44:いつだって
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『ここにいなさい』と言ったきり押入れに閉じ込める母親。
外から聞こえるのは暴力の音。叫び声。悲鳴。
『おかーさん』
押入れの外が静かになった頃合いに、顔を少しだけ出して声をかける。
母親は、後悔のあまり『悪かった』『すまない』『もうしない』と泣いている父親を慰めていた。
いつもの光景だ。この時の母親は、レンの方を絶対に見ない。
ふたりの時間を邪魔しないで、と拒絶しているようだ。
母親は父親が落ち着くまで、『大丈夫』『泣かないで』『私がいるから』とあやしていた。
『おかーさん…』
(どうして…見てくれないの…)
義父と再婚したあとも、母親は、母親らしくしようとしていた。
心の支えは、父親からの手紙だったのだろう。娘に隠してでも、繋ぎとめようとしていた事実。
血の繋がった家族だというのに、レンは母親との記憶は乏しかった。
それでも、見て見ぬフリをしながら、家族としての在り方を大事にしようとした。傍から見れば、滑稽で無駄な努力だとわかっていても。
(どうして…、誰も……)
嘆き、膝から崩れたところで、背後から声をかけられる。
『おまえ、赤信号無視できるんだな』
振り返って目が合った瞬間、目が覚めた。
深夜1時過ぎに起きたレンは、吐き気を覚えてトイレに向かい、胃の中の物を吐き出したあと、病室にもう一度部屋に戻り、そこにある洗面台で口を濯いで綺麗にした。
水道の蛇口から勢いよく水が出る中、その音に耳を澄ませながら鏡の中の自分と見つめ合った。
部屋は消灯されていたが、仄かに明るい。
鏡越しに、カーテンが半開きの窓を見ると、月明かりが差し込んでいるのが見えた。今宵は満月だ。
ベッド脇に移動し、半分くらいの水が入ったペットボトルを手にして口をつけて一気に飲み干す。常温で置いていたため、ぬるかった。
天草との戦いからどれだけの時間が経過したのかはわからない。日中は足が宙に浮くようにぼんやりとしている。
現実から逃避するように、眠っていることも多かった。
同時に、現実が追いかけてくるように苦い夢や懐かしい夢を、繰り返して見ている気がする。すべてを覚えているわけではないが、たまに現実と区別がつかなくなった。
久しぶりにはっきりとした頭で、このままではいけない、と首を横に振る。
(やっぱり、天草のことは放っておけない…。あいつには随分嫌われているみたいからな…。できるだけあたしの関係者を目の前で傷つけて、精神的に苦しめたいらしい。……あらためて思ったけど、すっげーヤな奴!)
完全に逆恨みじゃねえか、と眉間に皴を寄せる。
あの爆発で天草が死んだとは思えない。ニュースでは神社が爆発したと騒いでいたが、死体が見つかったことは報道されなかった。
今にもこの病院にやってきて暴れるのではないかと恐怖を覚える。もう一度戦ったところで、同じ不意打ちは通じないだろう。
(あたしひとりで天草を探しに行くか…。南さんと由良と離れることで…ふたりに危険が及ばないなら…)
いざとなったら、由良が南野姉弟を逃がしてくれる気がした。
「……………」
少し視線を上にあげ考える仕草をしながら、ベッド脇に座り、投げ出した足をぷらぷらと揺らす。
(由良に、「天草なんとかしないといけないから、おまえとは別行動する」って切り出したところで…、あいつ、「あっそ。わかった。バイバイ」とか冷たく返しそうなんだけど…)
別の意味でショックを受け、立ち直れなくなってしまう。
(だってあいつ、他人といることに執着ないだろ…。あたしの家だって単に拠点にしてただけだし…、成り行きだし…、一緒に暮らしてる今だって、勝手にフラフラどっか行ってるし…、「ナイショ」って言ってたし…、あたしひとりが黙ってどこか行ったところで…探しにもこないだろうし…)
ふと、プラットホームに乗り込む前に、由良が何も言わずにいなくなった朝を思い出し、胸が苦しくなった。思いのほか、傷になっていることを自覚する。
右腕のことで罪悪感を感じている節もなく、帰国前に傍に残ってくれたことは嬉しかったが、やはり由良の考えていることはわからないままだ。
(気にすることはないはずだ…。そもそも由良は、あたしのことなんて見てないだろうし…)
沈みそうな気持ちに耐え切れず、また寝ようかな、と横になろうとしたところで、コンコン、と窓を叩く音が聞こえた。
「!」
窓の向こうにある、“仲間”の反応に気付く。
ベッドから腰を上げたレンは、おそるおそる、忍び足で窓際に近付き、警戒しながら思い切ってカーテンを全開に開いた。
そこには、満月を背負った由良の姿があった。髪はヘアクリップで後ろにまとめられ、絵の具が付着したオレンジ色のツナギを着ている。
「由良…、こんな時間になに…」
怪訝な顔をしながらもレンは窓を開け、由良と夜風を招き入れる。
由良は窓枠に足をかけたまま声をかけた。
「起きてたのか、ちょうどよかった」
(ちょうどよかった?)
レンは内心で反芻して首を傾げる。
由良はじっとレンの顔の一部を見つめた。急に真剣な眼差しになるのでレンはどきっとする。
「……やっぱり、もう少し赤い方がいいか…」
「え…?」
「ほい、これつけて」
「わっ」
有無を言わさず、ポケットから取り出したふわもこのヘアバンドで目隠しされた。
「なんだよ突然、ちょ、コラ!」
さらに、困惑している間に、ひょいと肩に担がれてしまう。
「とぶぞー」
「わあ!?」
由良はそのまま3階から飛び降りた。
目隠しをされた状態で急な浮遊感に、レンは抵抗をやめて由良の服にしがみつく。
由良が着地したあとは、雑草を踏みしめる音がレンの鼓膜へと伝わり、建付けの悪そうなドアを開ける音が聞こえ、そこから先は、ペタペタと歩く由良の足音がしばらく続いた。建物の中にいるため、足音が反響する。
消毒液の匂いがしたので病院に戻ってきたのかと思ったが、少しかび臭さも混ざっていた。
「ニャー」「ニャア」と2匹の猫とすれ違う。
身体が自然に揺れたことで、階段をのぼっていることがわかったところでレンは堪えられず声をかけた。
「……もしかして、ここ、廃院か?」
「正解~♪」
調子よく答える由良。あっさり答えたことから、場所を隠したいわけではなさそうだ。
天草から逃走した際、一時的に1階の待合室で寝かされたことを思い出し、そういえば2階って行ったことなかった、と気付く。
廊下を少し歩いた先で、ドアの軋む音が聞こえた。
瞬間、懐かしい匂いが鼻を衝く。
(油の匂い…)
いつか訪れた、由良の部屋(アトリエ)を思い出した。
目的に着いたらしく、レンはその場に下ろされる。ひんやりとした床だった。
「そのまま。ここでちょっと待て」
「待てっておまえ…」
犬じゃないんだから、とつっこもうとしたが、水の入ったバケツから筆を取り出す音が聞こえたので口を噤む。絵を描く姿も見せてくれないらしい。
縛られるわけもなく、左手は自由だ。その気になれば簡単に目隠しを取ることはできるが、やめておいた。
心配しなくても、由良はすぐ近くにいる。「そのまま」と言われたからには野暮なことはしない。
何を描いているのか、今度こそ残したいものなのか、少しわくわくしていた。
それから、一体、どれだけ時間が経過したのか。
黙って待っていたが、少しも苦には思わない。日中たっぷり眠ったおかげで眠気もなかった。
目隠しの先にある由良の姿を想像するのが楽しくなってきた頃、ようやく由良の口から言葉が発せられる。
「出来た」
ペタペタと由良の足音が近づいたと思えば、レンの目隠しに手を掛けて下から上へと持ち上げるように取り外した。
急に眩しい光を目にしたことで、レンは「う…」と小さく唸ってわずかにうつむき、目をぎゅっと閉じる。
眩しい光の正体は、朝焼けだ。
少しずつまぶたを開け、絵の具にまみれた床を最初に目にし、ゆっくりと顔を上げながら部屋の様子を見る。
由良のアトリエとなった場所は、元は大部屋の病室だ。
廃れたベッドが置かれたままで、破れた仕切りカーテンが床に落ちていた。
カーテンがないことで、部屋のすべての窓からはオレンジ色の光が差し込み、部屋を照らしている。
自分の左手を見ると、床に触れたせいだろう、黄色の絵の具が付着していた。
床には、クッキーの缶、チョコやアメの包み紙、使い終わった油絵の具、画材、脚立、水と筆が入ったビーカー、パレット、ペインティングナイフが無造作にある。
部屋の中央に立つ由良の背中を見上げた。右手には黄色の絵の具がついた筆を握りしめている。
由良は壁を見上げていた。その視線を追いかけ、レンは完成された絵があるだろう方向を見る。
そして、はっと大きく目を見開き、息をするのも忘れてしまった。
床にはみ出すほど、壁一面に描かれた大きな油絵。
黄色の花畑の中、振り返って微笑みを浮かべ、こちらに優しく左手を差し伸べる少女の姿が在った。オレンジブラウンの髪はなびき、ミモザのワンピースの裾を翻す姿から、躍動感が伝わる。
「……………」
レンは静かにその絵に近付き、茫然とした表情で見上げた。
由良は一歩引いて、レンの背中を眺める。
本来なら、完成した絵は人に見られる前に壊していた由良だったが、レンに対してとある確信があった。
(レンは、オレの作品を“評価”しない)
今まで、由良が描いたものや、自分で描いた似顔絵に関しても、上手・下手と口にしたことはなかった。
無関心、とは違う。
それは、至ってシンプルな理由だ。
レンの瞳から、静かに涙が流れ落ちる。
「……いつから描いてた?」
「ここ見つけてから。中を見学したら、描きやすそうな壁もあったし…」
見学じゃなくて侵入の間違いだろ、と内心で苦笑いするレン。
「筆や絵の具は?」
「ミナミ弟の仕事手伝ったらくれた。学生の時、美術部だったらしい」
「それは全然知らなかった…」
「早く描きたくてさー」
「……………」
時間をかけ、咀嚼して味わい飲み込むように、絵の一部一部を目で追う。
服装、肌の色、顔の輪郭、角度、表情、目、鼻、唇、耳の形…。
すべて、由良の瞳の中に残していたレンの姿だ。
あの服が似合ってた、笑ってる方がいい、耳は出しておこう、髪色はもっと茶色を足して、そういえば黄色が好きって言ってたな、唇はもう少し自然な赤色にして…。
(ずっと、考えてくれてた…、見てくれてたんだ…。ずっと……)
どんなレンを描こうか、ずっと…。
(弱気になっていたのが馬鹿馬鹿しくなる…)
手の甲で涙を拭い、振り返り由良に歩み寄るレンは、両腕を広げて軽く飛び付くようにその身体を抱きしめ、その胸に頬を押し付けた。この時ばかりは、もうひとつの手がなくて残念だと思ってしまう。
「!」
珍しく、人懐こい猫のように甘える抱擁に、由良はきょとんと大きな目を丸くする。
「おまえ…、ほんとさぁ…、人が一大決心しようとしてた時に……」
悔しそうにこぼすレンは、由良の顔を見上げ、大きく見開かれた黄色の瞳の中にいる、幸せそうに微笑む自分の顔を見つけた。
「覚悟しろよ」
そう言うと、由良の頭を引き寄せ、その唇に噛み付くようなキスをし、逃がしてなるものかと、さらに身体を密着させる。
そんな欲張りな顔を見た由良は、こんな顔もできるのか、と内心で口笛を吹いて口角を上げ、そのまま大人しく押し倒された。
「ニャア」
「ニャー」
同じ頃、廃院の外では、住処を貸した三毛猫と黒猫が、仲睦まじく寄り添い合っていた。
.To be continued