短編:番犬は咎人と語る
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・レン
明かりもない夜の森を駆け抜ける。
この辺りの地形は、何度も地図を見て頭に保存してある。
記憶力が特別いいというわけではないため、半月前から何度も読み返して叩きこんでおいた。
間違ってなければ、そろそろ吊り橋が見えてくるはずだ。
後ろからついてくる由良を確認し、茂みから飛び出す。
「当たりだ」
目の前の吊り橋にほくそ笑んだ。
長い間使われていないのか、ボロボロだ。
吊り橋の下は深い谷となっている。
落下すれば、確実に助からない。
下から川の音は聞こえるが、夜の闇でまったく見えなかった。
「渡れんのか…?」
「…ひ…、ひとりずつ渡れば…」
ここまで酷いとは想定していなかった。
試しに、吊り橋の具合を確かめるため、一歩進んでみる。
ところどころに穴が空いているが、踏み場所を間違えなければ1人分の体重なら大丈夫そうだ。
先に渡ろうとしたところで、由良に後ろから肩をつかまれ、振り返った。
「オレが先に渡る。ここからは直線だろ?」
「もしものことがあったらどうする?」
「後ろが死刑台、前が危険な吊り橋なら、オレは前を選ぶ」
あたしの横を通過した由良は、迷いもなく吊り橋を渡っていく。
ちゃんと自分を支えてくれるのか怪しいロープをつかみながら、一歩一歩と。
バキッ!
「「!!」」
真ん中に近付いたとき、由良の足下が抜けてしまった。
「大丈夫か!?」
谷に声が反響する。
「心配すんな!」
どうやら、左脚だけ穴にはまったようだ。
ロープをつかみ、穴から左脚を抜く。
ほっとしたのもつかの間だった。
「!」
茂みから数人の看守たちが飛び出してきた。
明かりも持たないでついてきたようだ。
「見つけだぞ、北条」
「あの死刑囚も一緒だ」
女が2人、男が3人。
普通の看守ならどうってことないが、同じ訓練を受けた仲間の看守は厄介だ。
「あなた方を捕縛します」
全員、警棒を構える。
あたしも腰から警棒を取り出した。
「レン!」
由良がこちらに戻ってこようとする。
「さっさと渡り切れ! あたしが渡れねえだろ!」
由良が渡りきったあと、あたしが吊り橋を渡ってしまえばこちらのものだ。
奴らだって、大勢でこんな吊り橋を渡ってくるほどバカじゃない。
「死刑囚を逃がすなんて、署長を裏切る気!?」
「泥を塗りやがって…」
「この行為がどれだけ重い罪になるのか、わかっているのか!?」
「今あの死刑囚を渡せば、罪は軽くなるぞ」
それが看守らしい。
こんなあたしよりよっぽど。
「ガタガタうるせえんだよ」
警棒の先を看守達に向け、言葉を続ける。
「看守なら看守らしく、罪人に罰を与えてみろ」
看守達が一斉にかかってきた。
あたしはホルスターから銃を取り出し、左端の看守の手首を撃つ。
ドン!
「ぐ!?」
看守の手から警棒が離れ、あたしは空中に飛んだそれを受け止めた。
振り下ろされた4人分の警棒を、両手の警棒を使って防御する。
4人は同時にあたしと距離を置こうとしたが、あたしは目の前の女の看守に詰め寄った。
「!」
そいつの肩をつかみ、後ろに回り込んで首に腕をかける。
「く…っ!」
あとの4人は銃を取り出し、こちらに向けた。だが、仲間を盾にされているため、無闇に引き金を引くことができない。
「そのまま下がれ! こいつの首の骨へし折られたくなかったらな」
後ろの由良を確認すると、由良はこちらに少し戻ってきてしまったこともあり、まだ橋の終わりまで到達していない。
だが、それも時間の問題だ。
このままこの看守をつれていけば有利なままだが、2人一緒に橋を渡るのは危険すぎる。
突き飛ばしたあと、橋を駆け、ロープを切った方がよさそうだ。
「…ダメだ…」
「?」
あたしが最初に警棒を取り上げた看守が震える声で言った。
手まで震えている。
「署長が…、署長が…許さない…」
他の看守達も怯えが移ったのか、震え始める。
「そ…、そうだ…」
「私達は…、やり遂げなければ…」
訓練場での署長を思い出したのかもしれない。
弱音を吐いた者などは、罰を受けていた。
あたしもたった一度だけ味わったことがある。
小さな四角い箱の中に入れられるのだ。
それも、子供ひとり分しか入れないほどの狭さだ。
あの中に3日間閉じ込められていた。
たった3日間だけでも、幼かったあたしにとっては狂いそうなくらい恐怖の時間だった。
罰は他にもあった。
逆さ吊りにされる者、飯を与えられなかった者、痛みを味わう者など。
今思えば、ここの死刑囚達の扱いと対して変わらないのかもしれない。
「おまえら…」
声をかけると同時に、全員が引き金をひいた。
ドドドドン!!
あたしと人質にとっていた看守にゴム弾が何発も直撃する。
「うぐ!」
「うああ!」
あたしと看守はその場にうつ伏せに倒れた。
その時、背後からロープが切れる音が聞こえ、はっと後ろに振り返る。
さっきのゴム弾がロープをかすめたのかもしれない。
吊り橋は波のように大きくうねった。
その勢いに負け、次々と他のロープが切れる。
由良は、まだ渡り切っていなかった。
「由良!!」
「く…!」
なんとかロープにしがみついている。
しかし、吊り橋の足場が谷底に向けて落下した。
顔を上げて由良の姿を確認しようとしたが、姿がない。
一緒に落下したのかもしれない。
「由良―――!!」
背後に気配を感じ、警棒で撲られ、意識を失った。
*****
気がつけば、椅子にくくりつけられていた。
手足もだ。
部屋を見渡すと、薄暗いが、そこが1階の懲罰房だと理解できた。
牢屋にはなかった監視カメラもセットされてある。
あたし達看守がここに来てからは、監視カメラや懲罰房などは使われなくなったため、今は起動しているのかどうか。
「やっと起きたかい」
扉から現れたのは、署長だ。
「…署長…」
「まさか、飼い犬に手を咬まれるとは思わなかったよ」
「……あたしだって、驚いてる。死刑囚に情をかけないようにと心がけてきたつもりだ」
そのつもりだった。
「…あたしはどれくらい気を失っていた?」
「丸1日だよ。そして、今日はあの死刑囚の死刑執行の日だ」
「由良は…どうなった?」
発見されても面倒な話だが、生死の確認が知りたい。
署長は手を後ろに組み、ため息をついた。
「まだ確認できていない。他の看守の話では、谷底に落ちて死んだのではないのかと聞いている」
重いものが背中に圧し掛かる。
「そんな…」
署長はあたしの背後にまわり、両肩に手を置いた。
「キミはどちらかといえば、冷酷なコかと思っていたよ。死刑囚に対し、常に冷酷かつ残虐で通してきた。だから、最初はあの死刑囚の担当をキミにしたのだ。しかし、私の人選ミスだったようだ」
そう、その結果、あたしは由良を逃がした。
自らの意思で。
けれど、後悔はしていない。
いつからか、死刑囚だということを忘れ、毎日話をするのが楽しかった。
あたしはあまり話題とかなかったけど、由良がいつも持ちかけてくれた。
もうあの時間が叶わないと思うと、あの小さな箱に入れられた時の感覚と似たようなものに襲われたのだ。
狭くて、息苦しくて、孤独だった、あの時の感覚に。
「わからないことがある…」
「?」
「署長は、なんで由良にこだわるんだ?」
由良がこちらに来てからだ、署長がちょくちょく姿を見せるようになったのは。
休憩室に現れては、由良のことを聞きたがる。
「ちゃんと罰を与えているか」など、今更なことを言うようになった。
それがほとんどだ。
こんなこと、今まで一度もなかった。
あたしが由良にこだわる理由はわかるが、署長はわからない。
背後に立つ署長が笑みを浮かべた気がした。
ゾクッとし、冷や汗が頬を伝う。
「彼はね…」
耳打ちをされた。
「無実なんだよ」
「!?」
―――なんだ? 署長はなにを言った…?
混乱しそうになる。
ここは罪人が入る監獄じゃなかったのか。
しかも、由良は54人も殺したんじゃないのか。
あたしの疑問に、署長は笑みを浮かべながら答える。
「54人を殺したのは、彼の父親だ」
資料には、確かに由良には父親がいた。
だが、今は他界していないはずだ。
その父親が起こした罪が、なぜ息子に移っているのか。
「54人の被害者の中には、私の娘も含まれている」
「!!」
署長に娘がいたなんて初耳だ。
「高校からの帰りに、背後から刺されて死んだ。…4年前の出来事だ」
4年前といえば、あの殺人事件の真っただ中だ。
「本当は、事件は3年前に解決していたんだよ。私を含め、警官が駆けつけた時には、彼は首を吊って死んでいた。3年もかけた殺人を犯し、その知能で警察を翻弄し続けてきたというのに」
自分の身の危険を察し、首を吊ったのだろうか。
「けど、息子は関係ないんじゃ…」
「彼と父親は別居していたからね」
「じゃあ、なんで…!?」
由良の言葉を思い出す。
『…実はオレ、ホントは無実なんだ』
冗談だと思っていたが、あの言葉は本当だったのだ。
「自殺で事件の幕を下ろすなんて理不尽な解決の仕方があるものか。こちらは娘を奪われたというのに…。ならば、代わりに血縁関係者でもある息子が死刑になるべきだ」
それこそ、理不尽というものではないのか。
「その時の事件関係者の口を封じ、手を回せるだけ回し、息子が犯人であると仕立て上げるのに3年の月日をかけた」
資料の疑問が全て繋がる。
3年の空白はそれに費やされていたのだ。
娘を奪われた復讐のために。
由良は全て知っていたのかもしれない。
抵抗してもその復讐には勝てない、と。
だから、おとなしく捕まったのかもしれない。
「わかってんのか…。あんたが死刑台に送ろうとしたのは、人殺しの息子でも、ただの一般人だぞ!」
署長は少し黙ったあと、口を開いた。
「……妻の命も連続殺人犯に奪われてしまった。…そいつは「死刑になりたかった」そうだ。そのために、妻は奪われてしまったのだ…」
「!」
「新たなルールに私は従った。キミ達を育て、罰を与えるだけの看守にするために。死刑囚をラクに死なせないために…」
署長の復讐はその時から始まっていたのだ。
あたし達は、署長の気が済むためのただの道具に過ぎなかった。
妻と娘を奪われた時点で、署長はおかしくなってしまったのだ。
長い間、署長と一緒にいたというのに、なぜあたし達はそれに気付けなかったのか。
「いずれは、自殺した罪人の代わりにその遺族が、という法になる日もくるだろう。バカみたいな話だと思うかね? 私も、“被害者家族”になるまではそう思っていたさ…」
だから、由良がその代わりというわけだ。
署長はあたしの前に移動し、見下ろしてきた。
「残念ながら、彼の他に遺族はいない。代わりに、唯一親しかったキミに死刑になってもらおう」
「な…!?」
「もう、私は死刑執行が待てないのだよ」
署長の目の先には、死刑台しか映っていない。
手足に枷をかけられ、首は鎖で繋がれ、頭には白い布を被せられた。
懲罰房のあと、署長はあたしをつれてすぐに地下の刑場へと向かった。
足音からして、署長は前に、看守の2人は後ろにいる。
逃げるのはほぼ不可能だ。
死刑台へと向かう石畳の廊下が、冷たく、長く感じられる。
これが死刑囚が感じていることなのか。
しばらく進み、扉が開かれる音が聞こえた。
その先を進むと、わずかだが死臭がする。
おそらく、あたしのすぐ目の前には死刑台があるのだろう。
確か、死刑台の向かい側には立会人のいる部屋があったはずだ。
防音ガラスからこちらの姿が見えるようになっている。
自分達から大事な者を奪った死刑囚の死にざまを見るために。
看守のひとりに引っ張られ、死刑台の階段を上がっていく。
首に床板に立たされ、絞縄を首にかけられた。
目の前からたくさんの視線を感じる。
恨みがこもった視線だ。
声は聞こえなくても、なにを言ってるのかはわかる。
“人殺し”
由良もこの視線や言葉を浴びてきたのだ。
由良の気持ちは、あの鉄格子が隔たりとなって気付けなかったのかもしれない。
どうして気付いてやれなかったのか。
自分が腹立たしくて仕方がない。
気付いていれば、もっと早く出してあげられたのに。
悔しくて、涙が出てきた。
―――おまえらだって…。
床板が開くボタンを押す音が聞こえる。
「人殺しじゃねえか」
床板が開いた。
.
明かりもない夜の森を駆け抜ける。
この辺りの地形は、何度も地図を見て頭に保存してある。
記憶力が特別いいというわけではないため、半月前から何度も読み返して叩きこんでおいた。
間違ってなければ、そろそろ吊り橋が見えてくるはずだ。
後ろからついてくる由良を確認し、茂みから飛び出す。
「当たりだ」
目の前の吊り橋にほくそ笑んだ。
長い間使われていないのか、ボロボロだ。
吊り橋の下は深い谷となっている。
落下すれば、確実に助からない。
下から川の音は聞こえるが、夜の闇でまったく見えなかった。
「渡れんのか…?」
「…ひ…、ひとりずつ渡れば…」
ここまで酷いとは想定していなかった。
試しに、吊り橋の具合を確かめるため、一歩進んでみる。
ところどころに穴が空いているが、踏み場所を間違えなければ1人分の体重なら大丈夫そうだ。
先に渡ろうとしたところで、由良に後ろから肩をつかまれ、振り返った。
「オレが先に渡る。ここからは直線だろ?」
「もしものことがあったらどうする?」
「後ろが死刑台、前が危険な吊り橋なら、オレは前を選ぶ」
あたしの横を通過した由良は、迷いもなく吊り橋を渡っていく。
ちゃんと自分を支えてくれるのか怪しいロープをつかみながら、一歩一歩と。
バキッ!
「「!!」」
真ん中に近付いたとき、由良の足下が抜けてしまった。
「大丈夫か!?」
谷に声が反響する。
「心配すんな!」
どうやら、左脚だけ穴にはまったようだ。
ロープをつかみ、穴から左脚を抜く。
ほっとしたのもつかの間だった。
「!」
茂みから数人の看守たちが飛び出してきた。
明かりも持たないでついてきたようだ。
「見つけだぞ、北条」
「あの死刑囚も一緒だ」
女が2人、男が3人。
普通の看守ならどうってことないが、同じ訓練を受けた仲間の看守は厄介だ。
「あなた方を捕縛します」
全員、警棒を構える。
あたしも腰から警棒を取り出した。
「レン!」
由良がこちらに戻ってこようとする。
「さっさと渡り切れ! あたしが渡れねえだろ!」
由良が渡りきったあと、あたしが吊り橋を渡ってしまえばこちらのものだ。
奴らだって、大勢でこんな吊り橋を渡ってくるほどバカじゃない。
「死刑囚を逃がすなんて、署長を裏切る気!?」
「泥を塗りやがって…」
「この行為がどれだけ重い罪になるのか、わかっているのか!?」
「今あの死刑囚を渡せば、罪は軽くなるぞ」
それが看守らしい。
こんなあたしよりよっぽど。
「ガタガタうるせえんだよ」
警棒の先を看守達に向け、言葉を続ける。
「看守なら看守らしく、罪人に罰を与えてみろ」
看守達が一斉にかかってきた。
あたしはホルスターから銃を取り出し、左端の看守の手首を撃つ。
ドン!
「ぐ!?」
看守の手から警棒が離れ、あたしは空中に飛んだそれを受け止めた。
振り下ろされた4人分の警棒を、両手の警棒を使って防御する。
4人は同時にあたしと距離を置こうとしたが、あたしは目の前の女の看守に詰め寄った。
「!」
そいつの肩をつかみ、後ろに回り込んで首に腕をかける。
「く…っ!」
あとの4人は銃を取り出し、こちらに向けた。だが、仲間を盾にされているため、無闇に引き金を引くことができない。
「そのまま下がれ! こいつの首の骨へし折られたくなかったらな」
後ろの由良を確認すると、由良はこちらに少し戻ってきてしまったこともあり、まだ橋の終わりまで到達していない。
だが、それも時間の問題だ。
このままこの看守をつれていけば有利なままだが、2人一緒に橋を渡るのは危険すぎる。
突き飛ばしたあと、橋を駆け、ロープを切った方がよさそうだ。
「…ダメだ…」
「?」
あたしが最初に警棒を取り上げた看守が震える声で言った。
手まで震えている。
「署長が…、署長が…許さない…」
他の看守達も怯えが移ったのか、震え始める。
「そ…、そうだ…」
「私達は…、やり遂げなければ…」
訓練場での署長を思い出したのかもしれない。
弱音を吐いた者などは、罰を受けていた。
あたしもたった一度だけ味わったことがある。
小さな四角い箱の中に入れられるのだ。
それも、子供ひとり分しか入れないほどの狭さだ。
あの中に3日間閉じ込められていた。
たった3日間だけでも、幼かったあたしにとっては狂いそうなくらい恐怖の時間だった。
罰は他にもあった。
逆さ吊りにされる者、飯を与えられなかった者、痛みを味わう者など。
今思えば、ここの死刑囚達の扱いと対して変わらないのかもしれない。
「おまえら…」
声をかけると同時に、全員が引き金をひいた。
ドドドドン!!
あたしと人質にとっていた看守にゴム弾が何発も直撃する。
「うぐ!」
「うああ!」
あたしと看守はその場にうつ伏せに倒れた。
その時、背後からロープが切れる音が聞こえ、はっと後ろに振り返る。
さっきのゴム弾がロープをかすめたのかもしれない。
吊り橋は波のように大きくうねった。
その勢いに負け、次々と他のロープが切れる。
由良は、まだ渡り切っていなかった。
「由良!!」
「く…!」
なんとかロープにしがみついている。
しかし、吊り橋の足場が谷底に向けて落下した。
顔を上げて由良の姿を確認しようとしたが、姿がない。
一緒に落下したのかもしれない。
「由良―――!!」
背後に気配を感じ、警棒で撲られ、意識を失った。
*****
気がつけば、椅子にくくりつけられていた。
手足もだ。
部屋を見渡すと、薄暗いが、そこが1階の懲罰房だと理解できた。
牢屋にはなかった監視カメラもセットされてある。
あたし達看守がここに来てからは、監視カメラや懲罰房などは使われなくなったため、今は起動しているのかどうか。
「やっと起きたかい」
扉から現れたのは、署長だ。
「…署長…」
「まさか、飼い犬に手を咬まれるとは思わなかったよ」
「……あたしだって、驚いてる。死刑囚に情をかけないようにと心がけてきたつもりだ」
そのつもりだった。
「…あたしはどれくらい気を失っていた?」
「丸1日だよ。そして、今日はあの死刑囚の死刑執行の日だ」
「由良は…どうなった?」
発見されても面倒な話だが、生死の確認が知りたい。
署長は手を後ろに組み、ため息をついた。
「まだ確認できていない。他の看守の話では、谷底に落ちて死んだのではないのかと聞いている」
重いものが背中に圧し掛かる。
「そんな…」
署長はあたしの背後にまわり、両肩に手を置いた。
「キミはどちらかといえば、冷酷なコかと思っていたよ。死刑囚に対し、常に冷酷かつ残虐で通してきた。だから、最初はあの死刑囚の担当をキミにしたのだ。しかし、私の人選ミスだったようだ」
そう、その結果、あたしは由良を逃がした。
自らの意思で。
けれど、後悔はしていない。
いつからか、死刑囚だということを忘れ、毎日話をするのが楽しかった。
あたしはあまり話題とかなかったけど、由良がいつも持ちかけてくれた。
もうあの時間が叶わないと思うと、あの小さな箱に入れられた時の感覚と似たようなものに襲われたのだ。
狭くて、息苦しくて、孤独だった、あの時の感覚に。
「わからないことがある…」
「?」
「署長は、なんで由良にこだわるんだ?」
由良がこちらに来てからだ、署長がちょくちょく姿を見せるようになったのは。
休憩室に現れては、由良のことを聞きたがる。
「ちゃんと罰を与えているか」など、今更なことを言うようになった。
それがほとんどだ。
こんなこと、今まで一度もなかった。
あたしが由良にこだわる理由はわかるが、署長はわからない。
背後に立つ署長が笑みを浮かべた気がした。
ゾクッとし、冷や汗が頬を伝う。
「彼はね…」
耳打ちをされた。
「無実なんだよ」
「!?」
―――なんだ? 署長はなにを言った…?
混乱しそうになる。
ここは罪人が入る監獄じゃなかったのか。
しかも、由良は54人も殺したんじゃないのか。
あたしの疑問に、署長は笑みを浮かべながら答える。
「54人を殺したのは、彼の父親だ」
資料には、確かに由良には父親がいた。
だが、今は他界していないはずだ。
その父親が起こした罪が、なぜ息子に移っているのか。
「54人の被害者の中には、私の娘も含まれている」
「!!」
署長に娘がいたなんて初耳だ。
「高校からの帰りに、背後から刺されて死んだ。…4年前の出来事だ」
4年前といえば、あの殺人事件の真っただ中だ。
「本当は、事件は3年前に解決していたんだよ。私を含め、警官が駆けつけた時には、彼は首を吊って死んでいた。3年もかけた殺人を犯し、その知能で警察を翻弄し続けてきたというのに」
自分の身の危険を察し、首を吊ったのだろうか。
「けど、息子は関係ないんじゃ…」
「彼と父親は別居していたからね」
「じゃあ、なんで…!?」
由良の言葉を思い出す。
『…実はオレ、ホントは無実なんだ』
冗談だと思っていたが、あの言葉は本当だったのだ。
「自殺で事件の幕を下ろすなんて理不尽な解決の仕方があるものか。こちらは娘を奪われたというのに…。ならば、代わりに血縁関係者でもある息子が死刑になるべきだ」
それこそ、理不尽というものではないのか。
「その時の事件関係者の口を封じ、手を回せるだけ回し、息子が犯人であると仕立て上げるのに3年の月日をかけた」
資料の疑問が全て繋がる。
3年の空白はそれに費やされていたのだ。
娘を奪われた復讐のために。
由良は全て知っていたのかもしれない。
抵抗してもその復讐には勝てない、と。
だから、おとなしく捕まったのかもしれない。
「わかってんのか…。あんたが死刑台に送ろうとしたのは、人殺しの息子でも、ただの一般人だぞ!」
署長は少し黙ったあと、口を開いた。
「……妻の命も連続殺人犯に奪われてしまった。…そいつは「死刑になりたかった」そうだ。そのために、妻は奪われてしまったのだ…」
「!」
「新たなルールに私は従った。キミ達を育て、罰を与えるだけの看守にするために。死刑囚をラクに死なせないために…」
署長の復讐はその時から始まっていたのだ。
あたし達は、署長の気が済むためのただの道具に過ぎなかった。
妻と娘を奪われた時点で、署長はおかしくなってしまったのだ。
長い間、署長と一緒にいたというのに、なぜあたし達はそれに気付けなかったのか。
「いずれは、自殺した罪人の代わりにその遺族が、という法になる日もくるだろう。バカみたいな話だと思うかね? 私も、“被害者家族”になるまではそう思っていたさ…」
だから、由良がその代わりというわけだ。
署長はあたしの前に移動し、見下ろしてきた。
「残念ながら、彼の他に遺族はいない。代わりに、唯一親しかったキミに死刑になってもらおう」
「な…!?」
「もう、私は死刑執行が待てないのだよ」
署長の目の先には、死刑台しか映っていない。
手足に枷をかけられ、首は鎖で繋がれ、頭には白い布を被せられた。
懲罰房のあと、署長はあたしをつれてすぐに地下の刑場へと向かった。
足音からして、署長は前に、看守の2人は後ろにいる。
逃げるのはほぼ不可能だ。
死刑台へと向かう石畳の廊下が、冷たく、長く感じられる。
これが死刑囚が感じていることなのか。
しばらく進み、扉が開かれる音が聞こえた。
その先を進むと、わずかだが死臭がする。
おそらく、あたしのすぐ目の前には死刑台があるのだろう。
確か、死刑台の向かい側には立会人のいる部屋があったはずだ。
防音ガラスからこちらの姿が見えるようになっている。
自分達から大事な者を奪った死刑囚の死にざまを見るために。
看守のひとりに引っ張られ、死刑台の階段を上がっていく。
首に床板に立たされ、絞縄を首にかけられた。
目の前からたくさんの視線を感じる。
恨みがこもった視線だ。
声は聞こえなくても、なにを言ってるのかはわかる。
“人殺し”
由良もこの視線や言葉を浴びてきたのだ。
由良の気持ちは、あの鉄格子が隔たりとなって気付けなかったのかもしれない。
どうして気付いてやれなかったのか。
自分が腹立たしくて仕方がない。
気付いていれば、もっと早く出してあげられたのに。
悔しくて、涙が出てきた。
―――おまえらだって…。
床板が開くボタンを押す音が聞こえる。
「人殺しじゃねえか」
床板が開いた。
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