3 Word Horror
暑さが日毎に増していく、ある夏の日の夜のこと。
グルーの穴蔵の一角に、一際賑やかなテーブルがあった。
「はい、お待たせ!コロナとナッツね」
「サンキュー、ネスティ」
ニコは瓶を受け取ると、ぎゅうぎゅうとライムを押し込んだ。
ぷし、とみずみずしい音がして、爽やかな香りが弾けて広がる。
「あ、そういや知ってるか?最近
ニコがそう問いかけると、ダンテは眠たげに小首を傾げ、ネロはまた始まったとげんなりとした。
レディとトリッシュはそれなりに興味を示したが、バージルは全く反応せず、黙ってロックグラスに口をつけていた。
「
「ふうん。三語って、例えばどんな?」
「例えば
「それ怖いの?て言うか、最後はコメディ映画でしょ」
「ああん?」
拍子抜けと言わんばかりのレディに、ニコは頬をぷうっとさせた。
可愛らしい仕草だが、酔っている分目つきは悪く、物言いもトゲトゲしさが目立っている。
「何だよソレ。そんなこと言うなら、そっちはもっと怖いこと言えんだろうな?」
「え?私が?」
「だってそうだろ?人の話にケチつけるんだ。そりゃ怖くて怖くてチビっちまうようなネタくらい、持ってて当たり前ってモンだろ?うん?」
ニコはお手本のような絡み酒で、レディにくねくねとしがみつく。
しかしレディは全く動じず、よしよしとニコを受け止めた。
「うーん……そうねぇ……」
ニコの顎下を擽りつつ、レディは隣のダンテを見た。
飲んでいるのはジントニックだが、その九割はジンそのもの。
頭の悪い配合は、ダンテ専用の特別レシピだ。
ダンテはそれをぐいっと飲むと、意味もなくレディへ手を振った。
レディもまたそれに応え、王侯貴族がするかのように、上品に手を振り返す。
「ねえ、ダンテ」
「んー?」
珍しく酔い気味のダンテに向かい、レディはにっこりと微笑んだ。
そして耳元に唇を寄せると、色っぽい声で囁いた。
「——
ブッと水が一面に散る。
ダンテが酒を吹き出したのだ。
「ゲホゲホッ!ゲホッ!お……おま……!何急にっ……!ゲホッ!」
「ほらね?人を怖がらせるってのは、こういうことよ」
「そういうんじゃねえだろ……絶対」
咽せるダンテの向こうから、ボソッとツっこむ声がした。
バドワイザー片手に、テーブルに頬杖をつく青年——ネロだ。
「あら、辛辣ね」
「な、何だよ。間違っちゃいねえだろ」
レディに迫られ、ネロは思わずたじろぐが、すかさずトリッシュとニコが加勢する。
「ふうん、そんなこと言うの」
「へへっ、ネロ、喧嘩売ったからにゃわかってんだろうなぁ?あ〜ん?」
「は?喧嘩なんて……んぐっ!」
「問答無用。ほら、言ってご覧なさい。ちゃんとした
レディは顎を掴み、ネロを強制的に自分へと向かせる。
時と場所が異なれば、その
しかし状況が状況である。
ネロは酒に染まる頬を歪め、苦々しく目を細めた。
「ほらほら、さっさと言ってみろよ。ネーロっ」
「ねえ、坊や?お姉さんに教えてちょうだい?」
囃し立てるニコと、不敵な笑みを浮かべるトリッシュ。
ネロは一瞬助けを求め、バージルとダンテに目をやった。
バージルはネスティに新しいボトルを注文し、ダンテはいまだに咽せ続けている。
まるで役に立たない父と叔父に、ネロはがっくりと肩を落とした。
「さあ」
「早く」
「言って」
レディ達の嬉々とした圧に、ネロはいよいよかと観念した。
仕方ない、とばかりに頭を振ると、ネロはレディの手を振り払い、顔を伏せてぼそっと言った。
「……
「「「——は?」」」
見事にハモる女性陣を他所に、ネロはぽつぽつと話を続ける。
「……昔、ガキの頃……イライラしてる時とか、思い通りにいかねえ時とか……孤児院の大人の言うこと聞かないで、暴れたり、脱走したりしてたんだ。そういう時、必ずキリエが追いかけて来て、俺のことを叱るんだ。『
「「「…………」」」
話が進むにつれ、ネロの頬は赤さを増す。
その色は羞恥でも酩酊でもなく、もっと甘ったるくて温かなものだ。
「いつも優しいキリエが、きゅって眉毛を吊り上げてさ……その顔もかわいいんだけど、でも、やっぱり怒ってるから……俺、そう言われるといつもキリエに嫌われるんじゃないかって、だから怖くて……それで今もたまに言われるんだけど、いまだに……でもキリエはやっぱり優しいから、ちゃんと謝ると『やっぱりネロはいい子ね』って頭撫でてくれて……」
「待って待って待って待って」
耐えきれなくなったトリッシュの『
白い指が食い込む顔は、明らかにだらしなく緩んでいる。
「えっ、何。今の何。ちょっとよくわからないんだけれど、私達今何聞かされたの」
「ネロ。さてはお前、大分酔ってんな?いきなりゲロ甘な惚気なんてしやがって!砂吐くかと思ったわ!」
「でも、キリエが……」
「あーもーストップ黙って喋らないで。ったく……聞くんじゃなかったわ。ちょっとネスティ、何でもいいわ。テキーラを三本。この子潰すから」
「はいはーいっ!でも程々で許してあげてね、レディ!」
「キリエ……」
ネスティはペティナイフとライムを手に取ると、くすくすと楽しそうに笑って言った。
話題の中心はすっかりネロ弄りへとシフトし、このままネロを酔い潰して今夜の宴はお開きになる。
そう誰もが思った時。
「レディ!テメェよくもやりやがったな!!」
がちゃん、と派手な音を立てて立ち上がったのは、漸く咳が
酒瓶を片手に、いがらっぽい声で怒鳴る姿は、紛うことなき酔っ払いである。
「うるさい、今忙しいの。あっち行ってなさい」
「何だよその態度!あーったま来た!」
ダンテは芝居じみた動きで、高々と瓶を掲げた。
「OK、そっちがそう出るってんなら、こっちだって考えがあるぜ!」
ダンッと酒瓶をテーブルに置くと、ダンテは不敵にニヤリと笑う。
「バージル、お前もスカして無関係決め込んでるが、逃げようったってそうはいかねぇからな」
バージルは、いつもより濁った目を、嫌そうに歪めてそっぽを向く。
しかしダンテは正面に回り込むと、驚くほどに繊細な所作で、グラスを持つバージルの手に両手を重ねた。
「なあ、バージル。俺達……」
ふっと悲しげに曇る表情。
悲し気に沈むその声に、バージルはちらちらとダンテを盗み見る。
それをさりげなく確かめたダンテは、伏せた目の端に涙を浮かべ、か細く震える小さな声で、ぽつりとバージルへと囁いた。
「——
しん、とその場が静まり返る。
ひりつくほどの静寂に、誰もが言葉を飲みこんだ。
「別れる……?」
やっと聞こえたのは、地の底から湧き起こるような、暗く重い声。
そして背筋を貫く冷たい電気。
「おい、ネロ。お前の親父なんかヤバ——」
ニコが一歩後ずさった次の瞬間、穴蔵が青白い閃光に包まれた。
「別れる、だと……?」
突如としてバージルの周囲に現れた幻影剣。
数十本にも及ぶそれは、でたらめな方向へ一斉に放たれる。
「危ないっ!」
トリッシュとレディは武器を取り、慌てて剣を砕き散らす。
ネロも反応が遅れたが、非常事態だと分かるや否や、レッドクイーンを即座に構え、全ての剣を破壊した。
「はっはー!どうだレディ!最高にビビったろ!?」
「何が『どうだ』よ!店壊す気っ!?」
「……っ、何が起こって……」
「ネロしっかり!また来るわよ!」
トリッシュの叫びを掻き消すように、第二波の次元斬が繰り出される。
音速を超える抜刀。
しかし存外酒が進んでいたのか、斬撃は重さや鋭さはまるで無い。
——これなら何とかなる。
ネロとレディは必死で斬撃を捌きいなした。
「トリッシュ!」
レディが声を張り上げるより早く、トリッシュの手から電撃が走る。
「——!」
遅れてバージルが気付いた刹那、閃光がその身を貫いた。
轟く雷鳴。
光がやっと治った時、そこには床へと倒れ伏したバージルの姿があるだけだった。
「はあ……ホント勘弁してよ……」
レディが足元に目をやると、そこにあったのはマホガニー製のテーブルと椅子
そして最早いくつあったかもわからない、破片と化したグラスだけだった。
「あっはっは!見ろよニコ!バージルの奴、伸びてやがる!」
「あのなあ……あんた何呑気なこと言ってんだよ…」
「ダンテ、あなた少しは考えて行動しなさい!」
「トリッシュどいて。ちょっと脳天に一発ぶち込むわ。こいつ全然反省してないもの」
「……あれ?俺、今まで何を……うん?てか俺、さっき何か変なこと言ったような……」
「はーいっ!そこまでっ!」
響いた声に、醜い言い争いの喧騒がぴたりと止む。
伸びたバージルを除く全員が振り返れば、瓦礫を避けながらやってくるネスティの姿が見えた。
その手にはライムが盛られた小さな皿と、青いサウザの瓶がある。
「全く……ちょっとくらいの
ネスティはネロとダンテへと、ライムとサウザを押し付ける。
「そんなに怒んなよ、ネスティ。言うほど壊しちゃいねえだろ?」
「ダンテ、いいこと教えてあげる。世の中ではね、テーブルと椅子を微塵切りにしたら、それは十分『壊した』内に入るのよ」
ちくちくと刺すような言い方に、いささかダンテも尻込みした。
見た目こそ愛らしくあるものの、穴蔵の主に相応しい強かさである。
「えっと、それじゃあ今回の請求は、ダンテとバージルにツケればいいのかな」
ネスティは、ぽん、と両手を合わせると、ダンテとバージルに向き直る。
「
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切れかけた街灯がちらつく道に、二つの影が落ちている。
風すら寝静まった夜更けの街。
所々アスファルトが剥がれた歩道を、ダンテとバージルは肩を並べて歩いていた。
「クッソ、何であんなにグラスが高ぇんだよ……」
「……」
その足には酔いと不満が絡みつき、何とも重たく覚束ない。
特にダンテはそれが目立ち、歩く度にその体は、大きく左右に揺れていた。
「そもそも暴れたのはお前なのに、何で俺まで同罪扱いなんだ」
ネスティからの請求書を肴に、飲んだ自棄酒が効いているのだろう。
ダンテは赤く充血した目で、バージルをじろりと睨み付けた。
しかしバージルも負けてはおらず、剃刀のように鋭い目線でダンテに即座に切り返した。
「自分のことを棚に上げて……そもそも貴様が馬鹿を言ったのが原因だ」
「あん?責任転嫁すんじゃねえよ」
「事実だろう、クソが」
「はっ、そーかい。じゃあオニーサマは、あんなにキレるくらい俺に捨てられんのが怖かったかって訳か」
「……」
ひく、とバージルの目元が痙攣した。
反論はないが、その眼は明らかに動揺している。
「お前いつもそうだよな。図星を突かれると黙りこくって」
ダンテはじとっとバージルを見たが、思うところがあったようで、すぐに目を逸らした。
「……まあ、悪かったとは思うさ。あれは……フェアじゃなかった」
顎を摩るダンテの顔には、何とも言えない気不味さがある。
言葉こそ素直でないが、そこに秘めた悔悟の念に嘘偽りはないようだ。
だがそれも一瞬。
空気が湿度を帯びる前に、ダンテはからっと表情を切り替える。
「でもな、そうは言っても、お前にはあの程度の煽りでキレる権利なんてねえんだよ」
ざり、とブーツの底が、砂をすり潰す。
ダンテは立ち止まると、顔を伏せて小さく呟いた。
「——
その言葉に、バージルは足を止める。
「あの時——お前が真っ暗な魔界の底に落ちてった時。間抜け面して見るしかできなかった、俺の気持ちがお前にわかるか?」
ダンテの右手が、そろりと持ち上げられる。
「結構クるぜ。同じシーンを、何度も夢見るのは」
それは微かに震えて見えたが、夜の帳に阻まれてはっきりと確かめることはできない。
「何度も、何度も、嫌でも見る。伸ばした手が、何も掴めなかったあの瞬間を。もう嫌だ、もう見たくないって、怖くて寝れない夜がどれだけあったか」
手が前髪をくしゃりと掴む。
ダンテの顔は、見えない。
「……
「ああ、そうだな。戻ってきた。確かにお前は戻ってきたよ。だから今度は、お前がいついなくなるか、ひょっとしたら朝、目が覚めたらお前がいないんじゃねえかって、びくびくしながら毎晩寝るんだ。みっともなくお前にしがみついてな」
そう言って掻き分けられた髪の下から現れたのは、少し褪せた
大丈夫だとも。
信じろとも。
バージルは一言も言わなかった。
代わりにその手はぎくしゃくと歪な軌道を描きつつ、前髪を乱すダンテの手へと触れた。
それからその手を静かに避けると、くしゃくしゃになった前髪を、一房すっと掬い上げた。
「……酔い過ぎだ」
「かもな」
髪を掬っては、元の通りに戻していく。
バージルが繰り返すその仕草を、黙ってダンテは受け入れた。
「……それで?酔っ払いのオニーサマからは何もナシか?」
「……」
「俺は色々言ったけど」
「……」
「……今なら何言ったって、全部酒のせいってことにできるぜ?」
ダンテは軽く口を窄めると、ふうっと息を吹き出した。
生まれた吐息は撫でるように、バージルの腕を滑っていく。
やがて吐息は緩やかに、夜の大気と混じり合った。
「——仮に」
吐息が解けた空気を、バージルの声が震わせる。
「お前に言うべきことが、あるとしたら」
乱れた銀の最後の房を、惜しむように指で弄れば、街灯の光の明滅に合わせ、きらきらと光が反射した。
「俺がそうと決めた時に、自分の言葉をお前に伝える」
バージルはそっと髪を直すと、人差し指の背でダンテの頬に柔く触れた。
「……だから待て」
「待てって、いつまで?」
「…………」
情緒も何も無い切り返しに、バージルは思わず閉口した。
事実、ダンテの眼は悪戯っぽく輝いて、上目気味にバージルの様子を伺っている。
当て付けとまでは言わないが、何か試しているような、そんな風にも見て取れた。
「……どうせまともに答えられねえんなら、適当に『死がふたりを
揶揄われていると、バージルは思った。
ダンテの軽口はいつものことだが、この流れで言われることは、いささか気分が悪くなる。
バージルは眉間に皺を刻んだ。
そしてむかむかと沸く胸の中身を、図らずもぼそっと吐き出してしまう。
「…………
ぱちぱち、と碧が瞬いた。
バージルを写したまま、不思議そうに。
ダンテの碧の双眸が、何度も瞬きを繰り返す。
「バージル」
ダンテがバージルの名を呼んだ。
まずい、とバージルは苦虫を噛み潰す。
「なあ、続きは?」
「…………」
褪せていた筈の瞳の碧は、夜闇に爛々と輝いている。
その光の眩さに、バージルは堪らず目を逸らした。
「
これ以上、ペースに巻き込まれるべきではない。
止まりそうもない追及に、バージルは頬に添えた指を引っ込める。
しかし。
「ちょっと待てって」
ダンテはその瞬間を見逃さず、遠ざかる手をぱしっと捕らえた。
「いいだろ、聞かせろよ。さっき言ってたじゃねえか『言うべきことは言う』って」
ぐいっと、引っ張られる。
かつて届くことのなかった手が。
力強く、引き寄せられる。
「……」
バージルは目を閉じる。
これはどうにも、逃げられそうもない。
諦観にも似た感情に、知らぬ内に溜息が出る。
「……確かに、言った」
瞼をゆっくりと開きながら、バージルは静かにダンテに告げた。
「————
不意に、手を捕える力が弱まった。
バージルはすかさず手を引き抜き、ふん、と鼻を鳴らして見せた。
ダンテはあっと口を開いたが、すぐさま口の片端を吊り上げる。
「はっ、
ダンテの口から漏れたのは、小さな、柔らかな笑い声だった。
年甲斐もない子供っぽい笑顔に、バージルはふるふると
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