第二十三話 一〇年前の二月編 神も真実も明かりも無い世界で

 鉄骨とコンクリートで出来た仄暗い片隅で、一人の男が力無く座り込んでいる。
 男の瞳は、ここでは無い世界を見続けている。
「…ここにいたのか。」
 不意に聞こえた声に男が振り返ると、黒い短髪と瞳を持った五、六歳程だろうか、小さな子供がいた。
 妙に大人びた小さな子供に、男は弱く笑んで見せた。
「お前か、真無。」
 男の前にいた子供の名は暁真無。この仄暗く冷たい場所…「都庁」を守る為に「作られた」人間の一人だった。
 男はため息のように話をした。全てを諦めて、穏やかに言葉を紡ぐ。
「…ここはどうなってしまうのだろうな。…あの世界に興味を持っただけで…。」
「…こっちは役目だから。逝ってくれ。」
 真無は無感動に言うと男に向かい、手を伸ばした。

 都庁内の大きな部屋で、二人の人間がコンピューターを操作している。大きなディスプレイに映し出された内容を見て、二人は言葉を交わした。
「消えている。」
「…あいつも、逝ったか。」
 呟くような言葉を聞き、二人の後ろに控えていた、まだ少女とも言えそうな若い女性がぎこちなく口を開いた。
「…あの…。」
 二人が振り返ると、女性は痛む表情をしていた。
「これでは…その…。」
「詠。そこから先は口にしない方がいい。火節と行水に睨まれる。」
 二人の内の一人、白い長髪を束ね、赤い瞳を持つ白衣の男は女性の言葉を遮った。詠と呼ばれた女性が口をつぐむと二人の内のもう一人、無造作な黒髪に青い瞳を持ち、つなぎの作業着を着た男が静かに問うた。
「…真無はどうした?」
「…輝夜の所に。」
 詠の答えに、黒髪の男はまた静かに返した。
「…そうか。」

 真無は大きな重い扉の前にいた。扉に手をかけると、周囲の温度が一気に下がった。
「…相変わらずだな。」
 真無は苦笑しつつ、発熱能力で周りの温度を上げ、扉を開ける。部屋に入り、真無は口を開いた。
「…輝夜。」
 部屋では全てが氷漬けになっていた。部屋の温度計はマイナス三〇度を軽く下回っている。
 部屋の真ん中には真無とどこか姿形の似た、灰色の髪と瞳の小さな子供が座っている。
 真無に輝夜と呼ばれたその子供…神無輝夜は、無表情に真無を見やった。
 部屋に入った真無は食事を持っていた。それは部屋の冷気で、既に凍り付いていた。
「飯持って来たぜ、今あっためてやるから。」
 真無は笑んで見せ、発熱能力を使って食事を温める。輝夜は刺すような眼差しでその様子を見ていた。
「ほら。」
 真無が食事を差し出す。輝夜が手を伸ばすと、食事は一瞬で凍り付いた。凍ったままの食事を掴み、かじり始めた輝夜に真無は苦笑いした。
「…お前なあ。あんまり意地張るな。」
 輝夜は黙って、硬く冷たい食べ物をかじっている。真無は輝夜をしばらく見つめていた。
「…輝夜。」
 真無が声をかけても、輝夜は真無を見なかった。真無は構わず口にした。
「オレ達は、何の為にあるんだと思う?」
 輝夜の視線が真無に向けられる。感情が見えない瞳で輝夜は答えた。
「…火節様と、行水様は、この世界を、守る為、と言った。」
「…世界を守る為、か…。」
 真無は凍った食べ物をまたかじり始めた輝夜を前に、ため息の様に呟いた。

「…輝夜の所に、行ってきたんだな。」
 輝夜がいる部屋から出て、都庁内をぶらついていた真無に静かな声がかけられた。真無は顔を上げ、声の主を見る。
「…アンタらか。有澤さん。美良さん。」
 真無の目の前には黒髪に青い目の男と、白髪に赤い目の男が立っていた。真無は大人の彼らに遠慮なく呆れた様子を見せた。
「オレが行かなきゃ、誰があいつのとこに飯持ってくんです。」
 美良みよしと呼ばれた白髪の男はかなり苦く笑った。
「まあ今の所、輝夜には発熱の能力を持っているお前以外、近づけないからな。」
 言ってから美良は笑みを消し、真摯な顔つきになった。
「未だにあいつは、能力のコントロールが利かない。出す事は出来るが…操る事が出来ていないからな。」
 美良の言葉を聞きながら、真無は輝夜と初めて相見えた時の事を思い出す。

 一年程前。
 真無が目覚めた時には、輝夜はまだ眠っていた。
 真無が最初に教えられたのは、自分はこの世界を守る為に作られた、だからその役目を果たさなければならないという事だった。
 そして小さな水槽の中で沢山の機械を繋がれ、眠っている輝夜は、自分とほぼ同じ存在であるという事も聞かされた。身体はほぼ同じモノで作られ、目覚めれば自分と同じ役目を持つ存在だと。

 兄弟。

 真無の頭の中に浮かんだ言葉は、それだった。

 オレの兄弟。
 目覚めたら、どんな事になるだろうか。

 …真無が目覚めた翌日の夜、輝夜は目覚めた。
 目覚めた途端、激しい冷気が周囲を襲い、大変な騒ぎになった。
 激しい冷気は輝夜から発せられていた。
 輝夜が大人達にあの部屋に押し込められる様を、真無はただ見ているしか出来なかった。

 それ以来、冷却能力を放出し続ける輝夜は、発熱能力を持つ真無以外は全く近づけない有様で、分厚い扉の向こう、小さな部屋に閉じ込められたままだった。
「…真無。」
 物静かな声で呼ばれ、真無が疑問符を浮かべると、声の主である黒髪の男、有澤ありさわが穏やかな眼差しで真無を見下ろしていた。
「…お前がいるから、輝夜は生きていられる。」
「…あいつはオレの事嫌いみたいだけど。」
 苦笑して返した真無に、静かな深い声で、有澤は語った。
「…だが一方通行でも、思われる事は幸せな事だ。」

 鉄骨が絡み合うようにむき出しになった、打ち捨てられた場所。
「ぐが、あ…!」
 真無の目の前にいるモノが、苦しげに声を上げ、襲い来る。その目に理性は無い。
「…はあっ!」
 真無は拳に発熱能力を込め、目の前の相手に撃ち込む。
「ぎゃああああああ!!」
 焼けるような熱に襲われ、相手が苦痛に声を上げた。
 真無は冷徹な瞳で呟く。…自分と同じ役目を持たされる予定だったモノに。
「…これで最後だ。逝ってくれ。」

 都庁内、大きなコンピューターがある部屋。
 真無が相手を殺した姿が、ディスプレイに映し出されている。それを前にして、ヒステリックに叫んだ女がいた。
「…どうして失敗するのよ!」
「…なかなか成功しませんね。」
 叫んだ女の隣にいる女も、苦々しい表情をしている。
「…壁…都庁を守る、防衛システム…か。」
 静かな声が聞こえ、二人の女が振り返ると、そこには有澤と美良がいた。
 叫んだ女…紅い髪に鋭い瞳の女は忌々し気に呼んだ。
「…貴方。」
 美良は女二人に、真っ直ぐに話した。
「もう、止めた方がいいんじゃないのか。…火節。行水。」
「何でよ! この世界を守る為に私達は…!」
 紅い髪の火節と呼ばれた女がまた叫ぶ。美良は怯む様子も無く続けた。
「何からこの世界を守るんだ。あの世界の人間達は、ここと争う事にもうずっと昔、見切りを付けた。」
 火節の隣にいる、蒼い髪の冷めた瞳の女…行水が返した。
「…私達は貴方達とは違って、あの世界から受けた仕打ちを忘れません。」
 黙っていた有澤が、ゆっくりと口にする。
「…強化人間として、真無や輝夜を作り、使い…世界を作る為、共に戦った身内を殺し続ける事が…果たして本当に、世界を守る事になるのか?」
「身内? …あんな奴ら、私達の同志じゃない。」
 火節が顔を歪め、切り捨てるように言い切る。有澤は何も返さなかった。
「ところで『学園』が完成したって話、本当か。」
 美良が切り出した台詞に、行水が頷く。
「ええ。」
「ということは…やるのか。」
「もちろんです。」
 美良の問いに、行水は冷徹に返した。

「お前は殺れ、には容赦がないな。」
「…あんたらか。」
 美良が声をかけた真無の身体には、返り血がついていた。真無は美良と、共にいた有澤を見上げ、何でもないことのように言った。
「それがオレの役目ですし。」
 有澤は真無をどこか昏く見つめ、静かに口を開いた。
「…真無。改めて問う。」
「何の為にありたいか、ですか?」
 有澤から何度も聞かれた問いを真無は先に口にし、呆れたようにため息を吐いた。
「何の為にありたいかっていっても、もう防衛システムとしてあるって決まってるでしょうに。」
 真無の答えに有澤は何も返さず、ただ真無を見下ろした。真無が有澤の様子を不思議に思っていると、美良は苦笑した。
「殺る以外の方法は、考えておくといいかもしれない。」
「何でですか?」
 真無は問う。純粋な疑問だった。美良は苦笑したまま返した。
「殺すより最善の方法があることもあるっていうことだ。例え危険因子という判断があってもな。そういう場合もある。」
「…殺す…本当は自分が食べ、生きる為以外、そういう事をするべきじゃない。それを繰り返せばいずれは、自分の世界を滅ぼす事になる。」
 有澤の深く響く声に、真無は思わず言葉を出せなくなった。
「よく解らないか。」
 美良がまた苦笑した時、けたたましい警報音が周囲に鳴り響く。横から声がかかった。
「真無!」
 呼んだのは、都庁の人間の一人である男だった。有澤と美良が疑問符を浮かべた直後。
「また、防衛システムの失敗作の暴走か? 行ってくる。」
「あ、待て真無! …話を聞かない奴だな!」
 真無が走って行ってしまうと、男は半分呆れ声を上げた。有澤が男に問う。
「…何があった?」
「…『無明むみょう』が姿を消しました。」
 緊張感を帯びた答えを聞き、美良は確認した。
「暴走してはいないんだな?」
「はい。…あと…。」
 言葉を濁した男に、美良は問う。
「何だ。」
「…火節様と、行水様が…お二人に問いただしたいと…。」
 男が言い辛そうに話す。有澤と美良は動じることはなかった。
「…来たか。」
「やっぱりな。…だが、ちょっと待ってくれるか。」

 分厚い扉の向こうにある小さな部屋。
 輝夜は凍り付いたベッドの上に横たわり、目を閉じていた。
「輝夜、起きてるだろ。」
 扉の向こうから、美良の声が聞こえた。輝夜は何も答えない。
「真無が早とちりして飛び出して行った。」
 美良の続いた言葉にも、輝夜は反応しない。
 次に深く静かな声が続いた。有澤の声だった。
「…真無が相手にしようとしている奴、そいつには…。」
 その後に続いた言葉を聞き、輝夜は身体を起こした。扉に向かい、口を開く。
「……開けて。」

 都庁の人気の無い一角。
 真無の目の前には、真無と輝夜より若干幼く見える「作られた」存在と思われる子供がいた。
「お前か。」
 真無が声をかけても、子供は黙って立っている。

 …誰かに、似てるな。

 真無はぼさぼさの黒い髪に赤い瞳の子供を見て思ったが、すぐに思考を切り替え、言い放った。
「悪いな。役目だから。逝ってくれ。」
 真無が思い切り踏み出す。発熱能力を込めた拳を振りかぶる。拳は子供の胸に思い切り当たった。
 だが子供は動かない。真無の拳を喰らっても、眉一つ動かさない。
「…この!」
 真無は拳に熱を集中させ、更に攻撃のラッシュを繰り出す。子供は怯む様子も無い。それどころか微動だにしない。
「…何だお前!」
 真無はぎりと歯噛みし、足を踏み出そうとしたが、突然視界がぐらつき、身体からがくんと力が抜けた。
「なっ…?」
 子供が動いた。真無に向かい、腕を振るう。真無の身体にぶつかると、抉る様な激しい衝撃が来た。
 子供は続けて腕を振る。鈍い痛みと激しい衝撃が何度も真無を襲った。
「…あ…っ…!」
 真無はふらつきながら、子供から離れる。
「…何だ、この…重い…!」
 視界はぐらついたまま、身体中は痛みを訴えている。
 子供は真無の目の前に歩いてくる。真無は身体を動かそうとしたが、身体は言う事を聞かない。
 子供は腕を振り上げる。真無の頭を打ち据え、脳を思い切り揺るがせた。
「がっ…あ…。」
 真無の身体が完全に力を失い、倒れていく。
 倒れながら、真無は思う。

 …死ぬのか…? オレ…。
 …これが…世界を滅ぼすって、ことか…?

 薄れゆく意識の中で、真無は遠くから小さな人影が走って来るのを見た。小さな人影が真無に手を伸ばす。身体が僅か楽になるのを感じながら、真無の視界は暗転した。

 真無はがばっと身体を起こした。
 気がつくと、真無は白いベッドの上に寝かされていた。周りには様々な医療器具が置かれている。
「…大丈夫か、真無。」
 横から声がかかり、振り向くと有澤が座っていた。その後ろには美良が立っていて、呆れ顔で見下ろしていた。
「全く、能力反射の能力持ってる無明相手に、無計画に向かって行きやがって。お前、後少しで脳みそ沸騰して死ぬところだったんだぞ。」
「能力反射…?」
 真無が首を傾げると、美良は説明した。
「無明は様々な能力を詰め込まれてるけどな、その一つが能力反射。受けた相手の能力をそのまま相手に返す。お前の発熱能力、全部お前に返されてたんだ。」
 視界が歪み、身体が動かなかったのはそれかと真無は思い返す。真無は視線を落とし、自分の手を見る。握ったり広げたりしながら、呟いた。
「…でも、生きてる…?」
「…お前を助けたのは輝夜だ。ギリギリで冷却能力を使って、お前を助けた。」
 静かに響いた有澤の言葉に、真無は驚きを見せた。
「ちゃんと礼は言いに行け。」
 真無の様子を見、美良は苦笑した。

 あの重い扉の部屋に、真無は向かった。
 扉を開けると、身を刺すような冷気は幾らか和らいでいた。僅かに戸惑いつつ、真無は部屋の主に声をかける。
「…輝夜。」
 部屋の中にいた輝夜は、黙って真無を見た。真無は苦笑してみせる。
「お前が、オレを助けてくれたんだってな。」
「…どうして、死ぬ事、した?」
 不意に発せられた輝夜の言葉に、真無は大いに戸惑った。
「無明は、暴走してた、訳じゃ、ない。攻撃、したのも、攻撃、されたから。それだけ。」
 輝夜の瞳は、射抜くように真無を見ていた。

 人のいない都庁の一角。
 意識を失った真無の身体を抱きしめ、輝夜は目の前の子供に口を開く。
「…無明。」
 子供は無言で二人に向かい、足を踏み出そうとした。
「…ダメ。」
 輝夜は小さな声で、はっきりと子供に言った。
 輝夜は真無を抱きしめる腕に僅かに力を込め、黙って立つ子供に話した。
「勘違い、しただけ。…許して、あげて。」
 子供はゆっくりと、その場に身体を倒した。

 輝夜の言葉に、真無はかなり苦く笑んだ。
「…つまり、オレは初めから誤解して、結果自滅しかけたって事か。」
 真無は表情を緩め、輝夜を見た。
「でもそんなオレを、輝夜は助けてくれたんだな。」
 輝夜はいつもの無表情で、黙っている。真無はまた苦笑した。
「ビックリした。お前はオレの事嫌いだと思ってたから。」
「嫌いな、訳じゃ、ない。ただ、解らない、だけ。」
 小さな声で紡がれた言葉に、真無は問いかける。
「何が?」
「どうして、一緒に、いて、くれるのか。」
 輝夜の真っ直ぐな眼差しが、僅かに揺れた。

 この一件は、輝夜が能力のコントロールを掴むきっかけになったようだった。
 数日後、輝夜が冷却能力を自力で調節出来る事が確認され、輝夜は隔離を解かれる事が決まった。

 それから幾らもしない内の事だった。
「話って、何ですか?」
 有澤と美良に呼ばれた真無が見上げると、二人は僅か黙った。
 短い間の後、有澤は呼ぶ。
「…真無。一年程の付き合いだったな。お前とは。」
「…そう、ですね。」
 僅か戸惑いながら、真無が返す。
「…オレと輝夜が完成して、もうそんなになるのか。」
「お前は何かというと、輝夜を気にしてるな。」
 美良が思わず笑うと、真無も笑んだ。
「面白いじゃないですか、あいつ。」
「面白い?」
 美良が疑問符を浮かべると、真無は話し出した。
「創設者のあの二人には、感情が無いと思われてる。輝夜が能力のコントロール出来なかったのに、処分見送られてたのはそれが理由でしょう? 感情が無い。逆らわない。そう思われてる。」
「実際は違うと?」
 美良が問うと、真無は真っ直ぐに答えた。
「あいつは感情が無いんじゃない。感情表現がパッと見で解りづらいだけだ。そういう所が面白い。…ただ、そういう所が心配でもあるから。あいつは。」
「…そういう所を理解しているお前がいるなら、輝夜は大丈夫だな。」
 有澤の静かな声に、真無は疑問符を浮かべた。
「…真無。『学園』の事を知っているか?」
 有澤の問いに、真無は頷いて答える。
「ああ、世界に出来たっていう、第二世代を管理する場所ですね。」
「…そうだ。…オレ達に息子が一人ずついるのは、知っているか? 肉体年齢は、お前と同じ位だ。」
 有澤の再びの問いに、真無はまた頷いた。
「『重要戦力』と『最重要警戒対象』でしょう?」
「…会った事はあるか?」
「見た事なら一度だけ。…二人共貴方達に似てた。『最重要警戒対象』は、何かひねくれてふてくされた感じだった。」
 美良を見ながら真無が言うと、美良はかなり苦く笑った。
「まあ、あんな危険物に触るような育て方されてるからな。当然か。」
 真無は続いて、有澤の方を見て言った。
「『重要戦力』の方は…何か、気を張ってるように思えた。」
「…昔は、そうじゃなかった。」
 どこか気落ちしたような有澤の声。不思議そうにした真無に、美良は説明した。
「『重要戦力』としての教育を受ける前は、結構物静かで穏やかな感じだったんだ。今ではそんな性質は、すっかりなりを潜めてる。」
「…あいつらも学園に入る。」
 有澤の言葉に、真無は意外という顔をした。
「へえ。てっきりここで管理され続けるのかと思ったら。」
 真無が返した言葉を聞き、有澤は深い声で呟いた。
「…管理…。そうだな。『保護』という名の管理、管理という名の『強圧』だ。」
「元々、オレの方の息子の存在を危惧して作られたモノだからな。あっちでまた、二人とも管理を受けるだろう。」
 美良が有澤の言葉の補足を引き受けた。
 有澤がまた真無に話し出す。
「…その管理の最初が、世界の人間全員の、記憶操作だ。」
「…記憶操作…?」
 真無は有澤の言葉をおうむ返しする。有澤はゆっくりと語った。
「…この世界の人間は、お前達防衛システムや、創設に携わった幹部を除き、この都庁の存在を、この世界が隔離空間である事を忘れる事になる。オレ達の息子達も含めてな。」
「…それも、この世界を守る為ですか。」
 真無が考えながら問うと、美良は寂しそうに笑んだ。
「まあそうだな。…何から守る為なのか、もう火節と行水にも解っていないかもしれないけどな。」
「…真無。改めて問おう。お前は何の為にありたいと思う?」
 何度も繰り返された問い。真無が黙っていると、有澤は静かな声で聞かせた。
「…大事なのは何の為にあるかではなく、何の為にありたいかだ。」
「…何の為に、ありたい…?」
「何の為にあるべきと言われたか、それは気にしなくていい。自分が何をしたいかだけ、考えればいいんだ。」
 美良の言葉を、真無は思い返すように口にした。
「…何をしたい、か…。」
 真無の様子を見、美良は苦笑した。
「今はまだ難しいかもしれないが、心に留めておいてくれ。」
「…全てを覚えていられるお前に、頼みがある。」
 不意に切り出した有澤に、真無は疑問を投げかける眼差しを向ける。有澤はそれを確認するように視線を合わせた。
「…オレ達の息子達が成長したら…一〇年位後でいい。この都庁の存在を、あいつらに教えてやって欲しい。」
「それだけですか?」
 真無が首を傾げると、美良は困ったように笑った。
「何言ってんだ。結構大変だぞ? 世界と都庁は一種の隔絶された部屋になるんだからな。火節と行水の目をかいくぐって、学園行くってなったら手間だぞ?」
「…それと同じ時期に必要になる物を、あいつらに渡す手はずもした。」
「何に必要になる…?」
「…世界を壊す為に。」
 有澤の静かな答えに、真無は一瞬息を飲んだ。
「この世界の大切な事を忘れてしまう、オレ達の息子達に…ただ知って欲しいんだ。この世界は閉ざされていること。このままではただ行き詰まって行く事。実際に綻びが生じ始めている。壁は完全な壁ではないし、あの世界に生きる道を求めようとする奴も出て来ている。…オレ達みたいに。」
「…あいつらがこのままの世界でいいと思っても、またはよくないと思っても、それは奴ら次第。ただ知って欲しいだけだ。この世界は引きこもり空間だという事を。」
 美良と有澤の真っ直ぐな言葉。真無はそれを黙って聞いた。
 美良が問う。
「頼まれてくれるか、真無。」
「…はい。」
 真無が頷くと、有澤と美良は穏やかに笑んだ。有澤は言った。
「…ありがとうな。」

 あの人達はそれきり、姿を消した。

 真無が都庁内を歩いていた時だった。
 そばにある扉の向こうから、都庁の人間達が話す囁き声が聞こえた。真無は思わず耳をそばだてた。
「…あの二人も…。」
「あの世界と繋がろうなどと、言ってしまったから…。」
「ああ、殺され…。」
 真無は弾かれたように走り出し、ある場所へ一直線に向かった。

「無い、無いっ…!」
 都庁内の大きなコンピューターの部屋。
 真無は必死の形相でキーボードを叩き、ディスプレイに目を凝らす。
 だが、真無が探しているモノは、見つからない。
 真無が見ていたのは、この世界に所属する人間達の名簿だった。真無の口から、掠れた声が発せられる。
「消され、てる…っ。」
 有澤ありさわしょう美良みよし裕一ゆういち
 この二人の情報は名簿から一切消えていた。
 名簿から消される。それはこの世界に置いて、存在を完全否定された事と、同義であった。
 真無はその場にゆっくりと尻餅をついた。身体も、瞳も、声も震えていた。
「…粛清、された…!」

 外の世界との融和を訴えた咎により「重要戦力」と「最重要警戒対象」の父親達は、創設者の二人に殺された。

 鉄骨が無造作に積まれた、都庁の片辺。
 真無は鉄骨の山のそばに、腰を下ろして項垂れていた。
「…真無。」
 呼ばれて真無はバッと顔を上げる。目の前に立っていたのは輝夜だった。
 真無は短い間を置いて、口を開いた。
「…部屋から出て来たんだな、輝夜。」
「…どうした、の。」
「何で?」
 輝夜の問いに真無が問いで返すと、輝夜は言った。
「…痛そうな、顔、してる。」
「…そっか。」
 真無の顔は、笑んでいた。激しい心の痛みに歪んだ顔で、笑っていた。
 真無は輝夜から顔を逸らす。
「…心配するな。…多分、いつもの事だ。…その内、なんでもない、事になる。」
 真無の言葉を聞いた輝夜の瞳が揺れた。
 輝夜は歩を進め、真無のそばに腰を下ろした。触れ合うように身を寄せ、輝夜はたどたどしい声音で真無に話した。
「何の、事なのか、何て、言って、いいのか、解らない。…けど、今、真無が、考えてる事、なんでもない、事には、したくない。」
 真無は一瞬息を飲んだ。それから顔をくしゃくしゃに歪ませた。真無は輝夜の小さな肩に顔を押し付けた。輝夜の腕を震える手で握りしめた。
 表情の無い輝夜の瞳は、震えるように揺れていた。
 かなり長い時間そうしてから、真無は呟く様に、輝夜に言った。
「…初めてオレの名前、呼んでくれたな。」

 一〇年の歳月が流れた。
 真無は輝夜の背中に声をかける。
「…学園に行くんだって? 輝夜。」
「…うん。」
 振り向いた輝夜は、表情無く頷いた。
 真無と輝夜は、肉体年齢は十六歳程に成長し、真無は髪を赤く染めていた。
 真無は輝夜が学園に行く理由を確認する。
「江利井晶良と来螺裕治…あの人達の息子の監視だってな。」
「…うん。」
 輝夜の頷きに、真無は笑って返す。
「あいつらも学園で相当派手な事したらしいからな。…あいつらについて記録されてた監視映像見たか。」
 輝夜は黙っている。真無はそれには構わず、続けた。
「…あいつら面白いぜ。特に江利井の方。あんだけの事経験して、憎まない。あんだけもう片っぽに憎まれても、怯まない。」
 言葉を発さない輝夜に、真無はため息のように話した。
「不思議なもんだよな。同じ創設者の息子として生まれたのに、片っぽは『重要戦力』として強くある事を要求され続け『保護』という名の管理を受けた。もう片っぽは『最重要警戒対象』として弱くあるように管理という名の『強圧』を受け続けた。そんな二人が流されるまま出会って、結果…。」
 そこまで言うと、真無は輝夜を真っ直ぐに見た。
「心配してんだ、お前の事は。どこのウマの骨とも知れない奴のそばになんて、行かせたくないからな。」
 輝夜は真無の眼差しを受け止めるように、真無を見返した。
 不意に真無は苦笑し、また口を開いた。
「輝夜。…お前は、何の為にありたい?」
 輝夜が真無に向けた視線は、疑問を投げかける意味だった。
「オレには一つある。もうすぐ達成しに行く。そこから先は、まだ解らない。」
 真無は少し苦く笑み、輝夜を送り出す言葉をかけた。
「…頑張って、行って来い。」

 学園の文化祭も、もうすぐ終わる時間だった。
 職員室の近くで、マナとカグヤが向かい合っている。カグヤは小さな声で問うた。
「…何、しに、来た? …真無。」
「あの人達との約束を果たしにな。」
 マナが笑んでみせるとカグヤは僅か黙り、再び問う。
「…エリーと、ライラに、会った、の。」
「ああ。結構弱い奴らだった。だが…この後の展開によっちゃ、この世界を壊すのは…。」
 マナは一旦言葉を切った。カグヤは黙って、マナの次の言葉を待った。
「…こっから先、オレは何の為にあってみようか…。」
 ため息のようなマナの言葉に、カグヤは何も返さなかった。
 マナは顔を上げ、カグヤにまた笑んで、口を開いた。
「お前も面白い事になってるな、兄弟よ。」

To Be Continued
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