鬼灯の冷徹
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忘れられないあの夜から一年。
今年も様々なことがあった。
日々をやり過ごすことで精一杯で、今日が何日かなんてわからなくなっていた今夜。
日付が変わり、つけっぱなしだったテレビから聞こえた時報が、何月何日の0時になりました、と機械的な声を発した。
ああ、今日は誕生日か。もうそんな時期か。
……誕生日の夜、ね。
もう一年たっちゃった。
去年は幸せだったな。今年もまた会えたらいいのに。
そんな自分に都合がいいことを考えながらテレビを消したのと同時、ベランダにことり、と軽い音が落ちる。
普段なら全く気付かないような小さな音だったのに、はっとそちらに注目したのはどうしてか。
「晩上好♡」
月明かりを背負って、白衣の男が手すりに腰をかけていた。
「……去年さ、来年も会えますようにって顔してたでしょ?」
ひらりとベランダに降り立ち、いつもの飄々とした笑みでこてんと首を傾げて笑うその男にくぎ付けになる。
どうして。
だって今年は。
日付が変わったことにすら自分では気付かず、今日が何日かもわからなくなっていたというのに。
去年と違って、願うことすらできていなかったというのに。
「願い事、ちゃんと届いてたよ。僕、律儀だからね。毎年恒例、愛しい子の誕生日訪問。来ちゃった♡」
恐ろしいくらい綺麗に笑った男が彼と私を隔てる透明な壁に視線を移す。ハッとして転びかけながら慌てて窓辺に駆け寄り、焦る手つきで開錠する。
勢いよくガラスの引き戸をスライドしたせいで、一度全開になった窓は、反動で跳ね返って中途半端な隙間を作った。
そんなガラス戸に手をかけて、男がゆっくり部屋へ入ってくる。
じっと目をそらさず、そらせず。切れ長の瞳がさらに少しだけ細まる。
「……僕の可愛い名前ちゃん。今年も祝你生日快乐 。……今年は一番に祝えたかな?」
ガラス戸の前に膝をついて座り込んでいる私にそっと歩み寄り、頬に指先でなぞる。
「去年より、少し大人っぽくなった?それとも僕の気のせいかな」
くすりと笑い、額に軽く口づけられる。
くらくらして、なんで、もどうして、も口から出ない。からからだ。
期待に応えようと唇を差し出せば、きれいな白い指先がそれを制した。
「安心して。今年は『たべない』。……たぶん」
悪戯っぽく肩をすくめて笑う男は、去年と同じ場所に腰を下ろすと私の顔を覗き込んだ。
「ほら、そんな顔しないの。焦らすのも醍醐味でしょ?」
試すような視線が絡んで、うまく息ができない。
「……さ、今年はどうする?また泣かれちゃったら……同じ流れになっちゃいそうだけど」
耳元に顔を寄せ、柔らかい声が吹き込まれる。
「……今年も、僕を独り占め、する?」
耳元で感じる熱があつい、あつい。
至近距離でのぞき込まれ、ようやく処理が追いついた私の口から一気に思いがあふれ出す。
「白澤さま……嬉しい……お祝い、ありがとうございます」
なんで、どうして。
そんなこと今更どうでもいい。
そんなこと聞く時間が惜しい。
遊び人の彼が、わざわざ『たべない』と宣言したことは引っかかるが。
じゃあ、どうしてきたの。なにをしにきたの。
「……はい、『遊んで』もらわなくても、一緒におしゃべり出来れば充分です」
去年もとても幸せだったけれど。
やさしく甘やかしてもらって疲れて寝てしまって一緒にいられる貴重な時間を無駄にしたと思う。
今年こそ……もっと長く、与えられた時間いっぱい、独り占めさせてほしい。
そんな欲は口に出さず、控えめに会話だけ要求すれば、
ふっと目を細めて、少しだけ驚いたように笑われた。ああなんて綺麗。好き。
「……ああ、やっぱり名前ちゃんはそう言うんだ」
そっと近づく鼻先。けれど触れない距離で止まり、サラサラの黒髪から透明感のある瞳が愉快そうに覗く。
「……本当に、いいの?ただおしゃべりするだけで」
僕、結構我慢できない方だけど、今夜は頑張るね?
くす、と喉の奥で笑いながら男がいう。
そんなこと言うなら我慢しなくていいのに。好きなだけ遊んでくれていいのに。
そう思いながら大人しく男の横に腰掛けた。肩が触れるか触れないかの微妙な距離。
今年はね、と続く言葉に耳を傾ける。
「今年はね、ちゃんと“お祝いしに来た”んだよ」
名前ちゃんが元気で、笑ってて、また僕を呼んでくれた。
それだけで十分だから。
そう囁きながらゆっくり手を伸ばして、頬にかかった髪を払われる。
今年はちゃんと呼べたわけじゃないのに。
それでも願いを拾ってきてくれた。
うれしいうれしいうれしい。
胸がいっぱいになったせいで、ついさっき我慢したばかりの欲望が口から滑り出る。
今年こそ……もっと長く、与えられた時間いっぱい、独り占めさせてほしい。
「え。……今年こそ独り占めさせてほしい、かぁ」
白澤は一瞬目を瞬かせ、
それ、僕が言う台詞だと思ってたんだけどな。
と、視線を絡めたまま、少しだけ声を落とす。
「いいよ。今夜は僕、どこにも行かない。
名前ちゃんの部屋で、名前ちゃんの隣で、名前ちゃんの時間を全部もらう」
ただし……
そこで言葉を区切って悪戯っぽく微笑むと、つん、と鼻先をつつかれた。
「……去年みたいに泣いちゃったり……途中で可愛い顔して煽ったり、僕の理性を試すのは禁止。
今日は、隣に座って、肩が触れるくらいで。手を繋ぐくらいで。それでドキドキする夜にしよっか」
たまにはいいよね。そう言って、そっと手のひらを差し出す。
「……ほら、名前ちゃん。
今年の誕生日、一番最初に触れるのは……僕でいい?」
答えなんて決まってるのに、聞くのずるい。
「……はい。白澤様がいいです。他の人には触られたくない」
きっぱりそう言えば、くすりと笑って手を取られる。指が絡む。
「……今年はおしゃべり出来れば充分です、身体の関係は不要です……
そのかわり、たくさんお話ししてください。それが一番のプレゼントになるから……」
「……名前ちゃん、そういうこと、さらっと言うよね」
他の人には触られたくない、か。
ぽつり、と神獣がこぼす。
重かっただろうか。いやがられただろうか。
そんな不安がよぎったが、絡められた指がそっと握り直される。
「それは困ったなぁ。
僕、独占欲強いよ? 言質、取ったからね」
うそつき。
来るもの拒まず去るもの追わずなくせに。
誰もに平等で誰もに執着しないくせに。
くす、と優しく笑われて、胸が苦しくなる。
ああ、すき、すき。
「身体の関係は不要でたくさんお話……ね。うん、いいね。
今年はそうしよっか。
……去年みたいに溶ける夜も悪くなかったけど、
こうやって手を繋いで、ただ同じ時間を過ごすのも結構、贅沢だ」
ね?
やさしく微笑まれ、隣に腰かけた肩が軽く触れる。
「じゃあなに話す?名前ちゃんの一年を聞かせてよ。
笑ったこと。泣きそうになったこと。僕に会えなかった間のこと、全部」
弓なりに緩んだ瞳が、人好きのする笑顔をつくる。
「それとも先に、僕の話から聞く?
名前ちゃんを独り占めにできなかった一年間、
僕がどれだけ我慢してたか、とかさ」
「……白澤様が我慢を?」
私の話をしようと思ったけど、気になりすぎる導入に前のめりで「先に白澤様のお話、聞かせてもらえますか?」と口が動く。
ふ、と少しだけ視線を逸らしてから、肩を竦める男は軽く息を吐いて笑った。
「あれ、そこ食いつくんだ。
……名前ちゃんってさ、僕が余裕でふらふらしてると思ってるでしょ?」
指を絡めたまま、親指で手の甲をゆっくり撫でられる。
「我慢、してたよ。去年の朝さ。
あんな顔で見送られて、あんな声でまたねって言われて。
……普通に帰れるわけないじゃない」
苦笑して、天井を見上げる神獣。
「たびたび呼ばれてるの気付いても、すぐ行きたくなるのを我慢。
現世にふらっと降りるのを我慢。
名前ちゃんのこと考えすぎないようにするのも、我慢」
僕だって一応、立場あるからね?
そう言って笑う横顔から目がそらせない。
この人はいったい何の話をしているんだろう。
切れ長の瞳が横目でじっとこちらを見た。
「……でも、一番我慢したのはさ。
“次に会えたらどうなるか”を想像しすぎないこと。
だってさ、名前ちゃんがどんどん可愛くなってくの、知ってるから」
今年はどんな顔するんだろう、とか。
また独り占めしたいって言われたらどうしよう、とか。
……ほら、今も困ってる。
そう言って少しだけ距離を詰めてくる。触れていた肩が、さらに密着する。
「……身体の関係は不要、って言われたのに、
そんな目で見られたら理性が試されるでしょ」
もー、とわざとらしい非難めいた声をあげて、繋いだ手をぎゅっと握られる。
「だから今年は、我慢した一年。
……今日、名前ちゃんがちゃんと僕を呼んでくれるのを、待ってた」
ほんとうに、ほんとうに、いったい何の話をしているんだろう。
わからない。
心臓がばくばくと脈打って、耳があつい。
手がびっしょりになってきた。
「ねぇ、」
目線を合わせながら、すぐ隣から声がする。
今年もちゃんと、僕を選んでくれた?
それが一番知りたかったんだよ。
そう囁かれて、食い気味で、はい。と、すかさず頷く。
「…………選びました。選んだというか、白澤様しか選択肢がないというか。
今年も白澤様に会いたいなって思ったら……こうしてまた会いに来てくれました」
ここで止めればいいのに、言わなくていいことまで口が回る。
「白澤様は引く手数多のよりどりみどりだから我慢とは無縁で、余裕でふらふらしてると思ってました。
私なんかよりたくさん『遊んで』くれる女の子、いっぱいいるだろうし……」
白澤の話を信じられない顔で聞いている自覚がある。
握られた手にわずかに力を込められたことにも気づいてる。
「……今の、もしかして全部作り話ですか?新しいナンパの手口……?
特定の相手を作らない白澤様が、私のことをそんなにたくさん考えてたなんて……嘘だぁ……
あっ!わかった、誕生日プレゼントのリップサービスですね?あはは、うれしい」
「……名前ちゃん。僕、そんなに信用ない?」
わざとらしく胸を押さえて大げさに傷ついた顔をする男の方を笑いながら見上げたら、全く笑っていない瞳と目が合って息が止まる。
「作り話でここまで具体的に言うほど暇じゃないよ~。
ナンパの手口?アハハ!それならもっと甘く言うって。
君だけだよ♡って軽く言って、その場で蕩けさせる方が効率いいでしょ」
でも今のは、効率悪いでしょ。
ため息交じりに吐き出すようにそう言った彼が、自嘲気味に笑う。
だって僕、自分が我慢してたなんて、格好悪いことわざわざ言ってるんだよ?
絡めた指を、握り直してさらに少し強く握られる。
「僕が特定の相手を作らないのは、きちんと向き合うのが面倒だったから……本気で選びたくなる相手がいなかっただけ。
その場を楽しく過ごしたいだけだから誰相手でも誠実に『遊んでください』って言ってただけ」
肩も二の腕もぴったりくっついた距離で目線が絡む。
「……去年の夜から、ずっと。
名前ちゃんの下次见 が、妙に残ってた。
だから待ってた。僕から会いに行くんじゃなくて、
名前ちゃんが呼んでくれるのを」
息ができない。
目がそらせない。
「それが、今日」
……嘘に見える?
そう聞いてゆるむ紅く彩られた目元が、いつもより広範囲で赤くなっている。
僕にしか選択肢がない、なんて言われたらさ。
嬉しいに決まってるでしょ。
額を軽くこつんと合わせながら、このひとはいま、なんて言ってる?
「今年もちゃんと、僕を選んでくれた」
うれしくて仕方がない、そんな顔で見つめられる。
ねぇ名前ちゃん。そう呼ぶ目の前の男から、ずっとずっと目が離せない。
「まだ僕、ただのナンパ師に見える?」
「…………見えます……」
ガクーッと効果音がつきそうなくらい見事に白澤がずっこけた。
ベッドから床へ落っこちてしまった彼とやっと距離ができて、止まっていた息を大きく吐き出す。
「だ、だって、私に都合が良すぎる。夢見てるみたい。
軽くてチャラくて女の子なら誰でもウェルカムな白澤様が、
たくさんいる女の子の中の一人として私とも遊んでくれてる……
私たち、そういう関係のはず……ですよね……?」
足元に座り込んでいる男の表情が見えなくて、こわくて、口が止まらない。
「私は……白澤様しかいらないと思ってるけど……白澤様にとってはたくさんいる中の1人でしょ?それでも良いって思ってるから、嘘つかなくていいんですよ。私は他の子たちと違って、そんなことで怒ったりヤキモチ妬いたり叩いたり殴ったりしません」
痛いくらいの沈黙。
こちらを向かないまま、白澤がぽつりとつぶやく。
「……名前ちゃん。それ、本気で言ってる?」
聞いたことがない声に、息が止まる。
動けなくなった私をちら、と見上げた白澤が、情けない顔をしたまま両手で名前の頬を包む。
「夢みたい?都合が良すぎる?……それはさ、名前ちゃんがずっと僕を“そういう男”だって思い込んで見てるからだよ」
白澤の手はひどく冷えていた。
「軽い。チャラい。女の子ウェルカム。うん、否定はしない。
昔も今もそういう面はあるからね。
でも……僕が本気で触れたい相手、僕がわざわざ毎年会いに来る相手、僕が一年我慢して待つ相手。
それ、何人いると思う?」
下から伺うようにのぞき込まれる。視線が捕らえられる。
「遊びの子に、待つなんて面倒なことしないよ。
欲しくなったらその場で口説く。
会いたくなったらその場で連れ出す。
……名前ちゃんには、しなかった。
待った。呼ばれるのを」
親指で頬をそっと撫でられる。
「でも、だって、たくさんいる中の一人でしょ?」
「違う。たくさんいる枠に入れてない。
……だから逆に、扱いに困ってるんだよ」
小さく笑って、優しい瞳で見つめられる。
名前ちゃんを選びたいし、選ばれたい。
毎年誕生日に一年無事でいることを確認したい。
僕の隣で存在している証を毎年刻みたい。
生まれたことを祝福して、僕で満たして、独り占めしたい。
あまりに非現実的なことばかり言うから、耳では聞こえてるのに理解できない。
「叩かないし殴らない?
……それはありがたいけどさ。
僕が欲しいのは、良い子ちゃんの諦めた顔じゃない。
ヤキモチ妬いてもいい。怒ってもいい」
両手で包まれた頬をそっと引き寄せられる。
「名前ちゃんが僕しかいらないと思ってくれてるように、
僕だって、“名前ちゃんだけは手放したくない”って思ってる」
額をそっと寄せられ、至近距離で焦点の合わない視線が絡む。
「年に一度の逢瀬で我慢してた理由、わかる?
……怖いんだよ。
ちゃんと選んだら、ちゃんと独占したくなるから」
ねぇ。
まだ僕、“たくさんの中の一人扱いしてる男”に見える?
切ない色した瞳に自分が映っている。
ひどい顔をしていた。
こんな顔、このひとに見せたくない。見られたくない。
からからに乾いた喉からなんとか声を絞り出す。
「まさか、そんな…困ります。
誰彼構わず優しくしてくれる白澤様だから私にも優しいんだって、そういう存在だから割り切らないとって、みんなの白澤様だからみんなで分け合わないとだめって、独り占めは許されないって、誕生日なら仕方なく許されるかもしれないから毎年誕生日の一晩だけ独占させて欲しい、それ以外の364日は望まないからって…そう線引きしないと、嫉妬でおかしくなっちゃうから…重い女になっちゃうから…本気じゃないですって伝えなきゃ…白澤様にライトに可愛がってもらえるような女でいなくちゃって…私………」
絞り出したが最後、今度は止まらなくなった名前に息をさせるため、白澤の手が優しく輪郭を撫でる。
……名前ちゃん。
優しく呼ばれ、目線を合わせる。
ただ、額にそっと自分の額を合わせ、それ以上の距離は詰めず、説くように静かな声がする。
「そんな線、引かせて对不起 。『みんなで分け合わないと』なんて」
かすかに苦笑するけれど、声はやわらかい。
「誕生日の一晩だけ独占でいい?他の364日は望まない?
……馬鹿だなぁ。それ、全然ライトじゃないよ。
一年我慢して、一晩に全部かけるなんて。
そんなの重いというか……健気すぎる」
指先で、揺れる睫毛の下をそっとなぞられる。
「嫉妬でおかしくなりそうだったんだ?重い女にならないようにって、自分を削ってたんだ?僕に嫌われないように」
……うれしい。
とろり、と白澤の笑みがとろける。
「ねぇ名前ちゃん。
“ライトに可愛がってもらえる女”でいなくちゃ、って思ってる時点でさ。それ、もう本気なんだよ」
軽い相手に、そんな努力しない。
言い聞かせるように言って、頬を掴む手がほんの少しだけ強くなる。
僕はね。
誰彼構わず優しくはする。
でも、毎年同じ子の願いを拾いに来たりしない。
一年待ったりもしない。
『困る』って言ったよね。
何が困るの?
僕が本気かもしれないってこと?
優しい声が降ってくるたび、胸がひたひたになる。
視線を絡める白澤は止まらない。
「名前ちゃんが独占したいなら、していい。重い女になってもいい。嫉妬しても、拗ねても、怒ってもいい。
それで離れる程度の関係なら、とっくに来てない」
額を離さず、一段低くなった声が耳から脳を揺らす。
「一年に一晩なんて、僕がもう我慢できない。
……364日も、ちゃんと欲しいよ」
ねぇ。
それでもまだ、
自分を削って“軽い子”でいる?
じっ…と見つめてくる白澤と絡んだ視線が解けない。
何から言っていいか分からず、唇をしばらく震わせていたがようやく口を開いた。
「…本当は毎日でも会いたい、って言ったら…叶えてくれるんですか……?」
消えそうな震える声でなんとか絞り出す。
やっとのことで絞り出した声を聞いて、ふっと白澤の表情が変わる。
……名前ちゃん。
ゆっくりと両手の親指で両頬を撫でられる。
「毎日でも会いたい、って、それ、僕にとってはご褒美みたいな言葉だよ」
困ったように眉は下がっているのに、瞳に歓びが溢れている。
「“毎日物理的に会う”は、正直に言えば難しい日もある。
僕は僕の場所があるし、名前ちゃんには名前ちゃんの生活がある」
急に現実的なことを言い出すので心がサッと冷え始めたが、それを察したのか両手に力が込められて頬をさらに固定される。
しっかりと言い聞かせるように強く視線が絡む。
でも。
毎日、想っていい。
毎日、声を聞きたいって言っていい。
毎日、独占したいって言っていい。
それは叶えられる。
僕が望めば来られる日もあるし、
呼ばれたら応えることもできる。
名前ちゃんが、“毎日会いたい”って言っても嫌われないって、本気で信じられるかどうか。
僕はね、キミには重いとか面倒とか思わない。
むしろ嬉しい。
だってそれ、本音でしょ?
叶えてくれるんですか、って聞くんじゃなくて……
一緒に叶えていこうよ。
毎日会えなくても、毎日想うことはできる。毎日、この人だけを好きだって、この人だけを選びたいって。
私の理解が追いつくように、やさしく、しずかに、ゆっくりと。
親指でやんわり耳たぶを撫でられながら伝えられた言葉を胸の中で反芻する。
くい、と顔を少し持ち上げられて、改めて目と目が合う。
白澤は見たことがないくらい真剣な顔をしていた。
「僕は選ぶ。名前ちゃんを。
……名前ちゃんは?
毎日、僕を選ぶ覚悟、ある?」
「……選んで、いいの?
すぐ捨てない?他にもそういう扱いの子、作らない?
来る者拒んで、自分からも追わないで、私だけを選んでくれる?」
「作らないよ。遊びは遊び。本気は一人で充分」
真剣な瞳に熱が宿ったのを見て、スッと白澤から目を逸らす。
こんなに真剣に伝えてくれるなら、
こちらもちゃんと伝えておかなきゃいけないことがある。
「………………実は、私もうすぐ現世での禊が終わるんです」
緊張で、言葉が震える。
でも言わないと。聞かないと。
「地獄か天国かそれ以外…現世以外ならどこへ行ってもいい身になれるんです。でも私の居場所はどこにもないから…どうしようか迷ってたら、鬼灯様が獄卒にスカウトしてくださって…地獄へ行こうかなって。でももし…天国にも居場所を作れるなら…天国に行けば、今よりもっと、白澤様に会える機会が増えますか…?」
さっきまであんなに真面目な顔をしていた白澤が急に百面相し始めたので、名前はキョトンとそれを見上げるしかない。
驚いたように目を丸くして、ぎゅっと顰め面になり、嬉しそうに頰に赤みが差したあと、すぐにまたぎゅっと顰め面になる。
不安に思いながら返答を待っていると、目線をあちこちに飛ばしながらものすごく言葉を選んでいる様子の白澤がゆっくり口を開いた。
「禊………おわるの?そっか………それは……うん…………そうしたらここでの生活は終わるからね………うん……鬼灯といつそんな話したの?って聞きたいけど……今は、うん、あー…会える機会増やしたいって思ってくれるの、可愛すぎて、嬉しい…ありがとね、謝謝。嬉しい、本当、まずはそうだね、ちょっとハグさせて」
気持ちが整理しきれないとばかりに強めにぎゅっと抱きしめられる。
肩口に額を押し付けた男は、ぐりぐりと額をすりつけながら唸るように続けた。
「天国に来れば、確かに今より会える。でも、次の場所をそんな理由で決めたらいけないよ。大事なことだ。
僕に会いたいから天国を選ぶって考えてくれるのは本当に嬉しい。可愛すぎてどうにかなりそう。
……だけどさ、僕、名前ちゃんのこと本気で考えてるから…それだけで決めてほしくない。
僕は名前ちゃんに“居場所がないから誰かの側に行く”選択はしてほしくない。僕の隣を選んでくれるのは大歓迎、嬉しいよ。
天国を選んだら、僕は本気で迎えに行く。地獄を選んでも、会いに行くけどね。
……居場所がないなら、作ればいい。地獄でも、天国でも、どこでも。僕が理由の一つになるのはいい。でも全部になるのは違う。そんなことされたら、僕はキミを閉じ込めてどろどろに溶かして二度と離さなくなっちゃう。名前ちゃんにはさ、ちゃんと自分の力で立って、生きて、その上で僕を選んで、自分の意思で僕の隣に立って欲しいんだ。……伝わってる?」
欲を精一杯ギリギリの力で冷静さが抑え込んでいる、そんな大人な顔で見つめられる。
ああ、この人はひとりの男である前に神として導こうとしてくれている。
これは男女の色恋の話ではない、私の魂の行き先を決める話だから。
名前ちゃん。
どこに行きたい?
“僕に会える場所”じゃなくて、
名前ちゃんが立ちたい場所はどこ?
そう問われても、私の答えなど単純明快なわけで。
「……去年までの“ただただ優しい白澤様”なら手放しで大喜び大歓迎して、極楽満月に居候していいよって言ってくれると思ってました。
でも、一緒に暮らしたら、毎日のように白澤様が連れ帰ってくる色んな女の子を目の当たりにして我慢できなくなっちゃうだろうから、それなら獄卒として地獄にいる方が、白澤様と楽しく会えるかなって思ってた。
獄卒になったら閻魔庁の独身寮に住んで良いって言われてるんです。鬼灯様のお隣のお部屋だそうです。地獄で一番安全な場所だって言われました。…鬼灯様のそばにいれば、白澤様にたくさん会えるかなって下心もありました。私、立ちたい場所とか立派なもの、ないんです。白澤様に会える場所、って軸しか…なくて……」
ぽろりと涙が溢れる。
あーあ、今夜は泣かないって約束したのに。
怖い顔になった白澤から目を逸らす。
「地獄の独身寮に…しかも鬼灯の隣?そんなの、想像しただけで無理だ。本当に名前ちゃんは僕を煽るのが上手だね」
冗談めかして言うつもりが思いのほか低い声色になったのを自分でも意外に思ったのか、白澤は短く息を吐いた。そして真面目な声音のまま続ける。
「名前ちゃん。立派なものがない?あるよ。僕を選びたいって本気で言える強さ。立派だよ」
涙をそっと拭う手が震えているのに気付き、もう一度目線を合わせる。
欲が、冷静さに勝ちそうに揺れている瞳と目が合う。
「去年までの僕なら、極楽満月においでって軽く言った?
……言ったかもね。居候? 大歓迎♡ って。でもさ、今の僕が名前ちゃんと同居した上で毎日のように女の子を連れ帰ると思う?本気で迎える相手がいる家に。
……しないよ。
ねぇ。もし僕が……女の子を連れ帰らないって言ったら?名前ちゃんを迎えるなら、他は全部切るって言ったら?
それでも地獄に行く?」
ゆらゆら。
どんどん熱が帯びていく瞳に吸い込まれる。
「……そんなこと、できるんですか?
女の子大好きで、女の子と遊ぶために薬学の知識身につけたような人が、たった1人選んで他は全部切る?そんな我慢、させたくないです…。
…………私、衆合地獄の花街で花魁やろうと思ってて。獄卒にスカウトしてもらったけど、私なんかには荷が重くて…でも花魁なら……出来るかなって。お香さんにも仕事先お世話してもらおうと話始めてて…白澤様、花街常連でしょう?花街で部屋持ちになれたらいつ白澤様が遊びに来てくれても受け入れられるし、気軽に抱いてもらえて幸せだろうなって…そんな程度の覚悟しかない女です。白澤様が来ない間、誰の相手をすることになっても、白澤様さえたまに来てくれるならそれで全然構わないって思えちゃうような、醜い女なんですよ。現世でおとなしくしてる今だと健気で可愛い女に見えるかもしれないけれど。本当はその程度の女です。………それでも、さっきと同じこと言えますか?」
ちゃんと正直に。
あなたに本気で選んでもらえるような女じゃないですって、誠実に伝えなきゃ。
見たこともないくらい怒っている顔が怖くても、ついに嫌われたって実感して心が潰れても、ちゃんと伝えなきゃ。
目は逸らさない。
静かに長々と吐かれた息がこわくても、身体がビクッと揺れてしまっても、目だけは逸らさない。
「…………花街?衆合地獄で、花魁?僕が常連だから、いつでも受け入れられる?気軽に抱いてもらえて幸せ?」
静かに復唱されて、自分が本当に卑しい女だと言い聞かされているようで涙が滲む。
でも目は逸らさない。
真剣に考えて伝えてくれているこの人に、誠実に事実を伝えなきゃ。
白澤の双眼が細くなる。
「それ、本気で僕が喜ぶと思った?」
低い声。
ビリビリと怒気が全身を痺れさせる。
頷きたいのに反応できない。
「僕が遊びに来て、他の男の匂いが残る部屋で、『でもあなたが一番です』って微笑まれるの。それでも僕は喜んでキミを抱くと思った?……そんな安い男に見える?」
両肩を掴まれる。指が食い込んで痛い。
「名前ちゃん。それは覚悟じゃない。自傷行為だよ。自分を安く差し出して、『それでも来てくれるなら充分』って言い訳してるだけ。…醜い?違う。怖いんだよ。僕を本気で選ぶのが。僕に本気で選ばれるのが。
だから自分を“誰でも触れられる位置”に置いて、『私はその程度です』って予防線張ってる」
幼子に言い聞かせるように覗き込まれる。
あまりに強い眼力に、金縛りにあったように目をそらすことは許されない。
「僕は女の子が好きだよ。可愛い子も、綺麗な子も好き。
でもね、“好き”と“選ぶ”は違う。
花街で部屋持ちの名前ちゃんを、たまに抱きに行く?他の男の相手をしても構わない?僕がたまに来れば幸せ?
……僕が嫌だ。耐えられない」
苦しそうに顔が歪む。
「さっきと同じこと言うよ。もし迎えるなら、他は切る。
名前ちゃんが花街に立つなら、僕は通わない。中途半端な関係に落とさない」
額を軽くぶつけられ、じん…と熱が伝わる。
「ねぇ。僕が女好きなのは事実。でも、本気の相手が他人に触れられるのを平気で見られるほど、寛容でも聖人でもない。
それでもまだ同じこと聞く?それとも僕だけを選ぶ?……ここまで言っても自分を安く売る方が楽?」
泣いているのはこちらなのに、なぜか白澤様まで泣きそうだ。
泣かないでほしくて、彼の冷たい頬を撫でる。
「………本気で喜ぶかは分かりません。
その場だけ喜んで優しくしてもらえるなら、それでよかった。他の日に他の人のところへ行かれても、来てくれる日に独り占めできるなら大丈夫、って思ってた……たしかに白澤様のこと、安い男だと思ってたことになるかもしれません。失礼を、ごめんなさい…」
揺れる瞳を捕まえるように、しっかり覗き込む。
さっきまで捕えられていたのは私の方だったのに可笑しいな。
「…………こわい…そうかも。本気で選ばれたら、いつか捨てられる日が来る。いつでも軽く遊べるならいつでも同じ扱いをして貰える。だったら後者がいいって思ってました。
白澤様の隣に立てるような、そんな存在じゃないです私…まともに並んだら釣り合わない。たまに気まぐれで選ばれるくらいがちょうどいいんです。だから、目を覚まして白澤様。私なんかに本気になったらだめです。あなたは神様なんですよ」
迷子みたいな目で見つめられる。
しばらく、お互い何も言わない。
いつもだったらとっくに唇を合わせている距離感で、涙も言葉も全部受け止めるみたいに、ただただ見つめ合っている。
……名前ちゃん。
重い沈黙を辛そうな声が破る。
僕が、神様だから、だめ?
頷こうとするも、合わせたままの額に力を込めて、後頭部を手で固定されて、頭が動かせない。
「……じゃあ聞くけど。
神様は、本気になっちゃいけない決まりでもあるの?」
後頭部に回っていない方の指先で、震える唇に触れそうで触れない距離をなぞられる。背筋が粟立つ。
「捨てられるのが怖いから、最初から軽い位置にいる?
……僕みたいなこと言うんだね。
それ、賢い選択に見えて一番自分を傷つけるやつだよ」
軽く息を吸った神獣の瞳がこちらを貫く。
見えないはずの額の眼すら、こちらを見ているようだった。
「『いつでも同じ扱いをしてもらえる』?違うよ。ちがう。
それは“同じ扱い”じゃない。最初から替えのきく場所に自分を置いてるだけ」
そんなに苦しそうな顔をしないで欲しい。
どこか人ごとのようにそう思う。
眉を寄せて顔を歪ませている男は静かに続ける。
「釣り合わない?誰と誰が?神様と人間?釣り合う釣り合わないって誰が決めるの?
……僕が今こうして、本気で怒って、本気で引き止めてるのは、何?」
額を押し付けたまま首を振られ、鼻先が擦れる。
「釣り合いなんて、ないんだよ。僕が隣に置きたいかどうか、キミが隣を望んでくれるかどうか、それだけ。
『私なんか』って言わないで。僕の大切な人を下げないで。
『本気になったらだめ』?どうして?それ、僕の選択を奪ってる。僕が選んでるって言ってるのに、勝手に却下しないで」
額が横に滑って、頰と頬が重なる。
すり、と頬をすり寄せて耳元で直接吹き込むように静かに囁かれる。
「怖いなら怖いでいい。でも、“捨てられる未来があるかもしれない”から“最初から本命にならない”って選ぶのは、本当に名前ちゃんが望んでる形?」
耳たぶに唇を寄せられて、思わず身震いする。
かぷり、甘く歯を立てられて、しがみつくように白衣を握りしめた。
そんなこと気にも留めないように、白澤は低く、はっきり言葉を続ける。
「僕はね。花街に立つ名前ちゃんをたまに抱きに行くより、お互い捨てられる未来のリスクがあっても、ちゃんと自分の力で隣に立つ名前ちゃんを選びたい。……僕からは捨てたりしないけど」
耳元から、頬から、熱が離れる。
両肩をやわく掴まれて、改めて至近距離で覗き込まれる。目線が絡む。白澤の瞳はもう揺れていなかった。強い意思を灯らせて、じっと見つめてくる。
「何百年も何千年も何万年も。永く生きる中で、本気になれる相手が何人いると思う?……キミが初めてなんだ」
目が僅かに細められる。
「ね、本当に僕のためを思うなら『目を覚まして』じゃなくて、『一緒に覚悟しよ』って言ってよ。
僕はもう、軽い遊びの位置に戻れない。
名前ちゃんは?」
眉根を下げて、請われるように問われ、心臓が震える。
涙が溢れて焦点が合わない。
………一緒に、覚悟………
そう呟いた私にあまりにも優しい笑顔を向けてくれるから。
喉が詰まる。
「…ッ、すごくこわいです、今。
何もかも諦めてたのに、急にこんな…ッ………意味のある選択肢を与えて………酷いです、私、覚悟なんてものとは一番縁遠いのに………賭けられる命も人生も何もないのに…」
しゃくりあげる私をあやすように、肩を掴んでいた両手が背中に回ってゆるく抱き寄せられる。ぽんぽんとゆっくり撫でられる背に意識を向ける。
泣きすぎて頭がぼんやりする。
「…………これ、もしかして私への罰なのかな。
禊で現世にいるのに、誕生日だからって甘えて、自分の欲で貴方を呼んだ罰?」
途端、さっきまでと違う理由で息が詰まる。
これは、泣きすぎて息が苦しいんじゃない。外からの圧。
本気で怒っている白澤の神気に当てられて、息が荒くなるけれど、それでも伝えたくて言葉を紡ぐ。
「…………白澤様のきもち、手放しで信じられなくてごめんなさい。でも本当にわからないんです、なぜあなたみたいな方が私を選ぼうとしてくれてるのか…」
金色になりかけていた白澤の瞳をじっと見上げれば、はっとした顔になった白澤が瞬く。空気がやわらぐ。見上げた瞳はもういつもの黒曜色。
張りつめていた神気がすっと引く。呼吸が楽になる。
軽く咳き込む私の背中を慌てたような手が忙しくさする。
「……ごめん。怖がらせるつもりじゃなかった」
そっと頬に触れた手が、本当にやさしく、控えめに、顔を上に向けてくるので、抗わずにされるがまま見上げる。
「罰じゃない。禊の最中に僕を呼んだことも、誕生日に甘えたことも、罰になんてしない。
……今までずっと“選ばない”ことで自分を守ってきたんだよね。だから急に“選べる”って言われて、足場がなくなったみたいになってる」
頬を撫でる指がやさしい。
「賭けられる命も人生もない?あるよ」
反対の手がやさしく、私の胸の中心に沿う。
「今ここで震えてる、その心。それが一番重い。何よりも重い、覚悟の塊。」
白澤の手はすっかり暖かくなっていた。
手のひら越しにこの暴れる鼓動が全部伝わってる、そう想うと肺から全身に熱が放出されるみたいに身体が震えた。
「どうして僕が名前ちゃんを選ぼうとしてるのか、分からない?」
くす、薄い唇が弧を描く。
「簡単だよ。一緒にいるとき、僕が一番“ちゃんとした自分”になるから。
軽口叩いてるだけの白澤じゃなくて、本音を言わされる白澤になる。
…それが嫌じゃない。むしろ、心地いい」
瞳が伏せられ、綺麗に扇状に広がった睫毛が震えた。
「何万年もふらふらして、いろんな子に手をつけて、選んで選ばれて捨てて捨てられて。僕がよりどりみどりなのと、それでも選びたいって思った相手が名前ちゃんだってこと、全然矛盾しないからね?」
再度持ち上がった睫毛から、綺麗な瞳が覗く。
「信じられなくていい。今すぐ全部受け止めなくていい。
でも、罰だとか、身の程だとか、そういう理由で自分を下げないで。
僕が選ぼうとしてるのは、“かわいそうな子”じゃない。
“本気だからこそ震えてる子”、宝贝…总是同一个可爱的女孩 」
愛おしそうなため息が漏れ、自分の鼻先に暖かく息がかかる。
こつん、とまた額を合わせて鼻先をすり寄せられる。
「怖いなら、一緒に怖がろう。覚悟って、最初から強い人が持つものじゃない。
震えながら、それでも手を離さないこと。
ね、……僕を、選んでくれる?」
頬をひと撫でした手の甲が裏返され、顔の横で待つように手を差し出される。
横目でその手のひらを確認し、もう一度至近距離で目を合わせる。じっと逃げずに懇願するような瞳を向けられる。
再度、顔の横の手を見、白澤の目を見、を何度か繰り返したあと、短く息を吸って、恐る恐る、でもしっかりと白澤の手を取り、握った。
「………離さない、離したくない…………だから白澤様も離さないで欲しい…………」
白澤の手が白むくらい、強く握りしめる。
力の加減などできなかった。
「好きです、白澤様。
いつもへらへらしてふらふら遊んでいるあなたが、私を見る時たまに見せる執着みたいな焦りみたいな…獣の瞳が揺れるのが、好きです。
…………白澤様を選びたい。選ばれたい。一緒にいたいです…ッ」
私が握るより強い力で握り返された手がパキ、と軽い音を立てた。
そんな音、聞こえないくらい強く、身体も抱き締められる。
「……離さない」
骨が軋むくらい、強く強く抱き締めて。
首と肩の間に埋まった頭からくぐもった声がする。
「名前ちゃんが離さないなら、僕も離さない」
鼻を啜る音と共に乾いた笑い声が吐き出される。
「アハハ、……ずるいなぁ。僕が隠してたところ、ちゃんと見てたんだ」
へらへらしてる裏の、焦りとか、執着とか。
あれ、格好悪いからあんまり見せたくなかったのに。
小さく笑って、顔を上げた白澤が、肩に頭を預けたままこちらを見上げる。
「でも好きって言われたら、隠す気なくなる。
………名前ちゃん。
僕も好きだよ。
軽い意味じゃなくて、本気で選びたい、選ばれたい。
僕の隣で…」
少し体を起こして、指を絡め直して、息のかかる距離で確かめるように瞳を覗き込まれる。
「……改めて言うね。名前ちゃん。
僕と本気で一緒に生きる覚悟、してくれる?」
「…………覚悟、します」
返事を聞いた白澤は、それはそれは嬉しそうに、幸せというものはこういう顔をしているのだろうな、というような甘ったるい顔で笑った。
つられて名前も笑う。
湿度を発しているのがどちらの涙かわからない。
ようやく、待ち焦がれたように唇が重なろうとした、その時。
名前の身体が急に光り輝いた。
「えっ………」
―― あなたの禊はこれで終わりです。
さぁ、行き先を選びなさい ――
どこからともなく、声が響く。
1DKの狭い部屋に不釣り合いなほどの光量が部屋を照らす。
だんだん名前の肉体が消えていき、眩く輝く魂だけになっていく。
繋いだ手が、質量を失い、空を切る。
「………っ白澤様…!」
怯えた必死の声で呼ぶ。
まだ、声は聞こえていて、どうか。
「白澤様と、一緒に生きたい、です……!!」
腕の中から溶け出すように質量を失って、眩い光に包まれた魂を見て、神獣は一瞬だけ目を見開き、天を睨んだ。
……ああ、そう来るか。
「禊、完了。
ずいぶん急だね。人の覚悟が決まった瞬間を狙うなんて、趣味が悪い」
憎悪を吐き捨てるように呟いて、消えかける魂へ、迷いなく手を伸ばす。
肉体はない。
触れることはない。
ただ、たしかにそこに熱がある。
「名前ちゃん。怖がらなくていい、任せて」
神気が広がる。今度は圧ではなく、包むようにやわらかい光。
完全に光に成り替わろうとする名前のひとかけらに手が届く。
「一緒に生きたい、って言ったね。
その言葉、聞いた。
もう取り消せないよ」
白澤が、魂を両手で包み込む。
行き先を選べ、だって?
簡単だ。
僕がいる場所だよ。
天へ向けて静かに告げる。怒気の孕む、確固たる意志を持った強い言霊。
この子は天国に来る。
僕の庇護下だ。
文句があるなら、僕に言って。
大気に溶けようとする魂を、かき集めるように。
抱きかかえるように。
離すまい、漏らすまい、と腕を抱える。
まばゆい光に視線を落とす。
名前ちゃん。
覚悟するって言ったね。
じゃあ今日から、
“僕が会いに来る存在”じゃない。
“僕の隣で生きる存在”だ。
抱き込んだ光に、そっと額を寄せる仕草。
もはやただの光の塊。
白澤の顔が照らされる。
離さないって言ったでしょ。
神様の言質、重いよ?
やわらかく笑う。
白澤の瞳が金に、髪が白く長く変わる。
さぁ、おいで。
天国は甘いだけの場所じゃないけど、
僕の隣は、ちゃんと温かい。
……一緒に生きよう。
今年も様々なことがあった。
日々をやり過ごすことで精一杯で、今日が何日かなんてわからなくなっていた今夜。
日付が変わり、つけっぱなしだったテレビから聞こえた時報が、何月何日の0時になりました、と機械的な声を発した。
ああ、今日は誕生日か。もうそんな時期か。
……誕生日の夜、ね。
もう一年たっちゃった。
去年は幸せだったな。今年もまた会えたらいいのに。
そんな自分に都合がいいことを考えながらテレビを消したのと同時、ベランダにことり、と軽い音が落ちる。
普段なら全く気付かないような小さな音だったのに、はっとそちらに注目したのはどうしてか。
「晩上好♡」
月明かりを背負って、白衣の男が手すりに腰をかけていた。
「……去年さ、来年も会えますようにって顔してたでしょ?」
ひらりとベランダに降り立ち、いつもの飄々とした笑みでこてんと首を傾げて笑うその男にくぎ付けになる。
どうして。
だって今年は。
日付が変わったことにすら自分では気付かず、今日が何日かもわからなくなっていたというのに。
去年と違って、願うことすらできていなかったというのに。
「願い事、ちゃんと届いてたよ。僕、律儀だからね。毎年恒例、愛しい子の誕生日訪問。来ちゃった♡」
恐ろしいくらい綺麗に笑った男が彼と私を隔てる透明な壁に視線を移す。ハッとして転びかけながら慌てて窓辺に駆け寄り、焦る手つきで開錠する。
勢いよくガラスの引き戸をスライドしたせいで、一度全開になった窓は、反動で跳ね返って中途半端な隙間を作った。
そんなガラス戸に手をかけて、男がゆっくり部屋へ入ってくる。
じっと目をそらさず、そらせず。切れ長の瞳がさらに少しだけ細まる。
「……僕の可愛い名前ちゃん。今年も
ガラス戸の前に膝をついて座り込んでいる私にそっと歩み寄り、頬に指先でなぞる。
「去年より、少し大人っぽくなった?それとも僕の気のせいかな」
くすりと笑い、額に軽く口づけられる。
くらくらして、なんで、もどうして、も口から出ない。からからだ。
期待に応えようと唇を差し出せば、きれいな白い指先がそれを制した。
「安心して。今年は『たべない』。……たぶん」
悪戯っぽく肩をすくめて笑う男は、去年と同じ場所に腰を下ろすと私の顔を覗き込んだ。
「ほら、そんな顔しないの。焦らすのも醍醐味でしょ?」
試すような視線が絡んで、うまく息ができない。
「……さ、今年はどうする?また泣かれちゃったら……同じ流れになっちゃいそうだけど」
耳元に顔を寄せ、柔らかい声が吹き込まれる。
「……今年も、僕を独り占め、する?」
耳元で感じる熱があつい、あつい。
至近距離でのぞき込まれ、ようやく処理が追いついた私の口から一気に思いがあふれ出す。
「白澤さま……嬉しい……お祝い、ありがとうございます」
なんで、どうして。
そんなこと今更どうでもいい。
そんなこと聞く時間が惜しい。
遊び人の彼が、わざわざ『たべない』と宣言したことは引っかかるが。
じゃあ、どうしてきたの。なにをしにきたの。
「……はい、『遊んで』もらわなくても、一緒におしゃべり出来れば充分です」
去年もとても幸せだったけれど。
やさしく甘やかしてもらって疲れて寝てしまって一緒にいられる貴重な時間を無駄にしたと思う。
今年こそ……もっと長く、与えられた時間いっぱい、独り占めさせてほしい。
そんな欲は口に出さず、控えめに会話だけ要求すれば、
ふっと目を細めて、少しだけ驚いたように笑われた。ああなんて綺麗。好き。
「……ああ、やっぱり名前ちゃんはそう言うんだ」
そっと近づく鼻先。けれど触れない距離で止まり、サラサラの黒髪から透明感のある瞳が愉快そうに覗く。
「……本当に、いいの?ただおしゃべりするだけで」
僕、結構我慢できない方だけど、今夜は頑張るね?
くす、と喉の奥で笑いながら男がいう。
そんなこと言うなら我慢しなくていいのに。好きなだけ遊んでくれていいのに。
そう思いながら大人しく男の横に腰掛けた。肩が触れるか触れないかの微妙な距離。
今年はね、と続く言葉に耳を傾ける。
「今年はね、ちゃんと“お祝いしに来た”んだよ」
名前ちゃんが元気で、笑ってて、また僕を呼んでくれた。
それだけで十分だから。
そう囁きながらゆっくり手を伸ばして、頬にかかった髪を払われる。
今年はちゃんと呼べたわけじゃないのに。
それでも願いを拾ってきてくれた。
うれしいうれしいうれしい。
胸がいっぱいになったせいで、ついさっき我慢したばかりの欲望が口から滑り出る。
今年こそ……もっと長く、与えられた時間いっぱい、独り占めさせてほしい。
「え。……今年こそ独り占めさせてほしい、かぁ」
白澤は一瞬目を瞬かせ、
それ、僕が言う台詞だと思ってたんだけどな。
と、視線を絡めたまま、少しだけ声を落とす。
「いいよ。今夜は僕、どこにも行かない。
名前ちゃんの部屋で、名前ちゃんの隣で、名前ちゃんの時間を全部もらう」
ただし……
そこで言葉を区切って悪戯っぽく微笑むと、つん、と鼻先をつつかれた。
「……去年みたいに泣いちゃったり……途中で可愛い顔して煽ったり、僕の理性を試すのは禁止。
今日は、隣に座って、肩が触れるくらいで。手を繋ぐくらいで。それでドキドキする夜にしよっか」
たまにはいいよね。そう言って、そっと手のひらを差し出す。
「……ほら、名前ちゃん。
今年の誕生日、一番最初に触れるのは……僕でいい?」
答えなんて決まってるのに、聞くのずるい。
「……はい。白澤様がいいです。他の人には触られたくない」
きっぱりそう言えば、くすりと笑って手を取られる。指が絡む。
「……今年はおしゃべり出来れば充分です、身体の関係は不要です……
そのかわり、たくさんお話ししてください。それが一番のプレゼントになるから……」
「……名前ちゃん、そういうこと、さらっと言うよね」
他の人には触られたくない、か。
ぽつり、と神獣がこぼす。
重かっただろうか。いやがられただろうか。
そんな不安がよぎったが、絡められた指がそっと握り直される。
「それは困ったなぁ。
僕、独占欲強いよ? 言質、取ったからね」
うそつき。
来るもの拒まず去るもの追わずなくせに。
誰もに平等で誰もに執着しないくせに。
くす、と優しく笑われて、胸が苦しくなる。
ああ、すき、すき。
「身体の関係は不要でたくさんお話……ね。うん、いいね。
今年はそうしよっか。
……去年みたいに溶ける夜も悪くなかったけど、
こうやって手を繋いで、ただ同じ時間を過ごすのも結構、贅沢だ」
ね?
やさしく微笑まれ、隣に腰かけた肩が軽く触れる。
「じゃあなに話す?名前ちゃんの一年を聞かせてよ。
笑ったこと。泣きそうになったこと。僕に会えなかった間のこと、全部」
弓なりに緩んだ瞳が、人好きのする笑顔をつくる。
「それとも先に、僕の話から聞く?
名前ちゃんを独り占めにできなかった一年間、
僕がどれだけ我慢してたか、とかさ」
「……白澤様が我慢を?」
私の話をしようと思ったけど、気になりすぎる導入に前のめりで「先に白澤様のお話、聞かせてもらえますか?」と口が動く。
ふ、と少しだけ視線を逸らしてから、肩を竦める男は軽く息を吐いて笑った。
「あれ、そこ食いつくんだ。
……名前ちゃんってさ、僕が余裕でふらふらしてると思ってるでしょ?」
指を絡めたまま、親指で手の甲をゆっくり撫でられる。
「我慢、してたよ。去年の朝さ。
あんな顔で見送られて、あんな声でまたねって言われて。
……普通に帰れるわけないじゃない」
苦笑して、天井を見上げる神獣。
「たびたび呼ばれてるの気付いても、すぐ行きたくなるのを我慢。
現世にふらっと降りるのを我慢。
名前ちゃんのこと考えすぎないようにするのも、我慢」
僕だって一応、立場あるからね?
そう言って笑う横顔から目がそらせない。
この人はいったい何の話をしているんだろう。
切れ長の瞳が横目でじっとこちらを見た。
「……でも、一番我慢したのはさ。
“次に会えたらどうなるか”を想像しすぎないこと。
だってさ、名前ちゃんがどんどん可愛くなってくの、知ってるから」
今年はどんな顔するんだろう、とか。
また独り占めしたいって言われたらどうしよう、とか。
……ほら、今も困ってる。
そう言って少しだけ距離を詰めてくる。触れていた肩が、さらに密着する。
「……身体の関係は不要、って言われたのに、
そんな目で見られたら理性が試されるでしょ」
もー、とわざとらしい非難めいた声をあげて、繋いだ手をぎゅっと握られる。
「だから今年は、我慢した一年。
……今日、名前ちゃんがちゃんと僕を呼んでくれるのを、待ってた」
ほんとうに、ほんとうに、いったい何の話をしているんだろう。
わからない。
心臓がばくばくと脈打って、耳があつい。
手がびっしょりになってきた。
「ねぇ、」
目線を合わせながら、すぐ隣から声がする。
今年もちゃんと、僕を選んでくれた?
それが一番知りたかったんだよ。
そう囁かれて、食い気味で、はい。と、すかさず頷く。
「…………選びました。選んだというか、白澤様しか選択肢がないというか。
今年も白澤様に会いたいなって思ったら……こうしてまた会いに来てくれました」
ここで止めればいいのに、言わなくていいことまで口が回る。
「白澤様は引く手数多のよりどりみどりだから我慢とは無縁で、余裕でふらふらしてると思ってました。
私なんかよりたくさん『遊んで』くれる女の子、いっぱいいるだろうし……」
白澤の話を信じられない顔で聞いている自覚がある。
握られた手にわずかに力を込められたことにも気づいてる。
「……今の、もしかして全部作り話ですか?新しいナンパの手口……?
特定の相手を作らない白澤様が、私のことをそんなにたくさん考えてたなんて……嘘だぁ……
あっ!わかった、誕生日プレゼントのリップサービスですね?あはは、うれしい」
「……名前ちゃん。僕、そんなに信用ない?」
わざとらしく胸を押さえて大げさに傷ついた顔をする男の方を笑いながら見上げたら、全く笑っていない瞳と目が合って息が止まる。
「作り話でここまで具体的に言うほど暇じゃないよ~。
ナンパの手口?アハハ!それならもっと甘く言うって。
君だけだよ♡って軽く言って、その場で蕩けさせる方が効率いいでしょ」
でも今のは、効率悪いでしょ。
ため息交じりに吐き出すようにそう言った彼が、自嘲気味に笑う。
だって僕、自分が我慢してたなんて、格好悪いことわざわざ言ってるんだよ?
絡めた指を、握り直してさらに少し強く握られる。
「僕が特定の相手を作らないのは、きちんと向き合うのが面倒だったから……本気で選びたくなる相手がいなかっただけ。
その場を楽しく過ごしたいだけだから誰相手でも誠実に『遊んでください』って言ってただけ」
肩も二の腕もぴったりくっついた距離で目線が絡む。
「……去年の夜から、ずっと。
名前ちゃんの
だから待ってた。僕から会いに行くんじゃなくて、
名前ちゃんが呼んでくれるのを」
息ができない。
目がそらせない。
「それが、今日」
……嘘に見える?
そう聞いてゆるむ紅く彩られた目元が、いつもより広範囲で赤くなっている。
僕にしか選択肢がない、なんて言われたらさ。
嬉しいに決まってるでしょ。
額を軽くこつんと合わせながら、このひとはいま、なんて言ってる?
「今年もちゃんと、僕を選んでくれた」
うれしくて仕方がない、そんな顔で見つめられる。
ねぇ名前ちゃん。そう呼ぶ目の前の男から、ずっとずっと目が離せない。
「まだ僕、ただのナンパ師に見える?」
「…………見えます……」
ガクーッと効果音がつきそうなくらい見事に白澤がずっこけた。
ベッドから床へ落っこちてしまった彼とやっと距離ができて、止まっていた息を大きく吐き出す。
「だ、だって、私に都合が良すぎる。夢見てるみたい。
軽くてチャラくて女の子なら誰でもウェルカムな白澤様が、
たくさんいる女の子の中の一人として私とも遊んでくれてる……
私たち、そういう関係のはず……ですよね……?」
足元に座り込んでいる男の表情が見えなくて、こわくて、口が止まらない。
「私は……白澤様しかいらないと思ってるけど……白澤様にとってはたくさんいる中の1人でしょ?それでも良いって思ってるから、嘘つかなくていいんですよ。私は他の子たちと違って、そんなことで怒ったりヤキモチ妬いたり叩いたり殴ったりしません」
痛いくらいの沈黙。
こちらを向かないまま、白澤がぽつりとつぶやく。
「……名前ちゃん。それ、本気で言ってる?」
聞いたことがない声に、息が止まる。
動けなくなった私をちら、と見上げた白澤が、情けない顔をしたまま両手で名前の頬を包む。
「夢みたい?都合が良すぎる?……それはさ、名前ちゃんがずっと僕を“そういう男”だって思い込んで見てるからだよ」
白澤の手はひどく冷えていた。
「軽い。チャラい。女の子ウェルカム。うん、否定はしない。
昔も今もそういう面はあるからね。
でも……僕が本気で触れたい相手、僕がわざわざ毎年会いに来る相手、僕が一年我慢して待つ相手。
それ、何人いると思う?」
下から伺うようにのぞき込まれる。視線が捕らえられる。
「遊びの子に、待つなんて面倒なことしないよ。
欲しくなったらその場で口説く。
会いたくなったらその場で連れ出す。
……名前ちゃんには、しなかった。
待った。呼ばれるのを」
親指で頬をそっと撫でられる。
「でも、だって、たくさんいる中の一人でしょ?」
「違う。たくさんいる枠に入れてない。
……だから逆に、扱いに困ってるんだよ」
小さく笑って、優しい瞳で見つめられる。
名前ちゃんを選びたいし、選ばれたい。
毎年誕生日に一年無事でいることを確認したい。
僕の隣で存在している証を毎年刻みたい。
生まれたことを祝福して、僕で満たして、独り占めしたい。
あまりに非現実的なことばかり言うから、耳では聞こえてるのに理解できない。
「叩かないし殴らない?
……それはありがたいけどさ。
僕が欲しいのは、良い子ちゃんの諦めた顔じゃない。
ヤキモチ妬いてもいい。怒ってもいい」
両手で包まれた頬をそっと引き寄せられる。
「名前ちゃんが僕しかいらないと思ってくれてるように、
僕だって、“名前ちゃんだけは手放したくない”って思ってる」
額をそっと寄せられ、至近距離で焦点の合わない視線が絡む。
「年に一度の逢瀬で我慢してた理由、わかる?
……怖いんだよ。
ちゃんと選んだら、ちゃんと独占したくなるから」
ねぇ。
まだ僕、“たくさんの中の一人扱いしてる男”に見える?
切ない色した瞳に自分が映っている。
ひどい顔をしていた。
こんな顔、このひとに見せたくない。見られたくない。
からからに乾いた喉からなんとか声を絞り出す。
「まさか、そんな…困ります。
誰彼構わず優しくしてくれる白澤様だから私にも優しいんだって、そういう存在だから割り切らないとって、みんなの白澤様だからみんなで分け合わないとだめって、独り占めは許されないって、誕生日なら仕方なく許されるかもしれないから毎年誕生日の一晩だけ独占させて欲しい、それ以外の364日は望まないからって…そう線引きしないと、嫉妬でおかしくなっちゃうから…重い女になっちゃうから…本気じゃないですって伝えなきゃ…白澤様にライトに可愛がってもらえるような女でいなくちゃって…私………」
絞り出したが最後、今度は止まらなくなった名前に息をさせるため、白澤の手が優しく輪郭を撫でる。
……名前ちゃん。
優しく呼ばれ、目線を合わせる。
ただ、額にそっと自分の額を合わせ、それ以上の距離は詰めず、説くように静かな声がする。
「そんな線、引かせて
かすかに苦笑するけれど、声はやわらかい。
「誕生日の一晩だけ独占でいい?他の364日は望まない?
……馬鹿だなぁ。それ、全然ライトじゃないよ。
一年我慢して、一晩に全部かけるなんて。
そんなの重いというか……健気すぎる」
指先で、揺れる睫毛の下をそっとなぞられる。
「嫉妬でおかしくなりそうだったんだ?重い女にならないようにって、自分を削ってたんだ?僕に嫌われないように」
……うれしい。
とろり、と白澤の笑みがとろける。
「ねぇ名前ちゃん。
“ライトに可愛がってもらえる女”でいなくちゃ、って思ってる時点でさ。それ、もう本気なんだよ」
軽い相手に、そんな努力しない。
言い聞かせるように言って、頬を掴む手がほんの少しだけ強くなる。
僕はね。
誰彼構わず優しくはする。
でも、毎年同じ子の願いを拾いに来たりしない。
一年待ったりもしない。
『困る』って言ったよね。
何が困るの?
僕が本気かもしれないってこと?
優しい声が降ってくるたび、胸がひたひたになる。
視線を絡める白澤は止まらない。
「名前ちゃんが独占したいなら、していい。重い女になってもいい。嫉妬しても、拗ねても、怒ってもいい。
それで離れる程度の関係なら、とっくに来てない」
額を離さず、一段低くなった声が耳から脳を揺らす。
「一年に一晩なんて、僕がもう我慢できない。
……364日も、ちゃんと欲しいよ」
ねぇ。
それでもまだ、
自分を削って“軽い子”でいる?
じっ…と見つめてくる白澤と絡んだ視線が解けない。
何から言っていいか分からず、唇をしばらく震わせていたがようやく口を開いた。
「…本当は毎日でも会いたい、って言ったら…叶えてくれるんですか……?」
消えそうな震える声でなんとか絞り出す。
やっとのことで絞り出した声を聞いて、ふっと白澤の表情が変わる。
……名前ちゃん。
ゆっくりと両手の親指で両頬を撫でられる。
「毎日でも会いたい、って、それ、僕にとってはご褒美みたいな言葉だよ」
困ったように眉は下がっているのに、瞳に歓びが溢れている。
「“毎日物理的に会う”は、正直に言えば難しい日もある。
僕は僕の場所があるし、名前ちゃんには名前ちゃんの生活がある」
急に現実的なことを言い出すので心がサッと冷え始めたが、それを察したのか両手に力が込められて頬をさらに固定される。
しっかりと言い聞かせるように強く視線が絡む。
でも。
毎日、想っていい。
毎日、声を聞きたいって言っていい。
毎日、独占したいって言っていい。
それは叶えられる。
僕が望めば来られる日もあるし、
呼ばれたら応えることもできる。
名前ちゃんが、“毎日会いたい”って言っても嫌われないって、本気で信じられるかどうか。
僕はね、キミには重いとか面倒とか思わない。
むしろ嬉しい。
だってそれ、本音でしょ?
叶えてくれるんですか、って聞くんじゃなくて……
一緒に叶えていこうよ。
毎日会えなくても、毎日想うことはできる。毎日、この人だけを好きだって、この人だけを選びたいって。
私の理解が追いつくように、やさしく、しずかに、ゆっくりと。
親指でやんわり耳たぶを撫でられながら伝えられた言葉を胸の中で反芻する。
くい、と顔を少し持ち上げられて、改めて目と目が合う。
白澤は見たことがないくらい真剣な顔をしていた。
「僕は選ぶ。名前ちゃんを。
……名前ちゃんは?
毎日、僕を選ぶ覚悟、ある?」
「……選んで、いいの?
すぐ捨てない?他にもそういう扱いの子、作らない?
来る者拒んで、自分からも追わないで、私だけを選んでくれる?」
「作らないよ。遊びは遊び。本気は一人で充分」
真剣な瞳に熱が宿ったのを見て、スッと白澤から目を逸らす。
こんなに真剣に伝えてくれるなら、
こちらもちゃんと伝えておかなきゃいけないことがある。
「………………実は、私もうすぐ現世での禊が終わるんです」
緊張で、言葉が震える。
でも言わないと。聞かないと。
「地獄か天国かそれ以外…現世以外ならどこへ行ってもいい身になれるんです。でも私の居場所はどこにもないから…どうしようか迷ってたら、鬼灯様が獄卒にスカウトしてくださって…地獄へ行こうかなって。でももし…天国にも居場所を作れるなら…天国に行けば、今よりもっと、白澤様に会える機会が増えますか…?」
さっきまであんなに真面目な顔をしていた白澤が急に百面相し始めたので、名前はキョトンとそれを見上げるしかない。
驚いたように目を丸くして、ぎゅっと顰め面になり、嬉しそうに頰に赤みが差したあと、すぐにまたぎゅっと顰め面になる。
不安に思いながら返答を待っていると、目線をあちこちに飛ばしながらものすごく言葉を選んでいる様子の白澤がゆっくり口を開いた。
「禊………おわるの?そっか………それは……うん…………そうしたらここでの生活は終わるからね………うん……鬼灯といつそんな話したの?って聞きたいけど……今は、うん、あー…会える機会増やしたいって思ってくれるの、可愛すぎて、嬉しい…ありがとね、謝謝。嬉しい、本当、まずはそうだね、ちょっとハグさせて」
気持ちが整理しきれないとばかりに強めにぎゅっと抱きしめられる。
肩口に額を押し付けた男は、ぐりぐりと額をすりつけながら唸るように続けた。
「天国に来れば、確かに今より会える。でも、次の場所をそんな理由で決めたらいけないよ。大事なことだ。
僕に会いたいから天国を選ぶって考えてくれるのは本当に嬉しい。可愛すぎてどうにかなりそう。
……だけどさ、僕、名前ちゃんのこと本気で考えてるから…それだけで決めてほしくない。
僕は名前ちゃんに“居場所がないから誰かの側に行く”選択はしてほしくない。僕の隣を選んでくれるのは大歓迎、嬉しいよ。
天国を選んだら、僕は本気で迎えに行く。地獄を選んでも、会いに行くけどね。
……居場所がないなら、作ればいい。地獄でも、天国でも、どこでも。僕が理由の一つになるのはいい。でも全部になるのは違う。そんなことされたら、僕はキミを閉じ込めてどろどろに溶かして二度と離さなくなっちゃう。名前ちゃんにはさ、ちゃんと自分の力で立って、生きて、その上で僕を選んで、自分の意思で僕の隣に立って欲しいんだ。……伝わってる?」
欲を精一杯ギリギリの力で冷静さが抑え込んでいる、そんな大人な顔で見つめられる。
ああ、この人はひとりの男である前に神として導こうとしてくれている。
これは男女の色恋の話ではない、私の魂の行き先を決める話だから。
名前ちゃん。
どこに行きたい?
“僕に会える場所”じゃなくて、
名前ちゃんが立ちたい場所はどこ?
そう問われても、私の答えなど単純明快なわけで。
「……去年までの“ただただ優しい白澤様”なら手放しで大喜び大歓迎して、極楽満月に居候していいよって言ってくれると思ってました。
でも、一緒に暮らしたら、毎日のように白澤様が連れ帰ってくる色んな女の子を目の当たりにして我慢できなくなっちゃうだろうから、それなら獄卒として地獄にいる方が、白澤様と楽しく会えるかなって思ってた。
獄卒になったら閻魔庁の独身寮に住んで良いって言われてるんです。鬼灯様のお隣のお部屋だそうです。地獄で一番安全な場所だって言われました。…鬼灯様のそばにいれば、白澤様にたくさん会えるかなって下心もありました。私、立ちたい場所とか立派なもの、ないんです。白澤様に会える場所、って軸しか…なくて……」
ぽろりと涙が溢れる。
あーあ、今夜は泣かないって約束したのに。
怖い顔になった白澤から目を逸らす。
「地獄の独身寮に…しかも鬼灯の隣?そんなの、想像しただけで無理だ。本当に名前ちゃんは僕を煽るのが上手だね」
冗談めかして言うつもりが思いのほか低い声色になったのを自分でも意外に思ったのか、白澤は短く息を吐いた。そして真面目な声音のまま続ける。
「名前ちゃん。立派なものがない?あるよ。僕を選びたいって本気で言える強さ。立派だよ」
涙をそっと拭う手が震えているのに気付き、もう一度目線を合わせる。
欲が、冷静さに勝ちそうに揺れている瞳と目が合う。
「去年までの僕なら、極楽満月においでって軽く言った?
……言ったかもね。居候? 大歓迎♡ って。でもさ、今の僕が名前ちゃんと同居した上で毎日のように女の子を連れ帰ると思う?本気で迎える相手がいる家に。
……しないよ。
ねぇ。もし僕が……女の子を連れ帰らないって言ったら?名前ちゃんを迎えるなら、他は全部切るって言ったら?
それでも地獄に行く?」
ゆらゆら。
どんどん熱が帯びていく瞳に吸い込まれる。
「……そんなこと、できるんですか?
女の子大好きで、女の子と遊ぶために薬学の知識身につけたような人が、たった1人選んで他は全部切る?そんな我慢、させたくないです…。
…………私、衆合地獄の花街で花魁やろうと思ってて。獄卒にスカウトしてもらったけど、私なんかには荷が重くて…でも花魁なら……出来るかなって。お香さんにも仕事先お世話してもらおうと話始めてて…白澤様、花街常連でしょう?花街で部屋持ちになれたらいつ白澤様が遊びに来てくれても受け入れられるし、気軽に抱いてもらえて幸せだろうなって…そんな程度の覚悟しかない女です。白澤様が来ない間、誰の相手をすることになっても、白澤様さえたまに来てくれるならそれで全然構わないって思えちゃうような、醜い女なんですよ。現世でおとなしくしてる今だと健気で可愛い女に見えるかもしれないけれど。本当はその程度の女です。………それでも、さっきと同じこと言えますか?」
ちゃんと正直に。
あなたに本気で選んでもらえるような女じゃないですって、誠実に伝えなきゃ。
見たこともないくらい怒っている顔が怖くても、ついに嫌われたって実感して心が潰れても、ちゃんと伝えなきゃ。
目は逸らさない。
静かに長々と吐かれた息がこわくても、身体がビクッと揺れてしまっても、目だけは逸らさない。
「…………花街?衆合地獄で、花魁?僕が常連だから、いつでも受け入れられる?気軽に抱いてもらえて幸せ?」
静かに復唱されて、自分が本当に卑しい女だと言い聞かされているようで涙が滲む。
でも目は逸らさない。
真剣に考えて伝えてくれているこの人に、誠実に事実を伝えなきゃ。
白澤の双眼が細くなる。
「それ、本気で僕が喜ぶと思った?」
低い声。
ビリビリと怒気が全身を痺れさせる。
頷きたいのに反応できない。
「僕が遊びに来て、他の男の匂いが残る部屋で、『でもあなたが一番です』って微笑まれるの。それでも僕は喜んでキミを抱くと思った?……そんな安い男に見える?」
両肩を掴まれる。指が食い込んで痛い。
「名前ちゃん。それは覚悟じゃない。自傷行為だよ。自分を安く差し出して、『それでも来てくれるなら充分』って言い訳してるだけ。…醜い?違う。怖いんだよ。僕を本気で選ぶのが。僕に本気で選ばれるのが。
だから自分を“誰でも触れられる位置”に置いて、『私はその程度です』って予防線張ってる」
幼子に言い聞かせるように覗き込まれる。
あまりに強い眼力に、金縛りにあったように目をそらすことは許されない。
「僕は女の子が好きだよ。可愛い子も、綺麗な子も好き。
でもね、“好き”と“選ぶ”は違う。
花街で部屋持ちの名前ちゃんを、たまに抱きに行く?他の男の相手をしても構わない?僕がたまに来れば幸せ?
……僕が嫌だ。耐えられない」
苦しそうに顔が歪む。
「さっきと同じこと言うよ。もし迎えるなら、他は切る。
名前ちゃんが花街に立つなら、僕は通わない。中途半端な関係に落とさない」
額を軽くぶつけられ、じん…と熱が伝わる。
「ねぇ。僕が女好きなのは事実。でも、本気の相手が他人に触れられるのを平気で見られるほど、寛容でも聖人でもない。
それでもまだ同じこと聞く?それとも僕だけを選ぶ?……ここまで言っても自分を安く売る方が楽?」
泣いているのはこちらなのに、なぜか白澤様まで泣きそうだ。
泣かないでほしくて、彼の冷たい頬を撫でる。
「………本気で喜ぶかは分かりません。
その場だけ喜んで優しくしてもらえるなら、それでよかった。他の日に他の人のところへ行かれても、来てくれる日に独り占めできるなら大丈夫、って思ってた……たしかに白澤様のこと、安い男だと思ってたことになるかもしれません。失礼を、ごめんなさい…」
揺れる瞳を捕まえるように、しっかり覗き込む。
さっきまで捕えられていたのは私の方だったのに可笑しいな。
「…………こわい…そうかも。本気で選ばれたら、いつか捨てられる日が来る。いつでも軽く遊べるならいつでも同じ扱いをして貰える。だったら後者がいいって思ってました。
白澤様の隣に立てるような、そんな存在じゃないです私…まともに並んだら釣り合わない。たまに気まぐれで選ばれるくらいがちょうどいいんです。だから、目を覚まして白澤様。私なんかに本気になったらだめです。あなたは神様なんですよ」
迷子みたいな目で見つめられる。
しばらく、お互い何も言わない。
いつもだったらとっくに唇を合わせている距離感で、涙も言葉も全部受け止めるみたいに、ただただ見つめ合っている。
……名前ちゃん。
重い沈黙を辛そうな声が破る。
僕が、神様だから、だめ?
頷こうとするも、合わせたままの額に力を込めて、後頭部を手で固定されて、頭が動かせない。
「……じゃあ聞くけど。
神様は、本気になっちゃいけない決まりでもあるの?」
後頭部に回っていない方の指先で、震える唇に触れそうで触れない距離をなぞられる。背筋が粟立つ。
「捨てられるのが怖いから、最初から軽い位置にいる?
……僕みたいなこと言うんだね。
それ、賢い選択に見えて一番自分を傷つけるやつだよ」
軽く息を吸った神獣の瞳がこちらを貫く。
見えないはずの額の眼すら、こちらを見ているようだった。
「『いつでも同じ扱いをしてもらえる』?違うよ。ちがう。
それは“同じ扱い”じゃない。最初から替えのきく場所に自分を置いてるだけ」
そんなに苦しそうな顔をしないで欲しい。
どこか人ごとのようにそう思う。
眉を寄せて顔を歪ませている男は静かに続ける。
「釣り合わない?誰と誰が?神様と人間?釣り合う釣り合わないって誰が決めるの?
……僕が今こうして、本気で怒って、本気で引き止めてるのは、何?」
額を押し付けたまま首を振られ、鼻先が擦れる。
「釣り合いなんて、ないんだよ。僕が隣に置きたいかどうか、キミが隣を望んでくれるかどうか、それだけ。
『私なんか』って言わないで。僕の大切な人を下げないで。
『本気になったらだめ』?どうして?それ、僕の選択を奪ってる。僕が選んでるって言ってるのに、勝手に却下しないで」
額が横に滑って、頰と頬が重なる。
すり、と頬をすり寄せて耳元で直接吹き込むように静かに囁かれる。
「怖いなら怖いでいい。でも、“捨てられる未来があるかもしれない”から“最初から本命にならない”って選ぶのは、本当に名前ちゃんが望んでる形?」
耳たぶに唇を寄せられて、思わず身震いする。
かぷり、甘く歯を立てられて、しがみつくように白衣を握りしめた。
そんなこと気にも留めないように、白澤は低く、はっきり言葉を続ける。
「僕はね。花街に立つ名前ちゃんをたまに抱きに行くより、お互い捨てられる未来のリスクがあっても、ちゃんと自分の力で隣に立つ名前ちゃんを選びたい。……僕からは捨てたりしないけど」
耳元から、頬から、熱が離れる。
両肩をやわく掴まれて、改めて至近距離で覗き込まれる。目線が絡む。白澤の瞳はもう揺れていなかった。強い意思を灯らせて、じっと見つめてくる。
「何百年も何千年も何万年も。永く生きる中で、本気になれる相手が何人いると思う?……キミが初めてなんだ」
目が僅かに細められる。
「ね、本当に僕のためを思うなら『目を覚まして』じゃなくて、『一緒に覚悟しよ』って言ってよ。
僕はもう、軽い遊びの位置に戻れない。
名前ちゃんは?」
眉根を下げて、請われるように問われ、心臓が震える。
涙が溢れて焦点が合わない。
………一緒に、覚悟………
そう呟いた私にあまりにも優しい笑顔を向けてくれるから。
喉が詰まる。
「…ッ、すごくこわいです、今。
何もかも諦めてたのに、急にこんな…ッ………意味のある選択肢を与えて………酷いです、私、覚悟なんてものとは一番縁遠いのに………賭けられる命も人生も何もないのに…」
しゃくりあげる私をあやすように、肩を掴んでいた両手が背中に回ってゆるく抱き寄せられる。ぽんぽんとゆっくり撫でられる背に意識を向ける。
泣きすぎて頭がぼんやりする。
「…………これ、もしかして私への罰なのかな。
禊で現世にいるのに、誕生日だからって甘えて、自分の欲で貴方を呼んだ罰?」
途端、さっきまでと違う理由で息が詰まる。
これは、泣きすぎて息が苦しいんじゃない。外からの圧。
本気で怒っている白澤の神気に当てられて、息が荒くなるけれど、それでも伝えたくて言葉を紡ぐ。
「…………白澤様のきもち、手放しで信じられなくてごめんなさい。でも本当にわからないんです、なぜあなたみたいな方が私を選ぼうとしてくれてるのか…」
金色になりかけていた白澤の瞳をじっと見上げれば、はっとした顔になった白澤が瞬く。空気がやわらぐ。見上げた瞳はもういつもの黒曜色。
張りつめていた神気がすっと引く。呼吸が楽になる。
軽く咳き込む私の背中を慌てたような手が忙しくさする。
「……ごめん。怖がらせるつもりじゃなかった」
そっと頬に触れた手が、本当にやさしく、控えめに、顔を上に向けてくるので、抗わずにされるがまま見上げる。
「罰じゃない。禊の最中に僕を呼んだことも、誕生日に甘えたことも、罰になんてしない。
……今までずっと“選ばない”ことで自分を守ってきたんだよね。だから急に“選べる”って言われて、足場がなくなったみたいになってる」
頬を撫でる指がやさしい。
「賭けられる命も人生もない?あるよ」
反対の手がやさしく、私の胸の中心に沿う。
「今ここで震えてる、その心。それが一番重い。何よりも重い、覚悟の塊。」
白澤の手はすっかり暖かくなっていた。
手のひら越しにこの暴れる鼓動が全部伝わってる、そう想うと肺から全身に熱が放出されるみたいに身体が震えた。
「どうして僕が名前ちゃんを選ぼうとしてるのか、分からない?」
くす、薄い唇が弧を描く。
「簡単だよ。一緒にいるとき、僕が一番“ちゃんとした自分”になるから。
軽口叩いてるだけの白澤じゃなくて、本音を言わされる白澤になる。
…それが嫌じゃない。むしろ、心地いい」
瞳が伏せられ、綺麗に扇状に広がった睫毛が震えた。
「何万年もふらふらして、いろんな子に手をつけて、選んで選ばれて捨てて捨てられて。僕がよりどりみどりなのと、それでも選びたいって思った相手が名前ちゃんだってこと、全然矛盾しないからね?」
再度持ち上がった睫毛から、綺麗な瞳が覗く。
「信じられなくていい。今すぐ全部受け止めなくていい。
でも、罰だとか、身の程だとか、そういう理由で自分を下げないで。
僕が選ぼうとしてるのは、“かわいそうな子”じゃない。
“本気だからこそ震えてる子”、
愛おしそうなため息が漏れ、自分の鼻先に暖かく息がかかる。
こつん、とまた額を合わせて鼻先をすり寄せられる。
「怖いなら、一緒に怖がろう。覚悟って、最初から強い人が持つものじゃない。
震えながら、それでも手を離さないこと。
ね、……僕を、選んでくれる?」
頬をひと撫でした手の甲が裏返され、顔の横で待つように手を差し出される。
横目でその手のひらを確認し、もう一度至近距離で目を合わせる。じっと逃げずに懇願するような瞳を向けられる。
再度、顔の横の手を見、白澤の目を見、を何度か繰り返したあと、短く息を吸って、恐る恐る、でもしっかりと白澤の手を取り、握った。
「………離さない、離したくない…………だから白澤様も離さないで欲しい…………」
白澤の手が白むくらい、強く握りしめる。
力の加減などできなかった。
「好きです、白澤様。
いつもへらへらしてふらふら遊んでいるあなたが、私を見る時たまに見せる執着みたいな焦りみたいな…獣の瞳が揺れるのが、好きです。
…………白澤様を選びたい。選ばれたい。一緒にいたいです…ッ」
私が握るより強い力で握り返された手がパキ、と軽い音を立てた。
そんな音、聞こえないくらい強く、身体も抱き締められる。
「……離さない」
骨が軋むくらい、強く強く抱き締めて。
首と肩の間に埋まった頭からくぐもった声がする。
「名前ちゃんが離さないなら、僕も離さない」
鼻を啜る音と共に乾いた笑い声が吐き出される。
「アハハ、……ずるいなぁ。僕が隠してたところ、ちゃんと見てたんだ」
へらへらしてる裏の、焦りとか、執着とか。
あれ、格好悪いからあんまり見せたくなかったのに。
小さく笑って、顔を上げた白澤が、肩に頭を預けたままこちらを見上げる。
「でも好きって言われたら、隠す気なくなる。
………名前ちゃん。
僕も好きだよ。
軽い意味じゃなくて、本気で選びたい、選ばれたい。
僕の隣で…」
少し体を起こして、指を絡め直して、息のかかる距離で確かめるように瞳を覗き込まれる。
「……改めて言うね。名前ちゃん。
僕と本気で一緒に生きる覚悟、してくれる?」
「…………覚悟、します」
返事を聞いた白澤は、それはそれは嬉しそうに、幸せというものはこういう顔をしているのだろうな、というような甘ったるい顔で笑った。
つられて名前も笑う。
湿度を発しているのがどちらの涙かわからない。
ようやく、待ち焦がれたように唇が重なろうとした、その時。
名前の身体が急に光り輝いた。
「えっ………」
―― あなたの禊はこれで終わりです。
さぁ、行き先を選びなさい ――
どこからともなく、声が響く。
1DKの狭い部屋に不釣り合いなほどの光量が部屋を照らす。
だんだん名前の肉体が消えていき、眩く輝く魂だけになっていく。
繋いだ手が、質量を失い、空を切る。
「………っ白澤様…!」
怯えた必死の声で呼ぶ。
まだ、声は聞こえていて、どうか。
「白澤様と、一緒に生きたい、です……!!」
腕の中から溶け出すように質量を失って、眩い光に包まれた魂を見て、神獣は一瞬だけ目を見開き、天を睨んだ。
……ああ、そう来るか。
「禊、完了。
ずいぶん急だね。人の覚悟が決まった瞬間を狙うなんて、趣味が悪い」
憎悪を吐き捨てるように呟いて、消えかける魂へ、迷いなく手を伸ばす。
肉体はない。
触れることはない。
ただ、たしかにそこに熱がある。
「名前ちゃん。怖がらなくていい、任せて」
神気が広がる。今度は圧ではなく、包むようにやわらかい光。
完全に光に成り替わろうとする名前のひとかけらに手が届く。
「一緒に生きたい、って言ったね。
その言葉、聞いた。
もう取り消せないよ」
白澤が、魂を両手で包み込む。
行き先を選べ、だって?
簡単だ。
僕がいる場所だよ。
天へ向けて静かに告げる。怒気の孕む、確固たる意志を持った強い言霊。
この子は天国に来る。
僕の庇護下だ。
文句があるなら、僕に言って。
大気に溶けようとする魂を、かき集めるように。
抱きかかえるように。
離すまい、漏らすまい、と腕を抱える。
まばゆい光に視線を落とす。
名前ちゃん。
覚悟するって言ったね。
じゃあ今日から、
“僕が会いに来る存在”じゃない。
“僕の隣で生きる存在”だ。
抱き込んだ光に、そっと額を寄せる仕草。
もはやただの光の塊。
白澤の顔が照らされる。
離さないって言ったでしょ。
神様の言質、重いよ?
やわらかく笑う。
白澤の瞳が金に、髪が白く長く変わる。
さぁ、おいで。
天国は甘いだけの場所じゃないけど、
僕の隣は、ちゃんと温かい。
……一緒に生きよう。