42:幸せ者だな
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レンと由良が帰路を辿っている頃、南は一足先にタクシーでレンのマンションの前まで来ていた。
料金を払い、タクシーから降りる。運転手からは「いつもありがとうございます」と声をかけられた。
地に足をつけ、空を見上げる。日が沈むより先に、空はどんよりとした灰色の雨雲で覆われていた。
遠くの空がおなかをすかせているように、ゴロゴロと鳴っている。
(一雨降りそうね…)
折り畳み傘を持ってくるのを忘れたので、帰りにレンの家から借りようと思いながらマンションの出入口を潜った。
(レンちゃんの家の冷蔵庫、飲み物が全然なかったし、水はいくらあっても困らないからね…)
持ってきた紙袋の中に、2リットルペットボトルのミネラルウォーターを3本入れてきた。レンと由良が帰る時に渡そうと思っていたが、「徒歩で帰る」と言っていたのでこうして運んできたのだ。
(宅配便に頼んでも良かったけど、遊びに来る口実がほしいだけなのよね…)
病院からこの場所に来るのは、水樹が生きていた頃から続けていたことだった。
同棲生活を楽しんでいるレンも由良も、嫌そうな顔はまったくしない。むしろ温かく迎えてくれる。
かつての水樹、レン、自分自身を思い出し、懐かしい感覚が胸に込み上げた。由良と水樹は全く違うはずなのに。まずゴミを持ち帰って来ること自体、自分の彼氏なら絶対許していない。
(そういえば…、由良君が持ってきた壊れたラジカセ…、どこかで見た気が…)
粗大ゴミの雪崩に巻き込まれた際、由良がどこからか持ってきた古いラジカセが気になった。しかしどこで見たかは思い出せない。
302号室のドアの前に立ち、白衣のポケットから合鍵を取り出した。
レンと由良を見送ってからそれほど時間は経過していない。こちらは車で来ているため一番乗りであることは自覚している。
鍵を差し込んで捻り、中へと足を踏み入れた。
玄関と廊下は薄暗い。
靴を脱いで一度傍にある玄関の電気に手を伸ばしたところで、止めた。
切れ長の鋭い目が、廊下の先を射抜く。微かに、物音が聞こえたからだ。
玄関に自分以外の靴がないはずなのに、人の気配がある。
電気は点けず、玄関の角に置かれた傘立てからビニール傘をつかみ取り、手持ちの荷物をその場に置いて忍び足で廊下を渡り、リビングへ続くドアに手を掛け、ゆっくりと開けた。
リビングの中央に誰かが土足で突っ立っている。女だ。少なくとも、南は初めて見る人間だ。
生温かい風を感じた。
ベランダの窓は豪快に割られていた。そこから外の風が入ったのだろう。
床にはガラス片が散らばっている。
侵入者が手に持っているのは、レンの家族写真だ。見下ろす瞳は冷たく、蔑むようだった。
その瞳は誰かに似ている。南は思わず、昔のレンと重ねてしまった。
空っぽの瞳がこちらに向けられる。
「だ…、誰…?」
目が合ったことで、おそるおそる南から声をかけると、侵入者―――天草は薄く笑う。日本人形のような黒髪と、整った顔立ちだ。
南から見れば、口元の貼り付けたような薄笑みは気味が悪かった。
「ああ…、北条の……」
天草は落ち着いている。
じっと南の瞳を覗き込んだ。
何もかも見透かしてしまいそうな視線に、南はぞくりと悪寒を覚える。
「 やはり、日本に帰ってきているのか…」
天草は口元に不敵な笑みを浮かべた。
「奴はどこだ?」
「……レンちゃんの、お友達ってわけじゃなさそうね…」
南もできるだけ平静を装いながら口角を上げ、ビニール傘の先端を向けて鋭く言葉を継ぐ。
「あのコになんの用!?」
「知れたこと…」
鼻で一蹴する天草。
穏やかな用事でないことは確かだった。
「どんな理由があっても、土足で人の家に上がり込んでんじゃないわよ!!」
隙を見せれば殺される、と判断した南は弾かれるように踏み込み、剣を握るようにビニール傘を構え、振り上げる。
たとえ傷つけても医者の自分なら応急処置ができる。それも考慮していた。
「人間如きが。止まって見える」
天草は一笑すると、南が振り下ろした傘を右腕で受け止め、一気に南の懐に潜り込み、その首をつかんでテーブルごと押し倒した。
「くっ…!?」
背中をフローリングの床に打ちつけ、南は顔をしかめる。
天草は構わず、左手で南の首を締め始めた。
(なに、この力…!?)
常人の女性にはありえない力だ。
その細腕でどこからこんな力が出るのか、首の骨ごと折られそうだ。
右手を動かし、テーブルが倒れた時に床に転がったマグカップをつかみ、それを躊躇も手加減もなく、天草の左側頭部に叩きつける。
ガシャンッ
マグカップは粉々に砕けたが、天草は微動だにしなかった。
それどころか、血液すら流れない。
「!?」
天草の顔を見て、南は息を呑んだ。
天草の顔左半分が黒曜石のように硬く真っ黒に変色していたからだ。
(このコ、人間じゃない…!)
歪んだ笑みを前に、恐怖で引きつる南の顔に汗が浮かぶ。
天草は南から視線を逸らさず、腰に差した鞘から小太刀を引き抜いた。
「恨むのなら、北条レンを恨むことだ。恨め、恨め…、貴様の愛しい北条水樹は、あの女のせいで死んだのだから…」
「…………「違う」…って…言っても…」
「!」
「レンちゃん自身が…そう思って…苦しんでる……」
南の両手が、天草の左手首をつかんで抵抗しようとする。
「水樹も……」
『詳しくは話せない…けど、オレのせいで、大事な妹を苦しめることになる…。これから先、あいつも、家族も…オレのせいで……』
数年前、酷く憔悴した様子の水樹が南のもとを訪れ、小さな子どものように震えてそんなことを吐露していた。どれだけ優しく胸に抱いても、しばらくおさまることはなかった。自分ではこの傷は癒すことはできない、と陰ながら打ち砕かれたものだ。
ふふっ、と天草は笑った。
「そうか…。幸せ者だな、北条は…、どんな境遇であっても、理解者の存在は必要だ…。奪われれば、どれほど絶望するだろうか…」
「ダメ…」と南は唸りながら天草の手を振りほどこうと必死に抵抗し、足をばたつかせた。
しかし、まるで溶接されたように天草の手は離れない。
(水樹…!!)
涙を浮かべたその瞳を見据えた天草は「ハハッ…」と嘲笑い、鈍い銀色の刃を振り下ろす。
.To be continued