6 + 6 Feet Under

空も泣いている。
そんな陳腐な台詞と共に始まった埋葬式は、酷く細やかなものだった。
烟る雨の中、司祭は時折咳き込みながら、祈りの言葉を捧げている。
司祭と彼に傘を差す葬儀屋の他に、参列者は三人しかいない。
そのわずかな参列者というのも、中々に異様な面々だった。
まず目を引いたのは、真っ赤な口紅ルージュ
薄暗い中、つば無し帽モーニングハットのヴェール越しでもはっきりわかる鮮烈な赤は、葬儀の場にはそぐわない。
しかもその赤が彩る唇は、三日月のように美しい弧を描いている。
若く、美しい女だった。
女は奥の方、墓から離れた柳の木の下に、傘をさして佇んでいた。
まとめられた黒髪は艶やかで、緑がかった榛色ヘーゼルの瞳には、微かに金の光が散りばめられている。
左手の薬指には瞳と同じ金の指輪が輝き、胸元にラッフルが波打つ黒のコートドレスは、見る者の目によっては不謹慎と映りかねないような、華やかさと上品さの境にあった。
続けて、視線を少し手前に戻す。
墓と棺との前には、銀の髪をしとどに濡らした、長身の男が二人並んでいた。
髪で目元はよく見えないが、肌や口周りの感じを見るに、歳の頃は四十程度だろうか。
遠目にはどちらも喪服を着ているように見えたが、目を凝らせば、雨で変色しているものの、ひとりは黒地に青の刺繍が施されたコートを、もうひとりは暗く煤けた赤のそれを着ているのがわかった。
インナーやボトムも、よれたシャツや革のパンツといったカジュアルなもので、埋葬の場にはやや場違いと言っていい。
しかしここには眉を顰めるような者もいない。
小さな咳が響く中、式は恙無く進められていった。


十分も経っただろうか。
司祭は一旦祈りを終えると、棺を手で示しつつ、土を、と言った。
しかし葬儀屋の人間に耳打ちされると、はっとした顔つきになり、雨なので略式で、とばつの悪そうにいい直した。
引っ込められる司祭の手を見て、煩わしげに溜め息をついたのは青い男の方だった。
男がざっと前髪を掻き上げれば、薄氷色の瞳に、通った鼻梁が現れる。
剃刀のような印象を受ける顔立ちは、端正と言っても差し支えないだろう。
男は鷹揚とした足取りで歩み出ると、棺の前に跪く。
そして汚れるのも厭わずに、地面の泥——いや、土を左手で掴み、蓋の上へとそっと乗せた。
すると今度は赤い男が青い男と入れ替わる形で、棺のもとへとやって来た。
揺れる銀糸の髪越しに見えるのは、碧玉エメラルドの瞳。
粗野ながら整った顔の造形は、青い男とは異なる系統だ。
しかし何故かふたりの面差しは、不思議と似通った雰囲気を纏っていた。
赤い男は棺に軽く触れると、青い男に倣うように、跪き、土を掬い、蓋へと置いてこうべを垂れた。
ふたりの男の行動に、女は驚いたように目を見開くも、すぐにそれは細められ、唇は例の蠱惑的な線を描き出した。
赤い男が元いた位置に戻ると、ごほごほと葬儀屋が咽せた。
司祭もまた咳払いをした後、背筋をしっかりと伸ばし、参列者を見回した。
故人は無事、天に召された。
司祭は最後にそう言って、この細やかな式を閉じた


********************

「随分深く掘るんだな」
赤い男が言った。
「大体一八〇センチ六フィート位だろ?普通。ありゃ倍はある」
柳の下。
そこには傘をさした女と、雨に濡れるがままの男達がいた。
心なしか、式の前より萎れて見える枝の下で、彼らは小型の重機で穴へと棺が下ろされるのを眺めいる。
「ここではね、棺を重ねて埋めるんですって。そんなに広くない墓地ところだから、家族はそうやって同じ場所で眠るらしいの」
女はくすりと笑ってみせる。
「——まあ、私は入らないけれど」
その微笑みには何か含むところがありそうだが、ヴェールと雨に遮られ、その真意を計り知ることはできなかった。
「それで?どんな旦那だったんだ?」
「え?」
「葬式じゃこういう話で、場を和ませるもんだろ?」
そう赤い男が顎をしゃくれば、女は金の指輪が光る手で、口を抑えてくすくすと笑う。
「なあに?最近の悪魔狩りデビルハンターはそんなことまでするの?サービスがいいのねぇ」
「ダンテ」
青い男が咎めるように口を挟むと、ダンテと呼ばれた男は片眉を釣り上げた。
「バージル。ヒトデナシとは言え、冠婚葬祭くらいきっちりした方がいいぜ?」
「馬鹿を言うな。まだ仕事が——」
「はいはい。話が終わったらな」
ダンテはバージルを押し退けると、女に向かってウインクする。
「あの人の話……」
女は空を見上げ小首を傾げると、少し惚けたような声で話だす。
「そうねぇ……一言でいえば、馬鹿な人だったわ。くちゃくちゃの赤毛がいつも跳ねてる、大きな団子鼻の人でね。背だって私より低いくらいで、ハンサムなんかじゃなかったの。それにね、お人好しというか、おめでたいというか。よく人に騙されて、損ばかりしていた人だった。それこそ近所の子供の嘘を信じて、しょっちゅうお菓子を集られていたくらい。だからそんなにお金も無かったし、会計士の仕事も、老人相手の細々としたものばかりだったのよ」
半ば呆れたように、女は故人をつらつらと語る。
出てくる言葉は辛辣だが、澄んだガラスのような声に、どうして嫌な響きは聞こえてこない。
「ふうん。何だかパッとしねえな」
「水道を止められる貴様よりは、余程甲斐性があるだろう」
「はあ?このタイミングでそういうこと言うか?普通」
「事実だろう。現に昨日もお前が留守の間に、アーカムの娘が取り立てに来ていた」
「げ、マジで?立て替えといたんだろうな?お前」
「誰がするか」
「あークソッ、気が利かねえな!」
「殺すぞ」
「うふふっ、本当に面白いわねぇ、あなた達」
バージルとダンテはキッと女を睨んだが、当の本人はいっかな臆する素振りも見せない。
よもや一触即発という状況だったが、ふたりは女の様子に気不味くなったようで、すぐに緊張を解いてそっぽを向き合った。
「……で、続きは」
「あら、まだ聞きたいの?」
「ああ、興味がある」
「あの人は人間よ?デビルハンターあなた達の守備範囲じゃないと思うけれど」
「知ってるさ。だから聞きたいんだ。と、あんたと添い遂げた男のことを」
「まぁ」
女はいたずらっ子を嗜めるように笑った。
「大したきっかけなんてなかったのよ。評判がいい会計士なんて言うものだから、きっとお客様をたくさん抱えて、をしているんだろうなって期待して、私からあの人に近付いたの」
「へぇ、Some like it hotお熱いのがお好きってか?」
「おい」
「そう!そうなの!私、イケないことやキケンな匂いがする人が大好きだったの!」
榛色ヘーゼルの虹彩に散った金が、爛々と輝く。
ぞくりと怖気が走るような瞳だったが、ダンテもバージルも、たじろぐ素振りすら見せなかった。
「退屈だったわ。あの人と一緒だと。スリリングな事件も、ゾクゾクする秘事ひめごとも。いくら唆したって、ちっとも起こらなかったんだもの。それにね、あの人、私にも全然手を出してこないのよ?私は純潔の誓いを立てるような女じゃないのに、馬鹿みたいでしょう?」
女は人差し指をぴっと立てると、悪戯っぽく口に当てる。
「だからね私、ちょっと悪戯しちゃったの。昔の『知り合い』にお願いして、夜道で……ね?あののほほんとした人が、どんな顔で泣き喚くのか、見てみたいと思ったのよ。特等席で見たかったから、私と一緒の時にって頼んだわ。そうしたらどうだったと思う?」
女の問いに、ダンテは肩を竦め、バージルはうんざりだとばかりに上を見た。
「あの人ね、知り合いが飛びかかってきた途端、私を横抱きにして物凄い勢いで逃げ出したの。しかもあんなぷくぷくしたおちびさんが、壁や階段をぴょんぴょん飛んで。まるでトムとジェリーみたいに!あんまり意外だったから、知り合いもうっかり逃しちゃったみたい」
女の眼が、更に輝きを増す。
「それでね。後少しで家だってところであの人、たまたまあった水溜りに、滑って転んで突っ込んだの。あんなにすばしっこく走ってたのに、私を抱えたままだったから、受け身も取れずに思いっ切り。その癖私のことは離さないものだから、こっちは少しドレスが汚れたくらいで済んだけど、あの人はあのまんまるな鼻から血を出してね。それでこう言ったの。『お怪我はありませんか?』って。私もうおかしくっておかしくって。大きな声で笑っちゃったの」
「そう言うなよ。いい男じゃねえか」
「さあ?どうかしら。怪我をしてるのは自分なのに、私のことを先に心配するなんて。しかも私が何ともないって言ったら、本当に嬉しそうに笑うんだから。私が仕掛けたのも知らないで、呑気な人でしょう?」
女は、故人を語るにつれ、凄艶たった眼の輝きを変化させる。
意識してでは無いだろう。
しかし確実にそれは変わっている。
「それ以来私、何だかあの人の面白いところをもっと見たくて、たくさん悪戯しちゃったの。ポップコーンをわざと爆発させたり、庭の木から降りられない振りをしたり……ちょっと他人には言えないこともしたけれど、だけどあの人、いつだって騙されて、いつだって一番に私の心配をするの。自分がどんなに辛くても、必ず私を先にするの」
たとえるなら雨上がり、日の光を受ける紫陽花の葉の露のような。
そんな煌めきが、女の瞳を彩っている。
「……——」
バージルが口を開きかけた時、ごほん、と背後から咳が聞こえた。
振り返るとそこにいたのは、傘をさした葬儀屋だった。
葬儀屋が女へ頭を下げると、ざり、と小さな音が鳴った。
女が少し後退ったのだ。
先程とは打って変わって、その表情はやや硬い。
「何か用か?」
ダンテが女の前に割り込めば、葬儀屋は視線で後方を指す。
墓地の向こう。
道路の辺りに、小さな影が立っているのが見えた。
司祭に傘を差し出されているのは、十かそこらの少年だ。
手には売り物でないであろう、白い花が握られている。
葬儀屋は言った。
あの少年が、故人に別れを告げにきた、と。
女は僅かに目を彷徨わせると、先程の笑みを取り戻す。
「ええ、構わないわ。案内してあげて。ただし、終わったらすぐ帰らせてちょうだい。あの子と話す気分じゃないの」
葬儀屋は何か言いたげだったが、ぎろりとバージルが睨め付けると、そそくさとその場を後にした。
ダンテ達が見守る中、少年は司祭や葬儀屋に付き添われ、故人の墓へと花を手向ける。
雨粒よりも大きな涙が、少年の頬をぼろぼろ伝う。
げほげほと咽せ、目をごしごし擦る少年の背を、司祭は優しく撫でていた。
「……町の皆が、あの子が赤ん坊の頃、親に捨てられたことを知ってたの」
ぼそりと女が呟く。
「でもね、あの人だけはあの子がピクニックに行った話や、誕生日プレゼントを貰った話を、とっても嬉しそうに聞いてたの。毎日ココアとビスケットを用意して、にこにこあの子の話を聞いてたの。……あの人とあの子は友人だった。だから知らない筈なんてないのに」

女はすっと手を上げた。
目の前に枝垂れる柳の葉。
それに女が触れた瞬間、青かった葉は見る見る内に変色する。

「ねえ?本当に馬鹿な人でしょう?」

萎れた葉が、女の手の内に落ちる。

「さっき話した『知り合い』。彼、私とだったの。力もそれなりにあって、その分プライドも高くて。だからね、あの人を逃したのが気に食わなかったみたい。たかが、って、凄く怒ってた。それである日家に来て、あの人を襲おうとしたの。私、頭に来て。私からあの人をとろうだなんて、そんなの絶対許せない。だから夢中で使ったの。この力を、思い切り。そばであの人が見ているのも気付かないで」
女はそう言って、ダンテ達へ手を差し出した。
掌に乗っているのは、黒く腐敗した葉だったもの。
それが金の指輪にこびりつき、鮮やかな煌めきを濁らせている。
「あの人、見てたのよ。私が力を彼に使うところを。私が触れたところから、彼が腐り落ちるところを。それなのにね、あの人逃げるどころか駆け寄ってきて、私の手を握ったの。手が私の毒で焼けてるのに。強く握って。みっともなく泣きながら言ったのよ。『お怪我はありませんか』、って」
女は司祭達が話しかける、少年の背を見て溜め息を吐く。
「結局、あの人は私が『誰なのか』を知っても、私と一緒にいたいって言ったの。昔の話だって、全部洗い浚い話したのよ?それでも一緒にいたかったんですって。物好きよね。それで私、あれこれ考えるのも面倒だから、ずるずる今日まで来ちゃったのよ」
どこか茫洋とした眼差しで、女は続ける。
「……でも、ちゃんとすべきだったのよね。あんな人とは別れて、前みたいに、自由に、ただ楽しく生きればよかったのに。そうしたらあの人も——」
女がそう言いかけたとき、不意に少年がこちらを向いた。
く、と女が呑むと、その身は俄かに影に覆われる。
「下らん感傷だな」
淡々と言い放ったのは、女の前に立ちはだかったバージルだった。
その大きな体躯は、小柄な女などすっぽり隠してしまう。
顔をぐちゃぐちゃにした少年から、女が見えなくなる程度には。
「本当、サービスがいいのねぇ」
女は傘を前へと傾けた。
ぼたぼた、と一際大きな音を立てて、傘を滑った雨が地面へ落ちる。
「一年位前よ。少しずつね、身体が言うことを利かなくなってきたの。耄碌したのかしらね。どうしても力が滲んでしまう。最初は窓際に来ていた猫や鳥が寄り付かなくなって。暫くしたら、あの人と植えた青のデイジーが枯れて。どんどん抑えがきかなくなって……少しずつ毎日が壊れていったの。部屋に籠って考えたわ。もうここにはいられない。早くここから出ていかなきゃ。花が、庭が、あの人が——全てが腐ってしまう前にって」
傘を叩く雨音を縫い、やっと耳に届く声。
辛うじて震えは聞き取れるが、その意味までは測れない。
「あの人に話したの。身体のことも、出て行くことも。全部、全部話したわ。でもね、あの人ったら全然話をきかないの。そんなことどうでもいい、ずっと一緒にいたいんだって。いつもはどんなわがままだって聞いてくれるのに、私が出て行くってことにだけは、最期まで首を縦に振ってくれなかった」
訪れる沈黙。
激しさを増す雨だけが、世界に音を生んでいた。
それを破る権利があるのは女だけなのだと、その場にいた誰もが暗黙の内に知っていた。
「……本当はわかってたわ。話してしまえば、あの人はきっと何があっても私を引き留める。だから黙って、あの人の前から消えた方がいい。そんなことくらい、わかってたの」
独白にも似た声音で、女は言葉を紡いでいく。
「でも私はそうしなかった。あの人と一緒にいたかったの。目が覚めて、あのかわいいしわくちゃな顔に、おはようってキスできない朝が来るだなんて、私一日だって耐えられなかったから」
紡がれる言葉は、徐々に速さと強さを増していく。
「だから私、わざと話したの。ちゃんとわかった上で、全部あの人に。それでずっとあの人のそばにいたの。あの人の肺が腐るまで。あの人に望んでもらいながら。何もかもわかった上で、ずっとずっとそばにいたの」
女は話すのをやめない。
いや、やめられなかった。
胸の内を全て吐き出すように、只管に話続けた。
「——あの人は最期まで言ってたわ。いつまでもずっと一緒だ、私を独りにはしないって。だから葬儀屋にも、いつか私も入れるようにって、お墓の話もつけてたみたい。でもそんなのお断り。あの人が死んだ後まで、私の毒で腐るだなんて。そんなの真っ平だもの」
すっと傘が持ち上げられる。
傘の下から現れたのは、葬儀が始まった時と同じ笑みだ。

「だからあなた達を呼んだの。もうあの人や、あの人のいた世界を穢さないで済むように。私をきれいに消して欲しいの。いかないでって行ったのに、私を置いて行っちゃうなんて……そんな人の願いなんか、聞いてあげないんだから」

くるり、と傘が回った。

「ふふっ、酷い女でしょう?」

そうバージルへと言った時も、女の笑顔は崩れなかった。
バージルはいつの間にか落ちた前髪もそのままに、目だけを横へと滑らせる。
その目は刹那、赤い影を捉えたが、バージルは静かに目を伏せた。

「——その感情には、覚えがある」

女にだけ聞こえる声で、バージルは小さく囁く。
それから薄く目を開くと、やおら女の手をとった。
じゅ、と音がして、腐臭が広がる。
だがバージルは苦悶の声を漏らすことなく、ただ女の掌を見つめていた。
きょとんとする女を他所に、バージルの親指は金の指輪を滑る。
指輪に纏わり付く黒は、腐った指に拭われて、暗く陰った雨空の下、金の輝きを取り戻す。

「ダンテ」

バージルは振り返った。
しかし名前を呼んだきりで、それ以上は何も言わない。
ダンテは首を捻ったが、すぐに何かを察したらしく、むっと唇を尖らせる。
「はぁ?何で俺が」
「……」
「口があんだろ。自分で言えよ」
「…………」
バージルは答えず、ぱっと女の手を離す。
そして前髪を掻き上げながら、すたすたと歩きダンテの横をすり抜けた。
女は手を取られた時の状態で、その場に立ち尽くしたままだ。
「おい、バージル」
ダンテは語気を強めて言ったが、バージルは墓地を後にする少年達を見守るように、ふたりから距離を置いた場所で黙りを決め込んだ。
「ったく……気ぃ悪くするなよ、いつもああなんだ」
ダンテは形式ばかりの謝罪をして、女の方へと向き直る。
不平を零していたはずの唇は、何故か柔らかな弧を描いていた。
「なあ、あんた知ってるか?男ってのは、女が思う以上に独りが苦手なんだ」
「あら、そうなの?」
さもなく女が答えると、ダンテは微かに苦笑する。
「ああ。俺にも少し、覚えがある」
目だけが動いて示したのは、背後の青い背中だった。
その気配に気付いたのか、バージルはダンテ達の様子を伺ってくる。
しかしダンテがそちらへ向かって、べっ、と舌を出せば、バージルは不愉快そうに背を向けた。
「——堪えるもんさ、独りで眠る寒さってのは。あんなの二度とごめんだね」
バージルの背中を眺めながら、ダンテはらしくない小声で呟いた。
そこにどんな想いや過去が秘められているか、女は知る術を持っていない。
しかしその音に聞く温もりに、女は少し、昔のことを思い出した。
「だからさ、聞いてやってくれよ。あんたを置いていかなきゃならなかった男の、最期の願いってやつを」
深く澄んだ、二つのあお
薄暗い世界に浮かぶそれが、女の姿が映し出す。
「たとえば
ダンテはすっと指をさした。
「それなら一緒に、同じ墓で静かに眠れるんじゃねえか」
真っ直ぐ伸びた指。
その先にあったのは、女の薬指に嵌められた、金に光る指輪だった。
女は見開いた目の前に、すっと左手を持ち上げる。
榛色の虹彩に、指輪の金がぱっと散る。
「私と、あの人が?」
指輪に釘付けになった女は、ぼうっとダンテへ問いかけた。
「ああ。どうだい?」
言葉を詰まらせる女に、ダンテは手を差し出した。
泥でぐしゃぐしゃに汚れた右手。
それは先刻の埋葬で、棺へと土をかけた手だった。

「おっと、すまない。こっちの手を——」

「——それって」

ぽん、と傘が空に舞った。


「それって、何て素敵なのかしら!」


鉛色の雲が、幾重にも垂れ込める空の下。
ぴょんと女は軽やかに翔び、ダンテの右腕に抱きついた。
泥に塗れるのも厭わずに、ぎゅっとその腕を抱きしめる。
「いって!ちったあ遠慮しろ!」
「あら、いいじゃない。私今、とっても気分がいいの!」
腐臭が漂う。
蜜のように甘く、花のように可憐な腐臭が。

「私、一緒にいられるのね。あそこでずっと、あの人と」

無垢な恥じらう少女のように、女ははにかみ呟いた。
ダンテはやれやれと呆れるが、その表情は柔らかい。
「……おい」
後ろから飛んできた声に、ダンテは顔だけ振り返る。
「何か用か?生憎見ての通り、今は手が塞がってる」
「馬鹿か貴様は」
バージルは怒る気力もないらしく、じっとりとした目で腕組みをする。
「別の連中が来た。このままずぶ濡れでお喋りを続けるか?」
「あ?」
ダンテが更に身体を捻ると、バージルが言う通り、弱まった雨の向こうに、喪服に身を包んだ一団がやって来るのが見えた。
「仕方ねえ、そろそろ退散するか。なあ、いいだろ?」
「ええ、このままだとお化粧も落ちちゃうもの」
女はダンテの手を引いて、バージルの元へと駆け寄ると、両手に二人の腕を抱きかかえた。
「ねえ、悪魔狩りデビルハンターさん。最期に追悼の午餐レパストへ招待させてちょうだい。もっとあの人のことを話したいの!」
屈託なく笑う女に、ダンテとバージルは顔を見合わせる。
片や苦笑し、片や嘆息し、ふたりは女を見下ろした。
「……」
「なあ、そいつはピザも出るのかい?」
「ご希望なら」
「じゃあ決まりだ。いいな?バージル」
「……腕が腐り切る前に終わらせろ」
むすっとするバージルを小突くと、ダンテは女へ向かっていった。

「それじゃあ案内頼むぜ、ご夫人マダム?」

上がりかけの雨の中、女は満面の笑みで言った。

「ええ、歓迎するわ。さあ、行きましょ。私とあの人が、一緒に過ごしたあの家へ」

薄くなりつつある雲間からは、ひっそりと金の光が射し始めていた。
1/1ページ
    スキ