44:いつだって
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その日の夜、院長室の部屋の電気を切ったものの、南はベッドに取り付けた照明の光を頼りに、スケジュール帳と患者のカルテを見比べながら予定の確認をしていた。
知らず知らずのうちに目付きが鋭くなる。
(手術予定だった患者さんには日程変更の電話は直接入れたし、柑二や他の医療スタッフにも引き継ぎは出来てると思うけど、各々予定の細かい調整はまた話し合って…、あー…、そういえば会議も入れてた…、少し心配だけど、新人研修は柑二に任せていいかしら…、今更中止になったら後半の予定もやっぱり変えてもらわないと…)
頭の奥が熱を持った。
自分が動けないことで病院全体の予定も変わってしまうのだ。
神経質なばかりに完璧に調節しようとしてしまう。加えて潔癖症だ。
(動き回れる状態でもないから、院内の掃除も行き届いてるのか気になる―――ッ! ぶっちゃけあたし自身がお風呂に入りたい―――ッ! 身体拭くだけじゃ物足りないのよ!)
キィ―――ッと叫ぶのを我慢する。
「はぁ…」
深いため息をついて眉間を擦った。
(きっと酷い顔してる…。由良君の隈も相当だけど、能力者でも治らないのかしら…。羨ましいくらい本人気にしてないけど)
能力者のことについても、つい数時間前、血相を変えて院長室に駆け込んできた柑二に説明したところである。
『姉さん姉さん!! レンちゃんの火傷が異常なほど回復してて』
『……………』
パニックを起こす前に、先に内線で伝えるべきだったかと後悔した。
(能力者云々についても早めにレンちゃん達に聞いておけばよかった…。なにかしらの事件に巻き込まれたにしろ、自殺ウイルスにかかった張本人だったなんて思わないじゃない…)
自分の仕事のことだけでも手一杯だというのに、レンと由良のことも気にしてしまう。
(水樹も…、巻き込まれたのよね…)
棺桶の中の、変わり果てた水樹の右手は包帯で隠されていたが、ボロボロに崩れていたらしい。ただの薬品で溶かされたとは思えなかった。
自殺ウイルス騒動ののちのおかしな変死事件が立て続けに起きる最中、犯人と思わしき人物は黒焦げの死体で見つかり、水樹が亡くなってすぐレンは行方を眩ませていた。
(黒焦げの死体…)
電線が切れていたため、犯人はそれが原因で感電したのだろうと報道されたが、そこまで人間の体が真っ黒になるだろうか、ずっと疑問だった。
由良は、レンの能力は電気を使う、と言っていた。能力者の仕業なら合点がいく。
(仇を討ったの? レンちゃん…)
誰もいなくなったレンの家を訪れた時、見つけてしまったのが、血の付いた学生服だった。警察が来る前に処分して良かったと今は思う。
きっと目の前で水樹が殺されていたら、倫理や道徳を無視してでも相手に復讐していただろう。
院長室のドアがノックされ、心臓が跳ねる。
「ど、どうぞ…」
思わず声が震えてしまった。
ドアが開けられ、レンが中に入る。
「あ、レンちゃん…。もうケガは大丈夫なの?」
「……………」
無表情のその顔に、ぎくりとした。
ゆっくりと、南のベッド脇に近付くレンに対し、南は思わず唾を呑み込む。
レンの顔や手足の包帯は最早必要なくなったのか取り去られ、微かな火傷があるだけだ。柑二から聞いた火傷の話が大袈裟だと思えるくらいだった。
ああ…本当に人間じゃないんだ、と確信したことで、能力者だと暴露した由良には抱かなかった一抹の恐怖が生まれる。
レンから目が離せなかった。
レンが手を伸ばしてきたことで、わずかに身体を後ろに反らしてしまう。
「いちこ」
「……え…?」
懐かしいその声に、南の思考が停止する。
伸ばされた左手は南の右頬に触れ、パチ、と静電気のような刺激が肌から脳へと伝わった。
「っ!?」
瞬間、南の瞳に映ったのは、もう2度と会えないと思っていた愛しい人物だ。
「……み…っ…、みず…き…? うそ…、だって……!」
狼狽えるあまり、ベッドの上に置いていた資料やスケジュール帳が床にバサバサと音を立てて落ちた。
「ごめんな…、先に死んじまって…」
水樹は左手を南の後頭部にまわし、優しく抱き寄せる。
「でも、また会えた…」
「―――水樹…っ」
点滴の針が抜けようと構わず、両腕を広げた南は水樹の腰にしがみつき、堰を切ったようにわあわあと声を上げて泣き出した。
それから、どれだけの時間が経過したのか、目を赤く腫らした南がすうすうと寝息を立てたのを見届け、ベッドに優しく預け、キルトケットを肩までかけてから静かに院長室を出る。
暗い廊下を渡り、待合室に顔を出すと、ロビーチェアに行儀悪く座りながらスケッチブックに鉛筆を走らせる由良を見つけた。
待ち合わせしたわけではないので水樹は目を丸くする。そんな水樹に由良は先に声をかけた。
「よう」
「…よー」
「どうだった?」
「泣き疲れて、やっと寝てくれた…。久々に見たぜ、オーバーワークしてるとこ…。普段誰よりも自分や患者の健康を気遣うくせに…」
小さな子どもを寝かしつけるようだった、と薄く笑いながら、水樹は由良の横に腰掛けて背もたれに背中を預ける。
由良はちょうど南のデッサン画を描いていた。絵はほとんど出来上がっている。視線をこちらに、薄く微笑む南の絵だ。どこか、少女のようなあどけなさがある。
水樹はそれを横から覗き、「それ、くれよ」と言ってみるが「だめ」と断られ、不満そうに口を尖らせた。
「ミナミって、イチゴって名前だったんだな。フルネーム見た時、思わず二度見しちゃったよ…」
「苺子(いちこ)な。たしかにオレ以外に呼ばれるのは好きじゃなかったみたいだ。子どもの頃は、委員長タイプで周りに厳しかったのに、性格と名前のギャップのせいでイチゴイチゴっていじられたらしいし…」
「名が体を表す、とは限らないしな」
「オレは性格も名前も全部ひっくるめて苺子が好き~」
「あっそ」
「ノロケごちそーさん」と呆れて視線を上げる由良。
「…もういいのか?」
「ああ。別れは済ませた…。オレの方は思い残すことはなにも……」
言いかけたところで、「いやまだ未練はある」と水樹は首を横に振った。
「なにも終わってねえんだ。オレのせいで、レンを追い詰めた…。あの時と同じだ…」
「……………」
由良は横目に水樹の顔を窺う。深くは聞かなかったが、同じ過ちをしたことで苛まれていることだけは伝わった。
スケッチブックのページを捲り、新しく絵を描き始める。
「でもオレはレンになーんもしてやれねーよ?」
「うわべでも慰めるのヘタそうだもんな」と苦笑する水樹に対し、「オレ、ウソつけねえから」と言い返して舌を出した。
「あいつはおまえのそんなところも好きなんだろ。―――レンが考えてるのは、いつだって由良のことばっかだ」
「……………」
「本音を言い合える噓偽りのない関係は、家族ごっこに散々振り回されたあいつを救ってくれる」
自分じゃ無理だった、というように、水樹は物悲し気に目を伏せる。
「……オレ、最期にレンにさ…、「オレの分まで長生きしてくれ」って言ったんだ…。ほんと…勝手だよな……」
ぽつりぽつりと呟き、無理矢理、空笑いした。
「オレは、オレの人生を、苺子と一緒に…もっと…生きたかった…」
もう無理なんだな…、と口にしようとした瞬間、ぼろぼろと水樹の目から涙が零れ、身体を震わせて嗚咽を漏らしだす。
静かな待合室に、すすり泣きが反響した。
スケッチブックには、切なそうに笑う水樹の顔が描かれる。
「兄妹揃って、泣き虫だな…」
*****
ヘアバンドで前髪を上げ、筆を片手に作業していた由良は、胡坐をかいて目の前の描きかけの絵を見上げ、数時間前に聞いた、待合室の水樹の言葉を思い返す。
『レンが考えてるのは、いつだって由良のことばっかだ』
「!」
背中に、生温かく柔らかい何かがそっとすり寄ってきた。
「ニャア」
「おまえ…」
南野病院を訪れた時に出会った、あの三毛猫だ。
初対面の時と違って特に警戒する様子もなく、迂回して由良の胡坐にすっぽりと収まり、そのままくつろぎ始めた。
見下ろす由良は、おかしくてくつくつと笑う。
「……気まぐれな奴だな…。おまえ…、オレのことキライじゃなかったのかよ?」
顔を上げることもなく片耳だけパタパタとさせ、三毛猫はとぼけるように「ニャ」と鳴くだけだ。
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