第二〇話 十二月 過去の痛みを越える為に
十二月。冬休みが始まる直前のある日のことだった。
『…え?』
エリー、ライラ、クラガリ姉弟から話を聞いたリタが、微かに震える心の声で問い返した。
エリーが再び話す。
「だから、冬休み中に第七地区へ行こうって話になってんすよ。」
リタが身を強ばらせ、三人を見る。それを知ってか知らずかライラと小猫は頷き、言葉を交わした。
「今の時期いいんじゃないか? あそこ温泉街だし。」
「うん、いいっすねえ!」
『…僕はいいよ。』
小さな、消え入りそうな意志を送って来たリタに、エリーはあっさり返す。
「でもリタ先輩の分も列車の切符あるんで、拒否権無いっすよ。」
リタは身を強ばらせたまま、周りを見回す。
『…せ、セーラは?』
いつもリタのそばにいるセーラの姿は見当たらなかった。ライラがさらりと回答する。
「セーラ先輩は用事があるとかで、欠席です。旅行にも来れないそうです。」
「リタ先輩の実家の旅館、予約したんで。」
エリーの言葉にリタは視線を落とし、何も答えなかった。
学園は冬休み期間に入った。
エリー、ライラ、リタ、クラガリ姉弟の四人は、第七地区に行く列車に乗っていた。
後輩三人は第七地区の温泉観光マップを見つつ、談笑していたが。
「…あの、リタ先輩…どうしたんでしょうか…。」
小鳥はエリーとライラを見上げてから、リタの方に視線を移す。リタは三人から少し離れた席で、普段の穏やかな笑みなど微塵も見えない無表情で、ずっと車窓の向こうを見やっていた。
「…ちょっと来い。」
席を立ったエリーとライラに、小鳥は慌てて付いて行った。
「え…?」
別の車両でエリーとライラに話された内容に、小鳥は戸惑う声を上げた。
「リタ先輩の、トラウマの場所って…。」
「第七地区はリタ先輩の地元だ。…リタ先輩、昔地元で酷いいじめ受けてたらしい。受心送心の能力、気持ち悪がられて。先輩の耳がほとんど聞こえないのも、その時の心の傷が原因だ。」
ライラの言葉に小鳥は僅か思考して、ぎこちなく顔を上げる。
「…悪性思念攻撃…あれも…?」
「そう。あれは追いつめられたリタ先輩が、無意識にいじめた相手に使っちまった…それが元だ。」
エリーの返しに、小鳥は軽く混乱して訴えた。
「先輩達、それ解って…? どうしてそんな、リタ先輩を追いつめちゃう事…!」
エリーとライラはお互いを見やり、ため息をついた。エリーが小鳥に向き直る。
「オレらも最初、この事聞かされて…頼まれた時は、戸惑ったし、お前と同じ事も思った。」
「…頼まれた…?」
小鳥が目を丸くすると、ライラは釘を刺した。
「リタ先輩には言うな? …頼んで来た側にも、色々あるみたいだからな。」
間もなく列車は、第七地区に到着した。駅からリタの実家の旅館までの道を四人で歩く。
「…ここ真っ直ぐでいいんすか?」
エリーが問うても、リタからは意志が返ってこなかった。エリーは再び問う。
「リタ先輩。」
『え、あ…うん、しばらく道なり…。』
リタが弱く返した時。
「…帰って来た…。」
「やっぱりあれ、あいつか…?」
背後から囁き声が聞こえて来た。
小鳥がバッと背後を振り返り、睨むと声はぴたりと止む。
だが前を向いて歩き出すと、別の声で囁き声が聞こえる。
「よくまあ、帰って来れたもんだよな…。」
「あんだけの事…結構無神経なのか…?」
「いっちょまえにお供まで…。」
エリーとライラは囁き声の気配に一瞬意識を向けたが、また歩き出す。
「…これは…あいつ、また…。」
リタはそんな囁きを受心しながら顔を強ばらせ、歩いた。
リタの実家「旅館小栗」に四人は着いた。
「いらっしゃいませ。 ! …広喜。」
玄関の門をくぐると、旅館の女将と思われる中年女性が四人を出迎えた。
「広喜、お帰りなさい、疲れたでしょう、お腹空いてない? えっと…。」
『…お母さん。お客さん。』
一生懸命言葉をかける女将にリタはただ、響かせた。
女将はハッとして、エリー達を見る。
「そ、そう、ね…。いらっしゃいませ。ようこそ旅館小栗へ。お客様、こちらでチェックインをお願い致します。その後、お部屋にご案内致します。」
女将はぎこちなく挨拶をし、エリー達に恭しく礼をした。
「…リタにーさん、大丈夫っすかね…。」
案内された部屋で、小猫が不安気に話した。
「あれ、明らかに様子おかしいっすよ…。」
ライラは一つため息を付いて、返す。
「…様子ぐらい、おかしくなるだろ。」
エリーは黙って、旅館の一角、職員の住居棟の方を見ていた。
小猫が立ち上がり、部屋のドアを開ける。
「…ちょっと、散歩行ってくるっす…。」
「リタ先輩、今はそっとしといてやれよ。」
「解ってるっすよ…。」
ライラが背中に投げて来た言葉に小猫は小さな声で返し、部屋を出た。
小猫は旅館の小さな庭にやって来た。
「…でも…やっぱり、心配っすよ…。」
小猫が庭の池のそばにしゃがみ、泳ぐ鯉を眺めながら呟いた時。
突然、背後から小猫の口が塞がれ、身体がホールドされた。
従業員の住居棟には、リタが中等科時代まで使っていた自室がある。自室でリタは温泉観光マップを見ながら、一人思う。
『…やっぱり、まだあるんだな…。「大橋旅館」…。』
観光マップでは、この地区で一番権威のある旅館と紹介されていた。
リタは思考する。
どうして、僕がずっといじめられる事になったのか。
きっかけは、僕が能力をコントロール出来なかった事。
でも、きっかけはどうやってもきっかけでしかない。
きっかけと、本質は違うと思う。
僕が能力をコントロール出来なかった事。
それは、あの子達が僕をいじめる口実でしかなかった。
じゃあ、本質はどこにあったの?
僕が何か悪い事をしたのかな?
本質。それを思った、リタの眼差しは、昏かった。
…いいや。
ただ…町の子供達の中心にいつもいた、あの子…。
大橋君がただ、僕のことを気に食わなかっただけだ。
そう、それだけ。
気に食わない。それだけだけど、その感情さえあれば、人はどんな酷い事でもやる。
窓ガラスが破られる音が室内に響く。飛び散るガラスの破片を見、リタはハッとして顔を上げた。
割られたガラスのそばに、紙に包まれた大きな石が落ちていた。
リタは震える手で石を拾った。石が包まれていた紙を広げる。紙には殴り書きのような文字で書かれていた。
「覗き魔」「気持ち悪い」「クズ」
「広喜!」
ドアの向こうから、女将である母の気配を感じた。
『…何?』
リタが震えながら振り返る。母は気後れ気味に声をかけてきた。
「あの、お友達、呼んでるんだけど…。」
『…小猫君、が…?』
リタの心の声は、微かに震えていた。
エリーとライラが戸惑った様子でリタに伝える。
「いなくなったんす。散歩に出たっきり…。」
「探してたら、庭にこれが。」
ライラが差し出したのは、クラガリ姉弟がいつも使っている髪留めだった。
リタは踵を返し、走って行った。
リタが息を切らせ、庭にやって来た。庭には誰もいない。
『…小猫君…!』
「久しぶりだな、栗田。」
背後に気配を感じたリタが振り返ると、険悪な表情をしている青年数人がいた。青年達はリタに言った。
「よくまあ帰って来たよな。」
「あんだけの事にしといて。」
リタが怯えた表情を見せると、青年の一人が言った。
「大橋から伝言。『お前なんかにくっついて来たせいで、あのチビ可哀想にな!』だってさ。」
伝えると、青年達は足早にその場を去って行った。
リタの足が震え始める。
『…こねこ、くん…。』
エリーとライラの宿泊部屋に歩を進める、リタの足取りは重かった。
部屋のドアの前に立ち、しばらく逡巡する。震える手でノックをした。
『…エリー君、ライラ君…。』
部屋の中から返答は無い。
リタが疑問符を浮かべながらドアノブに手をかけると、あっさりと回った。
リタが顔を強張らせて部屋に入ると、部屋の中には争った形跡があり、窓が割られていた。エリーとライラの姿は無かった。
割られた窓ガラスの向こうに響いていたのは。
「気の毒にな。」
「栗田に付いて来たばっかりに。」
「ぼろぼろにされるぜ、あいつら…。」
そんな侮蔑と苛立ちに満ちた、言葉だった。
リタの心には、それははっきりとは聞こえなかった。
…ピンポイントで受心出来なかった。リタの脳裏には地区のあらゆる人間の雑多な思念が、際限なしに流れ込んでいた。
『…あ…!』
リタが耳を塞いでも、それは止む事が無かった。
あの頃と同じだ…。
自室でリタは膝を抱えて、独りいる。
止まる事の無い雑多な思念の流れに、リタの心は怯えている。
人の心が流れ込んで来るのが、止められない…。
能力のコントロールが利かない…。
どうして…? ここに、帰って来たから…?
リタの瞳からは、感情が消えかけている。
…ここに、帰って来たから…。
僕がここに、帰って来たから、エリー君、ライラ君、小猫君も…。
僕のせいで、皆…。
頭を抱え、縮こまったリタの脳裏に、不意に聞き覚えのある声が聞こえた。
リタはハッと目を開き、縋る思いでそれを受心する。
続けて雑多な思念の幾つかに、ある共通の感情を感じ取った。リタはそれを黙って受心し続ける。痛むように顔を歪ませながら。
思念の波の中でリタは流されないよう、必死で思考する。そうしている内に、思念の奔流が収まっていく。
顔を上げ、リタはある考えを送心した。
『明日、帰ろう。』
送心した後、リタの瞳は強い意志の光を持っていた。
『…しっかり、しなきゃ…。』
翌日。
旅荷物を持ったリタは、第七地区の駅に向かって、歩を進めていた。強ばった顔でリタは道を歩いて行く。
…突然、握りつぶされるような力で腕を掴まれ、リタは路地裏に引っ張り込まれた。
リタが引きずられて来たのは、温泉街の裏の空き地だった。
リタの周りには、何人もの険悪な顔をした青年達がいる。その中心には大柄な、己の性根の悪さで曲がった顔で嗤う、青年が立っていた。
嗤いながら、大柄な青年が言う。
「久しぶりだな、栗田。」
リタは唇を結んで、青年を見た。
「何だその顔、友達見捨てて帰るようなクズが。」
気に食わない。そんな感情を剥き出しにして、青年はリタを睨んだ。
『…大橋君。あの三人は…。』
震える声でリタが響かせると、大橋と呼ばれた大柄の青年はまた嗤い。
「オレの仲間がボコってやった。」
『…どうして…?』
「お前がいかにクズかを、教えてやる為だろ。」
嗤いながら、大橋は続ける。
「いつも人の心勝手に覗き見て、勝手に怯えてやがって。全部お前のせいだろ? お前といるとろくな事にならねえって、お前のお友達にも教えてやっただけだろ?」
『…僕、は…。』
「クズだよ。オレが親切に教えてやってるだろうが。」
リタは震えながら、黙って下を向いている。
大橋はまた気に食わないというように顔を歪ませ、リタを睨む。
「どうした、クズ。何か気に入らないのか。だったら、あの時みたいに頭に攻撃してみろよ。頭いかれさせてみろよ。」
『…僕は…そんな事しに、来たんじゃないっ…。』
リタは身体を震わせながらも顔を上げ、大橋を睨んだ。
『…あの三人を、返せっ…。』
「返せ…?」
大橋はリタに歩み寄ると、頭を思い切り殴りつけた。
「『返してください』だろうがあ!!」
地面に叩き付けられたリタの身体に、大橋は殴る蹴るの暴行を加える。
「ああ気に入らねえ!! オレに命令? 随分偉くなったもんだな!! 調子こくなあ!!」
リタが暴行される様を、周りの青年達は苛立ちを滲ませた、相変わらず険悪な表情で見やっている。彼らの視線を感じながら、リタは思い返す。
昨夜、リタの心に流れ込んで来た思念の中にあったモノを。
「大橋も、何でああ栗田いじめるかね。」
「そりゃ、オレもガキの頃、あいつの事気に入らなかったけどさ。何かいつもびくびくしてて。」
「人の顔色伺ってる感じでな。」
「…大橋のあれは異常だよなあ。」
「何もかも気に食わないんだとさ、栗田の事。」
「思うだけなら、個人の自由だけどさ…。」
「…オレ達の事、いちいち巻き込まないで欲しいよな。」
「ここで一番の旅館の跡取り息子だからな。オレ達弱小の旅館の子供が逆らえる相手じゃないけど…。」
「逆らったら、オレ達、更には家が被害被るんだよ…。」
腹に思い切り蹴りを入れられ、リタは激しい痛みに踞った。思わず、心の中で呼ぶ。
『…助けて…セーラっ…!』
旅館小栗の玄関前。
「…大丈夫なんでしょうか、広喜は…。」
リタの母は目の前の青年に、おろおろとした様子で話す。
「…こんな事、今言うのも何ですけど、私…あの子に謝る事も出来なくて…。あの子が苦しんでいるのを知っていながら、私は…。」
青年は僅かの間黙った後、言った。
「謝られる事を、あいつは望んではいないと思いますが…思いは伝えた方がいいと思います。」
リタの母はしばし沈黙すると青年に向き直り、恭しく頭を下げた。
「…広喜を、よろしくお願いします。」
青年は一礼すると、その場を後にした。
『う…。』
腹を抱えて踞るリタに、思う存分殴り、蹴った大橋は嗤った。
「感謝しろよ! お前がどうしようもない弱いクズ人間だって、改めて教えてやったんだからな!」
リタは腹を抑えたまま、黙っている。大橋は大声で捲し立てる。
「クズ人間の所には、クズ人間しか集まらねえよな!」
リタがゆっくりと顔を上げ、大橋を見る。大橋はリタを見下ろし、嗤いながら言った。
「お前が助けを求めた、セーラとかいう奴もクズなんだろ?」
その言葉を感じ取ったリタの目が、見開かれる。それに気づく様子も無く、大橋は更に言った。
「それを教えてやったんだ、ありがたく思えよ!!」
『…僕、お前には、何にも教えてもらってない。』
リタが小さな心の声で言葉を発した。
「何?」
大橋が顔を歪めると、リタはゆっくりと身体を起こした。小さな言葉を響かせる。
『…セーラは、僕が弱い事を教えてくれた。守られないといけないってことも教えてくれた。…それから友達っていうモノも、セーラが教えてくれた。』
「…何を…?」
大橋が戸惑いを見せる。リタはぎり、と歯噛みして、大橋を睨みつけ、叫びを送った。
『友達が楽しい事、辛い事、悲しい事もあるって教えてくれたのもセーラだ。…このお前が嫌いな能力を使って、その友達を守れるってことを教えてくれたのもセーラだ!!』
リタの気迫に大橋は何も返せずにいる。リタは更に叫ぶ。
『僕がお前のせいで見失っていたモノは、皆セーラが教えてくれた! セーラがいたから、僕はエリー君やライラ君、小鳥ちゃんや小猫君達と出会って、もっともっと色んな事を教えて貰った!!』
周りの青年達も戸惑いを隠せない。リタの渾身の心の叫びが、びりびりと音を立てるように周りの青年達に伝わる。
『僕は! お前なんかには何にも教えてもらってない! 僕はセーラや、あの皆に! 生きてく上で必要なモノ全部教えてもらった! 僕が強くなれるって事も!!』
リタは身体の痛みをこらえ、ふらふらと立ち上がった。大橋を睨みつける。
『…だから僕は、お前なんかには負けないよ。』
大橋は戸惑いを隠すように、大声を上げた。
「…このクズが好き勝手に!! …お前ら!」
大橋が周りの青年達を見ようとした時。
「ぐはっ!」
「だっ!」
打撃音と共に、青年数人が倒れる。倒れた青年の後ろにはそれぞれエリー、ライラ、クラガリ姉弟がいた。
リタは思わず目を丸くする。
『…皆…?』
「言ってやったっすね、リタ先輩!」
「リタ先輩すごいです!」
リタに賞賛の言葉を贈るエリーと小鳥を目の当たりにし、大橋はうろたえた。
「なっ、お前ら、栗田の仲間!? オレの仲間がやったはず…!」
「そんなの芝居に決まってるだろが。」
「伊達に学園始末屋なんてやってないんで。」
エリーは呆れ顔になり、ライラは大橋を見て攻撃的に笑った。
「さ、どーする? 大橋さん?」
「…っ! くそお! この愚図共! 何とかし…。」
大橋が顔を歪ませ、周りの青年達を見回した時。
『仲間に「愚図」なんて言うの? 君。』
リタが放った言葉に、大橋のうろたえが大きくなった。リタは大橋を真っ直ぐ見据え、伝える。
『だったら君の仲間は、君を「仲間」だとは思ってないよ?』
「な、何言って…。」
『今から教えてあげる。』
リタは集中するように目を閉じる。次の瞬間、大橋の脳内をたくさんの思念が襲った。
「家がでかいからって、いつもいつもいばりくさって…。」
「お前の都合にオレ達巻き込むな!!」
「お前のせいで、痛い思いばかり…!!」
「今回だって、お前が勝手しなけりゃこんな…!!」
「お前なんて、いなくなりゃいいのに!!」
「あ、うあ…! やめ、オレのせいじゃ…ちくしょ、あ…!」
脳内を駆け巡る周りの青年達の思念に、大橋は頭を抑え、混乱し叫んだ。
リタは冷静に大橋を見据えている。
『解ったよね、皆の気持ち。』
「お前っ、でたらめ…!」
『僕は人が本当に考えている事しか、受心も送心も出来ないよ。君が自分で言ってた。「人の心、勝手に覗き見て怯えて、気持ち悪い」って。』
リタが放った心に、大橋は目を血走らせた。ポケットに手を突っ込み、中身を引っ張り出す。
「…くそおおおお!!」
カッターナイフを握り、大橋はリタに向かって行った。
「やべえ!」
「リタ先輩!」
エリーとライラが慌てたが、庇いに入るのは間に合わない。
カッターナイフがリタに迫る。リタが目をぎゅっとつぶった時、ぱきりとカッターナイフが折れる音がした。
大橋が驚いて見ると、杖でカッターナイフを折ったセーラが、怒りの籠った眼差しで大橋を見下ろしていた。
「貴様ごときが、リタを傷つけるな。リタを怯えさせるな。リタの前に立つな。貴様ごときがリタに、指一本触れるな!!」
セーラの気迫に大橋は思わず腰を抜かし、尻餅をついてしまった。
リタが呆けた顔をして、不意に現れたセーラの背中を見る。
『…セーラ…?』
大橋はなおも周りに喚く。
「お、お前ら何とか…!」
「何とかしてもらえるのか? お前を疎ましく思っている奴らばかりだぞ? それでオレ達に勝つと?」
セーラは大橋を見下ろし、威圧的に言い放つ。
青ざめた大橋は、ゆっくりと周りを見回す。周りの青年達はただ大橋を見下ろしている。ただ、黙って見下ろしている。助ける意志の無い証だった。
大橋は身体を震わせ、頭を抱え、踞った。
「う、うぐう…!」
エリー、ライラ、クラガリ姉弟はセーラとリタに駆け寄る。ライラが呆れたように、大橋を見下ろした。
「どーします? ちょっと仕置きしておきます?」
「この男の自信は壊した。当分再起は出来ないだろう。」
セーラが首を横に振ると、三人の後輩は一様にため息を付いた。
旅館小栗に戻る道を、始末屋の面々は歩く。
言葉の無いリタに、セーラは話す。
「リタ。お前があの男の事を気に病む必要は無い。自業自得という奴だ。」
『…僕は、仕返ししたかった訳じゃない。…ただ、セーラや皆が悪く言われたの、僕…。』
か細い声で響かせたリタに、セーラは静かな声で返した。
「解っている。…ありがとう。」
『…うん。』
間もなく旅館小栗が見えて来た。
「さー、これから温泉浸かってゆっくりしますかー。」
「やっと邪魔も入らねえし。」
ライラとエリーが言うと、セーラは後輩達に声をかけた。
「オレ達は少し休むから、お前達だけで行ってこい。」
「え、そーすか?」
「解りました、じゃあごゆっくり。」
小猫とライラは旅館に入って行った。
続けてエリーが旅館の玄関に足を入れる直前、振り返るとリタに口を開いた。
「…今から余計な事言うっす。…リタ先輩をここに来させろって言ったの、セーラ先輩すよ。」
リタがハッとしてセーラを見ると、セーラはただ黙ってエリーを見た。
「…じゃ。」
短く口にし、エリーはライラとクラガリ姉弟を追って歩いて行った。
旅館のリタの自室で、リタは黙って座っている。向かい合い、座るセーラも長い事黙っていたが。
「…すまない。怒っているだろう?」
重く響いたセーラの声。リタは顔を上げると、セーラを見た。リタの顔にはいつもの穏やかな笑みがあった。
『怒ってないよ。ただ、セーラは過保護だなって思ってた。セーラが理由もなしにこんな事する訳ない。…ありがとう。』
リタの言葉が心地よくセーラの心に響く。セーラは小さな声で返した。
「…ありがとう。」
温泉に入りながら、小猫はエリーとライラに問う。
「どういう事なんす? セーラにーさんがリタにーさんを地元へ来させたって。そんな古傷抉るようなこと。」
エリーは少し黙って思い返してから、小猫に伝えた。
「…セーラ先輩、気にしてたみたいなんだよ。三年もの間、リタ先輩を自分に逃げさせたって。…そんで、自分もリタ先輩に逃げてたって。」
「で、相談された訳。リタ先輩が自分のトラウマと向き合えるように、協力してほしいって。」
ライラが続けると、小猫は戸惑いながら頷いた。
「そう、なんすか…。」
エリーとライラは顔を見合わせ、一つ息を付く。ライラは呆れた調子で一言口にした。
「どこまでも、過保護なんだから。」
リタを前に、セーラは静かな声で宣言する。
「…次はオレの番だ。」
『え?』
リタが首を傾げると、セーラはリタを真摯に見ていた。
「家との事に、けりをつけて来る。」
リタがひゅ、と息を飲むと、セーラは穏やかに笑む。
「お前がけりをつけたのに、オレが逃げたままなのは不公平だ。…行って来る。例え、弱者と罵られようともな。」
リタはセーラの顔をじっと見ていたが、やがてゆっくりと響かせた。
『…僕、一緒に行ってあげる。』
「リタ…?」
『で、セーラが酷い事言われたら、僕が怒ってあげるね。僕、怒るの苦手だけど、怒ってあげる。…だから、頑張って。』
リタが真っ直ぐにに伝えた言葉に、セーラは一瞬驚いてからまた、笑んで見せた。
「…ありがとう。お前がいてくれるだけで、心強い。」
翌日。第七地区の駅。
帰校する面々を、リタの母が見送る。リタは小さな声で母に伝える。
『…じゃあね、お母さん。』
「…広喜。」
リタの母が細い腕を伸ばし、息子の身体を抱きしめた。
驚き、戸惑うリタに母は伝えた。
「…ごめんなさい。それと…行ってらっしゃい。」
『…行って、きます。』
リタは穏やかな表情で、ゆっくりと頷いた。
ふとリタが視線を移すと、大橋に加担していた青年達が少し離れた所にいた。 リタの視線に気づき、青年達は気まずそうにする。
青年達にリタは学園にいる時のように、穏やかに笑んで見せた。
青年達が驚きを隠さない中、リタは既に皆が乗っている列車に乗り込んだ。
セーラの実家、聖家の屋敷。
そこの大広間の上座に、聖家の当主である初老の男が座っている。セーラの父親だ。周りには沢山の一族の人間がいた。
大広間の下座にはセーラ、その後ろにはリタが正座している。
セーラが当主に向かい、口を開いた。
「…この家と金輪際、縁を切りに来ました。」
セーラを見ながら、ずっと眉間にしわを寄せている当主は、低い声で返した。
「…許さぬ。」
「…何故?」
セーラが冷静な声で返すと、当主は冷徹な態度を示した。
「聖の家からお前のようなモノが出奔したとあっては、聖の恥だ。」
「…直接攻撃系の能力を持たないオレは、この家の一員として認められる事は今後も無い。この場所にいても、オレは意味が無い。ならば存在する意味を持てる場所に、オレは行くだけです。」
ゆっくりと語ったセーラの言葉をはねつけるように、当主は眉間にしわを寄せたまま、言った。
「出来損ないでも、お前は聖の血を持って産まれた。聖の者は強い力を持っておらねばならない。お前のような弱みが、外に知られてはならん。」
『…それはセーラ…聖君を、この世界から隠したい、恥ずかしいから。…そういう意味だと思っていいんですか?』
リタが大広間の人間達の脳裏に響かせた言葉に、当主の周りの人間達は大いに戸惑った。
セーラも思わず戸惑い、声をかける。
「リタ。」
「…先程から気になっていたが、後ろの人間は?」
当主が睨みつけるのにも怯まず、リタは問う。
『答えてください。そういう意味なんですか?』
「…そう、捉えてくれて構わん。」
当主が二人を威圧するように返答した。
『そうですか…。』
当主の答えを受けたリタは立ち上がり、ゆっくり歩いて行き、当主の前に立った。
そして拳を握り、振りかぶり、当主の頬を思い切り殴った。
セーラも当主も、一族の人間達も驚きを隠さない中、リタは叫びを上げた。
『…っざけるなあ!!』
「リタ…。」
セーラが目を丸くする。リタは怒りをあらわにし、当主に叫ぶ。
『セーラが弱いから恥ずかしい!? ふざけるのも大概にしろ!! セーラの事無視してた癖に!! セーラの何にも解ろうとしなかった癖に!! そんな酷い人…貴方こそ、この家に取って、恥ずかしい人じゃないかあ!!』
「なっ、こいつ…!」
「無礼な!」
一族の人間達が立ち上がろうとした時、セーラがバッと立ち上がり、リタを庇って前に出た。ゆらりと光る眼差しを、セーラは一族の人間達に向ける。
「…リタを傷つければ、オレはどんな手を使ってでも、この家全員根絶やしにしてやる…!」
セーラの気迫に圧倒され、一族の人間達は皆動きを止めてしまった。
リタに殴り倒された当主が、頬を抑え、ゆっくりと身体を起こす。怒りの籠った声で、セーラに吐き出した。
「…もういい…お前など、この家にいらぬ。出てゆけ!!」
セーラは一瞬息を飲むと、唇を結んだ。ゆっくりと当主に向かって一礼した。
「……ありがとう、ございます。」
玄関に向かって、セーラとリタが屋敷の廊下を歩いていると。
「…羅衣。」
二人の後ろから控えめな声が響く。二人が振り返ると、セーラの母親が立っていた。
セーラが黙っていると、セーラの母は言った。
「出るのね、ここを。」
「…はい。」
セーラが頷くと、セーラの母は真っ直ぐにセーラを見た。
「…心配だけど、大丈夫ね。」
「…はい。」
セーラが再び頷く。
セーラの母はリタに視線を移した。穏やかに問いかける。
「…羅衣の、お友達?」
『え、はい…。』
リタが戸惑いつつ頷くと、セーラの母はリタに深々と一礼した。
「羅衣を、よろしくお願いいたします。」
少し震えて伝わったセーラの母の言葉に、リタは深く頷いた。
『…はい。』
学園へ帰る道を、セーラとリタは行く。
リタは黙って前を歩くセーラの背中を、ずっと見ていた。小さな、遠慮がちな意志で話しかける。
『…セーラ。』
セーラは立ち止まり、空を仰ぐようにして呟いた。
「…長年、認められたいと思っていたが…結局、出る事になったか…。」
セーラはリタに向き直る。
「…リタ、ありがとう。…怒ってくれたな。」
どこか泣きそうに、セーラはリタに笑んで見せた。リタの目が潤む。
『…セーラ…。ごめんね…僕、セーラの、お父さん…。う…。』
下を向いてしまったリタの震える肩を支えるように抱き、セーラは掠れた声で伝えた。
「…ありがとう、本当に、ありがとう…リタ…っ。」
学園生徒会寮に戻ったセーラとリタは目を丸くした。
「何だ…?」
『何? このごちそうとか…。』
寮の食堂には、色とりどりの沢山の料理が並んでいる。食事を運んでいる小鳥が弾んだ声を上げた。
「あ、お帰りなさい先輩達!」
「何なんだ? これは…。」
セーラとリタが疑問符を浮かべていると、同じく料理を並べているエリーとライラは答えた。
「え? これ?」
「んー…何となく。」
疑問符を増やすセーラとリタに、エリーとライラは続けて話した。
「何かよく解んねえっすけど…。」
「一皮むけた気がした記念です。」
後輩二人の言葉に、先輩二人は一瞬目を丸くした。
そして、肩を揺らして笑い始めた。
『…ふふ…。』
「くく…。」
リタとセーラを見、エリーとライラもつられて笑う。
「何すか、先輩。」
「笑っちゃって。」
『…よかったなあって、思ったんだよ。』
「ああ、そうだな。」
リタ、そしてセーラが返した時、小鳥の声がかけられた。
「用意出来ました! 皆呼んで食べましょう!」
「そうだな。腹減ったな。」
「食おう食おう。」
エリーとライラは頷き合い、食卓へ向かう。
セーラとリタも顔を見合わせてまた笑み、食卓へついた。
数日後。
エリーは学園校舎の窓から外を眺めつつ、ぼんやりとしていた。
窓の外に広がる景色を眺めながら、エリーは口にした。
「…ぶっちゃけ…狭くねえか? この『世界』って。」
エリーの目の前に広がるのは、先の見えないもやにぐるりと囲まれた「世界」だった。
To Be Continued
『…え?』
エリー、ライラ、クラガリ姉弟から話を聞いたリタが、微かに震える心の声で問い返した。
エリーが再び話す。
「だから、冬休み中に第七地区へ行こうって話になってんすよ。」
リタが身を強ばらせ、三人を見る。それを知ってか知らずかライラと小猫は頷き、言葉を交わした。
「今の時期いいんじゃないか? あそこ温泉街だし。」
「うん、いいっすねえ!」
『…僕はいいよ。』
小さな、消え入りそうな意志を送って来たリタに、エリーはあっさり返す。
「でもリタ先輩の分も列車の切符あるんで、拒否権無いっすよ。」
リタは身を強ばらせたまま、周りを見回す。
『…せ、セーラは?』
いつもリタのそばにいるセーラの姿は見当たらなかった。ライラがさらりと回答する。
「セーラ先輩は用事があるとかで、欠席です。旅行にも来れないそうです。」
「リタ先輩の実家の旅館、予約したんで。」
エリーの言葉にリタは視線を落とし、何も答えなかった。
学園は冬休み期間に入った。
エリー、ライラ、リタ、クラガリ姉弟の四人は、第七地区に行く列車に乗っていた。
後輩三人は第七地区の温泉観光マップを見つつ、談笑していたが。
「…あの、リタ先輩…どうしたんでしょうか…。」
小鳥はエリーとライラを見上げてから、リタの方に視線を移す。リタは三人から少し離れた席で、普段の穏やかな笑みなど微塵も見えない無表情で、ずっと車窓の向こうを見やっていた。
「…ちょっと来い。」
席を立ったエリーとライラに、小鳥は慌てて付いて行った。
「え…?」
別の車両でエリーとライラに話された内容に、小鳥は戸惑う声を上げた。
「リタ先輩の、トラウマの場所って…。」
「第七地区はリタ先輩の地元だ。…リタ先輩、昔地元で酷いいじめ受けてたらしい。受心送心の能力、気持ち悪がられて。先輩の耳がほとんど聞こえないのも、その時の心の傷が原因だ。」
ライラの言葉に小鳥は僅か思考して、ぎこちなく顔を上げる。
「…悪性思念攻撃…あれも…?」
「そう。あれは追いつめられたリタ先輩が、無意識にいじめた相手に使っちまった…それが元だ。」
エリーの返しに、小鳥は軽く混乱して訴えた。
「先輩達、それ解って…? どうしてそんな、リタ先輩を追いつめちゃう事…!」
エリーとライラはお互いを見やり、ため息をついた。エリーが小鳥に向き直る。
「オレらも最初、この事聞かされて…頼まれた時は、戸惑ったし、お前と同じ事も思った。」
「…頼まれた…?」
小鳥が目を丸くすると、ライラは釘を刺した。
「リタ先輩には言うな? …頼んで来た側にも、色々あるみたいだからな。」
間もなく列車は、第七地区に到着した。駅からリタの実家の旅館までの道を四人で歩く。
「…ここ真っ直ぐでいいんすか?」
エリーが問うても、リタからは意志が返ってこなかった。エリーは再び問う。
「リタ先輩。」
『え、あ…うん、しばらく道なり…。』
リタが弱く返した時。
「…帰って来た…。」
「やっぱりあれ、あいつか…?」
背後から囁き声が聞こえて来た。
小鳥がバッと背後を振り返り、睨むと声はぴたりと止む。
だが前を向いて歩き出すと、別の声で囁き声が聞こえる。
「よくまあ、帰って来れたもんだよな…。」
「あんだけの事…結構無神経なのか…?」
「いっちょまえにお供まで…。」
エリーとライラは囁き声の気配に一瞬意識を向けたが、また歩き出す。
「…これは…あいつ、また…。」
リタはそんな囁きを受心しながら顔を強ばらせ、歩いた。
リタの実家「旅館小栗」に四人は着いた。
「いらっしゃいませ。 ! …広喜。」
玄関の門をくぐると、旅館の女将と思われる中年女性が四人を出迎えた。
「広喜、お帰りなさい、疲れたでしょう、お腹空いてない? えっと…。」
『…お母さん。お客さん。』
一生懸命言葉をかける女将にリタはただ、響かせた。
女将はハッとして、エリー達を見る。
「そ、そう、ね…。いらっしゃいませ。ようこそ旅館小栗へ。お客様、こちらでチェックインをお願い致します。その後、お部屋にご案内致します。」
女将はぎこちなく挨拶をし、エリー達に恭しく礼をした。
「…リタにーさん、大丈夫っすかね…。」
案内された部屋で、小猫が不安気に話した。
「あれ、明らかに様子おかしいっすよ…。」
ライラは一つため息を付いて、返す。
「…様子ぐらい、おかしくなるだろ。」
エリーは黙って、旅館の一角、職員の住居棟の方を見ていた。
小猫が立ち上がり、部屋のドアを開ける。
「…ちょっと、散歩行ってくるっす…。」
「リタ先輩、今はそっとしといてやれよ。」
「解ってるっすよ…。」
ライラが背中に投げて来た言葉に小猫は小さな声で返し、部屋を出た。
小猫は旅館の小さな庭にやって来た。
「…でも…やっぱり、心配っすよ…。」
小猫が庭の池のそばにしゃがみ、泳ぐ鯉を眺めながら呟いた時。
突然、背後から小猫の口が塞がれ、身体がホールドされた。
従業員の住居棟には、リタが中等科時代まで使っていた自室がある。自室でリタは温泉観光マップを見ながら、一人思う。
『…やっぱり、まだあるんだな…。「大橋旅館」…。』
観光マップでは、この地区で一番権威のある旅館と紹介されていた。
リタは思考する。
どうして、僕がずっといじめられる事になったのか。
きっかけは、僕が能力をコントロール出来なかった事。
でも、きっかけはどうやってもきっかけでしかない。
きっかけと、本質は違うと思う。
僕が能力をコントロール出来なかった事。
それは、あの子達が僕をいじめる口実でしかなかった。
じゃあ、本質はどこにあったの?
僕が何か悪い事をしたのかな?
本質。それを思った、リタの眼差しは、昏かった。
…いいや。
ただ…町の子供達の中心にいつもいた、あの子…。
大橋君がただ、僕のことを気に食わなかっただけだ。
そう、それだけ。
気に食わない。それだけだけど、その感情さえあれば、人はどんな酷い事でもやる。
窓ガラスが破られる音が室内に響く。飛び散るガラスの破片を見、リタはハッとして顔を上げた。
割られたガラスのそばに、紙に包まれた大きな石が落ちていた。
リタは震える手で石を拾った。石が包まれていた紙を広げる。紙には殴り書きのような文字で書かれていた。
「覗き魔」「気持ち悪い」「クズ」
「広喜!」
ドアの向こうから、女将である母の気配を感じた。
『…何?』
リタが震えながら振り返る。母は気後れ気味に声をかけてきた。
「あの、お友達、呼んでるんだけど…。」
『…小猫君、が…?』
リタの心の声は、微かに震えていた。
エリーとライラが戸惑った様子でリタに伝える。
「いなくなったんす。散歩に出たっきり…。」
「探してたら、庭にこれが。」
ライラが差し出したのは、クラガリ姉弟がいつも使っている髪留めだった。
リタは踵を返し、走って行った。
リタが息を切らせ、庭にやって来た。庭には誰もいない。
『…小猫君…!』
「久しぶりだな、栗田。」
背後に気配を感じたリタが振り返ると、険悪な表情をしている青年数人がいた。青年達はリタに言った。
「よくまあ帰って来たよな。」
「あんだけの事にしといて。」
リタが怯えた表情を見せると、青年の一人が言った。
「大橋から伝言。『お前なんかにくっついて来たせいで、あのチビ可哀想にな!』だってさ。」
伝えると、青年達は足早にその場を去って行った。
リタの足が震え始める。
『…こねこ、くん…。』
エリーとライラの宿泊部屋に歩を進める、リタの足取りは重かった。
部屋のドアの前に立ち、しばらく逡巡する。震える手でノックをした。
『…エリー君、ライラ君…。』
部屋の中から返答は無い。
リタが疑問符を浮かべながらドアノブに手をかけると、あっさりと回った。
リタが顔を強張らせて部屋に入ると、部屋の中には争った形跡があり、窓が割られていた。エリーとライラの姿は無かった。
割られた窓ガラスの向こうに響いていたのは。
「気の毒にな。」
「栗田に付いて来たばっかりに。」
「ぼろぼろにされるぜ、あいつら…。」
そんな侮蔑と苛立ちに満ちた、言葉だった。
リタの心には、それははっきりとは聞こえなかった。
…ピンポイントで受心出来なかった。リタの脳裏には地区のあらゆる人間の雑多な思念が、際限なしに流れ込んでいた。
『…あ…!』
リタが耳を塞いでも、それは止む事が無かった。
あの頃と同じだ…。
自室でリタは膝を抱えて、独りいる。
止まる事の無い雑多な思念の流れに、リタの心は怯えている。
人の心が流れ込んで来るのが、止められない…。
能力のコントロールが利かない…。
どうして…? ここに、帰って来たから…?
リタの瞳からは、感情が消えかけている。
…ここに、帰って来たから…。
僕がここに、帰って来たから、エリー君、ライラ君、小猫君も…。
僕のせいで、皆…。
頭を抱え、縮こまったリタの脳裏に、不意に聞き覚えのある声が聞こえた。
リタはハッと目を開き、縋る思いでそれを受心する。
続けて雑多な思念の幾つかに、ある共通の感情を感じ取った。リタはそれを黙って受心し続ける。痛むように顔を歪ませながら。
思念の波の中でリタは流されないよう、必死で思考する。そうしている内に、思念の奔流が収まっていく。
顔を上げ、リタはある考えを送心した。
『明日、帰ろう。』
送心した後、リタの瞳は強い意志の光を持っていた。
『…しっかり、しなきゃ…。』
翌日。
旅荷物を持ったリタは、第七地区の駅に向かって、歩を進めていた。強ばった顔でリタは道を歩いて行く。
…突然、握りつぶされるような力で腕を掴まれ、リタは路地裏に引っ張り込まれた。
リタが引きずられて来たのは、温泉街の裏の空き地だった。
リタの周りには、何人もの険悪な顔をした青年達がいる。その中心には大柄な、己の性根の悪さで曲がった顔で嗤う、青年が立っていた。
嗤いながら、大柄な青年が言う。
「久しぶりだな、栗田。」
リタは唇を結んで、青年を見た。
「何だその顔、友達見捨てて帰るようなクズが。」
気に食わない。そんな感情を剥き出しにして、青年はリタを睨んだ。
『…大橋君。あの三人は…。』
震える声でリタが響かせると、大橋と呼ばれた大柄の青年はまた嗤い。
「オレの仲間がボコってやった。」
『…どうして…?』
「お前がいかにクズかを、教えてやる為だろ。」
嗤いながら、大橋は続ける。
「いつも人の心勝手に覗き見て、勝手に怯えてやがって。全部お前のせいだろ? お前といるとろくな事にならねえって、お前のお友達にも教えてやっただけだろ?」
『…僕、は…。』
「クズだよ。オレが親切に教えてやってるだろうが。」
リタは震えながら、黙って下を向いている。
大橋はまた気に食わないというように顔を歪ませ、リタを睨む。
「どうした、クズ。何か気に入らないのか。だったら、あの時みたいに頭に攻撃してみろよ。頭いかれさせてみろよ。」
『…僕は…そんな事しに、来たんじゃないっ…。』
リタは身体を震わせながらも顔を上げ、大橋を睨んだ。
『…あの三人を、返せっ…。』
「返せ…?」
大橋はリタに歩み寄ると、頭を思い切り殴りつけた。
「『返してください』だろうがあ!!」
地面に叩き付けられたリタの身体に、大橋は殴る蹴るの暴行を加える。
「ああ気に入らねえ!! オレに命令? 随分偉くなったもんだな!! 調子こくなあ!!」
リタが暴行される様を、周りの青年達は苛立ちを滲ませた、相変わらず険悪な表情で見やっている。彼らの視線を感じながら、リタは思い返す。
昨夜、リタの心に流れ込んで来た思念の中にあったモノを。
「大橋も、何でああ栗田いじめるかね。」
「そりゃ、オレもガキの頃、あいつの事気に入らなかったけどさ。何かいつもびくびくしてて。」
「人の顔色伺ってる感じでな。」
「…大橋のあれは異常だよなあ。」
「何もかも気に食わないんだとさ、栗田の事。」
「思うだけなら、個人の自由だけどさ…。」
「…オレ達の事、いちいち巻き込まないで欲しいよな。」
「ここで一番の旅館の跡取り息子だからな。オレ達弱小の旅館の子供が逆らえる相手じゃないけど…。」
「逆らったら、オレ達、更には家が被害被るんだよ…。」
腹に思い切り蹴りを入れられ、リタは激しい痛みに踞った。思わず、心の中で呼ぶ。
『…助けて…セーラっ…!』
旅館小栗の玄関前。
「…大丈夫なんでしょうか、広喜は…。」
リタの母は目の前の青年に、おろおろとした様子で話す。
「…こんな事、今言うのも何ですけど、私…あの子に謝る事も出来なくて…。あの子が苦しんでいるのを知っていながら、私は…。」
青年は僅かの間黙った後、言った。
「謝られる事を、あいつは望んではいないと思いますが…思いは伝えた方がいいと思います。」
リタの母はしばし沈黙すると青年に向き直り、恭しく頭を下げた。
「…広喜を、よろしくお願いします。」
青年は一礼すると、その場を後にした。
『う…。』
腹を抱えて踞るリタに、思う存分殴り、蹴った大橋は嗤った。
「感謝しろよ! お前がどうしようもない弱いクズ人間だって、改めて教えてやったんだからな!」
リタは腹を抑えたまま、黙っている。大橋は大声で捲し立てる。
「クズ人間の所には、クズ人間しか集まらねえよな!」
リタがゆっくりと顔を上げ、大橋を見る。大橋はリタを見下ろし、嗤いながら言った。
「お前が助けを求めた、セーラとかいう奴もクズなんだろ?」
その言葉を感じ取ったリタの目が、見開かれる。それに気づく様子も無く、大橋は更に言った。
「それを教えてやったんだ、ありがたく思えよ!!」
『…僕、お前には、何にも教えてもらってない。』
リタが小さな心の声で言葉を発した。
「何?」
大橋が顔を歪めると、リタはゆっくりと身体を起こした。小さな言葉を響かせる。
『…セーラは、僕が弱い事を教えてくれた。守られないといけないってことも教えてくれた。…それから友達っていうモノも、セーラが教えてくれた。』
「…何を…?」
大橋が戸惑いを見せる。リタはぎり、と歯噛みして、大橋を睨みつけ、叫びを送った。
『友達が楽しい事、辛い事、悲しい事もあるって教えてくれたのもセーラだ。…このお前が嫌いな能力を使って、その友達を守れるってことを教えてくれたのもセーラだ!!』
リタの気迫に大橋は何も返せずにいる。リタは更に叫ぶ。
『僕がお前のせいで見失っていたモノは、皆セーラが教えてくれた! セーラがいたから、僕はエリー君やライラ君、小鳥ちゃんや小猫君達と出会って、もっともっと色んな事を教えて貰った!!』
周りの青年達も戸惑いを隠せない。リタの渾身の心の叫びが、びりびりと音を立てるように周りの青年達に伝わる。
『僕は! お前なんかには何にも教えてもらってない! 僕はセーラや、あの皆に! 生きてく上で必要なモノ全部教えてもらった! 僕が強くなれるって事も!!』
リタは身体の痛みをこらえ、ふらふらと立ち上がった。大橋を睨みつける。
『…だから僕は、お前なんかには負けないよ。』
大橋は戸惑いを隠すように、大声を上げた。
「…このクズが好き勝手に!! …お前ら!」
大橋が周りの青年達を見ようとした時。
「ぐはっ!」
「だっ!」
打撃音と共に、青年数人が倒れる。倒れた青年の後ろにはそれぞれエリー、ライラ、クラガリ姉弟がいた。
リタは思わず目を丸くする。
『…皆…?』
「言ってやったっすね、リタ先輩!」
「リタ先輩すごいです!」
リタに賞賛の言葉を贈るエリーと小鳥を目の当たりにし、大橋はうろたえた。
「なっ、お前ら、栗田の仲間!? オレの仲間がやったはず…!」
「そんなの芝居に決まってるだろが。」
「伊達に学園始末屋なんてやってないんで。」
エリーは呆れ顔になり、ライラは大橋を見て攻撃的に笑った。
「さ、どーする? 大橋さん?」
「…っ! くそお! この愚図共! 何とかし…。」
大橋が顔を歪ませ、周りの青年達を見回した時。
『仲間に「愚図」なんて言うの? 君。』
リタが放った言葉に、大橋のうろたえが大きくなった。リタは大橋を真っ直ぐ見据え、伝える。
『だったら君の仲間は、君を「仲間」だとは思ってないよ?』
「な、何言って…。」
『今から教えてあげる。』
リタは集中するように目を閉じる。次の瞬間、大橋の脳内をたくさんの思念が襲った。
「家がでかいからって、いつもいつもいばりくさって…。」
「お前の都合にオレ達巻き込むな!!」
「お前のせいで、痛い思いばかり…!!」
「今回だって、お前が勝手しなけりゃこんな…!!」
「お前なんて、いなくなりゃいいのに!!」
「あ、うあ…! やめ、オレのせいじゃ…ちくしょ、あ…!」
脳内を駆け巡る周りの青年達の思念に、大橋は頭を抑え、混乱し叫んだ。
リタは冷静に大橋を見据えている。
『解ったよね、皆の気持ち。』
「お前っ、でたらめ…!」
『僕は人が本当に考えている事しか、受心も送心も出来ないよ。君が自分で言ってた。「人の心、勝手に覗き見て怯えて、気持ち悪い」って。』
リタが放った心に、大橋は目を血走らせた。ポケットに手を突っ込み、中身を引っ張り出す。
「…くそおおおお!!」
カッターナイフを握り、大橋はリタに向かって行った。
「やべえ!」
「リタ先輩!」
エリーとライラが慌てたが、庇いに入るのは間に合わない。
カッターナイフがリタに迫る。リタが目をぎゅっとつぶった時、ぱきりとカッターナイフが折れる音がした。
大橋が驚いて見ると、杖でカッターナイフを折ったセーラが、怒りの籠った眼差しで大橋を見下ろしていた。
「貴様ごときが、リタを傷つけるな。リタを怯えさせるな。リタの前に立つな。貴様ごときがリタに、指一本触れるな!!」
セーラの気迫に大橋は思わず腰を抜かし、尻餅をついてしまった。
リタが呆けた顔をして、不意に現れたセーラの背中を見る。
『…セーラ…?』
大橋はなおも周りに喚く。
「お、お前ら何とか…!」
「何とかしてもらえるのか? お前を疎ましく思っている奴らばかりだぞ? それでオレ達に勝つと?」
セーラは大橋を見下ろし、威圧的に言い放つ。
青ざめた大橋は、ゆっくりと周りを見回す。周りの青年達はただ大橋を見下ろしている。ただ、黙って見下ろしている。助ける意志の無い証だった。
大橋は身体を震わせ、頭を抱え、踞った。
「う、うぐう…!」
エリー、ライラ、クラガリ姉弟はセーラとリタに駆け寄る。ライラが呆れたように、大橋を見下ろした。
「どーします? ちょっと仕置きしておきます?」
「この男の自信は壊した。当分再起は出来ないだろう。」
セーラが首を横に振ると、三人の後輩は一様にため息を付いた。
旅館小栗に戻る道を、始末屋の面々は歩く。
言葉の無いリタに、セーラは話す。
「リタ。お前があの男の事を気に病む必要は無い。自業自得という奴だ。」
『…僕は、仕返ししたかった訳じゃない。…ただ、セーラや皆が悪く言われたの、僕…。』
か細い声で響かせたリタに、セーラは静かな声で返した。
「解っている。…ありがとう。」
『…うん。』
間もなく旅館小栗が見えて来た。
「さー、これから温泉浸かってゆっくりしますかー。」
「やっと邪魔も入らねえし。」
ライラとエリーが言うと、セーラは後輩達に声をかけた。
「オレ達は少し休むから、お前達だけで行ってこい。」
「え、そーすか?」
「解りました、じゃあごゆっくり。」
小猫とライラは旅館に入って行った。
続けてエリーが旅館の玄関に足を入れる直前、振り返るとリタに口を開いた。
「…今から余計な事言うっす。…リタ先輩をここに来させろって言ったの、セーラ先輩すよ。」
リタがハッとしてセーラを見ると、セーラはただ黙ってエリーを見た。
「…じゃ。」
短く口にし、エリーはライラとクラガリ姉弟を追って歩いて行った。
旅館のリタの自室で、リタは黙って座っている。向かい合い、座るセーラも長い事黙っていたが。
「…すまない。怒っているだろう?」
重く響いたセーラの声。リタは顔を上げると、セーラを見た。リタの顔にはいつもの穏やかな笑みがあった。
『怒ってないよ。ただ、セーラは過保護だなって思ってた。セーラが理由もなしにこんな事する訳ない。…ありがとう。』
リタの言葉が心地よくセーラの心に響く。セーラは小さな声で返した。
「…ありがとう。」
温泉に入りながら、小猫はエリーとライラに問う。
「どういう事なんす? セーラにーさんがリタにーさんを地元へ来させたって。そんな古傷抉るようなこと。」
エリーは少し黙って思い返してから、小猫に伝えた。
「…セーラ先輩、気にしてたみたいなんだよ。三年もの間、リタ先輩を自分に逃げさせたって。…そんで、自分もリタ先輩に逃げてたって。」
「で、相談された訳。リタ先輩が自分のトラウマと向き合えるように、協力してほしいって。」
ライラが続けると、小猫は戸惑いながら頷いた。
「そう、なんすか…。」
エリーとライラは顔を見合わせ、一つ息を付く。ライラは呆れた調子で一言口にした。
「どこまでも、過保護なんだから。」
リタを前に、セーラは静かな声で宣言する。
「…次はオレの番だ。」
『え?』
リタが首を傾げると、セーラはリタを真摯に見ていた。
「家との事に、けりをつけて来る。」
リタがひゅ、と息を飲むと、セーラは穏やかに笑む。
「お前がけりをつけたのに、オレが逃げたままなのは不公平だ。…行って来る。例え、弱者と罵られようともな。」
リタはセーラの顔をじっと見ていたが、やがてゆっくりと響かせた。
『…僕、一緒に行ってあげる。』
「リタ…?」
『で、セーラが酷い事言われたら、僕が怒ってあげるね。僕、怒るの苦手だけど、怒ってあげる。…だから、頑張って。』
リタが真っ直ぐにに伝えた言葉に、セーラは一瞬驚いてからまた、笑んで見せた。
「…ありがとう。お前がいてくれるだけで、心強い。」
翌日。第七地区の駅。
帰校する面々を、リタの母が見送る。リタは小さな声で母に伝える。
『…じゃあね、お母さん。』
「…広喜。」
リタの母が細い腕を伸ばし、息子の身体を抱きしめた。
驚き、戸惑うリタに母は伝えた。
「…ごめんなさい。それと…行ってらっしゃい。」
『…行って、きます。』
リタは穏やかな表情で、ゆっくりと頷いた。
ふとリタが視線を移すと、大橋に加担していた青年達が少し離れた所にいた。 リタの視線に気づき、青年達は気まずそうにする。
青年達にリタは学園にいる時のように、穏やかに笑んで見せた。
青年達が驚きを隠さない中、リタは既に皆が乗っている列車に乗り込んだ。
セーラの実家、聖家の屋敷。
そこの大広間の上座に、聖家の当主である初老の男が座っている。セーラの父親だ。周りには沢山の一族の人間がいた。
大広間の下座にはセーラ、その後ろにはリタが正座している。
セーラが当主に向かい、口を開いた。
「…この家と金輪際、縁を切りに来ました。」
セーラを見ながら、ずっと眉間にしわを寄せている当主は、低い声で返した。
「…許さぬ。」
「…何故?」
セーラが冷静な声で返すと、当主は冷徹な態度を示した。
「聖の家からお前のようなモノが出奔したとあっては、聖の恥だ。」
「…直接攻撃系の能力を持たないオレは、この家の一員として認められる事は今後も無い。この場所にいても、オレは意味が無い。ならば存在する意味を持てる場所に、オレは行くだけです。」
ゆっくりと語ったセーラの言葉をはねつけるように、当主は眉間にしわを寄せたまま、言った。
「出来損ないでも、お前は聖の血を持って産まれた。聖の者は強い力を持っておらねばならない。お前のような弱みが、外に知られてはならん。」
『…それはセーラ…聖君を、この世界から隠したい、恥ずかしいから。…そういう意味だと思っていいんですか?』
リタが大広間の人間達の脳裏に響かせた言葉に、当主の周りの人間達は大いに戸惑った。
セーラも思わず戸惑い、声をかける。
「リタ。」
「…先程から気になっていたが、後ろの人間は?」
当主が睨みつけるのにも怯まず、リタは問う。
『答えてください。そういう意味なんですか?』
「…そう、捉えてくれて構わん。」
当主が二人を威圧するように返答した。
『そうですか…。』
当主の答えを受けたリタは立ち上がり、ゆっくり歩いて行き、当主の前に立った。
そして拳を握り、振りかぶり、当主の頬を思い切り殴った。
セーラも当主も、一族の人間達も驚きを隠さない中、リタは叫びを上げた。
『…っざけるなあ!!』
「リタ…。」
セーラが目を丸くする。リタは怒りをあらわにし、当主に叫ぶ。
『セーラが弱いから恥ずかしい!? ふざけるのも大概にしろ!! セーラの事無視してた癖に!! セーラの何にも解ろうとしなかった癖に!! そんな酷い人…貴方こそ、この家に取って、恥ずかしい人じゃないかあ!!』
「なっ、こいつ…!」
「無礼な!」
一族の人間達が立ち上がろうとした時、セーラがバッと立ち上がり、リタを庇って前に出た。ゆらりと光る眼差しを、セーラは一族の人間達に向ける。
「…リタを傷つければ、オレはどんな手を使ってでも、この家全員根絶やしにしてやる…!」
セーラの気迫に圧倒され、一族の人間達は皆動きを止めてしまった。
リタに殴り倒された当主が、頬を抑え、ゆっくりと身体を起こす。怒りの籠った声で、セーラに吐き出した。
「…もういい…お前など、この家にいらぬ。出てゆけ!!」
セーラは一瞬息を飲むと、唇を結んだ。ゆっくりと当主に向かって一礼した。
「……ありがとう、ございます。」
玄関に向かって、セーラとリタが屋敷の廊下を歩いていると。
「…羅衣。」
二人の後ろから控えめな声が響く。二人が振り返ると、セーラの母親が立っていた。
セーラが黙っていると、セーラの母は言った。
「出るのね、ここを。」
「…はい。」
セーラが頷くと、セーラの母は真っ直ぐにセーラを見た。
「…心配だけど、大丈夫ね。」
「…はい。」
セーラが再び頷く。
セーラの母はリタに視線を移した。穏やかに問いかける。
「…羅衣の、お友達?」
『え、はい…。』
リタが戸惑いつつ頷くと、セーラの母はリタに深々と一礼した。
「羅衣を、よろしくお願いいたします。」
少し震えて伝わったセーラの母の言葉に、リタは深く頷いた。
『…はい。』
学園へ帰る道を、セーラとリタは行く。
リタは黙って前を歩くセーラの背中を、ずっと見ていた。小さな、遠慮がちな意志で話しかける。
『…セーラ。』
セーラは立ち止まり、空を仰ぐようにして呟いた。
「…長年、認められたいと思っていたが…結局、出る事になったか…。」
セーラはリタに向き直る。
「…リタ、ありがとう。…怒ってくれたな。」
どこか泣きそうに、セーラはリタに笑んで見せた。リタの目が潤む。
『…セーラ…。ごめんね…僕、セーラの、お父さん…。う…。』
下を向いてしまったリタの震える肩を支えるように抱き、セーラは掠れた声で伝えた。
「…ありがとう、本当に、ありがとう…リタ…っ。」
学園生徒会寮に戻ったセーラとリタは目を丸くした。
「何だ…?」
『何? このごちそうとか…。』
寮の食堂には、色とりどりの沢山の料理が並んでいる。食事を運んでいる小鳥が弾んだ声を上げた。
「あ、お帰りなさい先輩達!」
「何なんだ? これは…。」
セーラとリタが疑問符を浮かべていると、同じく料理を並べているエリーとライラは答えた。
「え? これ?」
「んー…何となく。」
疑問符を増やすセーラとリタに、エリーとライラは続けて話した。
「何かよく解んねえっすけど…。」
「一皮むけた気がした記念です。」
後輩二人の言葉に、先輩二人は一瞬目を丸くした。
そして、肩を揺らして笑い始めた。
『…ふふ…。』
「くく…。」
リタとセーラを見、エリーとライラもつられて笑う。
「何すか、先輩。」
「笑っちゃって。」
『…よかったなあって、思ったんだよ。』
「ああ、そうだな。」
リタ、そしてセーラが返した時、小鳥の声がかけられた。
「用意出来ました! 皆呼んで食べましょう!」
「そうだな。腹減ったな。」
「食おう食おう。」
エリーとライラは頷き合い、食卓へ向かう。
セーラとリタも顔を見合わせてまた笑み、食卓へついた。
数日後。
エリーは学園校舎の窓から外を眺めつつ、ぼんやりとしていた。
窓の外に広がる景色を眺めながら、エリーは口にした。
「…ぶっちゃけ…狭くねえか? この『世界』って。」
エリーの目の前に広がるのは、先の見えないもやにぐるりと囲まれた「世界」だった。
To Be Continued