16:I want to touch you
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小栗原は外套を脱ぎ捨てる。
やや伸びている黒髪、ガスマスクをつけた顔、服装はポケットのついたベージュのパーカーを着ていた。
ガスが屋上を包む前に決着をつけなければならない。
森尾は呼吸に気を付けながらイハサクを召喚し、先制攻撃を仕掛けようとする。
「!?」
空から森尾目掛けて何かが降下してきた。
驚いて反射的にバールで叩き落とすと、黒い翼をバタつかせてのたうつカラスのようなものが確認できた。
頭にはクチバシごと覆うペストマスクをつけている。
「シャドウ…!」
バールで撲りつけてトドメを刺すと、喉が潰れたような鳴き声を上げて消滅した。
真上を見上げる。
同じ鳥型のシャドウが何百羽も屋上の真上を旋回していた。
「屋上を覆うとする毒ガスと大量のシャドウ…。お前はひとりだ。仲間もいなくて寂しいねぇ…!」
小栗原はガスマスクの下で嘲笑う。
シャドウの群れが急スピードで下降してきた。
捨て身で攻撃してくるつもりだ。
「イハサク!」
オクヤマツミへの攻撃から防御に切り替える。
イハサクは戦槌を振るい、森尾を狙うシャドウを叩き潰した。
シャドウの雨はやまない。
森尾はバールを振り回して次々と叩き落としていくが、キリがなかった。
シャドウの鋭いクチバシが森尾の肌をかすり、的を外して屋上にぶつかっては消滅した。
まるで特攻隊だ。
意を決し、降り注ぐシャドウに構わず小栗原に向かって突っ走る。
「!?」
オクヤマツミの右手が小栗原に向けられ、ガスを噴射した。
色の濃いガスに包まれる小栗原に、容易に近づけなくなった。
小栗原の姿も隠されてしまう。
「く…っ」
「毒ガスの中はぼくの独壇場だよ。このマスク、ガス防止だけじゃなくて、視界もいいんだ。ガスの中をスムーズに歩けるようにね。だからお前のバカ面はよく見える」
ポケットから何かを取り出した小栗原は、勢いよく腕を振るい、何かを伸ばした。
伸縮式で鉄製の警棒だ。
ゴッ!
ガスの手前で戸惑っている森尾の前に飛び出し、頭を撲りつけた。
「…っぐ!?」
目の前がチカッと光った。
頭に走った痛みとともに視界が揺れる。
「はははっ」
森尾は反撃しようとしたが、すぐにガスの中に逃げられた。
「…っのガキ…!」
ボタボタと足下に頭部から流れた血が落ちる。
爆発から逃れるために窓を突き破った時に負った傷口もさらに広がった。
フラフラしながら、攻撃してくるシャドウをかわす。
ガスの中からはクスクスと笑い声が聞こえた。
「クソ…!」
しかしオクヤマツミとの距離は縮まった。
毒ガスの根源を先に叩くしかない。
「いけ!」
判断してからイハサクを召喚し、イハサクより一回り大きなオクヤマツミに向かって戦槌を振るった。
瞬間、オクヤマツミがその場でコマのように高速回転し、噴射口で戦槌を弾き返した。
イハサクのバランスが崩される。
「なに!?」
反撃に驚かされた。
さらに、回転するオクヤマツミは体を斜めにしてイハサクに体当たりした。
イハサクの体は、人間が車にぶつけられたように吹っ飛び、屋上に叩きつけられる。
「ぐあぁ!」
身体にイハサクの痛みが伝わった。
森尾は歯を食いしばり、イハサクを立ち上がらせる。
「立てよ…、消えるな!」
オクヤマツミは回転したままだ。
イハサクは戦槌を振り、氷結魔法をぶつけた。
しかし、放った青白い光も、回転する体に弾かれてしまう。
飛散した光は、当たったシャドウや屋上の一部を氷漬けにした。
「防御が固ぇ…!」
毒ガスは止まらない。
異様な臭いに吐き気がした。
口と鼻を手で覆って息を止めたが、頭痛と眩暈を覚え、片膝をついた。
(しまった…。ガスが…)
カラン、とバールが脱力した手から滑り落ちる。
イハサクに攻撃させようとしたが、その前にオクヤマツミが再び体当たりしてきて、飛んだ巨体は、今度は屋上の柵を越えるほど吹っ飛び、落下した。
「っ!!」
森尾の体がうつ伏せに倒れる。
毒ガスが濃くなってきた。
今はまだ濃度は薄いが、数分もその場にいれば死に至るだろう。
徐々に意識を削られる感覚だ。
死神が近づいてくるように思えた。
「ゲホッ、ゲホッ」
「みじめみじめ」
「がっ」
近づいてきた小栗原は、森尾の腹を蹴り上げた。
腰を落とし、そこから容赦なく警棒を背中に何度も叩きつける。
「ぐっ。っ!」
「ぼくを止めてみなよ。教育するんだろ? 大人なんだからさぁ!」
警棒の先端を森尾の頭に強く押しつけた。
(あいつなら…、どうする…)
朦朧とする意識の中、思い浮かべたのは、足立の後ろ姿だ。
足立なら、この困難な状況も打破できるのではないか。
森尾は自嘲する。
(何…考えて…。今…、あいつは……)
周りに仲間はいない。
ガラにもなく、急に、心細くなった。
(俺も勝手な奴だな…。身勝手な気持ちを理由に、足立も探さずに引きこもってたから、バチでも当たったか。即答しておけばよかった。「俺も足立を探す」って。探してから、考えればよかったんだ。俺はもう一度足立に会うのが怖かったんだ…。どんな顔していいのか、わからなかった…。いつも通りに戻れるのか、怖くて………)
ああ、と気付いた事がある。
「お…ぐりはら……」
声を振り絞った。
動けるはずがないと過信しているのか、小栗原の手が止まる。
「何? 命乞い?」
小栗原は嘲笑いを含んで言った。
森尾は頭を動かし、傍で腰を落としたままの小栗原の顔を睨む。
「お前…、会えたのか…?」
「? 誰のこと言ってんの?」
「……最初に…、お前をイジメから救った奴だよ…」
小栗原は黙り込む。
窓の向こうの、逆さまの目が脳裏をよぎった。
「………会えるわけがない…」
笑みは消えていた。
顔が見えなくてもわかる、低い声だった。
「ああ?」
小さくてガスマスクにこもった声は聞こえにくい。
小栗原は勢いよく立ち上がり、声を荒げた。
「会えるわけないだろ…! ぼくはアイツを裏切ったんだから! 裏切るように仕向けられたんだ!」
「……………」
「最初からぼくにこの力があれば、話は全部違ってたんだ! だからやってやったよ! 力を手に入れてから最初にアイツらを病院送りにしてやった! ぼくらを助けなかった奴らも全部! それからテレビでいじめで死んだ子たちのことと、いじめられた時によく行ってたチャットサイトを思い出して、足りないと思った。苦しめる人間がいなくなるように、ぼくがヒーローになるしかないって…正義感が芽生えたんだ! 実行したら感謝の書き込みをたくさんもらった! 理解できない馬鹿なアンチ共の書き込みはデリートしてやったけどね。まだ、まだ、まだ、救い足りない被害者がいる。だから! ぼくが! 救ってあげるんだ!!」
「そーゆー…こと…言ってんじゃねェんだよ、こっちは…。話逸らしてんじゃねえ…!」
「な…」
ドスを利かせた声とギラついた両目にビクッとする。
「てめーの後悔も、復讐の理由も、聞いてんじゃねえんだ…。お前…、そんなもん始める前に…、やることがあったろが…」
「何言ってんの…?」
森尾の言いたいことがわからない。
それでも、突き詰められるものにわずかな恐怖を感じた。
森尾は奥歯を噛みしめ、重くなった手足を無理矢理動かす。手のひらで上半身を支え、片足ずつ膝を床につけて下半身を浮かした。
「結局…、お前にとって…」
(俺にとって……)
バールを手の取り、杖のように使って体を立ち上がらせ、毒ガスに構わず息を吸って声を上げた。
「お前にとって、アイツは何だったんだ!?」
森尾の言葉は、自分にも言い聞かせていた。
(俺にとって、足立は…)
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