第三十二話 都庁過去編一 共有
…これは都庁防衛システム、カグヤとマナが少し幼かった頃の記憶。
「退屈なもんだな。」
コンクリートで出来た仄暗い小さな部屋の中で、真無は独りごち、ため息を吐いた。
前を見ると大きな扉がある。分厚い鉄で作られた扉。真無の力では鍵無しで開ける事は叶わない。
「退屈なもんだな。…あいつもあの頃、こんな気分だったのか…。」
呟いた時、重い扉が錆びた音を立てて開いた。
入って来たのは、真無が今言った「あいつ」であり、真無がただ一人「兄弟」と認める少年。
その少年…輝夜は淡々と口にした。
「…もう、出ても、いい、って。」
輝夜の手を見て、真無はひゅ、と息を飲んだ。
「…真無。」
輝夜の目の前に立つ真無は、返り血を浴びていた。
輝夜が真無に向かって手を伸ばすと、遮るように真無は口を開いた。
「待て、今シャワー浴びてくるから。」
真無は足早に、その場を離れた。
輝夜は都庁の一角で、黙って座り込んでいる。
じっと手を見る。先程真無に触れようとした己の手。手は白い。
輝夜は先程の真無の手を思い出す。真無の手は赤かった。血に染まっていた。
輝夜は解っていた。
真無が先程、自分に触れさせなかったのは、この手を血に染めさせない為。
輝夜は知っていた。
本来ならば輝夜も負わなければならない、都庁防衛システムとしての役目。創設者のあの二人が、敵と見なしたモノを殺すこと。
真無が自分にそれをさせたくないが為に、自分の分まで役目をこなしていること。
「何だ、お姫様か。」
舌打ちと共に声が聞こえ、輝夜の思考は中断された。
輝夜が顔を上げると、目の前に自分達と同じく「作られた」人間がいた。
彼は真無と同じく、血に染まった手をしていた。彼はもう一度言った。
「あの人に守られて、仕事もしないお姫様か。」
無表情の輝夜の瞳が、一瞬揺れた。
彼が手を振り上げる。輝夜の頬が切れ、血が流れた。彼は顔を歪めて嗤う。
「眉一つ動かさないか。そりゃそうだよな。自分の仕事あの人にやらせて自分は何もしない、怠けるしか能の無いお姫様だからな。」
輝夜は黙っている。黙って彼を見ている。微かに震える瞳で。
彼は忌々し気に口にする。
「何であの人は、お前なんぞにあそこまで…。なあ、思わないのか? お前。」
彼は輝夜に顔を近づけ、嘲笑してみせる。
「役目を果たさない防衛システムに、意味なんて無いって。お前はあの人の負担にしかなってないって。」
何も言葉を返さない輝夜に、彼は言い放った。
「あの人の負担にならないように、オレが処分してやろうか。」
「真無が、怒る、だけ。」
輝夜は口を開き、はっきりと声にした。
「真無は、輝夜が、大事な、だけ。輝夜も、真無が、大事。それだけ。」
輝夜の言葉を聞き、彼は顔を憎々し気に歪ませた。
「…お前なんかが、何で真無さんに!!」
叫びと共に輝夜の腕に深い切り傷が出来、血が溢れた。
「お前なんかが! 何であんな強い真無さんに守られてるんだ!! あんな完璧に任務をこなす、真無さ…。」
言い募っていた彼は突然激しい熱に襲われ、苦しみに叫び声を上げた。
「ぎゃあああああ!?」
「誰が完璧に任務こなしてるって? 誰が強いって? 決めつけてもらっちゃ困るんだ。」
彼の背後から首根っこを掴んでいたのは、修羅のごとき表情をした真無だった。
真無は彼の身体を思い切り引き倒し、額を踏みつけ、昏く笑った。
「よく見ておけよ、この砂山みたいな世界を。これがお前の最期に見る世界なんだからな。」
彼は驚きと恐怖に怯えながら、やっとの思いで口にする。
「な、なん、で…! オレは、あなたの、尊敬、して、あなたの、為に…。」
「そんな事、オレには関係ないな。」
真無は彼の額を踏みつける足に力を込める。彼の頭蓋骨がギシギシと音を立てる。
「あ、あ…!」
「お前がオレの事をどう思ってるかなんて、関係ない。お前には興味も無いし、オレ個人としての恨みも無い。」
「だ、だった、ら、なん、で…!」
真無は昏い笑みを消し、冷たい眼差しを彼に向けた。
「…お前、輝夜傷つけただろ。」
「…え?」
彼は小さく、掠れた声を上げた。解らないと言うように。真無は彼を冷たく見下ろしたまま、言葉を投げる。
「輝夜に仕事させないのも、オレが好きでやってる事だ。興味無い奴にどうこう言われる筋合いは無い。それに決めてるんだ。」
「うああああ!!」
額の上からの強烈な圧力に、彼の頭蓋骨が激しい痛みを訴える。
真無は冷たい声を彼に投げた。
「輝夜を傷つけた奴は、問答無用で殺すって。」
彼の身体を焼けるような熱が襲う。
「ぎゃあああ、ああ、あ…!」
彼の身体のあちこちが、熱によって崩れ始める。彼はなおも疑問を口にする。
「な、なん、で…。」
「解らない奴だな。…そんな奴に教えてやる義理は無い。」
真無が更に、発熱能力を彼に向けようとした時。
「…ダメ。」
真無の手に、ひやりとしたモノが触れた。
真無が振り返ると、ひやりとしたモノは輝夜の白い手だった。
「…ダメ。」
輝夜は小さな声でもう一度言い、自分の手をかすかに震わせて、真無の手を握った。
真無と彼のこの一件は、禁じられている防衛システムの「私闘」とみなされ、真無は罰として、この仄暗い小さな部屋にしばらく閉じ込められる事になった。幼い頃、能力をコントロール出来なかった輝夜が閉じ込められていた部屋だった。
真無が久方ぶりに見た輝夜の手は、赤く染まっていた。
真無は息を呑んだ後、小さくため息を吐いた。
「…やったのか。」
「…うん。もう、直せない、って。だから、処分、しろ、って。」
つまり輝夜を傷つけ、真無が痛めつけた彼に、輝夜がとどめを刺すよう命じられたという事実。
真無は僅か、泣きそうに顔を歪めた。
「…そうか。とうとう、お前も…。」
輝夜が黙っていると、真無は言った。
「…お前には出来る事なら、ずっとさせたくはなかったんだけどな…。」
「誰が、それ、言った?」
輝夜が発した言葉に、真無はぽかんとして目を見開いた。輝夜は淡々と言葉を続ける。
「輝夜は、言って、ない。殺したくない、って、言って、ない。守られたいって、言って、ない。」
真無は丸い目で輝夜を見ている。輝夜は更に言葉を紡いだ。
「真無が、輝夜、大事なの、解る。輝夜も、真無が、大事、だから、言わなかった、けど。…守られる事、輝夜は、望んで、ない。」
真無は胸を突かれたようにまた息を呑んだ。しばらく黙った後、苦笑した。
「…お前、相当怒ってるだろ。…相当、泣いてるだろ。」
輝夜はいつもと同じ無表情で、黙っている。真無はゆっくりと話し出した。
「あの人達が言った言葉でな、むやみやたらに殺してたら、いずれは自分の世界を滅ぼす…そんなのがあってな。お前にはお前の世界を滅ぼして欲しくなかったし…何よりこんな役目に染まって欲しくなかった。…オレはお前が何より大事だ。お前が傷つく事、傷つけられる事が何より許せない。お前は優しいから、こんな役目をやったら傷つくだろ。だからさせたくなかったけど…。」
真無は改めて、輝夜を見た。輝夜の瞳は微かに震えている。
「…どっちにしても、お前は傷ついてたんだよな。」
真無は輝夜に問うた。
「お前は、オレに何を望む?」
「…真無が、楽しければ、輝夜も、楽しい。真無が、痛ければ、輝夜も、痛い。それが、望み。」
「…共有か?」
輝夜は肯定の意味で黙った。真無はまた苦笑してみせる。
「…痛い事ばかりだぞ。それでもいいか?」
「…今までの、方が、痛かった。」
「…そうか。…悪かった。」
真無は手を伸ばし、輝夜の血に濡れた手を取った。真無の手も血に染まった。輝夜は真無の手を、しっかりと握り返した。
都庁の一角、鉄骨ばかりの打ち捨てられた場所に、一人の人間がいる。この世界に見切りを付けた人間だった。
一人の人間は気配に気付き、振り返った。
「…お前か、真無。輝夜も一緒か。」
「…あんまりやりたくないけど、役目を果たしに来た。」
気配の主、真無が言うと人間は頷いた。
「そうだろうな。…でも、最期まであがかせてくれ、頼む。」
人間は走り出した。真無は傍らのもう一人に声をかける。
「…行くぞ、輝夜。」
「…うん。」
都庁の敵を殺す。その役目を果たすべく、真無と輝夜は思い切り踏み出し、一人の人間を追った。
「退屈なもんだな。」
コンクリートで出来た仄暗い小さな部屋の中で、真無は独りごち、ため息を吐いた。
前を見ると大きな扉がある。分厚い鉄で作られた扉。真無の力では鍵無しで開ける事は叶わない。
「退屈なもんだな。…あいつもあの頃、こんな気分だったのか…。」
呟いた時、重い扉が錆びた音を立てて開いた。
入って来たのは、真無が今言った「あいつ」であり、真無がただ一人「兄弟」と認める少年。
その少年…輝夜は淡々と口にした。
「…もう、出ても、いい、って。」
輝夜の手を見て、真無はひゅ、と息を飲んだ。
「…真無。」
輝夜の目の前に立つ真無は、返り血を浴びていた。
輝夜が真無に向かって手を伸ばすと、遮るように真無は口を開いた。
「待て、今シャワー浴びてくるから。」
真無は足早に、その場を離れた。
輝夜は都庁の一角で、黙って座り込んでいる。
じっと手を見る。先程真無に触れようとした己の手。手は白い。
輝夜は先程の真無の手を思い出す。真無の手は赤かった。血に染まっていた。
輝夜は解っていた。
真無が先程、自分に触れさせなかったのは、この手を血に染めさせない為。
輝夜は知っていた。
本来ならば輝夜も負わなければならない、都庁防衛システムとしての役目。創設者のあの二人が、敵と見なしたモノを殺すこと。
真無が自分にそれをさせたくないが為に、自分の分まで役目をこなしていること。
「何だ、お姫様か。」
舌打ちと共に声が聞こえ、輝夜の思考は中断された。
輝夜が顔を上げると、目の前に自分達と同じく「作られた」人間がいた。
彼は真無と同じく、血に染まった手をしていた。彼はもう一度言った。
「あの人に守られて、仕事もしないお姫様か。」
無表情の輝夜の瞳が、一瞬揺れた。
彼が手を振り上げる。輝夜の頬が切れ、血が流れた。彼は顔を歪めて嗤う。
「眉一つ動かさないか。そりゃそうだよな。自分の仕事あの人にやらせて自分は何もしない、怠けるしか能の無いお姫様だからな。」
輝夜は黙っている。黙って彼を見ている。微かに震える瞳で。
彼は忌々し気に口にする。
「何であの人は、お前なんぞにあそこまで…。なあ、思わないのか? お前。」
彼は輝夜に顔を近づけ、嘲笑してみせる。
「役目を果たさない防衛システムに、意味なんて無いって。お前はあの人の負担にしかなってないって。」
何も言葉を返さない輝夜に、彼は言い放った。
「あの人の負担にならないように、オレが処分してやろうか。」
「真無が、怒る、だけ。」
輝夜は口を開き、はっきりと声にした。
「真無は、輝夜が、大事な、だけ。輝夜も、真無が、大事。それだけ。」
輝夜の言葉を聞き、彼は顔を憎々し気に歪ませた。
「…お前なんかが、何で真無さんに!!」
叫びと共に輝夜の腕に深い切り傷が出来、血が溢れた。
「お前なんかが! 何であんな強い真無さんに守られてるんだ!! あんな完璧に任務をこなす、真無さ…。」
言い募っていた彼は突然激しい熱に襲われ、苦しみに叫び声を上げた。
「ぎゃあああああ!?」
「誰が完璧に任務こなしてるって? 誰が強いって? 決めつけてもらっちゃ困るんだ。」
彼の背後から首根っこを掴んでいたのは、修羅のごとき表情をした真無だった。
真無は彼の身体を思い切り引き倒し、額を踏みつけ、昏く笑った。
「よく見ておけよ、この砂山みたいな世界を。これがお前の最期に見る世界なんだからな。」
彼は驚きと恐怖に怯えながら、やっとの思いで口にする。
「な、なん、で…! オレは、あなたの、尊敬、して、あなたの、為に…。」
「そんな事、オレには関係ないな。」
真無は彼の額を踏みつける足に力を込める。彼の頭蓋骨がギシギシと音を立てる。
「あ、あ…!」
「お前がオレの事をどう思ってるかなんて、関係ない。お前には興味も無いし、オレ個人としての恨みも無い。」
「だ、だった、ら、なん、で…!」
真無は昏い笑みを消し、冷たい眼差しを彼に向けた。
「…お前、輝夜傷つけただろ。」
「…え?」
彼は小さく、掠れた声を上げた。解らないと言うように。真無は彼を冷たく見下ろしたまま、言葉を投げる。
「輝夜に仕事させないのも、オレが好きでやってる事だ。興味無い奴にどうこう言われる筋合いは無い。それに決めてるんだ。」
「うああああ!!」
額の上からの強烈な圧力に、彼の頭蓋骨が激しい痛みを訴える。
真無は冷たい声を彼に投げた。
「輝夜を傷つけた奴は、問答無用で殺すって。」
彼の身体を焼けるような熱が襲う。
「ぎゃあああ、ああ、あ…!」
彼の身体のあちこちが、熱によって崩れ始める。彼はなおも疑問を口にする。
「な、なん、で…。」
「解らない奴だな。…そんな奴に教えてやる義理は無い。」
真無が更に、発熱能力を彼に向けようとした時。
「…ダメ。」
真無の手に、ひやりとしたモノが触れた。
真無が振り返ると、ひやりとしたモノは輝夜の白い手だった。
「…ダメ。」
輝夜は小さな声でもう一度言い、自分の手をかすかに震わせて、真無の手を握った。
真無と彼のこの一件は、禁じられている防衛システムの「私闘」とみなされ、真無は罰として、この仄暗い小さな部屋にしばらく閉じ込められる事になった。幼い頃、能力をコントロール出来なかった輝夜が閉じ込められていた部屋だった。
真無が久方ぶりに見た輝夜の手は、赤く染まっていた。
真無は息を呑んだ後、小さくため息を吐いた。
「…やったのか。」
「…うん。もう、直せない、って。だから、処分、しろ、って。」
つまり輝夜を傷つけ、真無が痛めつけた彼に、輝夜がとどめを刺すよう命じられたという事実。
真無は僅か、泣きそうに顔を歪めた。
「…そうか。とうとう、お前も…。」
輝夜が黙っていると、真無は言った。
「…お前には出来る事なら、ずっとさせたくはなかったんだけどな…。」
「誰が、それ、言った?」
輝夜が発した言葉に、真無はぽかんとして目を見開いた。輝夜は淡々と言葉を続ける。
「輝夜は、言って、ない。殺したくない、って、言って、ない。守られたいって、言って、ない。」
真無は丸い目で輝夜を見ている。輝夜は更に言葉を紡いだ。
「真無が、輝夜、大事なの、解る。輝夜も、真無が、大事、だから、言わなかった、けど。…守られる事、輝夜は、望んで、ない。」
真無は胸を突かれたようにまた息を呑んだ。しばらく黙った後、苦笑した。
「…お前、相当怒ってるだろ。…相当、泣いてるだろ。」
輝夜はいつもと同じ無表情で、黙っている。真無はゆっくりと話し出した。
「あの人達が言った言葉でな、むやみやたらに殺してたら、いずれは自分の世界を滅ぼす…そんなのがあってな。お前にはお前の世界を滅ぼして欲しくなかったし…何よりこんな役目に染まって欲しくなかった。…オレはお前が何より大事だ。お前が傷つく事、傷つけられる事が何より許せない。お前は優しいから、こんな役目をやったら傷つくだろ。だからさせたくなかったけど…。」
真無は改めて、輝夜を見た。輝夜の瞳は微かに震えている。
「…どっちにしても、お前は傷ついてたんだよな。」
真無は輝夜に問うた。
「お前は、オレに何を望む?」
「…真無が、楽しければ、輝夜も、楽しい。真無が、痛ければ、輝夜も、痛い。それが、望み。」
「…共有か?」
輝夜は肯定の意味で黙った。真無はまた苦笑してみせる。
「…痛い事ばかりだぞ。それでもいいか?」
「…今までの、方が、痛かった。」
「…そうか。…悪かった。」
真無は手を伸ばし、輝夜の血に濡れた手を取った。真無の手も血に染まった。輝夜は真無の手を、しっかりと握り返した。
都庁の一角、鉄骨ばかりの打ち捨てられた場所に、一人の人間がいる。この世界に見切りを付けた人間だった。
一人の人間は気配に気付き、振り返った。
「…お前か、真無。輝夜も一緒か。」
「…あんまりやりたくないけど、役目を果たしに来た。」
気配の主、真無が言うと人間は頷いた。
「そうだろうな。…でも、最期まであがかせてくれ、頼む。」
人間は走り出した。真無は傍らのもう一人に声をかける。
「…行くぞ、輝夜。」
「…うん。」
都庁の敵を殺す。その役目を果たすべく、真無と輝夜は思い切り踏み出し、一人の人間を追った。