第三十四話 全ての始まり編 dreamcatcher
ここは都庁。この小さな「世界」を治める場所であり、別の場所との境界。
「…火節、行水。私はそれでも、むやみやたらに殺したくはないの。」
「あいつらはこの世界を壊そうとしているのよ! この世界を守らなければ、私達は!」
「小雨。あの世界で受けた仕打ちを、貴方は忘れてしまっているのです。あいつらはこの世界に仇なすモノでしかない。それを殺す事に、何をためらうのですか?」
冷たいコンクリートで作られた仄暗い部屋で、三人の女性が二対一で対峙し、口論している。口論は平行線を辿り、両者共に譲らない。
「殺してばかりいれば、あの世界の人間達とまるで同じなのよ!! 貴方達は、貴方達を傷つけた人間達と同じになりたいの!?」
「あの世界の奴らが、ここを壊そうとするのを黙って見てろと!? あいつらからこの世界を守る為に、あらゆる手を尽くして何が悪いのよ!!」
「私達は貴方とは違います! 平和ボケした貴方とは! あの人間達から受けた痛みを、私達は決して忘れません!!」
「忘れない事に何の意味があるの!? …貴方達が、辛いだけだわ…。」
小雨と呼ばれている一人の女性が、顔を泣きそうに歪ませた。二人の女性は氷のような冷たさを持って、小雨の表情を見た。
火節と呼ばれた女が口を開く。
「…小雨。こっちに来て。行水、晶はいるわよね?」
「ええ。」
もう一人の女…行水は冷たい声で答えた。
薄暗く広い部屋に、彼女達の腰くらいの高さだろうか、小さな黒い石塔があった。
石塔を囲んで火節、行水、小雨…同じ年頃の男性二人が立っている。
「小雨、これに手を触れて。」
火節の言うまま、小雨が黙って石塔に手を触れると、行水は男の一人に視線を向けた。
「晶。小雨の能力をこれに写してください。」
行水の言葉に、男二人の目は戸惑いに揺れた。
小雨は全て悟ったように、微かに笑んだ。男の一人を真っ直ぐに見る。
「…やってください。晶。」
小雨の眼差しを受け、男はぎこちなく、黒い石塔に触れる小雨の手に、自分の手を重ねた。男の手が青い光を放つ。
やがて、光は消えた。
「…写った、か…?」
もう一人の男が晶と呼ばれた男に問うと、彼は黙って頷いた。
火節と行水は踵を返し、部屋の出口に向かう。歩きながら火節は言い放った。
「じゃあね、小雨。…もういいわ。」
背筋が凍るような声に、二人の男も火節と行水の意図を察した。男達が口を開こうとした時、小雨は火節と行水の背中に声をかけた。
「…そう。火節、行水。…愛してるわ。」
とても深く、暖かい声で。
火節と行水は振り返る事無く、部屋を出て行った。
それからまもなく小雨は、自身がまとめていた人間達によって、命を奪われた。
六年程の歳月が流れた。
二人の男は黒い石塔の部屋にいた。
小雨と最後に相見えた日から、この部屋の石塔は増え続けている。
この世界の人間達から墓標と呼ばれている石塔には、存在を否定され、粛清された人間達の能力が写されている。
男の一人…晶は小さな声を発した。
「…増えて、しまったな…あまりにも。…裕一。」
「こんな事になるなんて、あの頃は思いもつかなかった。…そうだろう、晶。」
部屋の一番奥にある一番古い石塔を前に、裕一と呼ばれた男が語る。
「小雨。オレ達もそっちへ行く事になった。」
「…あの頃は、よかったな。…ほんのちょっとの間だった…。」
晶は深い声で呟いた。
ある廃墟…打ち捨てられた街に、二人の少年がふらふらと歩いて来た。一人は黒い無造作な髪に、青い瞳。もう一人は白い長髪に、赤い瞳を持っていた。
二人はボロボロの身体を引きずり、おぼつかない足取りで廃墟に入った。
「誰!」
突然声が響き、少年達はぼんやりと見る。視線の先に、茶髪に緑色の瞳の小さな少女がいた。
「誰! 用が無いなら帰って! さもないと…。」
少女の言葉の途中で少年達は意識を失い、倒れた。少女は慌てて、壊れた建物内に向かって叫んだ。
「火節!! 行水!!」
星空の下、小さな火の明かりを前に、二人の少年と三人の少女は話をしていた。
「…そうか…貴方達も、能力があるから…。」
五人の少年少女達には、周りの大人達には無かった特殊な能力があった。その為に周囲から酷く迫害され、皆命からがら逃れて来ていた。
先程の小柄な少女が、ぽつりと口にした。
「…何で、こんな力、あるのかな…。こんな力あるから…お父さんも、お母さんも…!」
長く蒼い髪を持った少女が、小さな少女の震える肩をそっと抱いた。
黒い髪の少年が、小さな声で話す。
「…知っているか? …オレ達の他にもこんな、能力を持った奴らがいる事…。」
「…知ってるわ。大体皆、いい思いしてないみたい。」
紅い髪を肩まで伸ばした少女が返事をした。
「大人達に暴力振るわれた挙げ句追い出されたり、私と行水は大人同士の喧嘩に、力を利用されてた。小雨は大人達に捕まってて…。」
紅い少女はそこまで言い、言葉を切った。
「お前達、能力は…。」
白髪の少年が、それぞれを見る。辛そうに顔を歪ませる。
「…解るんですか?」
蒼い長髪の少女が問うと、白髪の少年は心の痛みに歪んだ顔のまま、頷いた。黒い少年が小さな声で話した。
「…オレ達は、何とか出て来れたけど…途中で死んだ奴もいた…これから、どうすればいいんだろう…。」
白の少年が少女達に問う。
「ここには誰もいないのか?」
「私達もここに辿り着いたばかりですけど…私達以外には、誰もいないみたいです…。」
蒼い少女が答えると紅の少女が、不意に呟いた。
「誰もいない、か…。ここになら、私達住めるかな。」
「え…?」
小柄な少女が目を丸くした。
「だから、ここになら私達、いてもいいんじゃないかな。ここ誰もいないみたいだし、誰も用無いみたいだし。」
紅い髪の少女は、紅い瞳で廃墟を見回した。黒い髪の少年が深い声で呟く。
「…ここになら、か…。」
「…そんなこと、私達に出来るのかな…。」
小柄な少女がぽつりと弱い声を出すと、紅い髪の少女ははっきりと発言した。
「…出来るかじゃなくて、やらなきゃ。大人達は能力なんて無いから、私達の気持ちは解らない。だったら私達が自分でやらなきゃ。」
紅い少女の言葉に、残りの四人は顔を上げた。皆瞳にどこか強い光を宿していた。
白い髪の少年は四人の顔を見回した。
「そう言えば、名前聞いてなかったな。お前達、名前は? オレは美良裕一。」
「私は、江利井火節。」
「私は来螺行水です。」
「…有澤晶。」
「…倉狩、小雨…。」
紅い少女、蒼い長髪の少女、黒い頭の少年、小さな少女の順で返した。
五人は顔を見合わせ、頷き合った。
思いは一つになっていた。
新しい、自分達が幸せに暮らせる場所を作ろう。
能力を持たない大人になんて、頼っていられない。
私達だって、自分達で生きて、幸せになる事を考えなきゃ!
能力者が幸せになれる場所を作ることを目指し、五人の少年少女達、火節、行水、小雨、晶、裕一は廃墟の街で行動を開始した。
能力を持っているとはいえ、何もかもが壊れている場所は、暮らすことも一苦労だった。
それでも五人の間には、笑顔が絶えなかった。
火節が壊れた建物の一つを覗き込む。
「ちょっと晶! 何やってるの…って、あ、新しいの作ってるんだ!」
火節が明るい声を上げると、晶は作っていたものを差し出す。
「…火節、こんな道具、欲しいって言ってただろう? …ほら。」
行水が感心した声を出した。
「わあ! 晶すごいです! もう作っちゃったんですか?」
「皆! ご飯出来たよ! そろそろ休憩にしよう!」
小雨が皆を呼びに来た。裕一が嬉しそうに問う。
「やった。小雨、今日の飯何?」
「芋ご飯よ、明日も明後日も!」
小雨の返しに、裕一は苦笑した。
「明日も明後日も、か…。」
火節が腰に手を当て、裕一に言った。
「何言ってんの! 明日と明後日はそうかもしれないけど、いつまでもそんなんじゃいられないわよ!」
「そうですよ。…いつかこの街を豊かにする為に、今は我慢ですよ、裕一。」
行水が諭すように話すと、裕一は笑顔を見せた。
「…そうだな!」
彼ら五人の元には、沢山の能力者達が集まった。
彼らも皆、能力を持っているが故に迫害された子供達だった。
人数が増えてくるとくじけそうになる者、争いのタネをばらまこうとする者、様々な者達がいた。
火節と行水はいつも、様々な子供達をこの言葉で一つにしていた。
新しい、自分達が幸せに暮らせる場所を作ろう。
能力を持たない大人になんて、頼っていられない。
私達だって、自分達で生きて、幸せになる事を考えなきゃ!
仄暗い墓標の部屋で、晶は静かに問うた。
「…裕一、覚えているか? あの頃火節と行水が言っていた、皆を励ます言葉…。」
「覚えてる。…夢が叶って、あの言葉が聞かれなくなった時からだったな。火節と行水の中に鬼が棲み始めたのは…。」
裕一は頷き、思い返すように僅か、目を閉じた。
少年少女達の努力が実り、廃墟も大方整備され、この世界が形を成してきた頃。
皆で明かりを囲み、談笑していた時、ある一人がぽつりと言った。
「…向こうの世界は、今どうなってるんだろうな…。」
瞬間、火節と行水の目の色が変わった。
皆が驚いた時には、火節は思い切りその一人を殴りつけていた。倒れた一人に、更に殴る蹴るの暴行を加える。
いつもは火節を諌める役である筈の行水は止めることもせず、一人が暴行される様を冷徹に眺めていた。
ひとしきり殴り、蹴って、火節は言い捨てた。
「そんなこと、考える必要ないのよ!!」
火節と行水は部屋を出て行く。
「お前が悪いんだ…。」
「向こうの世界なんて気にするから…。」
「そんな事、考えなくたっていいんだから…。」
二人が出て行った後、暴行された一人は周りから口々に声をかけられていた。
その頃は向こうの世界に対する反発も根強かった為、この出来事をあまり気に留める者はいなかった。
裕一は続けて思い返す。
「火節と行水はなまじ中心だったからな。鬼も恐ろしいまでの力を持ってしまった。」
時を経た今となっては、向こうの世界に興味を持ったと判断されただけで、人間は殺される事になってしまった。
皆が幸せになる世界。それを目指していた筈だった。
だが、世界を作ってからは変わってしまった。
…誰かが死に続ける事で、やっと永らえている…そんな世界に。
火節、行水と志を共にしていた晶と裕一も、死ぬ人間とされた。
墓標の前で裕一は苦笑する。
「真無の奴、悲しむだろうな…。輝夜も傷つくだろうな…。オレ達に懐いてくれてたから…。」
「…あいつらは…オレ達の息子達は…この世界を壊すだろうか。壊さないだろうか…。奴ら次第だが…。」
晶は呟いた後、しばし黙ると、またゆっくりと言葉を発した。
「…火節と行水は…全てが終わった時、どう思うのか…。」
「心配、だな。」
裕一は重く頷いた。
まだ五人で、世界を作り始めたばかりの頃。
「…やる。」
「…何これ。」
晶が火節に渡したのは、どこかで見繕った小さな輪っかの中に、またどこかで見つけて来た白い紐を蜘蛛の巣の様に張ったモノだった。
火節が不思議そうに見ていると、晶は言った。
「…どこかのお守りだそうだ。作ってみた。」
「お守り?」
「…お前、うなされてるから。寝てる時。」
事実だった。様々な過去の情景、未来への不安、それらを火節は悪夢として見ていた。火節が俯いて黙ると、晶は渡したモノを差し、話した。
「…悪い夢を遠ざけて、良い夢を見せてくれる…お守りだ。」
「…ありがとう。」
火節は少し顔を赤らめて、晶にぶっきらぼうな礼を言った。
「火節も行水、連日悪夢見てるんだろ? あの頃みたいに。」
「…そうだな。」
裕一と晶が話していると、不意にこつ、と足音が聞こえた。
晶と裕一が振り返ると、火節と行水がいた。恐ろしく冷たい目をした二人が。
火節と行水は二つの小さな黒い石塔を指し示す。新しい二人の墓標だった。
「…それに、能力を写してしまって。」
「…ああ。」
火節の言葉に、二人は頷いた。
晶はまず一つの石塔に、裕一の能力を写す。ついでもう一つの塔に自分自身の能力を写した。
見届けると、火節と行水は部屋のドアに向かって歩いていった。晶と裕一はその場に立ったままだった。
裕一、晶の順で、二人の背中に向かって口を開いた。
「真無と輝夜に。晶良と裕治に。…そして、火節と行水に。」
「…幸せになれ。」
火節と行水は振り返る事無く、部屋を出て行った。
それからまもなく、裕一は能力の流れを感じ取る。懐かしい、能力の流れ。
今は亡き小雨の能力「生命活動停止」の力が、晶と裕一の命を奪おうとしている。
意識が薄れ行く中、彼ら二人が思った事は、やはり。
「愛している。幸せになれ。」
学園都市内の総合病院。
個室のベッドの上に座り、火節はぼんやりとしている。
彼女達が作り、守り続けた世界は、先日終わりを告げた。
火節の目には、何も無かった。空っぽの瞳で白い空間を見つめている。
「失礼します。」
外から声が聞こえ、戸が静かに開いた。火節の世話を担当している看護師が、食事を持って訪れたのだ。
「食事の時間ですよ。…後、これを貴方に届けて欲しいと言われました。」
火節が渡されたのは一冊のアルバムだった。
看護師が出て行った後、火節は膝の上にあるアルバムを見下ろす。表紙にはメモ書きが付けられていた。
『職員室で見つけた。オレ達はいらないからやる。
晶良 裕治』
息子達からのメッセージを見た後、火節は空っぽの瞳でアルバムを開いた。
アルバムに入っていた沢山の写真。写っていたのは全て、世界を作ろうと懸命に生きていた頃の彼女達だった。
皆、火節達を囲み、希望に満ちた瞳をしていた。
ゆっくりとアルバムのページをめくる、火節の瞳が震え始める。手も震えていた。
アルバムの最後にあったのは、若き日の火節、行水、小雨、晶、裕一で写っていた写真だった。
世界を作るという決意をした時の、皆笑顔で写っている一枚。
…ふと火節は、アルバムの背に何かが引っかかっているのに気付いた。火節はそれにゆっくりと手を伸ばす。火節が触れる前にそれは床に落ち、壊れた。
…バラバラになったそれは、晶が火節に贈ったお守りだった。
壊れたお守りを見た瞬間、火節の胸の内に、濁流の様に沢山のモノが流れ込んで来た。
新しい、自分達が幸せに暮らせる場所を作ろう。
能力を持たない大人になんて、頼っていられない。
私達だって、自分達で生きて、幸せになる事を考えなきゃ!
それだけを願い、世界を作った。
そして、その世界を守ろうとした。
…いつしか自分には、その世界しか見えなくなっていた。
少し前は見ても聞いても何とも思わなかった、沢山の光景が胸の中に流れ込む。
自分が初めて痛めつけた人間の、驚きと恐怖に震える瞳。
自分達が反乱分子と決めつけた人間達の、全てを諦めたような表情。
慕っていた人間を殺された、真無と輝夜の痛みと悲しみの涙。
自分達の息子達が傷つけ合い、殺し合い、心の痛みに涙を流す姿。
…かつて自分達と志を共にし、自分達が殺した三人が遺した言葉。
『愛してるわ。』
『幸せになれ。』
火節の唇が震える。出て来るのは空気だけ。声も出て来ない。火節の顔はぐしゃぐしゃになった。瞳からは涙が後から後から流れ落ちていた。
病室のドアが開いた。
泣きながら火節が顔を上げると、行水がいた。行水も涙でぐしゃぐしゃになった顔をしていた。
二人は病室で泣いた。ただ泣き続けた。
数日後。
六人部屋に移った火節は行水と共に、自分達の世話をしているカグヤに言った。
「…お願いが、あるの。」
カグヤが黙って話を聞く体勢を作ると、行水と火節はおずおずと話した。
「…見送りに、行きたいんです。」
「付き添って、くれる…?」
「…火節、行水。私はそれでも、むやみやたらに殺したくはないの。」
「あいつらはこの世界を壊そうとしているのよ! この世界を守らなければ、私達は!」
「小雨。あの世界で受けた仕打ちを、貴方は忘れてしまっているのです。あいつらはこの世界に仇なすモノでしかない。それを殺す事に、何をためらうのですか?」
冷たいコンクリートで作られた仄暗い部屋で、三人の女性が二対一で対峙し、口論している。口論は平行線を辿り、両者共に譲らない。
「殺してばかりいれば、あの世界の人間達とまるで同じなのよ!! 貴方達は、貴方達を傷つけた人間達と同じになりたいの!?」
「あの世界の奴らが、ここを壊そうとするのを黙って見てろと!? あいつらからこの世界を守る為に、あらゆる手を尽くして何が悪いのよ!!」
「私達は貴方とは違います! 平和ボケした貴方とは! あの人間達から受けた痛みを、私達は決して忘れません!!」
「忘れない事に何の意味があるの!? …貴方達が、辛いだけだわ…。」
小雨と呼ばれている一人の女性が、顔を泣きそうに歪ませた。二人の女性は氷のような冷たさを持って、小雨の表情を見た。
火節と呼ばれた女が口を開く。
「…小雨。こっちに来て。行水、晶はいるわよね?」
「ええ。」
もう一人の女…行水は冷たい声で答えた。
薄暗く広い部屋に、彼女達の腰くらいの高さだろうか、小さな黒い石塔があった。
石塔を囲んで火節、行水、小雨…同じ年頃の男性二人が立っている。
「小雨、これに手を触れて。」
火節の言うまま、小雨が黙って石塔に手を触れると、行水は男の一人に視線を向けた。
「晶。小雨の能力をこれに写してください。」
行水の言葉に、男二人の目は戸惑いに揺れた。
小雨は全て悟ったように、微かに笑んだ。男の一人を真っ直ぐに見る。
「…やってください。晶。」
小雨の眼差しを受け、男はぎこちなく、黒い石塔に触れる小雨の手に、自分の手を重ねた。男の手が青い光を放つ。
やがて、光は消えた。
「…写った、か…?」
もう一人の男が晶と呼ばれた男に問うと、彼は黙って頷いた。
火節と行水は踵を返し、部屋の出口に向かう。歩きながら火節は言い放った。
「じゃあね、小雨。…もういいわ。」
背筋が凍るような声に、二人の男も火節と行水の意図を察した。男達が口を開こうとした時、小雨は火節と行水の背中に声をかけた。
「…そう。火節、行水。…愛してるわ。」
とても深く、暖かい声で。
火節と行水は振り返る事無く、部屋を出て行った。
それからまもなく小雨は、自身がまとめていた人間達によって、命を奪われた。
六年程の歳月が流れた。
二人の男は黒い石塔の部屋にいた。
小雨と最後に相見えた日から、この部屋の石塔は増え続けている。
この世界の人間達から墓標と呼ばれている石塔には、存在を否定され、粛清された人間達の能力が写されている。
男の一人…晶は小さな声を発した。
「…増えて、しまったな…あまりにも。…裕一。」
「こんな事になるなんて、あの頃は思いもつかなかった。…そうだろう、晶。」
部屋の一番奥にある一番古い石塔を前に、裕一と呼ばれた男が語る。
「小雨。オレ達もそっちへ行く事になった。」
「…あの頃は、よかったな。…ほんのちょっとの間だった…。」
晶は深い声で呟いた。
ある廃墟…打ち捨てられた街に、二人の少年がふらふらと歩いて来た。一人は黒い無造作な髪に、青い瞳。もう一人は白い長髪に、赤い瞳を持っていた。
二人はボロボロの身体を引きずり、おぼつかない足取りで廃墟に入った。
「誰!」
突然声が響き、少年達はぼんやりと見る。視線の先に、茶髪に緑色の瞳の小さな少女がいた。
「誰! 用が無いなら帰って! さもないと…。」
少女の言葉の途中で少年達は意識を失い、倒れた。少女は慌てて、壊れた建物内に向かって叫んだ。
「火節!! 行水!!」
星空の下、小さな火の明かりを前に、二人の少年と三人の少女は話をしていた。
「…そうか…貴方達も、能力があるから…。」
五人の少年少女達には、周りの大人達には無かった特殊な能力があった。その為に周囲から酷く迫害され、皆命からがら逃れて来ていた。
先程の小柄な少女が、ぽつりと口にした。
「…何で、こんな力、あるのかな…。こんな力あるから…お父さんも、お母さんも…!」
長く蒼い髪を持った少女が、小さな少女の震える肩をそっと抱いた。
黒い髪の少年が、小さな声で話す。
「…知っているか? …オレ達の他にもこんな、能力を持った奴らがいる事…。」
「…知ってるわ。大体皆、いい思いしてないみたい。」
紅い髪を肩まで伸ばした少女が返事をした。
「大人達に暴力振るわれた挙げ句追い出されたり、私と行水は大人同士の喧嘩に、力を利用されてた。小雨は大人達に捕まってて…。」
紅い少女はそこまで言い、言葉を切った。
「お前達、能力は…。」
白髪の少年が、それぞれを見る。辛そうに顔を歪ませる。
「…解るんですか?」
蒼い長髪の少女が問うと、白髪の少年は心の痛みに歪んだ顔のまま、頷いた。黒い少年が小さな声で話した。
「…オレ達は、何とか出て来れたけど…途中で死んだ奴もいた…これから、どうすればいいんだろう…。」
白の少年が少女達に問う。
「ここには誰もいないのか?」
「私達もここに辿り着いたばかりですけど…私達以外には、誰もいないみたいです…。」
蒼い少女が答えると紅の少女が、不意に呟いた。
「誰もいない、か…。ここになら、私達住めるかな。」
「え…?」
小柄な少女が目を丸くした。
「だから、ここになら私達、いてもいいんじゃないかな。ここ誰もいないみたいだし、誰も用無いみたいだし。」
紅い髪の少女は、紅い瞳で廃墟を見回した。黒い髪の少年が深い声で呟く。
「…ここになら、か…。」
「…そんなこと、私達に出来るのかな…。」
小柄な少女がぽつりと弱い声を出すと、紅い髪の少女ははっきりと発言した。
「…出来るかじゃなくて、やらなきゃ。大人達は能力なんて無いから、私達の気持ちは解らない。だったら私達が自分でやらなきゃ。」
紅い少女の言葉に、残りの四人は顔を上げた。皆瞳にどこか強い光を宿していた。
白い髪の少年は四人の顔を見回した。
「そう言えば、名前聞いてなかったな。お前達、名前は? オレは美良裕一。」
「私は、江利井火節。」
「私は来螺行水です。」
「…有澤晶。」
「…倉狩、小雨…。」
紅い少女、蒼い長髪の少女、黒い頭の少年、小さな少女の順で返した。
五人は顔を見合わせ、頷き合った。
思いは一つになっていた。
新しい、自分達が幸せに暮らせる場所を作ろう。
能力を持たない大人になんて、頼っていられない。
私達だって、自分達で生きて、幸せになる事を考えなきゃ!
能力者が幸せになれる場所を作ることを目指し、五人の少年少女達、火節、行水、小雨、晶、裕一は廃墟の街で行動を開始した。
能力を持っているとはいえ、何もかもが壊れている場所は、暮らすことも一苦労だった。
それでも五人の間には、笑顔が絶えなかった。
火節が壊れた建物の一つを覗き込む。
「ちょっと晶! 何やってるの…って、あ、新しいの作ってるんだ!」
火節が明るい声を上げると、晶は作っていたものを差し出す。
「…火節、こんな道具、欲しいって言ってただろう? …ほら。」
行水が感心した声を出した。
「わあ! 晶すごいです! もう作っちゃったんですか?」
「皆! ご飯出来たよ! そろそろ休憩にしよう!」
小雨が皆を呼びに来た。裕一が嬉しそうに問う。
「やった。小雨、今日の飯何?」
「芋ご飯よ、明日も明後日も!」
小雨の返しに、裕一は苦笑した。
「明日も明後日も、か…。」
火節が腰に手を当て、裕一に言った。
「何言ってんの! 明日と明後日はそうかもしれないけど、いつまでもそんなんじゃいられないわよ!」
「そうですよ。…いつかこの街を豊かにする為に、今は我慢ですよ、裕一。」
行水が諭すように話すと、裕一は笑顔を見せた。
「…そうだな!」
彼ら五人の元には、沢山の能力者達が集まった。
彼らも皆、能力を持っているが故に迫害された子供達だった。
人数が増えてくるとくじけそうになる者、争いのタネをばらまこうとする者、様々な者達がいた。
火節と行水はいつも、様々な子供達をこの言葉で一つにしていた。
新しい、自分達が幸せに暮らせる場所を作ろう。
能力を持たない大人になんて、頼っていられない。
私達だって、自分達で生きて、幸せになる事を考えなきゃ!
仄暗い墓標の部屋で、晶は静かに問うた。
「…裕一、覚えているか? あの頃火節と行水が言っていた、皆を励ます言葉…。」
「覚えてる。…夢が叶って、あの言葉が聞かれなくなった時からだったな。火節と行水の中に鬼が棲み始めたのは…。」
裕一は頷き、思い返すように僅か、目を閉じた。
少年少女達の努力が実り、廃墟も大方整備され、この世界が形を成してきた頃。
皆で明かりを囲み、談笑していた時、ある一人がぽつりと言った。
「…向こうの世界は、今どうなってるんだろうな…。」
瞬間、火節と行水の目の色が変わった。
皆が驚いた時には、火節は思い切りその一人を殴りつけていた。倒れた一人に、更に殴る蹴るの暴行を加える。
いつもは火節を諌める役である筈の行水は止めることもせず、一人が暴行される様を冷徹に眺めていた。
ひとしきり殴り、蹴って、火節は言い捨てた。
「そんなこと、考える必要ないのよ!!」
火節と行水は部屋を出て行く。
「お前が悪いんだ…。」
「向こうの世界なんて気にするから…。」
「そんな事、考えなくたっていいんだから…。」
二人が出て行った後、暴行された一人は周りから口々に声をかけられていた。
その頃は向こうの世界に対する反発も根強かった為、この出来事をあまり気に留める者はいなかった。
裕一は続けて思い返す。
「火節と行水はなまじ中心だったからな。鬼も恐ろしいまでの力を持ってしまった。」
時を経た今となっては、向こうの世界に興味を持ったと判断されただけで、人間は殺される事になってしまった。
皆が幸せになる世界。それを目指していた筈だった。
だが、世界を作ってからは変わってしまった。
…誰かが死に続ける事で、やっと永らえている…そんな世界に。
火節、行水と志を共にしていた晶と裕一も、死ぬ人間とされた。
墓標の前で裕一は苦笑する。
「真無の奴、悲しむだろうな…。輝夜も傷つくだろうな…。オレ達に懐いてくれてたから…。」
「…あいつらは…オレ達の息子達は…この世界を壊すだろうか。壊さないだろうか…。奴ら次第だが…。」
晶は呟いた後、しばし黙ると、またゆっくりと言葉を発した。
「…火節と行水は…全てが終わった時、どう思うのか…。」
「心配、だな。」
裕一は重く頷いた。
まだ五人で、世界を作り始めたばかりの頃。
「…やる。」
「…何これ。」
晶が火節に渡したのは、どこかで見繕った小さな輪っかの中に、またどこかで見つけて来た白い紐を蜘蛛の巣の様に張ったモノだった。
火節が不思議そうに見ていると、晶は言った。
「…どこかのお守りだそうだ。作ってみた。」
「お守り?」
「…お前、うなされてるから。寝てる時。」
事実だった。様々な過去の情景、未来への不安、それらを火節は悪夢として見ていた。火節が俯いて黙ると、晶は渡したモノを差し、話した。
「…悪い夢を遠ざけて、良い夢を見せてくれる…お守りだ。」
「…ありがとう。」
火節は少し顔を赤らめて、晶にぶっきらぼうな礼を言った。
「火節も行水、連日悪夢見てるんだろ? あの頃みたいに。」
「…そうだな。」
裕一と晶が話していると、不意にこつ、と足音が聞こえた。
晶と裕一が振り返ると、火節と行水がいた。恐ろしく冷たい目をした二人が。
火節と行水は二つの小さな黒い石塔を指し示す。新しい二人の墓標だった。
「…それに、能力を写してしまって。」
「…ああ。」
火節の言葉に、二人は頷いた。
晶はまず一つの石塔に、裕一の能力を写す。ついでもう一つの塔に自分自身の能力を写した。
見届けると、火節と行水は部屋のドアに向かって歩いていった。晶と裕一はその場に立ったままだった。
裕一、晶の順で、二人の背中に向かって口を開いた。
「真無と輝夜に。晶良と裕治に。…そして、火節と行水に。」
「…幸せになれ。」
火節と行水は振り返る事無く、部屋を出て行った。
それからまもなく、裕一は能力の流れを感じ取る。懐かしい、能力の流れ。
今は亡き小雨の能力「生命活動停止」の力が、晶と裕一の命を奪おうとしている。
意識が薄れ行く中、彼ら二人が思った事は、やはり。
「愛している。幸せになれ。」
学園都市内の総合病院。
個室のベッドの上に座り、火節はぼんやりとしている。
彼女達が作り、守り続けた世界は、先日終わりを告げた。
火節の目には、何も無かった。空っぽの瞳で白い空間を見つめている。
「失礼します。」
外から声が聞こえ、戸が静かに開いた。火節の世話を担当している看護師が、食事を持って訪れたのだ。
「食事の時間ですよ。…後、これを貴方に届けて欲しいと言われました。」
火節が渡されたのは一冊のアルバムだった。
看護師が出て行った後、火節は膝の上にあるアルバムを見下ろす。表紙にはメモ書きが付けられていた。
『職員室で見つけた。オレ達はいらないからやる。
晶良 裕治』
息子達からのメッセージを見た後、火節は空っぽの瞳でアルバムを開いた。
アルバムに入っていた沢山の写真。写っていたのは全て、世界を作ろうと懸命に生きていた頃の彼女達だった。
皆、火節達を囲み、希望に満ちた瞳をしていた。
ゆっくりとアルバムのページをめくる、火節の瞳が震え始める。手も震えていた。
アルバムの最後にあったのは、若き日の火節、行水、小雨、晶、裕一で写っていた写真だった。
世界を作るという決意をした時の、皆笑顔で写っている一枚。
…ふと火節は、アルバムの背に何かが引っかかっているのに気付いた。火節はそれにゆっくりと手を伸ばす。火節が触れる前にそれは床に落ち、壊れた。
…バラバラになったそれは、晶が火節に贈ったお守りだった。
壊れたお守りを見た瞬間、火節の胸の内に、濁流の様に沢山のモノが流れ込んで来た。
新しい、自分達が幸せに暮らせる場所を作ろう。
能力を持たない大人になんて、頼っていられない。
私達だって、自分達で生きて、幸せになる事を考えなきゃ!
それだけを願い、世界を作った。
そして、その世界を守ろうとした。
…いつしか自分には、その世界しか見えなくなっていた。
少し前は見ても聞いても何とも思わなかった、沢山の光景が胸の中に流れ込む。
自分が初めて痛めつけた人間の、驚きと恐怖に震える瞳。
自分達が反乱分子と決めつけた人間達の、全てを諦めたような表情。
慕っていた人間を殺された、真無と輝夜の痛みと悲しみの涙。
自分達の息子達が傷つけ合い、殺し合い、心の痛みに涙を流す姿。
…かつて自分達と志を共にし、自分達が殺した三人が遺した言葉。
『愛してるわ。』
『幸せになれ。』
火節の唇が震える。出て来るのは空気だけ。声も出て来ない。火節の顔はぐしゃぐしゃになった。瞳からは涙が後から後から流れ落ちていた。
病室のドアが開いた。
泣きながら火節が顔を上げると、行水がいた。行水も涙でぐしゃぐしゃになった顔をしていた。
二人は病室で泣いた。ただ泣き続けた。
数日後。
六人部屋に移った火節は行水と共に、自分達の世話をしているカグヤに言った。
「…お願いが、あるの。」
カグヤが黙って話を聞く体勢を作ると、行水と火節はおずおずと話した。
「…見送りに、行きたいんです。」
「付き添って、くれる…?」