10:なにもなくなるのは
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「っく!」
泉の突き出された右足に対し、レンは胸の前に両腕を交差して蹴りを防ぐが、勢いに負けて後ろに吹っ飛ばされてしまう。
バランスを崩しそうになったところをドスを構えた泉が突進してきた。
刃先が狙うのはレンの腹部だ。
深々と押し込むために、泉は右手で柄を握り、左手でその後ろを支える構えをとる。
レンは奥歯を噛みしめ、無理やり身体を捻ってかわそうとした。
刃先は左脇腹を浅く切り裂き、レンは痛みで顔を引きつらせる。
ドッ!
すかさず泉の右足がレンの腹部を蹴り飛ばす。
わざと傷口に当てられ、レンは逆流した血を吐き出しながら地面を滑った。
「かは…っ、ぐ…ぅ…! クソ…ッ」
出血する左脇腹の傷口を左手で押さえ、泉に距離を詰められる前に、右手で地をついてすぐに立ち上がって体勢を立て直す。
「電力切れも近いようだな」
「さあ…? どうだか…」
せせら笑う泉に対し、レンは口角を上げて答えた。
「諦めな、嬢ちゃん。よく考えろ、これは命の奪り合いだぜ。ガキのケンカじゃねぇ。こっちは昔からドスやチャカ持った奴相手にしてきてんだ」
泉は「場数が違うんだよ」と付け加え、血の付着したドスの刃先を向ける。
レンは苛立ちを込めて「チッ」と舌を鳴らし、右手の甲で口端を伝う血を拭った。
「こっちだって、おっさんほどじゃなくても、物騒なもん振り回されながら日々を過ごしてたんだ…」
指の骨をパキパキと鳴らし、「命の奪り合い? わかりきったこと説教こいてんじゃねーよ」と低い声を漏らして睨みつけ、デニムパンツのポケットに左手を突っ込む。
その目の色に、泉は再び手負いの獣を警戒した。
「じゃーん…ってな」
レンが取り出したのは、バタフライナイフだ。折りたたまれた状態から片手で器用に刃を出す。
覚えのあるナイフに泉は「あ!」と声を上げて指さした。
「オレのバタフライナイフ!」
捕縛していた状態のレンに投げつけ、木に刺しっぱなしにしていたナイフだ。
持ち主の目を盗んでレンが回収したのだ。
「ネコババしやがって…」
「くれたのかと思ったぜ」
憎たらしげに言う泉に、レンは挑発的な笑みを向けた。
「オモチャじゃねえよ!」
泉はドスを片手に突っ込んでくる。
レンも足を踏み出して応戦した。
刃をぶつけ合うレンと泉。
辺りには鋭い金属音が鳴り響いた。
勝負は明らかにレンの劣勢だ。
普段からナイフを振り回しているわけではないため、目では追えるものの相手のドスの刃を受け止めるだけで限界だった。手元も徐々に切り傷が増えていく。
泉は、苦し気に後手に回るレンの姿に口角を上げずにはいられない。
「だから言っただろ、場数が違うってな!」
刀身のリーチも重量も違い、あえて渾身の力を込めてドスをぶつければ、力負けしたバタフライナイフが弾かれた。
思わず体勢を後ろに反らすレンに、泉はドスを逆手に構えてレンの右の太ももを貫く。
「ううぅ…っ!!」
「返してもらうぜ」
手から滑り落ちたバタフライナイフは、地面ではなくちょうどそこにあった泉の影に呑み込まれた。
太ももに走る激痛に前のめりになるレンだったが、歯を食いしばって右手で泉の手首をつかもうとする。
「おっと!」
感電を恐れた泉は反射的にドスの柄から手を離し、後ろに跳んで距離をとった。
「痛ってー…なぁ!」
片膝をついたレンは泉を睨みつけたまま、太ももに突き刺さったドスを左手で抜いて泉に投げつけるが、ドスは回転することもなく宙に放射線を描き、泉は余裕のある動きで自身の影に入るよう移動する。
トプンッ、とまるで水面に投げ入れられた音がした。
「張り切って慣れねえことするからだ」
「く…」
呻くレンは片膝をついたまますぐに立ち上がることができない様子だ。
脚を攻撃されたことで俊敏に動くことはできないだろうと見抜いた泉は、しゃがんで片膝をつき、レンから目を離さず自身の影に手を突っ込んだ。
「死に方は選ばせてやるよ。薬殺、斬殺、殴殺、絞殺、撲殺、焼殺、爆殺、溺殺、圧殺、射殺、銃殺…。オススメは心臓ひと突きの刺殺か」
影の中を掻き回した時だ。
バチッ!!
「が…ッ!!?」
武器を手に取ろうと触れた瞬間、突然の電流が泉の身体を襲った。
大きく痙攣した泉は片膝をついたまま硬直する。
「な…? あが…」
舌も痺れ、喋ろうとすればよだれが垂れた。
痙攣は鎮まらず、それ以上に目をぐるぐるとさせて混乱している。
(な…ぜ? まさか……)
思い出せば、小さな違和感は確かにあった。
レンはまるで、わざと泉の影に入るようにナイフやドスを落としているようだった。
視線をレンに向けると、その両目と口元は嬉しそうに三日月を描いていた。
(帯電…!)
最初からそのつもりで直接的な電撃を使ってこなかったのだろう、レンは手にしたナイフとドスに強い電流を溜めていたのだ。
察した泉だったが、影の中から素早く手を引き抜くこともできない。
レンはゆっくりと立ち上がり、左脇腹と右の太ももの傷の痛みに耐えながら弾かれたように泉に目掛けて突進する。
「待…」
泉は空いた手で制そうとしたが、構わずレンは右足を振り上げ、
ゴガッ!
泉のアゴを容赦なく蹴り上げた。
泉のサングラスは宙を舞い、地面に落下すると同時に両目のレンズが粉々に砕ける。
レンは泉の胸倉をつかみ、左のコブシで泉の右頬を何度も殴りつけた。
意識が飛びそうになる泉は焦燥感に駆られ、影の中で無我夢中でつかんだものを引っ張り出す。
工事用のスコップだ。
レンはそれを目にした瞬間、思わず泉の胸倉から手を離してフリーズした。
脳裏を駆け巡るのは、血まみれの地面と血まみれの工事用のスコップだ。
「おとーさ…」
レンが呟いた時、泉は機を逃さずスコップをレンの顔面目掛け突き立てようとした。
その瞬間、レンの目の色が変わる。
「え」と泉が目を見張ると同時に、
ゴッ!!
左アゴに、レンの右コブシが炸裂した。
「思い出しちまうだろ」
レンの口から出たその声は、明らかにレンのものではなかった。
視界が真っ暗になる直前、泉は疑問を浮かべた。
(誰だ…? なんなんだ? この女の能力は…。…若……)
糸が切れたように仰向けに倒れる泉。
はっとしたレンは、じんと痛む自身の右コブシを凝視しながら首を傾げた。
「あたし…、今、右で殴った…のか?」
記憶に一瞬モヤがかかった気がした。
「と…、とにかく…、勝ったんだよな?」
釈然としないが、泉の右足を軽く蹴って気絶したことを確認する。
おそるおそる立ち上がり、他に仲間はいないかと警戒して辺りを見回したところ、泉の壊れたサングラスが落ちているのを見つけて近づいた。
「……………」
2度と使い物にならないが、レンの中で疼くものがあった。
身を屈め、サングラスを拾おうと手を伸ばす。
“レン…”
「!」
水樹に叱られた気がして、思い出した。
『なんでこんなもん集めてんだ! 捨てちまえ! 悪趣味だ!』
『やめろよ! 捨てるなーっ! バカ兄貴ぃぃ!!』
レンは中学時代、悪癖があった。
喧嘩して勝利した相手から所持品を持ち去っていたのだ。
財布や金品ではなく、身に着けていたアクセサリーや雑貨類などだ。
戦利品を詰め込んだ段ボールを見つけて捨てようとした水樹と本気の殴り合いになり、のびている間にすべて廃棄され、2度としないと誓わされた。
顔中腫れあがった兄と妹を見て、両親からも大目玉を食らったものだ。
「そう…だったな…」
手を引っ込めて姿勢を戻したレンは、帽子越しに頭を掻く。
「あ」
そして、振り返って泉の姿がないことに気付いた。
「しまった…。銀髪ヤロウに関する情報源が…」
落胆している場合ではない。
どこかで様子を窺って襲い掛かってくるかもしれないのだ。
警戒は解けないが、あの状態で素早く動けるとも思っていない。
「あたしなら、重傷だったら影の中に潜っていったん退散するかな…。由良と森尾も、どうなってるかわからないし……」
少し前に地面が揺れ、遠くで轟音が聞こえた気がしたのだ。
由良と森尾の身を案じる余裕も生まれ始め、どこへ足を向けようかと思案するが、気付けば時間も大幅に経過し、風景がオレンジ色からゆっくりと黒へ染まろうとしていた。
まもなく暗くなろうとしているので、レンの頬を冷たい汗が流れた。
「先に、明るい場所を見つけないと…。クソ…、時間をかけすぎた…」
身動きが取れなくなることを恐れ、ぶつくさと文句を言いながら、広い道を探して茂みを掻き分けて進んで行く。
時間は数十分とかからなかった。
山道をのぼっていくと、チカチカと瞬きを繰り返す1本の山道街灯を見つけ、その頼りない灯りに誘われるように傷と泥まみれの体を引きずりながら向かった。
「はぁ…」
坂をのぼったところで、車が1台ほど通れる間隔の道に出ると、街灯の下にたどりつく。
ポールに触れ、残り僅かな電流を絞り出すように流し込むと、頼りなかった灯りは正常に点灯し、安心感を与えてくれた。
瞬間、どっと疲れが出て街灯に背を預けて座り込んだ。
今、再び襲撃されたら成す術はないだろう。
左の脇腹の傷と、右の太ももの傷から流れ出る血はマシにはなってきたが、未だにズキズキと痛む。
久しぶりに、不安と孤独感に包まれているようだ。
落ち着かない静寂に、膝を抱え、小さく息を吐いた時だった。
「よう」
上から降ってきた声に見上げると、いつの間にいたのか、由良が街灯の灯具とアームの部分にのってレンを見下ろしていた。
その顔には、いつもの意地の悪そうな笑みがある。
「……よー…」
レンはきょとんとした顔で小さく手を挙げて応えた。
「ははっ。ボロボロだな」
「おまえもなー」
どちらも人のことは言えないほど傷だらけだ。衣類のところどころに血が付着して、人前に出られる格好ではない。
思わず小さな笑いが出てしまう。
レンの目の前に着地した由良は、傷が痛んで顔がわずかに引きつった。
「勝ったわけだよな?」
「ああ。勝った瞬間を覚えてないのが微妙だけどなー」
座り込んだまま左のコブシを軽く突き出し、苦笑するレン。つられて由良も「なんだそれ」と笑った。
気が付けば、先程あったはずの不安や孤独感がレンの中から煙のように消えていた。
「モリヲも探さねーとな。殺されてねえだろーな?」
「バカなこと言うなよっ」
そう言いながらレンは街灯のポールを支えに立ち上がる。
由良はここに来るまで高所にのぼったりしたが、空を飛ぶ森尾の姿を見かけていなかった。
「とりあえず、この道を辿って一回モリヲの車まで戻るか。行くぞ、レン」
「あ……」
「?」
街灯の灯りの下から出るのを躊躇うレン。
察した由良は目をぐるりと上に向け、小さくため息をついた。
「………ほら」
至近距離まで近づいて自身の背中をレンに軽くぶつけると、レンは「え…」と戸惑う。
「朝まで待ってられねーぞ」
「ゆ、由良?」
由良は無理やりレンの手を取って自身の首に回し、続けてレンの足を自身の両腕にかけ、「よいしょ」とレンを背負った。
突然の行動に混乱するレンは、顔を真っ赤にしながら由良の背中で落ち着きをなくす。
「な、なにしてんだよ! おまえだってケガしてんだろ! おろせって!」
「暴れるなよ。テメーよりかマシな方だっての。それともお姫サマはお姫様だっこをご所望で?」
「~~~~っっ」
肩越しに意地悪な笑みを向けて恥ずかしいことを言われ、レンは顔から火を噴きながらも何も言い返さず大人しくなった。
由良は「軽い軽い」と笑っている。
「気にするならあとで甘いの奢ってくれよ。チョコた~っぷりのやつな」
「……わかったよ…」
諦めて由良の背中に身体を預けるレン。
わずかな血の匂いがするものの、由良の背中の温かさ、微かな揺れ、落ち着いた心音が心地よかった。
あれだけ恐れていたはずの周囲の闇が、優しく思える。
「由良…」
「んー?」
「連れてきてくれて…ありがとな」
「なに言ってんだ。選んだのは、レンだろ?」
「はは…。確かに…」
穏やかに笑うレンの瞳から、一粒の温かい涙が由良のうなじに落ちた。
「あ。よだれ落としただろ。どんだけ腹減ってんだ」
「…うるせーな。どーせ汚いツナギなんだから変わんねーだろっ」
「運んでやってるのに失礼な奴だな! 食らえ!」
「ひ!? いやあああああっ!!」
おぶっているのをいいことにベタベタとレンの尻を触りまくる由良。
耐えきれずらしくない悲鳴を上げながらレンは目の前の頭を「ヤメロッ!」と殴りつけた。
同じ頃、森尾は自身の車に戻り、運転席のシートを倒して一時的に休息をとっていた。
窓を開けていたので、遠くから聞こえる男女の言い争いの声にほっと胸を撫で下ろす。こちらに近づいてきている様子だ。
「まったくあの2人は…」
呆れながらも、その頬は無意識に緩んでいた。
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