おくりもののじかん
********************
「で、うちに来た、と」
「………………」
テーブルの対面から飛んでくる、ネロの冷めた視線がダンテを貫く。
後一時間もしない内におやつが始まると言う、やや忙しい時間帯。
そんな時に、ダンテはバージルと|鱈《コッド》を伴い、ネロとキリエが営む孤児院へと来ていた。
事務所から程遠い|孤児院《ここ》で、ひとりと一匹が通されたのは、ベージュのタイルが敷き詰められた、広い|食堂《ホール》。
その真ん中に置かれた大きな木のテーブルに、ネロの視線に耐えてなお座っている理由は、言わずもがな、である。
「おまちどうさま。今日はミートボールスパゲッティとサラダですよ」
食堂へキリエがやってくる。
右手にはミートボールがどっさり載ったスパゲッティの大皿が一つ。
左手には同じくミートボールスパゲッティが山盛りになった子供用の皿が一つ。
ネロはキリエから皿を受け取ると、それぞれをダンテとバージルの前へと|給仕《サーブ》した。
「おい、ダンテ。キリエによーーーく感謝して食えよっ」
「もう、ネロったら。そんな風に言わないの。さっき立派なお魚をもらったでしょ?」
「それは……」
「いや、ネロの言う通りだ。本当に感謝してる。お陰で今回も|餓死《うえじ》にしないで済んだしな。あの魚も押し付けるみたいで悪いが、上手く使ってやってくれると助かる。なあ?バージル」
そう言ってダンテは隣のベビーチェアに座るバージルを覗き込んだ。
先程まで毛繕いをしていたバージルは、今や目の前に出されたミートボールスパゲッティの匂いを嗅ぐのに夢中で、ダンテのことなど眼中にない。
その姿に、ネロは身を乗り出してバージルをまじまじと見た。
視線を感じたバージルも、ネロをじっと見つめ返す。
「しっかし、見れば見るほどペンギンだな」
ネロは呆れたように、しかしどこか感動したように呟いた。
ダンテは|孤児院《ここ》へ来た時、ネロ達に事情を洗いざらい話した。
二人は当初驚きはしたものの、ネロは仕事柄もあってか、ことの次第をすんなりと受け入れた。
キリエもまた、すぐにふわりと微笑むと、いつもと変わりなくダンテ達をもてなしてくれたのだ。
「大丈夫。トリッシュやレディも動いてくれてる。何とかなるさ」
ダンテが曇ることなくそう返せたのは、ネロとキリエの温かさに触れたからに違いなかった。
「さてと。それじゃあ冷めない内にいただくとするか」
「ええ、どうぞ召し上がれ」
キリエが微笑むと、ダンテはフォークを手に取り、皿へと手を伸ばす。
するとそれに気付いたバージルの視線は、ネロからダンテへとすぐ移った。
それを感じたダンテは、バージルに手本を示すように、麺をフォークで絡め取ると、タイミングよくぱくっと頬張った。
「うん、うまい。さすがだな」
「よかった、喜んでもらえて」
ダンテの動きを見たバージルは、真似てフォークを持つと、皿の上でぐるぐると回し始めた。
その手つきは酷くたどたどしく、しばらくは麺が皿の上でのたうち回るだけだったが、長い長い格闘の結果、フォークの先端にぐちゃぐちゃの麺の塊が出来上がる。
バージルはそれを持ち上げると、満足そうに頷いて、あーんと開けた口の中へと放り込んだ。
もちゃもちゃ、と音を立て咀嚼するバージルに、キリエはぱあっと頬を染める。
「あらあら、とっても上手!」
「キリエ、四十のオッサン相手にそれはないだろ……」
孤児院の子供にするように拍手するキリエへ、ネロはがっくりと肩を落として突っ込んだ。
するとどうだろう。
バージルはしょげたネロをじろじろと見たかと思えば、ぐさりとミートボールにフォークを刺した。
それから仕方ないとばかりに首を振ると、それをネロへと突き出してきたたではないか。
「まあ、ネロにくれるの?優しいのね」
「え?俺に?」
完全に不意をつかれたネロは戸惑っているが、キリエは全く気にしていない。
「ねえ、ネロ。あーんしてあげて」
「なっ……キ、キリエ?」
「ほら、あーん」
「へ?あ、あーん……?」
促されるがまま、ネロが口を開けると、バージルはそこにミートボールを投げ込んだ。
ネロは困惑しながらももぐもぐと咀嚼し、それを見届けたバージルは、尊大な態度でふん、と鼻息を吐いた。
——あのバージルが。
その様子見たダンテは一瞬呆気にとられてしまった。
普段のバージルは、親らしいことをしてこなかった後ろめたさからか、ネロと目を合わせなかったり、会話をすぐ切り上げたりと、あからさまに余所余所しい態度をとりがちだった。
そういう姿勢にダンテが文句を言って、バージルと派手な喧嘩をすることは日常茶飯事だったが、図らずもこんな形で『雪どけ』の時を見ようとは。
「——あっはっは!よかったじゃねえか、ネロ!」
「何が良かっただ!笑うなダンっ……!」
「待って、ネロ。口にソースがついてるわ」
「キ、キリエっ!自分でできるからっ!てか、ダンテもいるしっ……!」
口元のソースを拭こうとするキリエに、ネロは慌てて抵抗する。
しかし当然そんなものは意味を為さず、キリエはネロの手を優しく抑えると、丁寧にその口を拭ってやった。
あまりにも初々しい二人のやり取りに、ダンテまで胸がくすぐったくなる。
「妬けるね、お二人さん」
ダンテがおどけて声をかけると、ネロはトマトみたいな真っ赤な顔で、きっとこちらを睨みつけた。
「ダンテ……覚えてろよ……!」
「ああ、任せとけ。二人の甘いひとときは、ここのアルバムにちゃんとしまっとくよ」
そう胸を指さし、ダンテはふたりにウインクした。
ネロは更に激昂し、ダンテも大笑いしたのだが、バージルは我関せずと言った風に、スパゲッティの塊作りに精を出していた。
「ふふっ、みんな楽しそう」
キリエは微笑みつつ、暫くふたりと一匹を見守っていた。
そんなこんなの一悶着がありつつも、バージルとスパゲッティの格闘が終盤に差し掛かった頃。
何気なく壁時計を見たキリエは、あっと手で口を押さえた。
「あら、もうこんな時間?そろそろおやつの支度をしなくっちゃ!」
キリエは立ち上がると、てきぱきとエプロンをつける。
「ネロ、ちょっと行ってくるわ。片付けをお願いできる?」
「ああ、わかったよ。こっちが終わったら、すぐ手伝いに行くから」
「気なんて遣うなよ。別に片付けくらい、俺でもできるぜ?」
「あのな、ベタベタの皿に水かけて、棚に突っ込むことを『片付けた』って言わねえんだよ」
「いいだろ?別に。死ぬ訳じゃあるまいし」
「よくねえよ!」
大人気無いやり取りをするダンテとネロ。
その背後で、昼寝から抜け出した子供達が、こっそりとスパゲッティを捏ねくり回すバージルに近づいていたのだが、それにふたりが気付くには、大歓声が挙がるのを待たなければならなかった。
子供達のおやつと、ペンギンを囲んでの大騒ぎが終わった食堂は、もの悲しさを感じる程にがらんとしていた。
テーブルにひとり座るダンテは、大窓の向こうの中庭をぼんやりと見つめている。
月桂樹が揺れるそこでは、バージルが足元を確かめるように、のしのしと歩き回っていた。
突然やってきた謎の『ペンギン』の後ろには、興味津々で話しかける三つ編みの少女や、図鑑片手に観察する眼鏡の少年、バージルへ手を出しては引っ込めるを繰り返すそばかすの少女と、実に様々な子供達が集まっている。
何とも不思議な光景だ、とダンテは思う。
「——しっかし、忙しねえなぁ」
正面に座るネロが、ぼそりと呟く。
「初めて会った時はヒビだらけの|土人形《ゴーレム》もどき、次に来た時は|陶磁器人形《ビスクドール》みたいな顔の男。その後|編枝人形《ウィッカーマン》そっくりの化け物になって、やっと偏屈なオッサンの格好に落ち着いたかと思ったら、今じゃペンギンのぬいぐるみだ」
「|外見至上主義《ルッキズム》はよくないぜ、ネロ」
「だとしても、限度ってもんがあるだろ」
ネロはダンテの方を向いた。
「でもさ、意外だったっつーか、ほっとしたっつーか……」
ネロの言葉に、ダンテは首を傾げる。
「だってそうだろ?さっき聞いた限りじゃあの呪い、知性や理性がなくなって、本能が表に出てくるて話だったし。それならあいつのことだから、大暴れしたり、手当たり次第に喧嘩ふっかけたり、厄介なこともやりかねないって思ってたからさ」
実の父親相手に散々な言いようだが、ネロの言うことは尤もだとダンテは思う。
力任せに暴れまくり、世界を破滅の一歩手前まで追いやった恐怖の魔王が、今や殆ど言葉を解さず、子供のように扱われても、文句の一つも言ってこない。
加えてシャワーもひとりで浴びれない癖に、毛繕いだけは一人前だ。
トリッシュの言う通り、獣化の呪いは確かにバージルを蝕んでいるのだろう。
しかし本能や欲望の先鋭化という割に、バージルがした悪事といえば、ずぶ濡れのまま事務所を逃げ回ったり、ミートボールをもっと寄越せと強請ったくらい。
何なら今は子供達と輪になって、中庭にしゃがみ込んでおり、その光景は至って平和そのものである。
「……まだバージルが呪いにかかってから、大して時間が経ってねえ。これから色々問題が出てくるって可能性もある。油断は禁物だな」
一応そんなことを言ってはみるが、本音を言えば、ダンテはそこまで心配はしていなかった。
根拠はない。
けれどトリッシュ達とのやり取りや、|孤児院《ここ》の暖かな空気が、ダンテを楽観的にしていた。
それに。
「ま、悪さしたところでたかがペンギンだしな。何かあっても知れてるってもんだ」
「ははっ、言えてる」
ネロは笑って、椅子に深く背を預けた。
ダンテは頬杖を突くと、ふっと思考に沈み込む。
差し出されたミートボール。
子供達を引き連れた大行進。
バージルが織りなす、|太々《ふてぶて》しくもどこか和やかな光景。
(ああ、ひょっとして)
期せずして、口から言葉が零れた。
「——案外あれが、あいつの素だったりしてな」
「え?」
聞き取れなかったのか、ネロがこちらへと身を乗り出した。
「何でもねえさ」
ダンテがそう煙に巻いた時、がちゃり、とドアが開く音がした。
そちらを向けば、先程バージルと一緒にいた三つ編みの少女とそばかすの少女が部屋に入ってくるのが見えた。
ネロかキリエに用があるのだろう。
ダンテはそう思ったが、少女達が向かった先は思いもよらないところだった。
二人はダンテの目の前に来ると、おじさん、と手を取って早く早くと急かしてくる。
「何だ何だ?」
引っ張られるがままダンテが二人についていくと、月桂樹の下に、何かを咥えたバージルと、図鑑の少年の姿が見えた。
子供達は時折内緒話を交わしながら、ダンテとバージルを窓際へと連れて行く。
「どうしたんだ?急に」
ぴっと羽が掲げられると、三人はダンテをぐいぐい押して、バージルと向かい合わせでしゃがませる。
バージルはまるで召使を労うように羽を振ると、堂々とした歩調でダンテへ歩み寄り、ゆっくりと咥えていたものを地面に置いた。
「…………?」
ダンテの目の前に転がった、小さなもの。
まるくてころんとしたそれを、ダンテは手に取る。
「これ……石か?」
灰色の、きめ細やかな肌の石。
恐らく庭に落ちていたものだろう。
バージルはどうだと言わんばかりに体を揺らしている。
「何だよ、これがどうだって……」
理解が及ばず戸惑っていると、少年がずいっと身体を寄せてきて、ダンテの膝に図鑑を載せた。
見て、と広げられたのはペンギンのイラストや写真が載ったページ。
ここ、と指さされたのはペンギンの習性か書かれた部分だ。
少年は前のめり気味になると、早口でダンテへこう言った。
ペンギンは好きな子がいると、その子に石をプレゼントするよ、と。
ダンテはぱっと顔を上げる。
目が合っがバージルは、ふふんと威丈高に鼻を鳴らした。
そして更にダンテへ歩み寄ると、分厚い本の下敷きになった膝を、ぺちぺちとリズミカルに叩いてみせた。
それを見たダンテの視界の端に、図鑑の記事が更に飛び込んでくる。
「………!」
石を持つペンギンの絵の隣。
今のバージルと同じく、仲間を叩くペンギンの絵に添えられた文。
——ペンギンは、好きな子を——
その数文字の羅列に、ダンテはぎゅっと石を握った。
バージルの、この仕草の意味を知ってしまった。
手に込められた力が増す。
……——案外あれが、あいつの素だったり——
自分で言った、何の根拠もない出まかせが耳に蘇る。
でも、もし。
もしそれが、本当だとしたら。
手を握り込めば、石が食い込んだ掌が痛む。
だがそんなことはどうでもよかった。
ダンテは図鑑に石を置き、恐る恐る手を伸ばす。
ふんわりとした羽毛に指が触れると、ダンテは脇腹の辺りに両手を滑り込ませ、ぺちぺちと軽く叩いてみた。
途端にバージルは目を丸くして、ぶわっと羽毛を逆立てる。
胸大きく膨らませたバージルは、ふんふんと鼻息を荒くして、より激しくダンテを叩きだす。
ダンテは懸命なその仕草に頬が熱くなるのを感じて、思わず破顔してしまった。
「やめろよ、バージル。痛ぇって」
ふたりの様子に少女達はけらけらと笑い出し、少年は図鑑を心配してか、おろおろと戸惑っていた。
「何やってんだよ、お前ら……」
怪訝な声に振り向けば、じとっとした目でダンテ達を見るネロがいた。
ダンテが口を開く前に、三つ編みとそばかすの少女達がネロに飛びついて、ペンギンについてマシンガンのごとく話し始めた。
「同時に喋ったらわかんねえ……ってお前ら、手ぇ土だらけじゃねえかっ。さっさと洗ってこいっ!」
ネロに叱られた少女達は、不満そうに、しかし楽しそうに洗面所へと走って行く。
少年だけは図鑑を気にして、渋々といった体で歩いて行った。
三人を見送った後、ネロはくるりと振り返り、ダンテ達の前に立ちはだかる。
「ほらっ、お前もだぞクソ親父っ!」
隙を衝き、ネロはバージルを高々と抱き上げた。
ダンテから引き剥がされたバージルは、ピーッと超高音で鳴き喚くと、容赦無くネロの手の中で暴れ始める。
既視感のある攻防に、ダンテはやや苦味のある笑みを浮かべる。
「気をつけろよ。そいつ、めちゃくちゃ水飛ばすからな」
「笑ってねぇで手伝えよ!」
ネロの雷に、はいはいと肩を竦めてみせる。
ダンテは膝の上の図鑑を閉じ、先程まで座っていたテーブルへと置いた。
コートのポケットのジッパーを開けると、手の中の石をしまいこむ。
落とさないよう、一番奥へ。
しっかりと収めてから、スライダーを上げる。
ほんの少しだけ重くなったその感覚に、ダンテはついつい嬉しくなって、ぽん、と布地の上から石を叩いた。
「で、うちに来た、と」
「………………」
テーブルの対面から飛んでくる、ネロの冷めた視線がダンテを貫く。
後一時間もしない内におやつが始まると言う、やや忙しい時間帯。
そんな時に、ダンテはバージルと|鱈《コッド》を伴い、ネロとキリエが営む孤児院へと来ていた。
事務所から程遠い|孤児院《ここ》で、ひとりと一匹が通されたのは、ベージュのタイルが敷き詰められた、広い|食堂《ホール》。
その真ん中に置かれた大きな木のテーブルに、ネロの視線に耐えてなお座っている理由は、言わずもがな、である。
「おまちどうさま。今日はミートボールスパゲッティとサラダですよ」
食堂へキリエがやってくる。
右手にはミートボールがどっさり載ったスパゲッティの大皿が一つ。
左手には同じくミートボールスパゲッティが山盛りになった子供用の皿が一つ。
ネロはキリエから皿を受け取ると、それぞれをダンテとバージルの前へと|給仕《サーブ》した。
「おい、ダンテ。キリエによーーーく感謝して食えよっ」
「もう、ネロったら。そんな風に言わないの。さっき立派なお魚をもらったでしょ?」
「それは……」
「いや、ネロの言う通りだ。本当に感謝してる。お陰で今回も|餓死《うえじ》にしないで済んだしな。あの魚も押し付けるみたいで悪いが、上手く使ってやってくれると助かる。なあ?バージル」
そう言ってダンテは隣のベビーチェアに座るバージルを覗き込んだ。
先程まで毛繕いをしていたバージルは、今や目の前に出されたミートボールスパゲッティの匂いを嗅ぐのに夢中で、ダンテのことなど眼中にない。
その姿に、ネロは身を乗り出してバージルをまじまじと見た。
視線を感じたバージルも、ネロをじっと見つめ返す。
「しっかし、見れば見るほどペンギンだな」
ネロは呆れたように、しかしどこか感動したように呟いた。
ダンテは|孤児院《ここ》へ来た時、ネロ達に事情を洗いざらい話した。
二人は当初驚きはしたものの、ネロは仕事柄もあってか、ことの次第をすんなりと受け入れた。
キリエもまた、すぐにふわりと微笑むと、いつもと変わりなくダンテ達をもてなしてくれたのだ。
「大丈夫。トリッシュやレディも動いてくれてる。何とかなるさ」
ダンテが曇ることなくそう返せたのは、ネロとキリエの温かさに触れたからに違いなかった。
「さてと。それじゃあ冷めない内にいただくとするか」
「ええ、どうぞ召し上がれ」
キリエが微笑むと、ダンテはフォークを手に取り、皿へと手を伸ばす。
するとそれに気付いたバージルの視線は、ネロからダンテへとすぐ移った。
それを感じたダンテは、バージルに手本を示すように、麺をフォークで絡め取ると、タイミングよくぱくっと頬張った。
「うん、うまい。さすがだな」
「よかった、喜んでもらえて」
ダンテの動きを見たバージルは、真似てフォークを持つと、皿の上でぐるぐると回し始めた。
その手つきは酷くたどたどしく、しばらくは麺が皿の上でのたうち回るだけだったが、長い長い格闘の結果、フォークの先端にぐちゃぐちゃの麺の塊が出来上がる。
バージルはそれを持ち上げると、満足そうに頷いて、あーんと開けた口の中へと放り込んだ。
もちゃもちゃ、と音を立て咀嚼するバージルに、キリエはぱあっと頬を染める。
「あらあら、とっても上手!」
「キリエ、四十のオッサン相手にそれはないだろ……」
孤児院の子供にするように拍手するキリエへ、ネロはがっくりと肩を落として突っ込んだ。
するとどうだろう。
バージルはしょげたネロをじろじろと見たかと思えば、ぐさりとミートボールにフォークを刺した。
それから仕方ないとばかりに首を振ると、それをネロへと突き出してきたたではないか。
「まあ、ネロにくれるの?優しいのね」
「え?俺に?」
完全に不意をつかれたネロは戸惑っているが、キリエは全く気にしていない。
「ねえ、ネロ。あーんしてあげて」
「なっ……キ、キリエ?」
「ほら、あーん」
「へ?あ、あーん……?」
促されるがまま、ネロが口を開けると、バージルはそこにミートボールを投げ込んだ。
ネロは困惑しながらももぐもぐと咀嚼し、それを見届けたバージルは、尊大な態度でふん、と鼻息を吐いた。
——あのバージルが。
その様子見たダンテは一瞬呆気にとられてしまった。
普段のバージルは、親らしいことをしてこなかった後ろめたさからか、ネロと目を合わせなかったり、会話をすぐ切り上げたりと、あからさまに余所余所しい態度をとりがちだった。
そういう姿勢にダンテが文句を言って、バージルと派手な喧嘩をすることは日常茶飯事だったが、図らずもこんな形で『雪どけ』の時を見ようとは。
「——あっはっは!よかったじゃねえか、ネロ!」
「何が良かっただ!笑うなダンっ……!」
「待って、ネロ。口にソースがついてるわ」
「キ、キリエっ!自分でできるからっ!てか、ダンテもいるしっ……!」
口元のソースを拭こうとするキリエに、ネロは慌てて抵抗する。
しかし当然そんなものは意味を為さず、キリエはネロの手を優しく抑えると、丁寧にその口を拭ってやった。
あまりにも初々しい二人のやり取りに、ダンテまで胸がくすぐったくなる。
「妬けるね、お二人さん」
ダンテがおどけて声をかけると、ネロはトマトみたいな真っ赤な顔で、きっとこちらを睨みつけた。
「ダンテ……覚えてろよ……!」
「ああ、任せとけ。二人の甘いひとときは、ここのアルバムにちゃんとしまっとくよ」
そう胸を指さし、ダンテはふたりにウインクした。
ネロは更に激昂し、ダンテも大笑いしたのだが、バージルは我関せずと言った風に、スパゲッティの塊作りに精を出していた。
「ふふっ、みんな楽しそう」
キリエは微笑みつつ、暫くふたりと一匹を見守っていた。
そんなこんなの一悶着がありつつも、バージルとスパゲッティの格闘が終盤に差し掛かった頃。
何気なく壁時計を見たキリエは、あっと手で口を押さえた。
「あら、もうこんな時間?そろそろおやつの支度をしなくっちゃ!」
キリエは立ち上がると、てきぱきとエプロンをつける。
「ネロ、ちょっと行ってくるわ。片付けをお願いできる?」
「ああ、わかったよ。こっちが終わったら、すぐ手伝いに行くから」
「気なんて遣うなよ。別に片付けくらい、俺でもできるぜ?」
「あのな、ベタベタの皿に水かけて、棚に突っ込むことを『片付けた』って言わねえんだよ」
「いいだろ?別に。死ぬ訳じゃあるまいし」
「よくねえよ!」
大人気無いやり取りをするダンテとネロ。
その背後で、昼寝から抜け出した子供達が、こっそりとスパゲッティを捏ねくり回すバージルに近づいていたのだが、それにふたりが気付くには、大歓声が挙がるのを待たなければならなかった。
子供達のおやつと、ペンギンを囲んでの大騒ぎが終わった食堂は、もの悲しさを感じる程にがらんとしていた。
テーブルにひとり座るダンテは、大窓の向こうの中庭をぼんやりと見つめている。
月桂樹が揺れるそこでは、バージルが足元を確かめるように、のしのしと歩き回っていた。
突然やってきた謎の『ペンギン』の後ろには、興味津々で話しかける三つ編みの少女や、図鑑片手に観察する眼鏡の少年、バージルへ手を出しては引っ込めるを繰り返すそばかすの少女と、実に様々な子供達が集まっている。
何とも不思議な光景だ、とダンテは思う。
「——しっかし、忙しねえなぁ」
正面に座るネロが、ぼそりと呟く。
「初めて会った時はヒビだらけの|土人形《ゴーレム》もどき、次に来た時は|陶磁器人形《ビスクドール》みたいな顔の男。その後|編枝人形《ウィッカーマン》そっくりの化け物になって、やっと偏屈なオッサンの格好に落ち着いたかと思ったら、今じゃペンギンのぬいぐるみだ」
「|外見至上主義《ルッキズム》はよくないぜ、ネロ」
「だとしても、限度ってもんがあるだろ」
ネロはダンテの方を向いた。
「でもさ、意外だったっつーか、ほっとしたっつーか……」
ネロの言葉に、ダンテは首を傾げる。
「だってそうだろ?さっき聞いた限りじゃあの呪い、知性や理性がなくなって、本能が表に出てくるて話だったし。それならあいつのことだから、大暴れしたり、手当たり次第に喧嘩ふっかけたり、厄介なこともやりかねないって思ってたからさ」
実の父親相手に散々な言いようだが、ネロの言うことは尤もだとダンテは思う。
力任せに暴れまくり、世界を破滅の一歩手前まで追いやった恐怖の魔王が、今や殆ど言葉を解さず、子供のように扱われても、文句の一つも言ってこない。
加えてシャワーもひとりで浴びれない癖に、毛繕いだけは一人前だ。
トリッシュの言う通り、獣化の呪いは確かにバージルを蝕んでいるのだろう。
しかし本能や欲望の先鋭化という割に、バージルがした悪事といえば、ずぶ濡れのまま事務所を逃げ回ったり、ミートボールをもっと寄越せと強請ったくらい。
何なら今は子供達と輪になって、中庭にしゃがみ込んでおり、その光景は至って平和そのものである。
「……まだバージルが呪いにかかってから、大して時間が経ってねえ。これから色々問題が出てくるって可能性もある。油断は禁物だな」
一応そんなことを言ってはみるが、本音を言えば、ダンテはそこまで心配はしていなかった。
根拠はない。
けれどトリッシュ達とのやり取りや、|孤児院《ここ》の暖かな空気が、ダンテを楽観的にしていた。
それに。
「ま、悪さしたところでたかがペンギンだしな。何かあっても知れてるってもんだ」
「ははっ、言えてる」
ネロは笑って、椅子に深く背を預けた。
ダンテは頬杖を突くと、ふっと思考に沈み込む。
差し出されたミートボール。
子供達を引き連れた大行進。
バージルが織りなす、|太々《ふてぶて》しくもどこか和やかな光景。
(ああ、ひょっとして)
期せずして、口から言葉が零れた。
「——案外あれが、あいつの素だったりしてな」
「え?」
聞き取れなかったのか、ネロがこちらへと身を乗り出した。
「何でもねえさ」
ダンテがそう煙に巻いた時、がちゃり、とドアが開く音がした。
そちらを向けば、先程バージルと一緒にいた三つ編みの少女とそばかすの少女が部屋に入ってくるのが見えた。
ネロかキリエに用があるのだろう。
ダンテはそう思ったが、少女達が向かった先は思いもよらないところだった。
二人はダンテの目の前に来ると、おじさん、と手を取って早く早くと急かしてくる。
「何だ何だ?」
引っ張られるがままダンテが二人についていくと、月桂樹の下に、何かを咥えたバージルと、図鑑の少年の姿が見えた。
子供達は時折内緒話を交わしながら、ダンテとバージルを窓際へと連れて行く。
「どうしたんだ?急に」
ぴっと羽が掲げられると、三人はダンテをぐいぐい押して、バージルと向かい合わせでしゃがませる。
バージルはまるで召使を労うように羽を振ると、堂々とした歩調でダンテへ歩み寄り、ゆっくりと咥えていたものを地面に置いた。
「…………?」
ダンテの目の前に転がった、小さなもの。
まるくてころんとしたそれを、ダンテは手に取る。
「これ……石か?」
灰色の、きめ細やかな肌の石。
恐らく庭に落ちていたものだろう。
バージルはどうだと言わんばかりに体を揺らしている。
「何だよ、これがどうだって……」
理解が及ばず戸惑っていると、少年がずいっと身体を寄せてきて、ダンテの膝に図鑑を載せた。
見て、と広げられたのはペンギンのイラストや写真が載ったページ。
ここ、と指さされたのはペンギンの習性か書かれた部分だ。
少年は前のめり気味になると、早口でダンテへこう言った。
ペンギンは好きな子がいると、その子に石をプレゼントするよ、と。
ダンテはぱっと顔を上げる。
目が合っがバージルは、ふふんと威丈高に鼻を鳴らした。
そして更にダンテへ歩み寄ると、分厚い本の下敷きになった膝を、ぺちぺちとリズミカルに叩いてみせた。
それを見たダンテの視界の端に、図鑑の記事が更に飛び込んでくる。
「………!」
石を持つペンギンの絵の隣。
今のバージルと同じく、仲間を叩くペンギンの絵に添えられた文。
——ペンギンは、好きな子を——
その数文字の羅列に、ダンテはぎゅっと石を握った。
バージルの、この仕草の意味を知ってしまった。
手に込められた力が増す。
……——案外あれが、あいつの素だったり——
自分で言った、何の根拠もない出まかせが耳に蘇る。
でも、もし。
もしそれが、本当だとしたら。
手を握り込めば、石が食い込んだ掌が痛む。
だがそんなことはどうでもよかった。
ダンテは図鑑に石を置き、恐る恐る手を伸ばす。
ふんわりとした羽毛に指が触れると、ダンテは脇腹の辺りに両手を滑り込ませ、ぺちぺちと軽く叩いてみた。
途端にバージルは目を丸くして、ぶわっと羽毛を逆立てる。
胸大きく膨らませたバージルは、ふんふんと鼻息を荒くして、より激しくダンテを叩きだす。
ダンテは懸命なその仕草に頬が熱くなるのを感じて、思わず破顔してしまった。
「やめろよ、バージル。痛ぇって」
ふたりの様子に少女達はけらけらと笑い出し、少年は図鑑を心配してか、おろおろと戸惑っていた。
「何やってんだよ、お前ら……」
怪訝な声に振り向けば、じとっとした目でダンテ達を見るネロがいた。
ダンテが口を開く前に、三つ編みとそばかすの少女達がネロに飛びついて、ペンギンについてマシンガンのごとく話し始めた。
「同時に喋ったらわかんねえ……ってお前ら、手ぇ土だらけじゃねえかっ。さっさと洗ってこいっ!」
ネロに叱られた少女達は、不満そうに、しかし楽しそうに洗面所へと走って行く。
少年だけは図鑑を気にして、渋々といった体で歩いて行った。
三人を見送った後、ネロはくるりと振り返り、ダンテ達の前に立ちはだかる。
「ほらっ、お前もだぞクソ親父っ!」
隙を衝き、ネロはバージルを高々と抱き上げた。
ダンテから引き剥がされたバージルは、ピーッと超高音で鳴き喚くと、容赦無くネロの手の中で暴れ始める。
既視感のある攻防に、ダンテはやや苦味のある笑みを浮かべる。
「気をつけろよ。そいつ、めちゃくちゃ水飛ばすからな」
「笑ってねぇで手伝えよ!」
ネロの雷に、はいはいと肩を竦めてみせる。
ダンテは膝の上の図鑑を閉じ、先程まで座っていたテーブルへと置いた。
コートのポケットのジッパーを開けると、手の中の石をしまいこむ。
落とさないよう、一番奥へ。
しっかりと収めてから、スライダーを上げる。
ほんの少しだけ重くなったその感覚に、ダンテはついつい嬉しくなって、ぽん、と布地の上から石を叩いた。
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