第九話 八月 夏休みのある一日 クラガリ姉弟編
晴天の空。照りつける太陽。立ち上る陽炎。蝉の鳴き声。
学園校舎はとても静かだ。
学園は現在、夏の長期休暇に入っている。
夏休みのある朝、生徒会寮の一室。
「ん…。」
ベッドの中で目を開けたのは、一人で二人の姉弟、クラガリ姉弟の身体。目を擦り、身体を起こして伸びをして、一人呟いた。
「今日は私が先に起きたんだね…。今日晴れるって言ってたな。お洗濯しよう。」
窓から強い陽の光が差し込む中、クラガリ姉こと小鳥はベッドから出た。
生徒会寮裏に、洗濯物を干すスペースがある。
小鳥は寮のランドリーで洗濯した服をハンガーにかけ、物干竿に一つ一つ干していく。
不意に小鳥は手を止め、一人で口を開いた。
「ん? …おはよう、手伝ってくれるの?」
しばし黙って、また言葉を発する。
「でもいいよ? 小猫君今日プール開放日だから、その間出っ放しになるでしょ?」
またしばらく黙り、小鳥は小さく笑む。
小鳥の顔がやんちゃな少年のモノになった。小鳥と人格交代した小猫は大きく深呼吸し、洗濯物に向かい合った。
「んー、朝の空気、いいね。ま、洗濯物位は手伝わないとなっ。」
時間は過ぎて、午後。
「リタ先輩のお弁当、美味しかった…。リタ先輩教室かな?」
小鳥は空の弁当箱を持って、三年生の教室が隣接する廊下を、ほわほわとご機嫌に歩いていた。
教室では実家に帰らなかった生徒達が、自習などをしている。
「あ、倉狩って一年…。」
「始末屋に勝ったって奴…。」
教室内にまばらにいる三年生達が、小鳥を見て畏敬の眼差しを向けてきた。小鳥は気にする様子も無く歩を進めていく。
「あ。リタ先輩、セーラ先輩。」
三年の教室の一室に、小鳥はセーラとリタの姿を見つけた。その次に、小鳥は目を丸くする。
『あ、小鳥ちゃん。』
「セーラ先輩、髪下ろしてるの初めて見た…。」
教室にいたセーラはいつものように髪を結わえてはおらず、長い黒髪を下ろした格好だった。その髪をリタが櫛で梳いている。
リタは小鳥に穏やかに笑いかけた。
『ちょっと朝から髪型曲がってたから、結い直してるんだ。』
「私やりたいですっ!」
小鳥が目を輝かせて申し出た。セーラとリタは少々びっくりした顔を見せる。
『え? …僕はいいけど、セーラは?』
「構わないが?」
「ありがとうございますっ!」
二人の許可が下り、小鳥は嬉々としてセーラの髪に向かった。
三〇分後。
「あれ…?どうしても微妙に曲がっちゃうー…?」
小鳥はセーラの髪を結わえようとしているが、なかなか上手くいっていなかった。
『ふふ…。』
「くく…。」
首をひねる小鳥に、リタとセーラは肩を震わせて笑った。
「笑わないでくださいよー!」
『貸してみて。』
リタがセーラの後ろに立つ。慣れた手つきで、あっという間にセーラの髪を綺麗に、高く結わえてしまった。
小鳥はまた目を丸くする。
「…すごい、ぴしっと決まった…。」
『セーラの髪ね、微妙に癖があるから、ぴしっとさせるのにコツがいるんだよ。』
楽しそうに笑うリタに、小鳥は弾んだ声で問う。
「へー、どんなコツが?」
『秘密。』
「オレは一応教えては貰ったが、リタのようには自分で出来なくてな…。こればかりは今のところ、リタに頼りきりだ。」
リタとセーラは言い合い、顔を見合わせて笑った。
この日は、一年生のプール開放日だった。
小猫が水着とタオルが入った鞄を手にプールへ向かうと、他の一年生達が困惑した様子でいた。
小猫は同級生達に声をかける。
「どうしたー?」
「あ、小猫。」
小猫に気付いた生徒達は話した。
「今日の監視役、田村先生だったろ? 保健の。」
「来ないんだよ。先生開けてくんねーとプール入れねーんだけどなー。」
プールに続く扉の鍵は閉まったままで、入れない生徒達が入り口にたむろしている。
「じゃあおいっち、見て来ようか。」
小猫は踵を返し、医務室に向かった。
医務室に田村はいなかった。ならばと小猫は、教師寮の田村の部屋を訪れた。
田村の部屋のドアをノックする。
「田村センセーイ。」
しばらく待っても、返答はない。
「…? ここにもいない…?」
小猫が訝しげに首を傾げた時。
ゆっくりと金属音を立てて、ドアノブが回った。ドアが開かれると、幽霊の様に青ざめた顔がドアの隙間から現れた。
「うわあああっ!?」
小猫は思わず叫び声を上げてしまった。青ざめた顔は酷く弱々しい声で問うてきた。
「誰よ…。」
「せ、先生、何で、そんな顔色悪くて…。」
心臓の辺りを抑えながら、小猫は何とか返した。
小猫と交代した小鳥を前に、自室で田村は言った。
「風邪引いちゃって…三日寝込んだのよ…。」
寝ている事しか出来なかったらしく、田村はよれよれになった寝間着を着た格好で、小鳥と対峙している。小鳥は心配そうな顔をしながら考える。
「でもそれじゃあ、田村先生監視役出来ませんね…。どうしよう…。」
「他の当直の先生に連絡してくれない…? 悪いけど…。」
血の気の薄い顔で、田村は小鳥に頼んだ。
開けられたプールで泳ぎながら、小猫は同級生達と話をしている。
「田村先生風邪引いてたのかー。」
「うん、そうだった。」
「夏風邪はバカが引く…。」
「そういう事言わない。」
「そんで北条先生ね…大丈夫かな、あの人虚弱で運動全然だけど。」
それぞれに勝手な事を言う同級生達に混じり、小猫もがりがりに痩せた監視役を見て、感想を述べる。
「監視するのに、体力はあまり関係ないかんなー。」
同級生の一人がにやにやと笑いながら口にした。
「でも、田村先生水着で来たかもしれねーじゃん、残念。」
「あまりそういう期待しない方がいいかもよ。そういう事考えてると、芋ジャージで来るような先生だから。」
他の同級生が言うと皆笑った。
プールの時間が終わり、小猫はさっぱりした顔で生徒会寮に戻って来た。
「あー、プールサイコー。」
ふと、小猫は気がついたように黙り、寂しそうに苦笑した。
「…小鳥姉ちゃんは入れないもんなあ、ごめん。ここ男子校だもんな…。」
またしばらく黙って、小猫は笑った。
「うん、あんがと。」
二階まで歩いて行くとセーラ、リタ、ジュリーが窓の外を見下ろしているのが見えた。
「…あ、にーさん達だ。」
「クラガリ、プールは終わったのか。」
小猫に気付いたジュリーが声をかけてきた。
『あ、エリー君とライラ君も帰って来たよ。』
窓の外を見下ろしていたリタが笑んだ。小猫が窓の外を見ると、朝から出掛けていたエリーとライラが、紅白まんじゅうをかじりながら歩いて来ていた。
夜。
小鳥は生徒会寮の自室に戻ってきた。その手には、夏休み前に出された宿題がある。
「よーし、今日の宿題ノルマ終わりー。」
宿題を机の上に置きながら、小鳥は笑った。
「ご主人さま達、相変わらずだったなあ。今日はセーラ先輩とリタ先輩の、面白い話も聞けたし。」
少し小鳥は口を閉ざした。小さく嬉しそうな笑みを浮かべた。
「…本当に、楽しいな。ここ。」
しばらく黙り、小鳥は頷く。
「…うん。退屈しないよね、小猫君。…ここに来て、よかったよね。…家じゃこんな経験絶対出来なかった。」
不意に小鳥の笑みに陰りが混じる。
「…どうしてるんだろうね、あの人…。…知るかって? …そうだよね。…今日はプールで身体疲れてるね。もう寝よう。」
言いながら小鳥はクロゼットを開け、寝間着を取り出した。着替えてベッドに入り、ゆっくりと息を吐く。とても静かな落ち着いた声で、小鳥は一人言った。
「おやすみなさい。」
やがて小さな寝息だけが、部屋の中に聞こえるようになった。
To Be Continued
学園校舎はとても静かだ。
学園は現在、夏の長期休暇に入っている。
夏休みのある朝、生徒会寮の一室。
「ん…。」
ベッドの中で目を開けたのは、一人で二人の姉弟、クラガリ姉弟の身体。目を擦り、身体を起こして伸びをして、一人呟いた。
「今日は私が先に起きたんだね…。今日晴れるって言ってたな。お洗濯しよう。」
窓から強い陽の光が差し込む中、クラガリ姉こと小鳥はベッドから出た。
生徒会寮裏に、洗濯物を干すスペースがある。
小鳥は寮のランドリーで洗濯した服をハンガーにかけ、物干竿に一つ一つ干していく。
不意に小鳥は手を止め、一人で口を開いた。
「ん? …おはよう、手伝ってくれるの?」
しばし黙って、また言葉を発する。
「でもいいよ? 小猫君今日プール開放日だから、その間出っ放しになるでしょ?」
またしばらく黙り、小鳥は小さく笑む。
小鳥の顔がやんちゃな少年のモノになった。小鳥と人格交代した小猫は大きく深呼吸し、洗濯物に向かい合った。
「んー、朝の空気、いいね。ま、洗濯物位は手伝わないとなっ。」
時間は過ぎて、午後。
「リタ先輩のお弁当、美味しかった…。リタ先輩教室かな?」
小鳥は空の弁当箱を持って、三年生の教室が隣接する廊下を、ほわほわとご機嫌に歩いていた。
教室では実家に帰らなかった生徒達が、自習などをしている。
「あ、倉狩って一年…。」
「始末屋に勝ったって奴…。」
教室内にまばらにいる三年生達が、小鳥を見て畏敬の眼差しを向けてきた。小鳥は気にする様子も無く歩を進めていく。
「あ。リタ先輩、セーラ先輩。」
三年の教室の一室に、小鳥はセーラとリタの姿を見つけた。その次に、小鳥は目を丸くする。
『あ、小鳥ちゃん。』
「セーラ先輩、髪下ろしてるの初めて見た…。」
教室にいたセーラはいつものように髪を結わえてはおらず、長い黒髪を下ろした格好だった。その髪をリタが櫛で梳いている。
リタは小鳥に穏やかに笑いかけた。
『ちょっと朝から髪型曲がってたから、結い直してるんだ。』
「私やりたいですっ!」
小鳥が目を輝かせて申し出た。セーラとリタは少々びっくりした顔を見せる。
『え? …僕はいいけど、セーラは?』
「構わないが?」
「ありがとうございますっ!」
二人の許可が下り、小鳥は嬉々としてセーラの髪に向かった。
三〇分後。
「あれ…?どうしても微妙に曲がっちゃうー…?」
小鳥はセーラの髪を結わえようとしているが、なかなか上手くいっていなかった。
『ふふ…。』
「くく…。」
首をひねる小鳥に、リタとセーラは肩を震わせて笑った。
「笑わないでくださいよー!」
『貸してみて。』
リタがセーラの後ろに立つ。慣れた手つきで、あっという間にセーラの髪を綺麗に、高く結わえてしまった。
小鳥はまた目を丸くする。
「…すごい、ぴしっと決まった…。」
『セーラの髪ね、微妙に癖があるから、ぴしっとさせるのにコツがいるんだよ。』
楽しそうに笑うリタに、小鳥は弾んだ声で問う。
「へー、どんなコツが?」
『秘密。』
「オレは一応教えては貰ったが、リタのようには自分で出来なくてな…。こればかりは今のところ、リタに頼りきりだ。」
リタとセーラは言い合い、顔を見合わせて笑った。
この日は、一年生のプール開放日だった。
小猫が水着とタオルが入った鞄を手にプールへ向かうと、他の一年生達が困惑した様子でいた。
小猫は同級生達に声をかける。
「どうしたー?」
「あ、小猫。」
小猫に気付いた生徒達は話した。
「今日の監視役、田村先生だったろ? 保健の。」
「来ないんだよ。先生開けてくんねーとプール入れねーんだけどなー。」
プールに続く扉の鍵は閉まったままで、入れない生徒達が入り口にたむろしている。
「じゃあおいっち、見て来ようか。」
小猫は踵を返し、医務室に向かった。
医務室に田村はいなかった。ならばと小猫は、教師寮の田村の部屋を訪れた。
田村の部屋のドアをノックする。
「田村センセーイ。」
しばらく待っても、返答はない。
「…? ここにもいない…?」
小猫が訝しげに首を傾げた時。
ゆっくりと金属音を立てて、ドアノブが回った。ドアが開かれると、幽霊の様に青ざめた顔がドアの隙間から現れた。
「うわあああっ!?」
小猫は思わず叫び声を上げてしまった。青ざめた顔は酷く弱々しい声で問うてきた。
「誰よ…。」
「せ、先生、何で、そんな顔色悪くて…。」
心臓の辺りを抑えながら、小猫は何とか返した。
小猫と交代した小鳥を前に、自室で田村は言った。
「風邪引いちゃって…三日寝込んだのよ…。」
寝ている事しか出来なかったらしく、田村はよれよれになった寝間着を着た格好で、小鳥と対峙している。小鳥は心配そうな顔をしながら考える。
「でもそれじゃあ、田村先生監視役出来ませんね…。どうしよう…。」
「他の当直の先生に連絡してくれない…? 悪いけど…。」
血の気の薄い顔で、田村は小鳥に頼んだ。
開けられたプールで泳ぎながら、小猫は同級生達と話をしている。
「田村先生風邪引いてたのかー。」
「うん、そうだった。」
「夏風邪はバカが引く…。」
「そういう事言わない。」
「そんで北条先生ね…大丈夫かな、あの人虚弱で運動全然だけど。」
それぞれに勝手な事を言う同級生達に混じり、小猫もがりがりに痩せた監視役を見て、感想を述べる。
「監視するのに、体力はあまり関係ないかんなー。」
同級生の一人がにやにやと笑いながら口にした。
「でも、田村先生水着で来たかもしれねーじゃん、残念。」
「あまりそういう期待しない方がいいかもよ。そういう事考えてると、芋ジャージで来るような先生だから。」
他の同級生が言うと皆笑った。
プールの時間が終わり、小猫はさっぱりした顔で生徒会寮に戻って来た。
「あー、プールサイコー。」
ふと、小猫は気がついたように黙り、寂しそうに苦笑した。
「…小鳥姉ちゃんは入れないもんなあ、ごめん。ここ男子校だもんな…。」
またしばらく黙って、小猫は笑った。
「うん、あんがと。」
二階まで歩いて行くとセーラ、リタ、ジュリーが窓の外を見下ろしているのが見えた。
「…あ、にーさん達だ。」
「クラガリ、プールは終わったのか。」
小猫に気付いたジュリーが声をかけてきた。
『あ、エリー君とライラ君も帰って来たよ。』
窓の外を見下ろしていたリタが笑んだ。小猫が窓の外を見ると、朝から出掛けていたエリーとライラが、紅白まんじゅうをかじりながら歩いて来ていた。
夜。
小鳥は生徒会寮の自室に戻ってきた。その手には、夏休み前に出された宿題がある。
「よーし、今日の宿題ノルマ終わりー。」
宿題を机の上に置きながら、小鳥は笑った。
「ご主人さま達、相変わらずだったなあ。今日はセーラ先輩とリタ先輩の、面白い話も聞けたし。」
少し小鳥は口を閉ざした。小さく嬉しそうな笑みを浮かべた。
「…本当に、楽しいな。ここ。」
しばらく黙り、小鳥は頷く。
「…うん。退屈しないよね、小猫君。…ここに来て、よかったよね。…家じゃこんな経験絶対出来なかった。」
不意に小鳥の笑みに陰りが混じる。
「…どうしてるんだろうね、あの人…。…知るかって? …そうだよね。…今日はプールで身体疲れてるね。もう寝よう。」
言いながら小鳥はクロゼットを開け、寝間着を取り出した。着替えてベッドに入り、ゆっくりと息を吐く。とても静かな落ち着いた声で、小鳥は一人言った。
「おやすみなさい。」
やがて小さな寝息だけが、部屋の中に聞こえるようになった。
To Be Continued