50:笑っててほしいんだ
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(ああ…。残しちまったか…)
レンの妊娠が告げられた直後、由良は茫然と思った。
『由良、あたし…、こいつらを産みたい』
レンは真っすぐな目で由良の手を握りながら、そう言った。
*****
太輔と別れたあと、レン、由良、健一郎、華音は夕日でオレンジ色に染まった歩道を歩いていた。
すん、と鼻を鳴らすと、金木犀の香りがする。
健一郎は由良が持ってきたスケッチブックを脇に抱え、空いた手で華音の手をつかんではぐれないよう、レンと由良の前を一緒に歩いていた。
「健一郎の奴、人様に蹴り入れるコだったっけ?」
ほっこりする傍ら、レンは怪訝そうな目で、由良の教育方針を疑う。
レンが取材で家を空けてる時は、由良が健一郎と華音の面倒を見ているのだ。
「前の記憶ってやつじゃねえの? タイスケを目の敵にするのは。けっこう恨んでたしなー」
健一郎と華音には、今のところ、前の記憶がこびりついた程度に残っている。
たまに、起きては「パパとママの夢を見た」と報告してきた。
その夢というのが、屋敷にいたころの記憶の一部だったり、由良達と出会う前の自分達の過去の一部だったり。
死に際の夢を見たのだろう、うなされている時は、由良かレンが添い寝をして落ち着かせた。
「コラッ、華音っ。速いって!」
「ひゃははっ。健ちゃんが遅いのーっ」
急に足を速めた華音に、健一郎は慌てて合わせようとする。
「車に轢かれるから離れるなー」とレンがやわらかく窘め、健一郎と華音は「はーい」と声を揃え、また元の歩調で歩いた。
由良からヘアゴムを返してもらった華音は、健一郎に慣れた手つきでサイドテールにしてもらい、華音が歩を進めるたびにぴょこぴょことウサギのマスコットが揺れる。
それを見つめながら、ふと、レンは口にした。
「……あのふたり…、成長したら、記憶が全部戻ったりすんのかな…」
「さあな…。根本はあいつらのままみたいだし、そういう可能性も確かにあるが…、こればっかりは大きくなってみないとわからねえよな…。……幼稚園・小学生あたりで戻ったらいろいろややこしそうだ。オレだったら、頭脳は大人状態でガキの集団に入りたくねえよ」
「いや、おまえは全然溶け込めるだろ」
違和感は皆無だった。給食で子どもに混じってプリンの取り合いをしているイメージまで浮かんでしまう。
あれからまだ5年。子どもの成長はこれからだ。
レンは正直、記憶が全て戻らなくても、どちらでもよかった。
自身の中にいた大切なふたつの命が、新しい身体を得ることで残ってくれたのならば、また楽しく笑い合える日々を一緒に送れるのならば、今は親として、静かに見守っていきたいのだ。
「……………」
ふたりの小さな後ろ姿を見て、由良はあの時のことを思い出す。
レンの腹部の膨らみがすっかり大きくなり、もうすぐ生まれるとわかるほど目立ってきたころだ。
『あと少しで生まれる』と診察室で南に言われ、レンは嬉しそうな顔をした。
そんなレンを眺めていた由良だったが、内心、不安だった。
少し怖かったのだ。
双子で、示し合わせたように、男と女。奇跡的な確率だ。
天草を追い出すために自身の中にいた命がすべて出ていった確証はなかった。だが、レンも思っただろう、宿っているのは森尾と華音だと。
レンの中で生きていたのは喜ばしいことだ。
しかし、森尾と華音はあくまで精神体であり、突然レンの中で胎児になったわけではない。
間違いなく、体の方は由良と血の繋がった子どもだ。
その日も診察を終え、レンの手を取りながら一緒に階段を降りる。
『家無しなんだから病室のベッドで寝とけよ。デケー腹ふたり分抱えてんだから、せめてエレベーター使えっての』
天草に住んでいた家の中をめちゃめちゃにされたせいもあり、天草と決着が着いたあとも住めずにいるため、南野病院の一室を借りている状態だ。
『ちょっとは運動させろよ。近くの公園まで歩くだけだって。エレベーターの方は遅すぎなんだよ』
『妊婦やジジババに優しいスピードだからな』
『あとこのワンピースも落ち着かない…』
レンは水色のマタニティウェアのスカートの裾をつかんだ。
『ズボンだと苦しいと思うぞ』
『ゴム伸びるタイプのやつあるだろー』
文句を言いながらも由良の手をありがたくつかみながら階段を最後まで降り、ふたりで近くの公園へと向かった。
出産予定日は5月。
病院周りは桜の木で囲まれ、ピンク色に彩られていた。
心地の良い春風に包まれながら、由良はレンの隣を歩く。
南も、レンの運動には賛成だった。
公園を訪れたレンは、桜の花びらが積もったベンチに腰掛け、優しい笑みを浮かべてふたり分の膨らみを愛おしそうに撫でる。
そんなレンの姿を見つめながら、由良は何度も思った。
自分に関する一切を残さない主義の自分が、子どもを残していいのか。
『あ…』
レンの手が止まり、由良に顔を向ける。
『動いた』
その顔はとても嬉しそうだ。
『由良』
レンは由良の手を取り、自身の腹に当てた。
ぽこ、と内側からおなかを蹴っている。
『お…』
初めての感触だった。
興味を持った由良は片膝をつき、レンの腹部に耳を当てる。
『聞こえる?』
『うん』
確かな、小さな鼓動を聞いた。
『カノンとモリヲ…、こんな時でも意識はあるのかな?』
『さすがにそれは…。まあ、産んでみないとな…。―――でもさ…』
茫然としている由良に、どこかで由良の不安をわかっていたのだろう、レンは穏やかな口調で言う。
『確かにここにいるよ。あたしと由良の子だ…。合作ってやつ?』
恥ずかしそうに笑いながらそう言われた瞬間、由良の目の奥に、イメージが浮かんだ。
どこまで伸びているかわからない、真っ白な壁。
由良はいつもの黒のツナギ姿で、右手で筆をとって好きに絵を描いている。
パレットを持つ左腕はない。
絵具を探していると、いつの間にか隣にいた森尾がパレットを差し出してくれた。
由良と色違いの緑色のツナギ着ていて、汚れないように髪も後ろにしばっている。
由良が気を取られていると、ピンク色のツナギを着た華音が、豪快にバケツの中のピンクの絵具を壁にぶちまけた。
由良が描いてたところも巻き込んでだ。
唖然としていると続けざまに、黄色のツナギを着たレンが手のひらを壁につけて走り出し、いろんな色を巻き込んでラインを伸ばした。
華音も負けじと刷毛をとって赤のペンキに突っ込み、床に飛び散らせながらびちゃびちゃと壁に塗っていく。
(なにが描きたいんだ、こいつら…)
呆れながらも眺める由良だったが、楽しそうに笑う様子に文句もでない。
森尾は真剣に鳥を水色の絵具で描こうとしている(そして華音に妨害されている)。
(これじゃあ、オレ、どこ消せばいいんだよ)
由良も気を取り直して描き始め、「あーあ」と筆を動かしなら口にした。
(みんなでやると、どこで完成かわかんねえな。それでもいいのか…。未完成でも…。それで終わっても…)
『…ああ、オレ達の』
唯一、残してもいいと思えた存在ならば。
その膨らみに耳を当てると、再び、ふたり分の心音が聞こえた。
その音が由良の不安を包み込み、シャボン玉のように消していく。
『……初産で双子。腹は切るかもしれないって南さんに言われた』
『怖えか?』
『そうだな…。能力者じゃなくなって、切ったところは痕が残るだろうし…』
見栄えは少し気にしてしまう。
もう、由良に描かれなくなるのではと。
由良はもう一度腹部に耳を当てた。
『傷が残ったとしても、レン、おまえは美しい』
そう言って、『また、描かせてくれ』と上目遣いする。
レンにとっては完全に不意打ちだった。
顔が耳まで真っ赤に紅潮する。
『おま…っ、急になに……』
ゲシッ
『いでッ』
唐突に、由良が腹部の内側から顔を蹴られた。
まるで「イチャイチャすんな」と言いたげな一撃だった。
由良は軽くつついて反撃する。
『おいコラ蹴ったのどっちだ』
『ケンカすんな』
そして、ひと月後、レンはようやく願いを叶えた。
由良の願いも。
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