12:カタチのないもの
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勝又の一派に入ってからは、能力者になる前の日常以上にレンは昔を思い出していた。
押入れの奥に押し込めておきたいほどの過去も、幼いレンにとっては非日常的なものだったからだ。
屋敷の地下廊下の高窓に差し込む黄色い夕日は、嫌でもあの時のことを思い出してしまう。
ついに母によって匿われた押し入れから幼いレンは父に引きずり出され、気を失った母の代わりに殴られ続けた。
いつも以上に酒臭かった。
『なめやがって』『オレはなんだって出来る』『周りはわかってない』『なんでやり直させてくれねえんだ』と自分を落とした会社に激怒している様子だった。
命の危機を感じたレンは隙をついて家を飛び出したあと、通りがかりの中学生とその父親に助けを求めた。
その親子が、のちの義理の父親と水樹だった。頭と顔面から流血を垂れ流しながら「助けて」と叫ぶ少女にぎょっとしていたのは今でも覚えている。
水樹の父は警察を呼び、水樹は、レンを追いかけてきた父に飛び掛かり、通報を受けて来た警察が止めるまでずっと殴り続けた。
父は警察に連行され、母は病院へ。
レンは静かに成り行きを見守ることしかできなかった。
これでよかった、と言い聞かせるように、父からもらった星形の缶バッチを握りめていた。
無意識に、キャスケット帽につけた星形の缶バッジに触れる。
目を閉じると、夕暮れの遊園地の迷子センターで泣いている幼いレンを迎えに来た父が、苦笑しながらおもむろにパーカーのポケットからカプセルトイを取り出し、中身をレンに差し出す光景が瞼の裏に映った。
家族に優しかった父はもういない。それでも確かに“在ったこと”を残しておきたかった。
「はぁ…」
(夕日を見ながらたそがれるとは、我ながら似合わない…)
ため息をついたレンは、数時間前の勝又の言葉を思い出す。
『数日中に、最後の“仲間”が合流する。そうしたら、すぐに“アクロの心臓”の回収に向かう。ここも引き払うことになるから、各々、準備しておいてくれ』
また部屋の荷物をまとめ直さなくてはならず、非日常とはいえ、ここの生活は気に入っているので離れがたく、億劫になる。
「レン、考え事か?」
「あ。森尾…」
振り返ると、分厚い本を何冊も両手に抱えた森尾がいた。
「重そうだな」
「今のうちに車に積めるものは積んでおこうと…。あっ」
「だったら手伝う」
レンは森尾の手に積み上げられた本を半分抱える。
「悪いって」と気遣う森尾に「いいからいいから。手、空いてるし」と小さく笑った。
2人は肩を並べて廊下を歩き、階段を目指す。
「いよいよか…。“アクロの心臓”って、どんなものなんだろ」
「……心臓っていうからには、グロいイメージしか思い浮かばないんだけど…」
「なにを想像したんだ……」
楽しみにしている森尾の様子に、レンは勝又に抱く疑念を口にするのを躊躇い、茶化した。
「「?」」
その時、ツンと鼻を突いた匂いに、森尾とレンは同時に立ち止まった。
「なんだ? この臭い…」
森尾は手の甲で鼻を擦る。
「…………油だ」
レンには覚えがあり、ぽつりと呟いた。
バイクに使用するオイルの臭いと似ていたからだ。
隣の部屋に顔を向けると、部屋のドアは半開きになっていて、そこから臭いが漏れている。
「この部屋からする」
レンが指さすと、森尾は覗き込むように体を傾けた。
「ここは確か…、由良の部屋…」
「由良の?」
「オレは入ったことないけどな」
「……あたしも…」
森尾に対して、レンは由良の部屋の存在も知らなかった。
レンと森尾は顔を見合わせ、お互い好奇心に突き動かされて半開きの扉から部屋の中を窺う。
部屋を覗くと、そこはアトリエだ。
高窓から射しこむ夕日の光で部屋は黄色に染まっている。
床に散らばるクッキーの缶、油絵の具、画材、そして奥には、壁に立て掛けた天井まで届くほどの大きなキャンバスに抽象画を描いている由良の姿があった。
由良はこちらに背を向け、熱心にペインティングナイフで絵の具を削り、髪は邪魔にならないようにゴムで後ろに束ねられてた。
ツナギも、オレンジのツナギに着替え、ところどころに絵の具が付着している。
レンと森尾はその光景に目を奪われた。
先に動き出したのは森尾だ。
持っていた本を、部屋の隅にあった、まとめられた由良の荷物の上に置く。
「ゆ、由良! おまえ絵なんて描くのか?」
森尾が由良に歩み寄ろうとして、はっとしたレンも慌てて森尾のあとに続いた。
「…………」
しかし、由良は肩越しに振り返り、近付こうとしたレン達にナイフを向けて黙ったまま睨む。
「………「ジャマ」だとさ」
由良の目から読み取ったレンは、森尾に伝える。
「悪かったな、ジャマで…」
森尾がそう言うと、由良はキャンバスに向き直って作業に戻った。
ガリガリとナイフでキャンバスの油を削る。
レンはじっと絵を見上げて見つめるが、なんの絵かはわからなかった。
人の顔にも見えるし、様々な色がごちゃまぜだ。
「……ん?」
森尾がなにかを見つけ、レンも森尾の視線をたどってそれを見る。
横の壁際には、描きかけのキャンバスが何枚か立てかけられていた。
「…なんだ? 全部、未完成じゃないか?」
「…完成した作品(ヤツ)は全部、ぶっ壊した…」
森尾の問いに、由良は作業を止めず背を向けたまま答える。
「なんで? もったいない!」
「オレは残すことに興味がない」
森尾が驚いて声を上げると、由良はキャンバスを見上げながらあっさりと言い返した。
「……………」
不意にぎくっとしたレンは、黙ったまま由良の背中を見つめる。
「? そんなに描いてるのに…?」
森尾はズボンのポケットに手を突っ込みながら不思議そうに口にするが、由良はそれ以上答えなかった。
筆とナイフを、傍にある脚立に掛けた水入れで洗う。
ふと、森尾は視界の端に映った、積み上げられたスケッチブックに目を留めた。
「これは…、勝又さん?」
一番上にあった開かれたスケッチブックには、勝又のデッサン画が描かれていた。
スケッチブックに描かれた勝又は薄い笑みを浮かべ、どこか別の方を見ているようだ。
(わかりやすいな…)
気になったレンはそのスケッチブックを取り、ページをめくっていく。
その背後から森尾が覗いた。
描かれていたのは勝又だけではなかった。
華音、岡田、森尾の絵も描かれてある。
「他のみんなのデッサンもある…!」
岡田のヌードを見つけ、「脱っ!?」「きたねっ!!」とレンと森尾は声を上げ、次のページを捲った時、
「「!!」」
レンのシャワーシーンのデッサンがあった。
鎖骨から下は描かれてないものの、際どい絵にレンと森尾の顔が一気に紅潮する。
「~~~~っ!!」
(ちょくちょく風呂覗いてたのはこーゆー理由か!?)
レンは慌ててスケッチブックを閉じ、森尾に預け、由良に殴りかかろうとした。
「勝又は興味深い」
由良の言葉にレンは動きを止める。
「描いてると、その人間がわかってくることがある…。あいつの目は常に先を見てる。多分、奴の真の目的は“アクロの心臓”の回収の先にある」
レンは、今目の前にいるのは本当に由良か、と疑いそうになった。
普段の陽気な彼とは別人のようだったからだ。
勝又の名を呼ぶ時は、いつも自分で勝手につけたあだ名で呼ぶはずなのに。
そんなことより、由良のその言葉がどうしても引っ掛かった。
由良は油絵の具をパレットの上に絞り出しながら筆につける。
「まだ…、終わらないってことか?」
レンは呟くように言った。
(だったら、なんであたし達に回収“だけ”させるんだ?)
「そ、それはどういう意味だ…!?」
次々と不穏な言葉が出てきたため、両手でスケッチブックを開けていた森尾の不意に手が支えを崩す。
すると、スケッチブックに挟まれていた用紙がバサバサと音を立てて床に落ちた。
レンと森尾は床に散乱した用紙を見下ろす。
「……?」
「なんだ、この絵?」
レンはそう言って、先に見た森尾に続いて片眉を吊り上げた。
「顔が、ない…」
挟まれていた絵には全て、顔のない少年が描かれていた。
何度も何度も描こうとしたのだろう。目の部分は、描くのを諦めたぐしゃぐしゃな線が書かれていた。
由良は筆を手に持ち、ようやくレンと森尾に振り返る。
「…ああ、広瀬か? あいつは描きにくい! あいつには、なにもない。なにを考えてるのか、なにがしたいのか、さっぱりわからん!」
描けないことに苛立っている口調だ。
筆をキャンバスに押し付けて塗りながら言葉を継ぐ。
「落合恵(姫サマ)が逃げた夜から、あいついっそう酷くなってんぞ。勝又は広瀬になにかやらせる気のようだな」
レンはすぐに、恵を連れて屋敷に帰ってきた広瀬のあの目と笑みを思い出した。
途端に、鳥肌が立ったのを感じる。
「…………」
森尾は驚いた目で由良の背中を呆然と見つめていた。
「レン」
「!」
名前を呼ばれ、レンははっと顔を上げる。
「勝又の目は、広瀬だけじゃねえ。たまにだけどよ、おまえも追ってるぞ」
「……あたしも?」
勝又の目を思い出す。
観察されるような目を向けられることが多くなっていることには気付いていた。
「なんでレンを?」
森尾が尋ねると、由良は絵を描きながら答えた。
「さあな。…けど、広瀬との共通点を言ったら…、レンも時々、描きにくい時がある」
「え?」
レンが尋ねようとしたとき、由良の筆の動きが止まった。
「……出来た」
絵が完成したのだ。
由良は数歩後ろに下がり、完成した作品を見上げて足下からシャボン玉を浮かばせる。
「お、おい、本気で壊す気か!?」
森尾は、出来上がってからすぐ壊すという、普通ではあり得ない由良の行動に思わず声を上げた。
レンも焦りの表情を浮かべる。
それでも、由良の中では始める前から決まっていた。
「ホラ、見てろモリヲ、レン。キレーだぞ」
浮かび上がったシャボン玉は、夕日の光で黄金色にキラキラとトパーズのように輝いていた。
その光景に、レンは再び目を奪われ、息を呑む。
由良は薄く笑みを浮かべた。
「……オレ、この能力(ちから)好きなんだ。確かに存在するのに、なにも残さねえこいつらの美学…。オレも、そう存りたい…!」
浮かび上がった大量のシャボン玉は、部屋にあったもの全てを破壊していく。
森尾の持っているスケッチブックも塵と化し、レンと森尾を避けて完成した絵も丹念に壊していった。
驚いて目をつぶる森尾とは反対に、レンは静かに凝視する。
(消えていく…。なにも残らない…っ。なんで躊躇なく壊せるんだ!? あたしはずっと手放せないままなのに!)
在ったものがなくなっていく、レンには耐え難いものだった。
感動、憧憬、羨望、焦燥、悲嘆、自己嫌悪、様々な感情がないまぜになる中、部屋の中心にいる由良まで消えてしまうと錯覚し、涙が浮かび上がる。
(どうして、こんなにも美しい…―――!!)
ひと際大きなシャボン玉が目前にふわりと浮かんだ。
反射する黄色の光と、シャボン玉を透して見た由良の姿に、レンは目を細める。
(ああ…、残したい……)
強烈な欲求に従い、両手を伸ばして優しくつかもうとした。
「レン」
由良に名前を呼ばれた瞬間、一瞬レンの動きが止まり、目の前のシャボン玉は儚く割れた。
「ケガすんぞ」
「……………」
目の前に立つ由良は小さく笑い、レンは夢でも見ていたかのように茫然とする。
気付けば、部屋の物はあっという間になにもなくなってしまった。
「そろそろアレの回収だろ?」
「!?」
目を見開いた森尾が顔を上げる。
「掃除もすんだし、ぼちぼち動くか!」
そう言って由良は舌をベッと出した。
「…………」
(あ…れ? ……なんだこれ…)
鼓動はうるさく早鐘を打ち続け、レンは自身を落ち着かせようと服の胸部分を皺ができるくらい強くつかむが、高鳴りは落ち着かず、汗が滲むほど顔の熱がじわじわと上昇する。
「どうした、レン。行くぞ」
ゆっくりと振り返ると、いつの間にかドアの前に移動した由良と、余韻が抜け切れない森尾が、レンを待っている。
レンは、由良の顔を見るなり眉を寄せ、夕日に負けない、耳まで真っ赤な顔で露骨に狼狽えた。
(なんだよ、“コレ”は……?)
開花した感情は、カタチのないものだ。
.To be continued
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