37:拝啓、神様へ
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右腕の肘部分の骨をアンジェラに砕いてもらい、自らナイフで一気に切り落とす流れは、今まで経験したことのない痛覚を伴った。
右手の感覚がまったく感じられない。妙な喪失感だ。
左腕を失った由良も同じだったのだろうか、と考えたところで、レンは横たわった状態で由良の姿を視認しようとする。
先程まで、耳をつんざくほどの絶叫が聴こえていた。由良のあれほどの叫び声は今まで聞いたことがない。
無力さを痛感し、胸を締め付けられるほどだ。
(……静かだ…。由良は…、あいつの右腕は……)
由良は目先にいた。
レンと由良の間に座るアンジェラが、不意に立ち上がる。
由良の右腕は元通りに治療が完了していた。
「由……」
自身の身体を起こしかけたところで、違和感に気付く。
静かすぎる。
由良の体が、ピクリとも動かない。微かな胸の上下運動もない。
「【右腕は元に戻ったけど、彼は…、カミサマからの罰に耐えられなかったようね】」
肩越しに振り返り、アンジェラは冷静に告げた。
「【心臓が止まった】」
目を見開くレンは一瞬、呼吸を忘れる。
アンジェラは、その表情をイザベラと重ねた。
(【この顔も…、同じ……】)
イザベラから依頼されたあと、その日の内に麻酔科の医者に金を握らせ、協力させた。
深夜の2人部屋の病室。恋人の隣に並べたベッドに、患者服に着替えたイザベラを寝かせ、医者に麻酔をかけてもらう。切除する間、腰から下はカーテンで隠して行われた。
右足を切り落とすだけなら、医者曰く、局所麻酔だけでいいとのことだ。
イザベラは、どうしても恋人の右足が元に戻る瞬間を見たい、と言い出した。
眺めていて心地の良いものではない、とアンジェラは忠告したが、イザベラは食い下がる。
治療に痛みを伴うならば、自分だけ眠って過ごすのは許せなかったのだ。
ひとりの人間を、イザベラは本気で愛している。すべてを捧げてもいいほどに。
家庭を持ちたくても、両親と一緒に過ごしていれば、信者同士の結婚を迫られていただろう。
密かに両親の呪縛から抜け出したかったのは、イザベラも同じだった。
そんな妹を、絶対に幸せにしたい、とアンジェラは心から思った。
そして、案の定、アンジェラが懸念していた通り、治療は地獄絵図だった。
口に布を噛ませても断末魔の悲鳴を上げる恋人。部屋の隅で怯える医者。恐怖で顔を強張らせて硬直するイザベラ。重苦しい空気の中で懸命に治療に集中するアンジェラ。
『【耐えて…! 耐えるの…! この痛みを乗り越えれば、イザベラが喜ぶ…! もう一度、自分の足で走れるわよ!!】』
どれだけ暴れても、止めることはもうできない。
好奇心が全くなかったと言えば嘘になるが、アンジェラは成功例をつかみとりたかった。
成功すれば、この能力で、救える人間の範囲が広がる。
『【あ…】』
右足は元通りだ。治療は成功したかに思われた。
『【姉さん…?】』
アンジェラは告げる。恋人の心臓が、止まったことを。
ショック死だ。人間の体は、異常な激痛に耐えるように創られていなかった。
イザベラは狂ったように叫び、恋人の名を何度も呼び続けた。
切断した足の止血も十分ではない。
しばらく放心していたアンジェラは、イザベラの欠損した右足を修復しようと手を伸ばし、背を向けたままのイザベラに冷たく払われた。
イザベラは声を震わせ、肩越しにアンジェラに尋ねる。その口元には、歪んだ笑みが貼りついていた。
『【……姉さん…、彼の心臓が…止まっただけ…でしょ…?】』
『【……え…?】』
『【さっきの能力(ちから)…、本当に彼の足を元通りに戻せたじゃない。……そんなのができるなら…、止まった心臓も…元に……】』
『【イザベラ、無理よ…それは…】』
アンジェラは首を横振って否定する。
何度か死者の蘇生も実験したが、こちらも全て失敗に終わった。
一度命を失った人間を起こすことはできないのだ。
『【できるわよ…。使って…、私の心臓…】』
窓から差し込んだ月明かりによって、イザベラの手元が鈍く光る。
右手には、鋭利なメスが握りしめられていた。
次の行動を察したアンジェラは『【やめなさい!!】』と手を伸ばす。
目の前が真っ赤になる。噴き出した血が、アンジェラの顔面に降りかかったからだ。
イザベラの愛は、自分の命を賭してでも捧げたいものだった。
アンジェラには一生理解できないものだ。
あの時の、顔面に付着した血の匂いは、未だに鼻の奥にこびりついたままだ。
アンジェラは思い出して自身の顔に触れ、血を拭うようにわずかに擦る。
レンはゆっくりと立ち上がり、由良の顔を窺った。
仰向けの体勢で、顔には濡れた髪がかかり、横向きでレンからは見えない。安らかに眠るように目を閉じているのか、それとも痛みによる苦しみのあまり目を剥いているのか。
レンと向き合うアンジェラは、小首を傾げた。
「【残酷なことを言っておくと、私に死者を蘇らせる力はないわ】」
「……………」
「【……右腕の止血をしましょうか…? それとも…、今度は心臓を差し出す? あなたが死ぬ代わりに、彼が蘇るかもしれない…】」
アンジェラの口元が歪む。
「【大丈夫よ…。今度は失敗しないわ…】」
クリスに続き、イザベラの死がフラッシュバックする。
「【あの時は、心臓を抜く前にイザベラが死んでしまったから、失敗したの…!】」
イザベラの思いを汲み取り、中途半端に切り開かれた胸から心臓を取り出して恋人を起こそうとしたが、ゴールドリングも出現しなかった。治療対象ではなく、ただの血肉の塊と判断されたようだった。
虚ろな瞳のアンジェラは、目の前のレンに右手を伸ばし、その胸の中心に触れる。
「【ねえ、レンちゃん、やり直させてよ…。どんな罰だって受けるから…!】」
懇願するアンジェラは、レンの皮膚に爪を立てた。
「…っ。……………」
痛みに呻くレン。しかし、抵抗はしなかった。
爪が食い込むところから一筋の血が流れる。
アンジェラはゆっくりと伝う血を目で追いながら思い出した。
『【カミサマ…、カミサマ…! これも…っ、これも…罰なんですよね…、ねえ!!?】』
息せき切らし、あてもなく走り続け、残酷なほど美しい星空と月に向かって叫ぶ、壊れかけた自分自身の姿。
いっそ粉々に壊れてしまえば、楽になれたのに。
悲痛な笑みを浮かべるアンジェラに、レンは我慢できずに声を絞り出す。
「罰、罰、罰って…。そう言って、自分を必死に誤魔化そうとしたいだけだろ、アンジェラ」
アンジェラから表情が消え、硬直した。
「……それはレンちゃんが…カミサマのこと信じて…ないから…」
「どの口が……」
呆れてため息をつくレンは、左手で優しくアンジェラの手の甲に触れ、軽く押して離れさせた。
「神様って存在が本当にいたとしても、あたしが頼りにしないだけだ。否定もしない。どんな形でも、誰かの中にいてもいいんだよ。状況に応じて「神様」ってつければ、それだけで救われた気になるし、実際に救われた人間だっているんだ。……なのにおまえは、「罰だ」「カミサマだ」と口にするだけで全っ然救われてない…。ずっと辛そうにしてる…」
「………そ……れは……」
「どんな形だろうが、存在どころか概念さえ信じてないなら、神様のせいにしたくても、できねえよな…」
欠如した部分、本質を見抜かれ、いよいよアンジェラは押し黙る。
「……このまま由良が死んだままなら、おまえが言う…“罰”ってやつになるのか? あたしが心臓をあげたとしても?」
「……………」
最早、アンジェラにはわからなくなっていた。正しい答えが、見つからない。
レンは苦笑し、頭を掻く。
「……由良に言われたよ。どうやらあたしは、相当な欲張りらしい」
「え…?」
「もし、本当に神様がいるのなら…、言っておかないとな……。―――拝啓、神様へ…」
独り言を呟きながら、レンはアンジェラの横を通り過ぎ、由良の脇に近付いて片膝をついた。
何をする気なのか、とアンジェラは振り返る。
「―――こいつはたくさん人間を殺してきました。誰かに人にとっては、良い人間も、悪い人間も、容赦なく殺してきました…。きっと、誰かがこいつの死を強く望むこともあるでしょう。…それでもあたしは、やっぱり…、由良に死んでほしくない…!!」
「!」
パチ、バチッ、とレンの左手から漏電が迸った。
「神様のご意思に反することではありますが、なにとぞ、よろしくおねがいいたします!!」
両目の瞳が妖しい光を纏った瞬間、レンは左手を振り上げ、
「敬具!!」
バチンッ!
由良の胸に、左手のひらごと纏った電気を叩きつけた。
心臓に電流を流されたことで、由良の体が大きく跳ねる。
「!?」
突然のレンの行動に絶句するアンジェラ。
レンは「もう一度…!」と電流を左手に集中させ、先程と同じように由良の胸に叩きつけた。由良の体が再び大きく跳ねる。
どこか既視感がある光景だ。アンジェラは「【まさか…!】」とはっと気付く。
(【電気ショックによる、心肺蘇生をする気⁉】)
「由良…、あたしまだ…おまえに言ってないことがある…!」
レンは必死に由良の体に電流を流し続けた。
「今死んだら、絶対許さねえ…」
強い想いを込めて呼びかける。
「絶対…、絶対てめえのことなんか、一生忘れてやらねえからな!!」
零れた涙が、由良の胸に落ちた。
その上から、もう一度、左手を叩きつける。
バチンッ!
由良の体が跳ね、そして、レンの動きが止まった。
アンジェラは凝視する。
「……………あ…」
レンの左手のひらに、音が伝わる。
トクン…
レンは身を屈め、由良の胸に耳を押し当てた。
トク、トク、トク、と命の音が聞こえる。
スゥ…、と息まで吹き返した。徐々に、血色も取り戻している。
安堵のあまり力が抜け、レンはすぐに起き上がることができなかった。
黙って傍観していたアンジェラは、奥歯を噛みしめ、両手のコブシを握りしめる。
(【ずるい…。こんな…、こんなやり方…、私が求めていたものと違う…! こんなの、私が出る幕ですらなかった…!! ―――私が求めていたものは……。……求めて…いたもの…?】)
レンとイザベラを重ね、やり直したかっただけかと思っていたが、たとえレンの命を犠牲に由良を生き返らせたとして、果たしてそれが求めていた答えだったのだろうか。
「アンジェラ!!」
「【!?】」
茫然としていると、前からレンに飛びつかれ、抱きしめられた。
「ありがとう…! アンジェラのおかげで…!」
「由良を助けられた」という言葉が涙声に混ざって何を言っているのか聞き取りにくい。
「これで…っ、あいつ、また…、絵を描けるんだ…!」
「【……………】」
大袈裟なほど喜び、神ではなく、アンジェラ自身に感謝の言葉を述べる笑顔のレンを見つめ、「【ああ…】」とアンジェラは気付いた。
『【去れ、悪魔め!!】』『【こんなに痛い思いをするなら、治らなくてよかった!】』『【最低】』『【2度と頼むか】』『【わああああん!! 痛いよ゛おおおお!!】』『【子どもがトラウマになったら責任取ってくれるんでしょうね!?】』『【………バケモノ】』『【金を受け取ったら、とっとと出てけ】』『【なにがカミサマだ。我が主を愚弄するな!】』
『【あなたのせいよ、アンジェラ! あなたが私に穢れた血を与えたから、クリスに罰が下ったのよ!】』
『【使って…、私の心臓…】』
ずっと、罵倒ばかりだった。
善意で助けたとしても、想像を絶する痛みのせいで、治療がうまくいっても、誰も笑顔になることはなかった。蔑む視線には、いつの間にか慣れてしまっていた。
(【ママにも…、イザベラにも…。……感謝なんて……】)
こんなに嬉しそうな人間の顔を見たのは、いつぶりだろうか。
ましてや、自分に向けて、大輪の花のように笑っているのだ。
右腕の切断面だって未だに痛むはずなのに、そんなことなど知ったことかとレンは泣きながら笑っている。
“先生”が最後に記した一文を思い出した。
“求める答えは、片腕の少女”
レンは今、まさに隻腕の状態だ。
2年前に最初に目にした時、由良の左腕を抱いた姿だった。人選は間違ってはいないが、意味をはき違えていた。
(【このことだったんですか…、“先生”…、私の……】)
黒くて粘り気のある詰め物が取れるように、アンジェラの瞳から、とめどなく涙が流れる。
(【私はただ……】)
『【ありがとう、アンジェラ。あなたのおかげで助かったわ】』と母親に言ってほしかった。
病弱でいつも心配をかけていたからこそ、誰かのために役に立ちたかった、少女のままだ。
「……アンジェラ? うわ、泣いてる!? もらい泣き!?」
顔を見てぎょっとしたレンに、アンジェラは日本語で「ドアホ!!」と怒鳴る。
「こんなに痛い思いして…、ホンマ…、アホやで…。いい子すぎにも…限度があるっちゅーねん…!」
抱きしめ返すアンジェラは、レンの頭を愛おしそうに撫でた。
戸惑うレンだったが、いい子、という言葉に噴き出してしまう。
「どこが。エゴにまみれた、ただの悪党だよ…」
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