10:“リコ”
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現在から33年前。
モニカ島の北側にあるテューバ山の入り江では、当時15歳のフォニアムがひとり膝を抱えて泣いていた。
『うう…っ。またダメだった…。どうやったら親父みたいに美しい音色が奏でられるんだ…』
フォニアムが握りしめていたのはハーモニカだった。
吹いても普通のハーモニカみたいに音は出るのだが、父親のように誰もが振り返るような美しい音色は奏でられない。特別であることに意味があるのだ。
船の事故で唐突に父親を亡くしたフォニアムは焦っていた。
父親は島で一番の楽器職人だった。跡取りとして、身内や周りの身勝手な期待に毎日押しつぶされそうだったのだ。
澱んだ感情が溜まればこの入り江に来ることも、しばしばあった。
『クソ…ッ。みんな好き勝手に期待を押し付けやがって…。おれは親父じゃねェんだぞ…!!』
ピュィ~♪
『!!!』
まるで口笛のような音色に、涙で濡れた顔を上げる。
そこにいたのは、1匹の小さな赤いシャチだった。水面から堂々と顔を出してフォニアムの様子を窺っている。
『ピュイィー』
『驚いた…。フィスキオオルカじゃないか。臆病で人前に出てくることなんてないのに…』
フィスキオオルカは普通のシャチよりも小柄だ。肌は赤色で、首周りにはホクロみたいな穴が連なり、個体によって鳴き声も違う。モニカ島付近の海域に住んではいるが、人前に姿を見せることは滅多になく、ほとんどが群れで行動していた。
図鑑でしか見たことがない生物に、目を丸くして凝視するフォニアム。
シャチは見つめられても警戒するどころかさらにフォニアムに近づいた。
むしろフォニアムが仰け反ってしまう。
『な、なんだよ、エサなんか持ってないぞ!』
『ピュイッ』
シャチの体が横に揺れる。
何かを急かしている様子だ。
『ピュイ♪ ピュイ♪』
『……………』
フォニアムは、まさか、と自身が握りしめているハーモニカに視線を落とし、それをシャチに向けると、シャチは胴体を上下に揺らして頷く動きをする。
試しにフォニアムがハーモニカを吹いてみせると、シャチは喜んで合わせるように鳴いた。
それに伴って海面を滑って踊るような動きに、フォニアムは小さく噴き出す。
『ふふっ。楽しそうだな…。そんなに楽しんでもらえるとは……。失敗作だって落ち込んでたのに…』
ふと、楽器作りに取り組む父親の姿を思い出す。
楽器を作っている時の父親はとても楽しそうだった。どんな形になるのだろう、どんな音が出るのだろう、どんな人に奏でてもらえるのだろう…。大人なのに、冒険に出る前の少年のように目を輝かせていた。
フォニアムが楽器作りを始めても、基本以外はああだこうだと指図はせず、『楽しめ』と父親は笑っていた。
そうか、とフォニアムは腑に落ちた。
『親父…』と寂しげに呟き、温かい涙が頬を伝う。
『―――楽しんでなかったのは…、おれか……』
『ピュイ…』
その日から、改めて楽器と向き合い始めたフォニアムは、もっと楽器のことを知るために、勉学に励み、時には島から島へと渡り、故郷に帰ってはシャチに会いに入り江へと赴いた。
『ピュイ~♪』
シャチも、フォニアムが作る楽器の音を楽しみにしていた。
ド~♪ レ~♪ ミ~♪
『ピュィ?』
『少し遊び心を加えたんだ。オカリナなのにピアノみたいな音が鳴るだろう?』
『ピュイッ♪』
『……お前の声って綺麗だよな。いつかお前の声と同じ音が出る楽器も作ってみたいもんだ…。シャチ同士会話してるみたいに聞こえるだろ?』
『ピュイーッ♪』
もう、泣いてばかりだった男はそこにはいない。
心の底から楽器を作り上げることを誰よりも楽しんでいた。こうして一番に聴かせたい友人もいるのだ。
『お前のおかげでおれは……。…………“お前”ってのもおかしいな。友達なのに……。―――なァ、おれが決めていいか? 名前は…―――』
*****
現在から25年前。
久しぶりに故郷に戻った当時23歳のフォニアムは、胸を躍らせながら入り江へと走り、待っていたシャチに興奮気味に捲し立てる。
『なあ! 聞いてくれ! 凄いことがあったんだ! 世界一の歌姫と音楽家がおれのピアノを使いたいって…!『君のピアノは最高だ。君に作ってもらって良かった』って…、おれが作ったピアノが認められたんだ…! スゲーよ…! あの2人、おれと年が近いはずなのに、美しい歌声と素晴らしい演奏をするんだぜ…! そんな人達に……っ!!』
感極まって泣き出すフォニアムに、シャチは嬉しそうに鳴いて近づいた。
『リコ…!!』
フォニアムは入り江に飛び込み、大切な友人―――リコに抱き着く。
イルカサイズだった友人の体は、初めて出会った時より2まわりほど大きくなっていた。フォニアムも立派な大人の身体に成長していたが、泣きじゃくる姿はかつての少年に戻ったようだ。
『おれの楽器が、世界に奏でられる…っ!!!』
『ピュイ~~~!!』
大きな夢のひとつを叶えた友人に、リコも涙を浮かべて祝福の鳴き声を上げた。
それから数年、世界の舞台で奏でられたピアノの音色を聴いた楽器職人達は、次々とモニカ島へと移住し、小さな村しかなかったモニカ島は大きな港町へと発展した。
フォニアムのもとには弟子にしてくれと希望する者があとを絶たない。
他の島から移住してきたトランペット職人の女もそうだった。
『お願いです、私を弟子にしてください!!』
『おれが教えられることは何もないぞ』
『あんなに凄い楽器を作れるのに!?』
『……その、凄いと思ってくれる楽器を作ることに大事なものは何だと思う?』
フォニアムは尋ねながら、彼女が作ったというトランペットに口を当てて吹こうとする。
今まで、弟子を希望する人間全員にしてきた質問だ。大体は「技術」、「職人の腕」、「ひたむきな心」とそれっぽく気取ったことを答えていた。
女は、躊躇った素振りを見せながらも答える。
『わ、私は、楽しくて…作ってるだけなので…』
恥ずかし気なその言葉を背中で聞きながら吹いてみると、トランペットからは胸を弾ませる音色が響き渡った。
フォニアムは振り返り、笑顔を向ける。
『それでいいんだ。あんたの楽器、おれは好きだな』
*****
現在から15年前。
当時33歳のフォニアムは、10歳離れた年下の愛弟子と結婚した。
入り江を訪れたフォニアムは、近況を報告しながらリコと共にひと時を過ごす。
『人生どうなるかわかんねェもんだな…』
『ピュイ~♪』
『リコ、こうなるって予想してたのか…?』
『ピューピュ―♪』
『やめろからかうな』
島の周りの海面からフォニアムと弟子の様子を見守っていたリコは、どこかぎこちなさそうな2人の雰囲気にやきもきしていたものだ。
フォニアムは『リコ…』と名を呼び、リコの首にタグ付きのネックレスをかける。タグには“RICO”と刻まれていた。
『ピュイ?』
『あいつには指輪、お前にはこれだ。お前も、おれにとっては大事な存在だからな』
『ピュイ♪』
『なァ、リコ、昔みたいにおれも毎日はここへ来れなくなってしまった。目まぐるしい日々が続いているからだ。これから先、会える時間がさらに少なくなるかもしれない…。……そろそろお前も、自分の家族を持ったらどうだ?』
『……………』
『リコ…』
パシャッ、とフォニアムの顔に冷たい水がかけられた。
『何するんだ』とシャツの袖で顔を拭いてリコがいた方向を見ると、そこには水面に波紋が広がっているだけだった。
『…………すまない、リコ…』
*****
現在。
過去の夢からはっと目覚めたフォニアムは、暗い部屋の中、近くで寝ているはずの息子の姿を探したが、見つからなかった。
「トラン…!!」
胸騒ぎを覚えたフォニアムは、足の激痛に歯を食いしばって耐えながら、ベッドの下から松葉杖を取り出したあと、足がもつれそうになりながらも家を飛び出した。
ブゥゥ――――ン…
フォニアムの耳には、まるで誰かに呼ばれているように聴こえた。
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