初夜

こうなることを、予測していた訳ではない。
けれどこうなったことを、理解できない訳ではなかった。


赤暗い叢雲が月を覆う魔界の空。
その下にダンテとバージルのふたりはいた。
ダンテは地面に後ろ手をつき、空を仰ぐように座っている。
一方バージルも大地に手をついているが、その体勢は対照的だ。
ダンテに覆いかぶさるような姿勢で、膝をついている。
やっぱりな、とダンテは思った。
魔界に来て早半月。
クリフォトの木を根絶やしにすべく、魔界を駆け回ったのは最初だけ。
早々に木を片付けると、後は兄弟喧嘩に明け暮れた。
昼も夜もなく、時たま寄ってくる悪魔を蹴散らし、心ゆくまで剣を交える。
何故、と聞かれても、うまく答えられない。
それはじゃれ合いだったかもしれないし、単なる憂さ晴らしだったかもしれない。
ただそこに憎悪や怨嗟は微塵もなかったことだけは、はっきりと言えた。
心が赴くまま。
魂が求めるがまま。
底無き渇きを癒すように、ふたりはひたすら闘った。
そうした果ての結末が、だとは。
何とも業深く、何とも俗っぽいと、ダンテは苦笑した。
「えー……やっぱり俺が下?」
バージルの答えは沈黙だった。
(まあ、そうだよな)
昔から、こういう奴だった。
苛立ち半分、諦め半分。
もやもやとした感情を胸に、ダンテは仕方無しに腹を括った。
「あー。わかった、わかったよ。もうそれでいい。横槍が入る前にやっちまおう」
の経験なんて無いけれど。
そう口の中で呟くと、ダンテは目を閉じ深呼吸した。
一応やることはわかっている。
若干スプラッター要素が絡んできても、体の頑丈さには自信がある。
まあ、何とかなるだろう。
悲観的なのか楽観的なのか、今一判然としない心持で、ダンテはバージルの出方を待った。
もう一度大きく息を吸い、ゆっくりと吐く。
さあ来いと意気込んで待ってみるが、何故か何も起こらない。
「…………?」
勘繰りながら待っていると、さっと瞼に影が差した。
どうしたのかと目を開ければ、眼前には手があった。
汚れたグローブに包まれた、バージルの手。
それ自体は特に驚くことでもない。
しかし不思議なのは、その差し出され方だ。
ダンテに触れるでもなく、服を脱がすでもなく、ただ目の前に差し出されている。
「ダンテ」
名前を呼ばれ、ダンテがバージルの顔を見てみれば、ばちりと視線がぶつかった。
澄んだ氷河のような瞳。
その目が『何か』をダンテに訴えている。
が、生憎ダンテにはその『何か』がわからない。
ダンテはわからないなりに知恵を絞り、あれこれ可能性を探ってみる。
「……ひょっとして、グローブそれを取れって?」
ダンテが試しに聞いてみると、バージルはやはり答えることなく、すっと手を押し出して来た。
答えは合っていたようだ。
「はいはい、やりますよ」
王様気質のバージルのことだ。
こうしてひとにやらせたいのだろう。
ダンテはすっかり呆れつつも、バージルのグローブへ手を掛ける。
若い女ならいざ知らず、どうせ相手はバージルだからと、ダンテは雑に脱がせ始めた。
端の部分を適当に持つと、そのまま一気に引き上げる。
そうすればこんな草臥れたグローブなど、簡単に引き抜ける。
その筈だったが。
くん、と何かが引っかかる。
指先に伝わる不自然な感覚。
ダンテは何の気無しに、グローブの中を覗き込んだ。

「え」

ダンテがそこで目にしたもの。
それはただの『穴』だった。
掌と手首の境目辺り。
そこに一つぽっかりと、虚な穴が空いている。
「これ」
それ以上言葉は出ず、ダンテはぴたりと手を止めた。
これは何なのか。
混乱というには穏やか過ぎる、騒めきが頭を占めていく。
「杭だ」
バージルは淡々と答えて言った。
「魔帝によって穿たれた」
何と言えばいいのか。
ダンテは困惑したが、とにかく有り合わせの言葉を組み立てる。
「えっと、何つーか……塞がるモンだろ。その、こういう
「呪いだ。囚われていた頃、魔帝が気紛れに施した。『永遠の屈辱を、スパーダの息子に』、と」
魔帝・ムンドゥス。
父・スパーダの宿敵であり、母・エヴァを殺めた仇の名前。
ダンテ達の運命を狂わせた暴君の名は、既に過去のものとなっていた。
少なくとも、ダンテの中では。
「……」
グローブをすっかり脱がせると、ダンテはバージルの手を掬った。
それからそれを両手で包み、親指の腹で『穴』の縁をなぞる。
大きさは腕時計の文字盤くらいで、血は滲んでいない。
けれど生々しい肉や、千切れた皮膚の感覚は、確かに指に感じていた。
塞がらない傷。
半魔の超常的な身体を以ても癒えない傷は、どれだけの憎悪と呪詛が込められているのだろう。
ダンテは口を噤んだまま、じっと穴を見つめている。
押してみたり、擦ってみたり。
ちょっと爪で掻いたりもしたが、バージルは何も言わなかった。
その代わり暫くすると、バージルの手はダンテの手を取り、今度は胸元へと導いた。
厚手の革で仕立てられたウェストコート。
次はこれかとダンテは思う。
身体を起こし、ずいっとバージルへと顔を寄せる。
言葉は無い。
代わりに取られた手を握り返せば、バージルもまた上体を起こし、脚を投げ出し座り直す。
ダンテはそれを追って身を乗り出すと、膝を跨いで腰を下ろした。
「ん」
ダンテが小さく唸ってみれば、バージルはその手を素直に離す。
自由を得た手が掛かるのは、幾何学模様の革の服。
その前は固く閉ざされ、何者をも拒むようだ。
ダンテはそこを柔く撫でると、ゆるゆると手を動かしだす。
堅い生地を指で捕まえ、穴へとボタンを押し入れる。
ぶつりと籠った音がすれば、閉じた部分が放たれた。
紺青の革が撓み、下の黒が僅かに覗く。
ダンテはそれを確かめると、残りのボタンも外していった。
さっさとやればこんなこと、ものの三分とかからない。
しかしダンテはそうしなかった。
一つ一つ丁寧に、時間をかけて外していく。
やがて全てを開け放つと、最後に残されたのは黒い服。
ダンテはそのスライダーをつつき、ちらりとバージルを見る。
バージルの顔からは、感情を読み取れない。
感情がない訳ではない。
隠している訳でもないだろう。
多分ダンテが、それを上手く視れないだけだ。
これも慣れればわかるようになるのだろうか。
そんなことを思う。
ダンテはスライダーへと目を戻した。
金具を摘まみ、じ、と下へ下ろしていく。
また穴でも開いているのか。
それとも火傷の痕でも出てくるか。
様々な予感の前に明かされたのは、案外拍子抜けするものだった。
抜けるような白い肌。
色素が薄いというより、血色が悪い類の色だ。
とはいえ筋肉はきちんとついてるから、弱々しい印象は欠片もない。
ダンテはそっと手をやって、その肌の上を滑らせる。
喉から首筋。
鎖骨から胸へ。
骨を、肉を、熱を感じながら、そろりそろりと辿っていく。
「——……」
鳩尾の下。
やや左の辺りで手が止まった。
「……ここ、ねえの?」
バージルの手が、ダンテのそれに重なる。
「ああ」
ぐ、と力が込められ、手が腹へと沈んだ。
「いくらか欠けている」
バージルが言う通り、腹腔そこにある筈のものが感じられない。
指伝いのうつろは、ダンテの指を止めてしまった。
「黒騎士を創る素材として。そう言っていた」
「……やられた時、痛ぇとか、あった?」
「眠れない程度には」
「……そういう夜って、何考えてた」
「怒りと憎しみを。魔帝や——お前への」
俄かに明かされた感情の名に、ダンテはきゅっと唇を結ぶ。
とっくの昔に知っていたのに、突きつけられれば息が詰まった。
ダンテが目を伏せ黙していると、バージルの手が伸びてきた。
大きな穴が開いた手は、ダンテの頬へと添えられる。
親指が唇へ触れ、なぞられる。
明かされた感情とは正反対の触れ方に、ダンテはほっと息を吐く。
「……まだ痛むか?」
「もう慣れた」
「触んねぇ方が、いい?」
「構わない」
ダンテの手が握られる。
頬から離れた、バージルの手によって。
力強く。
しかし優しく。
しっかりと握られる。

「——お前にならば」

バージルの声は酷く静かだった。
ダンテは耳を澄ませて、それを聞く。

「——ふうん」

ダンテは素っ気なく答えると、少し窮屈そうに身を屈める。
そしてふたりの重なる手に慈しむように口付けると、バージルの胸へ頭を押し付けた。


その後もダンテは、バージルの服を脱がしては、現れる痕へ触れていった。
肉ごと皮を剥がれた背中。
奇妙な隆起が残る頭蓋。
ダンテは一つ一つ触れていき、バージルの言葉に聞き入った。
バージルの身体に刻まれた、ダンテがいないバージルの時間。
バージルの口から語られる、ダンテが知らないバージルの記憶。
決して美しくなどない。
醜く、歪なバージルのそれを。
全て漏らさず、辿るように。
気が遠くなる程の時間をかけて、ダンテはずっと触れ続けた。
バージルもまた、そんなダンテを拒むことなく、ずっと痕へと触れさせていた。


********************

「——あ」
ダンテがバージルの手を持ち上げた時。
何かがその目を眩ませた。
手に開いた穴。
その向こうに、光が見えた。
禍々しい瘴気を纏った魔界の太陽。
お世辞にも爽やかとは言えないものの、それは紛れも無く朝日だった。
背中を預けるバージルを、ダンテは肘でとんと突く。
「……朝だぞ。バージル」
「ああ」
「何もしてねぇけど」
「ああ」
短く答えるバージルは、ダンテを膝に乗せたままその髪を弄るだけで、動くつもりもなさそうだ。
「あのなあ」
ダンテが振り返れば、そこには相変わらずよくわからないバージルの顔がある。
試しに目を凝らしてみるが、何を考えているかは判然としない。
ただ何となく、機嫌は悪くないのだろうと、それだけはわかった気がした。
「……あーあ。気ぃ張って損した。ゴアプレイだって覚悟してやったってのによ」
「貴様、俺を何だと思ってる」
「弟にサカる変態兄貴」
「…………」
むっとバージルの眉間に皺が寄る。
それをダンテは親指で、ぐりぐりと押して伸ばしてやった。
「ま、今日のところは許してやるさ」
指でぴんと眉間を弾くとダンテは、べ、と舌を出す。
バージルは不服そうに眉間を押さえたが、ダンテは構わず立ち上がった。
肩を回し、うんと伸びをする。
そして座ったままのバージルを見下ろし、ふんと小さく鼻を鳴らした。

「次はちゃんと押し倒せよ?意気地なし」

ダンテがそう皮肉れば、バージルの眉間に、また皺が寄る。
きっとこの顔には、照れも多少入っているのだろう。
偏屈な兄が少しわかった気がして、ダンテは悪くない気分になった。

「さてと」

ダンテはくるりと回れ右をして、大きな欠伸を一つする。

(——『次』はいつになるのかね)

今日か。
明日か。
明後日か。
それとも案外今すぐか。
少し浮ついた気持ちのまま、ダンテは空へと手を伸ばす。
昨日と同じ陰鬱な、けれど何故か明るく見える、不思議な魔界の朝の空へ。
ダンテは高く手を掲げて、もう一度思い切り、伸びをした。
1/1ページ
    スキ