第十九話 十一月 十六年前の結末
一人の妙齢の女性が歩く。
女性が歩く度にコンクリートがかつ、かつと鳴る。
女性が歩く場所は沢山の鉄骨が倒れかけ、電線がむき出しになっている荒れた場所だった。昼間なのに薄暗い場所だった。
歩きながら女性…田村詠がしていたのは、追憶だった。
荒れ果てた野で、私達と彼女は出会った。
「…どうしたの? 貴方達…こんな所にいたら危ないわ。お家にお帰りなさい?」
上から降って来た言葉に、小さかった私とあいつはびくりと身を竦ませた。怯えている私達を見下ろして、彼女は問うてきた。
「…貴方達も、もしかして…『能力』が…?」
今度こそ、殺される。…そう思った。私もあいつも。
…私とあいつは「能力」を持って産まれた。そのせいで二人とも幼い頃から迫害され、最後には住んでいた場所を追われてしまった。
「能力」を持つ人間を忌み嫌う人間達から、命からがら逃れて来て、私とあいつは彼女に見つけられた。
彼女は死を覚悟した私とあいつに、穏やかに言い聞かせた。
「私達の所に来るといいわ。」
心身共にぼろぼろだった私とあいつに、彼女は温かい食事を振る舞ってくれた。かき込むように食事をする私達に、彼女は優しく笑った。
「沢山お食べなさい? 安心していいわ。ここには能力を持った人しかいないの。能力を持った人だけで、出来た町なのよ。」
食べ物をかき込む手を止めた、私とあいつ。彼女は私達の手をそっと取って、優しく握った。
「ここまで来るの、大変だったのね。貴方達と会えて良かったわ。」
その言葉で私もあいつも、緊張の糸が切れてしまった。涙が溢れて止まらなくなった。彼女は私とあいつを抱きしめてくれた。
私とあいつが泣いて、泣いて…ようやく落ち着いた頃、彼女は問うて来た。
「貴方達、名前は?」
私とあいつは少し考えて、首を横に振る。
…解らなかった。自分の名前が。「能力」があると解ってから、名を呼ばれる事など無かったから。忘れてしまう程に。
彼女はそれを察したらしく。
「…そう。じゃあ、後でここでの名前を考えましょう。…そうだ、ごめんなさいね。私が名乗っていなかったわ。小雨。倉狩 小雨 と呼んでちょうだい。」
彼女…小雨さんは、温かく笑んだ。
小雨さんは私とあいつを、彼女の仲間という人達の所に連れて行ってくれた。
仲間という彼らは、皆小雨さんと同じ位…当時は二〇代前半だっただろうか。皆能力を持ち、迫害を受け、この場所を作ったのだと言った。
皆、私達を温かく迎えてくれた。
その時、私は「田村詠」あいつは「倉狩小春日」という名を貰った。
私達が入ったばかりの頃、能力者だけで出来た場所…コミュニティは、既に一大勢力になっていた。その頃はまだ、開かれていた。
時折、能力を持っていない人間達との小さな衝突があったけど、私と小春日が二人きりで逃げていた頃に比べれば、平和なものだった。
非能力者との衝突があると、出て行くのは小雨さんだった。
小雨さんは並外れた戦闘能力を持っていた。武器を持たせたら、誰も敵わなかっただろう。加えて小雨さんの能力は「生命活動停止」…他人を自由に死に至らしめる事が出来る力を持っていた。
小雨さんは「能力者の筆頭戦士」「コミュニティの剣」などと、いつも賞賛されていた。
…幼かった私と小春日には意味が解らなかったけど、その一方で「なまくら刀」という侮蔑の言葉も囁かれていた。
あの頃、私も小春日もどちらかというと苦手にしていた人物がいた。
コミュニティ創設者の、二人の女性だった。
コミュニティ創設に最も関わった、五人の人間がいた。小雨さんも含むその人間達の中で、この場所を作るという立案をして、一大勢力にまで成長させた二人だ。
小雨さんを「なまくら刀」と罵っていたのは、主に彼女達だった。
…思えば、彼女達二人の中には、既に鬼が棲み始めていたのかもしれない。
私と小春日がコミュニティに加入して、一年程経ったある時。
「…小雨様、遅いな。」
「…うん。」
小雨さんの家で、私と小春日は心細い気持ちだった。
その日、私達は突然小雨さんに「絶対に出るな」と言われ、家に押し込められていた。
「…小雨様…。」
小春日が泣きそうな声で呟いた時、小さな音を立て、家の玄関が開いた。
「!」
「小雨様! …!!」
ドアを開けて入って来た小雨さんは、血を浴びて真っ赤になった身体で苦笑した。
「…小春日、詠、ごめんなさいね…ちょっとお風呂と着替え…用意してくれるかしら…?」
「小雨様!! 何でっ…!! ケガ、おケガはありませんか!?」
「大丈夫よ、小春日。全部返り血だから…大丈夫よ。ほら、早くお風呂の用意をして。貴方に血が付いてしまうから…。」
小雨さんは泣きそうな顔で笑い、錯乱する小春日を宥めていた。
…かなり後になってから、知ったのは…。
この時、非能力者達との大規模な戦闘があり、結果コミュニティは閉ざされた場所になった、ということだった。
入浴と着替えを済ませた小雨さんは、私と小春日に聞かせた。
「明日から貴方達に、戦う術を教えるわ。…でも、出来る事ならその術は、自分の身を守る為だけに、使ってちょうだいね。」
それから数年が経ち、私と小春日は一五歳になった。
「能力者の筆頭戦士」の弟子として、私も小春日もコミュニティを守る任に付いていた。
私はコミュニティ創設メンバーの補佐、小春日は小雨さん率いる特殊部隊「倉狩一門」で、コミュニティに仇なすモノを退ける役目を担っていた。
幼い時のように、常に一緒にいる訳ではなかったけど、時折私と小春日と小雨さんとで集まれば、笑顔になれた。
それなりに幸せだった。…あの頃は。
…突然。小雨さんと小春日に連絡がつかなくなった。
どうしたんだろう。もしかして、また戦闘があったのか。いや、あれから大規模な戦闘は起こっていない筈…。
そんな事を考えながら、仕事をこなす。仕事の合間に連絡を試みる。やはり、二人と連絡はつかない。
私は一つの心当たりを探した。
コミュニティの中にあるコンピューターには、ありとあらゆる場所を監視した映像が記録されている。
私はそれの、倉狩一門の活動区域の映像を追った。記録をずっと見ていき、映像の終わりも近くなった時。
…映し出された映像に、息が出来なくなった。
倉狩一門の拠点が置かれていた場所の映像だった。
その映像は、あらゆる所が赤かった。赤い、血。血の海。血の海には一門の人間達が沢山倒れていて。
その中に小雨さんが立っていた。息を切らせて、立っているのがやっとの状態で、昔のように身体中を血で染めて。後ろでは小春日が顔を強ばらせて、同じく血を浴びて立っていた。
そんな二人を、沢山の一門の男達が取り囲んでいた。
男達が皆、小雨さんに武器を向けた。
小雨さんが一瞬、笑んだように見えた。初めて会った時のように、穏やかに。
そして、小春日を抱きしめた。
男達の武器が、小雨さんを串刺しにした。小春日を庇った小雨さんが、ずるずるとその場に崩れた。
小春日は絶望に目を見開いて、その場に立ち尽くしている。
男達が小春日に、一斉に意識を向けた。
「逃げて!! 小春日ぃ!!」
もう過去の映像に向かって、私は叫んでいた。
男達が小春日の身体をがんじがらめに掴む。小春日はもう、逃げる事は叶わない。小春日が内側からも外側からも破壊されていくのを、私は見ている事しか出来なかった。
私が知った時には、全てが遅かった。
倉狩一門の中で、小雨さんに不満を持つ一部の人間達が蜂起し、内乱が起こっていた。
その結果、小雨さんは殺された。
「なまくら刀」。その侮蔑の言葉が何故存在したか。
それは小雨さんが、滅多な事では殺人をしなかったからだった。コミュニティを守る…そんな役目を帯びていた彼女は、極力人を傷つけないことに、徹底していた。
そんな「なまくら刀」の部分で、創設者のあの二人と対立していた事も、かなり後になってから知った。
…そんな事は、今となってはどうでもいい事なのかもしれない。
小雨さんが殺された事に変わりはないし、あいつ…小春日は…。
大粒の雨の中、私は走った。血の海の中を走って、倉狩一門の拠点に向かった。
拠点の一番奥の部屋に来た。息を切らせる私の前にいたのは。
「…ああ、詠か。」
暗い部屋の中、大きな椅子に座っていた小春日が、ゆらりと立ち上がった。
生きていてくれた。それだけで私は救われた気がした。
「…小春日…生きて…!」
「生きているさ、当然。私は、小雨様の弟子だぞ…?」
ぞくりと背中を寒気が襲った。
小春日の声は恐ろしく昏く、冷たく響いた。小春日は嗤った。恐ろしく不気味な、凍るような笑みだった。
幼い頃、小雨さんに見守られ、私と共にいて無邪気に笑っていた面影は無かった。
「…こはる、び…小雨さん、は…。」
私が出した声は震えていた。小春日は嗤ったまま答えた。
「…案ずるな。いるさ。…ここに。」
小春日の手が触れたのは、小春日本人の下腹部だった。
「ここからまた、出て来てくれる。大丈夫さ。」
「…まさか…!」
私はそこから先の言葉を、どうしても紡げなかった。小春日は狂気を孕んだ目で、また嗤った。
…小春日のお腹の中には、小春日を強姦した倉狩一門の男の子供がいた。内乱に乗じて…あいつらは小春日の心身を、力ずくで破壊し尽くしたのだ。
あの内乱の後、小春日は内乱に関わった一門の人間を全て殺し、残った者を平伏させ、頂点に立った。その殺した人間の中に、お腹の子の父親もいただろう。
小春日がどうして、強姦されて出来た子供を産もうと思ったか。小春日は混乱する私に言った。
「あんな男の子種でも、倉狩一門のモノだ。倉狩一門は小雨様が作ったモノ…そのものだ。私はこの子を小雨様のように育てるんだ。あの強い、小雨様…。」
小春日はお腹を愛し気に撫でる。
…あの時、既にお腹の子は小春日にとって、小雨さんそのものだった。
小春日のお腹が大きくなって行く様を、私は見ている事しか出来なかった。
そんな最中、お腹の赤ちゃんが二人いる事が解った。双子だったのだ。
小春日はそれを知るや言った。
「小雨様は二人もいらない。」
私は小春日の言葉に戸惑った。
「…二人もいらないって…双子だったのよ…。まさか、片方だけ殺すとでも…?」
小春日は嗤った。
「バカな事を言っちゃいけない。小雨様は、人間二人分以上に強い方だっただろう? 足りない位だ。」
「…どうする気、なのよ…?」
「一人にまとめてしまえばいい。」
あまりにもあっさりと、狂っているとしか言い様の無い事を言った小春日に、私は思わず叫んだ。
「どうやってよ!! 貴方何考えて!!」
「…今でこそ、コミュニティにはこちらからは干渉出来ないが…以前はちゃんとパイプがあった。…あの時コミュニティにあった技術は、片っ端から分捕ってきたさ。」
小春日は口角を吊り上げ、にたりと昏く笑った。
コミュニティの技術。
能力者の能力と、科学技術を掛け合わせたモノ。
それを使い小春日は、一つの身体に二人分の力と心が詰め込まれた…そんな人間を産んでしまった。
元は二人だった、一人の赤ちゃんを愛し気に抱きながら小春日は聞かせる。
「よしよし…お前は、小雨様のような、立派な戦士に育ててやるからな…。どんな人間も敵う事無い…全て殺せる…そんな戦士に…。」
私は激しく心が痛むのを感じた。
…小春日。
小雨さんはそんな人じゃなかったでしょう。
貴方の中にいる小雨さんは、小雨さんじゃない。
貴方の中にいるのは…壊されて歪んだ思い出の中で、貴方が美化した小雨さん…。
私はもう耐えられなかった。
「…小春日。貴方とは、もう一緒にいられない。」
学園の医務室。
エリーとライラが見守る中、白いベッドの中でクラガリ姉弟は眠っている。
閉じた瞼の裏で、姉弟はある光景をずっと見ていた。
「何度言えば解る!!」
激しい衝撃に一人の子供の身体が倒れ、床に叩き付けられる。
「あの程度の人間に、何を苦戦している!! あんな程度、一瞬で殺してしまえ!!」
子供を殴り、叫んだのは子供の母親で倉狩一門の長、倉狩小春日。
「何故! 何故お前達はそんな、なまくらなんだ!! 何でっ…!!」
小春日は叫び、泣きそうに顔を歪ませる。
「…次はもっと完璧に殺せ!!」
小春日は言い捨てるとドアを乱暴に閉め、部屋から出て行った。
傷だらけの身体を縮込ませ、子供は自分の部屋にいた。
「…また、怒られたね。」
まず小さな掠れ声を出したのは、子供の中に存在する人格の姉の方。小鳥と呼ばれている。
「…おいっち達…また上手く、出来なかった、かな…。」
次に呟き声を出したのは弟の方。名を小猫といった。
「…また、小春日、泣きそうになってたね…。」
薄暗い部屋で一人の姉弟はぽつりぽつりと話す。
「…おいっち達が、上手く、出来ないから…。」
「…次、もっと上手く、殺さなきゃ…。」
殺す。それが姉弟の日課だった。
倉狩小春日の「主人」に仇なすモノを殺す。その為の教育のみを受け、姉弟は育った。
日々戦闘技術を磨き、敵と対峙し、殺す。
…終われば「もっと上手くやれ」と母親に叫ばれ、殴られる。
それが当たり前の、日常を送っていた。
ある時。
姉弟は沢山の資料が収められた部屋にいた。戦闘の記録映像を見るよう、小春日に命令されたからだった。
指定された資料を探し、引っ張り出した時。出した資料に引っかかって、別の資料が床に落ちた。
落ちた資料を拾い上げた姉弟は、疑問符を浮かべた。普通、資料には記録の日付が書かれているのだが、落ちた資料には何も書かれていなかった。
姉弟は見るよう命令された資料と、何も書かれていない資料を持ち、部屋を出た。
いつもの様に戦闘記録映像を見た後、姉弟は何も書かれていない資料を機械にかけた。映像が動き出す。
…そこに映っていたのは一人の妙齢の女性と、一五歳前後だろうか、少女が二人。女性は小さな赤ん坊を抱えていた。
少女の一人が、女性に問う。
「小雨様、どうしてこの子の養育係になろうって思ったんですか?」
「…この子には、能力が無いのですよね。」
もう一人の少女が、赤ん坊を覗き込む。白い髪の小さな赤ん坊は、大きな赤い瞳で三人を見ている。
赤ん坊を抱える女性が、穏やかに笑んだ。
「そうね。この子には能力が無い。ちゃんと確認もされたわ。…能力がある事が当たり前のこの場所で、能力が無い。…辛い事ね。でもこの子だって産まれて来たのよ。だったら生きられるだけ生きなきゃ。生きられるようになるまで、誰かが守ってあげなきゃいけない。」
二人の少女は黙って、女性の話に耳を傾ける。女性は続ける。
「この子の母親は…創設者の片割れだからかしら…この世界を守る事に忙しいから。何だかこの子を放っておけなくて、養育係に立候補したのよ。…赤ちゃんなんて、上手く面倒を見てあげられるか解らないけど…。」
「大丈夫です! 小雨様が育てるんです、きっといい子に育ちますよ!!」
「…この女の子…小春日、だよね…。」
女性の事を「小雨様」と呼び、無邪気に慕っている様子の少女に、姉弟は自分達の母親の面影を見た。
映像は続く。
「…だと、いいのだけど。」
女性は苦笑すると、少女二人を真っ直ぐに見た。
「…この子はこの先、沢山辛い思いをすることになるかもしれない。私の思いも届かなくなる程に。…もしこの子が辛い事になった時、私がこの世界にいない時は…貴方達がこの子を守ってあげてくれるかしら…?」
少女二人は驚き、女性を見た。
「そんな! 小雨様がいないとか、そんな事言わないでください!!」
「小雨さん…いなくなるんですか…?」
不安を露にする少女達に、女性は居住まいを正し、再び問うた。
「…この子を、守ってあげてくれるかしら…?」
少女達は短い間、黙った後、女性を見て、強く頷いた。
「はい!」
「解りました。」
女性は腕の中で眠り始めた赤ん坊、そして目の前の少女二人に穏やかな眼差しを向けた。
「…皆、いい子ね。一〇年先の貴方達が、私はとっても楽しみなのよ。」
女性は慈愛に満ちた笑みを浮かべた。
映像はそこで終わった。
姉弟の目からは、涙があふれていた。
姉弟は声も上げず、ただただ涙を流していた。
長い事、泣いた後。姉弟は映像を見る部屋を出た。
「待て!! うわああ!」
「ぎゃあっ!」
「ぐえ!」
苦し気に声が上がり、男達の身体が潰れていく。男達の身体を潰し、走り続けるのは小鳥と小猫、一人の姉弟。
姉弟は逃げてきた。自分達の家…倉狩一門から。母親は当然のように、大勢の追っ手を差し向けて来た。
姉弟の手に、身丈の半分もあるようなガトリングガンが出現する。それを姉弟は軽々持ち上げ、引き金を引く。男達の身体がバラバラになる。
別の追っ手が向かってくる。姉弟は弾が切れたガトリングガンを投げ捨てると、腕を思い切り振りかぶり、まとめてラリアットを当てる。男達の身体がたたむように折れ曲がり、骨が砕ける音がし、動かなくなった。
追っ手達は姉弟に、全員暴殺された。
ある者は銃火器で身体を砕かれ、ある者は力ずくで身体を潰され、全員息をしていない。
姉弟は表情の無い顔で、血の海に佇んでいたが、やがてそれらに背を向け、走り出した。
家の外の世界へ向かって。
田村は廃墟の中、一番奥の部屋に足を踏み入れた。部屋の真ん中に立っていたのは、白髪の痩せた体躯の女性…倉狩小春日。
小春日は田村の姿を認めると、口を開いた。
「…よく解ったな。ここにいるって。」
「…何となくね。拘束されてた貴方が消えてたって聞いた時、ここにいるような気がしたわ。」
「…そうか。」
小春日の声は落ち着いて響いた。田村は一つため息を付く。
「…学園であんな事起こしちゃって。貴方、完全にコミュニティの処罰対象になってるし…貴方の子供達…小鳥ちゃんと小猫君の事、どうする気なのよ…。」
「…あいつらは、小雨様にはならなかった。」
小春日は静かな声で話す。
「最初の内はあいつらを、何が何でも小雨様の様にしようと思っていた。だが育てていく内に、それは叶わないと気づいた。あいつらは小鳥と小猫だ。小雨様じゃない。…でもそれを認める事が、どうしても出来なかった。結果、あいつらは私から離れた。それだけのことだ。」
田村は黙って、耳を傾ける。小春日は続ける。
「あいつらは私から離れて生きる事を決めた。私には追う理由も資格も無い。それだけだ。」
小春日はすう、と呼吸した。
「…今、とても穏やかな気分だ。何年ぶりだろうな、こんな気分は。…小雨様がもうどんな手段を使おうがいない事を、あれほどまでに認めたくなかったというのに…不思議だ。…私の子供達には私の方からは関知しない事にする。そうした方がいい。」
「…そう。…貴方自身はどうする気?」
田村が問うと、小春日は答えた。
「さあな。とりあえず、ぶらぶらしているさ。」
「…そう。まあ、貴方は殺したって死なないでしょうし、私はもう知らないわ。」
田村がまた小さく息をつくと、小春日は小さく笑った。少女のような笑みだった。
「そうか。…これを渡してほしい奴がいる。」
小春日が田村に差し出したのは一通の封筒と、細長い布袋に入ったモノだった。
「この封筒は私の子供達に。これは…あの能力を持たない、最重要警戒対象にだ。」
細長い袋を見、言葉を聞いた田村は一瞬息を飲んだ。静かな声で呟いた。
「…あの時の、ね。…とうとう、渡す事になった…。」
「あっさりしているな。」
笑みながらの小春日の言葉に、田村は頷いた。
「もう、長くはないと思っていたから。」
「…そうか。」
田村が封筒と細長い袋を受け取ると、小春日は田村の横を通り過ぎ、歩き出した。
田村はゆっくりと身体の向きを変え、小春日の背中を見る。小春日は足を止めた。振り返り、穏やかに笑んだ。
「…面倒をかけたな。息災で。」
「…好きにしなさい。…バカ。」
田村が返すと、小春日はまた前を向いて歩き出し、その場を去っていった。
田村はどこか痛むような表情で、それを見送った。
学園に戻った田村は、学園内の様子を見ながら口の中で呟いた。
「…これだけの事があっても、操作は解けないのね…。」
田村が学園に戻った時には、学園は日常の風景を取り戻していた。
沢山の負傷者を出した、小春日による学園占拠事件。それにも関わらず、生徒達は日常通りに動いている。
事件の途中で姿を消していたカグヤも、いつの間にかエリーとライラの部屋に戻っているようだった。…誰にも、咎められる様子も無く。
生徒達は皆いつも通りに勉強し、言葉を交わし、過ごしていた。
…一切の出来事を、忘れてしまったかのように。
エリーとライラは自室で二人、ぼんやりと過ごしていた。
「…おい。」
「ん?」
不意にライラがエリーを呼ぶ。エリーが顔を上げると、ライラはエリーを見、問うた。
「お前…あの時、何が見えた?」
ライラの真っ直ぐな眼差しを受け、エリーは返す。
「…てめえも、見えたのかよ。」
エリーはライラを軽く睨み、ライラは笑い、お互いを指差した。
「…てめえの泣き顔。」
「…お前の泣き顔。」
二人で言った後、エリーは呆れ顔をした。
「…笑い事じゃねえよ。」
「ああ、あれはな…。」
ライラの顔から笑みが消える。
「…あれは夢とか妄想とか、そういうんじゃない。」
ライラの言葉に、エリーは頷く。
「…マジであった事だよな…。」
ライラ、そしてエリーは考えるように、深く呟く。
「…今まで意識した事無かったけど…。」
「思い出せなかった、三年前…オレらが中等科二年の時の、記憶…。」
翌日。
「失礼します。」
ライラが医務室に入ると、田村が待っていた。
「突然呼んでごめんなさいね。来螺君。」
「話って、何ですか?」
田村に呼び出されたライラが問うと、田村は真摯な顔つきになった。
「…貴方に渡すモノがあるの。どうやって使うかは、貴方次第。」
田村はライラに細長い布袋を手渡した。
「…何ですか、これ。」
「…確かめてみて、もらえるかしら。」
ライラは疑問符を浮かべながら、布袋の紐を解き、中身を出す。
「…これ…刀…?」
ライラの手の中にあったのは、一振りの日本刀だった。
ライラは注意深く、刀を見る。鞘には字が彫ってあった。
「…緋…明…?」
「緋明 …。間違いないわね。それはこれから貴方のモノよ。」
戸惑うライラに、田村は真剣な眼差しと声を向けた。
深夜。
エリーは閉じた瞼の裏で、時折見る夢を見ていた。
…夢の中で、やっぱりオレはちっこい。
…目の前にはオレと同じ位にちっこい、白い髪の子供がオレに背を向けている。
オレはそいつに声をかける。
「お前…どうしたんだ?」
「…何でもない。」
むくれた声で、そいつは返す。そいつは身体のあちこちに生傷があった。
オレはそれを見て、また声をかける。
「…ケガしてる。痛そうだ。」
「…あいつら…くそ。」
吐き捨てるように言ったちっこい子供に、オレは問う。
「どうして、ケガさせられたんだ?」
ちっこい子供はオレに背を向けたまま、しばらく黙った。
やがて、ちっこい子供は言った。
「…オレには、能力が無いんだ。」
オレは思った。
「何で、オレには…。」
…何で、オレには…能力が、あるんだろう…。
To Be Continued
女性が歩く度にコンクリートがかつ、かつと鳴る。
女性が歩く場所は沢山の鉄骨が倒れかけ、電線がむき出しになっている荒れた場所だった。昼間なのに薄暗い場所だった。
歩きながら女性…田村詠がしていたのは、追憶だった。
荒れ果てた野で、私達と彼女は出会った。
「…どうしたの? 貴方達…こんな所にいたら危ないわ。お家にお帰りなさい?」
上から降って来た言葉に、小さかった私とあいつはびくりと身を竦ませた。怯えている私達を見下ろして、彼女は問うてきた。
「…貴方達も、もしかして…『能力』が…?」
今度こそ、殺される。…そう思った。私もあいつも。
…私とあいつは「能力」を持って産まれた。そのせいで二人とも幼い頃から迫害され、最後には住んでいた場所を追われてしまった。
「能力」を持つ人間を忌み嫌う人間達から、命からがら逃れて来て、私とあいつは彼女に見つけられた。
彼女は死を覚悟した私とあいつに、穏やかに言い聞かせた。
「私達の所に来るといいわ。」
心身共にぼろぼろだった私とあいつに、彼女は温かい食事を振る舞ってくれた。かき込むように食事をする私達に、彼女は優しく笑った。
「沢山お食べなさい? 安心していいわ。ここには能力を持った人しかいないの。能力を持った人だけで、出来た町なのよ。」
食べ物をかき込む手を止めた、私とあいつ。彼女は私達の手をそっと取って、優しく握った。
「ここまで来るの、大変だったのね。貴方達と会えて良かったわ。」
その言葉で私もあいつも、緊張の糸が切れてしまった。涙が溢れて止まらなくなった。彼女は私とあいつを抱きしめてくれた。
私とあいつが泣いて、泣いて…ようやく落ち着いた頃、彼女は問うて来た。
「貴方達、名前は?」
私とあいつは少し考えて、首を横に振る。
…解らなかった。自分の名前が。「能力」があると解ってから、名を呼ばれる事など無かったから。忘れてしまう程に。
彼女はそれを察したらしく。
「…そう。じゃあ、後でここでの名前を考えましょう。…そうだ、ごめんなさいね。私が名乗っていなかったわ。小雨。
彼女…小雨さんは、温かく笑んだ。
小雨さんは私とあいつを、彼女の仲間という人達の所に連れて行ってくれた。
仲間という彼らは、皆小雨さんと同じ位…当時は二〇代前半だっただろうか。皆能力を持ち、迫害を受け、この場所を作ったのだと言った。
皆、私達を温かく迎えてくれた。
その時、私は「田村詠」あいつは「倉狩小春日」という名を貰った。
私達が入ったばかりの頃、能力者だけで出来た場所…コミュニティは、既に一大勢力になっていた。その頃はまだ、開かれていた。
時折、能力を持っていない人間達との小さな衝突があったけど、私と小春日が二人きりで逃げていた頃に比べれば、平和なものだった。
非能力者との衝突があると、出て行くのは小雨さんだった。
小雨さんは並外れた戦闘能力を持っていた。武器を持たせたら、誰も敵わなかっただろう。加えて小雨さんの能力は「生命活動停止」…他人を自由に死に至らしめる事が出来る力を持っていた。
小雨さんは「能力者の筆頭戦士」「コミュニティの剣」などと、いつも賞賛されていた。
…幼かった私と小春日には意味が解らなかったけど、その一方で「なまくら刀」という侮蔑の言葉も囁かれていた。
あの頃、私も小春日もどちらかというと苦手にしていた人物がいた。
コミュニティ創設者の、二人の女性だった。
コミュニティ創設に最も関わった、五人の人間がいた。小雨さんも含むその人間達の中で、この場所を作るという立案をして、一大勢力にまで成長させた二人だ。
小雨さんを「なまくら刀」と罵っていたのは、主に彼女達だった。
…思えば、彼女達二人の中には、既に鬼が棲み始めていたのかもしれない。
私と小春日がコミュニティに加入して、一年程経ったある時。
「…小雨様、遅いな。」
「…うん。」
小雨さんの家で、私と小春日は心細い気持ちだった。
その日、私達は突然小雨さんに「絶対に出るな」と言われ、家に押し込められていた。
「…小雨様…。」
小春日が泣きそうな声で呟いた時、小さな音を立て、家の玄関が開いた。
「!」
「小雨様! …!!」
ドアを開けて入って来た小雨さんは、血を浴びて真っ赤になった身体で苦笑した。
「…小春日、詠、ごめんなさいね…ちょっとお風呂と着替え…用意してくれるかしら…?」
「小雨様!! 何でっ…!! ケガ、おケガはありませんか!?」
「大丈夫よ、小春日。全部返り血だから…大丈夫よ。ほら、早くお風呂の用意をして。貴方に血が付いてしまうから…。」
小雨さんは泣きそうな顔で笑い、錯乱する小春日を宥めていた。
…かなり後になってから、知ったのは…。
この時、非能力者達との大規模な戦闘があり、結果コミュニティは閉ざされた場所になった、ということだった。
入浴と着替えを済ませた小雨さんは、私と小春日に聞かせた。
「明日から貴方達に、戦う術を教えるわ。…でも、出来る事ならその術は、自分の身を守る為だけに、使ってちょうだいね。」
それから数年が経ち、私と小春日は一五歳になった。
「能力者の筆頭戦士」の弟子として、私も小春日もコミュニティを守る任に付いていた。
私はコミュニティ創設メンバーの補佐、小春日は小雨さん率いる特殊部隊「倉狩一門」で、コミュニティに仇なすモノを退ける役目を担っていた。
幼い時のように、常に一緒にいる訳ではなかったけど、時折私と小春日と小雨さんとで集まれば、笑顔になれた。
それなりに幸せだった。…あの頃は。
…突然。小雨さんと小春日に連絡がつかなくなった。
どうしたんだろう。もしかして、また戦闘があったのか。いや、あれから大規模な戦闘は起こっていない筈…。
そんな事を考えながら、仕事をこなす。仕事の合間に連絡を試みる。やはり、二人と連絡はつかない。
私は一つの心当たりを探した。
コミュニティの中にあるコンピューターには、ありとあらゆる場所を監視した映像が記録されている。
私はそれの、倉狩一門の活動区域の映像を追った。記録をずっと見ていき、映像の終わりも近くなった時。
…映し出された映像に、息が出来なくなった。
倉狩一門の拠点が置かれていた場所の映像だった。
その映像は、あらゆる所が赤かった。赤い、血。血の海。血の海には一門の人間達が沢山倒れていて。
その中に小雨さんが立っていた。息を切らせて、立っているのがやっとの状態で、昔のように身体中を血で染めて。後ろでは小春日が顔を強ばらせて、同じく血を浴びて立っていた。
そんな二人を、沢山の一門の男達が取り囲んでいた。
男達が皆、小雨さんに武器を向けた。
小雨さんが一瞬、笑んだように見えた。初めて会った時のように、穏やかに。
そして、小春日を抱きしめた。
男達の武器が、小雨さんを串刺しにした。小春日を庇った小雨さんが、ずるずるとその場に崩れた。
小春日は絶望に目を見開いて、その場に立ち尽くしている。
男達が小春日に、一斉に意識を向けた。
「逃げて!! 小春日ぃ!!」
もう過去の映像に向かって、私は叫んでいた。
男達が小春日の身体をがんじがらめに掴む。小春日はもう、逃げる事は叶わない。小春日が内側からも外側からも破壊されていくのを、私は見ている事しか出来なかった。
私が知った時には、全てが遅かった。
倉狩一門の中で、小雨さんに不満を持つ一部の人間達が蜂起し、内乱が起こっていた。
その結果、小雨さんは殺された。
「なまくら刀」。その侮蔑の言葉が何故存在したか。
それは小雨さんが、滅多な事では殺人をしなかったからだった。コミュニティを守る…そんな役目を帯びていた彼女は、極力人を傷つけないことに、徹底していた。
そんな「なまくら刀」の部分で、創設者のあの二人と対立していた事も、かなり後になってから知った。
…そんな事は、今となってはどうでもいい事なのかもしれない。
小雨さんが殺された事に変わりはないし、あいつ…小春日は…。
大粒の雨の中、私は走った。血の海の中を走って、倉狩一門の拠点に向かった。
拠点の一番奥の部屋に来た。息を切らせる私の前にいたのは。
「…ああ、詠か。」
暗い部屋の中、大きな椅子に座っていた小春日が、ゆらりと立ち上がった。
生きていてくれた。それだけで私は救われた気がした。
「…小春日…生きて…!」
「生きているさ、当然。私は、小雨様の弟子だぞ…?」
ぞくりと背中を寒気が襲った。
小春日の声は恐ろしく昏く、冷たく響いた。小春日は嗤った。恐ろしく不気味な、凍るような笑みだった。
幼い頃、小雨さんに見守られ、私と共にいて無邪気に笑っていた面影は無かった。
「…こはる、び…小雨さん、は…。」
私が出した声は震えていた。小春日は嗤ったまま答えた。
「…案ずるな。いるさ。…ここに。」
小春日の手が触れたのは、小春日本人の下腹部だった。
「ここからまた、出て来てくれる。大丈夫さ。」
「…まさか…!」
私はそこから先の言葉を、どうしても紡げなかった。小春日は狂気を孕んだ目で、また嗤った。
…小春日のお腹の中には、小春日を強姦した倉狩一門の男の子供がいた。内乱に乗じて…あいつらは小春日の心身を、力ずくで破壊し尽くしたのだ。
あの内乱の後、小春日は内乱に関わった一門の人間を全て殺し、残った者を平伏させ、頂点に立った。その殺した人間の中に、お腹の子の父親もいただろう。
小春日がどうして、強姦されて出来た子供を産もうと思ったか。小春日は混乱する私に言った。
「あんな男の子種でも、倉狩一門のモノだ。倉狩一門は小雨様が作ったモノ…そのものだ。私はこの子を小雨様のように育てるんだ。あの強い、小雨様…。」
小春日はお腹を愛し気に撫でる。
…あの時、既にお腹の子は小春日にとって、小雨さんそのものだった。
小春日のお腹が大きくなって行く様を、私は見ている事しか出来なかった。
そんな最中、お腹の赤ちゃんが二人いる事が解った。双子だったのだ。
小春日はそれを知るや言った。
「小雨様は二人もいらない。」
私は小春日の言葉に戸惑った。
「…二人もいらないって…双子だったのよ…。まさか、片方だけ殺すとでも…?」
小春日は嗤った。
「バカな事を言っちゃいけない。小雨様は、人間二人分以上に強い方だっただろう? 足りない位だ。」
「…どうする気、なのよ…?」
「一人にまとめてしまえばいい。」
あまりにもあっさりと、狂っているとしか言い様の無い事を言った小春日に、私は思わず叫んだ。
「どうやってよ!! 貴方何考えて!!」
「…今でこそ、コミュニティにはこちらからは干渉出来ないが…以前はちゃんとパイプがあった。…あの時コミュニティにあった技術は、片っ端から分捕ってきたさ。」
小春日は口角を吊り上げ、にたりと昏く笑った。
コミュニティの技術。
能力者の能力と、科学技術を掛け合わせたモノ。
それを使い小春日は、一つの身体に二人分の力と心が詰め込まれた…そんな人間を産んでしまった。
元は二人だった、一人の赤ちゃんを愛し気に抱きながら小春日は聞かせる。
「よしよし…お前は、小雨様のような、立派な戦士に育ててやるからな…。どんな人間も敵う事無い…全て殺せる…そんな戦士に…。」
私は激しく心が痛むのを感じた。
…小春日。
小雨さんはそんな人じゃなかったでしょう。
貴方の中にいる小雨さんは、小雨さんじゃない。
貴方の中にいるのは…壊されて歪んだ思い出の中で、貴方が美化した小雨さん…。
私はもう耐えられなかった。
「…小春日。貴方とは、もう一緒にいられない。」
学園の医務室。
エリーとライラが見守る中、白いベッドの中でクラガリ姉弟は眠っている。
閉じた瞼の裏で、姉弟はある光景をずっと見ていた。
「何度言えば解る!!」
激しい衝撃に一人の子供の身体が倒れ、床に叩き付けられる。
「あの程度の人間に、何を苦戦している!! あんな程度、一瞬で殺してしまえ!!」
子供を殴り、叫んだのは子供の母親で倉狩一門の長、倉狩小春日。
「何故! 何故お前達はそんな、なまくらなんだ!! 何でっ…!!」
小春日は叫び、泣きそうに顔を歪ませる。
「…次はもっと完璧に殺せ!!」
小春日は言い捨てるとドアを乱暴に閉め、部屋から出て行った。
傷だらけの身体を縮込ませ、子供は自分の部屋にいた。
「…また、怒られたね。」
まず小さな掠れ声を出したのは、子供の中に存在する人格の姉の方。小鳥と呼ばれている。
「…おいっち達…また上手く、出来なかった、かな…。」
次に呟き声を出したのは弟の方。名を小猫といった。
「…また、小春日、泣きそうになってたね…。」
薄暗い部屋で一人の姉弟はぽつりぽつりと話す。
「…おいっち達が、上手く、出来ないから…。」
「…次、もっと上手く、殺さなきゃ…。」
殺す。それが姉弟の日課だった。
倉狩小春日の「主人」に仇なすモノを殺す。その為の教育のみを受け、姉弟は育った。
日々戦闘技術を磨き、敵と対峙し、殺す。
…終われば「もっと上手くやれ」と母親に叫ばれ、殴られる。
それが当たり前の、日常を送っていた。
ある時。
姉弟は沢山の資料が収められた部屋にいた。戦闘の記録映像を見るよう、小春日に命令されたからだった。
指定された資料を探し、引っ張り出した時。出した資料に引っかかって、別の資料が床に落ちた。
落ちた資料を拾い上げた姉弟は、疑問符を浮かべた。普通、資料には記録の日付が書かれているのだが、落ちた資料には何も書かれていなかった。
姉弟は見るよう命令された資料と、何も書かれていない資料を持ち、部屋を出た。
いつもの様に戦闘記録映像を見た後、姉弟は何も書かれていない資料を機械にかけた。映像が動き出す。
…そこに映っていたのは一人の妙齢の女性と、一五歳前後だろうか、少女が二人。女性は小さな赤ん坊を抱えていた。
少女の一人が、女性に問う。
「小雨様、どうしてこの子の養育係になろうって思ったんですか?」
「…この子には、能力が無いのですよね。」
もう一人の少女が、赤ん坊を覗き込む。白い髪の小さな赤ん坊は、大きな赤い瞳で三人を見ている。
赤ん坊を抱える女性が、穏やかに笑んだ。
「そうね。この子には能力が無い。ちゃんと確認もされたわ。…能力がある事が当たり前のこの場所で、能力が無い。…辛い事ね。でもこの子だって産まれて来たのよ。だったら生きられるだけ生きなきゃ。生きられるようになるまで、誰かが守ってあげなきゃいけない。」
二人の少女は黙って、女性の話に耳を傾ける。女性は続ける。
「この子の母親は…創設者の片割れだからかしら…この世界を守る事に忙しいから。何だかこの子を放っておけなくて、養育係に立候補したのよ。…赤ちゃんなんて、上手く面倒を見てあげられるか解らないけど…。」
「大丈夫です! 小雨様が育てるんです、きっといい子に育ちますよ!!」
「…この女の子…小春日、だよね…。」
女性の事を「小雨様」と呼び、無邪気に慕っている様子の少女に、姉弟は自分達の母親の面影を見た。
映像は続く。
「…だと、いいのだけど。」
女性は苦笑すると、少女二人を真っ直ぐに見た。
「…この子はこの先、沢山辛い思いをすることになるかもしれない。私の思いも届かなくなる程に。…もしこの子が辛い事になった時、私がこの世界にいない時は…貴方達がこの子を守ってあげてくれるかしら…?」
少女二人は驚き、女性を見た。
「そんな! 小雨様がいないとか、そんな事言わないでください!!」
「小雨さん…いなくなるんですか…?」
不安を露にする少女達に、女性は居住まいを正し、再び問うた。
「…この子を、守ってあげてくれるかしら…?」
少女達は短い間、黙った後、女性を見て、強く頷いた。
「はい!」
「解りました。」
女性は腕の中で眠り始めた赤ん坊、そして目の前の少女二人に穏やかな眼差しを向けた。
「…皆、いい子ね。一〇年先の貴方達が、私はとっても楽しみなのよ。」
女性は慈愛に満ちた笑みを浮かべた。
映像はそこで終わった。
姉弟の目からは、涙があふれていた。
姉弟は声も上げず、ただただ涙を流していた。
長い事、泣いた後。姉弟は映像を見る部屋を出た。
「待て!! うわああ!」
「ぎゃあっ!」
「ぐえ!」
苦し気に声が上がり、男達の身体が潰れていく。男達の身体を潰し、走り続けるのは小鳥と小猫、一人の姉弟。
姉弟は逃げてきた。自分達の家…倉狩一門から。母親は当然のように、大勢の追っ手を差し向けて来た。
姉弟の手に、身丈の半分もあるようなガトリングガンが出現する。それを姉弟は軽々持ち上げ、引き金を引く。男達の身体がバラバラになる。
別の追っ手が向かってくる。姉弟は弾が切れたガトリングガンを投げ捨てると、腕を思い切り振りかぶり、まとめてラリアットを当てる。男達の身体がたたむように折れ曲がり、骨が砕ける音がし、動かなくなった。
追っ手達は姉弟に、全員暴殺された。
ある者は銃火器で身体を砕かれ、ある者は力ずくで身体を潰され、全員息をしていない。
姉弟は表情の無い顔で、血の海に佇んでいたが、やがてそれらに背を向け、走り出した。
家の外の世界へ向かって。
田村は廃墟の中、一番奥の部屋に足を踏み入れた。部屋の真ん中に立っていたのは、白髪の痩せた体躯の女性…倉狩小春日。
小春日は田村の姿を認めると、口を開いた。
「…よく解ったな。ここにいるって。」
「…何となくね。拘束されてた貴方が消えてたって聞いた時、ここにいるような気がしたわ。」
「…そうか。」
小春日の声は落ち着いて響いた。田村は一つため息を付く。
「…学園であんな事起こしちゃって。貴方、完全にコミュニティの処罰対象になってるし…貴方の子供達…小鳥ちゃんと小猫君の事、どうする気なのよ…。」
「…あいつらは、小雨様にはならなかった。」
小春日は静かな声で話す。
「最初の内はあいつらを、何が何でも小雨様の様にしようと思っていた。だが育てていく内に、それは叶わないと気づいた。あいつらは小鳥と小猫だ。小雨様じゃない。…でもそれを認める事が、どうしても出来なかった。結果、あいつらは私から離れた。それだけのことだ。」
田村は黙って、耳を傾ける。小春日は続ける。
「あいつらは私から離れて生きる事を決めた。私には追う理由も資格も無い。それだけだ。」
小春日はすう、と呼吸した。
「…今、とても穏やかな気分だ。何年ぶりだろうな、こんな気分は。…小雨様がもうどんな手段を使おうがいない事を、あれほどまでに認めたくなかったというのに…不思議だ。…私の子供達には私の方からは関知しない事にする。そうした方がいい。」
「…そう。…貴方自身はどうする気?」
田村が問うと、小春日は答えた。
「さあな。とりあえず、ぶらぶらしているさ。」
「…そう。まあ、貴方は殺したって死なないでしょうし、私はもう知らないわ。」
田村がまた小さく息をつくと、小春日は小さく笑った。少女のような笑みだった。
「そうか。…これを渡してほしい奴がいる。」
小春日が田村に差し出したのは一通の封筒と、細長い布袋に入ったモノだった。
「この封筒は私の子供達に。これは…あの能力を持たない、最重要警戒対象にだ。」
細長い袋を見、言葉を聞いた田村は一瞬息を飲んだ。静かな声で呟いた。
「…あの時の、ね。…とうとう、渡す事になった…。」
「あっさりしているな。」
笑みながらの小春日の言葉に、田村は頷いた。
「もう、長くはないと思っていたから。」
「…そうか。」
田村が封筒と細長い袋を受け取ると、小春日は田村の横を通り過ぎ、歩き出した。
田村はゆっくりと身体の向きを変え、小春日の背中を見る。小春日は足を止めた。振り返り、穏やかに笑んだ。
「…面倒をかけたな。息災で。」
「…好きにしなさい。…バカ。」
田村が返すと、小春日はまた前を向いて歩き出し、その場を去っていった。
田村はどこか痛むような表情で、それを見送った。
学園に戻った田村は、学園内の様子を見ながら口の中で呟いた。
「…これだけの事があっても、操作は解けないのね…。」
田村が学園に戻った時には、学園は日常の風景を取り戻していた。
沢山の負傷者を出した、小春日による学園占拠事件。それにも関わらず、生徒達は日常通りに動いている。
事件の途中で姿を消していたカグヤも、いつの間にかエリーとライラの部屋に戻っているようだった。…誰にも、咎められる様子も無く。
生徒達は皆いつも通りに勉強し、言葉を交わし、過ごしていた。
…一切の出来事を、忘れてしまったかのように。
エリーとライラは自室で二人、ぼんやりと過ごしていた。
「…おい。」
「ん?」
不意にライラがエリーを呼ぶ。エリーが顔を上げると、ライラはエリーを見、問うた。
「お前…あの時、何が見えた?」
ライラの真っ直ぐな眼差しを受け、エリーは返す。
「…てめえも、見えたのかよ。」
エリーはライラを軽く睨み、ライラは笑い、お互いを指差した。
「…てめえの泣き顔。」
「…お前の泣き顔。」
二人で言った後、エリーは呆れ顔をした。
「…笑い事じゃねえよ。」
「ああ、あれはな…。」
ライラの顔から笑みが消える。
「…あれは夢とか妄想とか、そういうんじゃない。」
ライラの言葉に、エリーは頷く。
「…マジであった事だよな…。」
ライラ、そしてエリーは考えるように、深く呟く。
「…今まで意識した事無かったけど…。」
「思い出せなかった、三年前…オレらが中等科二年の時の、記憶…。」
翌日。
「失礼します。」
ライラが医務室に入ると、田村が待っていた。
「突然呼んでごめんなさいね。来螺君。」
「話って、何ですか?」
田村に呼び出されたライラが問うと、田村は真摯な顔つきになった。
「…貴方に渡すモノがあるの。どうやって使うかは、貴方次第。」
田村はライラに細長い布袋を手渡した。
「…何ですか、これ。」
「…確かめてみて、もらえるかしら。」
ライラは疑問符を浮かべながら、布袋の紐を解き、中身を出す。
「…これ…刀…?」
ライラの手の中にあったのは、一振りの日本刀だった。
ライラは注意深く、刀を見る。鞘には字が彫ってあった。
「…緋…明…?」
「
戸惑うライラに、田村は真剣な眼差しと声を向けた。
深夜。
エリーは閉じた瞼の裏で、時折見る夢を見ていた。
…夢の中で、やっぱりオレはちっこい。
…目の前にはオレと同じ位にちっこい、白い髪の子供がオレに背を向けている。
オレはそいつに声をかける。
「お前…どうしたんだ?」
「…何でもない。」
むくれた声で、そいつは返す。そいつは身体のあちこちに生傷があった。
オレはそれを見て、また声をかける。
「…ケガしてる。痛そうだ。」
「…あいつら…くそ。」
吐き捨てるように言ったちっこい子供に、オレは問う。
「どうして、ケガさせられたんだ?」
ちっこい子供はオレに背を向けたまま、しばらく黙った。
やがて、ちっこい子供は言った。
「…オレには、能力が無いんだ。」
オレは思った。
「何で、オレには…。」
…何で、オレには…能力が、あるんだろう…。
To Be Continued