第八話 二年前の十一月編 痛みから始まった絆

 一人の不良が目前に迫って来た時、栗田広喜は身を強ばらせ、言葉にならない声を響かせることしか出来なかった。
『うあ、う…!』
「遅い。」
 栗田の前に出たのは聖羅衣だった。聖は杖を振り上げ、向かって来た不良を打ち据えた。
「ぐあっ!」
 聖は襲い来る不良達を一撃で沈めていった。栗田が立ち尽くす中、聖は射るような眼差しで、倒れている不良達を見下ろす。
「…失せろ。」
「っ…畜生!」
 不良達は痛みに身体を抑えながら逃げていった。
『…聖君…。』
 後ろから栗田は、震える声で聖の名を響かせた。聖は栗田に向き直り、静かな声で栗田に返す。
「遅い。お前は…。ケガは無いか?」
『ごめ…ごめんなさい…。』
 涙声を響かせ、下を向いてしまった栗田に、聖は傷だらけの身体で聞かせた。
「…大丈夫だ。」

 学園一年生の聖羅衣と栗田広喜が、来年度の始末屋に指名されてから一ヶ月。二人は今、今年度の始末屋の元で修行という形で、仮に始末屋の活動をしていた。

 生徒会室。
 生徒会庶務の一年生、琴織従理は閉じていた目を開け、ホッとしたように息をついた。心配そうな表情で、目の前にいる二人の先輩に問う。
「大丈夫なんですか? あの二人は自分達の事で精一杯って感じですよ?」
 琴織の問いに、目の前の二人…現在仕事をほとんど聖と栗田に任せている、今年度の始末屋の片割れが笑む。
「大丈夫だろ。あの二人は、面白い感じに化けるかもしれない。」
「はは、お前はあの二人が面白くて観賞したいだけだろう?」
 相方であるもう一人の始末屋が片割れに笑った。それから琴織に向き直る。
「でも今年度始末屋のオレ達から見て、確信したよ。上手くすれば、あのベストカップルは化ける。」
 先輩二人の物言いに、琴織は彼らを軽く睨んだ。
「…下手をすれば、共倒れじゃないですか。」
 始末屋の片割れが、苦笑しながら頷く。
「確かに。でもあの二人には、成長するだけの土壌がある。」
 琴織は一つ息を吐いて、それ以上は何も言わなかった。
 現始末屋二人組は、顔を見合わせて話を変えた。
「ところで、あの二人決まって無いんだな。」
「何が?」
「愛称。」
 相方の言葉に、片割れがまた苦笑した。
「いっちょまえになったら、考えるとさ。…真面目な奴らだよ。」

 生徒会寮。
 医務室教諭に手当てを受けた聖と、栗田が帰ってきた。勉強道具を机に置きながら、栗田が聖に意志を送る。
『…痛いよね。…ケガ…。』
「…どうということはない。お前が、無事で良かった。」
『…何で僕、聖君と一緒に始末屋、指名だったんだろう…。』
 聖が栗田に向き直ると、栗田は机を前に、背中を縮こませていた。栗田の続く言葉は震えていた。
『…僕、何も出来ない…足手まといで…。実質、聖君が一人で修行やってる…。』
「…そんな事は無いだろう。」
『…あるよ…っ…う…。』
 栗田のすすり泣く声が響いてきた。聖は顔を悲しげに歪ませると、栗田の元に歩み寄った。
「栗田…。」
 聖の声は優しく響く。聖は栗田の肩に手を置き、聞かせた。
「大丈夫だ。お前はオレが守る…だから、泣くな…。」
 涙を零し、鼻をすすりながら、栗田は言った。
『…聖君は何で…こんな僕のそばにいるの…?』
 栗田の言葉に、聖の目が僅かに見開かれた。
『何でいつも、守ってくれるの…?』
 栗田は涙を拭って、聖を見上げる。
『! …聖君…。』
 聖の表情を見て、栗田はかなりぎこちない笑みを浮かべた。
『…ううん、何でも無い、よ…。…聖君お願い…僕の事嫌わないで…一緒にいてね…。』
「…ああ。」
 頷いて返した聖は、痛むような表情をしていた。

 深夜の事だった。
『…う…ううっ…。』
 苦しげな栗田の声が脳内に響いてきて、聖は覚醒した。
「…栗田?」
 二段ベッドの上で寝ていた聖は、身体を起こし下まで降りる。ベッドの下の段を覗くと、栗田が目を閉じ、泣きながら繰り返している。
『う…う…ごめ…ごめ…なさい…。』
「栗田…うなされて…?」
 栗田は緩く頭を振りながら繰り返す。
『ゆるして…ごめん…なさ…。』
「栗田!」
 聖が声を上げて、栗田を悪夢の世界から戻そうと揺すった。
 栗田がハッと目を開けた瞬間。
『うあああああ!!』
 栗田の割くような叫び声と共に、人の心を蝕むマイナスのイメージが、聖の全身を抉るように流れ込んで来た。
 黒く、赤く、不快で、激しく痛む感覚。
「…あ…あああああ!!」
 聖の絶叫で栗田はベッドから跳ね起きた。
『聖君!』
「…くりた…?」
 聖の声は小さく震えて響いた。
 栗田はベッドから飛び出し、聖に縋り、繰り返し叫んだ。
『ごめん、ごめんなさい! ごめんなさい!! 嫌わないで!! ごめんなさい!!』
「大丈夫だ、栗田…大丈夫だ…。」
 栗田の寝間着を握りしめ、繰り返し聞かせる聖の手は、白くなって震えていた。

 …人の心が解ればいいのに。
 そう願う人は正気なんだろうか。そう思っていた。

 小さな栗田が、家のおつかいで町を歩いていた時。
「よお、気持ちわりい奴。」
 沢山の仲間を引き連れた、大柄な少年が歪んだ顔で笑い、栗田を見下ろしてきた。
 栗田は息を飲み、青い顔で彼らを見た。
「ははは!! 怯えてやがる!! おいお前ら!!」
 これからどこかに引っ張っていって痛めつけるつもりだ。栗田の脳内にそんな意志が伝わってくるが、栗田は足がすくんで動けなかった。
 栗田は沢山の少年達に、強引に引っ張られていった。

「…広喜、お帰りなさい。! …またそんなに泥だらけに…。」
 栗田が家の旅館に帰ると、旅館の女将である母が心配そうに出迎えた。
「…お母さん…。」
 掠れた声で、栗田は喉から絞り出すように言った。
「…皆が僕の事、気持ち悪いって…。」
 母は栗田を気遣いながらも、遠慮がちにこう言った。
「そんな事、無いわよ…。皆、同じ町のお友達なんだから…。」

 毎日、毎日そんな感じだった。
 どんなに隠れて行動しても見つかって、殴られたり蹴られたりする。
 僕の心は、皆に筒抜けだから。
 皆笑ってる。皆の心も笑ってる。
「どうして」と僕が思う。
 皆は笑いながら言う。
「人の心を勝手に覗き見て、気持ち悪い」
 お母さんは、皆お友達だから、という。
 …本当に…?

 栗田が自分の部屋の中にいると、頭の中に沢山の人間の思念が流れ込んで来る。彼が望んでいる訳ではなく、勝手に流れ込んで来るのだ。
 忙しく給仕をしている母の様子や、旅館の客達の雑多な考え。
 そして…昼間の少年達が、自分を傷つけた事を一切大人達の前に出さず、笑って過ごしている様。
 栗田は耳を塞ぐ。必死で耳を塞ぐ。
 だが、耳を塞ごうがどうしようが、それは脳内を抉り、刺すように聞こえ続けてきた。

 ある朝起きたら、僕の耳はほとんど聞こえなくなっていた。周りの人の声も、僕の声も聞こえなくなった。
 耳が聞こえなくなってから、皆は更に酷く僕を痛めつけるようになった。
 耳が聞こえなくなってから、僕には皆の本音しか聞こえなくなった。
 皆が僕の事を気持ち悪く思っていること。それを理由に僕を痛めつけて楽しんでいること。お母さんは…旅館を切り盛りするので精一杯。痛めつけられて毎日泥だらけ、傷だらけの僕を「変な子」扱いしている町の人達。

 …もう、何も考えられなかった。

 殴られ、蹴られて、栗田の身体は傷ついていく。
「いいサンドバッグだなこりゃ!!」
 大柄な少年が、己の性根の悪さで歪んだ顔で笑う。
 栗田の目には生気がない。ぼんやりと自分を痛めつける少年達を見やっている。
「人の心勝手に覗き見る悪党には、仕置きしてやらねえとなあ!!」
 光る物が見えた。…カッターナイフだった。
 大柄な少年が栗田に向かってそれを振り上げる。栗田の背中が斬りつけられ、服が赤く染まった。
『…あ…!』
 栗田の目が痛みに見開かれる。

 …この、仕打ち…。
 どうして…!!

 「お前が人の頭、勝手に覗き見るからだろクズ!!」

 …僕だって、好きでお前達の心なんか見てる訳じゃない!!

 頭の芯がカッと熱くなったのを感じ、栗田の意識は途絶えた。

 …栗田が我に返ると、栗田を痛めつけていた少年の一人が、頭を押さえてがたがたと震え、終いには半狂乱になって叫んでいた。

 …中等科の通信課程を終える事を区切りに、僕は学園の寮生になる事になった。
 あの子に僕は「攻撃」したらしい。あの子の心に。
 そのせいで、僕は町にいづらくなってしまったから。お母さんが学園へ行く事を薦めた。
 僕は素直に従った。僕もこんな所にいたくなかったから。

「…気を付けて。」
 学園へ行く当日、お母さんが見送りにきた。僕は黙って頷いて、列車に乗った。
 …列車の窓越しに、お母さんが泣きそうな顔で何か言ったけど、僕の耳はほとんど聞こえなかったし、心も読もうと思わなかった。

 震えていた栗田の身体が、ようやく力を抜いた。栗田の身体を支えていた聖がそっと問う。
「…落ち着いたか?」
 栗田は黙って頷いた。聖はほっと息をつくと、問う。
「さっきのは…お前の…。」
『…夢、見たんだ…昔の、夢…。』
 小さな声でぽつりぽつりと、栗田は話した。
『僕の力…皆に、嫌われてた…。人の、心…覗き見て、気持ち悪いって…。』
 栗田の身体が小さく縮こまる。
『辛いのが、いっぱいになると…こういう事、しちゃうみたいで…。』
 聖の顔が、栗田から伝わる心の痛みに歪んだ。か細い声で栗田は聖に繰り返し謝った。
『ごめんね…聖君悪くないのに…あんな事…全部、僕のせいなのに…ごめんね…。』
 聖は栗田の肩を力を込めて支えた。
「…お前は、オレが守る…だから、大丈夫だ…。」

 数日後。
 聖と栗田が学園内を巡回していた時。
「うわあああ!!」
 突然、遠くの方で何人かの叫び声が聞こえた。まもなく生徒が一人慌てた様子で駆けてくる。何かから逃げるように。
「…どうしたんだ!」
 聖が慌てて問うと、生徒は怯えた様子で自身の後ろを指差した。
「し、始末屋!! 向こうに…!」

 包丁を持って学園校舎に踏み込んで来た男は、焦点の合っていない目で言葉にならない叫び声を上げながら、包丁を振り回して歩いている。
 男が叫び、包丁を振ると周囲から悲鳴が上がった。生徒達は慌てふためき、声を上げて逃げる。
 そこに聖と栗田が駆けつけた。
『な、何、あの人…!』
 栗田が怯えた声を響かせる。聖が表情を緊張させる。
「…あの男…正気ではない…!」
 男の血走った眼差しと包丁が、聖と栗田の方向に向けられる。聖は栗田の前に出ようとしたが、男の方が早かった。
『っあ!』
 腕を包丁の切っ先が掠め、栗田はその場に崩れる。
 聖は急いで栗田を抱えると走った。走って男から離れ、廊下の突き当たりまで来る。
『…う…。』
「栗田…!」
 栗田は震えながら、片腕を抑えている。指の間から血が滴り落ちていた。
 聖は栗田の血を見ると、目の色を変えた。包丁を持った男のいる方向を見る。
『聖く…!』
「栗田、お前はここにいろ。オレが何とかする。…お前はオレが守る。」
 聖は目を閉じた。深く呼吸をし、口の中で呟く。
「無力は壁となり、壁は火となり、火は無我の渦となる…。」
 呼吸を繰り返し、やがて聖は無言になった。

 聖の中にある無力感が、火のような怒りに変わり、それが聖の理性のタガを外していく。

 聖が思い切り前に踏み出した。一気に走って男の前を通り過ぎ、背後に回ると男の頭を杖で打ち据えた。
 男が声を上げる。聖は何度も男の頭を渾身の力を込めて打つ。
 男が頭を抱えて倒れると、聖は男のみぞおちに杖の先をめり込ませる。男が動きを止めても、聖の手は止まらない。

『…あ…!』
 栗田はおかしいと感じた。
 聖は普段、動けなくなった相手に攻撃を続ける事は無い。
 あまりにも容赦がない攻撃を見て、栗田は心の叫びを聖に送った。
『聖君! もういいよ! もう! 聖君!!』
 男はもうぐったりとしている。聖の杖には男の血が付いている。それでも聖の、男を殴る杖の動きは緩まなかった。

『…うっ…ひっ…っく…。』
 聖の視界が、ぼやけたモノから次第にハッキリとしてくる。
 ぼうっと立ち尽くしている聖の目に最初に映ったのは、泣いている栗田だった。
「…くりた…? 無事で…。」
『ごめんっ…ごめんなさいっ…ごめん…!』
 栗田は聖の手を握って、謝りながらしゃくり上げている。
 聖がぼんやりとした声で、問う。
「…何故、泣いている…? 何故、謝る…?」
『ごめんなさい…僕にもっと、力があったら…聖君に…あんな酷い事…!』
「…酷い、事…?」

 救急車のサイレンの音が、遠く聞こえる。
 包丁を持っていた男が救急車に乗せられていく。男にはもう意識は無く、虫の息。腕も足も妙な方向に曲がり、顔も原型をとどめない程になり、血で真っ赤に染まっていた。

『僕を守る為に、聖君があの人…あんなになるまでっ…やっつけちゃったでしょ…?』

 血で濡れた手を、震えながら握りしめる栗田の手と、泣きながら言われた言葉。
 それをはっきりと認識した時、聖の身体が震えた。

 オレは栗田を守りたかった。
 だがオレは守ると言いながら、栗田を泣かせている…。
 …今、解ってしまった。力はただ手に入れて、振るえばいいものでは、決して無いんだ…。

 聖の手が、栗田の手を強く握り返した。絞り出すような声で聖は謝った。
「…すまない…すまなかった、栗田…。」
『…どうして? 何で聖君が謝るの? …聖君?』
 栗田は泣きながら聖の顔を見上げ、動きを止めた。
 …聖の顔は伏せられて、栗田にしか見えなかった。聖の肩と手は震えていた。
 栗田は涙を拭い、小さな声で聖に語りかけた。
『…聖君がこんなにならない為に、僕に出来る事ある…?』
「…今は…手を握っていてくれ…。」
『…うん。』
 栗田は聖の願い通りに、手をしっかりと握り直した。

 …待望の直系男子は、家の中で一番、弱い存在だった。

 小さな聖が、畳が敷かれた小さな部屋に正座をしている。たった一人で。
 外からは、家の人間達が武術の稽古をする声が聞こえてくる。
 家の一人である筈の聖は、それには参加させてもらえない。

「はっ!」
 深夜の道場で聖は木刀を振る。
 昼間の鍛錬に参加させてもらえない聖は、夜になってから一人、自己鍛錬を繰り返す。
「…羅衣。」
 横から声がかかった。着物を身に着けた中年の女性が、いつの間にか道場の入り口に立っていた。
 女性は静かな声で口を開いた。
「…当主がうるさいと不快に思っているそうです。今日はこの位にしなさい。」
「…はい。」
 聖は静かに頷いた。
「…羅衣。…攻撃する為の能力を持たない貴方が、ここにい続ける事は…果たして本当に、良い事なのでしょうか…。」
 聖が道場から出る時、すれ違い様に女性が小さな声で発した言葉に、聖は答えなかった。

 聖が昼間、一人で部屋で正座をしていると、時折聞こえて来るのは。
「当主の息子はまた一人で引きこもってるのか。」
「ああ。当主が出る事を許可しないからな。」
「まあ、仕方ないか。あの子供は当主にとっては、言ってしまえば恥だからな。」
「…優れた能力武術家を出してきた家で、攻撃する為の能力を持たないってのはな…。」
「ホント、運が悪かったとしか言い様が無いな。」
 そんな会話を聞く、聖は無表情だった。膝の上で強く握られた拳は震えて、真っ白になっていた。

 …オレの能力を知った時の、父の落胆ぶりは尋常ではなかったそうだ。オレの能力は、見た相手の能力が解る…というだけの力。
 オレの家は武術家の家で…能力者も直接攻撃出来る能力を持った者達ばかりで、オレのような存在は始まって以来。この家の当主である父の跡継ぎとして期待されていた命に、皆落胆した。
 父は今となっては、オレを昼間中部屋に押し込めて、顔も滅多に見ようとはしない。

 聖がいつも通り、夜の道場で一人稽古をしていた時だった。
「羅衣さん。」
 後ろから声がかかった。聖が振り返ると、一族の男が一人いた。聖の記憶では傍系の人間だった。
「…何ですか。」
 聖が無感動に問うと、男はにこっと笑った。
「稽古の相手をしましょうか?」
「…父の禁じている、私闘にされかねませんよ。」
 聖が言うと、男は笑顔のまま返した。
「稽古、ですから。大丈夫でしょう。」

 不穏な空気はすぐに解った。それを承知で応じたのは、もう限界だったのかもしれない。
 または…心の限界によって生じる何かを、無意識のうちに察していたのだろうか。

 聖と男が木刀を携え、向かい合う。
「礼。」
 一礼し、聖が顔を上げた瞬間。
「っ!?」
 激しく焼ける痛みが聖の背中を襲った。
「…あああ!!」
 声を上げ、聖が倒れる。聖の道着の背中は焼けこげている。後ろから歩いてきたのは、炎を手に纏わせた男と、他数名。
「…っ!」
 聖が稽古を申し出た男を睨むと、男は歪んだ顔で嗤った。
「ああ、申し訳ない。能力を使わない、とは言っていませんでした。」
 男は聖に向かって手をかざした。途端、聖の身体を圧力が襲う。
「がっ…!!」
 聖の身体中の骨が軋んだ。男達の嘲笑が道場に響く。
「なす術なしだよ、本当に!」
「何でこんな奴が、当主の息子に生まれたんだろうな!!」

 …ああ、この男達は初めから自分を嗤う為に…!

 聖の胸の奥だった。
 今まで感じていた無力感。認められない虚無感。父や周りに対する怒り。それが炎のように渦を巻き、聖の理性を奪い去った。

 聖の身体が跳ね起き、一瞬で飛び上がる。一人の男の頭を、木刀で思い切り打ち据えた。
「あああああ!!」
 頭蓋骨を割られた男が狂ったように叫び、倒れた。
「なっ!?」
 他の男達が驚く間もなく、聖の木刀の先が別の男のみぞおちにめり込んだ。男が激しい痛みに動きを止めると、聖は男の首を叩き割るように打った。
「な、ちょっ…!」
「この…!」
 聖の背中を焼いた男が炎を出そうとするが、聖はかわし、炎を出そうとした腕を逆に折った。
「じ、冗談で、やめ…!」
 聖を「稽古」に誘った男が怯えた声を上げる。聖は燃えるような獣の目で、男をぎろりと見た。

 オレはそんなに弱い…どうでもいい存在なのか…?

 その後。
 聖は昼も夜も、部屋に押し込められた日々を過ごしていた。
 聖を暴行しようとした男達の身体を、再起不能になるまで聖は砕いた。死ぬ一歩手前まで。その姿は正に狂戦士バーサーカーだったという。
 聖は父に完全な謹慎を言い渡され、ずっと部屋で正座をして、虚空を見つめる日々を送っていた。

 ある夜の事。
 着物の女性…聖の母親が、聖の部屋を訪れた。
「…貴方はここから出た方がいい。それが多分、一番いい。…もうすぐ高等部に上がる。学園の寮生になりなさい。手続きは私がしておきました。」
 聖と向かい合った母はそう言い、聖の前に入学の為の書類を置いた。
「…父が、そうしろと?」
 無感動に問うた聖に、母は首を横に振った。
「…私が決めました。」
「…そうですか。」
 抑揚の無い声で返した聖に、母は唇を震わせながら、か細い声で願った。
「…どうか、頑張って。」

 父はおそらく、オレを一生閉じ込めて、世間から隠す位のつもりでいただろう。独断でオレを外に出す事を決めた母に、僅かばかり感謝した。
 夜。父の目を盗み、オレは一人で学園へ向かった。
 …いつか、帰って来る事はあるのだろうか…。そんな事を思いながら。

「…栗田。」
 実家にいた頃を思い出し、自室で聖は栗田に語りかける。
 聖の隣で彼の心を聞く栗田の手は、ぎゅっと握りしめられて震えていた。
「…オレは力の無い事を責められ続けていた。だからオレは力を求めた。」
 栗田は黙って聖の話を聞き続ける。聖は続けた。
「…何故、お前と共にいるのか…そんな事を、お前は聞いたな…。…オレが力を欲した結果だと思う。」
 俯き加減で、淡々と聖は言った。
「栗田を守ると決めたのは、力が欲しかったから…守る者を得る事で、力を得たかったのだろう。」
 栗田が唇を噛む。伝わる聖の心の痛みに、涙を零しそうなのを堪えて。
 …不意に聖が顔を上げ、ゆっくりと口を開く。
「だがこのままでは、オレはお前を傷つけるだけで、何にもならないのだろうな…。」
 その穏やかに響いた心に、栗田は涙が溜まった目を丸くして、聖を見た。
「…栗田。」
 聖が栗田を呼んだ声は、少し厳しく響いた。栗田は落ち着いて問う。
『…何?』
「お前は弱い。体力も腕力も人並み以下だろう。」
『…うん。』
 栗田が静かに頷いたのを見て、聖は言った。
「だがお前にも、力がある。能力がある。」
『…何が、あるかな…?』
 栗田の声が弱く、聖の頭に響いた。聖は問う。
「今こうして、オレとお前が話せているのは?」
 栗田は驚いた顔をした後、視線を落とす。
『…でも…これのせいで僕…嫌われたり、とか…。』
「悪い面ばかりを見るな。…すぐには無理かもしれないが…能力を活用出来る術を探せ。」
『…いいところなんて、この力にあるのかな…。』
「…オレは、初めてお前がオレの心に声をかけてくれた時、とても嬉しかったがな。」
 栗田が聖を見上げると、聖は穏やかに笑んでいた。
 栗田は聖の顔をしばらく見て、響かせた。
『…聖君の能力って、人の能力の解析だよね。』
「ああ。」
『僕の力の事、解ってて近づいてくれたんだよね。』
 栗田は涙が溜まった目を細めて、笑った。
『…嬉しい。』
「…そうか。」
 聖が栗田に笑い返すと、栗田は聖を真っ直ぐに見た。
『…気になる事、あるんだ。』
「何だ?」
『聖君、いつも戦う時「遅い」って言うよね。…僕にだよね?』
 栗田の問いに、聖の顔が若干引き締まった。
「…ああ。お前は行動が遅い。間合いに入られた時にいちいち慌てるからな。相手に目前に迫られてから、何をしようか考えても遅いんだ。」
『…うん。』
 栗田が小さく頷くと、聖はゆっくりと、はっきりとした声で聞かせた。
「…お前は落ち着いて、行動を決めろ。それが出来るようになるまで、盾にはオレがなる。」
『そんな、盾って…!』
 泣きそうな顔で聖を見た栗田に、聖は言った。
「お前が戦う事に慣れたら、オレを助けてくれればいい。だから…。」
 言葉の端を濁した聖に、栗田が疑問符を投げかけると、聖は不安そうに栗田を見て、願った。
「…色々、きつい事も言ったが…オレのパートナーであってくれ。」
『…うん。』
 栗田は深く、頷いてみせた。

「くっ…!」
 聖の目の前には、学園内でも札付きのワル。腕っぷしの強さでも有名な相手に、聖が押され気味になっていた。聖の後方で、栗田が前方の聖の背中を見ながら、懸命に思考している。

 考えろ…考えなきゃ…僕が、僕が出来る事…!

 栗田が手段を思いつかないまま、聖が押されていく。
「っあ!」
 不良の拳が聖を引き倒した。
『聖君…!』
「お前さえのせば…!」
 倒れた聖に、不良の一撃が迫る。瞬間、栗田の頭が真っ白になった。
『やめろおおおおっ!!』
 栗田の心の叫びが、不良の脳内で破裂した。
「ぐあっ! 頭がっ!」
 不良が頭を抑えて動きを止めた。
『え、あいつに、僕の…?』
「勝機!」
 栗田が目を丸くしている間に聖は起き上がり、不良を杖で打ち据えた。
「がっ!」
 不良が衝撃に声を上げて倒れた。聖が栗田に向き直り、声をかける。
「栗田、ありが…。」
『! そいつまだ…!』
 栗田がハッとして送心する。不良が小さなナイフを手に起き上がろうとしたのを、聖の杖が再び打った。
「ごっ!」
 不良が完全に気絶する。
「…見誤った。これで完全に落ちたか。」
 聖は顔を強ばらせて立っている栗田の元に歩み寄り、静かに語りかける。
「…栗田、ありがとう。助かった。」
『…助かった…?』
「お前がオレを助けてくれた。」
 聖の言葉を栗田はゆっくりと理解していく。言葉の意味を理解した時、栗田の目から涙がこぼれ出た。
「! 栗田…。」
『…僕、聖君の、役に立て…て…っう…く…。』
 しゃくり上げる栗田に、聖は笑んで言った。
「…これからも、どうか、助けてくれ。」
『…うん…!』
 泣きながら、栗田は何度も頷いた。

 数日後。
「先輩から、そろそろ愛称を決めてもいいんじゃないかと言われたが…。」
 部屋で聖が切り出した話題に、栗田は控えめに笑んだ。
『…決めてあったんだけど…聖君の愛称。』
「何だ? 教えてくれ。」
『…セーラ。僕…セーラって呼びたい。』
 栗田がそっと伝えた愛称に、聖…「セーラ」は頷いた。
「…そうか。」
『いい、かな…? 聖君の、名前から…だけど…。』
 栗田のぎこちない確認の問いかけに、セーラは再び頷く。
「ああ。ではオレからも決めていいか?」
『…うん。』
 問いに栗田が頷いたのを確認し、セーラは静かに口にした。
「リタ。リタと呼ばせてくれ。」
『…うん。』
 栗田…「リタ」は小さく笑って、深く頷いた。セーラが苦笑する。
「どちらも本名を元にか。芸が無いが、この位が丁度いい。」
『そうだね…。えっと…言いたい事、あったんだ…。』
「何だ?」
 セーラが聞く体勢を作ると、リタは居住まいを正し、セーラを真っ直ぐに見て、言葉を響かせた。
『…僕達、これからも色々あると思うけど…パートナーでいてください。』
 セーラが僅かに驚きの表情を見せる。リタは一生懸命続けた。
『僕…セーラがいないと戦えないけど、せめて、セーラと一緒に戦えるように、頑張るから。だから…よろしくお願いします。』
 リタはセーラに深く一礼した。
「そうか…。」
 セーラは呟くと、リタを真っ直ぐに見返した。
「ならばオレも、リタに頼ってばかりはいられない。お前に頼らずとも強くあることが出来るように、精進しなければいけないな。」
 セーラの言葉に、リタの顔が綻んだ。
『セーラも、頑張るんだね。僕も、頑張る。』
「ああ。共に、強くなろう。」
 セーラはリタに、強く頷いて見せた。

 生徒会室で一人、目を閉じていた琴織従理が目を開ける。心底ホッとしたような顔をして、呟いた。
「…やっと、始まるんだな…。セーラ、リタ。…学園始末屋。」
 まだ他の生徒に知られていない愛称を琴織は口にし、笑みを浮かべた。

 To Be Continued
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