44:いつだって
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ふとした拍子に蘇る自身の過去は、天草にとって苦痛に塗れたものだった。
『亜紀、なにをしている!』
天草家の道場に父親の怒声が響き渡る。
気が落ち着くはずの畳の匂いも、稽古の時だけは好きになれなかった。
幼い天草は、痛みに耐えきれず、その場に膝をついて泣いてしまう。
稽古でつけられた痣が絶えた日などなかった。
天草の家のことを親から聞かされていたのだろう、同じ年頃の子ども達からは敬遠され、顔と手足の生々しい痣を見られるたびに、「痛そう」「怖い」「気持ち悪い」とひそひそ話が聞こえた。
その日は珍しく、意を決して父親に懇願したのだ。
『お…、お父様…、もう…っ、痛いのはイヤです…』
まだ6歳だった天草にとって、毎日の容赦のない稽古は拷問のようだった。
一度でもいいから、稽古のない、普通の日を過ごしてみたかった。普通の子どものように。
一度でもいいから、同じ年頃の子どもと遊んでみたかった。
子ども達がはしゃぎながら鬼ごっこやかくれんぼをしているのが羨ましかったのだ。
しかし、さらに険しい表情を浮かべた父親は、泣き始めた天草の小さな左肩に、躊躇なく竹刀を打ち込んだ。
『ひ!』
『弱音を吐くとは何事だ! 貴様は天草流を継ぐ者だぞ! 主人の命に絶対的に従い、己の命に代えても主人を守る! 我が天草家は代々、この志をもとに世を渡ってきたのだ! 先代達に恥をかかせる気か!?』
がなりながら父親は、竹刀の先端を天草の足下に叩きつける。
天草はビクッと体を震わせ、傍に落ちている自身の竹刀を拾い、それを支えに、打たれた痛みに耐えながら立ち上がった。
『う…っ』
『稽古を続けるぞ! 石の心を持て!!』
そう言って父親が指さす壁には、古びた神棚がある。納められているのは、黒曜石で作られた小刀だ。
「石の心を持て」。それが父親の口癖だった。ことあるごとに、天草の耳に捻じ込まれた言葉だ。
幼少の頃から厳しい稽古を受け続けることによって、将来、父の跡を継ぐのだと信じていた。
それからいつしか、自分とは違う周囲の人間に対し、侮蔑の眼差しを向けるようになった。夫と娘に特に関心を示すこともなく家の片隅で過ごす母親に対してもだ。
そして、十年の月日が経った冬のある日、父親に呼ばれ、天草は部屋へと向かった。
その日はいつも渡っている廊下がひと際長く思った。空気は冷え、ふう、と吐き出す息が白い。
父の部屋の前に着き、声をかけてから障子を開け、すでに畳の上で正坐をしている父親の向かいに移動し、用意された座布団の上に同じようにして座る。
『……………』
『……お父様…、お話とは…?』
いつまで経っても口を開かない父親に声をかけると、父親は弱い薄笑みを浮かべて穏やかな口調で言った。
『……いい面構えになったものだな、亜紀。私は嬉しい』
『……お父…様…?』
今まで、褒めることより「もっと上へ」と怒鳴っていた父親の口から、そんな言葉が発せられるとは思いもよらなかった。
これは、と天草は期待に胸が膨らむ。
曇り空の割れ目から、ようやく陽の光が見えた。
(ああ、ようやく私は認められた…。これからは、主人のために私の力を、命を…)
『天草流は、私の代で終わらせる』
直後、曇り空からバケツをひっくり返したような雨に打たれるようだった。
『―――え?』
表情が消える天草に対し、父親はコブシを握りしめ、苦渋に満ちた顔で唸るように言う。
『先代の頃から勤めていた家の主人から、引導を渡された。「もうおまえ達のような古い時代の者に守られる必要はない」とな』
唐突に言われても、天草が納得するはずがなかった。
身を乗り出し、声を上げる。
『お…、お待ちください、お父様! それでは…、それでは今まで私はなんのために…!』
『すまないな、亜紀…。…もう…、おまえの好きにしていい…』
あの誇り高く厳しかった父親が、投げやりのように謝罪し、その言葉を口にされた瞬間、今までの天草の努力が、全てが、否定された気がした。
愚かにも、やっと気付いてしまう。
自分はただ、天草家と父親に振りまわされていただけなのだと。
空っぽになり、屍の如く生きていた天草は能力者になったのち、勝又と出会う。
勝又の方から天草の家を訪れたのだ。
父親も母親もいなくなった、閑散とした家の中に沈んでいた天草に声をかける。
『嘆くことはないよ。私がキミの主人になろう。今まで自分が積み上げ、仕込まれてきたものを、私のために存分に発揮してほしい。その命に代えても…』
そう言って手を差し伸べた。
(あの方―――勝又様のために、私はこの命を捧げよう)
勝又から与えられた命は、室銀夜と因縁のあるレンの監視だった。
ずっと陰から窺って様子を見張っていたが、主人の命ならばまったく苦に感じなかった。
ある日、ランニングを終えたレンは屋敷の庭で仰向けに寝転がり、睡眠をとっていた。手入れされたふかふかの芝生が気持ちよかったのだろう。
その日も、天草は四六時中レンの監視していた。
だらしない、と呆れながら、少し離れた木の上から観察していると、由良と華音がレンにそろそろと近付くのが見えた。
2人の手には、マジックペンが握られている。
笑いを堪えながら、ペンのキャップを開けてレンの顔にラクガキし始めた。
罪悪のカケラも表情から窺えない。
レンの顔には、ネコのヒゲや目の下に隈のようなものが描かれた。
『コラ!』
その背後から、悪事を見兼ねた森尾が現れた。
『わっ、バカ、静かにしろモリヲ』
『レンちゃんが起きちゃうでしょ!』
由良と華音は同時に振り返り、人差し指を口元に当てる。
『ほー? あたしが起きたらマズイのか?』
3人の声で起きたレンは笑みを浮かべながら、目の前の2人を、冷めた両目で睨みつける。
2人はビクッと体を震わせ、おそるおそる振り返った。しかしその顔を見て噴き出しかける。
落書きの顔で睨まれても、迫力が欠片もなかった。
そのリアクションに、レンは2人の持つ、キャップのとれたマジックペンを見つめ、ボキボキとコブシを鳴らす。
『……なに描いた?』
『ひゃははっ、ナイショ―――!』
『モリヲも共犯だー!』
『こっちに来るな! オレは関係ないだろ!』
2人は駆け出して森尾を巻きこみ、逃走する。
レンは勢いよく立ち上がり、3人を追いかけた。
『待ちやがれ―――!!』
庭を駆け回る4人の姿に、天草は苛立ちまじりにため息をつく。
(騒がしい奴らだ。もうすぐで自分達が死ぬとも知らずに…)
それはそれで幸せなのかもしれない。
(楽しくしているのも今のうちだ。近いうち、貴様は絶望を見ることになる…。仲間ごっこなど、実にくだらない…)
*****
東京、太輔・御霊・恵が暮らす家の庭の木の上に天草は留まっていた。
さすがに睡眠不足が応えたか、いつの間にかで眠っていたようだ。
空は未明、スズメの鳴き声も聞こえない。
「天草」
「!」
庭から御霊の声が聞こえ、天草はすぐに木から飛び降り、御霊の前に姿を見せる。
片膝をつき、顔を上げて最初に目に飛び込んできたのは、縫われた頬の傷口から血を流す、御霊の冷たい顔だった。
フリードキンの“心臓の欠片”を手に入れたことで、味覚が生まれ、身体が裂けることもなかったというのに、昨夜御霊はその大事な“心臓の欠片”を太輔に直接ねじ込んだのだ。
「御霊…、昨夜…、なぜ“心臓の欠片”を……」
叶太輔にあげたのか、と言葉を続けようとした瞬間だ。
ボッ!
「ぐ!?」
いきなり、伸ばされた小さな手が、天草の胸の皮膚を破り、槍の如く突き刺さった。
激痛に襲われ、思わず御霊の手首を両手でつかむ。
「守護の“欠片”の能力(ちから)を、私に断りもなく使ったな? 私のためではなく…、私事のために…。隠しても無駄だ」
御霊は笑みを浮かべながら、冷たい言葉を放った。声には明らかに怒気が含まれている。
中で爪を立てられたが、天草は声を抑えた。叫ぶと住人が起きてしまう。
「うっ…」
「コレを使えば、“アクロの心臓”とは似て非なる力を解放できるが、自らの命を削ることになる。知らなくて使ったわけではないはずだ」
当然、天草は理解していたつもりだった。
実際に使用したあとは、内臓を掻き回された挙句、体の一部が削り取られる感覚に陥り、能力者の体とはいえ、ここ数日はまともに動ける状態ではなかった。
命を削るとはそういうことなのだろう。
「す…、すべて、承知の上で使用しました…」
「無能め。おまえの命が先に尽きることも考えろ。相手の能力者にこのカケラを奪われるかもしれないというのに…」
御霊はさらに握る力を加え、言葉を続ける。
「無駄遣いしてしまう前に、私に返すか? 」
今なら簡単にもぎとられることだろう。
血を吐き、少し早まった宿命を受け入れようと目を閉じた時、天草の脳裏に最後に見たレンの瞳がよぎった。
力の差は歴然だったはずだ。しかし、あれほど圧倒的な力を見せつけたというのに、レンが逃げ惑う姿が想像できない。
「―――幸い、貴様はただの能力者に戻るだけで済まされるぞ。勝又と違って…」
勝又の名を出されたことではっと我に返る。
「お待ちください…!」
御霊の動きが止まった。
天草は痛みに耐えながら言葉を絞り出す。
「私には…、殺さなければならない者達がいます…。“アクロの心臓”を狙う…、御霊や勝又様の妨害を目論む愚か者です…。必ず始末してみせますから、私の命、もうしばらく延ばしていただけませんか…」
どうしても果たさなければならないものだと感じた。
「お願いします」と懇願する天草。
御霊はしばらく天草と見つめ合い、「ふん」と鼻で笑ってその胸から手を引き抜いた。
「くっ…」
「命尽きる前に、こちらに戻ってこい。その時は改めて引きずり出してやる」
そう言って、御霊は天草に背を向け、家へと戻る。
「…ありがとう…ございます……」
御霊の姿が見えなくなる前に、天草は呟くように礼を言った。
出血する胸部を右手で抑え、倒れそうになるのを堪える。
(失敗は許されない。今度こそ、逃がしはしない。貴様の全てを壊し、否定してやる…!)
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