Lucky 7’s Day
ダンテは天を仰いでいる。
その表情は険しさがあるも、しかし瞳は物悲しげだ。
碧の双眸が映すもの。
それは空を覆う一面の雲だ。
ダンテは唇をつんとだし、ほんの少し肩を落とす。
今年も星は、見えそうもない。
********************
朝 早 く ダンテが起きると、バージルが珍しくテレビに見入っていた。
昼のニュースで報じていたのは、今日の株価やら天気やら。
適当に流し見た程度だが、バージルの興味を惹く要素など、どこにも無い内容に思える。
しかし薄氷色の瞳は、画面をじっと睨んでいた。
その答え合わせが出来たのは、綿雲がのんきに空を泳いでいる、穏やかな午後になってからだ。
その日はダンテにとって、特別と言えば特別な日ではあった。
一週間の金欠生活を耐え抜いた末の、待ちに待った報酬日。
ダンテはバージルと連れ立って、モリソンの事務所へ赴き、確かな重みのある封筒を受け取ったのだ。
温かくなった懐に足取りも軽く、ダンテは意気揚々と帰路を歩く。
ネロやパティからの施しがあったとはいえ、このところの食生活は大変に慎ましやかだった。
レディへの返済は一先ず置いておくとして、まずはオリーブ以外のトッピング全部乗せピザでも食べよう。
それからやっぱりストロベリーサンデー。
何を置いても、こればかりは外せない。
食べるならフレディの店か、ティキ達の穴蔵か。
どちらも甲乙つけがたいが、それならいっそ両方いってしまおうか。
心弾む計画 を、思い描いていたその時。
「ん?」
すっと空気に変化が起きる。
隣にあった筈の気配。
それが遠くなったのだ。
「バージル?」
ダンテが気配を追ってみれば、バージルはやや後方にある建物へと吸い込まれていく。
何だ、と視線を下へと向けると、そこにあったのは一つのイーゼル。
その黒板には、チョークでこう書かれていた。
『今日の話題 』
日付やメッセージが掛かれたそれは、どこかで見覚えがあるような。
はっきり思い出せないながらも、ダンテはバージルの後を追い、松 のドアを潜り抜けた。
「寄るなら一言くらい言えよ」
扉の向こうで待っていたのは、部屋一面に並べられた、無数のワインボトルだった。
ふわっと香る、木やワインの香りが、彼方の記憶を呼び覚ます。
ちょうど去年の今時分。
たまたまイーゼルが目に入って、何気なく訪れたワインショップ。
確かここで、あまり見かけないボトルを手にしたような。
ダンテは記憶を掘り起こしつつ、店内をぐるりと見回した。
見上げる程の高い棚や、おが屑が詰まった木桶に置かれたボトルたち。
その向こう、ショウウィンドウの手前辺りで、ダンテは目当ての影を見つける。
「なあ、バージル。ここ——」
呼びかけに応じるように、こちらへ向くバージル。
その前にある樽の上に、数本のワインボトルが置かれている。
深い群青。
瞬く星座。
夜更けの空を切り取ったような、シンプルなラベル。
「あっ」
思わずダンテが声をあげると同時に、バージルはそのラベルのボトルを手に取った。
何度か角度を変えてみては、バージルはワインを品定めする。
そして一段落したところで、視線を逸らしたまま呟いた。
「——見るんだろう」
ぎこちない調子で。
柄でもない小声で。
「今夜、こ れ を」
バージルは決まりが悪そうに、『星空 』ボトルをちらりと見せてくる。
ダンテははっとし、ショウウィンドウの外を見る。
店の前に置かれた、イーゼルの黒板。
そこに書かれた今日の日付に、去年の記憶が鮮明になる。
「……お前、覚えてたのか」
土砂降りの雨。
冷たい手。
あの夜、ダンテとバージルが交わした、約束とも言えない、『未来』の話。
——また来年、一緒に。
耳が、肌が思い出す、その感覚を燃料に、ダンテの胸の心臓は激しくビートを刻みだす。
「ふーん。そっか、覚えてたんだな、お前。」
返事は予想していた通り、一言たりとも帰ってこない。
しかしその手のボトルを見れば、ダンテはにやけずにはいられなかった。
ダンテはバージルの顔を覗き込む。
バージルの表情は、渋いような、戸惑っているような、何とも言えない微妙なものだ。
滅多に見ないその顔は、どんな感情からきているのだろう。
唐変木のバージルのことは、いまだにイマイチわからない。
(でも、まあ)
ダンテの口から、ふふっと笑いが零れる。
(この顔は照れてる顔ってことで)
ダンテは勝手にそう決めると、バージルの左手へと回り込む。
「じゃ、場所は屋上で。ほかにも色々買い足そうぜ」
な、と声をかけると同時に、バージルの背中をバンバン叩く。
バージルは明らかに怒っていたが、ダンテは全く気にしない。
ガラス越しに空を行く綿雲をにこにこ見送りながら、ダンテはバージルに向かって言った。
「なんたって今日は、七月七日 なんだから」
********************
ダンテの気分は大変によかった。
ワインは星空 ラベルの物が買えたし、ピザはクーポンで安く上がった。
浮いた金でトッピングも弾み、サイドもちょっといいものが買えた。
道の信号機も殆ど青で、バスもバス停に着いた瞬間にやって来た。
そして何より今日はずっと、バージルがダンテと一緒にいる。
止まらない文句や皮肉を差し引いても、まさしく幸運の七日 だ。
この調子なら、きっと星だってきれいに見える。
そんな風に考えていたのだが。
「…………」
ダンテは目をじりじりと細め、空を見つめている。
文字通り雲行きが怪しくなってきたのは、バスを降りた頃だった。
ふわふわと綿雲が浮かんでいた空は、全体がうっすらと雲で覆われ始め、徐々に暗くなってきた。
刻々と時間が進むにつれて、雲は層を重ねていき、今ではどんよりとした曇天へと変貌を遂げていた。
「おい、何をしている」
上の空のダンテの背後から、イライラとした声が飛んでくる。
主は当然ながら、同行者のバージルだ。
「あの砂糖と脂肪の塊を買うと言ったのは貴様だろう」
「何つー言い方するんだよ。ストロベリーサンデーだよ、ストロベリーサンデー」
「何でもいい。もう日が暮れるぞ」
「そりゃそうだけどよ……」
バージル越しに見える空は、重苦しい雲が垂れ込めている。
これではたとえ日が暮れたとて、どうにもわかりそうにもない。
「……こりゃ期待薄だな」
落胆が無いと言えば嘘になる。
トントン拍子に進んでいただけに、その落差もひとしおだ。
「予報、見ときゃよかったか……」
空へと向けられた呟きも、心なしか湿っぽい。
抱えたワインの紙袋も、何だか重たく感じられた。
「ダンテ」
「はあ……」
「…………」
ダンテが項垂れたその瞬間、その耳を青く光る剣が掠める。
耳輪 の部分が吹き飛んで、ぱっと赤い飛沫が飛んだ。
「いって!いきなり何しやがんだ!」
「選べ。さっさと行くか、ここで死ぬか」
「何でそうなる!つか選択肢が極端なんだよ!」
ダンテは反射的にエボニーで一発やり返す。
しかし弾は届くことなく、目にも留まらぬ速さで両断される。
「あったま来た!お前構えろ!」
「ほう、やるか?」
「上等だこの野郎!絶っ対謝らせてやるからな!」
ふたりは荷物を脇に除けると、閻魔刀と魔剣 を顕現する。
「吠え面をかくなよ?」
「こっちの台詞だ!」
不敵な笑みが交差した直後、ふたりの剣が火花を散らした。
********************
「いてて……」
暮れなずむ風が気持ちいい事務所の屋上。
そこで体を丸めてしゃがむダンテは、肩を抑えて呻いている。
傷は塞がって入るものの、骨に走る鈍痛は、暫く治りそうもない。
「あの馬鹿、思いっ切りぶった斬りやがって……」
あれこれと買った帰り道。
ストロベリーサンデーを巡る諸 事 情 により、バージルと派手にやり合った結果は、いつもの通り引き分け だった。
「んだよ、ちょっと遅れたぐらいで……兄貴面する癖に小せえんだよ……」
ぶつぶつ文句は言いながら、ダンテはすくっと立ち上がる。
「んー、あの辺でいいか」
屋上の中央よりもやや奥。
一番ガラクタが少ない場所にダンテはすたすたと歩いていく。
手に抱えるのは、ワインかジンが入っていた木箱だ。
一抱え程あるそれを、底を上にしておけば、即席のテーブルの出来上がりだ。
更に蝋燭を入れたコリングラスを置けば、ディナーテーブルへとグレードアップする。
「こんなもんでいいだろ」
脚で椅子代わりの木箱を寄せつつ、ダンテは何気なく顔を上げる。
日はまだ暮れ切っておらず、紫だった雲が流れている。
風の勢いはそれなりにあるが、雲は後から後から湧き続け、途切れる様子もなさそうだ。
今年も星は、見えそうもない。
ダンテの唇は自然と尖り、肩も気持ち落ちている。
「まあ、降らないだけマシか」
半ば自分に言い聞かせるように、ダンテは独り言を言う。
そよそよと風に遊ばれる髪を、手で梳き上げた直後、ぎい、と蝶番が鳴き、続けて良い香りが漂ってきた。
「……片付けろと言ったはずだが」
風が香りと共に運んだのは、どすの聞いた声だった。
「テーブルセッティングは完璧だろ。細けぇ男は嫌われるぜ」
ダンテの軽口に眉を顰めたのは、入口に佇むバージルだった。
料理担当のバージルの手には、ピザの平箱を皮切りに、サイドメニューのフードパックや、果てはワインのボトルまで、驚異的なバランスで積み上げられている。
「積み上げ芸 じゃねえんだ。横着するなよ」
「運んでやったのには変わりない。感謝しろ」
横柄な物言いに閉口するダンテの前を、ひゅんと何かが横切った。
がたごとと鳴った音を追えば、木箱のディナーテーブルに、カトラリーやら食べ物やらが、整然と配膳 されていた。
「ピザを投げるなよピザを。トッピングが崩れんだろ」
「そんなヘマをするとでも?貴様じゃあるまい」
「お前なぁ、一々喧嘩売らねえと気が済まねえのか?っったく……お前がそんな性悪だから、星だって雲隠れしてんだろ」
「下らん言いがかりだ。そもそも元から、今日の予報は曇りだった」
「はあ?」
ダンテはぴたりと足を止める。
「お前、知ってたのか?天気のこと」
「……」
少し行った先で、バージルもぴたりと足を止めた。
「何で言わねえんだよ。てかそれじゃあお前、何で星見ようなんて言ったんだ?」
「…………」
「曇ってたら見えねえだろ」
「………………」
「はっきり言えって、バージル」
バージルは沈黙を守ったが、チッと忌々しげに舌打ちすると、何事も無かったように歩き出した。
「待てよ!つか舌打ちすんな!」
ダンテも後を小走りで追うが、バージルは完全に無視を決め込み、木箱の椅子へと腰掛けた。
「ったく、訳わかんねえ奴だな……」
経験則から、これ以上問い詰めても無駄なことはわかりきっている。
ダンテはもやもやを胸に押し込んで、仕方なしにバージルに続いて箱へと腰を下ろした。
「バージル、ワイン」
ダンテがワイングラスを手にした時、ひゅっという音と共に、ボトルの首が、巻かれたリボンと共にぽとりと落ちた。
「おい、シャンパンじゃねえんだぞ」
「わかっている」
「じゃ何で瓶斬るんだよ。普通に栓抜けよ、栓」
「コルクでも欲しいか?劣化 を気にする質 でもあるまいに」
「決めつけんなよ。雰囲気ねえなあ」
「このガラクタだらけの場所で雰囲気か?」
「ああ、前衛的でイカしてるだろ?ジャンク・アートさ」
「言っていろ」
口論の緊張は解れていき、次第に言葉のじゃれ合いに変わっていく。
ワインを注ぎ終わる頃には、空気はすっかり和やかになった。
ダンテはタイミングを見計らい、マッチを地面でしゅっと擦る。
そして手で火を守りつつ、そっとグラスの蝋燭あかりを灯す。
ぼうっと温か光が辺りを照らし、テーブルの上に影が踊り始める。
「な?いい雰囲気だろ?」
「ほざいていろ」
口こそ相変わらずの悪さだが、姿勢はゆったりと崩されており、素直じゃない、とダンテは笑った。
「じゃ、乾杯でもするか?」
ダンテがグラスを差し出せば、バージルも軽くグラスを掲げる。
「ええと、どうする?曇り空に、ってか?」
「……織姫 と彦星 に」
「何だそりゃ」
「去年話したろう」
「さあな、忘れちまった。」
「…………」
「ほらほら、早く始めようぜ。最初の肴 はお前の話。織姫 と彦星 についてからだ」
ダンテはバージルの返事を待つことなく、さっさとグラスを空けににかかる。
バージルは不服そうに目を眇めたが、ダンテに追い討ちをかけることなく、ぐいっとワインを飲み干した。
********************
「んー……」
ダンテは目を伏せ、微睡みと現の海の境で、ゆらゆらと舟をこいでいる。
月すら隠れた真っ暗な夜。
夜風に揺れる蝋燭だけが、闇に世界を縁取っていく。
暖色が描く光景を、ダンテは素直にきれいだと思う。
手にしたグラスは空っぽだ。
ピザもさっきの熾烈な戦い でダンテが最後の一切れ平らげた。
木箱で設えたテーブルでは、ふたりで過ごした時間の名残が、影と融けて留まるばかりだ。
(今年も見えなかったな)
昼間予想していた通り、雲が晴れることは無く。
結局バージルの顔ばかり見ていた気がする。
ダンテのジョークに顰められた顔。
些細な言い間違いを嘲笑う顔。
苛立つ顔が多い物の、星に纏わる詩を語るときの、柔らかい顔は悪くない。
確かに星は見えなかった。
織姫 と彦星 が逢えたかもわからない。
けれど。
(——まあ、それはそれで)
ダンテはこっそりと、上目がちにバージルを見る。
向かいに座るバージルは、いつの間にか持ってきたスコッチをグラスの中で揺らしている。
彫りの深い顔には濃い影がさしていて、表情はあまり見えなかった。
しかし時々ちらちらと、頬や鼻を撫でる光は、やっぱりきれいだとダンテは思う。
「……何を笑っている」
ぶっきらぼうな、しかし和やかな声が聞こえる。
「ん——……?」
ダンテは間延びした調子でバージルに答える。
大した酒量ではなかった割に、今日は随分と酔いが回っていた。
「別にー……いろいろ、思い出して……」
夢心地の頭の中に、今日のことが浮かんでくる。
知らぬ間にラッピングされていたボトル。
普段よりもゆっくりと前を歩く影法師。
微睡むダンテのために潜められた、安らいだ吐息。
ふわふわ、ふわふわと、浮かんできては、消えていくのを繰り返す。
「……今日のお前、変だったなーって……曇ってるのに、星とか……ふふっ……」
ダンテが小さく笑った時、屋上を風が駆け抜けた。
じじ、と幽かな音がして、全てが闇に包まれる。
蝋燭の芯が燻る匂いが、風が火を攫ったのだと教えてくれた。
「あー……」
ダンテは顔をのろのろと上げ、寝惚け眼を瞬かせる。
「え、と……マッチ、火……」
先程迄の記憶を頼りに、ダンテはテーブルへと手を伸ばす。
かつん、と木箱の縁 に指先が当たり、それから少しべとついたものが指に軽く付く。
多分皿に残った、ピザの油か何かだろう。
ダンテは構わずそろそろと、テーブルの上に手を這わせた。
くしゃくしゃになった紙を越え、つるつるのプラスチックに躓きながら、指に絡んだ長い布を引き摺ったまま手は進む。
「たしか、この辺……」
指の感覚を研ぎ澄まし、人差し指をぴっと伸ばす。
するとくたびれた厚紙の箱に——
「……ん?」
つん、と指が感じたのは、硬く滑らかな感覚。
これは、どこかで感じたことがあるような。
ダンテが思い出そうとすると、それは少し硬 った柔らかな感触に変わり、爪の上を通り過ぎ、指へ、甲へと、登っていく。
覚えのあるその感覚を頼りに、ダンテは記憶を辿っていく。
ひんやりとした熱。
ちょっぴりざらつきのあるくすぐったさ。
(あー……)
くり、と腱を弄られた時、ダンテははっきり思い出す。
探し当てた記憶の甘さに、頬は仄かに熱を帯びる。
(これ、バージルの手か)
今も周囲は暗闇に沈み、手元の様子は見てとれない。
それでも瞳に魔力を込めてやれ、きっと全ては見えるだろう。
(——でもなあ……)
それではちょっと、味気ない。
「なあ、バージル」
ダンテは手を委ねたまま、静かに口を開く。
「なんにも見えねぇんだけど」
耳打ちをするように、僅かに掠れた声が響く。
「もしかして、さいしょからねらってた?」
手の上の低い熱は、止まる気配をみせてこない。
代わりに指に纏わりついたままの、細い布を解いていく。
ゆっくり、ゆっくりと解かれる感覚に、ダンテは肩を竦ませた。
「——なあ。おれ、今から何されるかんじ?」
自分で言った惚けた台詞に、ダンテはぷっと吹き出した。
白々しい期待を胸に、ダンテがこたえを待っていると、布を解かれたその指が、く、と僅かに持ち上げられる。
そうして無防備になった指は、ひとつひとつと絡められ、やがて五本全ての指は確かな力に捕らわれた。
かたん、と木箱が音を立て、握られた手が引っ張られる。
ダンテは抵抗することなく、体を前へと傾けた。
空気が揺らぎ、穏やかな呼吸が近くなる。
いつも眠る時に聞こえる、お気に入りのあの音だ。
音は段々と近づいて、吐息が頬に触れてくる。
こつん、と鼻の頭にぶつかったのは、多分バージルの鼻だろう。
「んー……め、とじたほうがいいか?」
「……好きにしろ」
ダンテは目を閉じ、きゅっとその手を握り返す。
視界に変化は殆どないが、感覚はより研ぎ澄まされる。
細やかな息。
絡まる指。
星すら見えない深い夜は、当初思い描いたものではなかったが。
(——でもまあ、これはこれで)
ダンテが綻ばせた唇に、淡い熱が重なった。
その表情は険しさがあるも、しかし瞳は物悲しげだ。
碧の双眸が映すもの。
それは空を覆う一面の雲だ。
ダンテは唇をつんとだし、ほんの少し肩を落とす。
今年も星は、見えそうもない。
********************
昼のニュースで報じていたのは、今日の株価やら天気やら。
適当に流し見た程度だが、バージルの興味を惹く要素など、どこにも無い内容に思える。
しかし薄氷色の瞳は、画面をじっと睨んでいた。
その答え合わせが出来たのは、綿雲がのんきに空を泳いでいる、穏やかな午後になってからだ。
その日はダンテにとって、特別と言えば特別な日ではあった。
一週間の金欠生活を耐え抜いた末の、待ちに待った報酬日。
ダンテはバージルと連れ立って、モリソンの事務所へ赴き、確かな重みのある封筒を受け取ったのだ。
温かくなった懐に足取りも軽く、ダンテは意気揚々と帰路を歩く。
ネロやパティからの施しがあったとはいえ、このところの食生活は大変に慎ましやかだった。
レディへの返済は一先ず置いておくとして、まずはオリーブ以外のトッピング全部乗せピザでも食べよう。
それからやっぱりストロベリーサンデー。
何を置いても、こればかりは外せない。
食べるならフレディの店か、ティキ達の穴蔵か。
どちらも甲乙つけがたいが、それならいっそ両方いってしまおうか。
心弾む
「ん?」
すっと空気に変化が起きる。
隣にあった筈の気配。
それが遠くなったのだ。
「バージル?」
ダンテが気配を追ってみれば、バージルはやや後方にある建物へと吸い込まれていく。
何だ、と視線を下へと向けると、そこにあったのは一つのイーゼル。
その黒板には、チョークでこう書かれていた。
『
日付やメッセージが掛かれたそれは、どこかで見覚えがあるような。
はっきり思い出せないながらも、ダンテはバージルの後を追い、
「寄るなら一言くらい言えよ」
扉の向こうで待っていたのは、部屋一面に並べられた、無数のワインボトルだった。
ふわっと香る、木やワインの香りが、彼方の記憶を呼び覚ます。
ちょうど去年の今時分。
たまたまイーゼルが目に入って、何気なく訪れたワインショップ。
確かここで、あまり見かけないボトルを手にしたような。
ダンテは記憶を掘り起こしつつ、店内をぐるりと見回した。
見上げる程の高い棚や、おが屑が詰まった木桶に置かれたボトルたち。
その向こう、ショウウィンドウの手前辺りで、ダンテは目当ての影を見つける。
「なあ、バージル。ここ——」
呼びかけに応じるように、こちらへ向くバージル。
その前にある樽の上に、数本のワインボトルが置かれている。
深い群青。
瞬く星座。
夜更けの空を切り取ったような、シンプルなラベル。
「あっ」
思わずダンテが声をあげると同時に、バージルはそのラベルのボトルを手に取った。
何度か角度を変えてみては、バージルはワインを品定めする。
そして一段落したところで、視線を逸らしたまま呟いた。
「——見るんだろう」
ぎこちない調子で。
柄でもない小声で。
「今夜、
バージルは決まりが悪そうに、『
ダンテははっとし、ショウウィンドウの外を見る。
店の前に置かれた、イーゼルの黒板。
そこに書かれた今日の日付に、去年の記憶が鮮明になる。
「……お前、覚えてたのか」
土砂降りの雨。
冷たい手。
あの夜、ダンテとバージルが交わした、約束とも言えない、『未来』の話。
——また来年、一緒に。
耳が、肌が思い出す、その感覚を燃料に、ダンテの胸の心臓は激しくビートを刻みだす。
「ふーん。そっか、覚えてたんだな、お前。」
返事は予想していた通り、一言たりとも帰ってこない。
しかしその手のボトルを見れば、ダンテはにやけずにはいられなかった。
ダンテはバージルの顔を覗き込む。
バージルの表情は、渋いような、戸惑っているような、何とも言えない微妙なものだ。
滅多に見ないその顔は、どんな感情からきているのだろう。
唐変木のバージルのことは、いまだにイマイチわからない。
(でも、まあ)
ダンテの口から、ふふっと笑いが零れる。
(この顔は照れてる顔ってことで)
ダンテは勝手にそう決めると、バージルの左手へと回り込む。
「じゃ、場所は屋上で。ほかにも色々買い足そうぜ」
な、と声をかけると同時に、バージルの背中をバンバン叩く。
バージルは明らかに怒っていたが、ダンテは全く気にしない。
ガラス越しに空を行く綿雲をにこにこ見送りながら、ダンテはバージルに向かって言った。
「なんたって今日は、
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ダンテの気分は大変によかった。
ワインは
浮いた金でトッピングも弾み、サイドもちょっといいものが買えた。
道の信号機も殆ど青で、バスもバス停に着いた瞬間にやって来た。
そして何より今日はずっと、バージルがダンテと一緒にいる。
止まらない文句や皮肉を差し引いても、まさしく
この調子なら、きっと星だってきれいに見える。
そんな風に考えていたのだが。
「…………」
ダンテは目をじりじりと細め、空を見つめている。
文字通り雲行きが怪しくなってきたのは、バスを降りた頃だった。
ふわふわと綿雲が浮かんでいた空は、全体がうっすらと雲で覆われ始め、徐々に暗くなってきた。
刻々と時間が進むにつれて、雲は層を重ねていき、今ではどんよりとした曇天へと変貌を遂げていた。
「おい、何をしている」
上の空のダンテの背後から、イライラとした声が飛んでくる。
主は当然ながら、同行者のバージルだ。
「あの砂糖と脂肪の塊を買うと言ったのは貴様だろう」
「何つー言い方するんだよ。ストロベリーサンデーだよ、ストロベリーサンデー」
「何でもいい。もう日が暮れるぞ」
「そりゃそうだけどよ……」
バージル越しに見える空は、重苦しい雲が垂れ込めている。
これではたとえ日が暮れたとて、どうにもわかりそうにもない。
「……こりゃ期待薄だな」
落胆が無いと言えば嘘になる。
トントン拍子に進んでいただけに、その落差もひとしおだ。
「予報、見ときゃよかったか……」
空へと向けられた呟きも、心なしか湿っぽい。
抱えたワインの紙袋も、何だか重たく感じられた。
「ダンテ」
「はあ……」
「…………」
ダンテが項垂れたその瞬間、その耳を青く光る剣が掠める。
「いって!いきなり何しやがんだ!」
「選べ。さっさと行くか、ここで死ぬか」
「何でそうなる!つか選択肢が極端なんだよ!」
ダンテは反射的にエボニーで一発やり返す。
しかし弾は届くことなく、目にも留まらぬ速さで両断される。
「あったま来た!お前構えろ!」
「ほう、やるか?」
「上等だこの野郎!絶っ対謝らせてやるからな!」
ふたりは荷物を脇に除けると、閻魔刀と
「吠え面をかくなよ?」
「こっちの台詞だ!」
不敵な笑みが交差した直後、ふたりの剣が火花を散らした。
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「いてて……」
暮れなずむ風が気持ちいい事務所の屋上。
そこで体を丸めてしゃがむダンテは、肩を抑えて呻いている。
傷は塞がって入るものの、骨に走る鈍痛は、暫く治りそうもない。
「あの馬鹿、思いっ切りぶった斬りやがって……」
あれこれと買った帰り道。
ストロベリーサンデーを巡る
「んだよ、ちょっと遅れたぐらいで……兄貴面する癖に小せえんだよ……」
ぶつぶつ文句は言いながら、ダンテはすくっと立ち上がる。
「んー、あの辺でいいか」
屋上の中央よりもやや奥。
一番ガラクタが少ない場所にダンテはすたすたと歩いていく。
手に抱えるのは、ワインかジンが入っていた木箱だ。
一抱え程あるそれを、底を上にしておけば、即席のテーブルの出来上がりだ。
更に蝋燭を入れたコリングラスを置けば、ディナーテーブルへとグレードアップする。
「こんなもんでいいだろ」
脚で椅子代わりの木箱を寄せつつ、ダンテは何気なく顔を上げる。
日はまだ暮れ切っておらず、紫だった雲が流れている。
風の勢いはそれなりにあるが、雲は後から後から湧き続け、途切れる様子もなさそうだ。
今年も星は、見えそうもない。
ダンテの唇は自然と尖り、肩も気持ち落ちている。
「まあ、降らないだけマシか」
半ば自分に言い聞かせるように、ダンテは独り言を言う。
そよそよと風に遊ばれる髪を、手で梳き上げた直後、ぎい、と蝶番が鳴き、続けて良い香りが漂ってきた。
「……片付けろと言ったはずだが」
風が香りと共に運んだのは、どすの聞いた声だった。
「テーブルセッティングは完璧だろ。細けぇ男は嫌われるぜ」
ダンテの軽口に眉を顰めたのは、入口に佇むバージルだった。
料理担当のバージルの手には、ピザの平箱を皮切りに、サイドメニューのフードパックや、果てはワインのボトルまで、驚異的なバランスで積み上げられている。
「
「運んでやったのには変わりない。感謝しろ」
横柄な物言いに閉口するダンテの前を、ひゅんと何かが横切った。
がたごとと鳴った音を追えば、木箱のディナーテーブルに、カトラリーやら食べ物やらが、整然と
「ピザを投げるなよピザを。トッピングが崩れんだろ」
「そんなヘマをするとでも?貴様じゃあるまい」
「お前なぁ、一々喧嘩売らねえと気が済まねえのか?っったく……お前がそんな性悪だから、星だって雲隠れしてんだろ」
「下らん言いがかりだ。そもそも元から、今日の予報は曇りだった」
「はあ?」
ダンテはぴたりと足を止める。
「お前、知ってたのか?天気のこと」
「……」
少し行った先で、バージルもぴたりと足を止めた。
「何で言わねえんだよ。てかそれじゃあお前、何で星見ようなんて言ったんだ?」
「…………」
「曇ってたら見えねえだろ」
「………………」
「はっきり言えって、バージル」
バージルは沈黙を守ったが、チッと忌々しげに舌打ちすると、何事も無かったように歩き出した。
「待てよ!つか舌打ちすんな!」
ダンテも後を小走りで追うが、バージルは完全に無視を決め込み、木箱の椅子へと腰掛けた。
「ったく、訳わかんねえ奴だな……」
経験則から、これ以上問い詰めても無駄なことはわかりきっている。
ダンテはもやもやを胸に押し込んで、仕方なしにバージルに続いて箱へと腰を下ろした。
「バージル、ワイン」
ダンテがワイングラスを手にした時、ひゅっという音と共に、ボトルの首が、巻かれたリボンと共にぽとりと落ちた。
「おい、シャンパンじゃねえんだぞ」
「わかっている」
「じゃ何で瓶斬るんだよ。普通に栓抜けよ、栓」
「コルクでも欲しいか?
「決めつけんなよ。雰囲気ねえなあ」
「このガラクタだらけの場所で雰囲気か?」
「ああ、前衛的でイカしてるだろ?ジャンク・アートさ」
「言っていろ」
口論の緊張は解れていき、次第に言葉のじゃれ合いに変わっていく。
ワインを注ぎ終わる頃には、空気はすっかり和やかになった。
ダンテはタイミングを見計らい、マッチを地面でしゅっと擦る。
そして手で火を守りつつ、そっとグラスの蝋燭あかりを灯す。
ぼうっと温か光が辺りを照らし、テーブルの上に影が踊り始める。
「な?いい雰囲気だろ?」
「ほざいていろ」
口こそ相変わらずの悪さだが、姿勢はゆったりと崩されており、素直じゃない、とダンテは笑った。
「じゃ、乾杯でもするか?」
ダンテがグラスを差し出せば、バージルも軽くグラスを掲げる。
「ええと、どうする?曇り空に、ってか?」
「……
「何だそりゃ」
「去年話したろう」
「さあな、忘れちまった。」
「…………」
「ほらほら、早く始めようぜ。
ダンテはバージルの返事を待つことなく、さっさとグラスを空けににかかる。
バージルは不服そうに目を眇めたが、ダンテに追い討ちをかけることなく、ぐいっとワインを飲み干した。
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「んー……」
ダンテは目を伏せ、微睡みと現の海の境で、ゆらゆらと舟をこいでいる。
月すら隠れた真っ暗な夜。
夜風に揺れる蝋燭だけが、闇に世界を縁取っていく。
暖色が描く光景を、ダンテは素直にきれいだと思う。
手にしたグラスは空っぽだ。
ピザもさっきの
木箱で設えたテーブルでは、ふたりで過ごした時間の名残が、影と融けて留まるばかりだ。
(今年も見えなかったな)
昼間予想していた通り、雲が晴れることは無く。
結局バージルの顔ばかり見ていた気がする。
ダンテのジョークに顰められた顔。
些細な言い間違いを嘲笑う顔。
苛立つ顔が多い物の、星に纏わる詩を語るときの、柔らかい顔は悪くない。
確かに星は見えなかった。
けれど。
(——まあ、それはそれで)
ダンテはこっそりと、上目がちにバージルを見る。
向かいに座るバージルは、いつの間にか持ってきたスコッチをグラスの中で揺らしている。
彫りの深い顔には濃い影がさしていて、表情はあまり見えなかった。
しかし時々ちらちらと、頬や鼻を撫でる光は、やっぱりきれいだとダンテは思う。
「……何を笑っている」
ぶっきらぼうな、しかし和やかな声が聞こえる。
「ん——……?」
ダンテは間延びした調子でバージルに答える。
大した酒量ではなかった割に、今日は随分と酔いが回っていた。
「別にー……いろいろ、思い出して……」
夢心地の頭の中に、今日のことが浮かんでくる。
知らぬ間にラッピングされていたボトル。
普段よりもゆっくりと前を歩く影法師。
微睡むダンテのために潜められた、安らいだ吐息。
ふわふわ、ふわふわと、浮かんできては、消えていくのを繰り返す。
「……今日のお前、変だったなーって……曇ってるのに、星とか……ふふっ……」
ダンテが小さく笑った時、屋上を風が駆け抜けた。
じじ、と幽かな音がして、全てが闇に包まれる。
蝋燭の芯が燻る匂いが、風が火を攫ったのだと教えてくれた。
「あー……」
ダンテは顔をのろのろと上げ、寝惚け眼を瞬かせる。
「え、と……マッチ、火……」
先程迄の記憶を頼りに、ダンテはテーブルへと手を伸ばす。
かつん、と木箱の
多分皿に残った、ピザの油か何かだろう。
ダンテは構わずそろそろと、テーブルの上に手を這わせた。
くしゃくしゃになった紙を越え、つるつるのプラスチックに躓きながら、指に絡んだ長い布を引き摺ったまま手は進む。
「たしか、この辺……」
指の感覚を研ぎ澄まし、人差し指をぴっと伸ばす。
するとくたびれた厚紙の箱に——
「……ん?」
つん、と指が感じたのは、硬く滑らかな感覚。
これは、どこかで感じたことがあるような。
ダンテが思い出そうとすると、それは少し
覚えのあるその感覚を頼りに、ダンテは記憶を辿っていく。
ひんやりとした熱。
ちょっぴりざらつきのあるくすぐったさ。
(あー……)
くり、と腱を弄られた時、ダンテははっきり思い出す。
探し当てた記憶の甘さに、頬は仄かに熱を帯びる。
(これ、バージルの手か)
今も周囲は暗闇に沈み、手元の様子は見てとれない。
それでも瞳に魔力を込めてやれ、きっと全ては見えるだろう。
(——でもなあ……)
それではちょっと、味気ない。
「なあ、バージル」
ダンテは手を委ねたまま、静かに口を開く。
「なんにも見えねぇんだけど」
耳打ちをするように、僅かに掠れた声が響く。
「もしかして、さいしょからねらってた?」
手の上の低い熱は、止まる気配をみせてこない。
代わりに指に纏わりついたままの、細い布を解いていく。
ゆっくり、ゆっくりと解かれる感覚に、ダンテは肩を竦ませた。
「——なあ。おれ、今から何されるかんじ?」
自分で言った惚けた台詞に、ダンテはぷっと吹き出した。
白々しい期待を胸に、ダンテがこたえを待っていると、布を解かれたその指が、く、と僅かに持ち上げられる。
そうして無防備になった指は、ひとつひとつと絡められ、やがて五本全ての指は確かな力に捕らわれた。
かたん、と木箱が音を立て、握られた手が引っ張られる。
ダンテは抵抗することなく、体を前へと傾けた。
空気が揺らぎ、穏やかな呼吸が近くなる。
いつも眠る時に聞こえる、お気に入りのあの音だ。
音は段々と近づいて、吐息が頬に触れてくる。
こつん、と鼻の頭にぶつかったのは、多分バージルの鼻だろう。
「んー……め、とじたほうがいいか?」
「……好きにしろ」
ダンテは目を閉じ、きゅっとその手を握り返す。
視界に変化は殆どないが、感覚はより研ぎ澄まされる。
細やかな息。
絡まる指。
星すら見えない深い夜は、当初思い描いたものではなかったが。
(——でもまあ、これはこれで)
ダンテが綻ばせた唇に、淡い熱が重なった。
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