25:Sweet and Bitter
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12月25日火曜日、午前1時。
祭りが終わったあとの静かな空間。
あの騒々しさは、まだ壁や床に染み込んでいるようだ。
夜戸はひとり席に着き、捜査本部のカウンターテーブルの端に設置された、画面の真っ暗なテレビを見る。
月子が落合と姉川に頼んで、落合が森尾から預かっていたのを持ってきたものだ。
本人は拘置所にいる為、使用する機会がなかったらしい。
森尾も了承済みだ。
1時間前、月子が設置されたばかりのテレビからカクリヨに戻った。
月子がテレビの中に手を突っ込んだ時、ツクモが月子を呼び止めた。
『捜査本部にいてもいいのに…』
振り返った月子は、小さな笑みを浮かべて首を振った。
『あそこは確かに居心地がよかった…。でも、月子は、カクリヨにいないといけないから』
『いけないって、どうして?』
落合の質問に、月子は「どうして…か」と呟き、返した。
『どうしても』
月子の小さな体がテレビ画面の向こうへ入ると、画面は波紋のように揺れ、静まった。
落合は夜戸に振り返る。
聞きたいことがあるといった顔だ。
『月子とは10年一緒にいるけど、あの子がウツシヨへ赴いたことはこれまで1度もなかった…』
外に出たいか、と尋ねても、興味ない、と返されるだけだ。
それでも、いつもテレビ画面を見つめていた。
『ずっと引きこもり…、カクリヨでは外にも出れたんだっけ? まあいいけど、そんな子がこんな人だらけの世界に来たら、物怖じくらいするんじゃない?』
風呂上がりの足立は、タオルで髪をぐしゃぐしゃと拭きながらそう言った。
生クリームで顔や服が汚れたため、先に女性陣が、後に男性陣が風呂に入って洗い流したところだ。
『……でも、本当にいつか一緒にウツシヨで暮らせたら…』
『暮らせますよ』
姉川は席に座る夜戸の後ろに近づき、ポンと両手を置いた。
『みんなで楽しいところへ連れてって、こちらに馴れてもらえばいいんです』
『人がいるからこそ、遊べるところはたくさんあるからねっ。水族館、遊園地、動物園…』
頷いた落合も、思いついたものに指を折っていく。
『ツクモも行きたいさっ』
『当たり前だろ。動物園で本物のバク見てこい』
席でぴょーんと跳ねるツクモに、隣に座る森尾が頭をぐりぐりと撫でた。
『ありがた迷惑じゃなきゃいいけどねー』
『まーたテメーはそういう…』
足立のひねくれた発言に馴れたのか、森尾は呆れたリアクションを返すだけだ。
パーティーはお開きとなり、全員で部屋や食器の片付けに入った。
足立と森尾とツクモは床や壁の掃除、夜戸と姉川と落合は食器の片付けだ。
『うわ。ここの壁まで飛んでるじゃない』
足立は真っ白な雑巾で生クリームを拭きとっていく。
『ツクモは痩せた方がいいんじゃねーの。重いほど威力があったわけだろ』
『誰が重いって!? 失礼しちゃうさ!』
『ごふっ』
床拭きをしていた森尾の横腹にタックルするツクモ。
『遊ばないでくれるー?』
足立は背を向け、ソファーに片膝をつけて壁を拭きながらそう言った。
森尾は床に転がり、ツクモは容赦なくその背中にのってバウンドしている。
『もー、兄さん、女の子に「重い」とか「痩せろ」とか言ったらダメじゃない。ブチ切れだよ』
カウンターの内側で食器を洗っていた落合は、一度手を止めてツクモをなだめに行った。
『掃除組は大変そう…』
少し時間がかかりそうな様子に、洗い終わった食器を拭きとって片づけをしていた夜戸は、食器や調理器具が洗い終われば、そちらを手伝おうと決めた。
『ふふ…。なんか久しぶりですね、この騒がしさ』
思わず笑ったのは、調理器具を洗浄中の姉川だ。
『そう…だね』
久しぶりとは言っても、1ヶ月も経っていない。
それでも何年ぶりかと錯覚するような懐かしさまで湧いてきた。
『夜戸さんも、初めて笑ってくれたし』
『……………』
夜戸自身も驚いていた。
最後におなかが痛むほど笑ったのはいつだろうか。
抱え込んでいた秘密を暴かれ、夜戸明菜という存在を晒した今、夜戸はその時その場で感じ取ったものを素直に返すことができるようになっていた。
感情を塞いでいた栓は、あの時、押し寄せた激しい感情に耐え切れず、涙と一緒に抜けたのかもしれない。
『夜戸さん…、お願いがあります』
キュ、と水道を止め、姉川はタオルで手を拭いて夜戸に向き直った。
妙に改まった態度だ。
『な、何…?』
また可愛らしい衣装でも着せられるのかと思い、わずかに身構える。
『明菜さん、って呼ばせてください』
『……え?』
予想もしていなかった願いに、夜戸は目をぱちくりとさせる。
『…不愉快でなければ』
姉川は、やっと言えた、というように息を吐きだした。
目をわずかに逸らし、浮かべた笑みは不安げだ。
普段は強引なのに、人と人のデリケートな距離感には慎重だ。
愛嬌がいいのに、親密な人間関係を築くことに抵抗があるのは、仕事柄でもあるし、それ以前に、父親を追い詰めた身の周りの人間関係が関わっているのは間違いない。
『何言ってるの』
夜戸の一息の発言に、姉川の表情が曇る。
謝ってなかったことにしようと口を開いた瞬間、夜戸は手で制し、照れくさそうな笑みを浮かべた。
『明菜でいいよ、華ちゃん。敬語もいらない』
『……うん。明菜っ』
よほど嬉しかったのか、ぱっと明るい笑顔が戻り、姉川は思わず抱きついた。
森尾と落合は優しい眼差しで眺め、ツクモは「女同士の友情さ…」と感涙し、足立は背を向けながらも、口角をわずかに上げていた。
捜査本部も綺麗になっていつも通りの服装に着替えたところで解散し、明日の夜からは今まで通りの捜査会議が行われる予定だ。
ツクモは、「寂しくないように一緒に寝るさっ」と言って2階のベッドで夜戸が来る前に爆睡している。
最初に出会った頃と比べて、ますます人間臭くなった。
夜戸は、シャツの間から垣間見える胸の傷痕を指でなぞる。
世界の命運がかかった代物は、胸の中に留まったままだ。
明日からこの胸の傷痕と、本格的に向き合わなければならない。
放置している、二又のこともだ。
身を隠しながら『カバネ』というグループを作り、このまま大人しくしているとは考えにくい。
それでも、とカウンターに突っ伏した。
(このままでいたい、と思うのは…、やっぱりわがままだよね…)
今夜は、心の底から楽しいと思えた。思い返すだけで、口元が緩む。
この空間が、ずっとあり続けてほしいと願った。
しかし、そうはいかないことは理解している。
(これが、寂しいってことか…)
楽しい余韻の先から転がってきたものを、静かに、そして素直に拾い上げた。
余韻がまだ残っている間に寝てしまおうと席を立った時だ。
手前の扉が開いた。
「やぁ」
訪れたのは、足立だ。
「足立さん…」
目を丸くする夜戸に対し、足立は「お店まだやってるぅ?」と冗談めかした。
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