い取った白澤が甘く笑む。
「当たり前でしょ。今まで通りの誕生日も、神になった今日という日も、両方祝うよ」
倍になるから覚悟して。
そう囁けば、名前の頭上からまた花びらが舞い、甘く甘く笑顔がとろけた。
白澤は一瞬息を呑んで、視線を逸らす。
「……その顔、ほんとに危険」
舞い続ける花びらを見上げ、くすくす、おかしそうに笑うと、甘い匂い、少し抑えられる?このままだと、天界中の連中が寄ってくる。と冗談めかして聞かれる。
が、やり方がよくわからない。
「………抑え方がわからないです…この花吹雪も、気持ちバレバレで恥ずかしいからなんとかしたい…」
ずっとはらはら待っている花びらを困ったように見上げながら零せば、またおかしそうに声を上げて笑われた。
「抑え方ね。神性は感情と直結してる。
今は“嬉しい”“安心”“好き”が暴走してる状態。気持ちが世界に出るのは悪いことじゃない。でも全部垂れ流すと無防備になる。君はもう神だからね。守り方も覚えよっか」
そっと名前の背に手を当てる。
「まずは深呼吸。僕を見る。僕に意識を集中。外じゃなくて、内側」
背に当てた手を滑らせる。
「桃の木を思い浮かべて。満開じゃなくて、蕾。まだ閉じてる柔らかい蕾…咲くのは自分の意思。風任せじゃない。花は、散らすものじゃない。“咲かせる”もの」
今は閉じて。
僕だけに香ればいい。
神気がやわらかくなり、舞っていた花びらが少しずつ減っていく。
「……ほら。少し落ち着いた」
背を優しく撫でられる。
言われた通りに想像し、コントロール出来て一息ついたところで、今度は髪が頭頂部から毛先まで薄っすら桃色に色づき、名前はまた目を丸くした。
「……わ、頭ピンクになっちゃいました。白澤様とお揃いの黒髪がよかったな………」
ふわり、と桃の甘い香りが漂う。
自分の毛先をつまんで残念そうに呟けば、白澤もそっと毛先をを指先で掬い、愛おしそうに梳かした。
「……綺麗。淡い桃色…咲き始めの花みたい。アハハ、黒髪がよかった?」
僕とお揃いかぁ…呟いて、少しだけ目を細める。
「名前ちゃん。神性はその個が“発現”した唯一のもの。
僕に合わせて黒くなるより、君自身の色が出た方が、ずっと価値がある。それにお揃いなら、もうあるよ」
指先で自分の胸に触れ、次に名前の胸元へ軽く触れる。
じわり、と熱が広がる。
「お互いを想う気持ち。お揃いでしょ?」
首を傾げ、少し距離を取って全体を見て、でも、と続ける。
「どうしても黒がいいなら、一時的に抑えることはできる。神は外見も調律できるからね。僕も本当は白いし」
白澤は自分の髪を摘んでみせる。
綺麗なストレートの黒髪が一房、ふわっと白い獣毛になり、またすぐ黒く戻る。これは“化ける”であって本質的に“変わる”わけじゃない。
名前の髪を指先に絡めて、額を軽く合わせる。
視線が絡む、とろける。
「僕はこの色好きだよ。僕の隣に咲く花が黒だったら、嫌かも(笑)……桃源郷の中で一番似合う色してる」
丁寧に梳かすように手櫛で髪を掬ってははらりと落とす。
「黒髪の僕の隣に桃色のキミ。対になってると思わない?お揃いじゃなくてもお似合いではあるんじゃないかなぁ」
やわらかく微笑む。
「……それでも嫌?」
「白澤様が好きって言ってくださるなら、私も好きです」
とろけるような甘い声で言って幸せそうに笑い合う。
またしても花びらが舞っている。
甘くて穏やかな香りが二人を包む。
「………酷い空気ですね」
そんなやわらかい雰囲気を引き裂くような、天国に不似合いのバリトンが地を這った。
「………! 鬼灯様…!?」
突然現れた鬼灯を驚いて見る。
随分具合が悪そうに口元を手で押さえて、不機嫌そうに立っている鬼神は睨むように白澤を見た。
「物凄い浄化の力…すべての邪気を祓う存在………桃の花、ですか。
名前さん。あなたの禊が急に終わったと連絡があって、慌てて迷子の魂がないか探していたんですよ。地獄に迎え入れる約束をしていましたから。それが…これは………」
眉間に皺を寄せた鬼灯が、明確に白澤を睨みつけた。
「自分が何をしたかわかってるのか、このクソ豚」
ビリビリと怒気が肌を粟立てる。
鬼灯の声に身を竦ませる名前をあやすように抱き寄せて頭を自身の胸に埋もれさせ、ふっと肩をすくめる白澤。
「……ご挨拶だな」
ピリ…と白澤からも鋭い覇気が飛ぶ。
名前を抱いたまま、視線だけ黒い鬼神に向け、強めの語気で吐き捨てる。
「浄化が強いのは仕方ない。生まれたてだから制御が甘いだけ。そのうち落ち着く」
鬼灯の眉間の皺が深くなるのを見て、くすっと笑う。
「迷子の魂?残念でした。ちゃんと選んだよ。本人が」
僕の隣を。
勝ち誇ったように口角を上げる。
彼女は自分の意思で天国を選んだ。
……まあ、最後に手は伸ばしたけど。
鬼灯が浄化に酔って足元がふらついているのを馬鹿にするように嗤う。
「辛いならさっさと帰れば?今の名前ちゃん、お前には刺激強いよ」
心配げに白澤を見上げる名前の背を軽く撫でる。
大丈夫。キミは悪くない。
「約束があったのは知ってる。でも最終選択は本人だ。
文句があるなら、正式に天界へ抗議どうぞ。
桃源郷の神格付与は上の裁定。僕の独断じゃない」
……とはいえ。
からかうような顔を少しだけ真面目に澄ました白澤は、辛そうに重心が傾いてきた鬼灯へ淡々と告げる。
「名前ちゃんは地獄と縁が切れたわけじゃない。交流は可能。仕事上の行き来もできる。…完全に奪ったわけじゃないよ」
白澤が名前の頭を撫でる。鬼灯の顔がゆがむ。風が吹いているわけでもないのに、ざり、と草履がすべって一歩後退した。
「で?用件は確認だけ?それとも、祝福しに来た?」
じとり、と白澤が目を細める。腕の中の名前がハラハラと二人を交互に見やる。
鬼灯の顔色がさらに悪くなり、白澤をにらみつけたままさらに一歩下がって、荒くなり始めた息交じりに名前へ言葉を投げかける。
「………その男が嫌になったらいつでも地獄へおいでなさい、と言いたいところですが…今のあなたが来たら並の獄卒は倒れて使い物にならなくなる。もう少し抑えられるようになったら連絡してください。いつでも迎えに行きます。………彼女が無事ならそれでいいです。行き先を間違えてないか探していただけなので。帰ります。」
少しふらつきながら去っていく黒地に逆さ鬼灯。
小さくなっていくその背を見つめたまま「………私が口を開くだけでお辛そうにするからお礼も言えませんでした…色々相談に乗ってもらっていたのに…」と零す。我ながらさみしい声が出た。
申し訳無さそうに鬼灯を目で追っている名前を見下ろした白澤は軽く息をつく。
「桃と相性悪いんですね、鬼って」
「そうだね…仙桃は普通に食うけどなアイツ」
名前の背を軽く撫で、もう見えなくなった鬼が去った方を白澤も見つめる。
「……律儀だよ、あいつは。本当に迷子になってないか、確認しに来ただけ。口は悪いけど」
ほら、と空気を切り替えるようにポンと背をたたかれて、白澤に目を戻す。
「お礼は今じゃなくていい。今の君は浄化が強すぎる。鬼に桃は天敵みたいなものだからね。
相性が悪いというより、効きすぎる。君の存在そのものが、鬼には眩しすぎる」
甘い匂いに吸い寄せられるように、白澤は名前の髪に顔を埋める。
表情は見えない。
「僕が嫌になったら地獄へおいで、だって。キミが地獄へ行く未来は、僕が嫌われたときだけ。
……そのときは僕が全力で反省する。だから、ずっとここにいて」
情けない声だった。
桃の香りがふわりと揺れる。
「……また香りが強くなってる」
白澤の声が震える。
強い甘い香りは、感情が揺れると出る。
「……鬼灯のこと、好き?地獄を選ばなかったこと、少し名残惜しい?」
腕の中に閉じ込めるように、ぎゅうと抱き締められて、白澤の頭が名前の柔らかい体に埋まる。
「……好き、というより感謝しています、現世でのことも色々お世話になって…本当に、私が消えずに済んだのは鬼灯様のおかげなので」
多く語らない過去に思いを馳せる。
あの時、鬼灯様がいらっしゃらなければ現世での禊なんかでは落ち着かず、もっと酷いことになっていた。
禊で赦されたのは彼のおかげ。
ぎち、抱き締められた身体がさらにきつく抱き寄せられる。
胸の双丘に完全に埋まった白澤が、さっき消えずに済んだのは僕のおかげだよ、と対抗するように唸った。顔を完全に埋もれさせているので表情は見えないまま。
そうですね、ありがとうございます、という気持ちを込めてまぁるい後頭部を撫でようと手を伸ばしたら、
……後悔、してないよね?
こんなに近くにいるのに聞き取れないくらい小さい声が、密着した身体に直接響く。
「………後悔?」
びっくりして、胸元の頭を持ち上げるように頬を掬う。
顔を上げた白澤があまりに不安そうな目をしているので息を呑む。
そんな顔初めて見た。
「後悔なんてしてないです!
白澤様の隣を選んで…こうしてまた産まれて…白澤様に抱き締められていて。
最高に幸せな誕生日です!!!」
思わず大声を出すとまた溢れ出る花びら。
本音であることの証明。
目元を赤くした白澤は花びらが舞う中、目を細める。
「……ずるい」
僕が不安になる余地、全部潰す。
小さく息を吐く。
不老長寿の神様でも、不安になるよ。
初めて自分から本気を差し出した相手には。
ぽふ、と柔らかい双丘に頬を乗せてこちらを見上げる神獣はとても幼く見えた。
「改めて言う。お誕生日おめでとう。神としての初日、おめでとう。
……そして。僕を選んでくれて、ありがとう」
「………私こそ。
選んでくださってありがとうございます、白澤様…」
とろり、桃の蜜が誘うように名前の瞳から溢れる。
お誕生日、お祝いしてくださって本当に嬉しい。良かった、あの時、会いたいって願って。
顎を伝って流れ落ちる桃の蜜をそっと舐めとられる。男が笑う。あまい。おいしい。
「僕が選んだし、君も選んだ」
桃源郷のあたたかい風が二人の前髪を揺らす。
「誕生日を祝うって、生まれたことを肯定すること。
君は今日、人としても、神としても、“生まれてよかった”って言える存在になった」
それが一番嬉しい。
優しく頬を撫でられる。
頬に添えた手に導かれて頭を垂れる。胸元にある顔に近づく。額同士がぶつかる。鼻先が触れる。
「これから先、何百年でも何千年でも何万年でも永遠に祝う」
重ねた額はそのままに、白澤が顔を少しずらして優しく口づける。唾液まで蜜のように甘く、白澤は一瞬だけ喉を鳴らすが、すぐ息を整え唇をそっと離す。至近距離で見つめ合った女は全身桃の香りを撒き散らしながら幸せそうに笑い、花びらが山になるくらい湧き出ていた。
「もう……名前ちゃん…」
「…ふふ、白澤様やっとおくちにキスしてくれた」
「…………ッ……本当に…!」
僕がどれだけ我慢してると思ってるの!
そう言ってまた痛いくらい抱き締めてくる男に、我慢しなくていいのに…と漏らせば、悲鳴のような声で大事にしたいの!大事にさせてよ!格好つけさせて!と叫ばれた。思わず笑ってしまう。止まらない花吹雪。すっかり桃の花びらの山に埋もれたところで、長いため息をついた白澤が花の山を手で払いながら苦笑した。
「桃源郷が豪雪状態。嬉しいのは分かるけど、出力調整しよっか」
ほら、深呼吸。
僕を見て。
外に溢れさせるんじゃなくて、内側で循環。
そっと背に手を当て、神気を穏やかに整えるように囁く。
……よし。ほらね、少し落ち着いた。上手上手。
抱えていた腕をゆっくり緩め、二人で空に溶けていく花びらを見守る。
肩まで埋もれていた花びらが、ようやく膝くらいまで減ったところで名前が口を開く。
「………もう少しこうしていたいけど、歩く練習しないと白澤様に抱き抱えられながら移動することになっちゃうので…立つ練習、したいです」
「立つ練習、ね。[[rb:好的 > オッケー]]」
よっこらせ、と年齢相当な掛け声と共に立ち上がった白澤は、名前の両脇に手を添えてそっと地面に足をつかせる。
「力は“筋肉”じゃなくて“意志”。人の身体と違う。立とう、じゃなくて、「立てる」と決める」
桃の木を思い浮かべて。
細くても、根は強い。
地面に根を下ろす感覚。
足裏から気を流す。
手で抱き上げるように支えたまま、優しく教える。
焦らない。
倒れても受け止める。
僕がいる。
……ほら。
少し、膝に力入った。
上手だね。
白澤がそっと脇から手を抜く。
名前は自分の力だけで立っていた。
白澤様、教えるの本当に上手。先生に向いているかも。
どこか呑気にそんなことを考える。
少しふらつきながらも自立した女をうれしそうに眺めて、神獣が歌うように囁く。
歩けるようになったら、桃源郷を案内する。
僕の場所。
君の新しい居場所。
「でも今は……まずは一歩。僕の手を掴んだままでいい」
両手を取られ、本当に歩き始めの赤ちゃんみたいだ。
言われた通りにイメージして、一歩、二歩、と踏み出すと地面から足先を包むように蔓と葉が伸びて、桃の葉のようなデザインの靴となって爪先から脛まで覆われた。
「………わ!?靴、履けました!見て!」
「…上出来。桃の神格、ちゃんと機能してる。しかも可愛い」
よく似合ってる、そう甘く囁いて両手を引いて抱き留めるとご褒美とばかりに顔中口付けられる。
竜巻のように花吹雪が渦を巻いて二人を包む。
幸せ。あまい。しあわせ。
また至近距離で見つめ合って、自然と唇が重なりそうになったその時。
「おーい、白澤様〜!一体どこ行った………お客様が来てるんですよ〜……ワッ、なんだここ、すっごい甘い匂いする………、………!?!?」
大声で白澤を呼びながら探しに来た桃太郎が、白澤と、彼が抱き抱える女性を見つけ目を丸くする。
いつもの光景かと流そうとしたのに、女性が裸に白澤の白衣を羽織っただけの姿なのに気付き、赤面して慌てて目を逸らした。
「あ、アンタ………仕事サボって一体何やってんですか!?!?そ、そ、そんな全裸女性と…!?」
「えっ靴履いてます!」
そうじゃない、という回答をした名前に軽くコケながら、やれやれうるさいのがきた、とばかりに頭を振った白澤は、このひと、誰?と首を傾げて見上げてくる名前の額に小さくキスを落とした。
「サボってない。優先順位を入れ替えただけ」
名前を隠すように桃太郎に自身の背を向けて抱き締めたまま、目線だけ困惑する弟子に向ける。
「紹介するね。彼は桃タローくん。僕の弟子、薬剤師のたまご。こちらは桃源郷の新しい神…桃の花の神、名前。僕の隣に立つ存在」
さらっと言う好色家の上司に、またか…と顔を顰めた桃太郎だったが、その言い回しと態度に小さな違和感を抱く。
なんかいつもと違う。
不思議そうな顔で突っ立っている弟子を一瞥したあと、柔らかい笑顔で名前に向き直る。
ほら、もう立てるね。第三者の視線があると安定する。
なるほどたしかに、名前はさきほどよりもしっかりと地面を踏み締めていた。
「桃源郷の新しい神……?神様って新しくできるものなんですか?」
「…隣に立つ存在………」
会話が全く噛み合わない。
ぶわっと花吹雪が舞い、桃太郎が大袈裟に驚いて尻餅をついた。
「…はっ!いけない、また…ええと、はじめまして…桃タローくん?変な格好していてごめんなさい、まだ服がなくて…」
「ほらほら、出力。嬉しいワードに即反応しすぎ」
全くかわいいなぁ…とデレながら花びらを払い、名前と桃太郎の間に白澤が割って入ると、大きな身体でふたりの視界を遮断した。
身長差のおかげで白澤の白衣の裾は膝下ワンピースのようになっているが、胸元がだいぶ心許ない。それに気づいた白澤は白衣の合わせをグイ、と寄せて桃太郎から素肌が見えないようにしながら彼の質問に答える。
「新しい神は“生まれる”というより、“格が上がる”んだ。昇華、神格付与、いろいろ呼び方はあるけどね。珍しくはある。でも前例もある」
ほえ〜と新知識に感じ入っている素直な愛弟子を慈しみの笑みで見下ろし、いい子でしょ?と名前に笑いかける。
「ごめん桃タローくん、薬局から何か彼女が着れそうなもの持ってきてくれる?」
ハッと顔を再び赤らめた桃太郎が慌てて走り去る気配だけ感じながら(白澤が覆い被さるように立っているから周りがよく見えないのだ、)ノーパンノーブラで白衣だけ着ている姿を外で知らない人に見せてしまった…露出狂で捕まったらどうしよう、と明後日のことで不安になっていると、そんなこと全く知らない白澤が優しく頭を撫でて耳元にとんでもないことを吹き込んでくる。
さっきの“隣に立つ存在”で吹雪いたね。嬉しい?
何度でも言うよ。
僕の隣。
……照れずに受け止めて。
ぶわり、体温が上がる。
嬉しいに決まっている。
顔を赤くしてはにかむのと、自分が埋まるくらい花びらが積もって雪だるまのようになるのはほぼ同時。
「…わ、全身埋まっちゃいました。もうこれが服でいいのでは…」
頭だけ花山から出して困った顔で見上げてくる彼女が可愛くて愛おしくて、神獣が腹を抱えてゲラゲラ笑っているところに桃太郎が布を抱えて戻ってくる。
これ、白澤様の寝巻き…すぐにはこんなんしか見つけられなくて!と目線を逸らしながら名前に渡し、白澤を睨みつけ「おいアンタ!戻ったら自分でもっとまともな服渡してやってくださいよ!あと!お客様!来てるんですって!女の人が!3人も!軽く修羅場ってます!自分の蒔いた種は自分でなんとかしてください!」と叫んだ。彼にとっては日常茶飯事の要求だった。
だから、桃太郎の言葉を聞いて、降り積もっていた花びらの山がみるみる茶色く萎れていき、その場の空気が一瞬で冷えたことに大層驚いた。
……あーあ。
上司がため息をつく。
「出力、極端だね…嬉しいと満開、動揺すると枯れる。分かりやすい神様だなぁ」
しゃがみ、萎れた花びらを一枚拾う。
「名前ちゃん。見る。僕を見る。“女が3人”という単語に反応しすぎ。……お客さんだよ、ただの」
安心させるように目線を合わせる。
ほら。
花が萎れるってことは、不安と嫉妬が直結してる証拠。
でもね、僕らさっき何を覚悟した?
僕は選んだ。
遊びの位置に戻らないって。
枯らす前に、聞けばいい。
不安なら、不安って言えばいい。
花街で“たまに来てくれればいい”って言ってた子が、今こうして萎れるくらい本気になってる。嬉しいよ。
ほら、深呼吸。
萎れた花も、戻せる。
君は花の神。
枯らす神じゃない。
諭すように。
今日何度も聞いた、落ち着いたやさしいゆっくりしたトーン。
それでも、名前の瞳が揺れて、口を開けるも乾いて声にならない。桃色の髪まで茶色くなりかけている。
「………っ…お客さんにまでこんな…妬きたくないのに………嫌です、どうしよう。全員切るって言われたの、間に受けすぎてる………お客さんは別、って頭ではわかってるのに………」
「うん、うん、大丈夫…」
ゆっくり抱き締めて背中をとんとんと撫でられる。
茶色くなりかけた髪にさらさらと指を通す。
不安で揺れていた瞳が、2枚だけひらひらと舞い落ちたピンクの花弁を追って下を向く。白澤も同じものを追って、指先で舞い落ちたピンクの花弁を拾った。
また、ゆっくり髪を撫でる。
「色、戻りかけてる。ちゃんと聞こうとしてる顔だ。いい子だね」
ゆっくり、額を合わせる。
視界が溶ける。
「何度でも言う。名前ちゃんは、僕の隣。唯一。お客さんの相手はする。でも、隣に立つのは名前ちゃんだけ」
視線を絡めたまま、安心させるようにやさしく笑う。
接客が終われば帰ってくる。
帰る場所は、ここ。
君のところ。
髪の色を確かめるように撫でる。
ほら、桃色、戻ってきてる。
不安は消さなくていい。
言えばいい。枯れる前に。
僕はもう、選んだ。名前ちゃんだけ特別。
名前ちゃん。もう一度確認して?
僕の隣にいるって、自分で言える?
だんだん呼吸も落ち着いてきて、髪も元に戻り、ひらり、ひらり、と控えめにピンクの花弁が舞う。
「………はい。白澤様のとなりに………います」
うん、いい子。
そう言ってあたたかくやわらかな唇がやさしく食むように重ねられた。安心させるような触れるだけのキス。
唇が離れて、ほう…とゆっくり息を吐きだした私の頭を白澤がゆっくり撫で続けている。
薬局の方から大きな物音がして、せっかく落ち着いてきた呼吸が跳ねる。
さすがに…と白澤と桃太郎が目線を交わらせ、ごめんね、待ってて、と頭をひと撫でされて、ふたりは様子を見に駆けていく。
気になる……。
けど、この格好は良くない…。
さっきもらったこれ着るか……。
身長差がだいぶあるため、裾も袖もだるだるに長いがなんとか着れるサイズの寝間着を上下身にまとう。
好きな人のにおいがするそれを、下着なしで着るのはなんだかいけないことをしている気分だ。
なるべく多く布をまとって心もとない感を軽減させようと、寝間着の上から白衣も羽織った。変な恰好。彼シャツみたいなものなのに、完全にオーバーサイズのだぼだぼに着られてしまっている幼い子供のようだ。こういうマッドサイエンティスト、アニメとかに出てくるよな…そんなどうでもいいことを考えながら、よいしょ…と長い裾を引きずって店の方へよたよた歩いて行くと、バチン!と大きな打撃音と共に白澤がゴロゴロと転がりながら飛び出してきた。
白澤をビンタで弾き飛ばした女性がぷりぷり怒って「最低!」と叫びながら帰っていく。
「………………。ええと、大丈夫…ですか…?」
ゴロゴロと転がり、柱にぶつかって止まった店の主は、数秒、天を仰いだまま無言だったが、ゆっくり上体を起こした。頬にうっすら赤い手形がついているが、ほかに外傷は見当たらない。さすが、丈夫。
「……診察結果を正直に言っただけなんだけどなぁ」
大丈夫。物理攻撃は慣れてる。
そう言って、名前の差し出した手につかまって立ち上がった白澤は、そのまま名前の姿に気づき、一瞬固まる。
「……なにそれ、かわいい…」
ぶかぶか寝巻き。引きずってる裾。控えめに舞う花弁。
すべてが男心をくすぐる。
たらり、と鼻血を垂らして笑う男に店から出てきた弟子が「それどっちの鼻血ですか」と引きながら慣れた手つきでティッシュを渡した。
「………えへ、彼シャツ………なんちゃって」
「…………」
ぶかぶかの袖を口元に当ててこてん、と首を傾げて見せれば、白澤は真顔になって般若心経を唱えだした。我慢、しなくていいのに。
いつもなら喜んで飛び込んでくるだろうに、思っていた反応と違ってすこしざわざわする。
本気度を伝えようとしてくれるのは嬉しいけど、すぐ夢中になって手を出してしまうところも好きなのに。物足りなさを感じて唇を尖らせすねていると、大きく深呼吸した白澤が意を決した顔で見下ろしてきた。
「彼シャツは破壊力高いから、今後は許可制にしようか」
大真面目に。
「うーん、でも靴は出たのに服はなかなか出ないんです。
………私が白澤様に欲情して欲しくて、裸のままでいた方がいいって深層心理で思ってしまってるのかも…」
申し訳無さそうに眉を下げてそう言えば、白澤はとうとう片手で自分の顔を抑えて天を仰いでしまった。
「身体の関係望まないって言っておいてこんなんでごめんなさい。気を引きたいだけなんだと思います…服が発現するまで、これ借りてちゃダメですか?」
白澤の寝巻きシャツを着たまま、ぎゅっと胸元の布を掴む。
白澤はたっぷり沈黙した後、さらに「ちょっと…まってね…」と呟いてしばらく上を向いたまま。
ながいながい息を吐いて、ようやくこちらを見た白澤は、これまた見たことのない顔をしていた。
「裸でいたい深層心理…は一旦置いておいて…
今はまだ“発現のバランス”が整ってないだけ。
靴は“立ちたい”意思から出た。
服は“守りたい”とか“整えたい”意識から出る」
また先生モードになった説明にふんふんと頷く。
「今の名前ちゃんは、僕の隣に立つことで頭がいっぱい。
だから外装より感情が優先されてる。
気を引きたいなら…十分だから。これ以上やられたら僕が困る」
くしゃり、困ったような笑みにもときめいてしまう。
それ、着てていい。
というか、しばらくそれでいい。
僕の気が馴染むから、安定もする。
神格の初期安定装置みたいなもの。
“自分をどう見せたいか”が固まったら服はそのうち自然に出る。
今はまだ、僕の寝巻きを着てる名前ちゃんで十分。
……似合ってるしね。
かわいい、と書いてある顔で微笑まれ、胸がいっぱいになる。
はらはらはら…と花びらが舞う。
「………あの、名前さん…でしたっけ。この人、今日からここに住むんですか?……俺、この家にいたら邪魔ですかね」
愛する男女の熱に当てられて居た堪れないような、住処がなくなる不安そんな、複雑な顔をしている桃太郎を見て慌てて背筋を伸ばした。
「あっ!そっか…どうしよう。先住でお弟子さんの桃タローさんを追い出すわけには……ごめんなさい。私、まさか住人が増えているなんて思いもよらなくて…知っていたら居候したいなんて願わなかったのに…この建屋、私室って2部屋しかないですよね?白澤様の寝室と、桃タローさんがいま使ってる部屋。
私は………なんか裏の物置きみたいな小屋に住みます!うさぎさんたくさんいるところ!桃源郷あったかいし、なんとかなります!」
「却下」
はやい。
「桃タローくんは追い出さない。責任もって受け入れたんだから当然だよ。
そして名前ちゃん。君は、隣に立つ存在。物置なんかに置かない」
神獣は少し考える素振りをして、ふたりを連れて店内に戻った。
こじんまりとした店、奥にふたつの私室につながる扉。
「……部屋は増やせばいい。ここは僕の領域。物理法則も建築基準法も緩い」
指を軽く鳴らすと、建屋の奥の空間がわずかに揺らぐ。
白澤が手をかざす。
ほら。
奥、拡張できる。
壁一枚ずらせば三部屋になる。
がたがたと揺れた壁がぐいんと歪んで間取りが変わる。
ぽかんとした桃太郎が「ハ〇ルの動く城……」と呟いた。
奥の壁に扉が三枚。
白澤は笑う。安心して、桃タローくん。いきなり彼女と同室にはしない。段階は踏む。
わざとらしく肩をすくめ、僕は理性ある大人だからね。と続けた。
桃太郎と名前が全く同じ顔で信じられないものを見るような目を向けたので、なんだよ、と拗ねたように言い返す。
いいえ、べつに…と首を振る名前の方へ一歩近づくとまだ揺らぐ壁を見やった。悪戯っぽく笑う。
「今日からここは君の家でもある。……一緒に間取り、決める?」
「………神様みたい…」
「アハハ!今さら?僕は神様だよ」
おかしそうに笑った後、少しだけ声を落とす。
でも、君の前で格好つけたいと思ってる時点で、だいぶ人間くさいかも。
花弁が舞う。ときめきが具現化するように。
桃太郎がぼそっと「いや普段は神様っぽさゼロですけどね……」というのを咎めるように「うるさい!」とシンプルな罵声を浴びせて、名前の桃色の髪に指先で触れる。あの白澤様が女と同室を選ばないなんて。このひと、本気なんだ。
「え……ほんとに部屋増えてる……」
すべての扉を開けて中をのぞいた桃太郎の驚愕の声につられて、名前も店の奥を見る。
「間取り、どうする?桃の木が見える部屋がいい?それとも薬棚が見える位置?」
「………桃の木が見える部屋、素敵です。白澤様のお隣の部屋がいい。………できれば、引き戸とかで白澤様の部屋と繋がってたら嬉しい…いつでも行き来できるように…呼んだり呼ばれたりしたらすぐ行けるように…だめですか?」
名前の言葉を聞いて、一瞬だけ目を細めると、くす、と喉で笑う。
……引き戸ね。
現世で毎年あけていたガラス戸に思いをはせる。僕らが会える夜の象徴。かわいいこと言う。
「だめじゃない。むしろ大賛成」
さらり、名前の髪をひと房掬って、毛先に口づける。
「寂しくなったら来ていい。甘えたくなったら呼んでいい」
桃の木が見える部屋。
僕の隣。
間に引き戸。
開ければすぐ会える。
閉めればちゃんと一人。
そのくらいの距離が、きっと一番長持ちする。
独り言のように呟いて、再度手をかざすと、奥の空間がもう一度揺らぎ、
白澤の部屋の隣に、桃の木が大きく窓に映る新しい部屋が形になる。
二部屋の間には木製の引き戸が一枚。
ほら。完成。
「わぁっ………間取りも理想だし建具もセンス良くて可愛い…!」
思わず走り寄って部屋の中や引き戸を開閉して新しい部屋を確認する。名前が歩いた後を道標のように花びらでできた細い道が続いていて、店と部屋の床にピンクの線がうろうろと増えていく。
花びらの細い道がすうっと伸びていくのを見て、額に手を当てた白い神様は今日何度目かわからない幸せな溜息を吐いた。口元のゆるみは隠さない。
……ほら。嬉しいとすぐ可視化する。かわいい道標だなぁ。僕の部屋まで一直線。
名前が引き戸を開けたり閉めたりしているのを、腕を組んで眺める。
「気に入った?建具は桃源郷産の木材。湿度も香りも君と相性いいはず」
「白澤様ってセンス壊滅的なのにこういうところはいいんですね…」
褒めているのか貶しているのか微妙なラインの桃太郎の発言にちょっとだけ不服な顔を見せるが、すぐ笑って床に増えていくピンクの線をまたぎ、名前を捕まえる。
少しだけ近づいて、低い声で「毎晩ここ、開ける気満々?」と囁いて、引き戸を軽くたたく。
名前が真っ赤になるのと同時に部屋を埋め尽くすレベルの花びらがドサッと天井まで積み上がる。
「………………毎晩、開けても、いいんですか…?」
………今まで、年に一回、お誕生日の夜にしか開けられなかった引き戸が………毎日開けていいなんて。
幸せを噛み砕くようにゆっくり呟いてとろりと笑う。
そんな幸せなことあってもいいのか?という顔で見てくる女神。天井まで積み上がった花びらに一瞬埋もれながら、ため息混じりに笑った男は「……出力最大。かわいすぎ」と漏らして花びらをかき分け愛おしい彼女の前に立つ。
「いいに決まってるでしょ。でもね、義務じゃない。寂しい夜だけでいい。嬉しい夜でもいい。なんでもない夜でもいい。
開けたいと思った夜に、開ければいい」
頬に触れる。指先は熱い。
「僕は基本、鍵かけない。開ける前に一回だけ考えて。
“会いたい”で開けるのか、“不安”で開けるのか。
不安なら、ちゃんと言葉にする。会いたいなら、素直に来る」
それだけ守ってくれれば、毎晩でも大歓迎。
少しだけ悪戯っぽく目を細める。
「…あと。僕の方から開ける日もある」
その時は覚悟して。
耳に吹き込まれた言葉に、赤くなる。耳も頬も火照るほど熱い。息ができないほど花弁が積みあがった。
「かわいいんだけど、ね、このままだと薬局が春祭り会場になっちゃうから…ちょっと練習」
嬉しい気持ちは消さなくていい。
でも、“留める”。
指先でひとひら掬って目も前に差し出す。
「道にするか、花瓶に集めるか、窓の外に流すか。選べるはず、神様なんだから」
くすくす笑ってやってごらん、と促され、教わったイメージを具現化するよう目を閉じて力を込める。
大量の花吹雪が名前を竜巻のように包み、それが消え去ったら白澤の2pカラーみたいな服装の名前が立っていた。
「あ…できた……?あれ、服も、出来た………」
薄っすら桃色の三角巾、チャイナ服、白衣(桃衣?)を纏った全身ピンク色の小さな薬剤師が上目遣いで白澤を見上げる。
花嵐が収まり、立っている姿を見た瞬間、息を止めた男は数秒…完全に見惚れていた。
ずるい。
ぽつり。それだけ呟くと、ゆっくり近づいて、襟元や袖口を確認する。
三角巾まで作ったの?仕事する気満々じゃない。白衣の裾をそっとつまむ。
似合いすぎ。甘い匂いする薬局になりそうだな。誰に言うともなく吐き出し、目を細めて、少しだけ声を低くする。
「最高。隣に立つのに、これ以上ない格好」
ふ、と笑う。
僕が白。君が桃。並んだらちょうどいい。鏡、見る?
全身鏡の前まで背を押され、後ろから軽く覗き込む形で並び立たれる。
並んで鏡に映り、思いの外あまりにもペアルックなので耳まで桃色に染め上がった。
「………さ、さ、さすがにこれは恥ずかしいですかね!?!?中の服だけでも変えようかな!?」
慌てすぎてその場でボタンを外し脱ぎ出しそうになるので桃太郎が慌てて背中を向ける。
まった、まって、ねえ待って。まくし立てながら名前を奥の部屋へ押し入れ、店との扉を閉めた。
部屋にふたりきり。
頬に手を添え、親指でそっと撫でる。
名前ちゃん。おちついて。服はそのままでいい。ありのままの君が現れたんだから。
腰に手をまわされて、距離が近づく。
僕は君が好き。
軽い気まぐれじゃない。
誕生日限定でもない。
はじめて、本気で、選んだ。
唇が触れる寸前で止まり、吐息だけが重なる。
桃の匂い、甘すぎ。
でも落ちつく。
君の匂いだから。
やわらかく、短い口づけ。名前の口の中はネクターのように甘く、全身から立ち昇るように甘い香りが溢れ、頑張って制御しても花びらが舞ってしまう。
耳を熱くさせ、潤んだ瞳と視線が絡む。
「何回でも言わせて。誕生日、おめでとう。生まれてきてくれてありがとう。
僕の隣に、生まれ直してくれてありがとう」
角度を変えて、もう一度やわらかく食まれる。
あたたかくて、長い肉厚な舌にとらわれて、絡む。まざる。きもちいい。
「毎年この日は、僕が一番最初に祝う。
引き戸を開けて、一番近くで」
唇を合わせたままそう吹き込まれ、熱がゆっくりと離れた。
名残惜しそうに追いかけた名前を額を合わせて止める。
……これ以上は我慢。今日は愛を囁くだけ。
耳元に唇を寄せ、低く。
隣にいる。毎日。
引き戸、開けても閉めても、君は僕の神様。
もう手放さない。
「はい………はいっ…嬉しいです、本当に………はぁ…夢みたい………」
白澤の頭にたくさん乗ってしまっている花びらを摘み上げ、大好きです、白澤様、と笑えば、同じ熱量の瞳がゆるんで、僕も、と囁いた。
「………ん…ここは…………」
視線だけを起こしてあたりを見渡す。
暖かい日差し…豊かな緑…桃の木………
ふと、自分が一糸纏わぬ姿で地面に倒れていることに気づく。
えっ…?あれ、なんで?
自身をちゃんと見ようと頭だけ持ち上げると、遠くから何かが駆けてくる音に気づく。
そちらを見れば、見慣れたカラーリングの男がだんだん近寄ってくるのが目に入り、思わず立ち上がって駆け寄ろうとした。
「…ッ白澤様………っあ?」
立ち上がれず、ベシャっとその場に崩れ落ち地面に這い蹲る。
………身体、重………!?
駆け寄ってきた足音が、すぐ目の前で止まり、白澤が膝をついた。
「……っ、無理するな」
すぐに上着を脱いで、その身体を包み込む。
「生まれたてなんだから、立てるわけないでしょ」
新しく得たばかりの生まれ変わった身体は、見た目こそ大人の女体なのに、赤子のようにふにゃふにゃで、全く力が入らない。
困惑する名前を白澤がそっと抱き上げる。腕の中にすっぽり収まった身体は羽衣のように軽い。
魂の重さはあんなに必死だったのにね。
そう言った白澤は幸せそうな笑顔で見下ろす。
思うように身体を動かせない名前は、体も充分重いです…とごちた。
大人しく抱きかかえられている名前の頭をひと撫でして、男は一際優しい声を出した。
「
名前ちゃんが選んだ結果。
腕の中で力の入らない身体を支えながら、額に掛かった髪を払う。
「新しい身体は慣れるまで少しかかる。赤子みたいなものだからね。
でも大丈夫。僕がいる」
包み込む腕に、ほんの少しだけ力を込める。
「さっき、あんな必死な声で呼んだくせに、起きた瞬間ひとりで立とうとするなんて。……強がり」
何とも言えない顔をしている名前と目が合い、愛おしそうに笑って、覗き込む。
「…………怖い?それとも、安心してる?」
「………何が何だかまだわかってないです…」
正直な気持ちを呟いた。
力の入らない手でそっと白澤の服を掴む。
「私、生まれ変わったんですかね…?
天国にして良かった………地獄にしていたら今頃この姿で閻魔殿に転がってたかもしれないってことですよね………鬼灯様に見つかったら多分足蹴で転がされてました」
真顔で言えば、ついに白澤が声を上げて笑った。
アイツもそこまで非情じゃないと思うけど。
珍しく宿敵を擁護しながら肩を揺らしてひとしきり笑うと、はぁ、と幸福な息をついた。
「でも本当、ちゃんとこっちに来てくれて良かった」
「…………ふふ、白澤様、あたたかい」
「……ぐ………本当に、煽るのが上手だなぁ」
桃の香りが風に乗る。
私の頬をつんつんと突いていた白澤様が改めて真面目な顔をして見下ろしてくる。
「名前ちゃん。ここからは“会いに来る関係”じゃない。本当に、隣で生きる」
しっかり抱え直して、適当にかかっていた白衣の襟を整え、壊れ物を扱うようにちゃんと着せてくれる。
「……まずは身体を慣らそう。覚悟はしたけど、いきなり歩けなくてもいい。
ほら……ちゃんと掴まって」
生まれ変わった、というよりは“昇華”という言葉がしっくりくる。
やさしく説くように。白澤が今の状況をぽつりぽつりと簡単に教える。
禊を終えて、魂が正式に天界の存在になったこと。
今の身体は、天の気で編まれたばかりで見た目は大人でも、中身はほぼ新生児。だから力が入らないのは当然だということ
説明しながらでボタンを留めていく慣れた手つき。
そんな些細なことにも心がちくりとするけど、もう信じるって決めたから。口には出さない。
前を留めて最低限身体が隠れたことを確認した白澤は小さく頷き、膝の上に名前を乗せたままゆっくり桃の木の根元に腰を下ろした。
さわさわと心地よい風がやわらかく頬を撫でる。あったかい。白澤に擦り寄ってそう漏らせば、軽く瞬きをした白澤が考えるように上を向いた。
「……あたたかい?それ、僕の体温じゃないな。
桃源郷そのものの気。歓迎されてるんだね」
すりすり、と頬を指の背で撫でられる。そんなに撫でられたら顔がなくなる。
そう思うくらい飽きずに撫でられる。
「天国にして良かった、って言ったね。……後悔してない?」
僕の隣に来たこと。
改めて、静かに問われる。
今、幸せ?と。
「はい、白澤様と一緒にいられて…幸せです」
花が綻ぶように笑うと、名前の頭頂部からはらはらと桃の花びらが舞う。
驚いて頭上を仰ぐ。
名前から甘い桃の香りが漂って、白澤の双眼が細められた。
「……ああ。
落ちてくる花びらを指で受け止め、確かめるように2本の指ですりつぶす。
「名前ちゃん。君、ただの天人じゃない。桃の神格が付与されてる。
……桃源郷に迎え入れられた存在。しかもこの香り……上位だね」
漂う甘い香りに目を閉じて、白澤は考える。
桃の花の神。
僕の領域に、最も相性のいい神性。
……ずいぶん粋な采配だ。
今、桃源郷の気が全部彼女に呼応してる。
木々がざわめいてる。
世界が彼女を歓迎している。
「……地獄じゃなくて正解。ここはもう、君の居場所でもある。僕の“客”でも“庇護対象”でもない。桃源郷の一柱」
小さく笑って鼻先に口付ける。
「僕の隣の神様。どう?さっきより少し、意味のある存在になった気分は?」
心配ごと、解決したね?
そう笑えば、ぱちくりと彼女が瞬いた。
「桃の花の神…?桃の実の神様はいらっしゃると記憶していますが…花の方はいないのでしょうか?桃の花の…え?私も神様に…?」
私も、神様…に………
再度噛み締めるように繰り返し、ぶわっと花吹雪が溢れ出る。
嬉しい………私、白澤様の隣にいて良いんですね…!とひとりごとのように呟く。
気持ちの昂りに合わせて桃の花びらがどんどん溢れて、くらくらするくらい甘い匂いも満ちる。
「……こらこら。喜びすぎ。桃源郷が糖度過多で酔いそう」
軽く指を鳴らすと、舞いすぎた花びらがやわらかく地に還る。
本当にもう、かわいいのも加減して。
そう言いながら優しく髪を撫でる。気持ち良さそうに瞳を閉じて甘んじて撫でられている姿を見るだけで身体が甘く痺れる。本当に僕、どうかしちゃったな。
「桃の実の神はいるね。でも“花”は象徴。開花、始まり、縁を結ぶ兆し。実より前の段階」
つまり——
可能性の神格。
「名前ちゃんは、完成された果実じゃない。これから開く存在。だから花。だから強い」
甘い香りに少しだけ喉を鳴らす。
ねっとりとした甘い酒を全身に浴びているようだ。
「……自覚ある?今の君、僕の理性にちっとも優しくない」
軽く笑って、鼻先をつつく。
そうやって誤魔化さないと、白澤の理性は今にも崩れ落ちそうだった。
自分で出した花びらを不思議そうに眺めている名前に、安心させるように柔らかく微笑む。
「神様、だよ。ちゃんと神性が宿ってる。桃源郷が受け入れた証拠。
だから、“僕の隣にいて良い”んじゃない。もう対等に並んでるんだよ」
頬に触れ、そっと額を合わせる。
「嬉しいって感情で花が溢れるなら、悲しみで枯れることもある。怒りで嵐にもなる。
それが神。感情が世界に影響する存在」
……怖い?
優しく覗き込まれ、名前はゆるく首を振る。
「怖くないです、白澤様が一緒にいてくれるなら」
きゅ、と白澤の服の裾を握る。
白澤の顔が嬉しそうにゆるむ。
そっか、と頭を撫でて、考え込むように視線を斜め下に流す。
「君の最初の開花が『隣にいて良いんですね』でよかった。“欲”じゃない、“安心”。それなら大丈夫」
お姫様抱っこの体勢から、名前を自分の膝の上で向かい合うように座らせる体勢に抱き直して、正面からゆっくり抱きしめる。
名前ちゃん。
今日から君は、桃源郷の桃の花の神。
そして——
僕が選んだ、唯一。
言い聞かせるように伝えられ、額に口付けられる。
「私、今日誕生日だったけど………本当に産まれちゃった。白澤様の隣に…生まれ変わっちゃった…」
「……本当に、生まれたね。誕生日に、神様として。しかも僕の隣に。
……運命って言うと陳腐だけど、これはなかなか出来すぎだ」
「ね、白澤さま?これからも毎年お祝いしてくれますか?」
桃の蜜のように甘い涙を一筋流し、とろけるような笑顔で見上げれば、雫に口を寄せて吸い取った白澤が甘く笑む。
「当たり前でしょ。今まで通りの誕生日も、神になった今日という日も、両方祝うよ」
倍になるから覚悟して。
そう囁けば、名前の頭上からまた花びらが舞い、甘く甘く笑顔がとろけた。
白澤は一瞬息を呑んで、視線を逸らす。
「……その顔、ほんとに危険」
舞い続ける花びらを見上げ、くすくす、おかしそうに笑うと、甘い匂い、少し抑えられる?このままだと、天界中の連中が寄ってくる。と冗談めかして聞かれる。
が、やり方がよくわからない。
「………抑え方がわからないです…この花吹雪も、気持ちバレバレで恥ずかしいからなんとかしたい…」
ずっとはらはら待っている花びらを困ったように見上げながら零せば、またおかしそうに声を上げて笑われた。
「抑え方ね。神性は感情と直結してる。
今は“嬉しい”“安心”“好き”が暴走してる状態。気持ちが世界に出るのは悪いことじゃない。でも全部垂れ流すと無防備になる。君はもう神だからね。守り方も覚えよっか」
そっと名前の背に手を当てる。
「まずは深呼吸。僕を見る。僕に意識を集中。外じゃなくて、内側」
背に当てた手を滑らせる。
「桃の木を思い浮かべて。満開じゃなくて、蕾。まだ閉じてる柔らかい蕾…咲くのは自分の意思。風任せじゃない。花は、散らすものじゃない。“咲かせる”もの」
今は閉じて。
僕だけに香ればいい。
神気がやわらかくなり、舞っていた花びらが少しずつ減っていく。
「……ほら。少し落ち着いた」
背を優しく撫でられる。
言われた通りに想像し、コントロール出来て一息ついたところで、今度は髪が頭頂部から毛先まで薄っすら桃色に色づき、名前はまた目を丸くした。
「……わ、頭ピンクになっちゃいました。白澤様とお揃いの黒髪がよかったな………」
ふわり、と桃の甘い香りが漂う。
自分の毛先をつまんで残念そうに呟けば、白澤もそっと毛先をを指先で掬い、愛おしそうに梳かした。
「……綺麗。淡い桃色…咲き始めの花みたい。アハハ、黒髪がよかった?」
僕とお揃いかぁ…呟いて、少しだけ目を細める。
「名前ちゃん。神性はその個が“発現”した唯一のもの。
僕に合わせて黒くなるより、君自身の色が出た方が、ずっと価値がある。それにお揃いなら、もうあるよ」
指先で自分の胸に触れ、次に名前の胸元へ軽く触れる。
じわり、と熱が広がる。
「お互いを想う気持ち。お揃いでしょ?」
首を傾げ、少し距離を取って全体を見て、でも、と続ける。
「どうしても黒がいいなら、一時的に抑えることはできる。神は外見も調律できるからね。僕も本当は白いし」
白澤は自分の髪を摘んでみせる。
綺麗なストレートの黒髪が一房、ふわっと白い獣毛になり、またすぐ黒く戻る。これは“化ける”であって本質的に“変わる”わけじゃない。
名前の髪を指先に絡めて、額を軽く合わせる。
視線が絡む、とろける。
「僕はこの色好きだよ。僕の隣に咲く花が黒だったら、嫌かも(笑)……桃源郷の中で一番似合う色してる」
丁寧に梳かすように手櫛で髪を掬ってははらりと落とす。
「黒髪の僕の隣に桃色のキミ。対になってると思わない?お揃いじゃなくてもお似合いではあるんじゃないかなぁ」
やわらかく微笑む。
「……それでも嫌?」
「白澤様が好きって言ってくださるなら、私も好きです」
とろけるような甘い声で言って幸せそうに笑い合う。
またしても花びらが舞っている。
甘くて穏やかな香りが二人を包む。
「………酷い空気ですね」
そんなやわらかい雰囲気を引き裂くような、天国に不似合いのバリトンが地を這った。
「………! 鬼灯様…!?」
突然現れた鬼灯を驚いて見る。
随分具合が悪そうに口元を手で押さえて、不機嫌そうに立っている鬼神は睨むように白澤を見た。
「物凄い浄化の力…すべての邪気を祓う存在………桃の花、ですか。
名前さん。あなたの禊が急に終わったと連絡があって、慌てて迷子の魂がないか探していたんですよ。地獄に迎え入れる約束をしていましたから。それが…これは………」
眉間に皺を寄せた鬼灯が、明確に白澤を睨みつけた。
「自分が何をしたかわかってるのか、このクソ豚」
ビリビリと怒気が肌を粟立てる。
鬼灯の声に身を竦ませる名前をあやすように抱き寄せて頭を自身の胸に埋もれさせ、ふっと肩をすくめる白澤。
「……ご挨拶だな」
ピリ…と白澤からも鋭い覇気が飛ぶ。
名前を抱いたまま、視線だけ黒い鬼神に向け、強めの語気で吐き捨てる。
「浄化が強いのは仕方ない。生まれたてだから制御が甘いだけ。そのうち落ち着く」
鬼灯の眉間の皺が深くなるのを見て、くすっと笑う。
「迷子の魂?残念でした。ちゃんと選んだよ。本人が」
僕の隣を。
勝ち誇ったように口角を上げる。
彼女は自分の意思で天国を選んだ。
……まあ、最後に手は伸ばしたけど。
鬼灯が浄化に酔って足元がふらついているのを馬鹿にするように嗤う。
「辛いならさっさと帰れば?今の名前ちゃん、お前には刺激強いよ」
心配げに白澤を見上げる名前の背を軽く撫でる。
大丈夫。キミは悪くない。
「約束があったのは知ってる。でも最終選択は本人だ。
文句があるなら、正式に天界へ抗議どうぞ。
桃源郷の神格付与は上の裁定。僕の独断じゃない」
……とはいえ。
からかうような顔を少しだけ真面目に澄ました白澤は、辛そうに重心が傾いてきた鬼灯へ淡々と告げる。
「名前ちゃんは地獄と縁が切れたわけじゃない。交流は可能。仕事上の行き来もできる。…完全に奪ったわけじゃないよ」
白澤が名前の頭を撫でる。鬼灯の顔がゆがむ。風が吹いているわけでもないのに、ざり、と草履がすべって一歩後退した。
「で?用件は確認だけ?それとも、祝福しに来た?」
じとり、と白澤が目を細める。腕の中の名前がハラハラと二人を交互に見やる。
鬼灯の顔色がさらに悪くなり、白澤をにらみつけたままさらに一歩下がって、荒くなり始めた息交じりに名前へ言葉を投げかける。
「………その男が嫌になったらいつでも地獄へおいでなさい、と言いたいところですが…今のあなたが来たら並の獄卒は倒れて使い物にならなくなる。もう少し抑えられるようになったら連絡してください。いつでも迎えに行きます。………彼女が無事ならそれでいいです。行き先を間違えてないか探していただけなので。帰ります。」
少しふらつきながら去っていく黒地に逆さ鬼灯。
小さくなっていくその背を見つめたまま「………私が口を開くだけでお辛そうにするからお礼も言えませんでした…色々相談に乗ってもらっていたのに…」と零す。我ながらさみしい声が出た。
申し訳無さそうに鬼灯を目で追っている名前を見下ろした白澤は軽く息をつく。
「桃と相性悪いんですね、鬼って」
「そうだね…仙桃は普通に食うけどなアイツ」
名前の背を軽く撫で、もう見えなくなった鬼が去った方を白澤も見つめる。
「……律儀だよ、あいつは。本当に迷子になってないか、確認しに来ただけ。口は悪いけど」
ほら、と空気を切り替えるようにポンと背をたたかれて、白澤に目を戻す。
「お礼は今じゃなくていい。今の君は浄化が強すぎる。鬼に桃は天敵みたいなものだからね。
相性が悪いというより、効きすぎる。君の存在そのものが、鬼には眩しすぎる」
甘い匂いに吸い寄せられるように、白澤は名前の髪に顔を埋める。
表情は見えない。
「僕が嫌になったら地獄へおいで、だって。キミが地獄へ行く未来は、僕が嫌われたときだけ。
……そのときは僕が全力で反省する。だから、ずっとここにいて」
情けない声だった。
桃の香りがふわりと揺れる。
「……また香りが強くなってる」
白澤の声が震える。
強い甘い香りは、感情が揺れると出る。
「……鬼灯のこと、好き?地獄を選ばなかったこと、少し名残惜しい?」
腕の中に閉じ込めるように、ぎゅうと抱き締められて、白澤の頭が名前の柔らかい体に埋まる。
「……好き、というより感謝しています、現世でのことも色々お世話になって…本当に、私が消えずに済んだのは鬼灯様のおかげなので」
多く語らない過去に思いを馳せる。
あの時、鬼灯様がいらっしゃらなければ現世での禊なんかでは落ち着かず、もっと酷いことになっていた。
禊で赦されたのは彼のおかげ。
ぎち、抱き締められた身体がさらにきつく抱き寄せられる。
胸の双丘に完全に埋まった白澤が、さっき消えずに済んだのは僕のおかげだよ、と対抗するように唸った。顔を完全に埋もれさせているので表情は見えないまま。
そうですね、ありがとうございます、という気持ちを込めてまぁるい後頭部を撫でようと手を伸ばしたら、
……後悔、してないよね?
こんなに近くにいるのに聞き取れないくらい小さい声が、密着した身体に直接響く。
「………後悔?」
びっくりして、胸元の頭を持ち上げるように頬を掬う。
顔を上げた白澤があまりに不安そうな目をしているので息を呑む。
そんな顔初めて見た。
「後悔なんてしてないです!
白澤様の隣を選んで…こうしてまた産まれて…白澤様に抱き締められていて。
最高に幸せな誕生日です!!!」
思わず大声を出すとまた溢れ出る花びら。
本音であることの証明。
目元を赤くした白澤は花びらが舞う中、目を細める。
「……ずるい」
僕が不安になる余地、全部潰す。
小さく息を吐く。
不老長寿の神様でも、不安になるよ。
初めて自分から本気を差し出した相手には。
ぽふ、と柔らかい双丘に頬を乗せてこちらを見上げる神獣はとても幼く見えた。
「改めて言う。お誕生日おめでとう。神としての初日、おめでとう。
……そして。僕を選んでくれて、ありがとう」
「………私こそ。
選んでくださってありがとうございます、白澤様…」
とろり、桃の蜜が誘うように名前の瞳から溢れる。
お誕生日、お祝いしてくださって本当に嬉しい。良かった、あの時、会いたいって願って。
顎を伝って流れ落ちる桃の蜜をそっと舐めとられる。男が笑う。あまい。おいしい。
「僕が選んだし、君も選んだ」
桃源郷のあたたかい風が二人の前髪を揺らす。
「誕生日を祝うって、生まれたことを肯定すること。
君は今日、人としても、神としても、“生まれてよかった”って言える存在になった」
それが一番嬉しい。
優しく頬を撫でられる。
頬に添えた手に導かれて頭を垂れる。胸元にある顔に近づく。額同士がぶつかる。鼻先が触れる。
「これから先、何百年でも何千年でも何万年でも永遠に祝う」
重ねた額はそのままに、白澤が顔を少しずらして優しく口づける。唾液まで蜜のように甘く、白澤は一瞬だけ喉を鳴らすが、すぐ息を整え唇をそっと離す。至近距離で見つめ合った女は全身桃の香りを撒き散らしながら幸せそうに笑い、花びらが山になるくらい湧き出ていた。
「もう……名前ちゃん…」
「…ふふ、白澤様やっとおくちにキスしてくれた」
「…………ッ……本当に…!」
僕がどれだけ我慢してると思ってるの!
そう言ってまた痛いくらい抱き締めてくる男に、我慢しなくていいのに…と漏らせば、悲鳴のような声で大事にしたいの!大事にさせてよ!格好つけさせて!と叫ばれた。思わず笑ってしまう。止まらない花吹雪。すっかり桃の花びらの山に埋もれたところで、長いため息をついた白澤が花の山を手で払いながら苦笑した。
「桃源郷が豪雪状態。嬉しいのは分かるけど、出力調整しよっか」
ほら、深呼吸。
僕を見て。
外に溢れさせるんじゃなくて、内側で循環。
そっと背に手を当て、神気を穏やかに整えるように囁く。
……よし。ほらね、少し落ち着いた。上手上手。
抱えていた腕をゆっくり緩め、二人で空に溶けていく花びらを見守る。
肩まで埋もれていた花びらが、ようやく膝くらいまで減ったところで名前が口を開く。
「………もう少しこうしていたいけど、歩く練習しないと白澤様に抱き抱えられながら移動することになっちゃうので…立つ練習、したいです」
「立つ練習、ね。[[rb:好的 > オッケー]]」
よっこらせ、と年齢相当な掛け声と共に立ち上がった白澤は、名前の両脇に手を添えてそっと地面に足をつかせる。
「力は“筋肉”じゃなくて“意志”。人の身体と違う。立とう、じゃなくて、「立てる」と決める」
桃の木を思い浮かべて。
細くても、根は強い。
地面に根を下ろす感覚。
足裏から気を流す。
手で抱き上げるように支えたまま、優しく教える。
焦らない。
倒れても受け止める。
僕がいる。
……ほら。
少し、膝に力入った。
上手だね。
白澤がそっと脇から手を抜く。
名前は自分の力だけで立っていた。
白澤様、教えるの本当に上手。先生に向いているかも。
どこか呑気にそんなことを考える。
少しふらつきながらも自立した女をうれしそうに眺めて、神獣が歌うように囁く。
歩けるようになったら、桃源郷を案内する。
僕の場所。
君の新しい居場所。
「でも今は……まずは一歩。僕の手を掴んだままでいい」
両手を取られ、本当に歩き始めの赤ちゃんみたいだ。
言われた通りにイメージして、一歩、二歩、と踏み出すと地面から足先を包むように蔓と葉が伸びて、桃の葉のようなデザインの靴となって爪先から脛まで覆われた。
「………わ!?靴、履けました!見て!」
「…上出来。桃の神格、ちゃんと機能してる。しかも可愛い」
よく似合ってる、そう甘く囁いて両手を引いて抱き留めるとご褒美とばかりに顔中口付けられる。
竜巻のように花吹雪が渦を巻いて二人を包む。
幸せ。あまい。しあわせ。
また至近距離で見つめ合って、自然と唇が重なりそうになったその時。
「おーい、白澤様〜!一体どこ行った………お客様が来てるんですよ〜……ワッ、なんだここ、すっごい甘い匂いする………、………!?!?」
大声で白澤を呼びながら探しに来た桃太郎が、白澤と、彼が抱き抱える女性を見つけ目を丸くする。
いつもの光景かと流そうとしたのに、女性が裸に白澤の白衣を羽織っただけの姿なのに気付き、赤面して慌てて目を逸らした。
「あ、アンタ………仕事サボって一体何やってんですか!?!?そ、そ、そんな全裸女性と…!?」
「えっ靴履いてます!」
そうじゃない、という回答をした名前に軽くコケながら、やれやれうるさいのがきた、とばかりに頭を振った白澤は、このひと、誰?と首を傾げて見上げてくる名前の額に小さくキスを落とした。
「サボってない。優先順位を入れ替えただけ」
名前を隠すように桃太郎に自身の背を向けて抱き締めたまま、目線だけ困惑する弟子に向ける。
「紹介するね。彼は桃タローくん。僕の弟子、薬剤師のたまご。こちらは桃源郷の新しい神…桃の花の神、名前。僕の隣に立つ存在」
さらっと言う好色家の上司に、またか…と顔を顰めた桃太郎だったが、その言い回しと態度に小さな違和感を抱く。
なんかいつもと違う。
不思議そうな顔で突っ立っている弟子を一瞥したあと、柔らかい笑顔で名前に向き直る。
ほら、もう立てるね。第三者の視線があると安定する。
なるほどたしかに、名前はさきほどよりもしっかりと地面を踏み締めていた。
「桃源郷の新しい神……?神様って新しくできるものなんですか?」
「…隣に立つ存在………」
会話が全く噛み合わない。
ぶわっと花吹雪が舞い、桃太郎が大袈裟に驚いて尻餅をついた。
「…はっ!いけない、また…ええと、はじめまして…桃タローくん?変な格好していてごめんなさい、まだ服がなくて…」
「ほらほら、出力。嬉しいワードに即反応しすぎ」
全くかわいいなぁ…とデレながら花びらを払い、名前と桃太郎の間に白澤が割って入ると、大きな身体でふたりの視界を遮断した。
身長差のおかげで白澤の白衣の裾は膝下ワンピースのようになっているが、胸元がだいぶ心許ない。それに気づいた白澤は白衣の合わせをグイ、と寄せて桃太郎から素肌が見えないようにしながら彼の質問に答える。
「新しい神は“生まれる”というより、“格が上がる”んだ。昇華、神格付与、いろいろ呼び方はあるけどね。珍しくはある。でも前例もある」
ほえ〜と新知識に感じ入っている素直な愛弟子を慈しみの笑みで見下ろし、いい子でしょ?と名前に笑いかける。
「ごめん桃タローくん、薬局から何か彼女が着れそうなもの持ってきてくれる?」
ハッと顔を再び赤らめた桃太郎が慌てて走り去る気配だけ感じながら(白澤が覆い被さるように立っているから周りがよく見えないのだ、)ノーパンノーブラで白衣だけ着ている姿を外で知らない人に見せてしまった…露出狂で捕まったらどうしよう、と明後日のことで不安になっていると、そんなこと全く知らない白澤が優しく頭を撫でて耳元にとんでもないことを吹き込んでくる。
さっきの“隣に立つ存在”で吹雪いたね。嬉しい?
何度でも言うよ。
僕の隣。
……照れずに受け止めて。
ぶわり、体温が上がる。
嬉しいに決まっている。
顔を赤くしてはにかむのと、自分が埋まるくらい花びらが積もって雪だるまのようになるのはほぼ同時。
「…わ、全身埋まっちゃいました。もうこれが服でいいのでは…」
頭だけ花山から出して困った顔で見上げてくる彼女が可愛くて愛おしくて、神獣が腹を抱えてゲラゲラ笑っているところに桃太郎が布を抱えて戻ってくる。
これ、白澤様の寝巻き…すぐにはこんなんしか見つけられなくて!と目線を逸らしながら名前に渡し、白澤を睨みつけ「おいアンタ!戻ったら自分でもっとまともな服渡してやってくださいよ!あと!お客様!来てるんですって!女の人が!3人も!軽く修羅場ってます!自分の蒔いた種は自分でなんとかしてください!」と叫んだ。彼にとっては日常茶飯事の要求だった。
だから、桃太郎の言葉を聞いて、降り積もっていた花びらの山がみるみる茶色く萎れていき、その場の空気が一瞬で冷えたことに大層驚いた。
……あーあ。
上司がため息をつく。
「出力、極端だね…嬉しいと満開、動揺すると枯れる。分かりやすい神様だなぁ」
しゃがみ、萎れた花びらを一枚拾う。
「名前ちゃん。見る。僕を見る。“女が3人”という単語に反応しすぎ。……お客さんだよ、ただの」
安心させるように目線を合わせる。
ほら。
花が萎れるってことは、不安と嫉妬が直結してる証拠。
でもね、僕らさっき何を覚悟した?
僕は選んだ。
遊びの位置に戻らないって。
枯らす前に、聞けばいい。
不安なら、不安って言えばいい。
花街で“たまに来てくれればいい”って言ってた子が、今こうして萎れるくらい本気になってる。嬉しいよ。
ほら、深呼吸。
萎れた花も、戻せる。
君は花の神。
枯らす神じゃない。
諭すように。
今日何度も聞いた、落ち着いたやさしいゆっくりしたトーン。
それでも、名前の瞳が揺れて、口を開けるも乾いて声にならない。桃色の髪まで茶色くなりかけている。
「………っ…お客さんにまでこんな…妬きたくないのに………嫌です、どうしよう。全員切るって言われたの、間に受けすぎてる………お客さんは別、って頭ではわかってるのに………」
「うん、うん、大丈夫…」
ゆっくり抱き締めて背中をとんとんと撫でられる。
茶色くなりかけた髪にさらさらと指を通す。
不安で揺れていた瞳が、2枚だけひらひらと舞い落ちたピンクの花弁を追って下を向く。白澤も同じものを追って、指先で舞い落ちたピンクの花弁を拾った。
また、ゆっくり髪を撫でる。
「色、戻りかけてる。ちゃんと聞こうとしてる顔だ。いい子だね」
ゆっくり、額を合わせる。
視界が溶ける。
「何度でも言う。名前ちゃんは、僕の隣。唯一。お客さんの相手はする。でも、隣に立つのは名前ちゃんだけ」
視線を絡めたまま、安心させるようにやさしく笑う。
接客が終われば帰ってくる。
帰る場所は、ここ。
君のところ。
髪の色を確かめるように撫でる。
ほら、桃色、戻ってきてる。
不安は消さなくていい。
言えばいい。枯れる前に。
僕はもう、選んだ。名前ちゃんだけ特別。
名前ちゃん。もう一度確認して?
僕の隣にいるって、自分で言える?
だんだん呼吸も落ち着いてきて、髪も元に戻り、ひらり、ひらり、と控えめにピンクの花弁が舞う。
「………はい。白澤様のとなりに………います」
うん、いい子。
そう言ってあたたかくやわらかな唇がやさしく食むように重ねられた。安心させるような触れるだけのキス。
唇が離れて、ほう…とゆっくり息を吐きだした私の頭を白澤がゆっくり撫で続けている。
薬局の方から大きな物音がして、せっかく落ち着いてきた呼吸が跳ねる。
さすがに…と白澤と桃太郎が目線を交わらせ、ごめんね、待ってて、と頭をひと撫でされて、ふたりは様子を見に駆けていく。
気になる……。
けど、この格好は良くない…。
さっきもらったこれ着るか……。
身長差がだいぶあるため、裾も袖もだるだるに長いがなんとか着れるサイズの寝間着を上下身にまとう。
好きな人のにおいがするそれを、下着なしで着るのはなんだかいけないことをしている気分だ。
なるべく多く布をまとって心もとない感を軽減させようと、寝間着の上から白衣も羽織った。変な恰好。彼シャツみたいなものなのに、完全にオーバーサイズのだぼだぼに着られてしまっている幼い子供のようだ。こういうマッドサイエンティスト、アニメとかに出てくるよな…そんなどうでもいいことを考えながら、よいしょ…と長い裾を引きずって店の方へよたよた歩いて行くと、バチン!と大きな打撃音と共に白澤がゴロゴロと転がりながら飛び出してきた。
白澤をビンタで弾き飛ばした女性がぷりぷり怒って「最低!」と叫びながら帰っていく。
「………………。ええと、大丈夫…ですか…?」
ゴロゴロと転がり、柱にぶつかって止まった店の主は、数秒、天を仰いだまま無言だったが、ゆっくり上体を起こした。頬にうっすら赤い手形がついているが、ほかに外傷は見当たらない。さすが、丈夫。
「……診察結果を正直に言っただけなんだけどなぁ」
大丈夫。物理攻撃は慣れてる。
そう言って、名前の差し出した手につかまって立ち上がった白澤は、そのまま名前の姿に気づき、一瞬固まる。
「……なにそれ、かわいい…」
ぶかぶか寝巻き。引きずってる裾。控えめに舞う花弁。
すべてが男心をくすぐる。
たらり、と鼻血を垂らして笑う男に店から出てきた弟子が「それどっちの鼻血ですか」と引きながら慣れた手つきでティッシュを渡した。
「………えへ、彼シャツ………なんちゃって」
「…………」
ぶかぶかの袖を口元に当ててこてん、と首を傾げて見せれば、白澤は真顔になって般若心経を唱えだした。我慢、しなくていいのに。
いつもなら喜んで飛び込んでくるだろうに、思っていた反応と違ってすこしざわざわする。
本気度を伝えようとしてくれるのは嬉しいけど、すぐ夢中になって手を出してしまうところも好きなのに。物足りなさを感じて唇を尖らせすねていると、大きく深呼吸した白澤が意を決した顔で見下ろしてきた。
「彼シャツは破壊力高いから、今後は許可制にしようか」
大真面目に。
「うーん、でも靴は出たのに服はなかなか出ないんです。
………私が白澤様に欲情して欲しくて、裸のままでいた方がいいって深層心理で思ってしまってるのかも…」
申し訳無さそうに眉を下げてそう言えば、白澤はとうとう片手で自分の顔を抑えて天を仰いでしまった。
「身体の関係望まないって言っておいてこんなんでごめんなさい。気を引きたいだけなんだと思います…服が発現するまで、これ借りてちゃダメですか?」
白澤の寝巻きシャツを着たまま、ぎゅっと胸元の布を掴む。
白澤はたっぷり沈黙した後、さらに「ちょっと…まってね…」と呟いてしばらく上を向いたまま。
ながいながい息を吐いて、ようやくこちらを見た白澤は、これまた見たことのない顔をしていた。
「裸でいたい深層心理…は一旦置いておいて…
今はまだ“発現のバランス”が整ってないだけ。
靴は“立ちたい”意思から出た。
服は“守りたい”とか“整えたい”意識から出る」
また先生モードになった説明にふんふんと頷く。
「今の名前ちゃんは、僕の隣に立つことで頭がいっぱい。
だから外装より感情が優先されてる。
気を引きたいなら…十分だから。これ以上やられたら僕が困る」
くしゃり、困ったような笑みにもときめいてしまう。
それ、着てていい。
というか、しばらくそれでいい。
僕の気が馴染むから、安定もする。
神格の初期安定装置みたいなもの。
“自分をどう見せたいか”が固まったら服はそのうち自然に出る。
今はまだ、僕の寝巻きを着てる名前ちゃんで十分。
……似合ってるしね。
かわいい、と書いてある顔で微笑まれ、胸がいっぱいになる。
はらはらはら…と花びらが舞う。
「………あの、名前さん…でしたっけ。この人、今日からここに住むんですか?……俺、この家にいたら邪魔ですかね」
愛する男女の熱に当てられて居た堪れないような、住処がなくなる不安そんな、複雑な顔をしている桃太郎を見て慌てて背筋を伸ばした。
「あっ!そっか…どうしよう。先住でお弟子さんの桃タローさんを追い出すわけには……ごめんなさい。私、まさか住人が増えているなんて思いもよらなくて…知っていたら居候したいなんて願わなかったのに…この建屋、私室って2部屋しかないですよね?白澤様の寝室と、桃タローさんがいま使ってる部屋。
私は………なんか裏の物置きみたいな小屋に住みます!うさぎさんたくさんいるところ!桃源郷あったかいし、なんとかなります!」
「却下」
はやい。
「桃タローくんは追い出さない。責任もって受け入れたんだから当然だよ。
そして名前ちゃん。君は、隣に立つ存在。物置なんかに置かない」
神獣は少し考える素振りをして、ふたりを連れて店内に戻った。
こじんまりとした店、奥にふたつの私室につながる扉。
「……部屋は増やせばいい。ここは僕の領域。物理法則も建築基準法も緩い」
指を軽く鳴らすと、建屋の奥の空間がわずかに揺らぐ。
白澤が手をかざす。
ほら。
奥、拡張できる。
壁一枚ずらせば三部屋になる。
がたがたと揺れた壁がぐいんと歪んで間取りが変わる。
ぽかんとした桃太郎が「ハ〇ルの動く城……」と呟いた。
奥の壁に扉が三枚。
白澤は笑う。安心して、桃タローくん。いきなり彼女と同室にはしない。段階は踏む。
わざとらしく肩をすくめ、僕は理性ある大人だからね。と続けた。
桃太郎と名前が全く同じ顔で信じられないものを見るような目を向けたので、なんだよ、と拗ねたように言い返す。
いいえ、べつに…と首を振る名前の方へ一歩近づくとまだ揺らぐ壁を見やった。悪戯っぽく笑う。
「今日からここは君の家でもある。……一緒に間取り、決める?」
「………神様みたい…」
「アハハ!今さら?僕は神様だよ」
おかしそうに笑った後、少しだけ声を落とす。
でも、君の前で格好つけたいと思ってる時点で、だいぶ人間くさいかも。
花弁が舞う。ときめきが具現化するように。
桃太郎がぼそっと「いや普段は神様っぽさゼロですけどね……」というのを咎めるように「うるさい!」とシンプルな罵声を浴びせて、名前の桃色の髪に指先で触れる。あの白澤様が女と同室を選ばないなんて。このひと、本気なんだ。
「え……ほんとに部屋増えてる……」
すべての扉を開けて中をのぞいた桃太郎の驚愕の声につられて、名前も店の奥を見る。
「間取り、どうする?桃の木が見える部屋がいい?それとも薬棚が見える位置?」
「………桃の木が見える部屋、素敵です。白澤様のお隣の部屋がいい。………できれば、引き戸とかで白澤様の部屋と繋がってたら嬉しい…いつでも行き来できるように…呼んだり呼ばれたりしたらすぐ行けるように…だめですか?」
名前の言葉を聞いて、一瞬だけ目を細めると、くす、と喉で笑う。
……引き戸ね。
現世で毎年あけていたガラス戸に思いをはせる。僕らが会える夜の象徴。かわいいこと言う。
「だめじゃない。むしろ大賛成」
さらり、名前の髪をひと房掬って、毛先に口づける。
「寂しくなったら来ていい。甘えたくなったら呼んでいい」
桃の木が見える部屋。
僕の隣。
間に引き戸。
開ければすぐ会える。
閉めればちゃんと一人。
そのくらいの距離が、きっと一番長持ちする。
独り言のように呟いて、再度手をかざすと、奥の空間がもう一度揺らぎ、
白澤の部屋の隣に、桃の木が大きく窓に映る新しい部屋が形になる。
二部屋の間には木製の引き戸が一枚。
ほら。完成。
「わぁっ………間取りも理想だし建具もセンス良くて可愛い…!」
思わず走り寄って部屋の中や引き戸を開閉して新しい部屋を確認する。名前が歩いた後を道標のように花びらでできた細い道が続いていて、店と部屋の床にピンクの線がうろうろと増えていく。
花びらの細い道がすうっと伸びていくのを見て、額に手を当てた白い神様は今日何度目かわからない幸せな溜息を吐いた。口元のゆるみは隠さない。
……ほら。嬉しいとすぐ可視化する。かわいい道標だなぁ。僕の部屋まで一直線。
名前が引き戸を開けたり閉めたりしているのを、腕を組んで眺める。
「気に入った?建具は桃源郷産の木材。湿度も香りも君と相性いいはず」
「白澤様ってセンス壊滅的なのにこういうところはいいんですね…」
褒めているのか貶しているのか微妙なラインの桃太郎の発言にちょっとだけ不服な顔を見せるが、すぐ笑って床に増えていくピンクの線をまたぎ、名前を捕まえる。
少しだけ近づいて、低い声で「毎晩ここ、開ける気満々?」と囁いて、引き戸を軽くたたく。
名前が真っ赤になるのと同時に部屋を埋め尽くすレベルの花びらがドサッと天井まで積み上がる。
「………………毎晩、開けても、いいんですか…?」
………今まで、年に一回、お誕生日の夜にしか開けられなかった引き戸が………毎日開けていいなんて。
幸せを噛み砕くようにゆっくり呟いてとろりと笑う。
そんな幸せなことあってもいいのか?という顔で見てくる女神。天井まで積み上がった花びらに一瞬埋もれながら、ため息混じりに笑った男は「……出力最大。かわいすぎ」と漏らして花びらをかき分け愛おしい彼女の前に立つ。
「いいに決まってるでしょ。でもね、義務じゃない。寂しい夜だけでいい。嬉しい夜でもいい。なんでもない夜でもいい。
開けたいと思った夜に、開ければいい」
頬に触れる。指先は熱い。
「僕は基本、鍵かけない。開ける前に一回だけ考えて。
“会いたい”で開けるのか、“不安”で開けるのか。
不安なら、ちゃんと言葉にする。会いたいなら、素直に来る」
それだけ守ってくれれば、毎晩でも大歓迎。
少しだけ悪戯っぽく目を細める。
「…あと。僕の方から開ける日もある」
その時は覚悟して。
耳に吹き込まれた言葉に、赤くなる。耳も頬も火照るほど熱い。息ができないほど花弁が積みあがった。
「かわいいんだけど、ね、このままだと薬局が春祭り会場になっちゃうから…ちょっと練習」
嬉しい気持ちは消さなくていい。
でも、“留める”。
指先でひとひら掬って目も前に差し出す。
「道にするか、花瓶に集めるか、窓の外に流すか。選べるはず、神様なんだから」
くすくす笑ってやってごらん、と促され、教わったイメージを具現化するよう目を閉じて力を込める。
大量の花吹雪が名前を竜巻のように包み、それが消え去ったら白澤の2pカラーみたいな服装の名前が立っていた。
「あ…できた……?あれ、服も、出来た………」
薄っすら桃色の三角巾、チャイナ服、白衣(桃衣?)を纏った全身ピンク色の小さな薬剤師が上目遣いで白澤を見上げる。
花嵐が収まり、立っている姿を見た瞬間、息を止めた男は数秒…完全に見惚れていた。
ずるい。
ぽつり。それだけ呟くと、ゆっくり近づいて、襟元や袖口を確認する。
三角巾まで作ったの?仕事する気満々じゃない。白衣の裾をそっとつまむ。
似合いすぎ。甘い匂いする薬局になりそうだな。誰に言うともなく吐き出し、目を細めて、少しだけ声を低くする。
「最高。隣に立つのに、これ以上ない格好」
ふ、と笑う。
僕が白。君が桃。並んだらちょうどいい。鏡、見る?
全身鏡の前まで背を押され、後ろから軽く覗き込む形で並び立たれる。
並んで鏡に映り、思いの外あまりにもペアルックなので耳まで桃色に染め上がった。
「………さ、さ、さすがにこれは恥ずかしいですかね!?!?中の服だけでも変えようかな!?」
慌てすぎてその場でボタンを外し脱ぎ出しそうになるので桃太郎が慌てて背中を向ける。
まった、まって、ねえ待って。まくし立てながら名前を奥の部屋へ押し入れ、店との扉を閉めた。
部屋にふたりきり。
頬に手を添え、親指でそっと撫でる。
名前ちゃん。おちついて。服はそのままでいい。ありのままの君が現れたんだから。
腰に手をまわされて、距離が近づく。
僕は君が好き。
軽い気まぐれじゃない。
誕生日限定でもない。
はじめて、本気で、選んだ。
唇が触れる寸前で止まり、吐息だけが重なる。
桃の匂い、甘すぎ。
でも落ちつく。
君の匂いだから。
やわらかく、短い口づけ。名前の口の中はネクターのように甘く、全身から立ち昇るように甘い香りが溢れ、頑張って制御しても花びらが舞ってしまう。
耳を熱くさせ、潤んだ瞳と視線が絡む。
「何回でも言わせて。誕生日、おめでとう。生まれてきてくれてありがとう。
僕の隣に、生まれ直してくれてありがとう」
角度を変えて、もう一度やわらかく食まれる。
あたたかくて、長い肉厚な舌にとらわれて、絡む。まざる。きもちいい。
「毎年この日は、僕が一番最初に祝う。
引き戸を開けて、一番近くで」
唇を合わせたままそう吹き込まれ、熱がゆっくりと離れた。
名残惜しそうに追いかけた名前を額を合わせて止める。
……これ以上は我慢。今日は愛を囁くだけ。
耳元に唇を寄せ、低く。
隣にいる。毎日。
引き戸、開けても閉めても、君は僕の神様。
もう手放さない。
「はい………はいっ…嬉しいです、本当に………はぁ…夢みたい………」
白澤の頭にたくさん乗ってしまっている花びらを摘み上げ、大好きです、白澤様、と笑えば、同じ熱量の瞳がゆるんで、僕も、と囁いた。